今日の一言(1998年1月分)




困った人
1998年1月30日(金曜日) はれ

いわゆる「困った人」と分類される人間が、身近にいたりする。私がマトモな人であると胸を張って言える自信も無いが、迷惑がられていることを自覚していない人と付き合っていくのは、はっきりと言って疲れることだよね。

何が「困った」かと言うと、「気遣い」というものを全く知らないというのかな。なんか我が侭で、どんなに忙しくしてても、それに気付かず余計な仕事を作ってみて、職場に居られると「邪魔」としか言えないだけど、注意するほどの害も無いから文句もなかなか言えなくて、それでいて結構明るい人だから印象だけは妙に良くて、どうしようもない中途半端さだけに「対策」ができない人。

ここで少しでも「気遣い」があれば、全てが丸く収まると思うんだけどね。能天気で明るい雰囲気を作ってくれるのは良いんだけど、TPOも考えずにやってくれたら、堪らないわ。

だからどうって訳でもない...愚痴かな。



銀行のATM振込手数料の謎
1998年1月29日(木曜日) はれ

最近の大蔵省汚職の話に関連して「MOF」と言う言葉が、頻繁にマスコミに登場している。MOFは Ministry of Finance、つまり大蔵省の略称。例えば、銀行の大蔵省接待担当者のことを「MOF担」と書いて「もふたん」と読むように。おお、なかなか面白い専門用語っすね。

http://www.mof.go.jp/ と言えば大蔵省のサイトだけど、政府関係のドメイン名は難解な略称が多い。だからどうってことでもないけど。そしてMOFのサイトを覗いてみると、在るのは金融ビッグバンのお話とか、FAQとか、的外れなものばかり。前面に大臣のお詫びとかがあると思って行ったんだが、そこまで手が回っていないらしい。


銀行のATM(非同期〜じゃないよ)から給料の振込をしてきた。たった8名分(そのうちに自分も含まれてるのは変な感じ)とは言え、全部ATMから手動で振込んでいくのはこの上なく面倒くさい。機械のタッチスクリーン?は押しにくくて、しばらくやってると肩が凝ってくるのだ。実は専用の用紙に振込先の口座番号や振込金額などを記入してFAXで送ると、指定日に自動的に振込んでくれるという、大変合理的なサービスも存在する。しかし、まだサービスを申し込んでないから使えないと...来月はやりたくないな>手動振込。

そんなことをしてて、ちょっと思ったこと。同じ銀行の本支店宛ての振込みだと関係はないが、ATMから振込んだ場合でも、他行宛てに振込むと「電信扱い」と「文書扱い」を選択する画面が登場する。これは三和銀行の場合なので他行の場合は知らないが、まあ同じようなものだろう。電信扱いの振込手数料の方が100円ほど割高な代わりに、ちょっとだけ迅速に振込みが行われるのだ。

しかし、文字通りに読むと凄く変な話だと思う。元からATMは、計算機ネットワークそのものであるはず。他の銀行とも互いに金融情報が交換できるように、全銀協手順という共通プロトコルも存在する。この手順が実際にどのように使われているかまでは知らないが、他行宛ての振込を機械的に処理するぐらいのことが出来なければ、手順の存在価値すら無いと言えるだろう。
そう考えると、ATMからの振込など全部「電信扱い」なのでは無いのか? 「文書扱い」を指定すると、わざわざ振込依頼書のハードコピーを取って銀行に手渡すのだろうか? それとも係員が画面を見ながら振込依頼書を手書きするのだろうか? そんな前時代的で面倒くさいことをしても、まだ「文書扱い」の方が低経費で処理できると言うのだろうか? 電信的にデータグラムが流れて、低価格で迅速に振込完了! って風にはいかないのかなぁ。

銀行って、なんだか不思議なことが多い。



よく分からない日々
1998年1月28日(水曜日) くもり

ここ1週間ほど、仕事と、電話で愚痴聞くのと、手紙を書くのとで、毎日が終わってる気がするね。あとは風呂に入って寝るだけで、本当に、心の底から、丹誠を込めて「ぼー」とできる時間がほぼゼロであのも辛い。忙しすぎて色んなことについてゆっくり考える暇が無いと言うかね。

元から情緒不安定傾向?のある私だから、現実以外の色んなことについてごちゃごちゃと考えて、思いつめる時間というものを設けてた。それが12月の終わりぐらいから急に忙しくなってなくなってしまい、「人間、ただボーと考える時間もいるものね」と思うようになってきたのだ。それなりに多忙だと、変なことを考える暇が無いから現実的で良いと言えばそうなのかも知れないが。現実のことを考えただけで1日が終わると、考えてみたいことが溜まる一方で落ち着かない。

話は変わり、ここ1週間ほど関わってきた、ある女の子の話。前からの友人なのだが、厳密に正しい言い方ではないがやや分裂症気味と言うか、ややこしい問題ばかりを起こしてくれるのだ。分裂症気味と言うのは、言うことが二転三転四転五転し、自分で作った問題を自分で大きくしていってると言うかね。こじれた話が時々刻々とよじれていき、家に帰ると毎晩かかってくる相談や愚痴の電話は全く違う内容。訳がわからないまま、疲れた。

んで、その関係の話は一段落したんだけど。今度は自分の処遇について、きちんと考えないと行けないなー。今の仕事もいつまでも有る訳では無いし。「無職」状態にはなりたくないが、早いうちに手を打たないと本当にそうなるかも。結局、これで中退届に自分の名前を書いて学校に渡したのも2度目になっちまった。流石に2回目となると、「ま、いいか」以外の意見も持たないと行けないね。



おるすばん口座&銀行は結構いい加減
1998年1月26日(月曜日) はれ

会社の普通預金口座(東京三菱銀行)に、あるお客さんから振込があった。入った金額は請求通りの69,000円。んが、数日後、東京三菱銀行の、外貨預金係みたいなところから電話があった。円為替手数料を頂きたいので、どういう風に処理すれば良いのかと聞いてくるのだ。何のことなのか分からないから説明を求めたところ、何日か前に振り込まれた69,000円にかかる手数料なのだと言われたのだが、それ以上の説明はなかった。

既に振込まれた金に、なぜ後から手数料が、それも振込みの受取人に請求が来るのか? ちょっと疑問はあったが、海外からの送金なのだろうと理解し、取り敢えず払っておくことにした。外貨を受け取る時には、受け取った者が手数料を払う場合もあるみたいだし。

その数時間後、通帳に記帳すると、訂正と言う形で69,000円が預金から引かれ、新たに67,500円が振込まれるという形で入金されていた。つまり1,500円の手数料が引かれ、後から手数料の領収書も銀行から送られてきた。どうも納得が行かないまま、1,500円ぐらいなら目を瞑ろうかなと思ったのだが...

そんな所へ、そのお客さんから別件で電話がかかってきた。「つかぬ事をお伺いしますが、海外から送金されませんでしたか?」と聞いたところ、「いいえ、日本の銀行でカードで振込みました」と言う。更に話を聞いてみたところ、振込元の口座が「おるすばん口座」なるものであることが判明。「おるすばん口座」とは、海外在住の人間が日本で預金を持つために東京三菱がやってる預金サービスだ。私はそのおるすばん口座とやらについてはあまり詳しくないのだが、お客さんによると預金は円なのだそうだ。なのに日本国内の普通預金口座に振込んだだけで為替手数料が引かれてるのはおかしいと。

そこで、銀行に問い合わせた。銀行のおるすばん口座の担当者の説明によると、「預金は確かに円で預かってますが、預金主が日本国内に居住していない場合は、外貨扱いになる」と繰り返すばかり。「ではカードで預金を払い戻して貨幣とした場合は、円為替手数料はいりませんよね」と突っ込むと「はい、確かに」との返事。「だったら、通常の払い戻しと、普通預金への振込と、どう違うと説明するのか。その手数料は、何故振込みだけにかかるのか?」と、筋の通らなさを丁寧に説明してあげた。すると、担当者は言葉に詰まり、もう一度詳しく調べて電話を掛け直すという。

何時間かして、電話があった。「確かにお客様のおっしゃる通りなので、頂いた手数料は返金させて頂きます」と、なかなか諦めが良い。「それと、今後は手数料は頂きません」だとよ。だったら、今までの1,500円は何だったのだ? 文句を言えば、返ってくる程度のものなのか?

銀行と言うところは、意外といい加減 :-)
気に入らないことが有れば、文句をガンガン言うと良いらしい。



パンフレット
1998年1月24日(土曜日) はれ/雪

今日は寒い。むっちゃくちゃ寒い。帰宅途中、雪が降ってたし。

仕事で印刷所へ行ってたのだ。授業案内のパンフレットの作成のために印刷屋さんと打ち合わせをしていたのだが、そういうものを印刷に出すのは初めてのことだから、何かと戸惑うことが多い。取り敢えず用紙ぐらいは決めねばと思っても、すごくたくさん種類があるのにはちと驚き。

カラーでも何でも、全部オフセットで刷っちゃうらしい。しかし、4色刷りのカラーはかなり高額の見積もりを出されてびびった。最初はパソコン周辺機器のパンフレットみたいな、カラー写真も載るようなのが良いなと思っていたのだが、それを作るにはかなりの金がかかるみたい。同業者であるところの代○木などは、フルカラーでジャンジャン刷ってパンフレットにかなりの金をかけているが、500部あれば足りるぐらいの組織では、フルカラー印刷なんて無理ね。1冊辺りの単価が高すぎてしまう。

こうなると、電気屋に置いてあるパンフレットも無駄にする気がなくなるなー。まあ、パレットに積んで納品するぐらいの部数を発注しているんだろうから、単価は安いんだろうけど。



クタクタ
1998年1月23日(金曜日) あめ

最近、寝不足でクタクタ気味...
明日は土曜日だけど仕事。ゆっくり寝たいのになー。

いつもそんなに遅くまで仕事をしていることではないのだが、私用で色々とややこしい事が多い。数日前に書いたお話、まだ終わった訳ではなくて、まだややこしいことに関わっているところ。いったん平和に終結したかと思ったら話は意外な方向へ向かい、それで今度こそ終結したかと思ったら、またこじれてきた。もう知らない...と言いたいところなのだが、一度首を突っ込んだら、どうしても最後まで関わらないと気が済まない私...

読みたい本が溜まっているが、なかなか時間がない。今日も一冊買ってきたのだが、ちょっとあやしい本。「復習之手引」だが、前から気になってたので買ってみた。まあ余り影響される方ではないから、構わないだろう。でも何か嫌なことがあると根に持つ方だから、「緻密に計算された陰湿な復習法」とかは大好き(笑)



恋愛?
1998年1月20日(火曜日) はれ/くもり

生まれてから、一度も「恋人」と呼べる人間がいたことがないからわかんなーい。電話越しに他人の恋愛相談を聞いてると、ますますわかんなくなるような。今までラブラブ・アツアツだった2人が、半泣状態で別々に相談を持ち掛けてくるってことは、自分達では処理しきれない葛藤があるってことでしょ。それはとても辛いことだと思うんだけれど、2人に聞いてみると「愛してる」と言うし。

なぜ、そこまで辛いことを進んでやってみるのかな。なぜ、それでも「愛してる」のかな。ますますわかんなーい。

簿記並みに?貸借均衡で帳尻が合うものだったら分かりやすいのにね。私の場合、その考え方がだめなのかなぁ。



寒〜
1998年1月19日(月曜日) はれ

今日は寒かった〜。そのせいで風邪をひいてしまったのか、喉が痛い。体質なのか、私は寝込むような風邪は滅多にひかない。今回の風邪も症状は軽いが、やっぱり下手をすると悪化する可能性は十分にある。今は絶対に休めない仕事をしてるので、その気力で何とか毎日を乗り切ってるところかなー。今日はとっとと書いて早く寝よう。

寒い夜は心も寒い人が多いのか、今日は愚痴ばっかり聞いている。家に帰ったら2回も立て続けに愚痴の電話が架かってきた。何故か愚痴を聞かされることの多い私だが、別にそれが嫌いと言う訳じゃない。愚痴られるのが好きと言えば人の不幸を嘲笑いしているかのように取られてしまうかも知れないが、決してそういう訳ではなくて、何となくね... 人の悩み事まで引き受けられる器とは思えないし、良い相談相手とは思わないのだが。話し易いのだろうか。

自分の悩み事と言えば...経理のお仕事かな(ヤな悩みだこと)
私は殆ど経験が無いと言うのに、うちの事務所で経理仕事を一番よく理解しているのは自分だったりする。元々の親会社だった某学校法人の財務部長さんが親切な方なので東京から電話ごしに色々と教えてくれるのだが、分かる人が身近に一人いるのとはまた違う。結局、自分で開拓することを余儀なくされる、変な会社。どういうわけか、私の場合は何よりも先に実務がきちゃうのね。今まで学校で受けた教育よりも、自分で実務的に?開拓した分野の方が広いような気もする。



雪情報
1998年1月18日(日曜日) あめ

今日は奈良へ行く予定になってたのだが、あいにくの雨で流れてしまった。最近むしゃくしゃするから鹿でもしばいてすっきりしてやろうと思ってたわけではなくて、若草山の山焼きを見に行く予定だったのだ。しかし、雨で濡れてると火がつけられない。

本当は15日の成人の日にやる予定だったらしい。しかしその日も雨だったし。雨天延期で本日18日にやるはずが、またもや雨で中止に。そうなるといつやるんだろう? 聞くところによると、そうなったら地元だけでこっそりと燃やしてしまって終わりにするらしいが。勿体無い気がする。

雨はヤダーと思うのだが、私は雨男。事ある毎に雨が降る。小学校の入学式も雨だったし、中学は入学式は行ってないが、最初の高校の入学式の時も雨だった。私が生まれた日も、雨だったらしい。



雪情報
1998年1月17日(土曜日) 晴れ/くもり

数日前の、関東周辺で雪が降った朝のこと。起きてテレビをつけると、何故か大阪でも関東の雪情報が流れてたりするんですよね。ちょっとぐらいなら良いんだけど、局によっては、画面を割ってひたすら交通情報を流してたりとかね。きっと大阪だけじゃなく、全国に流れてたんでしょうね。

東急やら京王がどうなってるとか、全く関係の無い地域に情報を流して何になると言うんでしょうね。そういう事は、該当地域のローカルニュースでやれば良いことなのに。その日、全国の人間が一斉に東京出張なんてような事態も考えにくいし(笑)

思うんだけど、東京のローカルでやるべきことと、全国でやっても良いことと、そろそろ区別を付けて欲しいと思いますね。製作者が関東在住だとどうしても全国にローカル色がでちゃうんでしょうが、地元に居るとその辺がわからないものなのかなー。

先程も「成人式は雪になったが」って言ってたけど、大阪は普通の雨だったよん。



御受験
1998年1月16日(金曜日) はれ

昨日の朝の電車に「御受験」な雰囲気をプンプン漂わす親子が何組か乗っていた。年格好からすると、中学受験なのだろう。そう言えば、そろそろ私立中学の受験が始まる時期なのだ。みんな香里園(駅名)で降りていったし、同○社香里中学を受けるのかも知れない。

どうでも良いが、あそこの生徒さん、ちょっと癖毛で眼鏡かけてて、独特のオーラ?を漂わせてる人が多くて、一見すると何となく見分けがつく気もする。将棋の羽生さん的と言うか、伊藤弁護士的な感じと言えばわかるかな(わからんって)。

名門と言われる私立中学に入るために、腐るほどの勉強をしてきたんだろうか。私は勉強は嫌いだったから、今まで殆どしてきていない。それよりも小中学時代と遊びまくり、そのまま遊んで、まだ現在進行形で遊んでる自分と比較すると、彼らは本当に楽しんでるんだろうかと、やや複雑な気持ちになったりもする。昔は勉強できるヤツ見て、何となく嫉妬に近いような嫌悪感を抱いたりもしたが、今更どっちが良いかなどの自問はしなくなった。彼らには彼らなりの楽しみ方もあるんだろう。

私の価値基準では、楽しいか、楽しくないかの比重が大きい。御受験の世界にどっぷり浸かってる人間と、そんなテキトーな基準でブラブラと勝手気侭に遊んでる私とを比較することは、本質的に無理なことだったのかも知れない。やめたやめた。

そんな私は結局、御受験を支える「塾」業界の人間、ガキに勉強を流し込むことを、ゼニ貰って親から委託されるのが商売なのだ。一応、私は総務屋だから授業は持っていないが、英語の個人指導などもやっている。当然、生徒の付き添いにやってくる親御さんは教育ママ的な方が多い。過剰に期待しすぎる親、その期待に応えようとする子、期待と現実のギャップが、不幸な結果に繋がるケースもあったりする。教育ママも良いが、過剰の期待はなんだかなー。



成人式
1998年1月15日(木曜日) あめ

関東の方じゃまた雪が降ってるようですが、交通機関などはどうなんでしょうね。大阪じゃ雨ばっかりで、朝から何となく陰鬱な気分です。雨の日に休日出勤ときたら、元気なんて出ないもんね。同じ降るんなら、雪でも降ってくれた方が嬉しいと思ったりするんですが、そんな事を書いたら関東方面の方にシバかれるかも。

本日15日は成人式のはずですが、それに参加した感じの人の姿が少なくてちょっと残念。駅まで行けば和服姿のベッピンさんが荒んだ私の心身を和ませてくれるだろうと期待して(なんじゃそら)、冷たく降り注ぐ時雨の最中に出かけたのですが、それらしきオネーサンは見当たらず。帰りに駅前で一人見かけただけでした。和服をわざわざ着る人は少ないんでしょうかね。それも雨だったし。

昨晩のニュースステーションで久米宏が辛口の成人式批判?なのか、「どっかの議員の下らないスピーチなど聞いても為にならねーよ」みたいな事を言ってたと思うんですが、確かにそうかも知れませんね。少なくとも、私は成人式など興味の対象外。大体「○○式」みたいなもんは全部キライだし。それでも来年成人する人は是非和服を着て下さい。お願いします(笑)



「十」
1998年1月14日(水曜日) あめ

仕事柄100万円程度の現金を扱うこともあるのだが、いざ札束にして持ってみると、重みが無いものだ。100万円を想像すると結構な価値である気もするのだが、言いようによっては札なんてただの紙切れだもんね。

ところで、当然ながら「十兆円」みたいな国家予算級のゼニは扱ったことはないし、一生扱うことも無いだろうが、「十兆円」は何と読むのが正しいんだろう? NHKのニュースでは「じっちょうえん」と読んでいるようだが、これが耳に障って仕方が無いのだ。昔から私は「じゅっちょうえん」と読んできたし、それが正しいと思ってた。

聞くところによると、小学校でも「じっちょうえん」が正しい読み方として教えられているらしい。私が小学生だった頃は、「じゅっちょう」と言ってた気がするんだけどね。いつのまに変わったんだろう。

ちなみに、FEPで「じっちょう」と打ち込んでも正しく出なかった。



ISDN回線のナゾ・2
1998年1月13日(火曜日) はれ

それで、昨日の続き。DSUに着目してみた。ISDN回線をひくと必ずDSU、回線終端装置と言うものが必要となる。それを内臓したTAでも良いが、これが「ユーザーが回線につなぐもの」として、モデムと同じような感覚で売られていることに疑問を覚える。

一見、DSU (Digital Service Unit) は目に見える仕事こそは何もしていないが、ISDN網には欠かせない重要な装置である。交換局から延々と伸びてきた長いペアケーブルの端っこを司るものなのだ。加入者側に終端があれば電話局側にも終端があると言うもので、DSUはOCU (Office Channel Unit) と呼ばれる、交換局の交換機の前に設置された回線終端装置と対になって動作する。

そう考えると、ちょっと変なのだ。DSUは交換局側のOCUと対になって動作するものだし、そうすれば回線の一部と言うか、ISDNネットワークの一部とする方が自然とは言えないだろうか。DSUは本来はNTTの責任で設置されるものであり、モデムと同じレベルで扱うのは、おかしいのである。

       +----+        +---+     保             +---+
  -----| TA |--------|DSU|-----安-------------|CSU|--- 交換機
   R点 +----+ (S)T点 +---+ U点 器   加入者線  +---+

それを図に書くと、こうなる。元来のアナログ回線ではユーザーと電話会社との責任分界点が保安器の端末側と言うことになっている。それは、保安器の端末側よりもユーザー側には網に関係する部品は無く、電話機などの端末を接続するだけだから問題ない。しかし、ISDNになってくると別だ。先程書いた通り、DSUは網の一部と位置づけるべきだから、ISDNの正しい責任分界点はDSUの端末側、つまりT点であるはずなのだ。

しかし、正式にはどうか知らないが、現状では保安器の端末側、つまりU点が責任分界点とされているように思う。DSUがモデムと同じような感覚で扱われてたり、DSU内臓TAなどが売られているのは、その証拠ではなかろうか? 実際にITU−T勧告では、DSUをネットワーク側の装置としているらしい。



ISDN回線のナゾ
1998年1月12日(月曜日) あめ/くもり

最近では、家の電話をISDNに切り替える人も多いのだろう。近所の電気屋でもTAやらDSUやら普通に売られてるし、何年か前に私がINS64を導入した時とは大違いだ。んでも、ISDNについての古い資料を眺めてたりすると、構想と現状とはエライ違うって思う。

もともとISDNには、電話もFAXもPCも何でもかんでも、何も考えずに同じ回線にそのまま接続できるようにしよう、って感じのコンセプトを前提に開発されたらしい。電話局から来た線はDSUに、DSUの端末側はバス配線して、各種デジタル機器をそのまま接続できてこそ、初めてISDNの開発コンセプトが生きるのだ。だが、実状を見るとTAをぶら下げて、そこにアナログの電話やFAXを繋いでみたり、RS-232Cで繋いでみたりと、なんか不細工である気がする。

だからデジタル電話機やらG4FAXやらをぶら下げて、さらにPCもRS-232C経由じゃなくてISDNボードでぶら下げちゃうことを理想としていたのだろうと思う。それらの機器が普及しているとは言えないが、デジタル電話機とか、家庭用G4FAXが家電量販店に並ぶ日は来るんだろうかね? TAは、ISDNに繋がらない既存の機器を繋いでしまうアダプタだから、あくまでも「移行用機器」と位置づけるのが正しいのだと思う。それこそ、「DSU内臓TAにアナログポート3個付き」など、邪道に見えてしまう。

今日も色々とあって疲れた。続きは明日書こう。



事務所
1998年1月11日(日曜日) くもり

前に一度書いたが、今働いている会社の代表者などが変わる。今までは東京本社と大阪支社は別々の法人で、それも実質的な経営はとある学校法人がやってて、出資者は不動産会社とかだと言う、実に歪な組織だったのだ。それが全部大阪の法人に統合されて、完全に独立することになった。

今までは運営者であった学校法人が諸々の事務を代行していたが、これからは会計やら税務やら、ややこしいことも全部こっちでしなければならない。が、その事務所と来れば、まるでどっかのサークルの溜まり場を思わせるかのような訳の分からないグチャグチャの部屋。とても総務部らしき仕事ができそうな雰囲気ではない。

実は、もうすぐ代表取締役になろうかって人が「事務所」とはどういう場所であるべきかを全く考えてないからいけないと思うのだ。お菓子の空缶に小物が適当に入れてあったり、電話で資料請求があってもミスコピーの裏に客の住所だけメモして壁に貼ってあったり、月間予定のホワイトボードには家の冷蔵庫感覚で磁石で書類がぶら下げてあったりと、とにかく事務所らしい秩序などまったく存在しない場所なのだ。

個人的にそういうのが大変嫌いで、事務所って場所はもっと整理整頓がなされてないと行けないと思う。ましてや、総務やろうかって場所では、もっと効率的に事務ができる体制でないと。例えば、お菓子の空缶を流用するのも個人の家であれば良いかも知れないが、会社ってところにはどうしても似合わない。特に新しく会社を始めようかって時から、混乱状態であるようではどうしようもない。

と言う訳で、明日は事務所を徹底的に整理する。「多少の犠牲には目を瞑る」感覚で、重要なもの以外は全部捨てたいぐらい。冗談じゃなくて、そのぐらい汚いところで今まで耐え、仕事をしてきた自分が凄いと思うぐらいバッチイから(笑)



あらら
1998年1月10日(土曜日) くもり

いつものように、自分のホームページにアクセスしてみた。カウンタを見ると、いつもより増加率が高いことに気付く。こりゃ大票田なサイトからリンクされてるなと察す。そう言えば、NTTの新着情報に「続・味付けゆで卵」を載せた。実験室を更新した場合はあそこに載せている。んが、そこからの票はそんなに多くない。

ログを見ると、http://www.ntt.co.jp/WHATSNEW/cool/cool-j.htmlからリンクされていた。知らないうちに、NTTのオススメに載ってしまった。先日の更新で書いたことと言えば、塩酸についての独り言と、アヤシゲなゆで卵の話だけなのに。それでも載せて頂いたことはちょっと驚きだが、大変感謝している。そして、いつも読んで頂いている皆様にも。

最近、色んな人と喋ってばかりだ。先日は学校の食堂で、ある友人と訳の分からないことについて話した。それも私から喋ろうと誘ったから、謎めいた会話に、その友人はさぞかし迷惑してた気がする。帰宅してからある人から電話がかかってきて、普段は電話は手短で事務的に終わらせる自分だが、その時は長電話してしまった。いまやってる仕事関係の話が半分ほど、それ以外のべとついた話が半分ほど。

今日のお昼すぎ、友人からPHSに電話がかかってきた。なんか結局よくわからないことで、また長々と喋った。普通の長電話だったら大した重要性の無い話が大きな割合を占めているから問題にならないんだろうけど。どうもそれとは違う、意味不明でありつつも妙に意味ありげな、どうも消化しきれない内容だった。ひょっとすれば、とても重要な内容だったのかも知れない。

ここ数日間、余りに多くの刺激的な話に脳を被曝させてしまい、訳が分からない。頭の整理が追いつかないと言うのかな。そういう状況下では、ちょっとした切っ掛けでヒステリックになりがちな方。気を付けないと行けないとは思ってるんだが...



大雪
1998年1月9日(金曜日) くもり時々あめ

関東の方では、大雪が降っているらしい。うーん、大変そうだ...

都市圏で大雪が降ると、影響が出るのは交通機関か。10センチ以下の積雪を大雪と呼ばざるをは言わない状況は情けない。だって2,3センチも積もれば電車のダイアが狂い始め、10センチも積もれば止っちゃうぐらいじゃないの。京阪に至っては、纏まった雨が降るだけで何分かぐらい遅れたりするから(笑)

いや、笑い事では済まされない。私が毎朝樟葉駅から乗ってる電車は8時01分発の急行だ。この電車は発車時刻の3分前ぐらいに入線し、その間に後続の特急を通過させる。8時01分発の急行の前には7時56分発の準急があるが、この電車は3駅後の枚方市駅で、樟葉を通過した先程の特急を待つ。そして、枚方市駅で特急が発車して数分後に準急が枚方市駅を発車するや否や、樟葉を8時01分に出た急行が到着、すぐに発車して次の駅へと向かう。

と言う感じに言葉で書いてみたが、これを毎日体験するか、ダイアグラムにでもしない限り、容易に理解できるものではないと思う。だから敢えて書いてみた。8時前後に樟葉を出る電車を見ただけでも、7時56分、8時01分、8時03分、8時05分、8時07分...と電車があり、実に2分おき。しかし、線路は1本だけ。前の電車が数十秒遅れただけでも、後続の電車が「詰まって」何分も遅れたりする。

一番前や一番後ろに乗ってると、前の電車が見えてしまったり、後ろから電車が迫ってきたりする。よくこれで事故らないと思うぐらいだが、前に電車が止ってると、その後ろの信号が赤から開かない仕組みになってるので大丈夫だとか。

ニュースを見てると首都圏じゃ、電車の中に数時間も閉じ込められたって方がインタビューに応じてるが、私だったら10分ぐらいで発狂してそう。満員電車に閉じ込められて何時間も耐えられるほどの精神力は無い。窓から飛び降りてでも逃げ出してしまうかも。


今日は仕事を頼まれて中津の方まで行った。事務所が本町だから御堂筋線に乗って行ったんだけど、梅田駅で出るはずの電車が発車してくれない。そう言えば「ちょっと待って下さいー」とか誰かが怒鳴ってて、隣の車両が何やら騒がしいが、この忙しい時に事故か?
と思ったら、電車とホームの間にベビーカーの車輪を挟んだドジなオバハンが居て、それが抜けなくて途方に暮れていたようだった。駅員さんが何人か飛んできて、電車を反対側に「押して」抜いていたが、そんなことで解決したもんだから笑えた。電車って押したら、意外と傾くものなのね(笑)



更新報告
1998年1月7日(水曜日) はれ時々くもり

今朝、自宅から駅まで向かう途中、雪が降っていた。大阪じゃ、珍しい雪。今日は雪が降るほど寒かったらしい。

味付け卵の続編を書いた。実は「塩酸の代わりにお酢でもできないか」と言うような旨のメールを頂いて、やってみたのだ。卵を一晩中お酢に漬けておいて、殻を完全に溶かしたことはある。それだと薄皮だけになるのだが、途中で取り出して、飽和食塩水で茹でた結果は如何に...

脱線しまくって、なぜか塩酸についても語ってます(笑)



いまさら核戦争
1998年1月6日(火曜日) はれ

家に「リュウ(1巻〜7巻)」《矢島正雄原作・尾瀬あきら作画》と言う漫画がある。週刊少年サンデーに昭和61年から62年まで連載された作品だから、今更内容を書いても誰も怒るまい。

20世紀の日本に住むある少年が、何かのきっかけによって別の世界に飛ばされてしまう。その世界には、20世紀の文明らしきものなど、全く見当たらない。ところが、20世紀の文明の痕跡が残されていることに、少年は気付く。そして、その世界が数百年後の地球そのものであったことを知ることになる。実は西暦2049年、核戦争らしき大戦が勃発。少年が飛ばされた世界は、その戦争の300年後の世界であった。って感じで、ありがちな内容。同時に、科学の行方とか、救世主みたいなものも扱われている。

ある人に勧められて読んでいる、ある本では、終末観、つまり「いつか世界は破壊されて終わる」って風な観念についても議論されている。そうじゃなくて、今ある世界はいつまで経っても終わらないから、平凡な日常を生き抜けってことを、著者は言いたいんだろうと思う。そう言われてみれば、昭和60年代始めごろのSF作品って、核戦争等の理由により、世の中がむちゃくちゃになることを前提にしたような作品が多いような気もする。(あくまでも「気もする」ぐらいだけど)

んでも、私は「世の中が終わって欲しい」とか「近いうちに終わるだろう」って感じの『終末観』と言えるようなものを持ったことが無い。今はそれなりに人生を楽しんでいるし、終わらないに越したことはないと思うが、終わるんなら終わってもいい、ぐらいにしか思わない。昭和61年と言えば、もう12年も前の話。今私は18歳だが、その頃に今の私と同じぐらいの歳だった人間は、30歳前後ってところかな。

その世代の方々って。本当に『終末観』を、それも心の底から抱いていた人もいたんだろうか? それとも周りに流されただけなのか? 私には、『終末観』と言う感覚がどうも理解できない。
んで、その本を読む以前は「冷戦」とかの影響じゃない? って単純に解釈していた。今更「冷戦」なんて誰も騒いでないし、ソ連は崩壊したし、これからマイホームの地下に核シェルターを設けようなんて人も少ないだろうから、そう思ってたんだけどね。核戦争で人類が自らを絶滅させることはあるかも知れない、と。



腰痛
1998年1月5日(月曜日) はれ

うーん、何とか社会復帰できたようだ。取り敢えずは遅刻せずに出勤できたが、朝っぱらから同じ原稿でミスコピー10枚ほどやっちまっ。それもサイズは全部A3と来たもんだから、勿体無いお化けが出そうな...やっぱり、休みが数日入ると駄目になっちゃうワタシ。

実は、今日は朝から腰が痛くて困っている。起きた時から何となく痛くて、昼前から更に悪化。ところが、夜になったらどうも無いから、不思議なものだと思う。授業の無い日などは、事務所で一日中椅子に座っているから行けないんだろうか。今までの傾向を分析すると、座ってばっかりいると、腰に響いてしまうような気がする。

そんな場合には、とにかく早足で歩く。やや前かがみぐらいの姿勢で、小走り並みの早足であるくと、何故か腰痛が治るのだ。何故か知らないが、治るから毎日歩く。淀屋橋から本町の事務所まで、大体2キロほどあるみたい。腰痛対策と電車代節約(交通費は会社から出てるが、定期を買わずに貰っちゃえば結構大きい)も兼ねて、ちょうど良い散歩コースと思ってるが、ちょっとだけ情けない気も...



休みもこれで終わり
1998年1月4日(日曜日) くもり

正月休みも今日で終わり。明日からまた7時に起きて9時ごろに職場に行くという、実に規則的な生活が始まろうとしている。休みでやや鈍ってしまった体が、すぐに社会復帰できるかなー。

将来のことは、その時にならないと分からない。まあ先のことは分からないから面白いって言うのも、当たってると思うんだけどね。さあ、何が言いたくてこんなこと書いてるんだろうねぇ。個人的に、今年はややこしい年になりそうな気もする。やっぱり考えてるだけでは、未来は変わらないだろう。でも考えまくってる私って... 頭が痛い。



廃棄物ゼロ工場のナゾ
1998年1月2日(金曜日) うすぐもり

どこのビール会社だったか忘れたが、製造過程の廃棄物ゼロを宣伝文句にしていた大手ビール会社があった。廃棄物ゼロとはよろしいこと、しかし、本当にそれが実現可能なのか? ちょっと疑問。

工場の廃棄物の扱いについて語れるほどまでは詳しくないが、工場から出る全てのゴミは産業廃棄物扱いとなるらしい。と言うことは、ビールの製造過程で廃棄物として出てくる麦芽の絞り粕とかだけが廃棄物なのじゃない。風邪気味の社員が使ったティッシュのゴミとか、社員が昼飯に食った弁当の食べ残しとかも、全部産業廃棄物扱いなのだそうだ。そう考えると、全くゴミの出ない工場なんて、どれだけ頑張っても有り得ないハズだ。

しかし、これにはトリックがあるらしい。そもそも、麦芽の絞り粕は肥料として売れちゃうらしい。売ってしまえば、それは「商品」なのだから廃棄物扱いにはならない。同じように、使用済のティッシュであれ何であれ、全てのゴミを別の業者に売ってしまえば、それはすべて廃棄物ではなくなると言うこと。これで、廃棄物ゼロ工場が可能となる一つの方法らしい。

そのビール会社が今書いたような方法を採用しているかどうかは知らないが、例えば廃棄物処分専門の別会社を設立する。そして、そこに全てのゴミを売ってしまえば、どれだけゴミを出している工場でも廃棄物はゼロ扱いになるんだって。



初日の出を見に...
1998年1月1日(木曜日) うすぐもり

明けましておめでとうございます。

私は、1日の未明から初日の出を見に行ってきた。ここら辺の電車が大晦日元旦終夜運転なんて気の利いたことをしてくれいるばかりに、急遽ツレに呼び出されて、行くことになってしまったのだ。午前1時ごろ、FAXで新年の挨拶が入ったので、返事に「近くだから、初詣のついでに寄って行け」と書いたのをそのツレは過大に解釈したらしい。2時前に一緒に行こうと、誘いの電話がかかって来た。そして、寝ずに3時ごろ家を出る。

それから京都に着いたのは4時前ぐらいだったかな。鞍馬山の鞍馬寺まで行く予定だったのだが、叡山電車の始発までまだ時間があったので、出町柳駅近くの下鴨神社の焚き火で暖を取りながら、しばらく駄弁る。んで、叡山電車の始発で鞍馬まで行き、そこからちょっとだけケーブルに乗って鞍馬寺まで行ったのは良いんだけど。

あいにく空が曇ってて、初日の出は見えませんでした。9時ごろ帰ってきて、寝てないし、腹減ったし、疲れました。まあ、そんなもんでしょうかねえ。