今日の一言(1998年2月分)




引っ越し
1998年2月28日(土曜日) くもり/雨

朝から引っ越しの準備。午後から引っ越し屋が来るということになっていたので、午前中になんとか全部の荷物をまとめた。んが、午後8時を過ぎても引っ越し屋はこず、結局来たのは午後9時まえ。作業に来てくれた人によると、この時期は忙しくて、このぐらいの時間になることはしょっちゅうなんだって。まあ、混在便の安いやつだったから仕方が無いか。トラックをチャーターするほどの金もないし。



仕事も終わり
1998年2月27日(金曜日) はれ

今やってる仕事も今日でおしまい。好きなことでもなかったけど、大変良い職場だったから、ちっと残念な気分です。



今日あったこと
1998年2月25日(水曜日) くもり/雨

法務局へ行って登記簿の謄本を取る。次に近所の東税務署へ行って、書類を貰ってくる。用事が終わって建物から出ると、東税務署が入っている合同庁舎ビルの前に、作業服を着たオニーサンが2名立っているのを発見。それぞれ日本国旗と、菊の紋章みたいな感じの旗を持ってた。うーん。

それから地下鉄に乗る。ホームで駅員5〜6人がブラブラとしてるので、ヒマそうやのーと思ったら、カメラを持ったテレビ関係らしき人やら、警察官やら発見。どうも人身事故があったらしい。前みたいに、目の前にマグロってことはなかったけど。

今日は15時で仕事を切り上げて、近所の市場とか薬局とか酒屋を何軒か回って、ダンボール箱集めに回った。引っ越し屋のダンボール箱は1個数百円するため、節約&廃物利用で環境に考慮ってところだ。しかし、案の定と言うか、大きくて丈夫そうな箱はなかった。ティッシュの箱が結構大きいのだが、かさの割には重量がないためか、作りがちゃち。重量物は入れられないだろう。



オフ報告
1998年2月22日(日曜日) はれ

本日は青春18ねっとのオフ会やりまして、枚方パーク(通称ひらパー)へ行ってまいりました。

ひらパーに行くのは、実は10年ぶりぐらいなんで、楽しかったです。そもそも遊園地はあまり行ってなかったしね。落下し、無重力状態になり、キャーと言わせる絶叫マシンはどうも苦手であるのですが、回る系統は大好きだったりします(笑)

しかし、まだ身体にGの変化が激しかったというダルさ?の痕跡が残ってます(笑) ああいうのって、何となく夜まで残りますよね。

パチャンガとか言う、水上をタライのような乗り物で流れていき、水上だからといって特に濡れはしないようにも思えるが、時々水飛沫で大いに濡れる乗り物には何故か3回も乗り、それも何の緊張感も無くお菓子を食べました(笑)

それもコース脇に巨大なデジカメが設置してあり、いつのまにか写真を撮られてて、もし良ければ近くの売店でハードコピーを取って売ってくれるいうサービス付き! 流石に3度目となると誰もがカメラを意識し過ぎ、素晴らしいほど妖しい記念写真が取れました。

んで、そのままくぬぎ宅へ直行して、さっきのデジカメ写真をスキャナで取り込んで、適当に加工したのがこれ



あう〜
1998年2月21日(土曜日) はれ

あう、ここには書いてなかったかな、単身で横浜へ引っ越します。引っ越しと書けば聞こえは良いけど、実の所は親とうまく行かなくて、勘当されるか、その前にとっとと家出するかってレベルのものなんですが...

大阪の空気を吸えるのも、今月一杯なんですね。そう考えるとなんか寂しいけど、親父の仕事の都合で今まで転勤だらけだったし、もう慣れましたね。日本の空気を吸えるのもあと1日って状況もあったから、こんなのはまだ序の口ですよ。

という訳で、最近は送別会の嵐(^^; 今日は職場の人達と飲みに行きました。普段の何も無い時に飲みに行くのは楽しいものですが、送別会って素直に喜べないものがありますね。新しい生活には期待しつつも、行先は遠方だし、現在に至るまでの人間関係にひびが入るかも知れないと言うのは、何とも辛いことです。いつも情緒不安定な私だから、周りの人達の助けがなければ、今ごろは自殺してたかも(笑)

まあ別れってことではないけど、区切りってことで、お世話になった皆さん、今までありがとうございました。



死ね〜(笑)
1998年2月19日(木曜日) はれ

拝啓 新井代議士殿。

「世の中、ゼニや〜」と。その考えは正しいと思うよ。同じく「やっぱり世の中、ゼニや〜」という考えの私が、これを書いてるんだけど。

それは、確定申告書を書いたら4,256円還付されるかもしれないので、「ゼニや〜」と喜んでるんだよなー(笑) あー貧乏ってヤダ。

# ざまみろ、ボケ。



今時の中学生?
1998年2月18日(水曜日) くもり

今でも中学3年の時の担任と連絡を取り合ってて、今日は久々に会いに行った。前からお互い変な奴だったし、そんな訳で何となく波長が合う人なのだ。いわゆる学校教師って感じの人ではなくて、どうもいい加減で、アヤシゲな雰囲気を漂わす人というか。

んで、その先生は、転勤して枚方市東部のF地区の方にある某中学校で1年生の担任を持っていて、理科を教えてる。学区は新興住宅地になっているらしくて、生徒は平均的なサラリーマンの子が殆どだと言う。父親が会社員、母親が専業主婦、兄弟が一人ぐらい居て、そこそこ平和に暮らしてる。そんな感じのところなのだそうだ。それで、私はした事が無いから何となく信じられないんだけど、大部分の生徒は放課後に塾に通ってたりするらしい。これと言って問題を起こす生徒も少なくて、勉強もそこそこするし、つまり、どの生徒も平均的すぎるということなのだ。

そんな生徒に理科を教えてて「中1の理科なんかおもろかったらそれでええやん」ということで実験とかを中心にしてるそうだが、それだけでは行けない。そこで、たまに問題をやらせても『えーー、やらなあかんのー』というような、普通あるような反発がないらしい。それを見て「普通やったら文句の一つも言うやろ。こら、異常やで」だって。黙って問題をやってりゃぁ安心みたいな考えがあるのかも知れないが、私も確かに変だと思う。

それで居て、学校が荒れないのもおかしいことなのだそうだ。正常な学校は多少なりとも荒れているものなのだが、それが無いのだと言う。ちょっと変な生徒が居て、ちょっと悪ぶってる生徒も居て、たまに問題は起きても、それはそれで上手いこと回ってる。そんな状況が無いと。それから、街を歩いてても変なオヤジに遭遇したり、変な店があって怪しいババァが出てきたりするもんだけど、それも無い。結局、学校も街も綺麗で平均化されすぎていて、おかしいと言うのだ。

そういやぁ、私もガキの頃はよく変なものに遭遇したものだ。変な駄菓子屋に変なババァが居たり、浜辺で遊んでたら変なオッサンが居たけど。そういうことって、意味ないようで、意外と印象に残ってるんだよね。



エレベーターで
1998年2月17日(火曜日) くもり/にわか雨/強風 :-)

会社のビルの、下りエレベーターで出会ったオバサンが一言。

「このビル、1階ってどこにあるの?」

うーん、1階の無いビルなんて普通は有り得ないですよね。でもエレベーターには1階のボタンが無くて、2階で降りて残りは階段を使わないといけない変な構造なのです。

「変なビルですよね、1階は喫茶店が入ってますけど」

上は6階のボタンまでしか無いのですが...

「ところで、うちは7階なんですよ。」

あのビル、日に日に妖しくなって行ってるしねえ。大丈夫なんやろか。

もし、ここより変なビルをご存知の方、教えてください(笑)



さすがNTT
1998年2月16日(月曜日) はれ

シスオペの都合で長らく私の部屋で運営していた「鯱ねっと」さんが、シスオペ自宅に移転した。それに伴い、電話番号が変わってしまったので、古い電話番号にかけてきた場合は、新しい電話番号の知らせを流してもらうようにしたのだった。

しかし、古い電話番号にかけてみると、なんと違う電話番号が案内されているではないか。似たような番号だが、局番の一桁が違う。試しにその電話番号にかけてみたら呼出音が聞こえてから、それも生きている番号だ。BBSの電話番号だから、そのお宅には謎の間違い電話が鬼のようにかかっていることであろう。発呼する者は、着呼するのがモデムだと思ってるだから、深夜でもお構いなし。さすがNTTのする仕事だ。

そこで、その1。一晩中間違い電話が続出し、一睡も出来なかったと、違う番号の持ち主に訴えてもらう。そして、その2。正しい番号が案内されず大変な損害が生じたと、NTTに強烈なクレームをつける。そうすれば、NTTのエライさんが、ひょっとしたら頭を下げに来るかも知れない。ついでに要りもしない花瓶でも持ってくるかも知れない。こんなことなら、移転の工事費はビタ一文払えん! と、文句を垂れまくってみたら、タダになるかも? シスオペさん>やってみては如何?(笑)


明日は、役場に書類を取りに行く。わざわざ午前中に休みを貰って行くのだ。朝は9時ごろから会社に行って、夕方まで仕事している人間は、そうでもしないと行く時間が無いからね。私は極端に忙しい日以外は休みを取れるが、休みの取れない人はいつ役所へ行けと言うのだろう。サービス業なんだから、休日や、平日も夜の9時ぐらいまで営業するのがスジってもんだろうよ。



ちょっと嬉しいこと
1998年2月15日(日曜日) くもり/にわか雨

予備校で働いてると来てる生徒から色んなものを貰ったりするんですが、嬉しいですね。私は総務という地味な職で入ってるので、授業を持ったりすることは余り無いのですが、時々に個人指導で英語などを教えることがあります。

私がいるところは小さな会社なので「どんな生徒も拒まない」のが方針で、時々変わった生徒がきたりします。そういう場合は普通の授業には入れず、個人指導生徒として指導するのですが、個人指導は一度に1、2名しか教えないため講師を雇うほどの儲けがありません。そこで、私のような社員が担当するわけです。

そんな感じに、少し前に私が担当したある女の子のお話。その子は帰国生で、公立の高校に一度入学したものの、中退した人でした。高校によっては、帰国生は書類審査と英語論文と面接だけで入学できる学校もあり、そこに再入学したいから2日だけ英語論文の指導してくれという依頼でした。で、私が担当することになったわけです。

授業をしてから暫くの日が経って、志望してた学校(2校)ともに合格したというお手紙を貰いました。「2間日だけでしたが、楽しくて役に立ちました。ありがとうございました」というお手紙。それから「椚座先生って、凄く変な人でしたが...」と。

うーん、2日で「すごく変」と手紙に書かれる私は、かなり変な奴なんでしょうね。私に対しての「変」は、逆に誉め言葉のように聞こえたりもするだけど(なんじゃそりゃ



物騒な話
1998年2月13日(金曜日) 晴れ

私が住んでいる枚方市の名前が全国に出る時といえば、ろくなことが無い。枚方市の病院の駐車場に放置されていた車のトランクから、男性の腐乱死体だって。よく聞けば、星ヶ丘病院やん。車で15分ぐらいのところ。全国ニュースで出てきた話題と言えば、ヤクザのモメ事やら、レイプ事件やら。地元では汚職事件もけっこうあるし、こまったもの。

「14歳・心の風景」という、NHKが出している本を買ってみた。14歳の少年少女19人インタビューというサブタイトルでそれらしいものが始まるのだが、どうも意図的に編集されたようにも思えるものもある。あくまで私がそう感じているだけなので、そうと断言している訳ではないのだが。対談形式でもない、エッセーの出来損ないのような変な文章が続く。

その内容には何やらパターンがあるようだ。

1.親や教師の期待に応えるのが面倒くさい。
2.しかし、成績のこともあるので、外面だけは良くしておく。
3.でも結局、そういうことに疲れてダルイ。

というようなことらしい。だから自暴自棄的になるか、自己卑下的になるか、そんな人もいるのかなぁ。よーわからんけど。

そういうことだったら、楽観主義が便利なのだ。周囲の下らない期待には応えず、脅しにもめげず、適当に遊んでるから疲れることも無いし。大変楽なのだ。私は比較的そのタイプだけど、それは数年前からの話で、それ以前はかなり辛いこともあった。それで、楽観主義を獲得しなければ生き残れないような状況が何度かあって、それからだったかなー。

しかし、楽観主義とは決して悩み事の無い人のことを言うのではない(はず)



休みなのに風邪
1998年2月11日(水曜日) 晴れ

せっかくの休みというのに、昨日ぐらいからやや風邪気味。37度前後の微熱がある上、身体の節々が痛む。このごろ流行っているような寝込む程の風邪では無いのだが、熱が出て節々が痛いというのは、典型的なインフルエンザの症状なのだろうか。

役所へ行かないと行けないのだが、平日は朝から晩まで仕事なので行くことが出来ない。休みだからと思ったのだが、良く考えたら今日は祝日だった。窓口業務などは、土日祝日も開けて毎週水曜日定休ぐらいにすれば便利なのにね。大体、毎日仕事のある者はどうしろと言うのだ。委任状書くのも面倒だしな(笑)

明日は仕事だけど、行きたくないよー。朝は私が一人でやってるから、遅刻できない&休めないという立場も辛い...



ムカついて、キレたりして
1998年2月10日(火曜日) 晴れ

最近、中学生が「ムカついたり」「キレたり」することについて、なんだか知らないが取り沙汰されているようだ。教師殺害事件やらの影響が多いんだろうと思うが、「今時の中学生って、みんな極悪非道なことをする」と取れないでもない内容が多いようにも思う。んで、当たり前の話だけど、そんな訳ないでしょ。ああいうのは、あくまでも「特殊な例」として取らなければならないはず。今の中学生は、「みなが潜在的な悪意を秘めてる」わけないでしょ。

うーん、私も人の子である以上、フラストレーションも溜まることはあるし、ムカついたり、時にはそれが爆発してキレることだってある。普段は多少はイライラしてても、「まあまま」と我慢するものの、やっぱりイライラが溜まってくると、大きいのが「ドカン」と来ることもある。その「ドカン」をどう発散するかは、本人次第だろうけどね。他人に当たる人もいれば、器物破損や自傷行為なんかも、その例なのではないだろうか。

職業柄、中学生と関わることは多い。ある意味、彼らは「オトナ」なんじゃないかな。上手いこと感情を押さえてると言うかね(こういう事を「オトナ」と呼ぶのも好きではないが、他に良い言葉が思い浮かばないのでそう呼ぶ)。だけど、特に中学生という立場はプレッシャーも何かと多いし、色々とフラストレーションが溜まってるのはわかる。それが「キレる」ことに繋がることもあるのだろう。

そうね、「ムカつく」とか「キレる」とかは、騒ぐほどのことじゃないと言うことかな。行為自体を肯定してるわけではなくて、ただ、彼らが「キレる」ことだけに目を向けて、その原因について考えないのは危険なことではないかな。



横浜
1998年2月9日(月曜日) 曇り(大阪)/雪(京都)/吹雪(米原)/晴れ(横浜)

ということで、横浜へ行ってきた。大阪から横浜まで、これだけ天候が変わるものなのね。

用事が大体済んでから、せっかく来たのだからどこかへ行ってみようと思いながら、取り敢えず、みなとみらい?周辺のビル群に行ってみた。かなり立派なビルディングに少々感動(笑) こりゃ大阪には無いな→やっぱり横浜はスゲーって思うのは、田舎者の証拠かな。大阪に居ると気付かないが、田舎なのかもしれないね。

もっともっと歩くと、海まで行ってしまった。海があって、公園があって、いかにもという感じのデート場所なのだ。来てる人間と言えばアベックばっかりで、一人で行くところじゃなかったわ。青春をどこかに置き忘れてきた?人間には、関係の無い場所だったらしい(謎

横浜と遠距離恋愛していた、元京都在住の女性に教えてもらった話。

彼氏と合う関係上、横浜へは「通ってた」らしい。少々在来線を使って、残りは新幹線で京都から新横浜まで乗る。帰りも同じルートだ。しかし、京都駅はイビツな構造をしていたため、キセル乗車の宝庫であった(過去形)ことは、地元の人間なら誰でも知っていること。聞くところによると、何度か上手く行って、新横浜→京都を1000円以下で帰って来たらしい。

新幹線は改札を2度通らないと行けないので難しいのだが、在来線は比較的簡単。京都駅では私も何度かやってる。N線にのって、T駅で降り、K電車に乗ると、あら不思議。改札らしい改札を通らないまま、地元の駅まで帰って来れるのだ。あ、いや、今日はやってないよ(^^;

ところで、キセル乗車ってどういう犯罪なのか明確でなかったらしいが、最近では詐欺罪ということになってるらしい。



天声人語
1998年2月8日(日曜日) はれ/くもり

朝日新聞の天声人語と言えばかなり有名なコラムであり、どっかから単行本も売られてたと思う。聞くところによると毎日同じ人が書いているそうだが、なかなか凄いと思う。

ここを書き始めてからネタの見つからない日の辛さ?をとくと味わったもの。日刊コラム?を書くのって、何かと辛いことも多い..昔は毎日書いていたのも、最近はちょっとパワーが落ちて隔日になりつつある。確かにネタも無いけど、それ以上に時間が無くて書けないことが多いな。

しかし、天声人語の作者とて人の子、どうしてもネタが無い日もあるそうだ。そんな日は天気の事やら季節の事やら、無理にでもネタを作らしいけど、良くやるわ。まあ、私なんかとは器が違うのも当たり前なんで、比較する方がおかしいかもね。

明日は所用で横浜へ行く。新幹線で行くのだー うれしいなー。
ガキと変わらん...



踏切事故
1998年2月6日(金曜日) はれ

明日は土曜日なのに出勤...土曜ぐらい休ませろって。

先日、神戸の方で踏切事故があった。神戸電鉄の電車が踏切で脱輪したトラックに突っ込み、1両目が脱線する事故があり、朝日新聞の1面を飾ったいたから、世間の注目も大きかったのだろう。

トラックの運転手は業務上過失致傷で逮捕されたそうだが、ちょっと理不尽な気がする。狭い踏切で立往生してしまい、非常ボタンを探したそうであるが、見つからない。仕方がないからトラックの荷台に乗って手を振って電車に合図を送ったそうだが、間に合わずに衝突したらしい。電車が来るところで、荷台に立つのは勇気のいることであっただろう。

事故のあった踏切は第一種(遮断機・警報機あり)であったそうだが、聞くところによると、非常ボタンはイタズラが多かったから「敢えて」設置してなかったという。しかし、誤報が多いからと言って火災報知器の電源を切っていて、それが原因で焼死者が出れば管理責任が問われることだろう。イタズラが多いから設置しないというのは理由になるものじゃないと思うぞ>神戸電鉄。

踏切という場所は事故が起こり易いのだから、対策をして当然ではないのか? 人間が人間である以上、事故と言うものは、必ず起こるもの。事故が起こったら「はい、業務上過失〜」とするだけではなく、もしもの時の対策も考えて欲しいものだと思う。新聞の記事をささっと読んだところ、電車もトラックも悪くない気がする。

対策の良い踏切は非常ボタンの他に、赤外線による障害検知機も設置してある。踏切の真ん中で自動車などが立往生すると、自動的に信号で電車に知らせ、もう少し気の利いたシステムではATSと連動して、自動停止するシステムもあったと思う。逆に、赤外線投光器と赤外線センサーの対で遮断を検知してるだけだと思うから、センサーを遮光してやれば、電車が急停車するかも知れないが、やっては行けないよ。



所持品検査
1998年2月4日(水曜日) はれ

最近、中学生のナイフによる殺傷事件で、所持品検査の有効性が再認識されようとしている。もちろん、無意味にナイフを携帯をしていることは望ましいことは言えないが、こうやって事件が起きている以上、放っておく訳にも行かないのだろう。しかし、所持品検査は卑怯なやり方だと思うね。

昭和62年、山口県光市。椚座少年は、同市のとある小学校に通っていたのである。当時の私も、今と変わらぬワルだったので、しょっちゅう細々とした問題を起こしていたものである。忘れ物件数はクラス1位、宿題忘れ件数もクラス1位と、トップ賞を総なめ! それらの件数を記録するために教室の後ろに貼られていた棒グラフは、用紙のマージンを超えんばかりの勢いで昇っていった。これが営業成績を表すグラフだったら、出世は間違い無かっただろう(謎

ワルながらも楽しい毎日が続いていたある日、私の机の中身がすべて透明のビニール袋に詰められ、それが黒板に貼られ、堂々と飾られていたことがあった。誰が気を利かせたのか、「ぜんぶ椚座の持ち物」と、展示物の説明まで書かれてあった。そんな私だったから、机の中も極端に汚い状況だったが、それを「見せしめ」として「展示物」にされてしまったのだ。もちろん、本人に許可を取るなんてことは無くて、つまり無断でガサ入れされたわけ。

以上のことは全て実話。妙に印象的だったので今でも覚えていることなのだが、これをどう思うかはあなた次第。これは10年も前の話だし、今でもこんな極端なことが横行しているのかどうかは知らないが、この事件があるだけに、私は所持品検査は多いに問題があると思う。

警察官の職務質問の場合でも、同意の得られない所持品検査には裁判所の令状が必要だったと思う。そもそも所持品検査をするということは「何か持ってはならないモノを持っている」という疑いを持っているからだ。しかし、普通に考えれば疑う側にこそ「挙証責任」というものがあり、要するに「疑う証拠」を挙げる義務があると言うこと。「お前が善人だったら、その証拠を見せろ」と言われてもそりゃ無理な注文というもので、これではまったく筋が通らない。

どう考えても当たり前のことだと思うんだけど、世の中にはここら辺の「筋」を理解できない馬鹿が多いらしい。



世界は狭い
1998年2月3日(火曜日) くもり

今日、うちとこの塾に入って来た生徒さん、私が前に居た高校の時のツレの妹さんだって。ちょっと変わった名字の人だったんで分かったんだけど、やっぱり世界は狭いわー。

最近、会社の近所の印刷屋に何度も足を運んでいる。パンフレットの作成をやってるんだけど、やっと入稿ができたので一段落した気分。

それとは余り関係はなくて、印刷屋に「みーちゃん」とおっしゃる猫がいるんだけど、むっちゃかわいいの。黒っぽい色に、ぽつぽつと茶色が混ざったような変な色の猫。いつ行っても石油ストーブの前に置かれた事務椅子の特等席で丸くなって寝てて、それがまたかわいいの。私が行くと、にゃーといって顔を擦りながら指をなめるのが、どうしてもかわいいの。

かわいくてかわいくて、私は猫の前では、もうメロメロっす。



くぬぎ座
1998年2月1日(日曜日) くもり

A氏「椚座って難しい名前だね。
わし「せやろ、普通やったら読めんやろ。
A氏「ところで『くぬぎ座』と言う名の星座があるの?
わし「あ、知ってたんか。
A氏「え、本当にあるの?
わし「そらそうや、人の名字にもなるぐらいやからな。
A氏「まあそうだよね。
わし「9月ごろ、西の空を見上げてみたら分かるわ。

実は、意外に良くある会話なのです。

わし「西の夜空でな、笑顔のワシが地球を見下ろしてるんや。
A氏「は..?
わし「目合わしたら、失明するんやで、恐いやろう
A氏「そんなもん、絶対イヤじゃ!

こうなれば誰も信じないけど。
前半までは誰もが信じるから面白いです。

ちなみに、「くぬぎ座」が実在するのかどうかは知りませんが、
私の知る限りでは無いと思います、はい。