今日の一言(1998年3月分)




テレビ2
1998年3月31日(火曜日) はれ/くもり

「失礼します〜」と奴等は、次の日のお昼頃に来た。今度はもう少しマトモな人間が来ることを期待していたが、結局ツラを見せたのは、昨日の頼りない二人だった。ただ、この日はケーブルや、実験用のテレビなどを持ってきていた。前日と比べれば、かなり進歩したものである。

早速、奴等の無駄な作業が始まる。疑わしくも無いが、奴等にとって疑わしかったケーブルを新しいものに取り替えてみるも、事態は改善されない。それも当たり前のことであるが、まだ気付かないようである。今度は、どういう効果があると思ったのか知らないが、VHFとUHFとを分ける分波器を取り付け始めた。結果、画像はますます汚くなるのみ。それも当然のことで、そのようなものを途中に挿入すれば、ロスは大きくなるだけだ。

途方に暮れ始めた奴等は、持ってきた実験用のテレビに繋ぎ始めた。そのテレビは、私のテレビよりも少々綺麗に写ったのだが、良く見ると使ってるケーブルがBS用の高級な同軸なのだ。実験と言うのは、フェアな条件でやらなければ意味がない。電界強度の悪い状況でロスの少ないケーブルを使えば、画像が少し改善されるのは当たり前だ。

しかし、悪いものは悪い。ケーブルを繋ぎ変えただけで全てのことが改善されるわけではない。良いとは言えない映像を見ながら、奴等は「こんなもんだよね〜」などとぬかし始めた。お前ら、普段からどんなテレビを見ているのか? 余程の酷い難聴地域に住んでいるのか?とでも思わせるような発言である。更に、「こりゃ、このテレビが悪いですね」と、私のテレビのせいにされるが、こう来られたら呆れて反論する気も起こらない。

こんなサルどもにケーブルのロスやら、電界強度やらの話をしても通じるはずがない。もう諦めて「もう何もしなくて良いから、そのBS用のケーブルに取り替えて帰ってくれ」と丁寧に追い返した。ケーブルを交換するだけという、本質から外れまくった対策でも、気持ちだけはマシになった。取り敢えずこれで我慢して、改めて管理会社に文句を言うことにした。

しかし、私のテレビのせいにされたままでは、負けを認めるようなものである。確かにうちのテレビは古くて「そんな筈は無い」と自信をもって反論できるほどのものでもない。畜生、腹が立つから、こうなったらテレビを買い換えてやる!! それなら、「お前らの言う通りに新品のテレビを買ったが、何も改善されないではないか」と言えると言う訳だ。おまけに、数日後、私に7000円近い請求書が送られてきたのである。誰が払うか、ボケ。ますますブチキレ。

そして、本当にテレビを買ってきたが、事態は改善されない。そして、改めて文句を言ってやろうと、電話をかけようとしたその日に次の事件は起こった。ビルの管理会社から電話があったのだ。「別の部屋に入居されている方からテレビの映りが悪いとの苦情が入っているのですが、以前にお伺いした、椚座さんの件はどうなったのでしょうか?」という問い合わせである。あの修理屋、管理会社に報告すらしてなかったらしい。管理会社に大まかな経過報告をして、何も改善されてない旨を伝えて電話を切った。

暫くして、例の修理屋から電話がかかってきた。お前らの言葉を信じてテレビを買い直したが、何も改善されない。どうしてくれる? と文句を言う。もう一度来るようにと伝えたが、次回の作業で何かが改善されるのか? 疑わしいことこの上ない。



テレビ
1998年3月30日(月曜日) はれ

いま住んでいる部屋に移ってきたときは、そうでも無かったのだ。それが、入居から数日経ってから、テレビの映りが悪くなった。最初はゴーストがちょっと出るぐらいだったのが、だんだんと酷くなり、とうとう許される範囲を超えてしまった。そして、私はビルの管理会社に苦情をの電話を入れたのである。苦情の電話に応対したオネーサンの対応は極めて良く、すぐに修理業者を手配してくれた。その業者の対応も割と迅速で、次の日には指定した時刻に来てくれたのだ。

ここまでは良かった。ここまでは...

修理に来た人間は、若いお兄さんが2名。一人は見習いらしく、特に作業は行わずに見学をするのみであった。早速、事情を説明し、実際にテレビを見てもらって、如何に映りが悪いかを説明した。当然だが、テレビの配線が外れていただけと言うような、恥ずかしいことはない。電話をかける前に、自分でできる範囲の点検はすべて行ったつもりだ。それでもって、ビルのアンテナなどに異常があると確信があったから、管理会社に電話をかけたわけである。その点もちゃんと説明した。

しかし、修理のオニーサン曰く「他の部屋から苦情が出てないから、この部屋固有の問題だ」と。まあいい、ここを点検するだけ点検して状況が改善されなかったら、さすがに諦めてビルの設備も見るだろうと判断。敢えて反論もしなかった。お好きにどうぞってぐらいに、やらせておいたのだ。向こうはプロ、私がとやかく口出しするのはかえって失礼なことである。

暫くして、オニーサンが私に声をかけた。「この同軸ケーブルの問題だと思う」と、テレビとアンテナコンセントを繋いでいる電線の問題を主張する。それも、何かを調べて得た結論ではない。他に原因が見当たらないから、そうとでもしておこうというような、消極的な結論であったのも明らかだった。奴等がやったことは、線を外して、もう一度接続して、やっぱり駄目なので線の先を剥き直してみたり、とにかくやってもやらなくても同じことばかりなのだから。

そこで、同軸を取り替えるのだろうと私は思った。しかしだ。あろうことか、その修理屋は何の準備もして来ていなかった。電線の一本も持っていない。「明日にでも出直してくるから」といって、奴等は帰る準備をしている。お前ら何しに来たんだ? と言うのは心の中だけにしおく。また無駄な点検にでも来て勝手にやってろという思いを込め「じゃあ明日はよろしくお願いします」と帰ってもらった。

さてさて、続きは明日書きます。



奥多摩
1998年3月28日(土曜日) はれ/くもり

というわけで金曜日の夕方、予定通りに友人が来た。土曜日なにしようかなー。そうね、奥多摩にでも行ってみない? みたいな感じで、イキオイ的に、何故か奥多摩へ行くことになった(青春18きっぷでね)。そして、本日は早く起きて朝飯を食って、朝は8時34分発の電車に乗り、奥多摩へと向かったのだ。根岸線、横浜線、八高線、青梅線と乗り継ぐこと2時間半。奥多摩駅に到着する。なんか知らんけど、駅前のそば屋で昼食を摂る。



で、ブラブラと林道を歩いたりしたのだが、やっぱり多摩川の河川敷が一番気持ちが良かった。東京の多摩川というと、なんか都会チックなイメージを浮かべてしまうのだが、流石に上流へ行くと水もきれいし、景色も美しい。横浜からだとやや遠いが、ちょっと行くには良いところである。



↑河辺で途方に暮れている私

山と多摩川の間のとんでもないところに、なんか大きな工場がある。第一印象は、よくあんな変な場所に工場を建てるなという感じのもの。敢えて喩えるなら、ファイナルファンタジー7に出てきそうな雰囲気を漂わす工場である。奥多摩駅に置いてあった貨物の貨車から、石灰石を産出しているのだろうと推測されるが、あの山奥では何となく場違いな感じがする。



友人来られる
1998年3月26日(木曜日) くもり

明日は遥々奈良から友人が遊びに来るそうです。

青春18きっぷで鈍行を乗り継いで横浜まで来ると言うのだから、なかなか良い根性してるわ(笑) 若い頃は鈍行乗り継ぎ、徹夜は当然、超強行軍、みたいな無茶苦茶な旅行もやりましたけどね。もうそんな元気なかったりして(とか言って、幾つやねん

一人で何かと寂しいし、来てくれるのは大変嬉しいことなのだけど、今の住まいが狭いので男二人が夜を共にする環境がじゃない気がするですねー。一人で住むには特に狭いとも思わないのですが、人数が増えると駄目ですね。布団も1つしか無いし、どうしよう(笑) 友人達が関西の人間ばかりなので、関東方面にベースキャンプ?が出来て便利になったそうです。しかし、遊びに来てくれるのは良いのですが、設備が一人分しかないからねえ。



読書
1998年3月25日(水曜日) くもり

電車で通学・通勤していたころは、結構な量の本を読んだ。イラチな性格なものだから、数十分も電車に乗ってると間が持たない。そんな時は、本でも読みながら暇を潰していたわけだ。

しかし、最近は職住接近で通勤時間が30秒ぐらいになってしまい、本を読むことが少なくなってしまった。読もうと思って買っておいた本も色々とあるので読みたいのだが、どうも本を読むために時間を割くということが、私には出来ないらしい。本を書いている人には失礼なことだろうが、読書=暇つぶしの既成概念に縛られてしまっている私には、わざわざ読書をすることなど想像もつかない(笑)

パソコンいじってる時間を減らせばいいのかなー?



洗濯機
1998年3月21日(日曜日) くもり/雨

3日も更新サボってた言い訳。「ケツが痒かったから」(なってない..

私は、電話が鳴る音で目を覚ました。時計を見るとまだ8時半じゃないか、日曜日の起床時刻としては誠に相応しくない。誰だこんな時間に、電話機どこにやったっけー、昼は何を食おうかな、あー早く取らないと切れてしまう..様々な複雑な思いを巡らせながら、電話機を探した。お、み〜つけた。意外とわかり易いところにあるんじゃないか。

「誰だ貴様は!俺様の睡眠を阻害しやがって、死にたいのか!」というのは心の中だけにしておいて、口では(多分)普通に応対する。「もしもし〜、ヤマト運輸と申しますぅ。大阪の○○様からのお荷物で洗濯機とレンジ台をお預かりしているのですが、今からお持ちしてよろしいでしょうか?」大体そんな感じ内容だった。そうかそうか、忘れていたのだが、大阪の知人が、不要になった洗濯機とレンジ台を送ってくれることになっていたのだ。それが日曜日に着くと言っていたことを思い出した。10時ごろに持ってきて欲しいと伝えて、また寝た。

そして10時前に次の電話はかかってきた。「もしもし〜、いまお宅の前にいるのですが、これからお持ちしますぅ」と言われても、私はまだ布団の中なのだ。「もうちょっと寝させて下さい」とは言えないから、ヤマトの人が電話を切り、トラックから荷物を降ろし、台車に載せ、エレベーターに積み、5階まで昇り、私の部屋の前に到着するまでの僅かな時間に布団をたたみ、着替える。遅刻寸前まで寝ていることの多い私のこと、朝の早業は流石に板についている。(自慢するなって)

荷物が運び込まれ、まずは洗濯機の設置から始めた。まだ朝飯を食ってないので腹が減っていたのだが、洗濯機が邪魔で台所が使えない。仕方が無いから先にやるのだ。ベランダには洗濯機を置く場所が確保されているのだが、私の部屋に限って何故かその場所にクーラーの室外機が置かれている。本来ならば上の部屋のベランダに吊り下げる形で設置されているはずで、隣の部屋もそうなっているのだが、私の部屋だけはクーラーの種類が違うらしく、下においてあるのだ。

文句を言っても始まらないから、まずは室外機の移設から始める。パイプを外せれば楽に出来るのだが、外してしまうともう一度取り付けなければならない。外すのは直ぐにできるが、取り付けには真空ポンプが要るらしい。あいにくウチにはそのようなものは無いから、パイプを着けたまま作業を行う。パイプを曲げ過ぎて折ってしまわないように注意する。それから洗濯機を然るべき場所に置き、電源と水道を繋いで完了。これで、我が家にも全自動洗濯機という文明の利器が導入された。

なんせ、今までは全部手洗いだったのだ。洗うのはまだいいが、脱水が大変。全部手でしぼっていたのだ。Gパンなんか洗った日には、手に血豆が出来るかと思ったよ。そんな地獄のような日々から、やっと開放された。



主食?
1998年3月18日(水曜日) はれ

「主食」という言葉があるが、日本のように金さえ払えばほぼ何でも食える世の中になると、「主食」のような抽象的な概念など無意味なものとなるのではないだろうか。よく「日本人の主食は米だ」と言われるが、昨日のニュース23で『パンに使われた支出が、米のそれを上回った」というような話がでていた。重量やら栄養の割合だとまだ米の方が多いのかも知れないが、こうなってくると今更「米が主食」などと言うのは変な気がする。

そもそも誰が何を食っていようと自由であるが、私の個人的なことを言わせて頂くと、私はご飯主食派。休日は外食することがあるので決まった量を炊かないこともあるが、平日は毎日2合半炊く。朝に1合半炊き上がるようにタイマーをセットして、朝と昼で全部食べ、晩に1合炊く感じ。一般的な人がどれぐらいの飯を食っているのかは知らないが、一人で食う量としては多い方だと思う。実は、横浜に来てからパンを食事として食ったことがない。

理由として、安いから。本日、近所のスーパーで米の特売をしていたので一袋買ったのだが、山形産ササニシキが5キロで1880円。米1合の重量が180グラムとすると、5キロは27合ほど。1合の米を炊いてご飯にすると、嵩は普通の茶碗に軽く盛って2杯ほど。茶碗54杯分と考えて金額を割ってみると、茶碗1杯35円+水道代+電気代ぐらい。50円もあれば十分ってところか。腹持ちも良い。パンだと、もっと高価だし腹持ちもご飯ほど良くない。

貧乏人はご飯を食おう。



関西弁が聞きたい
1998年3月17日(火曜日) はれ

数日前に東京まで出かけたときのこと。横浜の自宅に帰るために電車に乗ってたら、中年のオジサンが何人か乗り込んできた。どことなく下品な感じのオジサン達は、何やら大きな声で下らない会話を交わしていたのだ。頭では煩くて迷惑な連中だと認識していたのだが、耳にはどこか心地が良い。気付けば、そのオジサンは大阪弁だった。

電車などに乗ってると、周りは殆ど東京モンのようだが、やっぱり関西弁でしゃべっている人の方が自然に聞こえたりする。なーんか関西弁が耳に入らず、ちょっと寂しいこの頃。頭では「ここは関東だから」とわかっていても、目・耳・口など、身体はなかなかついていかないようである。あまり関係ないが、とりわけ横浜には関西出身の人が、関東地方の中では比較的多いそうだ。横浜−阪神戦では、結構な人数の阪神ファンが三塁側で応援しているらしい。

先日の強風以来、テレビの映りが許容範囲を超えて悪い。アンテナ線を外してみて「自分」に繋いでみる。つまり人体アンテナに切り替えてみるのだが、そちらの方がマシに映るぐらい。強風でアンテナが飛んでしまったのか? 男の一人暮らしにテレビは不可欠なもの、管理会社に文句を言わなければ。



少年犯罪を考えない
1998年3月16日(月曜日) はれ

私が中学の時、ナイフを持っていたことがある。だからどうってことも無いのだが、それで「安心感」みたいなものを得てたような気はしないでもない。使う気はないのだが、なんか持ってれば安心かなってぐらいのことなんだが。いつかそのナイフも紛失して、それ以来持たなくなった。

例の神戸事件があって以来、少年犯罪が妙に注目されているようだが、犯罪の総量など、そう急激に変化するものではないと思う。最近になって発生件数が何倍になったというような統計があるのならまだしも、そんな話は聞いたことがない(知らないだけかも)。そうであれば、昔から時々あったようなことに、マスコミがスポットライトを当てているだけって気もする。また、そういう大袈裟なニュースを聞いたおばちゃん等は、大袈裟に反応するものなのだ(うちのオカンとか)。

物理で「○○保存の法則」などがあるが、それらが意味するものは、「万物は都合よく増えたり減ったりしない」ということ。犯罪に関しても同じことが言えるのではないだろうか? 悪の総量なんか、文部省とか教育委員会の連中がいくら頑張っても減るものではないと思う。そんな風に日本をユートピア化しようとしても、結局はどこかで歪みが生じ、また別のややこしい問題に発展するだけではなかろうか。善だけが存在する過度に美化された社会など、誰がどう頑張っても成り立たないと思う。

タイトルには「少年犯罪を考えない」と書いたが、考えないで放っておくというのはどうだろうか。犯罪の総量など変わるはずもない。ある種の悪を鑢で削っても、その周りにバリが生まれるだけ。アメリカみたいな所があると思えば、今の日本なんかすごく平和だと思ったりする。まあ「そういうこともあるのかな」って見方も一つだと思う。


全然関係ないけど、パラリンピックで時々やってる「チェアスキー」。あれ、なんか面白そうですよね。スプリングショックとかついてて、なんか大層な感じが好き。って、私は普通のスキーすらやったことがなかったりするのだ(笑)



るせー!!
1998年3月15日(日曜日) 変な天気(なんじゃそりゃ

最近、深夜にラーメン屋が大変うるさいのだ。軽トラックで移動しながら屋台をやっているようで、それも静かにやってくれるのなら別に文句も言わないが、下手クソなチャルメラを拡声器でガンガン鳴らせてトラックを巡回させよる。それも、ここ暫く毎晩のこと、決まって午前12時半ごろから1時ごろの時刻。私が寝ようとしたときを狙ったように来やがるのだ。

それが煩くて寝られないというわけ。それで、わざわざ布団から出て表に出てイチャモンを付けに行くのは余計に腹立たしく煩わしいし、相手はトラックだから、多分私が1階まで降りた頃にはどっかに行ってる可能性の方が大きい。でもうるさい! それこそ、110番通報でもしてやりたいぐらいだ。

実は先日、遅くまで起きていた日にベランダ側の道路を通りかかったので、ベランダに出て下を覗いてみた。怒鳴ってやろうかと思ったが、5階の窓から怒鳴ってもあまりインパクトが無いので、また私の怒鳴り声も迷惑っぽいのでやめたが。そして、本日夕方、そのトラックを発見! 文句を言ってやろうと思ったら、信号が青に変わると同時に逃げられた。畜生っ。

このような場合、東京モンってどうやって怒鳴るんだろう。関東の人間同士が喧嘩をしてる場面に遭遇したことが無いので、大変興味があるのだ。「てめー、このやろー、うるさいんだよ、ばかやろー」とか言うんだろうかねぇ。言うまでもないが、大阪人である私は、そんな下品な言葉は、間違っても口に出来ない。

「おいオッサン! ナニ賑やかにラッパなんか吹い回っとんねん。ここでラーメン屋すんのはかまへんけどな、もうちょっと静かにやらんかい。だいたい、いま何時やと思とんねん。んなもんパーパカいわしとったら、ここら辺に住んどるもんが寝れんやろ、ボケ。お前んとこは不眠症の医者とツルんどんのか? 今度それ吹いたら、ドタマがすっといわしたるからの。分かったらとっとと消えんか、アホんだらーが。」

大阪弁は、上品かつ、何を言わんとしているのか大変分かりやすい。



土曜日の過ごし方
1998年3月14日(土曜日) はれ

昨日のコメントで、結論を書き忘れた。

つまり、「環境破壊とか開発の是非を訴えるのは良いが」しかし「もはや都会暮らししか知らない人間に、古き良き自然の豊かさを訴えることで成功するとは思えない」ということ。


暇だからどっかへ行こうかと思って、なんの目的も無いが、鎌倉まで行ってきた。普通のお買い物自転車でぶっ飛ばして、距離にして20キロぐらいかな、大体1時間半で大船着。もうちょっと走り易い道だと良かったのだが、人は多いわ、信号は多いわ、勾配はキツイわで、とっても疲れた。ついでに鎌倉市内観光でもしようかなと思ったのに、大船の辺りまで行ったところでやる気が半減。取り敢えず帰った。どう言う訳か、大阪の道路よりも横浜の道路の方が走りにくい

夕方になってから晩飯を作るのが面倒だったので、中華街へ行ってみる。行ってみたのは良いが、人が多い。人ごみの中を歩くのも嫌だが、せっかく来たので探索してみる。中華街を訪れている人間はカップルとか観光客らしき家族連ればっかり。なんか一人で歩いていると何となく場違いな感じまでしてくる。腹が減ったから、飯を喰う。表通りの店は混んでるし、高そうだし、当然却下。路地のアヤシゲな店を探し、空いてて安そうな店を見付けたので食う。味はまあOK。


△ 独断と偏見による解説1.ここら辺の道が自転車で走りにくい理由:

だれが調査したのか知らないが、東京の人間(まあ正確に言うとここは横浜だけど、大阪人からみたら同じようなもの)は、大阪の人間よりも歩く速度が遅いという統計があるらしい。確かにそうなのかも知れない。しかし、私に言わせれば、歩行速度云々以前の問題である。

結論から言うと、東京の人間は、合理的かつ正しい歩き方を心得ていないのだ。私の感覚では、例えば歩道を歩いていて自転車が来た場合、道を開けてあげて自転車を先に通すのが当たり前だと思う。ところが、こっちに越してから思ったことだが、道を開けてくれる人の希少さに驚く。ゆっくり歩くのは構わない。速く歩くのも勝手だ。 でも、道ぐらい開けろつーの。自分だけが悠々と歩くことが正しいと思っているのか、つまらない意地を張るのが好きなのか、理由は知らないが、それでは歩道上で渋滞を招くだけ。ちょっと気を利かせて退いてくれたら、全ては平和に収まることなのに。

仕方が無いから、轢き殺さんばかりの勢いで突っ込むと意外と退いてくれる(笑)

△ 独断と偏見による解説2.中華街の法則:

中華街に行くと、店という店は満員で、列が出来ているのである。ところが、良く見るとガラガラの店って一人も客が入ってないぐらい。中途半端に繁盛してる店とか、普通に客が入ってる店を探すのは困難を極める。どうやら、差が極端のようだ。

△ 独断と偏見による解説3.服装:

近所の道を歩いている若い方々、服装を見ると今ごろロングコートとか厚手のセーターとかを来ている人が多い。挙げ句の果てにはマフラーを巻いている人も発見。言うまでもないが、服装など個人の自由。しかし、そんな格好をして暑くないのか? 見てるこっちまで暑くなってくる。大体、私などコート類は既にクリーニングに出してしまったというのに。



自然破壊とか開発とか
1998年3月13日(金曜日) くもり

13日の金曜日かー。だから何だって言うのだって感じだけどねえ。

一週間なんか早いもの、先週の日曜日に無料配布の米を収穫したかと思えば、もう金曜日も終わりじゃねーか。もう歳の証拠なのか、なんだか早すぎるような気がする。いや、まだそんなに歳を食ってないはずだけど..

関東に引っ越してきて、大阪とは割り当ての違うテレビのチャンネル感覚に、まだ慣れない。そんなテレビで見ているのは、金曜ロードショーでやってる高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」だ。多摩ニュータウン開発に狸さんが反戦するって感じの内容..だと思う(ちゃんと見てない(^^;) なるほどね、自然破壊やらエコロジーやら。私も無関心ではないが、敢えてアニメにしてまで訴えたいと思うことは無い。

独断と偏見。あの手の作品は、決まったパターンが存在する。まず、初めの大前提として、昔からの「豊かな自然」が存在すること。二番目に、それらが開発などの人間的な理由により急速に「破壊」されること。三番目に、色々なエピソードを通じて、豊かな自然の「尊さ」を訴えること。まず、その三ヶ条ぐらいが重要な要素なのだ。

しかし、こうして都会に長い間住んでいる私は「古き良き自然の豊かな時代」というものをあまり知らないのだ。何故なら、そんなものは、私が物心がつく頃には既に破壊されていた。過去に消滅したものを、この目で確認することはできない。ジジィとかババァの話を聞いたりすると「あーそうだったのかな」と肯くかもしれないが、所詮はその程度のもの。そんな人間達を相手に、「昔の自然が良かった」という年寄臭い前提で「古き良き自然の大切さ」を訴えることが可能なのか? あるいは、そんな訴え自体に、意味があるのか?

私の小学校は瀬戸内海国定公園の中にあった。自然豊かな田舎にも住んだことがあるから、敢えてこういうことを言うのだ。当時を振り返ってみると、確かに、「ツキノワグマに注意」なんて看板の立ってるような山の中とかで遊ぶのは楽しいし、そういう場所に住んでいたからこそできた遊びもたくさんある。それはそれで大変良かったと思う。しかし、いざ都会に住んでみると、都会には都会なりの住み方があることにも気付くものだ。それもそれで良いと思う。だから、例えば都会のニュータウンで生まれ育った人間に、「豊かな自然こそが良い」と思える価値観が存在するのかどうかが疑問。都会には都会なりの遊び方がある。それがいけないとは思わない。

断っておくが、環境破壊を肯定するとかそんなことじゃなくて、例えば家でゲームばっかりしてるのは「正しい遊び方ではない」とか言う人間が気に入らないのだ。



アダルト?
1998年3月12日(木曜日) 雨/くもり

会社でプロバイダー事業をやっている。社員が言うのも変だけど、月額1000円で、個人的にサービスが良すぎると思ったりする。APは横浜のみだが、BUSY無し、メールアカウント2つ発行、ホームページスペースはCGI・SSI・Cコンパイラ使用可で、30MBまでOK。ちょっと宣伝してみるのだ。

ホームページエリアは30MBまで使用可能なので、色々なものを置ける。中でもサイズの大きい画像データを置くには最適だ。しかし、原則としてアダルトコンテンツは禁止している。でも、アダルトコンテンツといっても、どこまでがOKで、どこからがNGかの判断は難しいもの。自分で描いたH系の同人誌を紹介するのはアダルトなのか? 自分で描いたH系のCGは? 意見が分かれるところだと思う。私の考えとしては、CGを見るのが好きだし、そのぐらいなら構わないと思うのだが、世の中の厳しいお母様方には理解して頂けないかもしれない。

何故だか知らないけど、アダルト画像などを置いたサーバーを管理するプロバイダの責任を問う声がある。しかし、アダルト画像を提供しているのは客であり、プロバイダでは無い。つまり、プロバイダはただの通信事業者。電子情報を右から左へ動かしたり、サーバーに保管したりするのが仕事なのだ。そして、その情報が何であるかは知った事では無いし、逆に知ってはいけないことにもなっている(電気通信事業法)。そんなプロバイダに責任を問うのはおかしな話。通信業者が責任を問われるというのであれば、専用線を提供しているNTTとか、上位に繋がってるIIJとか、基幹ネットワークを管理しているWIDEも共犯と言えるのではないだろうか?


昨日の金平ゴボウの失敗が悔しくて、今日は煮物に挑戦する。小芋とか蓮根とか人参とかを煮るのだが、コイツらはもちろん冷凍のもの。生野菜の皮を剥いているほど暇ではない。そして、クタクタと煮られた野菜たちのお味のほどは..昨日のゴボウとは裏腹、けっこう食える。味がやや濃い目なのは、製造段階でも気付いていたが、ちょっと醤油を入れ過ぎてしまったため。次回はもう少し改善できることだろう。

それでも祖母が作る煮物の味には適わない。使ってる調味料は同じなのに、なんであんな微妙な味が作れるのだろう? 何が違うというのだ?(年季だよね)


新聞を取る
1998年3月11日(水曜日) 晴れ

新聞を購読したのだ。色々と考えた末、とりあえず朝日新聞にした。本意ではないのだが、他の新聞も似たようなもんだし、無難なところで朝日新聞。どれにしろ、理想的な新聞なんかありはしないのだろう。

今月分の購読料はタダ、ビール券を缶ビール10本分を持ってこさせた。私はビールを飲まないから、他に何かないのかと聞いてみたが、無いという。仕方が無いから、ビール券はある人に2000円で売りつける(笑)

今日は金平ゴボウに挑戦してみる...う、マズイ(笑) 食えないことも無いのだが、金平ゴボウの味からは程遠いもの。どちらかと言うと、「ゴボウの醤油焼き」と形容した方が正しそうな味だ。捨てるわけにも...いや、食えないことも無いのだが、自分で作ったものは無理にでも食うのだ。その他、今日は焼き肉を作る。これもタレを自分で調合してみたが、これもマズ過ぎ。今までは、「おおーうまい」と心から美味しいと思える料理ばっかりだったのに。なんか、今日はマズイ物ばっかりを食ったきがする。



家計簿
1998年3月10日(火曜日) 晴れ

家計簿をつけてみる。以前に経理の仕事をやっていたから、この手のことは初めてではないのだが、自分のゼニの動きを把握しようと思ったのはこれが最初の試みだ。しかし、こんな面倒くさいこと、いつまで続くことか..

給料が来月の10日までないので、今あるカネは以前からの繰越し資産のみ。それもそんなに豊富にあるわけではないから、それなりのケチケチ生活をしているのだ。溜めていた領収書を見ながら計算していき、領収書の残らないものは記憶を辿り、結果、出費は予想より少なかった。勘定科目別?に見ると、電子レンジとか炊飯器などの比較的金額の大きな家電を何点か買ったので、それが大きかったのと、後は引っ越し代金がぐらいが目立つところ。

予算をかなり下回っていたのが食費である。朝昼晩ともに全て自炊でやってるからかもしれないが、今までの飲食に使った合計金額が14千円弱。さて、1食当たりの金額は? 実は、意外とたくさん買ったのが調味料なのだ。まあ、醤油とかミリンなんか1本買ったら暫くはなくならないだろうから、取り敢えず今月分としては無視。そして、ラーメンを数度食ったが、これも控除する。すると、純粋な材料費は10千円程度。これで10日間生活してきたのだから、1日3食とすると、1食辺りの金額は333円という計算。うーん、金額の割には、すごく豪華なものを食ってる気がする。

なーんか、生活臭プンプンの一言。ネタがなかったので、失礼しました〜 :-)



シングルマザー
1998年3月9日(月曜日) 晴れ

月曜日。どうもエンジンのかかりが悪い日だ。昨晩も、寝る前に炊飯器のタイマーを8時セットしておいた。狭いワンルームには台所と寝室の仕切りなどあるはずもなく、私が目を覚ます頃には、炊き立てのご飯の香りが部屋中に充満している..筈だった。起きて炊飯器に目をやれば、消えているはずのタイマーのランプが光っている。炊飯器の液晶ディスプレイを見た私は、間違えて午後8時にセットされていたことに気付く。まあ月曜日なんてこんなもんさと、朝飯は諦める。

テレビでシングルマザーを紹介している。結婚はしたくない、でも子供は欲しい。そんな母親のお話である。実のところ、私も結婚したくないのだ。まだ結婚を考えるような歳じゃないだろうと言われるかもしれない。それも生まれて19年近く、恋愛経験すら無い人間だ。そんなヤツに、女と一緒になることなど分かるはずも無いのかも知れない。しかし、何となく結婚はしたくないという気持ちがあるのだ。変な話だけど、時々自分がシングルファザーになりたいと思うことがある。結婚はしたくないけど、子供は欲しい。何となく分かる気がする。

ひょっとすれば、自分の両親の影響かもしれない。家を出るまで間、ずっと見てきたが、良い夫婦だと思ったことはなかった。客観的な「良い夫婦」の基準などあるとは思わない。しかし、夫婦喧嘩で暴力をふるい、挙げ句の果てにはそれを子供に向ける夫婦なんか無い方がマシだと思うのだ。世の中には片親を一概に否定する人もいるらしい(私の母が典型的)。しかし、暴力的な夫婦と、愛情に溢れたシングルな親と、どちらの方がどう悪いというのか。

世の中にはタテマエってものがある。未婚の母(或いは父)はいけないとか、離婚はいけないとか、ナントカはいけないとか。だが、落ち着いて考えてみると、これらには合理的な根拠がない。耳を向けてみれば、妙に感情的な理由付けしかできなかったり、訳の分からない年寄りの戯言だったり、つまるところは「あってもなくても同じ」の、いわゆるタテマエってやつだ。まあ、所詮その程度のもの、いずれは消えてなくなることだろう。

友人には片親のヤツもいるし、離婚→再婚の親を持つヤツもいるし、私の周りでは、その手の家庭など、けっこう普通なのだ。そして、彼らが悪い連中かといえば、そんなことはない。世間で言われる「真っ当な親と家庭」を持つ人間にも悪い人間はいるだろうし、複雑な家庭環境で育った人間に悪いやつが集中しているかというと、それは間違いなのは敢えて書かなくても良いことだろう。というか、逆にややこしい家庭で育ったという人に限って良い人が多いのに。



収穫!!
1998年3月8日(日曜日) 晴れ

あまりにもお天気がよかったもので、またまた自転車で出かけた。チャリンコ転がして、行った先は昨日と同じ横浜駅周辺というところが、芸の感じられない部分だけど。

横浜駅西口で、「真珠伝説」という米の無料配布をしていた。一袋300gの米が無料! これは貰わない訳には行かないと、1回貰って、引き返してもう1回貰う。私が1日に食べるご飯の量が、生米の重量で300g〜350gなので、概ね2日分の米がタダになった計算だ。以前なら米など受け取ろうとも思わなかっただろうが、自分で貧乏な家計を考えるようになるとこんな計算が即座に頭の中で展開されながら米を貰ってしまうのよね。それでも流石に3回目は貰わなかったけど、甘いか :-)

その近くで、コイケヤ(製菓会社)がポテトチップスの無料配布をしていたので、これも貰う。お菓子が3袋と、赤穂の天然塩である天塩やきしお100g入りが1袋。この塩は、日本タバコ産業の一番安い普通の塩の値段に比べると、倍ぐらいだったんじゃないかな。なかなか良いものを頂いた。

と言う訳で、本日の収穫はこれだけ。





チャリでぶらり
1998年3月7日(土曜日) 晴れのち曇り+強風

今日は休みなので、遊びに行く。貧乏だから、金のかからない自転車に跨って横浜駅の方まで行ってきた。距離にして2〜3キロ程度かな、ちょっとブラリと出かけるにはちょうど良い距離だ。実は話題の映画であるタイタニックを見に行こうと思い、横浜駅西口にある、ムービルとかいう映画館に行ってみたのだ。しかし、上映時間が中途半端で、それも混んでたのでヤメ。それはまた今度でも良いことにする。

そのまま帰っては無駄足になるので、映画館の近所にある東急ハンズに寄ってみる。昨日の一言に書いた通り、ブレーカーの容量が足りない。そこで、ブレーカーぐらい自分で増設してやろうと考え、ここなら売ってるかもしれないと思ったわけ。しかし、店中を隈なく探すも、それらしきブツは見つからず。自分でメモリーとかハードディスクの増設をする時代なのに、ブレーカーは誰も自分でやらないというのか? 資格はいるだろうが、こっちの方がよほど簡単だと思う。

同じ東急ハンズの電気材料売り場に、送電線などの絶縁に使う碍子(がいし)が展示されているのを発見。電柱とか鉄塔の上についているとそう大きくは見えないが、間近で見ると結構でかいものである。これだけでも変な話だと思うが、もっと驚くことに、値札がついているのだ。実はこれらはただの展示ではなく、誰が買うのか知らないが、売り物らしい。展示されてあった中でも最大のものは、変電所などで高圧電線を支える時に使われるもの(日本碍子製)。こちらのお値段は10万円也。尤も、面白いが、そんなものを売る売場面積があるのなら、ブレーカーの1つでも置いて欲しいものだ。

帰りに横浜家というラーメン屋で昼飯を食う。普通のラーメンが600円と手頃なお値段だが、ちょっと物足りなかった。しかし私の場合は、初めて入る店では取り敢えず普通のラーメンを注文し、すっぴんの味を吟味することにしているから、それは構わない。出汁はさっぱりとしたトンコツ、やや太目のコシのきいた麺と、私の定める理想に近いラーメンを食わす店だった。問題は、出汁が一味足りないこと。ちょっとコクが足りない。

とんでもない踏切に遭遇した。前にテレビで見たような気もするので、名物踏切だったりしてね。電車がたった2本通るのに、何分も遮断機が下りている。やっと開いたかと思いきや、推定1秒半ぐらいでまた警報機が鳴り始め、私が渡り終えるころには遮断機が半分ぐらい閉まっているという危険な踏切。多分JR東海道本線と相模鉄道の共用踏切だと思うが、まさに開かずの踏切。



飯を作るのだ
1998年3月6日(金曜日) はれ

昨日のコメントに書いた通り、今日は少しだけ雪が積もっていた。

さて、飯を作るのだ。仕事は大体18時〜19時の間に終わっている。それからスーパーでおかずを買って、家に買えって調理するわけだ。そのぐらいの時刻の、閉店間際にスーパーへ行くと生鮮食料品には値下げタグがつくから、敢えてその時間を狙っていくわけだ。

本日の献立は、飯、鮭のバター焼、中華風野菜炒め(中華風って曖昧な定義だけど..)という具合である。飯は、昼休みの間に家に帰って米を洗い、つけておく。これはスーパーに行く前に炊飯器を始動させれば良いだけだから簡単だ。鮭はフライパンで焼く。ウチにはガスが来てないので、蚊取り線香みたいな形をした電気ヒーターを使うのだ。そして、野菜炒めは、いちいち生の野菜を買う気にもならないので、冷凍のものを電子レンジで解凍して使う。大体こんな感じだ。

タラタラ飯を作っていては時間がかかり過ぎる。そこで、段取り良くするのだ。電気ヒーターで鮭を焼き、炊飯器で飯を炊き、電子レンジで野菜を解凍し、ポットでお湯を沸かし、それも横目でテレビを見ながら。そのぐらいはマルチタスク的にできることだが、問題はブレーカーが飛んでしまうこと。電気ヒーターは200Vの回路だから問題は無いとして、100V系の回路が合計で20Aしか使えない。その中で調理も、電灯も、テレビもパソコンも動かさないと行けないので、飛んで当然と言えよう。台所のコンセントぐらいは別の回路に繋いでおいて欲しいものだが、どうも配慮が足りないようだ。

しかし、良く考えるとメインブレーカーは30A。これは、東京電力との契約で決まるので変えられないのである。アンペアブレーカーというらしく、こちらのように、色分けされたメインブレーカーが取り付けられている。東京電力に申し出れば大きいのと取り替えてくれるのだが、そうするとこちらにあるように、電気代が高くなる仕組み。関西電力には、こんな鬱陶しい仕組みはないんだけどなー。



寒〜い
1998年3月5日(木曜日) くもり→みぞれ→雪

やわらかな日ざしが日一日と暖かさを加えるこの頃、皆々様におかれましては如何お過ごしでしょうか。とでも書きたい季節だが、現在の天候は、それとはほど遠い。ここ横浜では昼過ぎからみぞれらしきものが降り始め、夜になると雪が降り始めた。傍らで鳴り響くテレビのニュースは、交通機関への影響を伝えている。きっと明日の朝には、表の道路にも積もっていることだろう。強風でガタガタと鳴る窓の結露が床まで流れるほど、今晩は季節外れの寒さである。

しかし、ビルの5階から4階までエレベーターを降りるだけで職場に着けるという、通勤便利な場所に住む私には何ら関係の無いことだ。雪が降ろうが、槍が降ろうが、特に影響は無く会社に行ける。通勤電車に揉まれることも無いが、これでは運動不足は必須の事。下手をすれば1日100歩も歩かなかったりしてね。そこで、自転車であちこちに行くのが好きな私は夕飯を食った後に街の随所を散策している。昨日は中華街まで行ってきたが、夜は9時前だと言うのに結構な人通りがあった。

窓の外に見える雲は、不気味に赤い色を帯びている。都会に特有のこの現象、以前にその理由を教えてもらったことがあるのだが、忘れてしまった。知ってる人、だれか教えてくださいな。



諸々のややこしい日その2
1998年3月3日(火曜日) はれ

まだ飯が作れないようでは困るので、仕事が終わってから近所のトポスへ行って生活用具を買うことにした。予算は5万円。これで色々と買うのだ。まずは電子レンジから。男の生活には、電子レンジさえあればやっていけるといっても過言では無い(かもしれない)。そこで、おおーありました。レンジ+オーブン+トースター+グリルの1台4役をウリにしたシャープのやつが、17,600円。値段的にもお得と思ったので、買った。

電子レンジを持って帰ってから、もう一度トポスへ。電子レンジでも飯を炊けないことは無いが、やっぱり炊飯器がいる。東芝の3合炊の炊飯器が1万ちょい。もう少し安いのもあったが、毎日使うものだし、ちょっと良さそうなものを買ったわけだ。そのまま、安くなってたブリの切り身と、米5キロ、その他諸々の調味料などを買い込んで帰宅。炊飯器を箱から出すや否や、すぐにご飯を炊いた。1合だけ早炊きモードで炊いたが、やっぱり炊き立てはうまい。

ブリは塩をふってフライパンで焼く。これでも焼き魚らしくなるから、手軽でよろしい。味噌汁は作っても良かったが、あまりにも面倒なのでインスタント。しかし、生味噌のインスタントは結構おいしいので、別に構わない。急須を買うのを忘れて、お茶は自販機で買った缶入り。これはおいしくないが仕方が無い。

というわけで、今日の晩飯はご飯(梅干し付き)+ブリの塩焼き+味噌汁+お茶。それなりに食えたが、野菜っ気が無いねー。

今日買おうと思って買えなかった、明日買わないと行けないものは、ポットと急須。実家から持ってきた茶葉はあるのに、これらが無いとお茶も飲めない。後はヘアドライヤーぐらいかな。



諸々のややこしい日
1998年3月2日(月曜日) はれ

先日の天候とは裏腹に、今日は良い天気だった。関内の方にある区役所へ遠征し、転入届けを出そうとしたのだが、ちょうど着いたのはお昼前。区役所のやる気の無い、感じの悪いジジィが、「もうすぐ昼休みだから、とっとと書け」と急かしてくる。「分かりました」と言わんばかりに、わざと届け用紙をゆっくり書いてあげた。このジジィは接客業務のあり方というものを知らなかったばかりに、昼休みが5分ぐらい少なくなってしまったようだ。

あとは、東京ガスが開栓に来て、NTTが電話を繋ぎにきて、それから夕方になってからやっと引っ越しの荷物が届く。よかった。お湯が使え、電話も使え、昨日の死にそうな生活から開放される。

しかし、まだ生活用具が足りなく、飯を作るほどの設備が整ってない。近所のラーメン屋で夕食を済ませ、とりあえず家に帰って荷解きをする。

会社の人のご厚意で、部屋までLANをひいてくれた。10Base-2で10Mbpsでルータまで、それ以遠も1.5Mbpsだから早い早い。快適ですねー。


横浜いく
1998年3月1日(日曜日) みぞれ

午前5時半に起きて、家を出たのは6時前。6時過ぎの電車に乗った私は、横浜へと向かう。久しぶりにこの時刻に起きると、眠たい眠たい。新幹線の新大阪駅に到着したのは、7時まえごろ。朝食としてお弁当を買って、7時ちょうどのあずさ2号..じゃなくて、ひかり号で東へと向かう。名古屋ぐらいまでは意識があったが、早起きしたためか、そのまま寝ちゃって起きたのは小田原の辺。

んが、横浜に着くと、雨? いや、雪かみぞれか、その類の物が降っていた。その日、大阪はそんなに寒くなかったからシャツにジャンパーを来てきただけだったが、寒いはなんのって。吹き降りのみぞれのような天候の中、新居の方に向かって、それから不動産屋に鍵を取りに行ったりしたわけ。

そうこうしているうちに、引っ越し屋からPHSに電話が入った。なんと、トラックが故障して、静岡で止ってると言うのだ。荷物は本日来るはずのだったのだが、今日中は無理。明日(月曜日)になってしまうかも知れないと言ってくる。まあ、事情が事情だけにモメても仕方が無いから、上品に了解した。結局その日に到着することを前提に準備していた私は、がらーんとした部屋を掃除するだけ。

しかし、ある人が布団を貸してくれて、寝ることだけはできた。感謝感謝。