多事毒論(1998年11月分)




手相?
1998年11月30日(月曜日) はれ/あめ

11月も今日で終わり...何だか知らないが、日が経つのがとても早く感じられる。ガキの頃は一日が非常に長く感じられ、俺の人生は一体いつ終わるのかという感じだったが、この調子だと焦らなくても良いかもしれない。日本では長寿を重んじる風潮があるが、わたしははっきり言ってあまり長生きはしたくないのだが、手相を見れば生命線はやたら長いような気もするが...相対距離だとすれば分からないが、絶対距離だとすると、次第に短くなってくれることを切に願う。

ところで、昔の手相と比べると変化している。記憶に基づいているので正確ではないだろうが、昔はあったはずの線が消えていたり、新たな線が登場してたりするのだ。まあこういうものが当たるのかどうかは知らないし、手相を信じているわけでもないが、話の種としては面白い。この際だから、いたずら半分でわたしの手相をスキャナで取り込んでみた(でも、おふざけが嫌いな方は見ないでおくのが無難かも)。誰か手相に詳しい方はいないだろうか、手相の写真など見て何かわかるもの?

手相ではないけが、血液型で人間の性格を見ることにも賛否両論がある。確かに性格と血液型には相関関係があるという人もいれば、色眼鏡に過ぎないというや、何ら関係はないという人もいる。しかし、わたしは血液型と性格には何らかの関係があると考えているのだ。ある人間の性格に見られる傾向という面から観察すれば結果が無関係な条件によって左右されかねないが、たとえば、ある特定の職に就いている人間の血液型を調べるというように、統計的に見れば信じざるを得ない。具体例を挙げれば、わたしの周りで会社を経営している人間は、どういう訳か、殆どがB型だったりする。

どうでも良い話だが、特に付き合いの長い人には、幾らわたしの血液型はA型だと言い張っても信じてくれない。ちゃんと調べてもらってABO式でA型、Rh陽性という結果が出たので間違いはないと思のだが、周りからは何故かO型、ある時にはB型だと言われてしまう。わたしは几帳面なA型人間だと自分では信じているのだが、そのうち襤褸が出るためか次第にいい加減な性格ばれてしまうそうで、たちまちA型が否定されてしまう(妙なところだけはマメらしい)。そりゃ確かに机の上には書類が散乱してたり、その上にお茶をこぼしたり、さらには急須を黴だらけにするようなこともあるが...それでも、わたしはA型なのだ!



カマンベールチーズ
1998年11月29日(日曜日) はれ

スーパーで買い物をしたたら、カマンベールチーズなるものが目に入ったので買ってみた。カマンベールを口にするのは、これで生まれて二度目だ。カマンベールを初めて目にしたときは、果たしてそいつをどうやって食うのが正しいのか、悩みに悩んだ。今まで雪印6Pチーズが標準であったわたしのこと。その生柔らかい円盤状の物体は、白っぽく不気味な皮で覆われており、どうみてもチーズではない。ナイフを入れると内部からクリーム状のチーズらしきものが現れたが、中身だけを切り出していたら日が暮れてしまう。

眺めていてもしょうがない。取りあえず食いもんだから毒はないだろうと判断、この難攻不落の物体を、丸かじり作戦で攻め落とすことに決定した。我ながらなんと大胆不敵なことか! ガブっ!! うえー苦い!! 恐るべしカマンベールチーズ。その後の敗因検証の結果、どうやらあの白い皮が不味いらしい(白黴だもん)。カマンベールの食べ方を人に聞いたところ、やはりあの白いところは剥がして、中身だけを食うのが正しいということらしい。

そして、前回の失敗を繰り返さないためにも、本日もう一度チャレンジするのだ。包丁で丸いチーズを四分に切り、そして丁寧に皮を剥く...のだが、面倒臭すぎる。中身はクリーム状だし、剥きにくくてしょうがない。イライラしてきたので中身のチーズを食ってみたが、やや塩っぽいだけのネチネチしたクリームに過ぎない感じがしてきた。もういい。面倒だから再び丸かじり、白黴も食道に流すことで処理した。イラチな庶民には、やはり雪印6Pチーズが適しているのだろう。



クリスマス?
1998年11月28日(土曜日) はれ

今日はお買い物に出かけたが、どこのお店も既にクリスマス気分のようだ。まだ11月だというのに、気が早い。特に東急ハンズへ行ったら、1階と2階がクリスマス関係の売り場に一変していたので驚いた。大体、大半の日本人にクリスマスを祝う意味は存在しない。まあ、良く分からないけれど楽しければ良いやってところだろうか。それに、恋人がイチャイチャするための行事でもない。今年は休みだが、去年はイブもクリスマスも仕事。当たり前でしょ、平日なのに。

小さなお子様がいるご家庭では、クリスマスツリーを用意されているかもしれない。殆どのところではプラスチック製のクリスマスツリーを使っているだろうが、本格的にやってるアメリカでは本物の木(恐らく松)で出来ているツリーを使う家庭も少なくない。しかし、これはアメリカで消防士をやってる人に聞いた話だが、クリスマスツリーって意外と燃えやすいそうだ。プラスチックの物も燃えるそうだが、本物の木は一旦火が付けば消すのは難しいという。初めは水分の多い木も次第に枯れ、より燃えやすくなる。12月の終わりぐらい、つまりクリスマス前後が最も危険な状態にあるそうだ。

そのため、ツリーを暖炉の側に設置したり、蝋燭などを飾ることもあるが、それらの火がクリスマスツリーに引火し、幸せであるはずのクリスマス当日に火災を起こす家庭は後を絶えないそうだ。プラスチック製の物でも、あのフサフサとした葉はいかにも燃えやすそうな感じがする。ツリーを立てる際には、ツリーの難燃性や、周囲の火の気を確かめた方が良いだろう。探せば、こんな資料があった。毎年、クリスマスツリーが原因で400軒以上の家が火事になり、死者40名、負傷者は100名も出ているという。

どうでも良いが、エステ関係する装置の仕事が入ってきたので、ファームウェアを担当している。だが、なぜ女性はそこまでして美貌を求めるのか、不思議なのだ。わたしにも持って生まれた身体に不満が無いわけではないが、こればかりはどうしようもないと諦めるしかない。しかし、女性には現実を加工するという、男性にない強みを持っているのも事実だと思う。衣服にしても男性とは比べ物にならない選択肢があり、奇抜な服を着るのは、男性よりも女性の方が多いだろう。化粧をしたりエステに行ったりして、気分だけに過ぎなくとも、自分が変わった気になれるだけ、女性は臨機応変に生きているのではないかと思ったりする。

今日はコシヒカリ特集を写真館に追加した。



更新報告
1998年11月27日(金曜日) くもり

今日はビデオカード画質改善改造を突撃実験室の記事としてまとめた。なんちゅうか、図を書いたり撮影した写真の整理をしてたら、時計は午前2時を指している...今日こそは早く寝ようとしていたのだが、結局この時刻か。
というわけで、今日はこの辺で失礼。



プリンタ
1998年11月26日(木曜日) はれ

会社で使っているエプソンのプリンタ (PM-600C) を久々に使ったら、どうも調子が悪い。印字が擦れるのだ。試しにドット欠けを検査するパターンを印刷してみると、黒色の何ドットかが詰まっているようで、インクが出ていない。同じエプソンのプリンタを所有している人の話によると、こまめに使わないとインクが詰まってしまい、ドット欠けが起こるとのこと。確かに、いつもはコピー機と一体になった別のプリンタを使っているので、エプソンの方は、それでないと行けない事情が無い限り使うことは少ない。その人も、同じような理由で何度か修理に出したそうだ。良く使っている限り、問題は起きないらしい。

しかし、物は家庭用のプリンタだ。普通の家でそんなにしょっちゅうプリンタを使うことがあるとは考えにくいのだ。買ってきた直後に嬉しくて何枚か刷り、後はたまに必要になった時だけ、大量に刷るのは年賀状シーズンぐらいというパターンが多いという気がする。だとすれば、ドット欠けで修理に持ち込まれるプリンタの量は、計り知れないだろう。必要もないのに、いつも使わないと壊れるプリンタなんか、インクがいくらあっても足りない。プリンタ本体の値段はそう高くないと思うが、その値段にしてはインクは高価だ。プリンタ業界は、まさに消耗品産業だと思ったりする。

さてさて、壊れた物はバラしてみるのだ。印刷部分の機構はやや複雑で分解性はあまり良くないが、頑張って部品を外すと印字ヘッドが外れる。ヘッドには各色インクを吹き出すためと思われる穴があり、詰まったとすればそこであろう。インクジェット系のインクはイソプロピノールが溶媒と推測されるので(少なくとも昔はそうだった)、小皿にイソプロピノールを入れ、ヘッド部分を浸してみた。こんなことで治るかどうかは分からないが(むしろ悪化する?)、詰まったインクが溶媒中に溶け出して詰りが解消されるだろうという、安直な考えだ。

ヘッドをしばらくアルコール漬けにしておくと、確かに鮮やかな各色インクが溶け出してきて、ややアーティスティックだ。雰囲気的には、珪酸ナトリウム水に金属塩を落とした感じの物だ(俗にケミカルガーデンというのかな)。わたしがそれを眺めてると、後ろから別の人がインクを受ける部分にもイソプロピノールを撒いて、止めを刺す。本当に大丈夫かいなって気がしないでもないが、アルコールにインクが出なくなったので元に戻した。試し刷りしてみると、印字品質は前より更に悪化している。というか、カラーが全然でないのだ。これはまだアルコールが溜まっているからに違いないってことで暫くクリーニングしてると、取りあえずは治った。しかし、ドット欠けが改善されるには至らない。うーん...

ところで、家庭用のプリンタの価値は如何ほどの物なのだろう。インクジェット系のプリンタがドット詰まりを起こすという話は良く聞くが、こんなことがしょっちゅうあるようでは使い物にならない。実際、わたしも自宅で何かを印刷することは殆ど無い。一応、本当に初期型の、古いキャノンのカラーバブルジェットプリンタ(それも日本では売られていないUS仕様)を所有しているが、滅多に使わないので埃をかぶっている。大体のことがペーパーレス化しているので、PDF資料がどうしても紙で欲しいときなどと、その必要性は限られている。



ビデオカード
1998年11月25日(水曜日) はれ

先日から新に導入したビデオカードのRevolution 3Dだが、前に使っていたMillenniumよりかなり画質が悪い。どう悪いかというと、ドットの滲みが激しく、極端に言えばテレビのゴーストのようなものが現れる。分かる人には分かると思うが、インピーダンスの合っていない安物のモニタケーブルや、モニタ切り替え器を用いたときに現れる、二重になった画像と同じような感じだ。特に、白っぽい色のバックグラウンドに濃い色の文字や図形などを並べると顕著に現れる。

Revolution 3Dが悪すぎるのか、それともMillenniumの質が良すぎたのか、他に比較基準が無いのでわからないが、とにかく気になってしょうがない。が、折角買ったカードを使わない訳にも行かないので、Revolution 3D 画質改善計画に乗り出した。まずは、モニタケーブルの品質なども疑ったが、Millenniumでちゃんと写るのだから無罪と判断。これはDAC出力の周りに原因があるに違いない。さっそく、回路を解析した。

DACから出てきたRGBの信号線には75Ωの抵抗がグラウンドとの間に接続されており、それからフェライトコアと思われる部品を通過する。そして、モニタのコネクタへと向かうのだが、その直前に容量不明のコンデンサがグラウンドとの間に入っていた。まずは改造計画だが、フェライトコアを外してジャンパを飛ばすと画質が改善されるとの話が、こちらにある。簡単なのでさっそく実行してみるも、たいして変わらない。問題は、他にもあるらしい。

次に疑ったのが波形の鈍りや、信号反射によるゴーストだ。取りあえず、出力直前についている、謎のコンデンサが怪しげだったので、取ってみた。しかし、その結果はドットが濃厚になっただけで(意味わかる?)、画質が大幅に改善されたとは言えない。詳しい人の話によれば、このコンデンサはローパスフィルタ的なものではないか、ということ。良く分からないが、そうかもしれない。それから試行錯誤を繰り返したのだが、何をやってもたいして改善されないか、悪化するだけ...あーあー、半田の熱でパターンが剥がれてきちゃったし。

イライラしてきて諦めかけたとき、目に入ったのが75Ωの抵抗...ビデオ回路に入っている75Ωの抵抗は定番中の定番だから、最初から疑いもしなかった。でも、考えてみると改造されていないのはコイツしかいない。そこで、代わりに会社にあった100Ωのトリマを入れてみた。抵抗値を75Ωよりやや高めに設定して起動してみると、なんか知らんが美しくなったではないか! まだちょっと滲むが、抵抗チューニングを最適化すればもっと奇麗になるかもしれない。



何を守る?
1998年11月24日(火曜日) はれ

ちょっとトレンディな歌を聴いていると、やたらと多用されている割に、詳しい意味はよくわかんない用語がある。そうなのだ、勘の良い皆様はもうお気づきのことだろう。「あなたを守っていきたい〜」なんて歌詞に代表されるように、どういう訳か男は女を守りたがる。しかし、男はいったい何から、具体的に何を守りたいのだろうか? 今日は、「守る」ということについて、実例(うそ)を元に考えてみたい。

・ケーススタディ1:

隆志(27)と美穂(24)は、1週間後に結婚式を控えていた。待ち遠しい式、希望に満ちた未来、苦労人であった二人にとってこれほどまで幸せな日々は、かつて一度も無かったことだろう。そんな日の夜、隆志は美穂を夕食に誘った。これが恋人同士の最後の晩餐かもしれないねと、そんな話をしながら、二人は決して豪華とは言えない料理を満喫した。そして、隆志がレジで支払いを済ませてる間、酔いが回った美穂は、夜風に当たろうと一歩先にレストランの外に出ていた。おまたせ、と隆志が続いて外に出たとき、彼は美穂が男に金を要求されている光景を目の当たりにした。

現場に近寄った隆志に、男は「金、だせ」と静かに告げた。「わ、わかった...」隆志は暴漢に対しそう返答し、すかさず「美穂逃げろ」と叫んだ。両手をジャンパーのポケットに入れたままの無防備な男から、逃げられないはずは無い。美穂は素早く男の側から立ち去る。しかし、怒りを露にした隆志は、そんなことには全く気づかないまま男に拳を向け、殴り掛かろうとした。その瞬間、男は右のポケットに隠し持っていたナイフを取り出し、向かってくる隆志の腹部を一刺し。そのまま逃げておけば事無きを得たものを、隆志は判断を誤った。

悲鳴を上げる美穂に気づいた通行人が救急車を呼び、そしてまだ意識のある隆志は病院へと搬送された。まだ生存の見込みはある。そう信じてベッドの側に付き添った美穂の期待を裏切るように、事件の3日後の朝、隆志は腹膜炎により息を引き取った。その午後、美穂は病院近くのマンションより投身。薄汚れた非常階段の7階踊り場より加速を始めた美穂の体が、鈍い音をたて真下の歩道に落下するまでの永遠とも感じられる間に、美穂は何を想い、隆志の元に旅立ったのだろう? 実はこの時、美穂は高志の子を身籠っていた。こうして、3つの命と、夢、希望は儚く散ったのであった。

後に逮捕され犯行を認めた容疑者は、遊ぶ金欲しさの犯行だったと取り調べで話した。

→解説
悲しい事件と言えるが、隆志がそのまま立ち去っていれば、このような事態には至らなかったであろう。女を「守る」ことに執着したがためか、あるいはかっこいいところを見せようとしたためか、真意はそんなところであると考えられるが、避けられる危険は素直に避けるべきである。結局、守ることは無駄に等しいということを、この事件ははっきりと物語っている。


ケーススタディ2:

もーやめ(笑) ちなみに、わざと意味を取り違えてるだけです、はい。

話はがらりと変わるが、昨日書いた、皇帝のオカマ側近さんの話。彼らは、正しくは宦官(かんがん)ではないか、という情報を何件か頂いた。宦官とは、わたしは知らなかったのだが、宮廷に仕えた去勢男子のことらしい。なぜ去勢男子でなければならないのかちょっと疑問に思ったのだが、要はタマ取り済みなので、密通不能というメリットがあるらしい。小さいうちに去勢すると、体質的に男っぽく育たないという話も聞いたが、そうならば、オカマっぽくなるのも当然だろう。



始皇帝暗殺
1998年11月23日(月曜日) はれ

土曜日に始皇帝暗殺を見てきた。一言で感想を現すとすれば、「中島みゆき」って感じかなー。って言うとすごく意味不明だが、なんか裏切りを中心としたメロドラマという気がするようなお話だった。後は歴史を勉強してれば、もう少し面白かったかもしれない。当時の国の動きなどを把握していないと理解しにくいものがあると思う。そういう基本的なところは、視聴者は知っているものとして省略されている感があったので、特に歴史が苦手なわたしには、ピンと来ないところがあった。秦とか、趙とか、突然言われても難しい。

あと、製作者はしきりにスケールの大きさを強調している。確かに、咸陽宮を完全再現したセットでの撮影や、余計な演出に頼らない戦争シーンは特筆すべき点が多い。撮影に使った咸陽宮の再現セットは見るからに巨大で、よくそんなものを作ったという感じだ。撮影後はテーマパークか何かにするそうだが、可能なら一度行ってみたい。あるいは、戦争シーンも、その辺の映画とは次元が違いすぎる。広野に、目を疑ってしまうぐらいの数の兵が並んでたりして、ありゃ人口の多い中国じゃなきゃ撮影は無理だなという、やや皮肉な気分で見てた。

しかし、折角の壮大なシーンは、実際のところあまり印象に残っていない。スケールが大きいだけのメロドラマにはちょっと勿体無かったか、もう少し話に濃厚さを持たせさえすればより生かせたと思うので、少々残念である。ところで、ちょっと気になったのだが、何故かオカマっぽい男性が何名か出てくる。実際、彼はオカマでもホモでもないと思うのだが、どういう訳か雰囲気的にそういう感じなのだ。詳しい役職は知らないが、立場としては皇帝の世話役。秦の皇帝はオカマ趣味でもあったのかなー、でも良く分からない。

ちなみに、いままで見た中で一番出来が良かったと思う戦争シーンは、ブレイブハートのそれだと思う。メル・ギブソンの演技も板についてたし、カメラワークと人海戦術だけで実現したと思われる全体的な迫力は、下手な演出でのごまかし撮影では得られなかっただろう。アカデミー賞とかいっぱい取ってたと思うが、それだけの価値はあると思う。まだ見てない方は、いっぺん見るべし。

ぜんぜん関係ないが、1997年5月8日に「鏡張りのビル」という題の話を書いた。最近多い、窓が鏡になっていて、太陽光がやたらと反射する鬱陶しいビル。暑いわ眩しいわで、わたしは大嫌いなのだ、それと同じ話が先日の新聞に載っていた。なんだか、上海では建設禁止らしい...日本でもやってくれないかな、これ。





不正アクセス防止
1998年11月22日(日曜日) くもり

数日前、朝飯を食いながら新聞を読んでいたら気になる記事が目に留まった。なにやら、警察庁が「不正アクセス対策法制」なるものの制定を検討しているらしい。仕事でネットワーク管理などもやっているので、無視するわけにはいかないものだ。詳しい話は警察庁のサイトに掲載されており、同時にそれに関する一般からの意見募集なども行っている。日本でも計算機やネットワークは大いに発展しているが、不正アクセス自体を規制するような法はなかったことを鑑みれば大きな進歩であり、これは重要なことであろう。

その趣旨は、警察庁のサイトに掲載されている記事から引用すれば、

不正アクセスが犯罪の手段として用いられている実態があり、今後電子商取引の進展や行政情報化の推進に伴い、このような犯罪の増加が予測されることから、犯罪の防止を目的として、不正アクセスの禁止等を内容とする法制の整備を図る。

ということだそうだ。今更という気がするが。

役所というところは是が非でもカタカナは使いたがらないという話は以前にも書いたが、これに関しても同じだ。警察庁のサイトの記事をみれば、「特定電子計算機」なんて意味不明の用語が登場する。それが何かというと、事業の用に供され、公衆回線と接続している電子計算機であって、当該電子計算機の使用者が当該電子計算機による情報処理の全部又は一部について利用者識別情報等(ID・パスワード)により利用者を制限す る措置(アクセス・コントロール)を講じているもの、らしい。

そして、「不正アクセス」の定義は、上記で説明した「特定電子計算機」に、いわゆるクラッキングのような行為でログインすることを言うらしい。逆を言えば、個人が使っている計算機は、被害法規制の対象とならないと明記されている。従って、いまご覧のサーバーはわたしが個人で立ち上げているものであり、また事業用ではないことから、めぐみへの不正アクセスは、この法では罪には問えないということになってしまう。愛しのめぐみちゃん(サーバの名前ね)がいぢめ放題だなんて、お前の女は強姦されても罪にはならない、と言われているようなもんだ。

さらに馬鹿げているのは、こちらの図をご覧いただければわかるように、家庭のサーバーは専用回線でネットワークに接続されていても、「不正アクセスの対象とならない電子計算機」と位置づけられているところだ。警察庁の定義はともあれ、その文字列を素直に日本語として解釈すれば、個人が管理する計算機は「不正アクセスの対象にはなり得ない」もの、言い方を変えれば「個人が管理する計算機で、そんな物騒なことは起き得ないし、起きたとしても大した被害はないでしょ」と言っているようにしか取れない。この辺に関しては、以下のように考えているようだ。

対象となるコンピュータについては、不正アクセスを受けた場合に重大な被害に結び付き、その影響が他にも波及するおそれがあるものとすることが適当である。このようなコンピュータとしては、企業、官公庁等の事業のために使用されているコンピュータが想定されることから、個人的に使われているパソコンは除くこととする。

しかし、個人のサーバがクラッキングされないかというと、そんなことは全くない。中途半端な知識しかない個人が管理している計算機こそセキュリティが甘く設定されており、クラックするには極めて合理的だ。OCNエコノミーでぶら下ってる個人サイトを探せば、 rootのパスワードがrootだったり、ルータのパスワードが設定されていないところもあるだろう。それも法規制を受けないのであれば、格好の標的にされてしまうことは想像に難しくない。警察庁の「個人の計算機が攻撃されたところで、大した損害は生じない」との見解は、確かに間違いではない。だが、不正アクセスは単にアクセスされるだけでは止まらないのが普通だ。クラッカーは自分の身元を隠蔽するために、しばしば他人の計算機を「踏み台」にし、あたかもその計算機の利用者が攻撃を行ったように見せかけるのが普通だ。

とはいえ、警察庁も踏み台について全く理解していないわけではないようだ(当然だが)。先に説明したように個人の計算機だって踏み台にされれば、大きな「影響が他にも波及する恐れ」が大いにあるし、警察もその辺の問題を無視しているとは考えにくい。警察庁の考えも全く的を外したものではない。次に書くような「義務」の規定もあり、個人が管理する計算機にまでその義務を課すのは、難しい点も多いと思う。中途半端な知識で初心者本を読みながら運営しているような計算機で、警察庁が要求するようなレベルの管理が可能であろうか? ぶっちゃけた話、素人が管理する不安全なサーバを禁止するぐらいしかない気もするが、それも現実的ではない。

この法制には、「特定電子計算機の使用者の義務」というものも定義されている。つまり、特定電子計算機の使用者は「パスワードの適切な管理やアクセスコントロール」、それから「アクセスログの三ヶ月保存」などが義務化されるわけだ。これは重要なことで、不正アクセスを防止し、仮に起きたときでも迅速に対処できるようにするには、ログに頼るほか無い。しかし、ログの保存義務も個人の計算機は除かれており、仮に「踏み台」攻撃が起きた場合には「ログがないので、どこからログインされていたか分かりません」って話になりかねない。

このログの三ヶ月保存だが、httpdが吐くログが対象になっていたら、大変なことだ。幸いにも、httpdのログは認証に関わるログではないので、残す必要はないようだが。しかし、httpdのログはこのサーバでも1週間で8MBほど溜まる。3ヶ月で100MBだよ? これが、プロバイダのサーバのように激しいところなら、3ヶ月間残すには巨大な記憶媒体が必要だ。メールサーバの認証ログは残さなければならないようだ。プロバイダのメールサーバなら、ユーザが激しくメールチェックを行うので、これもかなり巨大なものになると予想される。あー、大変。

すみません、始皇帝暗殺は明日にでも...



MS帝国はどこへ行く?
1998年11月21日(土曜日) はれ

今日はちょっとだけ良いことがあった。特に目的も無く、ランドマークプラザを散策していたときのことだ。

何気なく階段を昇っていたら、なんと
上からきて、叫びながらわたしに抱き着いた。突然のことに何が起きたのかを解明するのに一秒ほど要したが、そのまま下まで落ちたら危ないということは直ぐに理解できたので、素直に受け止めてあげる。体勢を整えながら頻りに謝る女に「大丈夫ですか」と、わたしは心配の言葉をかけながら、すぐさま目に入った女を吟味する。しかし、その時、既に出力バッファに用意されていた「お茶でも...」の一言は、自動的にフラッシュされてしまった。落ちたのが、その女のツレの方だったら、間違いなく言っていた気がする...でも、落ちてきた方も極端なブスではない。今日は、ちょっとだけ良いことがあった。

本日の朝刊によると、MSKK(日本法人の方)が公正取引委員会から抱合せ販売を今後は行わないようにと排除勧告を受けたという。事の経緯はともあれ、MSが抱き合わせ販売を行っているのは火を見るより明らかなこと。当然の結果であろう。ざま見ろ>成毛。しかし、朝日新聞もいい加減だ。LinuxがMSの脅威になっているような話を掲載し、Linuxの開発経緯を「フィンランドの学生が既存のユニックスOSを改良し」と説明しているが、事実ではなく、Linuxはフルスクラッチされたものである。こりゃ、今ごろはLinuxのメーリングリストで叩かれているのだろう(よりにもよって朝日だし)。

最近はPC-Unixの普及などが期待されており、MSの独占状態にも終止符が見えてきた気がする。フリーのOSが脅威であることはMS自身も認めるところで、ちょっと前にMSから流出したと言われる内部戦略メモ日本語訳もある)が、エリック・レイモンド氏の注釈付き(これがまた面白い)で公開されて話題を呼んだ。しかし、Unix系のOSは、やはり初心者には敷居が高いと思う。コマンドUIは寡黙だし、デバイスドライバ周りも面倒くさいことが多いし、インストールもWindowsほどすんなり行かない。この辺が、もう少し改善されれば良いのだろうが、そうでない間は、マニアックな領域に居続けるように思う。わたしはいつもWindowsを叩くような記事ばかり書いているが、WindowsはWindowsの領域を超えない限りは良いOSだと思う。問題は、MSがその領域を優に超えた使い方を推奨しているところと言える。ミッションクリティカルなサーバーにNTなんか、使えないでしょ。

MSと対比されることが多いPC-UnixはやはりLinuxだが、わたしはFreeBSDユーザだ。別にLinuxが嫌いというわけではないのだが、最初に触ったものがBSD系のOSだったので、そうなってしまった。FreeBSDとLinuxを比べるのはナンセンスなので止めておくが、個人的な観念から言えば、FreeBSDは保守的であるのに対し、Linuxは革新的なイメージがある。Linuxのように、斬新的なことは何でもやっちゃうという方針は、日進月歩のPC市場においては極めて重要なことだ。しかし、もし今までもそのような実装しか行われいなかったら、Unixは既に歴史の産物となっていただろう。もっと保守的なスタンス、つまり互換性・将来性・拡張性などを十分に吟味した設計というのは、Windowsの二の舞にならないためにも必要なことだ。FreeBSDは、どちらかというとその方向ではないかと思う。

今日は映画「始皇帝暗殺」見てきたが、長くなったので感想は明日にでも書きたい。



NHK参上
1998年11月20日(金曜日) はれ

そういえば先日、PCをいじっていたらNHKの集金がきた。今までも何度か来た形跡はあった(口座振替の用紙がポストに入れてあった)のだが、不在だったので徴収はできなかったようだ。数日前から、何となくNHKの集金が来そうな気がしていたので、用心はしていたのだ。嘘と思われるかも知れないが、わたしの予知は何故か良く当たる。今日は○○から電話がかかってくるんじゃないかとか思ったら、結構な確率で本当に電話がかかって来るのだ。自分でも時々不気味に思うことがある。

NHKが来る少し前に会社の人が家に忘れ物を届けに来てくれたのだが、そのときはもしやと思ってテレビの電源を切ってからドアを開けた。電源を切った方が、取り立てが煩くないだろうという判断したからだ。それからしばらくして、もう一度ドアベルが鳴ったのだが、その時は手がふさがっていたので、電源を切らなかった。で、テレビ全開でドアを開けたら、立っているのはNHK集金員の女性。半年来なかった人間が、やっと参上したというわけだ。もっとも、頭からNHK料金など払う気はないが。

NHK「あのぉ、こちらの受信契約をお願いしたいのですが...
わたし「はあ、そうですか。(やる気なし)
NHK「実はこのビルは共同設備になってまして、カラー契約とは異なり...

集金員の話によると、このビルは普通のアンテナではなく共同アンテナを使っているらしく、それもVHF帯でBSを再配信しているらしい。従って、普通のカラー契約ではなくて衛星契約をせよ、という感じのことを言う。わたしはそんな話は聞いていないし、事実、BSは見たことが無い。大体、ビルの屋上には地上波のアンテナがのみ立っており、BSをご覧の他の入居者の方はベランダにパラボラを置いている。集金員の話はどうも嘘臭いが、追加設備なしでBSが写るなら嬉しいことだ。説明を聞くことにした。

NHK「BSや、放送大学やテレビ神奈川が空いているVHFチャンネルで配信されていて...
わたし「それは知らなかったですね。屋上にアンテナが立ってますけど、本当に共同設備なの?
NHK「じゃ、屋上に共同のパラボラがあるんですか?
わたし「パラボラはないみたいだけど、地上波のアンテナなら立ってますね。
NHK「え..ええ、そうですねぇ。一度、テレビで空いたチャンネルを見ればわかります。
わたし「じゃあ、後で調べてみます
NHK「ご自分でテレビのチャンネル設定できますか?
わたし「できますよ、そりゃ(普通できるだろ)
NHK「そうですか...では、取りあえず今日はカラー契約だけでも...
わたし「あー? 忙しいんでお引き取り下さい。

と、話を聞くだけ聞いて、契約の話になると掌を返したように追っ払う。しつこい奴だと困ると思って吐き捨てるように言ったのだが、顔に「払う気はありません〜」と書いてあったし、一言で帰ってしまった。やる気の無い集金員だったが、また来るかも知れない。で、さっそくテレビのチャンネルをいじるのだ。調べてみると、確かに普通はUHF帯で放送されているはずのテレビ神奈川と放送大学は、VHF帯で再配信されていた。ここのUHF放送の電界強度は極めて弱く、恐らくVHFで見ろということなのだろう。

ところが、VHF/UHFすべてのチャンネルを調べたが、集金員が言うよなBSが再配信されているチャンネルは見付からなかった。金をかけずともBSが見られるようになると少しだけ期待したので、少々残念なのだ。しかし、するとあの集金員は出任せを言っていたということになる。確かに、集金員が言う通りテレビ神奈川と放送大学は配信されていたが、それで衛星料金を取ろういうのだろうか? あのクソアマぁ〜 こんど面見せたら、絶対にいじめてやると、夕日に向かって誓うのであった。



続々・ビデオカード
1998年11月19日(木曜日) はれ

というわけで、100MHzの4.5倍にしちゃったセレロン、負荷をかけていぢめてもぜんぜん問題なかったというのに、メールを読んでいただけでハングしてしまった。本当に読んでいただけで、何もしていないのに落ちてしまうとは、これまたどういうことなのだ? オーバークロッキングの第一人者(要するに廃人)に尋ねたところ、そんな場合は、CPUの電源電圧を上げると安定する可能性があるという。さっそく、やってみるのだ。

セレロンは、ノーマルでは2ボルトで動いている。これを2.2ボルトに上げれば良いというのだが、それを実現するには、マザーボードの電圧レギュレータを改造しないといけないものと思っていた。そんな面倒くさいことはしたくないよ...と思いきや、スロット1には電圧設定端子があるので、それをごまかすだけで良いらしい。むむぅ、そりゃパターンカットか? いやいや、セレロンの端子部分にセロテープを貼るだけで済むそうだ。セロテープ...清水アキラのモノマネじゃあるまいし...

で、いわれた通りにセロテープを貼ってみる。セレロンの端子構造が2段になっているのでやや貼りにくいが、セロテープをべっとり貼って余分なところをカッターで切るだけで良い。マンガにトーンを貼るような要領だ。すると、ちゃんと2.2ボルトで動き始めた。BIOSが電圧異常の警告を出すので、そんなことは無視するように設定。今も2.2ボルトで使っているが、今のところ特に問題は起きていない。また突然ハングするかもしれないので、様子をみるしかないだろう。なんだか毎日「初心者のオーバークロッキング奮闘記」みたいな無意味なものを書いている気がするので、この話はそろそろ終わりににする。

オーバークロックの限界は、必ずしもハードの限界であるというわけではないようだ。詳しい理由は分からないのだが、何故かOSを選ぶ。たとえば、いまわたしがいじっているマシンは Windows NT が動いていており、これだとセレロンを無茶なクロックで動かしても然したる問題はない。ところが、同じマシンでも FreeBSD はまず動作しない。先日、会社のマシン(セレロン266の400MHz駆動)に FreeBSD を入れようとしたら、インストーラがカーネルを解答する段階で止まってしまった。まあ、これはハード的な限界も考えられるが、一般的にそうなのだ。

これはどういうことか? Windows はCPUの使い方に無駄が多いが、FreeBSD は限界までCPU使っているのでオーバークロックに絶えられない、と考えることもできる。あるいは、タスクスイッチングの仕方に違いがあるのかもしれない。どうなのだろう。



続・ビデオカード
1998年11月18日(水曜日) くもり

昨日のビデオカード、結果的に不本意なことになってしまったので、もうすこしいじってみた。まずはクロックだが、ベース66MHzの4.5倍なんてノーマル中のノーマルなクロックでセレロンを動かすのは馬鹿げている。しかし、ベース83MHzの4.5倍だと、恐らくPCIクロックの関係上、昨日言ったようにビデオカードが動かないのだ。しょうがない、ここはベースクロック100MHzにするか...ってことで、ジャンパの設定を変えてみた。

ベースクロック100MHzにすると、セレロンは4.5倍の450MHzで動作することになる。定格が300MHzだから少々オーバークロック過ぎるかもしれないという心配と、SD-RAMがPC-100なものじゃないので、ひょっとするとメモリがついていかないかもしれないという心配があった。が、やってみるとぜんぜん問題なし。メモリなどをいじめるために、負荷のたかそうなことを色々とやってみたが、結果は良好だった。さすが450MHzだと、遅いと有名なフォトショップのフィルタ処理の速さにはちょっと驚く。

SD-RAMがボロいやつなのでちょっと心配していたが、100MHz対応のものでなくても、100MHzで動いちゃうようだ。これは偶々当たりだったのか、それともテキトーなものでも大抵は動いてしまうものなのか、その辺の実験をしたことはないので良く分からない。SD-RAMにオシロを当ててまで調査した、SD-RAMのタイミングに詳しい(廃)人によると、100MHzのやつも、普通のやつも対して変わらないという。じゃあどう違うの、って感じだけど。際どいところで頑張っているのかもしれない。

肝心のビデオカードだが、色々やってみても早くならない。会社の人に貸してもらったMatroxのものも試してみたが、さらに遅くなったので昨日のRevolution 3Dに戻した。どうも、遅いと思うのはWindows NTで動かしているからかもしれない。ドライバのチューニングが甘いのか、それともOS自体の遅さなのかはよくわからないが、詳しい人によるとWindows 95で早いビデオカードでも、Windows NTで動かすと明らかに遅いという。まあ、グダグダ言ってても始まらないし、まあ遅いといっても許容できる範囲なので良しとする。

しかし、そう考えると今まで使っていたMatroxのMilleniumは、優秀だったと思う。ベンチマーク的には大したことはないのかもしれないが、わたしは気に入っているのだ。もう何年か前に買ったものなので、そろそろ時代遅れも良いところなのだが...そもそも、実使用には体感速度と精神衛生上の芳しさが何よりも重要だと思うのだ。したがって、わたしにとっては、ベンチマーク結果なんかどうであろうがあまり関係なかったりする。



ビデオカード
1998年11月17日(火曜日) くもり

会社の人が秋葉原へ行くというので、ビデオカードを買ってきてもらった。Number Nine の Revolution 3D (AGPバス) というやつ。型は古いが、値段が格安だったので、貧乏なわたしにはぴったりだ。さっそく家に持って帰って挿し、ドライバを入れてみたのだが、、これがまた動かない。VGAモードではちゃんと動作するのだが、640*480ドットの16色だから、そんなものは使い物にならない。しかし、解像度を挙げるとWindowsが起動した直後にハングアップしてしまう。

困った。こいつは不良品か、それとも相性問題か? ドライバのバージョンを変えてみたりと色々と悪あがきはしてみたが、どうしても解決しない。うーん、待てよ。良く考えると、今はセレロン様がベースクロック83MHzの4.5倍で動いているのだ。すると、PCI (AGPだけど) のバスクロックは41.65MHzになってしまっているはずだ。きっとこれが原因に違いないと、クロックを定格である66MHzの4.5倍に設定しなおしたら、問題は何事も無かったように解決した。

しかし、明らかに遅くなってしまった。クロックを遅くしたことも原因として考えられるが、375MHzが300MHzになった程度で極端に遅くなるとは考えにくい。すると、これはビデオカード自体が遅いのではないかという気がしてきた。やっとマトモに動作したのがそろそろ毒論を書こうかという時刻なので、まだ色々と調べたわけではないが、今まで使っていた古いMilleniumと比べると、やはり遅い気がする。Milleniumは16bitカラーで使っていたが、ビデオメモリが増えたこともあり、32bitカラーで使い始めたのが原因だろうか? クロックも上げないといけないし、もう少しいじってみる必要がありそうだ。

今日は、獅子座流星群が夜空を飾るそうだが、わたしは天文には興味が無いので、わざわざ眠たいのを堪えてまでそんなものを見ようという気は起こらない。なにせ、エスカレータを一段飛ばしながら歩かなければイライラするほどせっかちな性格なものだから、一時間も空を見上げるような趣味は、生理的に受け付けないのだろう。しかし、マスコミが騒いでいることもあって、手軽に見えるものなら見てやろうという気はしないでもない。

そこへ、ちょうどタイムリーな電話が。別の用事で天文に詳しい方から電話がかかってきたので、事情を伺ってみた。落ち着いて考えてみると、ここは横浜のど真ん中だから、かなり明るい星でないと見えないのだ。千葉か茨城の、それこそ人里離れたイナカまで行けば見えるのだろうが、そこまでするほどのことじゃない。関係ないが、ここからだと夕方ぐらいから南の方に、やたら明るく光ってアホほど自己主張している星が一つだけ良く見える。名前は分からない。あれは何という星のだろう?



コレステロール?
1998年11月16日(月曜日) はれ

先日やっていた某テレビ番組(佐野史郎とか高島礼子とかが出てて、やたら大袈裟な音楽と解説とともに色んなことを調査するやつ)によれば、日本人の血中のコレステロール量が、アメリカ人並みに多くなっているらしい。日本人の食事が欧米化し、動物性脂肪を多く摂取するようになったからだと言うが、日本人の中にはわたしのように三菜一汁的な食事から離れられない奴もいる。

わたしは別に肉が嫌いな訳ではなく、また全く食わない訳でもないのだが、蛋白質類は魚類が大半を占めていると思う。気になるのは、わたしの血中のコレステロール濃度が、同年代の日本人の平均とどれだけずれているかだ。もしかすると、平均より低いかもしれないし、あるいは殆ど変わらないか、逆に多いかもしれない。食事だけで一概に決まるものではないと思うのではっきりとしたことはわからないが、何となく興味があるのだ。そう言えば、献血(ジュース+検査代金分の売血?)をすれば測定してくれたような気もする...

脂肪の多い食事をしていると循環器に悪いとか、タバコを吸ってると癌になるとか、色々といわれているが、本当にそうなんだろうか? タバコを吸ってても長生きする奴はするだろうし、そうじゃない奴も肺癌になることだってあるだろう。こういう因果関係って、騒がれているだけって気がしてさ。タバコが体に悪いとか思い込んで、無理に止めようとしてイライラする方がかえって体に悪い気がする。結局、そういうことは気にしないで、本能のままにすごすのが一番良かったりして...



うお〜2
1998年11月15日(日曜日) はれ

昨日から続いているPCの環境設定など。まだ若干気に入らない部分はあるものの、作業は概ね完了し、PCはマトモに使えるようになった。それにしても早くなって気持ちが良い。同じOSなのに、再インストールするだけで、体感できるほど速度が変わるとはね...よほど、出来が悪いのだろう。またしばらく使ってると遅くなるかな。

金曜日からいじっているAKI-H8だが、やっと動いた。幸いにも、今月のトラ技には(秋月のそれとは対照的な)技術的な文章で書かれた簡単な掲載されていたので、本屋で立ち読み。少し参考になった。やってみると、ハード的な問題ではなく、やはり書き込みソフトの設定不備だった。日立が公開しているフリーのモニタプログラムがあるので、試しにROMに書き込んでみた。当たり前だが、ちゃんと動く。というか、他に何も入れていないので、モニタが動いたと言うだけだけど。

AKI-H8は取りあえず一段落したので、部屋を整理する。PCを組み立てたりなんだで、かなり散らかっていたのだ。そろそろ「足の踏み場もない」「布団も敷けない」状態になりつつあったので、片付けないわけにはいかない。んが、最近ものが増えすぎて整理しきれない感じがする。PCは増えてしまったので邪魔といえば邪魔だし、それに何より整理に困るのが本だ。書店に立ち寄るのが好きなので、立ち読みに行っては、ついつい買ってしまう。既に本棚の空きスペースは無いので、新しい本棚がほしいところだが、それを置く場所も無いし。困った...

みかんを買ってきた。そろそろみかんの美味しい季節だが、値段は高い気がする。でも美味しい。みかんと言えばこたつだが、ここにはこたつが無い。こたつを買って冬はこたつトップパソコンで過ごすぞ〜、と思ってこたつを買いかけたのだが、ただでさえ物で埋まっている部屋に、こたつを入れるわけにはいかない。布団を敷く場所を諦めれば、こたつを置ける...冬は布団を片付けてこたつで寝ちゃおうか...でも邪魔だし...でも欲しい...なんて優柔不断な。結局、まだ購入には至っていない。

青春18きっぷFAQを更新し、美しくした。意外にというか、「青春18きっぷ」などのキーワードで、検索エンジンから飛んでこられる方は多い。その割には、ぜんぜん手を入れていなかったので、思い出したように作り直したわけだ。わたしはホームページ作成ソフトのようなものは使わず、すべてテキストエディタでタグ及び文を書いているが、テーブルを多用した見栄えの良いページを手書きで作るのは面倒くさい。しかし、ソースコード一つで思い通りにさせたがるプログラマの性ってやつだろうか、作成支援ソフトには気が向かない。

読み直してみると、今日はとっても支離滅裂...



うお〜
1998年11月14日(土曜日) はれ

昨日から徹夜でPCいじりなのだ。先日、セレロンマシンを組んだというお話はちょろっと書いたが、取りあえず前から使っていたハードディスクをそのまま繋いで使っていた。新しいハードディスクも買ってあったのだが、データなどの移行作業を一気に行うのが面倒であったために、使わずに置いてあったわけだ。

Windows には、末永く愛用するとなぜかパフォーマンスが低下するという説があるが、これはどうやら本当のようだ。前の環境はもう数年使っているので、新たにOS (Windows NT4) から再インストールすることに決めた。8GBのハードディスクなので、2GBのパーティションを4つ作ってしまった。おかげで、ネットワークドライブは使っていないのに、Jドライブまで存在する、ちょっと病気にかかった環境になってしまった。

OSのインストール自体は面倒なことではないが、追加ハードのドライバの入ったディスクなどを発掘するのに暇がかかった。そのような物はすべて保管してあるので、なくなっていることはない。しかし、膨大な量のディスクの山のどこかにある1枚ないし2枚を探すのに、異様な時間がかかってしまった。整理されてない証拠かも。それから、アプリの再インストール・再設定などをやっていたら、夜が明けたどころか、次の日の昼前だった。

最近、年のせいなのか??、徹夜すると体にこたえる。土曜日は夕方ごろに寝てしまって、起きたら日曜日の午前3時半...これでまた口内炎ができたりするのだ。



タイトル更新
1998年11月13日(金曜日) はれ

今日は、インデックスページに貼ってあるタイトルの画像を、新しい物に取り替えた。今までは自分で描いていたが(と言っても超手抜き)、今回は初めて人様に描いていただいた。感謝なのだ、感謝なのだ。無理に厚かましいお願いをして、すみませんでした...しかし、もしここがCG系のサイトならばいざ知らず、こういうサイトだから描いた方も困っていたかも知れない。あのCGには賛否両論?があるようだ。しかし、わたしは個人的に非常に気に入ってたりするので、問題なしなのだ。確かに、見方によっては齟齬ありまくりという感じもするが、謎のミスマッチが妖しさを増幅していると思わない?

絵心のある方は羨ましい。絵なんか全然描けないわたしは、電子部品その他をスキャナで取り込んで適当に加工したりと、訳の分からないものを作っているが、いい加減に飽きてきた。絵ぐらいなら良いが、図も下手なのだ。職業柄、図を描くことは時々あるのだが、手書きの図の汚いこと...ついでに字も汚いし、下手だし...書いたり描いたりすることは、わたしには向いていないのかも知れない。

話はがらりと変わり、かなり前に買ったAKI-H8(日立のワンチップマイコンが乗ってるキット)を動かそうとしているのだが、うまくフラッシュメモリにプログラムを書き込めなくて困っている。ハード的な問題が、それとも書き込みソフトの使い方が悪いのか、よく分からない。今日は疲れたので、取り敢えずやめた。だが、秋月電子のキットに付録していた書き込みソフトのデキは悪そうだし、そのマニュアルのデキは更に悪い。

そいつは下手クソな文で余計なことばかりが書かれてあり、とても説明書と呼べる物ではない。「○○かもしれないので、△△ですが、□□とも思いましたので、やっぱり××にすることにしました」というような優柔不断な調子で書かれている。ついでにWindowsが嫌いだとか、書いた奴の個人的見解も多い。それに16進数の解説などもあったが、マイコンで遊んでみようという奴に、16進数の概念を解説する必要などあるのか? 結局、余計なことばかり読まされ、肝心なことは何も書いていない。個人的な奮闘記ならともかく、あれはマニュアルに使うものではない。

またまた話は変わり、時々親父が謎のメールを送ってくる。数日前、親父が会社で救急箱と手帳をもらったので、宅配便で送ったるとのメールが来た。箱に空間があったので、適当にお菓子も詰めたという。本日届いた小包の開けると、○○健康保険組合と名前が入った救急箱と、(製薬会社なので)自社製品の常備薬が入っていた。生理痛の薬は、頭痛に使えるかも知れない(笑) ついでに入れられたお菓子を見てびっくり、自社製品の売れ残りだかなんだか知らないが、ビタミン入りの飴が大量に...食いきれる量じゃなかったので、会社の皆様にも消費に貢献していただいた。



2000年問題とか
1998年11月12日(木曜日) はれ

2000年問題とは、言わずと知れた、計算機の時計が西暦2000年を越えられないという問題だ。何故かマスコミばかりが騒いでいるので、コンピュータに詳しくない人でも名前だけは知っているという人は多いと思う。もっとも、騒ぎすぎという感もあって、金融機関が全てストップしたり、電車が全て動かなくなったり、核戦争が勃発することは無いと思うが。余計な恐怖心を煽るだけであろう。

マスコミは金融や交通などの大がかりなシステムについては問題視しているようだが、そのようなものは大きな問題ではないと思う。専門の技術者がいるわけだし、まぬけた企業でなければ、ある程度対応を進めているところであろう。しかし、意外と大きな問題を孕んでおり、問題が起きるまで気づきにくそうなのが、民生機器だと思う。時計が組み込まれた民生家電の問題といえば、ビデオの時計など挙げられるが、カレンダーを持っているために古い者は年を越えられないかも知れない。民生機器を扱うのは問題に詳しい者ばかりではなく、身近なところで混乱が起きる可能性はあると思う。

例えば、わたしはソニーのビデオを使っているのでソニーのサイトを調べてみたが、それらしい情報は見つけられなかった。大手企業のホームページは何がどこに書いてあるのか分かりにくいものが多いが、その典型。検索エンジンがついていたので調べてみたが、NEWSの情報ぐらいしか出てこなかった。同じように、計算機っぽくない業務用機器で時計の入っているものは案外気づきにくいのかも。ルータと言えばシスコだが、シスコのサイトにも2000年問題のコーナーはちゃんとある。

時計が2000年を越えられただけでは、まだ問題が片づいたとは言えない。日時を処理するアルゴリズムの中には、2000年以後の閏年を正しく計算できないものもあるからだ。ついては、2000年の2月29日が元旦の次に来る問題日だろう。閏年の計算方法は、400で割り切れる年と、4で割り切れるが100で割り切れない年である。従って、普通は世紀の最後の年は閏年ではなく、閏年は4年に1回の規則的な出来事ではない。しかし、4世紀に1回だけは、例外的に世紀の最後の年も閏年とすることになっている。そのため、1996年や2004年、それと2000年は閏年だが、1900年や2100年は閏年ではない。

次は2038年問題が浮上するかも知れない。なぜなら、多くのシステムは32ビットの正数で1970/01/01/ 00:00:00からの秒数で日時を扱っており、この数値が32ビットで扱えなくなるのが、2039/01/19 03:14:07 なのだ。もっとも、それは41年先の話である(関係ないけど、わたしがちょうど60歳になる年だね)。この業界のこと、41年先にまだ32ビットな正数が使われているかどうかなど、知る由もない。



インターネット電話
1998年11月11日(水曜日) はれ

インターネット電話なるものが会社に転がり込んできたので、使ってみた。当然だが、相手側もインターネット電話を持っていないと使えないので、意味もなくその装置の製造元に突然電話をかけてみる。何を喋れば良いか思いつかず、取り敢えず「もしもし〜? いま品質試験の為に電話をかけました〜」とか言ったら「そ、そうですか...」困っていた模様(笑) 無意味な電話でその場の空気が寒くなったので、適当な挨拶を言って切った。

パソコンを使ったインターネット電話は見たことがあるのだが、わたしが使ったものは単体の、見た目はモデムのような装置だ。電話機を取り付けるモジュラと10BASE-Tの口が付いており、その装置を介して普通の電話機をLANに直結できるようになっている。こいつが2つ、LANやインターネットにぶら下がっていれば、それら同士で通話ができるのだ。そのほかには、設定用にRS-232Cポートもついており、そこからIPアドレスなどを設定するのだろう。当然の事ながらバラしてみたが、イスラエル製の音声圧縮DSPなどが入っていた。

実際に喋ってみると、音質はそう悪くない。自分側は6Mbps、相手側は64Kbpsでインターネットに接続されているが、そのぐらいの帯域でも相手が誰だか識別できるぐらいの質はあった。遅延は少々あるものの、気になるほどではない。パケットロスが若干あるのか、途中でプチプチと途切れることはあったが、会話に困るほどの程度ではなかった。加入電話には劣るものの、実用レベルには収まっていると思う。デジタル携帯とは、比べものにならない良さだ(比較対象が悪い?)

インターネット経由で通話が出来たときはちょっとだけ感動した。初めて電子メールを送って、相手から返事をもらったときのような、初心者的な感動だろうか。いままで、色々なデータを転送してきたので、相手にそれが届いたりすることは当たり前のように思っていた。しかし、本当の意味でのリアルタイム双方向通信は初めてなのだ。チャットとかもやるが、通話とは言えない程度の遅延が感じられるので、リアルタイムとは言い難い。インターネットも、なかなかやるじゃない。



バラシ記事
1998年11月10日(火曜日) はれ

わたしは手元にあるものをバラシては突撃実験室のネタにしているが、バラバラにされたところを開発者などが見たらどう思うのだろうか? もっとも、お金を払って買ったものだから、使うもバラすも消費者の勝手だ。ここを見たある友人から、メーカーからクレームは来ないのかという質問をされたが、実際にそのようなものを頂いたことはない。というより、メーカーの関係者が、突撃実験室自体をご存じ無いの可能性の方が大きいだろう。

ところが、別の件で検索していたときに見つけたあるサイトで、会社で作っているあるもの(何なのかは言えないけど)をバラして解析している記事を見つけた。わたし自身が開発したものではないが、逆にそういうものを見るのも面白い。回路を解析し、マイコンも剥がしてロムを読み出し、なんてことまでやって。どこまで正確に出来るかな、という気分で見る感じなのだ。もっとも、わたしはそこまで深くはやらないが。

バラシ記事にもちょっと飽きてきたので、今日は別の実験を遂行中...実験と言うほどのものでも無いのだが、ネタ不足故、なんでもやったれという具合。事も終わり、記事を書きたいところだが、また余計な仕事が入ってきたので、今日はやめとく。



もしもギレンが大阪人だったら
1998年11月9日(月曜日) はれ

原文はPochiの部屋これ

わしらは、ひとりの英雄を失のうてもうた。
せやけど、こら敗北を意味するんとちゃうで。はじまりなんや。

地球連邦にわしらのジオンの国力は30分の1やけどや、
きょうまで戦い抜いてこれたんは、なんでや、お前ら。

そらな、わしらジオン公国がええもんやからに決まっとるやろ。
ひと握りのエリート連中がやな、宇宙まで膨れ上がってもうた
地球連邦でハバきかせよってから50年ちょい経ったけど、
宇宙に住んどるわしらが自由を要求して、なんべん連邦に
どえらい目にあわされてもうたか、思い出したらわかるわな。

ジオン公国がいうとる、人間ぜぇいんの自由のための戦いを
神さんが見捨てはる訳はないやろ。

ガルマ・ザビは死んでまいよったけど、なんでや?

(ガキやからや)←というシャアのツッコミがここで入る

戦いはちょっと落ち着いたけど、お前らはこの戦争を、どっか
その辺の話やと思もて見過ごしとるやろ。そらあかんで。

地球連邦はの、清雅唯一の地球を汚してまで生き残ろうとしとる。
わしらは、その愚かさを、地球連邦のエリートさん連中に
教えなあかんのや。

ガルマは、お前らの甘ったれた考えを目覚めさせるために
死んでもうた。

戦いはこれからなんや。

わしらの軍備は、ちゃんと整いつつある。
地球連邦もこのままやないで。
お前らのオトンもオカンも、アホタレ連邦の抵抗で死んだんや。
この悲しみも怒りも、絶対に忘れたらあかん。
ガルマはな、そういうことを死んでわしらに見せてくれたんや。

わしらはこれから、この怒りをまとめて連邦を叩きつけたって
やっとほんもんの勝ちを得ることができんのや。
この勝利こそ、戦死者ぜぇいんの一番のなぐさめなんや。

お前ら、ぼさっとと座っとらんで立たんかい、こら。
泣いとる暇があったら、怒れ。
ジオンはお前らの力がないとあかんのや。

ジーク・ジオンや。


# 訳注:ATOKが大阪弁を変換してくれないので、大変...



セレロン買っちゃった
1998年11月8日(日曜日) はれ

以前にフルタワーケースを買ってPCをK6-233Mhz仕様にし、それから大した時間は経っていないのだが、突如としてセレロンマシンが組みたくなった。まずは仕様を決めるのだ。計画が浮上した当初は超最初はデラックス仕様で組むつもりだったが、財布様に現実とは如何なるものかを説教され、我に返った。結局、コストパフォーマンス仕様で決定してしまった。最初考えていた予算と比べれば、半分以下という...

取り敢えず、ATXのフルタワーを買う。いま使っているのは普通のATケースなので、スロットマザーとは時代的に合わない。それからマザーボードは、無難なところでASUSのP2Bを購入。最初はこれにUltra 2 Wide SCSIインターフェースがオンボードで乗っかってる予定だったのだが、そこまですることは無いだろうって事になってやめた。ハードディスクもUltra Wideな7200回転のものを買おうと考えていたが、マザーボードに合わす形でこれも没。Ultra-ATAの8.2GBのディスクで落ち着いた。

それから、肝心のセレロン様は300MHzのキャッシュなし版。キャッシュについては迷ったが、詳しい人に聞けば体感的な差は殆ど無いと言うし、キャッシュなし版が13,800円ほどと値段的にも大変お得なので、まあドケチ仕様に転落したセレロン計画なんだから、これで良いことにする。しかし、前述のP2BマザーボードではBIOSをアップグレードしないとPentium 2しか認識しないことを全て買い揃えてから思い出した。しかし、セレロンを認識してくれなければBIOS書き換えすら出来ないので、ここはちょっと邪道な手段によって書き換えを行い、その後はちゃんとセレロンとして認識された。

そして、組み立てたのがだが、セレロンをノーマルのクロックで動かす奴は居ない(はず)。普通はベースクロック66MHzの4.5倍で300MHzとなるが、ここは83MHzの4.5倍の375MHzで動作とする。若干の不安はあったが、今のところは問題なく動いているので、たぶん大丈夫だと思うが。もう少し負荷をかけていぢめてみないと本当に安定しているかどうかは判断しがたい。残っている作業はディスク内容の移行作業だ。新たに買ってきたハードディスクはまだ取り付けておらず、現在は前のPCについてたディスクで立ち上げている。OSもそろそろボロボロなので一から入れ直すつもりだが、古いディスクをCD-Rにバックアップを取って、OSを入れて、データをコピーして...考えるだけでいやになる、今日は寝る。



イライラ
1998年11月7日(土曜日) くもり/はれ

わたしのイラチ度は並の関西人以上であることは自他とともに認めるところだ。それにしても、良く買い物に行く近所スーパーのレジ打ちの遅さには恐れ入る。夕方、スーパーのレジが混み合うのは必然的だが、その店は8つあるレジの内、半分しか開けていない。それも見てるだけイライラするぐらい手の遅いアルバイトがやっているのだ。従って、各レジには客が通路にはみ出すまで並んでいるのである。その列にいたわたしのイライラが頂点に達しようとしたとき、台車にティッシュペーパーのカートンを積んだ店員が並ぶ客を押しのけて通路を横切ろうとした。

わたしは道を開けるつもりは毛頭ない。そんなに通りたければ、レジの回転を良くして客の列を短く保てば済むことなのだから当然である。しかし、その店員はわたしを無理に避けて通ろうとしたため、台車を陳列棚にぶつけて商品を床にばらまく。こぼした商品を拾い上げる店員を横目で見ながら、今度わたしの前を無理に通ろうとしたらどういう文句を言ってやろうかと構想を練っていたのだが、わたしが梃子でも退かない事を察したのか、片づけ終わった店員は別の通路へ迂回していった。最初から人の少ないところを通れば良いのに、非常識な店員には当然の報いだろう。

しかし、不幸は続く。わたしの前に居た客が財布を忘れてきたらしく、金を払わずにチェック済みの商品だけを残して去ってしまった。このクソイライラしているときに限ってこういう事が起きるのだ。勿論、アルバイトにそのような例外を処理する能力はない。「少々お待ち下さい」と蚊が鳴くような声で一言いって、逃げ去った客を捜し始めるのだが、見つかるはずもない。半キレ状態のわたしは「急いでるんだからそれは放っておいて、こっちを先にやれ」と指導して差し上げてから、やっとアルバイトは社員を呼び、レジのキャンセル方法を教えてもらって、やはりイライラするぐらい遅い仕事は、やっと再開された。

どいつもこいつもチンタラしやがって。



50000人目のお客様決定
1998年11月6日(金曜日) くもり/はれ

本日、昨日述べた某サイトからリンクされてしまったため(それもプレゼントの紹介文付きで!)、昨日の繰り上げ予想よりも早く50000人目のお客様が決まってしまった...と思ったのだが、何故か2名の方からメールを頂いた。カウンタが吐くログを見ると、いずれの方も50000で記録されているのだ。こまった、同じ数字が2名の方に割り当てられてしまっているとはどういうことか??

カウンタ(自作)のソースコードを調べた結果、普段は不都合でも何でもないのでバグというほどの問題ではないのだが、微妙なタイミングでアクセスされた場合にそういうことが起きることがわかった。原因は、同じIPアドレスからリロードしてもカウンタは増えないようにしているのだが、同時に突撃実験室内にあるリンクからヒットしてもカウンタは増えないようにしてある。なぜなら、各ページに入れてある [戻る] リンクから indexに戻った場合、それは新たな訪問者とは言えないのでカウンタをインクリメントする必要はないからだ。

ところが、この機能が裏目に出てしまった。もし、偶然 [戻る] リンクから indexに戻った場合に、カウンタの数値が50000を示していたらどうなるか? その場合は、50000人目のお客様が二人誕生してしまう。例えば、49999番目の方が別のページを読んでいる間にもう一人 indexを開いてカウンタが50000になったとき、[戻る] を押して index に戻れば、カウンタは増えずにもう一度50000を示すことになる。調査したところ、このような現象が起こってしまったことが判明した。

唯一無二のシリアルナンバーを発行するようなプログラムならば、そういう不都合が起きないようにもっと考えて設計したと思う。しかし、まあアクセスカウンタ程度のものだから、ある程度そこまで考える必要はないだろう、というコンセプトで作ったのがいけなかった。普段はそれでも何ら不具合はないのだが、プレゼントがかかっていれば、何と言っても宝くじの当選番号と同じなのだから、唯一無二でなければならなかったのだが。何事もいい加減に設計しては行けない、という教訓だね。

当選者を決めないといけないので、実際にカウンタをインクリメントさせて50000を表示させた方を優先することにした。カウンタが吐き出すログを見れば、49999の直後に記録されている方がそうなのだと考えられるが、念のためサーバーが吐き出しているログも調べてみる...うーん、まさにリロード合戦の嵐が通り過ぎた形跡だ(笑) 厳密な調査の結果、最初に50000を示された方が分かった、その方(広島の方)にギフト券をお送りした。

しかし、もう一人の方には期待をさせておきながらも、ハズレと言うのは道理に叶っていない。何もお送りしない訳にはいかないので、及ばずながらも代わりにテレホンカードを送付させていただくことにした。わたしの不備でご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げます。



50000ヒット間近?
1998年11月5日(木曜日) くもり/はれ

今日は某サイトからリンクされたため、ヒット数がいつもの何倍もあった。普通なら一日200ヒット前後が良いところだが、今日に限っては1000ヒットペースというところか。それは、ネットワークのトラヒックを監視しているグラフにもはっきりと現れる。リンクされた午前11時過ぎを境に急にスループットが増え、ピークはお昼休みにきた。普段は平均で数十Kbpsだというのに。とまあ、説明しているよりも見た方が早いので、こんな感じ。

トラヒックグラフ
緑がルータ (expgate.exp.org) の上りトラヒック。リアルタイム版はこちらにあります。(1999/12/01補足:廃止しました)

そんなことより、今日の事件で50000人目のお客様の登場が間近に迫ってしまった。何もなければもう少し遅くを予想していたのだが、いまこれを書いている時点でカウンタの数値は49260で、それも現在進行形で増えている。あとちょっとなのである。50000人目が誰になるかは分からないが、今週末ぐらいがXデーか? もちろん、50000人目の方にはプレゼントを用意してある。発送を待つギフト券は、埃を被りながらテレビの上に置いてある。でも、意外と自分で取っちゃったりして。

カウンタの数値に必要以上にこだわるのは、何となくアホ臭いと思うが、たまにはプレゼントなんかやってみても面白いだろう。訪問者数が増えたからってこれといったメリットはなく、要は単なる自己満足の世界だとわたしは思う。しかし、作るからにはできるだけ多くの方に見ていただきたいし、どういう人がこういうコンテンツを好むのかっていうことも知りたいもの。やはり、似たもの同士が多いのかも知れない。

今日は別のネタを用意していたが、急遽カウンタのお話でした。



突撃実験室・英語版?
1998年11月4日(水曜日) はれ

時々海外の方から「見てます〜」というメールを頂くので、突撃実験室の記事を全て英訳してみようかと思った。インターネットの公用語が英語であることは事実なのだし、英語圏にお住まいの方にも、是非お楽しみいただければと思っている。しかし、一つ問題があるのだ。まず、翻訳自体は大変な事ではない。ただ黙々と訳せば良いだけのことで、分からない語があれば辞書を使っても良い。翻訳みたいなことは前の仕事でも時々やっていたし、いまでもそういう仕事が来るときもあるので、不慣れなことでもない。

ところが、実際にやってみるとなると、それ以上の難しい問題があるのだ。英語版を読むのは海外の方が殆どであろう。記事には日本にしか存在しない物が度々登場しており、従って海外の人間には、まずそれらがどういう物であるのか説明しなければならない。日本人なら殆どの人間が豆腐の原材料が大豆であることは知ってると思うが、豆腐の無い国が殆どだから、まず豆腐が大豆から作られていることを説明しなければならないのだ。それならまだ良い方で、説明しようのない物も多い。東西うどん食べ比べを英語で書けと言われたら、途方に暮れる。そんなような事を考えると、たちまちやる気がなくなってしまった。突撃実験室は日本語だけで十分だろう。

無線通信設備の仕事でアメリカ出張に行った会社の人の話によれば、通訳はいたものの、通訳が専門用語を理解できなかったため、会話にはならなかったらしい。技術系専門の通訳もいるらしく、そういう人間であればある程度は訳せるのだろうが、普通の商談などを担当している者では無理だろう。「このバリコンを回すと共振周波数が変わります」とか「ここにIFを入れると復調された信号が出てきます」なんて言われて訳せる奴はまず居ない。通訳の落とし穴ってところだろうか。

その点、同時通訳は凄いと思う。どんな用語が飛び出しても訳さないわけにはいかない。首脳会談みたいなものなら、予めどんな話が出てくるか予想できそうだが、これも技術屋が絡む話になってきたら同時に技術用語の知識も必要となるだろう。知り合いに同時通訳屋を目指して専門学校に行っている人がいるのだが、語学力だけでは無理だという。例えば英語を日本語に同時通訳するなら、脳はプリエンプティブモードで英語の文節処理や、翻訳テーブルルックアップ、和文組立エンジンなどのタスクを同時に動かさねばならない。しかも、英語と日本語では主語や述語の位置が異なるから、ただのストリーム処理では無理だ。豊富なFIFOメモリに英文を取り込み、処理を加えながら出力バッファ書き、きりの良いところで出力する、って感じになるんだろうか。脳負荷100%だぜ、こりゃ。

最後になってしまったが、久々にリンクページを更新した。新たに追加したリンクは、Angelic Whisperというサイト。掲載されているCGが美しく、惚れてちまったというわけだ。お仕事で目が疲れたら、こちらで息抜きをしましょう。



オカン列伝の裏話・後編
1998年11月3日(火曜日) はれ

というわけで、「オカン列伝」というタイトルで連載を書いたが、それを読んだ方から色々と感想を頂いた。余程インパクトがあったのかなと我ながら思う反面、母親の存在について、自分なりに考えなければならない事は多かった。朝日新聞の投書欄などを見ていると、一人暮らしを始めてやっと母親の大切さが分かった...などという人がいるのに、わたしはその全く逆を思っているわけだ。一人で落ち着いて考えれば考えるほど、母親の偽善者ぶりが、ますます顕わになってくる気がする。

これに対しては、批判のようなものもある。いまは鬱陶しい存在かもしれないが、何年後かには母親のありがたみが分かる日が来るはずだ、と言われることは多い。確かに、(合理的根拠は存在しないと思うが)現在の社会的規範では親は大切にすべきだとされているので、この話はあながち的を外したものではない。恐らく母親はわたしよりも先に死ぬと思うが、しかし、その時までに、あるいはその後にわたし自身がいまの考えを覆すことができるだろうか。そんな自問自答を繰り返してみればみるほど、母はやはり偽善者に過ぎなかったという結論に達してしまう。

もっとも、これはわたしの主観であり、過去の数々の割り切れない出来事を、自分の中で巧く説明するための口実に他ならないのかも知れない。母親も、本人なりの考えを持っているだろう。ナルシストな人間だから、自分こそが模範的な母親だと未だに信じ込んでいるかもしれないし、それだけに、一生懸命にやってきたのに何故理解されないのだろうと、と思っているかもしれない。母親の主観にたてば、それはそれで間違った考えではないと思う(わたしに言わせれば大いに間違ってるけど)。しかし、そのいずれかが正しいく、他方が間違っているというように、明確な答えが存在する問いではない。

とすれば、そんな問題はどうでもよくなってきた。頑固者が今更考えを無理に改める必要もなければ、改めて親子の素晴らしさに目覚めなければならない必然性もこれといって見当たらない。取り敢えず、何でも良いから自分なりに納得できれば良いやと言う考えに辿り着いたのである。また、母親だとか息子という立場は、生物学上の立場よりも血縁関係上の立場の方が重視されているようである。しかし、血縁関係なんて所詮は人間の思いこみなのだし、要するに母親は生物学上の母であることを除けば、一人の他者に過ぎない。そこまで割り切ってしまわねば、全てを納得することは不可能だと思う。

母親が(本人の主観で)良かれと思ってわたしに対してしてきたことは、わたし自身の満足のためではなく、母親の自己満足のために行われていたことを、最近改めて認識した。母親の要求は、結果的にわたしのメリットになったことはなく、むしろ母が自分の息子を思い通りに形成するために行われていたと思われる。そう仮定すれば全ての筋が通るのだ。自分が一番良き母親だと思っている人間の育児に(主観では)間違いはあり得ない。間違いが無いのならば、自分の思う通りに形成された子が最も理想的な子であり、その他の手法で育てられた者は理想を外れた不良である。そう、母親の全ての行為は、全て自己の満足のために行われた偽善であった。母親は偽善者なのだ。

ところが、わたしを檻に隔離でもしなければこのような事は無理なことであり、よって母親の目論見は破綻した。その結果、わたしは母親に背き、自分の市民権を勝ち取った気がするのだが、母親はまだ不満だらけのご様子だ。なぜなら、自分の理想として実行してきたことは否定されたのだが、それを認めたがらないからである。世界一良き母親が失敗を認めれば、自分の主観的地位が同時に否定される。だから、認めたくない、認めることはできないのである。いつまでもそう信じていたいのなら勝手だが...



オカン列伝の裏話・前編
1998年11月2日(月曜日) うすぐもり

今日、スーパーテレビで尾崎豊の特集を放送していた。以前にも尾崎豊の話はちょろっとだけ書いたと思うが、今になって尾崎の詞を聞くと、何となく以前の自分を歌っているような気がしてならない。今だから人に言えることだが、以前の自分は良い子を演じ続けていたと思うし、従ってオカンの犬になっていたと思う。しかし、母親の言うことに間違いはないという考えが破綻したのは中学の時だろうか。/誰にも縛られたくないと/逃げ込んだこの夜に/自由になれた気がした15の夜/。そんな歌詞を今になって聴くと、母親とモメた数々のエピソードを彷彿させる。

/心の一つも分かり合えない大人たちを睨む/ と、これは話の分からない母親と、わたしとの関係を歌っているような気がする。母親本人に言わせれば、自分は荒れる息子の気持ちを理解しようと、少なくとも努力はしていたらしい。しかし、わたし自身に言わせれば、親子が相互に理解し合って仲良く出来るはずもなく、またそれはわたしが望んでいたことではなかった。ただ、わたしは、相互理解もクソもいらないから、俺のやり方や価値観を一概に否定するないうこと望んでいたに他ならなかったのだ。

しかし、母親はそのようなあり方には一度も賛同しなかった。一方でわたしの価値観に理解を示すような素振りを見せていたが、その合間に母親自身が正しいと信じている価値観を一方的に押しつけようとしていた、母親の欺瞞。これが、わたしを一番傷つけていたと思う。もちろん、そんな下手な欺瞞が簡単に機能することはあり得ない。なぜなら、ある人間が自分の価値体系を他のそれと取り替えることが、当人にとってどれだけ苦痛であるかを鑑みれば、新たな価値体系を強要する者にもそれなりの困難が伴う。もちろん、母親にそれを成し遂げられるほどの器は無い。

例を挙げれば枚挙に遑がないのだが、一つ、学校をやめて働いていたわたしに対して、「仕事も取り敢えずはいいけれど、あなたがいま一番するべきことは何?」と問いかけるように、ただでさえガラス細工の如く不安定な自我を崩壊させるような提示をしてくる。わたし自身、この時に確固たる目標などがあった訳ではなかったと思う。ただ母親が作り出した檻のような世界から脱却するために、色々とやってみて世の中を知ろうと考えていただけなのだ(もっとも、これも自主的に考え出した訳ではなく、他の人に提示された選択の中から選んだものであったのは言うまでもないが)。人の考えを崩壊させ、そこに自分の価値観を埋め込もうとした母親の巧妙さは、今思えば身震いがするほど恐ろしい。

そうして、皮肉なことにと言えば良いのか、わたしを助けようとしていた母親自身の行動により、わたしはより一段と(母の主観から言えば)荒れた記憶がある。母の要求を否定するには、その逆の行動を取るしかないと。そうしているうちに暫くの時間が過ぎ、母とわたしの仁義無き戦いは、諦めに近い形で終結したのであった。もっとも、母は未だに自分の価値観こそが正しく道理に叶っていると思っているようで、自分とは異なる人の考えを快く認めようとする気は無く、完全にあきらめきった訳ではないようだが。

次回は、これが1998年9月に連載した「オカン列伝」にどう発展したのかを書こう。



プライベートライアン
1998年11月1日(日曜日) はれ/くもり

映画プライベートライアンを見てきた。ところで、そもそも「プライベートライアン」って何なの、という疑問をお持ちの皆様へ。ライアンは、ご存じの通りアメリカ人の名前(名字)である(ドラゴンクエストに出てきたキャラの名前って言った奴は人生やめた方がいいよ)。問題は「プライベート」の部分だろう。日本でも「私的な」というような意味で使われている外来語だが、「私的なライアン」では謎だ。ここでは、private は、最下級の兵という意味で使われており、従って、英語名 Saving Praivate Ryan は「二等兵ライアンを救う」と訳すのが正しい。

かねがね思っていることだが、最近の洋画の和名タイトルは、単純にカタカナで読みを書いたものばかりだ。それで内容に連想させるものなら良いと思うが、「プライベートライアン」というカタカナの文字列だけを見て、映画の内容を想像できる人が日本に何人いるだろうか。わたし自身、別のところで予告を見ていなければ、これがどのような映画であるのか、想像できなかったであろう。単に気の利いた和名を考え出すのが面倒なのか、英語崇拝主義の現れなのか、それともほかに理由があるのかはわたしには分からないが、もう少し考えていただきたいものだ。

前置きが長くなったが、感想を少々。こいつは、わたしと同じような、冷めた感覚で映画を見る人には、大いにおすすめできると思う。話を大まかに説明すると、ライアン四兄弟が徴兵されて戦線に出るのだが、そのうち長男・次男・三男の三名がほぼ同時に戦死する。ここで、残りの末っ子まで死んでしまったら母親がちょー悲しむだろうってことで、軍の上層部が、ドイツ(だったと思う)のどこかにいるジェームズ・ライアンを連れて帰り、帰国させよと命令する。そして、たった一人の兵を連れて帰るために、8人の兵士による救出隊に戦場を転戦させる。

という、常識的に考えればまず有り得ない、それも如何にも人為的な感動を呼び起こすためだけに作られたような、戦争映画にはありがちな設定になっている。が、このライアン救出劇が延々と続くだけなら最低評価なのだが、設定に反してライアン救出劇には大した重心を置いていない。意外と妙な人間物語とか偽善的な正義感が感じられず、どうせ臭い話なのだろうと烙印を押していただけに、裏切られた気分である。そもそも、もっとも見て良かったと思わせる部分は、救出物語とはあまり関係の無いところにあった。

まず、特筆すべきところは冒頭から前半をしめる、どこかの海岸での上陸作戦の映像だろう。こんなに凄惨で生々しく、有り体に描写された戦闘シーンは、未だかつて見たことが無い。兵をボートが砂浜に着く否や、何の前触れもなく飛び始める血飛沫、兵がただ殺されていく映像が、何の人情味も加えられず、ただ淡々と続く。撃たれる一つにしても、血と共に肉片が飛び散り、爆弾を食らった者は手足がもげ、吹っ飛んだ腕を拾い上げる者や、内臓が体外に飛び出して叫んでいる者など。映像に見入る自分が映画館にいるという現実を忘れさせ、あたかも自分がその場にいるような感覚に陥らせる迫力を持つ。

敏感な人にとっては少々激しすぎる描写かもしれないが、一見の価値は必ずある。しかしそこで頑張りすぎたのか、後半部分の質は概して悪い。前半の戦闘シーンにインパクトがあるだけに、質のギャップに拍子抜けせざるを得ないだろう。



突撃実験室