それで、昨日の続き。DSUに着目してみた。ISDN回線をひくと必ずDSU、回線終端装置と言うものが必要となる。それを内臓したTAでも良いが、これが「ユーザーが回線につなぐもの」として、モデムと同じような感覚で売られていることに疑問を覚える。
一見、DSU (Digital Service Unit) は目に見える仕事こそは何もしていないが、ISDN網には欠かせない重要な装置である。交換局から延々と伸びてきた長いペアケーブルの端っこを司るものなのだ。加入者側に終端があれば電話局側にも終端があると言うもので、DSUはOCU (Office Channel Unit) と呼ばれる、交換局の交換機の前に設置された回線終端装置と対になって動作する。
そう考えると、ちょっと変なのだ。DSUは交換局側のOCUと対になって動作するものだし、そうすれば回線の一部と言うか、ISDNネットワークの一部とする方が自然とは言えないだろうか。DSUは本来はNTTの責任で設置されるものであり、モデムと同じレベルで扱うのは、おかしいのである。
+----+ +---+ 保 +---+
-----| TA |--------|DSU|-----安-------------|CSU|--- 交換機
R点 +----+ (S)T点 +---+ U点 器 加入者線 +---+
それを図に書くと、こうなる。元来のアナログ回線ではユーザーと電話会社との責任分界点が保安器の端末側と言うことになっている。それは、保安器の端末側よりもユーザー側には網に関係する部品は無く、電話機などの端末を接続するだけだから問題ない。しかし、ISDNになってくると別だ。先程書いた通り、DSUは網の一部と位置づけるべきだから、ISDNの正しい責任分界点はDSUの端末側、つまりT点であるはずなのだ。
しかし、正式にはどうか知らないが、現状では保安器の端末側、つまりU点が責任分界点とされているように思う。DSUがモデムと同じような感覚で扱われてたり、DSU内臓TAなどが売られているのは、その証拠ではなかろうか? 実際にITU−T勧告では、DSUをネットワーク側の装置としているらしい。
ISDN回線のナゾ
1998年1月12日(月曜日) あめ/くもり
最近では、家の電話をISDNに切り替える人も多いのだろう。近所の電気屋でもTAやらDSUやら普通に売られてるし、何年か前に私がINS64を導入した時とは大違いだ。んでも、ISDNについての古い資料を眺めてたりすると、構想と現状とはエライ違うって思う。
もともとISDNには、電話もFAXもPCも何でもかんでも、何も考えずに同じ回線にそのまま接続できるようにしよう、って感じのコンセプトを前提に開発されたらしい。電話局から来た線はDSUに、DSUの端末側はバス配線して、各種デジタル機器をそのまま接続できてこそ、初めてISDNの開発コンセプトが生きるのだ。だが、実状を見るとTAをぶら下げて、そこにアナログの電話やFAXを繋いでみたり、RS-232Cで繋いでみたりと、なんか不細工である気がする。
だからデジタル電話機やらG4FAXやらをぶら下げて、さらにPCもRS-232C経由じゃなくてISDNボードでぶら下げちゃうことを理想としていたのだろうと思う。それらの機器が普及しているとは言えないが、デジタル電話機とか、家庭用G4FAXが家電量販店に並ぶ日は来るんだろうかね? TAは、ISDNに繋がらない既存の機器を繋いでしまうアダプタだから、あくまでも「移行用機器」と位置づけるのが正しいのだと思う。それこそ、「DSU内臓TAにアナログポート3個付き」など、邪道に見えてしまう。
今日も色々とあって疲れた。続きは明日書こう。
事務所
1998年1月11日(日曜日) くもり
前に一度書いたが、今働いている会社の代表者などが変わる。今までは東京本社と大阪支社は別々の法人で、それも実質的な経営はとある学校法人がやってて、出資者は不動産会社とかだと言う、実に歪な組織だったのだ。それが全部大阪の法人に統合されて、完全に独立することになった。
今までは運営者であった学校法人が諸々の事務を代行していたが、これからは会計やら税務やら、ややこしいことも全部こっちでしなければならない。が、その事務所と来れば、まるでどっかのサークルの溜まり場を思わせるかのような訳の分からないグチャグチャの部屋。とても総務部らしき仕事ができそうな雰囲気ではない。
実は、もうすぐ代表取締役になろうかって人が「事務所」とはどういう場所であるべきかを全く考えてないからいけないと思うのだ。お菓子の空缶に小物が適当に入れてあったり、電話で資料請求があってもミスコピーの裏に客の住所だけメモして壁に貼ってあったり、月間予定のホワイトボードには家の冷蔵庫感覚で磁石で書類がぶら下げてあったりと、とにかく事務所らしい秩序などまったく存在しない場所なのだ。
個人的にそういうのが大変嫌いで、事務所って場所はもっと整理整頓がなされてないと行けないと思う。ましてや、総務やろうかって場所では、もっと効率的に事務ができる体制でないと。例えば、お菓子の空缶を流用するのも個人の家であれば良いかも知れないが、会社ってところにはどうしても似合わない。特に新しく会社を始めようかって時から、混乱状態であるようではどうしようもない。
と言う訳で、明日は事務所を徹底的に整理する。「多少の犠牲には目を瞑る」感覚で、重要なもの以外は全部捨てたいぐらい。冗談じゃなくて、そのぐらい汚いところで今まで耐え、仕事をしてきた自分が凄いと思うぐらいバッチイから(笑)
あらら
1998年1月10日(土曜日) くもり
いつものように、自分のホームページにアクセスしてみた。カウンタを見ると、いつもより増加率が高いことに気付く。こりゃ大票田なサイトからリンクされてるなと察す。そう言えば、NTTの新着情報に「続・味付けゆで卵」を載せた。実験室を更新した場合はあそこに載せている。んが、そこからの票はそんなに多くない。
ログを見ると、http://www.ntt.co.jp/WHATSNEW/cool/cool-j.htmlからリンクされていた。知らないうちに、NTTのオススメに載ってしまった。先日の更新で書いたことと言えば、塩酸についての独り言と、アヤシゲなゆで卵の話だけなのに。それでも載せて頂いたことはちょっと驚きだが、大変感謝している。そして、いつも読んで頂いている皆様にも。
最近、色んな人と喋ってばかりだ。先日は学校の食堂で、ある友人と訳の分からないことについて話した。それも私から喋ろうと誘ったから、謎めいた会話に、その友人はさぞかし迷惑してた気がする。帰宅してからある人から電話がかかってきて、普段は電話は手短で事務的に終わらせる自分だが、その時は長電話してしまった。いまやってる仕事関係の話が半分ほど、それ以外のべとついた話が半分ほど。
今日のお昼すぎ、友人からPHSに電話がかかってきた。なんか結局よくわからないことで、また長々と喋った。普通の長電話だったら大した重要性の無い話が大きな割合を占めているから問題にならないんだろうけど。どうもそれとは違う、意味不明でありつつも妙に意味ありげな、どうも消化しきれない内容だった。ひょっとすれば、とても重要な内容だったのかも知れない。
ここ数日間、余りに多くの刺激的な話に脳を被曝させてしまい、訳が分からない。頭の整理が追いつかないと言うのかな。そういう状況下では、ちょっとした切っ掛けでヒステリックになりがちな方。気を付けないと行けないとは思ってるんだが...
大雪
1998年1月9日(金曜日) くもり時々あめ
関東の方では、大雪が降っているらしい。うーん、大変そうだ...
都市圏で大雪が降ると、影響が出るのは交通機関か。10センチ以下の積雪を大雪と呼ばざるをは言わない状況は情けない。だって2,3センチも積もれば電車のダイアが狂い始め、10センチも積もれば止っちゃうぐらいじゃないの。京阪に至っては、纏まった雨が降るだけで何分かぐらい遅れたりするから(笑)
いや、笑い事では済まされない。私が毎朝樟葉駅から乗ってる電車は8時01分発の急行だ。この電車は発車時刻の3分前ぐらいに入線し、その間に後続の特急を通過させる。8時01分発の急行の前には7時56分発の準急があるが、この電車は3駅後の枚方市駅で、樟葉を通過した先程の特急を待つ。そして、枚方市駅で特急が発車して数分後に準急が枚方市駅を発車するや否や、樟葉を8時01分に出た急行が到着、すぐに発車して次の駅へと向かう。
と言う感じに言葉で書いてみたが、これを毎日体験するか、ダイアグラムにでもしない限り、容易に理解できるものではないと思う。だから敢えて書いてみた。8時前後に樟葉を出る電車を見ただけでも、7時56分、8時01分、8時03分、8時05分、8時07分...と電車があり、実に2分おき。しかし、線路は1本だけ。前の電車が数十秒遅れただけでも、後続の電車が「詰まって」何分も遅れたりする。
一番前や一番後ろに乗ってると、前の電車が見えてしまったり、後ろから電車が迫ってきたりする。よくこれで事故らないと思うぐらいだが、前に電車が止ってると、その後ろの信号が赤から開かない仕組みになってるので大丈夫だとか。
ニュースを見てると首都圏じゃ、電車の中に数時間も閉じ込められたって方がインタビューに応じてるが、私だったら10分ぐらいで発狂してそう。満員電車に閉じ込められて何時間も耐えられるほどの精神力は無い。窓から飛び降りてでも逃げ出してしまうかも。
今日は仕事を頼まれて中津の方まで行った。事務所が本町だから御堂筋線に乗って行ったんだけど、梅田駅で出るはずの電車が発車してくれない。そう言えば「ちょっと待って下さいー」とか誰かが怒鳴ってて、隣の車両が何やら騒がしいが、この忙しい時に事故か?
と思ったら、電車とホームの間にベビーカーの車輪を挟んだドジなオバハンが居て、それが抜けなくて途方に暮れていたようだった。駅員さんが何人か飛んできて、電車を反対側に「押して」抜いていたが、そんなことで解決したもんだから笑えた。電車って押したら、意外と傾くものなのね(笑)
更新報告
1998年1月7日(水曜日) はれ時々くもり
今朝、自宅から駅まで向かう途中、雪が降っていた。大阪じゃ、珍しい雪。今日は雪が降るほど寒かったらしい。
味付け卵の続編を書いた。実は「塩酸の代わりにお酢でもできないか」と言うような旨のメールを頂いて、やってみたのだ。卵を一晩中お酢に漬けておいて、殻を完全に溶かしたことはある。それだと薄皮だけになるのだが、途中で取り出して、飽和食塩水で茹でた結果は如何に...
脱線しまくって、なぜか塩酸についても語ってます(笑)
いまさら核戦争
1998年1月6日(火曜日) はれ
家に「リュウ(1巻〜7巻)」《矢島正雄原作・尾瀬あきら作画》と言う漫画がある。週刊少年サンデーに昭和61年から62年まで連載された作品だから、今更内容を書いても誰も怒るまい。
20世紀の日本に住むある少年が、何かのきっかけによって別の世界に飛ばされてしまう。その世界には、20世紀の文明らしきものなど、全く見当たらない。ところが、20世紀の文明の痕跡が残されていることに、少年は気付く。そして、その世界が数百年後の地球そのものであったことを知ることになる。実は西暦2049年、核戦争らしき大戦が勃発。少年が飛ばされた世界は、その戦争の300年後の世界であった。って感じで、ありがちな内容。同時に、科学の行方とか、救世主みたいなものも扱われている。
ある人に勧められて読んでいる、ある本では、終末観、つまり「いつか世界は破壊されて終わる」って風な観念についても議論されている。そうじゃなくて、今ある世界はいつまで経っても終わらないから、平凡な日常を生き抜けってことを、著者は言いたいんだろうと思う。そう言われてみれば、昭和60年代始めごろのSF作品って、核戦争等の理由により、世の中がむちゃくちゃになることを前提にしたような作品が多いような気もする。(あくまでも「気もする」ぐらいだけど)
んでも、私は「世の中が終わって欲しい」とか「近いうちに終わるだろう」って感じの『終末観』と言えるようなものを持ったことが無い。今はそれなりに人生を楽しんでいるし、終わらないに越したことはないと思うが、終わるんなら終わってもいい、ぐらいにしか思わない。昭和61年と言えば、もう12年も前の話。今私は18歳だが、その頃に今の私と同じぐらいの歳だった人間は、30歳前後ってところかな。
その世代の方々って。本当に『終末観』を、それも心の底から抱いていた人もいたんだろうか? それとも周りに流されただけなのか? 私には、『終末観』と言う感覚がどうも理解できない。
んで、その本を読む以前は「冷戦」とかの影響じゃない? って単純に解釈していた。今更「冷戦」なんて誰も騒いでないし、ソ連は崩壊したし、これからマイホームの地下に核シェルターを設けようなんて人も少ないだろうから、そう思ってたんだけどね。核戦争で人類が自らを絶滅させることはあるかも知れない、と。
腰痛
1998年1月5日(月曜日) はれ
うーん、何とか社会復帰できたようだ。取り敢えずは遅刻せずに出勤できたが、朝っぱらから同じ原稿でミスコピー10枚ほどやっちまっ。それもサイズは全部A3と来たもんだから、勿体無いお化けが出そうな...やっぱり、休みが数日入ると駄目になっちゃうワタシ。
実は、今日は朝から腰が痛くて困っている。起きた時から何となく痛くて、昼前から更に悪化。ところが、夜になったらどうも無いから、不思議なものだと思う。授業の無い日などは、事務所で一日中椅子に座っているから行けないんだろうか。今までの傾向を分析すると、座ってばっかりいると、腰に響いてしまうような気がする。
そんな場合には、とにかく早足で歩く。やや前かがみぐらいの姿勢で、小走り並みの早足であるくと、何故か腰痛が治るのだ。何故か知らないが、治るから毎日歩く。淀屋橋から本町の事務所まで、大体2キロほどあるみたい。腰痛対策と電車代節約(交通費は会社から出てるが、定期を買わずに貰っちゃえば結構大きい)も兼ねて、ちょうど良い散歩コースと思ってるが、ちょっとだけ情けない気も...
休みもこれで終わり
1998年1月4日(日曜日) くもり
正月休みも今日で終わり。明日からまた7時に起きて9時ごろに職場に行くという、実に規則的な生活が始まろうとしている。休みでやや鈍ってしまった体が、すぐに社会復帰できるかなー。
将来のことは、その時にならないと分からない。まあ先のことは分からないから面白いって言うのも、当たってると思うんだけどね。さあ、何が言いたくてこんなこと書いてるんだろうねぇ。個人的に、今年はややこしい年になりそうな気もする。やっぱり考えてるだけでは、未来は変わらないだろう。でも考えまくってる私って... 頭が痛い。
廃棄物ゼロ工場のナゾ
1998年1月2日(金曜日) うすぐもり
どこのビール会社だったか忘れたが、製造過程の廃棄物ゼロを宣伝文句にしていた大手ビール会社があった。廃棄物ゼロとはよろしいこと、しかし、本当にそれが実現可能なのか? ちょっと疑問。
工場の廃棄物の扱いについて語れるほどまでは詳しくないが、工場から出る全てのゴミは産業廃棄物扱いとなるらしい。と言うことは、ビールの製造過程で廃棄物として出てくる麦芽の絞り粕とかだけが廃棄物なのじゃない。風邪気味の社員が使ったティッシュのゴミとか、社員が昼飯に食った弁当の食べ残しとかも、全部産業廃棄物扱いなのだそうだ。そう考えると、全くゴミの出ない工場なんて、どれだけ頑張っても有り得ないハズだ。
しかし、これにはトリックがあるらしい。そもそも、麦芽の絞り粕は肥料として売れちゃうらしい。売ってしまえば、それは「商品」なのだから廃棄物扱いにはならない。同じように、使用済のティッシュであれ何であれ、全てのゴミを別の業者に売ってしまえば、それはすべて廃棄物ではなくなると言うこと。これで、廃棄物ゼロ工場が可能となる一つの方法らしい。
そのビール会社が今書いたような方法を採用しているかどうかは知らないが、例えば廃棄物処分専門の別会社を設立する。そして、そこに全てのゴミを売ってしまえば、どれだけゴミを出している工場でも廃棄物はゼロ扱いになるんだって。
初日の出を見に...
1998年1月1日(木曜日) うすぐもり
明けましておめでとうございます。
私は、1日の未明から初日の出を見に行ってきた。ここら辺の電車が大晦日元旦終夜運転なんて気の利いたことをしてくれいるばかりに、急遽ツレに呼び出されて、行くことになってしまったのだ。午前1時ごろ、FAXで新年の挨拶が入ったので、返事に「近くだから、初詣のついでに寄って行け」と書いたのをそのツレは過大に解釈したらしい。2時前に一緒に行こうと、誘いの電話がかかって来た。そして、寝ずに3時ごろ家を出る。
それから京都に着いたのは4時前ぐらいだったかな。鞍馬山の鞍馬寺まで行く予定だったのだが、叡山電車の始発までまだ時間があったので、出町柳駅近くの下鴨神社の焚き火で暖を取りながら、しばらく駄弁る。んで、叡山電車の始発で鞍馬まで行き、そこからちょっとだけケーブルに乗って鞍馬寺まで行ったのは良いんだけど。
あいにく空が曇ってて、初日の出は見えませんでした。9時ごろ帰ってきて、寝てないし、腹減ったし、疲れました。まあ、そんなもんでしょうかねえ。