今日の一言(1997年11月分)




騒ぎ過ぎ
1997年11月30日(日曜日) はれ/やや曇り

11月最後の "一言" ですね。もう12月ってことは今年も残すところ1ヶ月のみ。1年なんて早いもの。そう言えば、ガキの頃は1年は途轍もなく長く感じられたが、中学ぐらいの頃からか、1年が前年と比較して短く感じるようになってきた。なぜだか分からないが、人間の時間感覚なんていい加減なものである。

それでは、人間より寿命の短い動物は、1年をどう感じているのだろう。10歳を人間の齢に換算すると80歳に相当する動物は、1年を人間の8倍の長さに感じたりするんだろうか。どうなのだろう。退屈とは恐ろしいもの、これだけは耐え難いものがあると思う。改めて言うまでもないが、私のようにセッカチな人間には辛いものがある。

今月を振り返ってみる。山一証券廃業を筆頭に、マスコミが騒ぐべきであると判断した出来事が多かった。しかし、騒ぎ過ぎとしか言えないような報道も多いと思う。「山一廃業、日本の経済危機だ!」なんて感じで騒がれても、「は?」の一言で片付いちゃう。経済危機と言うのは、万札でケツ拭いてトイレに流しても勿体無いと思わない状況を指すのではないか。あいにくだが、商店へ行けば物も適値で買える。「金融危機」と言うのであれば、理解できるが。

騒ぐから、余計に事態が悪化する事象も多いのではないかと感じたりする。消費の落ち込みなんて、逆にマスコミが「世の中好景気、じゃんじゃんカネ使おうね!」とか騒ぎ立てたら治ってしまうかも。まあ、そんなに甘くはないだろうけど。



2ケツ
1997年11月29日(土曜日) あめ/くもり

ふうー、今日は疲れた。チャリンコにケツで大阪城の天守閣まで上がったのだが、身体にちょっとこたえた。お城はやや高いところに建てられているから、堀の辺から城の近くまでは坂が多い。一人では何とも無いが、後ろにもう一人乗っけてだから。歳には勝てないや!?

帰り道、2ケツを発見したポリさんにちょっとだけ注意された。だったら、子供用の補助椅子らしきものを取り付けてガキを乗っけてるお母様方はどうなるのだ。それならまだ良い、子供が2人いるお母様は、自転車の前後に子供用の椅子を取り付けて、3ケツも平気でやってるのに、それは構わないと言うのか。あれは許されて、私が注意されるのは納得いかんぞー。安全運転と言われる?私なんだから、2ケツぐらい、別に良いやんね。

きっとそのポリさんは、後ろの荷台に乗ってたのが女性であることに焼いていたのだろう、などと勝手に解釈する。フフフ、大阪城でデートしてきた帰りだったからね...などと言えれば良いのだが。数名で歴史調査に行く際に、自転車が1つ足りなかっただけと言う、限りなく地味な理由でしかなかった。



OAデスク入荷
1997年11月28日(金曜日) くもり/雨

1ヶ月ほど前から注文してあった机が納品された。机と言っても家庭で使うようなモノじゃなくて、コクヨのOA用デスク。家具屋ではなく、事務用品屋から買ったものなのだ。チャチな合板の民生用の机や、パソコンラックはあまり使い勝手が良くない。そこで、いま部屋に置いてある勉強机(小学校入学時に買ってもらった)とパソコンラックを処分して、大きなOA机に入れ替えることにしたのだ。

が、部屋を整理する段取りも取れないまま、突然机が運ばれてきた。奥行き80センチ、幅が180センチ、重さも40キロ近くある巨大な机を部屋に入れるだけでも大変な苦労。部品で持って来て部屋で組み立てすることを予想していたのだが、運送屋が持ってきたものは既に完成した机。なにしろ狭い住宅、部屋の入口を通らなかったのだ。仕方が無いから、部品を少し外して通した。

いまは、部屋の整理に追われているところ。古い机の上に乗っているものを、全部どこかに退けて、それから古い机自体を出して、それから、新しい机を然るべき場所に設置すると言う計画だ。整理を先に済ませてれば良かったのだが、急に新しい机が来た関係で、大変窮屈な環境でそれをやらなければならない。なにしろ、同じ部屋に新しい机も置いてあるんだから。

この整理が終われば、部屋がもっと広くなるはず。BBSなどの邪魔なマシン(目障り)は他に用意したラックに隔離して置く予定なのだが、自分のマシンやら、スキャナなどに至るまでの周辺機器は全部机の上に置くことができるはず。それでも180センチもあるんだから、まだ作業スペースが余ると言うわけね。できれば今週末に終わらせたいのだが、何しろガラクタの多い部屋だから間に合うかなあ。実は貧乏性なんで、要らないものでも平気で置いてあるのだ。これを機に、一掃してやるのだ。



年賀状
1997年11月27日(木曜日) はれ

そろそろ年賀状を作り始めないといけない。1ヶ月ほど前からやらないと、間に合わないような状況なので。去年は喪中ってことで、世話になった人にだけ喪中欠礼のハガキを出しておしまい。これはこれで楽だった。しかし、今年はそうも行かない...

どんなデザインにしようかなー。プリントゴッコのサンプルにあるような、干支+挨拶みたいなマンネリ賀状も嫌だけど、凝ったものを作るのも面倒くさい。まあ形式にとらわれずに、好き勝手に作るつもりだ。私宛てに来た年賀状を見てると、あまり形式にこだわってるように見えるものも少ないしねぇ。カラーの濃いツレが多いせいか、年賀状も個性的なのが多いです。



会社廃業
1997年11月26日(水曜日) あめ

アルバイトの立場ではありながらも、何年か不定期的に働いてきた会社が廃業することになった。業種は予備校。小さな会社ではあったが、バブルの時の業績はそれなりに良かったらしい。しかし、このご時世、子供の数は減るわなんだで、大手も含めて、どこも経営は楽ではない。そして、まあ合理化に合理化を重ねても赤字は増えるばかりで、とうとう廃業することになったわけだ。

経営は学校法人認可も持つ某大手予備校が仕切っていて、今まではそこの保護下にあったから何とか持ちこたえていた。しかし、その予備校も経営合理化方針を固め、赤字の酷いウチは見放されることになってしまったのだ。本社は東京にあり、私が働いているところは大阪校。そして、東京の本社の方は事業から完全に撤退することになると思うのだが、大阪の方だけは、有志?で業務を引き継ごうと言うような話もでている。

今は株式会社だが、有限会社に組織変更して。又は、一旦は廃業して、新たに有限で起業するとか。更に合理化すれば何とか採算も取れるのでは無いかってところなのだが、何しろ赤字でどうしようもない事業を引き継ぐのだから、バクチ的だと思う。有限会社、最低でも資本金300万いるんだっけ。有志感覚でやるには、なんかねー。まあ、問題は山積みだが、実は私もちょっとだけ噛んでたりするので、応援たいと思ってる。


関係ないが、最近あまり時間がない。つまり、忙しいぃーー。一度に色々なことをやり過ぎであると言う説もあり、まあそれも御尤もかも知れない。突撃実験室にも追加したいネタはいくつかあるのだが、落ち着いて実験して記事を書く暇も取れない状況で、大変申し訳ない。何とか頑張ってるのが一言だけなのだが、これもちょっとサボりがちになってきてしまった。いけない、これだけは頑張るつもりなのに...



工事
1997年11月24日(月曜日) 晴れ

最近、私の行動範囲には工事が多い。

その1。家の裏の市場が解体されつつある。大きな平屋の建物に、小さな商店が何件も入居している昔乍ら?の市場スタイルの商店だったのだが、ずっと景気が悪かった。1店潰れ、また1店潰れで、結局はお店がほとんど無くなった。まあスーパーも近所にあるから、流行らないのも仕方が無いかもしれない。

それで、建物自体が潰される羽目になった。私が起きる時刻には、解体工事はすでに始まっている。工事現場の朝は早いようだが、ゆっくり寝たいと言う私の望みは聞いくれないみたい。朝から、コンクリートを砕く音が煩くて困っている。

その2。市場の解体工事の少し前に、近所の幼稚園が立て直されることになった。前はこちらもやや煩かったのだが、最近は建物がほぼ完成した模様で、そうでもない。子どもが減っているいま、生き残りをかけた投資なのか。幼稚園を閉鎖するわけにはいかないとおもうのだが、園児達はどうしているのだろう。

その3。京阪電車の随所で工事が行われている。寝屋川市駅の高架化工事も見てると面白い。電車を止めずに高架橋を建て、いつのまにか古い駅の上に新しい駅ができてしまった。電車が通る真上で工事をしているのだが、何か落ちてこないかと心配になってくる。以前に、高架道路の工事現場で、側道に鉄骨を落としたって事故があったような気もするけど。そういう事がありませんように。

同じく京阪電車の光善寺駅も、駅の上に建造物を建てる工事をしている。下りホームと上りホームを高架のコンコースで繋げる工事らしいが、気が付けば狭い駅の構内にクレーンが立っていた。小規模なビルの工事現場でよく見かける、作り付けのクレーン。部品を持ってきて、現地で組み立てるそうだが、あれはよく倒れるらしい。そのよく倒れると噂されるクレーン、学校の窓から手の届くようなところにも1つあるが、大丈夫かな。
家に居ても学校に居ても電車に乗ってても、工事だらけやんか。



金融機関
1997年11月23日(日曜日) やや晴れ

山一証券、破綻ですか。当然の結果と言っても差し支えが無い例なんでしょうかね。それなりの事はしてきたんだから、当然の報いと言うもの。ザマ見ろと思いますは。

金融機関への就職ってエリートコースって言うんでしょうかね。安定した生活を望んでいた社員は何となくかわいそうですけど、どっかの炭鉱が潰れて失業する人とは、どこか違う「かわいそう」である気もします。何が違うんでしょうね、死ぬかも知れないところで働いてきた人間と、仕事の割にはやたらと高い給料とってるのであろう人間が失業するのはワケが違うんでしょうかねかね。失礼な言い方ですが、正直なところ。

儲かってた金融機関が潰れたって、救いの手を差し伸べるべきであると感じるフツーの人は、どれほどいるんでしょうね。会社を救いたいって気持ちもなければ、社員も勝手に失業しやがれって思ってたりします。銀行へ行っても分かるように、仕事の遅い慇懃無礼な社員がどうなったって、私のような人間は同情しませんわ。態度悪いんだよね。



待機電力
1997年11月21日(金曜日) くもり/にわか雨

二酸化炭素の排出量を減らそうって事の一環で、電気製品の待機電力が問題になっている。待機電力とは文字どおり、機器を使っていないのに(待機状態)、コンセントに繋いでおくだけで消費してしまう電力である。使いもしないのに、電気だけは食うから無駄だと言うわけ。

使ってない、つまり何も建設的な仕事はしていないのだから、電気を食うのは許せん! という理屈は、御尤も。ある1つの機器が消費する待機電力は知れているかも知れないが、チリも積もればなんとやら、家庭の電気代の何割かは待機電力ってことも現実にある。つまり、待機電力をどうにかすれば、電気代の節約にもなるわけだ。金にケチな大阪人には、こうして書いた方が分かり易いのだわ。

待機中にも電気を食う電気製品は、ボタンを押せばピッと音がして動き出すものや、リモコン操作が可能なものに多い。しかし、待機電力は必ず減らすることのできるものだ。タクトスイッチを軽く押すだけで起動する電気製品はどこかスマートであるかも知れないが、普通のスイッチでも代替できる製品は多いと思う。それが、生活を著しく不便にするものとは思えない。

例えば、家の扇風機だってそうだ。こいつは本体のタクトスイッチで電源を操作することが前提に設計され、リモコンもついている。しかし、タクトスイッチは押しにくい。それにリモコンは、はっきり言って要らない。なぜ扇風機にリモコンが必要なのか、実は殆ど使ったことがないのだ。それで、使っていないときでもほんのりと熱を帯び、その扇風機は無駄な電気を食っていることを証明している。

リモコンも便利だから、全てを否定する必要はないと思う。例えば、テレビのリモコンは不可欠なもの、それを捨ろと言うのも現実的ではない。もったいないからテレビは主電源を切れとか言う人もいるが、それではリモコンが意味を成さない。こういう原始的なことを言う人間は、放っておけば良い。ここはちょっと工夫して、テレビを使わない午前0時から朝6時までは自動的に主電源が切れるようにするとかすれば、良いことであると思うのだ。それが、文明ってものだ。

技術は人の生活を便利にしてきたが、その技術の生かし方を少し変えてみれば、節電も可能であるはず。エネルギーをやたらと使うだけが、技術ではない。かつてNASAがアポロを月に送った時、技術者は節電にも苦労したという。宇宙船の限られた電力を、いかに効率的に使うか、こんな概念を家電にも持ってこれないものだろうか。また、消費者も変なスマートさを求めるべきではない。

うちの場合は、待機電力の嵐。ホストマシンを筆頭に、TAが2個、モデムが2個、HUBとルータに常時火が入っている。特にホストはいつ着信があるか分からないから切ることもできないし、HUBやルータは、使用を終える度に電源を切るような性質のものではないことを前提に設計されているのだろうか、電源スイッチは存在すらしない。これでは偉そうな事は書けないが、切れないものは仕方が無い(^^;

まあ、できるところからやろう。ACアダプタは、使用後抜くとか。



宇宙へ行くこと
1997年11月20日(木曜日) はれ

土井さんだっけ、宇宙へと旅立たれた。凄いと思うねぇ、スペースシャトルに乗れば、宇宙へ行けるのだ。だからって積極的に自分も行ってみたいとは思わないが、連れていってやると言うなら行くぞ。全然関係ないが、宇宙空間の温度は、絶対温度で3ケルビンなのだそうだ。0ではないらしい。

日本人がスペースシャトルに乗って宇宙に行くことが決まると、どう言う訳かマスコミは騒ぎまくる。どうも英雄のように扱われている気もするのだが、そんなに偉いことなのか。そりゃ、ご本人は色々な努力をされ、その功績もあってのことだろうと思う。しかし、「シャトルに乗っけてもらっただけ」って気もするのだ。

その気になって訓練さえ受ければ、私でも乗れちゃうんじゃないの、と思うんだが。それが、騒ぐようなことなのかなー(甘い?)



海外旅行、ほか
1997年11月19日(水曜日) はれ時々くもり

昨日は海外に住んでいた方の体験談も交えて、恐いと思っている国でも、住んでみれば良いところもあるかも。なんて言うような話を書いた。くどくど書いたけど、まとめりゃ、たったこれだけかい。

だからと言って、観光で短期間行った国や街のイメージなんて、アテにならないって考えには賛同できない。住んでみなければ本当の良さは分からないゼって言う人も多いんだろうけど、観光もまた、一つの見方であると言えるはずだ。住んでいて気付かないことも、観光で行くと妙に目立ったりするもんなんだろう。それだけ付け加えて置こう。

話は打って変わり、朝はやっぱりギリギリまで寝るもの。昨晩は2時ごろに寝たのに、ジジィになってしまったのか、朝は5時半に目が覚めた。中途半端な時刻であるだけに二度寝はせずに、ラジオを聞いて、新聞を読んで、ゆっくり朝飯を食って。あーだめ、やっぱり朝は秒刻みで行動する緊張感が無いと逆に落ち着かないのですよ。時間に余裕があるのに、妙に時計ばっかり見てしまうの。



エジプト
1997年11月18日(火曜日) はれ

エジプトでテロとされている事件が起きた。日本人も何名か、犠牲となり、その中には新婚さんも居たと言う。それを新聞で読んだ日本人たちは、大変恐ろしい国なんだってイメージを持つかも知れない。それも、この手の事件が起こると決まって出てくるのが、イスラム過激派って集団。イスラムの信者たちは、なんてヤバイ奴等なんだと思われても仕方が無いだろう。

別にエジプトを弁護したいわけでもないのだが、実際にはどうなんだろうと問うと、エジプトなんて国には行ったことがない。そんな国に関する知識は極めて少ないのだ。そこへテロ、それも犠牲者に邦人が、なんてややこしい情報も多い。しかし、それらにそこは恐い国と決め付ける程の決定力はあるだろうか。そう思うようになったのは、極最近のことだけど。

実は、エジプトに数年間住んでいた友人がいた。その人も最初は恐いイメージがあったらしいが、郷にいれば郷に従え、まあそこら辺さえ心得ておけば、大変良いところであったと言う。日本人であるが故に事件に巻き込まれることもあるそうだが(狙われ易い)、それは異国に住むのであれば、特別に注意する必要があるのも仕方が無いとのこと。その人の話は、納得できるものであった。

マニラに住んでいた別の友人にも、色々と話を伺ったことがある。マニラに住んでいたと言う事実を友人等に喋る度に、帰ってくるオーバーな反応には少々腹が立つと言う。東南アジアもまた、恐い地域として指定されている感があったりする。変な優越感もあるかも知れない。それの現われなのか、エー、そんな所に住んでると色々と恐いこともあったんでは、、、なんて感じの返事しか返せない人間に腹が立つそうだ。本当に恐い国は、意外と少ないのかも知れない。



胃に悪い生活
1997年11月17日(月曜日) くもり/あめ

2日間書き込みをサボった言い訳。

15日(土):朝6時に寝て、10時ごろ起きた。
       学校へ行った。
       そのまま友人宅へ飲み行った。
       料理がうまくて食い過ぎた。
       飲み過ぎた。

16日(日):ほぼ徹夜で遊んだ。
       ちょっと寝て朝8時前に起きたら、胃が痛い。
       身体に鞭打って、9時前に友人宅を出発。
       10時から仕事、そのまま21時まで働く。
       帰宅、仮死状態。
あーしんど。最近ムチャな生活しすぎなのでした。



社会経験
1997年11月14日(金曜日) くもり/あめ

教職な人には世間知らずが多いから、どっかの民間企業で暫く仕事をしてから教職に就くべきだ、なんて意見が時々聞かれる。私も賛成だ、大学を出てすぐに学校みたいな所にに隔離してしまうのは、偏屈な人間を生み出すだけであると言うのは、御尤もな話だろう。

実は、今日ちょっとした事で、某教員とモメたのだ。数日前、ある講習会に参加すると申し込んだところ、金曜日に説明会をするから絶対に来いと言われた。しかし別の用事があったので、やむなく欠席する旨をその時に申し出、向こうも納得していたのだが。今日になって説明会に現れなかった私は、どういう訳か別の教員から酷く文句を垂れられた。それも、無断欠席について。

まあお互い人の子だからそういった行き違いもあるだろうと、欠席した事情を説明し、事前に断ってあった経緯も丁寧に説明したんだが。その教員は聞く耳をもたず、理由は何であれ、欠席するものが悪いと言い張るだけ。そういう類の人間を相手にするのは時間と労力の無駄のほかないと判断した私は、「もう結構です」と一言断って、場を去った。

後から友人にその話をしながら、話は陰口で盛り上がった。「やっぱりアイツは世間知らずだから仕方が無い」みたいな結論に達したのだが、生徒から見ても「世間知らず」と言われる教員が多いのは、情けない話だ。話は更に、話しの分からない教員に限って、大卒ストレートで教職に就いた人間ばかりって所まで発展した。言われてみれば、段取りが悪くて融通が利かず、話の分からない人間に限って、他の職業経験が無く、妙に背広が似合ってなかったりするのだった。

まあ全員がそうとは限らないよ、念の為。



久々の鍵盤
1997年11月13日(木曜日) くもり

ちょっとした成り行きで、シンセを弾くことになった。コードだけ弾いてくれればそれで良いって言われ、それぐらいなら私にもできるだろうと思って承諾した。まあ簡易的だが、家にMIDIキーボードがあるので、それで練習することにしたのだが。譜面を渡され、中身を見ると槇原敬之の「素直」と言う曲だった。

が、、、、なんでこんなにまでややこしいコードにするのかしらね。と思ったのは、私だけなんだろうか。慣れればそう難しくないのかも知れないが、演奏経験の無い人間に渡す譜面では無い(と思う)。しかも、その歌を聞いたのは数度だけ。聞いたこともない歌を弾けって言うのは無理な注文と言うもの、とりあえずMDを借りてきて、一生懸命に聞いている。

パソコンのキーボードは、それなりにスラスラと打つ自信があったりするのだが、それと比べて鍵の数も少なく、はるかに単純な楽器の鍵盤は苦手であるのはどういう事なんだろう。こういう事は身体で覚えるしか無いとも思うんだが。コードネームで書かれているので、突然滅多に出没しないようなコードが登場すると、パニックってしまうの。



逮捕されるエライさん達
1997年11月12日(水曜日) くもり/あめ

『かぁちゃん、俺も出世したもんよ。明日から総務部長だよ、凄いだろ。だけど祝い酒する前に、フロシキに下着と着替え包んでやってや』

ただの皮肉話だが、一連の総会屋利益供与事件を見ていると現実にもありそうな会話のようにも感じられる。大手有名企業のエライさんが車に乗せられ、フラッシュを浴びせられ、向かう先は自宅ではない。魂を吸いぬかれたかのようにゆっくりと、あの人達は一体何を考えながらうつむくのだろう。

東証一部上場、兜町に本社ビル、そして俺はその会社の取締役だぜ! そんなエリートコースを真っ直ぐ走ってきた人が、逮捕されることになるとは夢にも思っていなかっただろう。ただ会社のために良かれと頑張ってきて、なんで俺がこんな目にあわなくてはならないのか。どう考えても納得の行かない気持ちしかないのかも知れない。

テレビでその姿を見ている私は。かわいそうって気持ちが半分、ざま見ろって気持ちが半分。エライ方には、ざまぁご覧くださいって言う方が適切かも知れない。本人が悪いと言うよりも、日本の社会構造の問題点を、そしてそのツケを、あの人達が背負っている気もする。そういう意味では、ちょっとかわいそうだと思う。一方で、大企業の取締役ともなれば、それなりに良い思いもしてることだろうし、その代償だと思えば、納得できないこともない。特に、そんな地位なんてどうでも良いと思っている私からすれば、所詮は他人事だ。

とか言いながら、親父も大企業勤務だったりする。まあ製造業の、それも工場勤務の技術屋だから関係無いんけどね。数十万円単位のカネで問題にされていては、ちょっとした企業だったらどこも引っかかって来るような気もする。そのうち、ウチの親父も会社の封筒を表向けて歩けなくなったりしてね。



長野オリンピック
1997年11月11日(火曜日) はれ

長野オリンピックの何だっけ、滑降スキー競技場の滑降始点だったか、なんだか知らないがモメているようだ。私は長野オリンピックには興味が無いから、勝手にやってろと思う程度だが、端で聞いてるとおもしろいね。新聞やらで報道されているから、詳細は書かないけど。

環境にやさしい? 自然と調和? だから、滑降開始地点は今のままじゃないといけないだって。なるほど、オリンピックのために大概の自然破壊はやってきている気もするんだが。競技場を作ったり、道路も作って山をトンネルだらけにしたり、それは自然破壊とは言わないのだろうかね。考え様によっては、この日本で環境にやさしいオリンピックなんて無理だと思うんだけどね。

別にオリンピックを否定するわけではないんだが、何でもかんでも建前でこういうものを実行したがる体質は、改めなければならないと思うね。直接の関係は無いかも知れないが、長野オリンピック組織委員会だったかな、あそこって老人クラブみたい。もうちょっと活気のありそうな若い人間を入れると、何か不味いんだろうか?



右翼か左翼か
1997年11月10日(月曜日) はれ

いろいろなことを、右翼か左翼かに分類してみる。分類不能な場合もあるだろうし、果たしてこの分類方法が正しいのかどうかも良く分からない。だが、大雑把に、保守的か革命的かぐらいには分けられるんじゃないかな。

私が行っている学校の授業は、左翼的な授業が多いと思う。理数系の授業はどう分類していいのか分からないが、社会系科目の教員には、左翼系の人間が多い気がする。そんな訳か、授業も教科書には沿わず、自分の考えが前面に出てしまって左に偏った内容に感じられる。よく話題に上がる侵略戦争の話も、日本の責任を前提として授業を進めてしまうとか。それはそれで、面白いけどね。

テレビのニュースも右と左に分かれるかな。ニュースステーションとか筑紫哲也のニュース23などが、局柄を表しているのか、左翼的と言えるかも知れない。右翼的なニュースが存在するのかどうかは知らないが、ニュースJAPANは、詰まらないことを大げさにやり過ぎるから嫌いだ。NHKは中立に見えるが、右翼派? 中立な場合は、やや左にずれている場合が多いと思うんだけどな。

私は、左寄りになるのかな。筑紫哲也氏のファンだったりします。



メニューサンプル
1997年11月9日(日曜日) はれ

バイトで行ってる店のメニューが、月曜日から総入替えされることになった。メニューを大幅に変えるのは簡単なことではない。新しいメニューの印刷だけぐらいならまだ良いが、店の前のショーウインドウの見本も作り直し。それだけでなく、お皿もほとんど入れ替えとなってしまった。今日は、少し遅くまで残ってその準備をしていたのであった。

私は商品見本の処理をしていたのだが、なかなか精巧に出来てるもんだと思う。ホンモノよりも美味しそうだったりしてね。材質は何でできているのだろう、いつか蝋だと聞いたこともあったが、実際に触った感じでは蝋ではないと思う。どうやって作ってるのかも知らないが、きっと職人さんの手作りだろう。色とりどりの樹脂を食品を真似た形にしていくのは、難しそうだが面白いかもしれない。

飲食店で使っている多くの見本は特注のものだと思われるが、どういう訳か既製品が売られているのも見たことがある。凝った料理は特注、レモンとかパセリなどだったら既製品で間に合わすのかも知れない。にぎり寿司の既製品も見たことがある。お寿司が好きでも貧乏で食えないな方は、それを眺めて食った気分になれる?

大阪ってのは変な街、私が働いてる店から5分ほど歩けば、そこは道具屋筋だ。オシャレなアーケードを見ただけでは普通の商店街なのだが、どの店も、どこかのレストランの厨房で使うとしか考えられない商品を専門に扱っている。看板の専門店や調理器具の専門店もあれば、商品見本の専門店もあったはずだ。



立冬
1997年11月7日(金曜日) はれ

今日は立冬なんですね。そーかそーか、寒くなったもんだね。

暦の上では「今日から冬と言うことにしましょう」なんて日を決めてあり、それが立冬なんでしょうね。なかなか便利なものだと思いませんか。私には季節の変わり目なんて全く実感できないし、困ったものです。冬物を出す日、コートを出す日、ヒーターを出す日、この辺の感覚がうまく掴めなくて毎年困ります。

いつまでも夏蒲団で寝てたりして、実は朝方は冷え込んでて、そのためなのかこの時期は毎年恒例で寝冷えしてます(笑) 今年は忙しくて風邪なんてひいてる暇がないから気力でふっ飛ばしてますけどね。「立冬」ではないけれど、はい今日からと、区切りを付けて急に寒くなってくれれば苦労はしないのにね。いつ寒くなるかわからないのが一番困る。(天気予報でも見ろって?)
人間もいつ死ぬか分からないから困るんだろうね。何年の何月何日に死にますって、予めスケジュールを決めれれば楽なんだろうけど。



悲しいことが多くて
1997年11月6日(木曜日) はれ

最近は、悲しいこととか、衝撃的なことばかりが続きます。

今日は悲しくも衝撃的なできごとがありました。それで、ちょっと落ち込んでいます。「私ね、彼氏いるの」は、普通の会話なので驚きも何もしないのですが、それが誰かと聞かされたときはショックでしたね。彼女いない歴ねえ、18年と半年ですか、つまり人生の全て。まだ増えるんですねぇ。

元から恋人が居るわけではないので、別に失恋したわけではありません。だけれど、今日は失恋ムードです。また負けたなって気持ちが強くあり、みんな要領よくやってるのに、なぜ俺だけがって被害妄想も強いです。本当は、自分が悪いのにね。何考えてんだろ、失恋ではないんだろうけど、今日は生まれて初めて、女性関係のことで泣いてしまいました。

実はわたし、過去に色々なことがあり、また傷つくことを避けながら、意図的に女性との交友は避けていたんですよね。ほら、人間関係って色々とあるでしょ、男性同士でもややこしいのに、女性が絡むとお手上げだったわけですよ。この頃、自分にも少しばかりの余裕ができてきたのか、そんな自分を変えてみたいと思いはじめ、女性とも多く接するようになりました。

女となんか絶対にうまくやっていけないぞって思ってた私ですが、実際に女の子とお友達関係になって、そりゃ間違いだったってわかってきたんですかね。いまは、気が楽になりました。その反面、女性は、やっぱり男とは違う。女ってそんな考え方をする人種なのかと、色々と見せ付けられた気がして、それがかなり重荷になってたりします。

なんでだろうね、普通の人は簡単にやってのけることでも。どういう訳か、私は回りくどく考えてしまったりして、結局は変な結論に達してしまったりして。それで、勝手に被害妄想を抱いてたりするから。あまり細かいことは、考えない方が良いことも多いのかも知れないですね。C調な方って、本当にうらやましいと思うことがあったりする私でした。



ホールマン
1997年11月5日(水曜日) くもり

難波のスエヒロでホールマンをやってる話は、先月19日の一言に書いた。アルバイトだが、仮にもホールマンだから、接客が商売である。私は、どちらかと言うと客商売は苦手な方じゃないかと前から思ってた。事務所で机に座って何かやってるほうが、自分には向いているんじゃないかと思ってのだけど。だけど、友人達には「客商売向きじゃないの」とか「どっかで営業でもやってそう」とか言われてるし。

まあ、嫌なお客さんも時々いるけれど、ホールマンもやってたらそれなりに楽しい仕事だと思いはじめてきた。なんか自分でも、今の仕事が妙に板に付いているような気がするんだよねぇ。食わず嫌いだったが、やってみれば面白いってこともあるのかな。



明和電機
1997年11月3日(月曜日) はれ

今朝12時前、難波のロケット広場で「明和電機」さん発見!

ご存知の方も多いと思うが、妖しい楽器を作っては、詰まらないことを糞マジメにやってるのだが、それが面白いミュージシャン?なのだ。サイン会をするつもりだったらしく、いつもの兄弟がステージの準備をしていた。うち弟の方(だと思う)は、ちゃんと水色の作業服姿。中小機械メーカーの技術屋さんのような感じの、ワイシャツ・ネクタイ・作業服の、三点セットだ。

準備中のステージだったのでそわそわとしていたが、妖しい楽器類もミキシング調整中だった。いや、楽器と呼んで良いのか。仮にも電機屋さんなんだから、あれは音の出る電気製品と位置づけた方が正しいのかも。それでもちゃんとミキサーに繋がっていて、順番に鳴らしては調整していっていのだが、やっぱりアヤシイ。

私の興味を引いたのは、打楽器などの叩けば音の出るものを、ソレノイドの先に取り付けたバチ?で叩くように作られたモノだった。ソレノイドがたくさんあって、それを順番に制御していくと(つまりシーケンス制御と言うのか?)ドラムセットになるわけ。ありゃ楽器と言うよりも、FA製品って感じだね。

ソレノイドでPHSを操作していた変な奴も居た気がするが、明和電機さんも同じようなことを考えるなー。MIDI信号をFA用のパーツなどにリダイレクトしてみたりすると、かなり妖しいことができるかも知れない。ソレノイドでドラムを叩いてみるとか、電磁弁と圧縮空気で管楽器制御とか。でもアヤシイ。



眠たいから嘆いてみる
1997年11月2日(日曜日) はれ

昨日のシチュエーションといい、数日前の落ち込みといい、最近は立て続けに変わった出来事ばっかりだ。人間ってものは、変なリズムがあるんだろう。何も無い時はひたすら何も無いが、何か起こり始めると、それはドミノ倒しのように、次から次へと波瀾万丈な日々を過ごすことになってしまう。不思議なもんだな。

占いをはじめ、バイオリズムとか風水とか、世の中には根拠のよく分からないモノがたくさんある。こうやって変なリズムを実感すると、普段はこのような類のものは全く信用していない私も、ちょっとだけ「そういうこともあっても良いんだろうか」なんて思ってたりして。妖しい宗教なんかも、そんな些細なきっかけで入ってしまうのかも知れない。

根拠が分からないモノと言えば。本屋へ行くと、ウンコがしたくなる。そうでない人もいるらしいが、私は必ずと言って良いほどウンコがしたくなる。普段はあまり混雑しない男性用トイレでも、書店のそれに限っては "大" の方が妙に混むのだとか。どうでも良いことだが、書店にはケツ締まり悪くする何かがあるのは間違いないはずだろう。



まぐろ
1997年11月1日(土曜日) はれ

京阪本線の大阪方面行き準急は、始発駅の樟葉を出た後、萱島まで各駅停車、萱島で数分停車して後続の特急を通過させると、次は守口市まで止らない。平常時で15分に一本、私が通学で利用しているのも、この準急である。萱島駅は、上りと下りに2本ずつ、合計で4本の線路とホームがある駅だ。準急のように特急を通過させる場合は、高架の外側の線路で準急を待避させ、内側にある線路を特急が通る。

いつもと同じように、私は準急に乗っていた。電車が萱島駅の4番線に止った時は、文庫本を読むのに熱中していた。そのためか、ホームでなにやら異変が起きていたことには、全く気付いていなかった。ようやく異常を察知したのは、周りの乗客がざわつき始めてからのこと。なにやら、窓の外を見ると人だかりができている。なんだろうと思い、私も電車を下りて見に行った。

向いの3番線のホームには、既に通過して見えなくなっているはずの特急電車が、駅を半分ぐらい通過したところで停車していた。その周りには人だかりができ、車掌や駅員が慌ただしくしている。なにか事故でもあったのだろうか。それにしては、事故の形跡も見当たらない。状況を把握できないまま、私は遅刻を気にしていた。授業であれば、延着証明書で話は通る。だが、今日は友人に13時に行くと、昨晩電話で伝えたところだったのだ。

畜生、急いでる時に何てことだと舌打ちをした瞬間、停車中の特急電車が少し動いた。動いたと言っても数メートル程度、それも人が歩く速度よりもゆっくりだった。やがて特急の最後部が私の前を通り過ぎると、線路が見えた。そして2本ある線路と間の枕木に横たわっていたのは、紛れも無く「まぐろ」だった。

「まぐろ」とは、鉄道の業界用語で櫟死体のことである。飛び込みだったのか、事故だったのかは分からない。だけれど目の前には、ピクリとも動かない、おじさんのまぐろが転がっていた。電車に轢かれたら、死体は原形を留めないと良く言われる。しかし、私が見た死体は、人の形をしていた。いや、死んでいると確認したわけではない。だが、あれで生きているはずはなかった。骨は砕けていたのだろう、本来ならば曲がらない場所で、身体がよじれていた。これ以上詳細には書かないが、とにかく痛々しい姿であった。

暫くすると、駅員が数名駆け寄ってきて、手慣れた感じで現場検証らしきことを始めた。その間、反対側のホームで誰かが「かわいそうだから早くシートを掛けてやれ」と、誰かが野次っていた。だけど、現場検証中の駅員は、大声で怒鳴り返していた。普通なら、相手はお客様だから、それは無いだろう。しかし、この状況下では、さすがの駅員さんも相当パニックっていたようだ。必死だったのだろう。

5分もしないうちに、シートがかぶされ、死体は撤去された。事故の場合、死体は警察が来るまではそのままにしておくものだと思っていた。だけど、駅員がさっさと退けてしまったのを見ると、そんなことよりも鉄道運行の復旧を最優先としているかも知れない。人身事故があったにも関わらず、ことが片付くのは意外に早かった。人を死なせたばかりの特急電車は、そのまま次の停車駅へと動き出した。私が乗っていた準急も、10分程度の遅れで済んだのには驚いた。

棺桶に入った遺体なら、何度も見たことはある。当然、葬式会場とか火葬場だから、誰も驚かない。だが、事故現場に居合わせ、まぐろを見てしまった。たぶん、一生に何度と無いことだろう。周りに悲鳴を上げている人もいたし、思い出したくもない人もいるだろう。こうやって書いている私は、グロテスクなものには強い方なのかも知れない。しかし、今でも、何とも言えない気持ち悪さが残っている。

これを扱うのが仕事の方もいらっしゃる。警察官とかは、どんな気持ちなんだろう。新人の頃は駄目であっても、そのうち慣れるとか聞いたことがある。だけど、慣れることのできるものなんだろうか。

月の初めから暗い話題でごめんなさい。でも、インパクトが強すぎて...

駅名読み方:樟葉=くずは 萱島=かやしま 守口=もりぐち