多事毒論(1999年1月分)




1999年1月31日(日曜日) はれ

バックアップ用のメディアが何か欲しくなった。今まではCD-Rに焼いバックアップを取っていたのだが、この方法では書き換えができないので固定されたデータに限られてしまう。書き換え可能なメディアには色々とあるが、色々と考えた末にMOドライブを買うことにした。というわけで、早速アキバへ。そして、大した吟味もしないうちに富士通パーソナルズのSMB-230NF(内蔵タイプ)というものを買ってしまう。230MB、4300回転のドライブだ。

さて、買ってきたのは良いが、様々な問題を解決しなければ使えないことは初めから分かっていたので、家に帰ると気が重くなる。まずは物理的な問題としてSCSIケーブルのコネクタが足りず、接続すらできない。以前に1個10円で買った50ピンのコネクタを圧着するところから始まる。そして組み立てて起動し、エクスプローラを開いてみると、取りあえずムーバブルディスクとして認識されている。ってことで、第一段階クリア。しかし、わたしが使っている Windows NT 4.0 は曲者で、MOをマトモに扱うには色々と苦労が多いようである。これが問題なのだ。

案の定、フォーマット済みのメディアを入れても読めず、しょうがないからフォーマットしてみても「フォーマットが出来ない」と言われた。そういう場合はディスクアドミニストレータからフォーマットすると良いとのことだったのでやってみたが、ディスクアドミニストレータでは、そのドライブは存在しないことになっていた。さて困った。解決策はあるにはあるようなのだが、今日は疲れてだるいのでやめた。

帰りの電車で窓ガラスを見ていて思ったのだが、ガラスの癖に、高速で走行するとかなり歪むようだ。昔の電車は小さめのガラスにフレームを入れていたが、最近の電車は大きな一枚ガラスを使っているため、顕著に分かる。特に100キロぐらいで走っているときに対向電車とすれ違うと、気圧の変化のためか、「ばんっ」という音をあげながらかなり歪んでいる。堅いガラスなら割れてしまうのだろうが、それなりの粘性があるから割れないのだろう。

ちなみに、ガラスって意外と不思議な物体だ。決まった結晶構造はなく、巨大な酸化珪素分子の固まりであるらしい。それも、固体というよりは極めて粘性の高い液体と考えるのが正しいそうだ。



宇宙
1999年1月30日(土曜日) はれ/くもり

わたしが生きている間に、人類が永住を目的として地球外へ出ていくことはあり得るのだろうか。将来のことなど決して知り得ないが、あったらあったで面白そうだし、無理であるのならそれもまた構わない。仮に、わたしがあと50年ほど生きられることにしよう。時は2050年、そんな数字を提示されると、何となく人類が地球外へ移住しはじめていてもおかしくない気はする。あと50年で、人類は何をしてくれるのだろう?

もっとも、人類はなぜ宇宙に移住すること企むのだろう。多分、人類はよほど切羽詰まった立場に置かれなければ、そのような大胆な決断はしないであろうと思う。地球の住み心地が良ければ、それにこしたことはないのだ。ただのロマンだけで、わざわざ地球を棄ててまで宇宙に出ていく必要はなかろう。わたしにも、20x0年代の発展した未来に憧れはある。しかし、実はそれとは表裏一体に、未来は後退するかもしれないという気は常にある。

人類が宇宙へ出ていく理由の一つに、地球の包容力の限界が挙げられると思う。将来、人口が爆発的に増大すると言われている。もし、その人口を地球が支えきれなれば、飢餓と混乱が起きうるのであり、宇宙へと出て新たな居住地を見つけることは解決策の一つであると言える。あるいは、世紀末論を少し蒸し返すようだが、核戦争なり環境汚染なりで人類が自ら地球を住めない場所にしたとき、人類の末裔が生き残りをかけて、地球を棄てても宇宙へ出て行くのかも知れない。

いずれにせよ、これらは「かっこいい」未来とは言えない。しかし、このような将来が、必ずしも悪いと感じないのも、また不思議なことである。これは、わたしぐらいの世代が発展や成長に大した興味はなく、安定や、ともすれば衰退までも含めた将来でも構わないと考えているからではないかと思う。人類(人口・経済・その他)が今のペースで発展し続ければ、いつかは必ず地球の包容力を超えることになり、破綻することになる。それならば、多少の衰退はしょうがないとして、無理のない安定した世界を作るべきと考えてたりするのは、わたしだけなのだろうか。

ちなみに、ガンダムで第一号の宇宙コロニーが建設開始されたのは西暦2045年のことであった。その時、世界の人口は90億を突破することになっている。ある統計調査によれば1999年現在の人口はちょうど60億程度らしく、実際に90億を突破するのは2045年辺りという見積もりがでており、ガンダムの試算は案外正しいのかもしれない。



インフルエンザ
1999年1月29日(金曜日) はれ/くもり

ここのところ、インフルエンザが流行っているようだ。わたしは昔から不規則&不健康な生活をしているのだが、世の中が風邪の流行で騒いでいるときでも、不思議と寝込んだことが無いのだ。もっとも人間だから全く風邪はひかないというわけではないが、熱で動けなくなって寝込んだりしたようなことはあまり記憶にない。○○は風邪をひかないと言うが、そういうようなものなのだろうか。○○であることは間違いないが、体は決して強い方ではないのだが。

病気については、何かが流行ると狂ったように予防措置をする人もいれば、わたしのように何もしない人もいる。いや、何もしていないというには語弊があるかも知れない。ここに来てお茶が風邪の予防に繋がると、普段からお茶を飲まない人までがぶ飲みしているそうだが、わたしにとっては毎日のことだ。冬場は寒いので何杯も飲むが、ポットの容量不足に困るぐらいである。これが功を奏しているのかどうかは知らないが、結局わたしが得た結論は「予防措置なんて何をしても一緒」だったりしする。

大体、予防措置をしても病気になる者はなる。その良い例がうちのオカンである。オカンについては以前に詳しく書いたが、熱狂的な健康至上主義者で、みのもんたが勧めるものは全て試すタイプの人間だ。それなのにしょっちゅう病院へ行っているし、しょっちゅう寝込んでいるから、間抜けとしか言えない。それで、オカンは元歯科衛生士なので、とりわけ歯磨きについては頭に馬鹿が着くほどうるさい人だ。わたしは、歯が無くなるぐらい磨かされ、甘いものは一切禁止というつまらない少年時代を送った。そのお陰なのか、虫歯は殆どないのだが、オカン自身は金歯だらけなのだ。

そのうち、言うことを聞かないわたしに呆れたのか、オカンは歯磨き指導をするのをやめてしまった。それを良いことに、ものぐさなわたしは真面目に歯を磨かなくなったのだが、それでも、もう何年も歯医者に行った覚えはない。これは体質なんだろうか。



続・文字コードについて
1999年1月28日(木曜日) はれ

昨日は文字コードについて書いてみた。しかし、統一された文字コードセットが合理的かどうかという問題以前に、現在幅広く使われている日本語の文字コードセットでは、漢字が足りないという意見も多いようである。また、世界的に漢字文字コードを統一する際には、中国や韓国などで使われている「似たような文字」は、同じ文字として扱ってしまおうという動きもあるようで、そのことについても批判は大きいようである。例えば、社団法人日本文藝家協会の要望書では、文字コードセットの文字数を制限することは、「わが国の言語文化の存否に関わる事態」と言っている。

確かに、文字数の制限や、似たような文字の統一は困ったことだ。前に記事でも書いたが、Unicode の16ビットという空間は明らかに狭すぎるし、似たような漢字は同じ文字とみなすところは、如何にも漢字文化への理解が欠落した考え方である。一つの文字が文字である以上の意味を持たないことの多いアルファベットでは、もし仮にそのようなことがあっても然したる問題は無い。ところが、漢字の場合は点一つや線一本でも違えば、全く別の意味を持った文字になる得るわけだ。西洋人には字が汚い者が多いが、彼らにとっては、文字には大した価値はないのである。

ただ、文字を符号化し、その集合をコードセットとしたとき、果たしてそこに文化というものが存在するのかどうかは大いに疑問のあるところだ。画面に表示されているこの「宇」も、言い換えればドットの集合に過ぎないのだし、機械の中では 0x8946 (Shift-JIS) という数値でしかない。例えある文字が文化の一部だとしても、もしその文字が出現頻度の極めて低いマイナーなものであれば、毎日使われるコードセットの中に存在している必要はないと思う。実は、わたしの名字(椚座)も、現在の文字コードセットでは正確には表現できない。何故なら、戸籍上は座という字に異体字が使われているからだ。しかし実用上の問題は何ら無く、そんな文字までを一般のパソコンに含める必要は無いと思うのだ(実は横浜で住民登録をしたら、普通の座で登録されてしまった)。

これは極端な例だが、今の文字コードで表現できない人名は案外多い。梯子高の高橋さんはその一例だが、計算機上の表記は、わたしの感覚で言えば「高橋」で問題は無いと思うのだ。要は、大と犬と太が似ているからと言って統一することは不可能だが、出現頻度の低い異体字などは、日常の使用においては必要ない。所詮はドットの集まりに過ぎない文字に、そこまでの正確性は無意味だ、というのがわたしの論だ。しかし、全く不要だと言いたいのではない。特定の分野ではやはりマイナー文字の需要があるのだし、いつまでも外字に頼るのは本質ではない。

ではこの二つのジレンマを解決するには、どのような文字コードセット体系が適当なのであろうか。わたしが思うに、現在のJISコードに見られるような、一定のシーケンスによるコードセット切り替えが最も合理的では無いかと思う。これには多くのメリットがあり、少ないビット数でかなり多くの文字が表現できる上に同じファイルのなかに複数の言語が共存でき、なおかつ将来の拡張もコードセットを増やすだけで済み、容易である。複数の言語が共存できて見分けが付くことは、それがどの言語で書かれているかを判別することも可能だ。同じ英語でも、例えばアメリカとイギリスでは、同じ単語でも意味するものが異なったりする。これも、アメリカ英語とイギリス英語に別々のシーケンスを割り当てていれば、区別が付く。



文字コードについて
1999年1月27日(水曜日) くもり時々にわか雨

マイクロソフトあるところ、トラブルあり!

ということは今更説明するまでもなく、多くの方が身をもって理解しているところであろう。欠陥製品を出荷し、おまけにその対応が悪いのは誰もが知るところであるが、マイクロソフトの大きな特徴として、将来性や拡張性、それからメンテナンス性などという、規模の大きなソフトウェアには最も重要であるはずの実装が、ほとんど出来ていないように思う。ある製品や規格が末永く存続する要素としては、その場限りの利便や目先の効率は、あまり重要ではないのである。

そのマイクロソフトなど企業が新しい文字コードセットとして推進しているダメ概念の一つに Unicode というものがある。わたしはその筋の専門家ではないので詳しくは書けないが、それはその名の通り、世界中に存在する文字を、たった一つの統一文字コードセットで表現しようというものであるらしい。部分的なサポートではあるようだが、Windows にも実装されているので名前ぐらいはご存じの方も多いであろう。

確かに、現在は日本語だけでも複数の文字コードが存在するなど世界的規模で言えばコードセットの数は枚挙に遑がなく、あまっさえネットワークの発展により言語圏を超えたデータ交換が必須であることから、その姿勢は評価できる。実際、国内だけを流通する電子メールでも、規格通りに転送されていれば少なくとも2度は文字コードが変換されている場合が殆どだ。オマケに、それが上手く行かなかった場合は文字化けしたメールが届くことになるわけであり、人間があの手この手を尽くして解読を試みるのは本質ではない[*1]。

しかし、Unicode は多くの問題を孕んでいる。現在の Unicode は16ビットの固定長コードを一つの文字に割り当てている。つまり、いくら頑張っても65535個以上の文字は表現できない。現在、日本語の文字だけでも何万と存在し、それにマイナーな漢字も含めれば、16ビットでは足りないかも知れない。それなのに、欧文文字も、ハングル文字も、アラビア文字も同じコードセットに入れてしまおうというのだから、無理があるのは火を見るより明らかだ。

この問題は、アメリカ主導で規格が制定されたことに起因するとも聞いたことがある。7ビットもあれば問題の無く文字を表現できる言語を使う国だから、16ビットは十分な大きさと考えるのも無理はないだろう。しかし言い換えれば、これはアルファベットに髭が生えた程度の文字しか使わない文化の、他言語への無知と無理解の現れに他ならない。彼らには、漢字などのそれ一文字で意味を表す文字と、アルファベットのように深い意味を持たない文字との区別が付かないのである。

計算機の搭載メモリー量は増え、通信回線の速度は昔と比べてかなり速くなった。テキストファイルのサイズが少々大きくなっても困らない時代であることを考えれば、例え一つの文字が32ビットで表現されても何ら問題は無い。文字コードを一旦規格として制定すれば、後からそれを変えたり拡張するのが如何に困難なことかは、想像に難しくない。しかし、この Unicode はかなり前に強引に規格かされているのであった。(続く)


[*1] もっとも、これは長い歴史の中で古い規格との互換性を残しつつ拡張したためであり、電子メールの規格が悪いと言っているのではない。あくまでも身近で起きうる不便な例として挙げただけで、電子メールの文字コードを直ちに統一的なコードセットに切り替えても、混乱が起きるだけ。



BIOS事故・傾向と対策
1999年1月26日(火曜日) はれ

何をどう間違えたらそうなるのか、ROMライタを買ってしまった。えへへ、これでPCのBIOSの書き換えに失敗して立ち上がらなくなっても泣くことはないだろう。わたしは、特に問題が起きない限りBIOSを書き換えたりはしないが、身近にはBIOS書き換えマニアがいたりする。ある方はミスによりPCが立ち上がらなくなってROMライタを持っている人に泣きすがり、またある方は、AMIのBIOSを書くべき所にAWARDのものを書いてしまい、ROMライタコースとなっていた。

下手をすれば二度とPCが立ち上がらなくなる危険性を孕んでいるBIOSアップデート、そのメリットも色々とあるが、同時にリスクもでかい。しかし、万が一BIOSの書き換えに失敗し、PCが立ち上がらなくなった場合はどうすれば良いのだろうか。マザーボード自体が破損することはまず無いので、フラッシュも書けるROMライタをお持ちの方は、マザーからROMを外し、BIOSの中身を焼けばよい。もっとも、別に稼働しているPCが無ければ無理であるが。

問題はそのような文明の利器が無い場合であろう。GigaByteなど、一部のマザーにはBIOSリカバリ機能がついている。詳細は先のリンクを参照されたいが、簡単に説明すると生DOSの起動ディスクにBIOSイメージを入れ、autoexec.batに書き換えのコマンドを埋め込む。そうすると、起動すると同時にBIOSを書き換えてくれ、元に戻るというわけだ。これを成功させるには、そのディスクを作成する環境が必要だ。近くに余分なPCが無い方は、書き換える前に古いイメージを保存しておき、ディスクを作っておくと保険になる。

あるいは、同じマザーか、異なるマザーでもROMサイズなど特定の条件が一致するマザーがもう1枚ある場合は、動く方のマザーを使って書き換えてしまう方法もあったりする。まずは動く方のマザーでPCを立ち上げる。そして、電源を入れたままBIOSのROMをソケットから引っこ抜き、飛ばしてしまったROMに差し替えて書き換えを行うのだ。ROMの活線挿抜を伴うので危険は多いが、ちゃんとやれば成功する...はず。もっとも、ある程度の知識だけでなく、愛と勇気と希望[*1]と、それに加え壊れても泣かない図太い神経が必要である。そのうち、どれか一つでも欠落している方は挑戦しないように。

最後に、悪あがきはしないで普通にマザーボードを買ったショップへ持っていく(一般的にはそうするものなのかな?)。有償で書きかえてくれるようだ。

[*1] ここで「マジカルプリンセスほーりーあっぷ!!」と連想した方は、
人生やめた方が良いかも知れません。しかし、チャチャは良かったですね(^^)



うむむ...
1999年1月25日(月曜日) あめ

昨晩、布団に入ると急に憂鬱な気分になってきた。昔から、わたしは細かい事を根に持つ性格で、気を悪くした記憶や体験は、割と古いことでも覚えていたりする。昼間は忘れていることでも、明かりを消してからふと思い出し、朝まで寝付けなくなることが昔は良くあった。一度覚えたことはなかなか忘れられる物ではないが、少なくとも思い出さずにいれれば、どんなに楽な事か。これだけは、改めなければ自分が自らを苦しめることになると頭では理解はしているのだが、心はなかなか言うことを聞いてくれないものである。

今でこそそのような事は少なくなったが、完全に治った訳ではない。昨晩、何を間違えたのか、そのような症状が出てしまった。このまま朝方まで起きている訳にもいかず、暗い歌を聴きながら、久々に一人で酒を飲んでみる。こんなこと、何ら本質的な解決にはならないのだが、素早く酔える焼酎はこんな時には最適で、間もなく全身に酔いが回ってくるとアホらしくなり、寝てしまった。その反動か、今日は朝から気持ちがよかった。これも不思議なもので、一度ブルーを味わうと、長いこと晴れた気分が続くのだ。

わたしは、ある特定のことについては病的にまで理屈っぽいと人に言われることがあるのだが、それは単にわたしが理系の人間であるからとか、そのような簡単な理由で説明できるものではないと思う。何年か前までは意味もなくブルーになることが多く、酷いときは毎日であった。しかし、全ては何度思い起こしても一寸の前進すらあり得ない過去の記憶の中で、果てしのない堂々巡りを繰り返していただけなのだ。そこに出口を見つけたのは、それらを無理にでも理屈で理解することを覚えたときであったと、今では思う。

例えば、ある人間との関係において嫌な思いをしたとする。当然ながら、世の中には自分と反りの合わぬ人間は多くいるものだから、そのような経験がない方が不思議なぐらいである。しかし、わたしがその時にその場で嫌な思いをしたことを、全て自分の責任に帰結してしまうのであった。あの時に自分があんな事さえ...などと、執拗に後悔の念に駆られ、自己嫌悪に陥るのだ。その打開策が、適当な理屈をでっち上げて事を理解し、最終的に仕方がなかったという結論を導き出すこととなってしまった。

これは正しいことなのだろうか。理屈にはある程度の首尾一貫性が無いと自分が納得できないし、一旦はできたとしてもいつかは崩れてしまう。また、自分に多くの非が残っていても、解決には至らない。つまり、そのでっち上げられた理屈は理に適っていて、それも出来るだけ話が関係の無いところに転嫁されていなければならないはずだ。ところが、もし自分に全面的に非のあるような、他に転嫁できないような記憶が新たに追加されたり、そのほか何らかの理由で納得に疑いが生じれば、今まで築き上げてきた理由はいとも簡単に崩壊してしまう。

晴々とした日々の中に、時折憂鬱な節があるのは、整合性が薄れ、揺らぎはじめた数々の理由付けを再構築しているのかも知れない。時々、断片化したパソコンのハードディスクに、デフラグをかけるようなものか。



続・ソフトなんて
1999年1月24日(日曜日) あめ

雨が降っているので、出かける気がしない。とは言っても家に居ても暇なので、昨日のソフトなんかを書いてみたりして。取りあえず、マイコンのI/Oポートに繋がっている7セグメントLEDに数字を出すところまでは書いたのだが、それに数字を表示させるには、「バイナリ -> BCD」変換をしなければいけないことをすっかり忘れていた。BCDをご存じ無い方に、簡単な説明をすると...

機械が理解しやすい数字の形式はご存じの通り二進数であるが、人間は二進数を理解できない(希に居たりするけど)。従って、7セグなどに表示させる場合は十進数に変換する必要があるのだが、そうすると今度は機械が理解に苦しむ。その途方もないジレンマを上手く解決したのが、BCDである。Binary Coded Decimal と、その名の通り「十進数を二進数として記憶する」という、落ち着いて考えてみれば恐ろしいほど矛盾に満ちたものなのだ。

例えば、714という数字があるとする。これを16進数(二進数だと長いので、普通は16進数を使う)で表すと、2CAとなる。しかし、2CAと言われても人間は理解できないの。そこで、登場するのがBCDであり、これは16進数の714を、十進数の714に見立てちゃおうというものだ。つまり、十進数の1812が、714を表すBCDとなるわけだ。やっぱりBCDって、気持ちの悪いものがある[*1]。って、何故わたしは、こんなところでBCD講座などやっているのだろ。

と、こうして口で説明するのは簡単で、人間は比較的容易に理解できる話なのだが、これを体系的なプログラムで計算するとなると、面倒なのだ。これには色んなやり方があるようだが、取りあえず思いついた方法をコードにしてみた。しかし、実際に書いてみると、全然美しくないことに気づき、イヤになって書き直し...この辺はどちらかというと数学の分野だと思うのだが、数学は苦手なものでして。

*1 物は言い様。

       ちゃんと考えると、ごく自然なこと。

       16進数の714は十進数にすると1812だが、それを二進数にしてみると、

       0111 0001 0100     こうなる。これを4ビットずつに区切り、
        ↓   ↓   ↓
        7   1   4      それを十進数に戻すと714になるでしょ。



ソフトなんて
1999年1月23日(土曜日) はれ

昨日、ちょっとした組込用のプログラムを書いてみたので、実験のため動かそうとしてみた。パソコン用のプログラムは、どうでも良いような「泥仕事」はOSがやってくれるので苦労は無いが、ワンチップマイコンでは、その辺も全て自分でしなければならない。例えばメモリーが欲しければ malloc とするだけで、それがメモリー空間上のどこであるかを気にすることなく割り当てられるが、その辺まで面倒みてやる必要がある。従って、邪魔くさいことが多い。

さて、早速マイコンにプログラムを書き込んでみるも、なんか動かない。まあ、焦ることはない。初めはバグが存在するのも当たり前のことだ。取りあえず、バグってそうな場所は削除して、間違えようのないところだけをアセンブルして書き込んで見る。しかし、やっぱり動かない。色々とやってみるのだが何をしても動かず、金曜日の午後は頭を抱えながら終わってしまった。

しかし、動かないまま家に帰って週末を過ごすのも非常に気持ちの悪いものだ。色々と考えながら夕飯を食っていると、ふと思い当たるところが出てきた。不思議な勘が、これは絶対だとわたしに呼びかける。気になってしょうがないので早速会社に行って作り直したプログラムを実験してみると...一発で動きやんの。本当につまらないことで、俺の半日を返せ〜と叫びたい気分なのだ。

ソフトを書いて変なところでハマってしまうと、いくら頑張っても抜けられなくなるのは何故なのだろう? 大概は本当につまらないことなのだが、その場でソースを眺めている時には絶対に気づかない。ところが、飯を食ってたりと全然関係のないようなことをしているときに、何故か「お告げ」があったりして、それに従うとバグが取れちゃったりするから不思議なもの。いわゆる「毒電波」と称されるこのようなメッセージを受信することにより、人間は宇宙の真理を知ることができるのかもしれない(嘘)



国際電話
1999年1月22日(金曜日) はれ

先日、何年ぶりかの国際電話(厳密には国際FAX)なるものを使った。

昔は時々使うこともあったのだが、それも実家の電話だったので最近の国際電話事情には疎いわたしである。その頃は国際電話と言えばKDDしかないという感じだったが、最近ではテレビで派手なCMが流れていて、選択肢は色々とあるようだ。最も印象に残っているのはデブな黒人ラッパーが出てくるDDI、それ以外で記憶にあるのは所ジョージがやってるKDDの宣伝ぐらいのもの。さて、どれが良いのか。

通話先はニュージーランドである。通話先の国番号の頭に事業者番号00xxを付ければ電話が繋がるのは分かっているのだが、xxの部分に入る二桁の何番が、どこの事業者であるかまでは思い出せない。もっとも、KDDと言えば西田敏之前にやっていた「001番けいでぃーでぃー」が頭にこびり付いているし、1番という覚えやすい番号なのでそれだけは知っている。取りあえず、KDDから調べてみることにした。しかし、一社だけが三桁の事業者番号を使っていて、ほかは四桁であるのは不公平だという批判は、KDD以外の事業者からは多く出ているらしい。確かに、それはあるかも知れない。

KDDのサイトへ行ってみると、何の情報がどこにあるかわかりにくいという、企業ホームページの典型的な悪い例に仕上がっている。頑張って探ると、ニュージーランドまでの通話料金は、平日昼間で3分かけて770円。アメリカだと240円だから、結構高いのに驚く。次に、宣伝の派手なDDIのサイトへ行ってみた。ここも構成が分かりにくく、「ネットワークサービス」という所をクリックして、初めて電話関係の案内が出てくる。普通、ネットワークサービスと言われれば、インターネット関連事業の案内と間違うが。それに、わたしが見たところでは詳しい料金表は見つからず、やる気が感じられないのでパス。

次に行ったのは日本テレコムのサイトだ。ここは通信事業者とは思えないぐらい遅いのだが、ページの構成は比較的分かりやすくて良い。早速通話料金を調べると、平日昼間3分の料金は680円。KDDと比べたら90円も安い。日本テレコムには国内長距離通話でも使っていることから、ここを使うことにした。しかし、あのFAXを送るのに恐らく500円もかかっていることを考えると、電話って高い! 日頃の連絡は殆どメールで済ませているが、合理的な通信手段である。

そうそう、日本テレコムさんにはちょっと悪い気がする。長距離電話は、月に50円とか100円ぐらいしか使わない。そのような場合は2ヶ月に1回、まとめて銀行から引き落としされるのだが、それでも数百円の話だ。事業者が負担している銀行引き落とし手数料、明細書の郵送料などを考えると赤字だと思うのだが...基本料も取らずに、頑張っているのにね。

参考までに、事業者番号一覧。

事業者番号
KDD001
DDI0078
日本テレコム0041



レーザープリンタ
1999年1月21日(木曜日) はれ

レーザープリンタを入手した。とは言っても、最近安価で売られている小型で家庭向きの物ではなく、NECのPC-PR406LP2というかなり古くてデカイくて邪魔なやつである。何年ぶりかに火を入れてみて、テストプリントはうまく出来たが、まだこれがプリンタとして機能するかどうかは不明だ。取りあえずWindowsのドライバがあるかどうか探してみたが、標準で入っているものにその型番は無く、またWebに転がっている雰囲気もない。

そんな使えないかも知れないプリンタが何故家にやってきたかというと...

「これあげるから」
「え..えぇ。。使えないかも知れないですよね
「いやいやいや、あげるよ

というような会話をしている間に、

「ごたごた言ってないで、とっとと持って帰れこのやろー

とまでは言われなかったが、そうと言わんばかりに、埃だらけになって置かれていたプリンタが「もって帰りやすい位置」にまで引っぱり出されてきた。それも、ノーと言えないように、元々プリンタが置いてあった場所は、5分後には本棚に転換していた。なんか、段取りが良すぎる。

さて、問題はドライバである。テキストのみなら使えると思うが、それだけでは悲しすぎる。似たような型番のドライバで動いてしまうような気はしないでもないが、どれが最も似ているかどうかも不明で、今日は時間がなくてまだ実験していない。だれか、PC-PR406LP2を、Windows環境で動かしてみた方はいるだろうか?



うどん
1999年1月20日(水曜日) はれ

今日は夕方ぐらいに帰宅して、直ぐに寝てしまった。起きたら深夜、ついでに腹が減ったのでメシを食うことにする。とは言ってもスーパーも閉まっている時間、食品貯蔵庫を見ると先日ある方から頂いた、変なソバがある。ソバのようなウドンのような、まあ色んな意味で特殊性を持つものなのだが、こいつを食うことにする。

まずはうどんの出汁を作るのだ。わたしは昆布と鰹節から取っているが、他の方が出汁を作っているところを見たことがないので、本当のところどうやるのが正しいかは知らない。まず半沸き状態のお湯に出汁昆布を入れ、沸騰寸前で鰹節をぶち込む。そのまま5分ほど加熱し、火を止めてから更に5分ほど放置。出汁殻を棄て、微量の醤油、料理酒、食塩を入れて再沸騰すると、うどんの出汁になる。結構うまい。

ここで注目すべき点は醤油の量ではないだろうか。こちらの記事にも書いたのだが、出汁に入れる醤油の量は地域によって違う。わたしは関西人だからというわけでも無いのだが、昔から鉢の底が見えるぐらいの薄い出汁しか食っていない、当然ながら自分で作ってもそうなるのだ。醤油は殆ど入れないが、それだと塩分濃度が足りなくて不味いので、食塩で味にしまりをつけるのだ。

横浜に越してきてからというもの、慣れなのだろうか、濃い出汁を使ったもそう不味いとは思わなくなった(最初は少し濃いと思った)。しかし、実際に最も醤油辛いうどんを食った場所は仙台なのだ。関西人は濃い出汁を罵って、

「東京のうどん屋ちゅーのは、血圧の医者と連んどるんとちゃうか」

なんて言うが、個人的に正しいと思うのは、

「東北のうどん屋ちゅーのは、醤油屋からリベート貰ろとるんとちゃうか」

というところか。



内服薬?
1999年1月19日(火曜日) くもり/あめ

外も寒けりゃ、心も寒いこんな季節。
冷たい風に吹かれながら、人の幸せとは何たるかを、往々にして考えてしまうこの頃である。

今日は1月19日。わたしの誕生日は4月19日なので、また齢を一つ重ね、それも今度は一の位がオーバーフローして十の位がカウントアップするまで、残り3ヶ月となってしまったのだ。言い換えれば、タイムリミットはあと3ヶ月。わかりやすく言えば、あと3ヶ月で、わたしは恋愛経験ほぼゼロのまま成人しちまうという、実に不本意な事態が現実のこととなるのだ。

そんな深刻な心情を知ってか知らずか、ある方から誠にタイムリーなプレゼントが贈られてきた。

彼女のできる飴

この内服薬に即効性があることを切に願う。

以前に表紙絵を描いていただいたこちらのWebmasterから新しい表紙絵を貰ったので差し替えた。百貨店はそろそろ春物を売る準備をしているところであろうが、突撃はこれから冬なのである。実は、どんなのが良いかという問いに対し、季節感のあるものが良いかなって答えた結果がこのCGというわけだ。季節ものを用いるメリットは、季節外れになったら、また次のCGをねだる口実が自動的に閑静するという点だろうか。などと、一方的に釘をさしたりして(笑)

しかし、現代日本の都市生活者にとって季節感を全面に出した場面を想像するのも困難と思うのはわたしだけではないかも知れない。冬になれば寒くてコートを着るとか、雪が降るというような物理現象は別として、季節の行事などは廃れつつあると思う。正月を表す記号として凧揚げなんてものもあるが、例えばわたしが住んでいる場所の近所で気軽に凧を揚げられる場所なんて無い。わたしがガキのころは、淀川の河川敷で凧揚げしまくったんだけどね。大きな川が近くにあると、何かと良いものだ。



AKI-H8にISAバス
1999年1月18日(月曜日) はれ

ISAバスといえばAT互換機についているバスだが、これを秋月電子のAKI-H8(ワンチップマイコンボード)につけてみようという訳の分からない計画が浮上したのは少し前のことだ。家にあるコンピュータ類は全てLANで繋がっており、AKI-H8もコンピュータには違いないのだから、何を勘違いしたものか、こいつにもイーサーネットインターフェースをつけてしまって、LANに繋いでしまおうというアホなことを思いついたのだ。

それから色々と調べた結果、イーサーネットのインターフェースを初めから作るのは現実的ではないという結論に達し、パソコン用のNE2000カードを流用することにした。というわけで、まずはH8/3048-ISAバスブリッジを作るところから始まった。まずH8にはバスコントローラが内蔵されており、それを使えば簡単そうである。その仕様はマニュアルを見ればわかることで、こちらは簡潔な仕様になっていて理解に苦労は無い。

ところが、ISAバスの動作をちゃんと理解するには少々苦労した。8ビットなバスが無理矢理16ビットに拡張されたものであるため妙な仕様になっており、それに加えて邪魔くさい信号が多く、それらの信号を生成するにはそれなりのブリッジがないと難しそうなのだ。しかし、手元にある3枚のNE2000互換カードで使われている信号線を調べたところでは基本的なものだけに限られており、NE2000がとりあえず動けば良いのなら使われていない信号を作る必要も無く、そんなに大げさなものは必要なさそうだ。

そんなわけで、連休を利用して何となく作ってみたら、抵抗3本とパスコン3つと、あとは電線だけでブリッジ完成(笑) 難しく考えることも無かったみたいである。ハードは9割5分できたのだが、実はまだ動作試験をしていない。何故なら、まだドライバが出来ていないのだ。FreeBSDのNE2000ドライバを参考にしており、ざっと見たところではそんなに複雑なものには見えないのだが、これをアセンブラに書き直して移植するとなると、ちょっと骨。それに、TCP/IPスタックも作りたい...あー考えたくない。



魑魅魍魎
1999年1月17日(日曜日) はれ

先日、秋葉原のLAOXでちょっとしたものを買った。もちろん、買ったものはパソコン周辺機器には違いないのだが、自動車のデータを取る装置で使う目的で購入した。カネを払おうとしたとき、店員が色んな質問をしてくる。向こうは当然ながら親切な対応のつもりで聞いているのだが、なんか突然のことに答えが詰まってしまった。

 店員「お使いのパソコンは?

自動車計測機器とか言ったらあとあと面倒くさそうだ。

 わし「あー、ノートだけど...

とりあえずそう答れば、まあ良いだろうと。

 店員「メーカーはどこですか?

しつこい。

 わし「ちょっと忘れました。

 店員「じゃあ、OSは何をお使いですか?

まだ聞くことがあるのか。

 わし「95かな。

適当にごまかすが、この辺でちょっとイライラしてくる。

しかし、無理もない。LAOXで買うことはあまり無いが、商品見本として覗きに行くことは時々ある。客層は、8割がPC初心者ですと、顔に書いてある感じの者ばかり。別に初心者が悪いと言いたいのではないが、機種やOSの問題に加え、「相性」という訳の分からないものまであったりするこの業界。初めてPCに何か増設してみようという方々には、戸惑いも多いのだろう。かく言うわたしも、ドブに捨てた金額は計り知れないし(笑)



抵抗問題
1999年1月16日(土曜日) はれ

問題

昔、理科を教えていたときに合成抵抗の問題はよくやった。例えば上図にあるような問題は、別になんて事のない基本問題だ。生徒に出す問題は予め全て自分で解いておき、質問が出ても困らないようにしておくのだが、わたしはこういうのが凄く苦手なので苦労した。原理的には非常に簡単なのだが、書き方が悪いのである。回路図を少し書き換え、下図のようにすれば、誰でも解けるであろう。

回答

見た目は全然違うが、構成は全く同じだ。10Ωの抵抗が4本パラに繋がってるだけ、つまり答えは2.5Ωなのだ。原理や計算の問題ではなく、書き方の問題という部類のものである。困ったことに、わたしは前者のように書かれた回路を後者にぱっと変換できないのだ。お陰で、しばらく考え込まねばならず、そうと分かればこの上なく簡単な問題でも、しょうもないことを理解するのに時間がかかって解けなかったりした。昔から成績が悪かったり、今でも頭の回転が遅いのも、こういうような事だと思う。

潜在的に能力はあるが、直感的と言うのも変かもしれないが、つまりぱっとは頭が動かず、頭が悪いと言われている人。案外多いのではないかな、と思ったりした合成抵抗問題であった。



クレジットカード
1999年1月15日(金曜日) はれ

クレジットカードの明細と一緒に、写真入りクレジットカードの申込書が送られてくる。切り替えの料金は無料で、直接の理由は書かれていないが、カード会社は色々な理由をつけて進めてくる。おそらくは、盗難カードの不正利用対策なのだろう。カードの会員規約を隅々まで読む人はどのぐらいいるのか知らないが、普通の利用状況においてカードが盗難された場合、カード会社に届けを出せば、それが受理された日から多くは2ヶ月遡り、カード会社が損失を負担してくれることになっている。

従って、カード会社はあの手この手で不正利用対策をしないと損をするだけなのだ。本来ならば店員がサインを確認することで認証するはずだが、実際にカードの裏のサインと、明細に書いたサインをちゃんと照合する店は少ないように思う。実際、違う人がサインしても通ってしまうようだ。あまり客を疑うのも印象が悪いというのもあるのだろうが、わたしは、きちんと確認する店の方が真っ当な仕事をしているように思う。

盗難カードは、店に置いてある機械(CAT というらしい)でカード会社に照会すればわかることだが、盗難直後など、盗難届けの出ていないカードは防ぎようが無いのであろう。写真入りカードは、サインも何も、一目で本人でないことが分かるから効果抜群という狙いなのであろうと思われる。で、わたしは写真入りにしたかって? するわけないでしょ、カード会社の問題なのだから。(というか、写真写りが悪いからイヤなの)。

クレジットカードに関しては、こちらのサイトが大変参考になる。



バナー
1999年1月14日(木曜日) はれ

先日、GIFのLZW特許について書いたが、結局どうでも良くなって何か作ってみた。

バナー

あんまり意味も無いような気もするが、何となく更新時刻入りバナーなのだ。リンクを張るときに使っていただければ幸いである。しかし、画像に直リンクしないといけないので、リンクページが重くなることも確かかもしれない。何カ所もリンクしているところで、それもバナーを直リンクしていて、なおかつテーブルなんかを使っていると画像が全部読み込まれるまで何も表示されない(ネットスケープの場合) 途中に一カ所でも死んでいるホストがあったりすると、読み込みが止まってしまう。

こういうところとか、マンマシン部分はIEの方が良くできているのだが、IEを入れるとOSをぶっ壊されそうなので入れる気が起きない。IE派の人に言わせれば大丈夫というのだが、なぜかブラウザを入れるとカーネルが新しくなったりするのも何となく気に入らない。アプリケーションとしてやって良いことと悪いことがあるというのがわたしの論なのだが、どうせゲイツソフトだからしょうがないかな。

明日は昼から出かける予定なのだが、なんか雪が降るみたい...うーん。



ロジアナ
1999年1月13日(水曜日) はれ

何となくロジアナが欲しくなった。ちゃんとしたロジアナを買ってくるのが最もスマートだが、そんなものを買えるほど金持ちではないので、パソコンがロジアナにならないか、色々と考えてみた。最小限の工作でやるなら、パラレルポートにプローブをぶらさげるだけで一応8チャンネルのロジアナができてしまう。しかし、パラレルポートは普通に使うと遅いので、多分お話にならないと思う。シングルタスク全開で取り込んでも、かなり遅い信号でないと見えないだろう。

しかし、最近はパラレルポートをSCSI的に使うことも多い。パラレル接続のスキャナとかZIPドライブなんかがその例である。これらは、多分ECPモードとやらを使って高速に通信しているものと思われるが、これらの制御は一筋縄ではいかないようだ(仕様を詳しく見たわけではないが)。普通のセントロニクスみたいに適当にデータを送ってればOKというものではなく、制御チップのレジスタを操作して、DMAを使って、みたいな話になるようである。面倒くさすぎ。

もう一つは、どうやって正確な時間を計るかだ。タイマー割り込みを使うのも一つだが、互換機のタイマー割り込みは、DOSの場合では約55ミリ秒毎に発生する。話にならないのでタイマーの分周率を1にしては...と思ったら、どう頑張っても1MHzちょっとぐらいまでしか行かない。何故なら、タイマーをやってるICがそのぐらいのクロックで動いているからだ。Windowsとかのタイマーもいい加減臭いし、AT互換機でナノ秒オーダーの制御するには難しそうである。

考えてみると、わたしたちってかなりボロいアーキテクチャに固執しているのね。



GIF画像
1999年1月12日(火曜日) はれ

昨日遅くにこういうものを書いた。決して為になる記事ではないが、良ければどうぞ。

先日から思いつきでWEB上の画像ファイルを動的に書き換えるようなものを作り始めた。この業界で最も一般的な画像形式は GIF である。これのハンドラをスクラッチするのは面倒だが、こういうときのために便利なライブラリがあるのだ。GD というフリーのライブラリが、GIF ファイルをビットマップに展開し、ある程度の操作をするところまではやってくれる。それも使い方が非常に簡単なので GIF をいじるときはこれを使うのがシンプルでスマートなのだ。

しかし、GIF にはややこしい特許問題が、もれなく付いてくる。ユニシスのサイトに詳しく書かれているが、ユニシスが、GIFで使われているLZWという圧縮アルゴリズムの特許を取得しているため、GIFを使うためにはユニシスとライセンス契約を結ばなければならないというものだ。もっぱら個人的に使うためのGIF画像を生成する場合は特許問題をクリアしていなくても問題は無いが、WEBに公開された時点で個人の域を超えてしまう。従って、ライセンス契約が必要となるらしい。

さて、ライブラリであるGDはどうだろうか? 最新版のGDは特許問題をクリアするため、画像を保存する際にはLZW圧縮を一切用いない方法で画像を圧縮している。従って圧縮率は悪いが、特許問題にはひっかからない。しかし、ソースを見ると既存のGIF画像を展開する際にはLZWを延伸するようなコードがあり、もしかするとこれは特許的にやばいかも知れない。もしそうであれば、GDライブラリを使ってコンパイルされたソースも問題があるかもしれない。そこで JPEG を使うことも考えたが、IJG(JPEGの開発元)が公開しているフリーのソースをみても良くわからなかったのでやめた。JPEG は GIF に比べると、かなり複雑な圧縮をしている。

とりわけオープンソースなフリーソフトを作る者は、アルゴリズムに対する特許を嫌う傾向にある。ソフトウェアは人類の共有財産だというスタンスを取っているのだから、当たり前の話だ。その総本山は GNU だが、GNU のサイトに GIF 画像は存在せず、すべて JPEG を使っている。その理由は、やはり特許問題である。ユニシスがGIFの特許云々を主張しはじめたのは、確か1990年前後だったと思う。その頃の時代背景として、全米の企業が知的所有権で一儲けすることに命を懸けていたようだ。

しかし、この業界においてそのようなやり方が通用しなくなってきているのは、歴史が証明しつつあるのかも知れない。元からアーキテクチャが公開されていたIBM-PCは放っておくだけでここまで発展し、あるいは企業がある技術の特許を主張すれば、何らかの方法でそれを回避するための工夫がなされてきた。例えばIBMが世に出したしたMCAバスが水子のように消え、EISAバスがある程度支持されたのも、その一例であろう。以前にマイクロソフトがオープンソースなソフトウェアに脅威を感じているという旨の文が公開されて話題になったが、これもその流れと言って良いと思う。LZW特許は2003年に期限切れとなるが、その頃にはどうなっているのだろうか。



うわ〜い
1999年1月11日(月曜日) はれ

今日は平成11年1月11日なのだ...うわ〜い、ぞろ目(^^)

とか喜んでいられるほど暇じゃない。日曜日、起きたら6時だった。テレビをつけると「ちびまるこちゃん」が放送されていることからして、午後6時だったらしい。当然、そんな時刻に起きるとその晩は平均的な会社員が就寝するであろう時刻には寝られない。しょうがないから暫くPCいじってて、朝の4時。まだ眠たくならないから、少しエタノールを。しかし、元々酒に弱い体質なので酒がまわって苦しくなっただけで、結局ふとんの中で酔いが醒めてから、いつのまにか寝てしまった(多分6時ぐらい)。

そんなブルーでローテンションな月曜日。誰が何と言おうと今日は定時であがってやる。そう心に誓って出勤した月曜日。昼食が胃に入って眠気が更に増した昼下がり、ある書類を何枚か書いていたら日付を記入する欄が二カ所あった。一つは元旦の日付。もう一つは今日の日付。平成11年1月1日と平成11年1月11日。嗚呼神様助けて下さい。もう僕ちんには理解不能っす。気がつけば平成11年11月1日とか書いてるし。ついでに、年が変わったことも脳から揮発していたらしく、平成10年とかもどこかに書いちゃったし。わたし、月曜日、嫌いです。

夕方になって悪い電波が聞こえてきたので、決めた通り定時あがりだ!! 久しぶりに早く帰ったので、凝った料理を作ってみることにした。凝ったといっても独身だから、適当適当。昨晩は酒で失敗したから今日の晩飯は鮭にしよう、みたいな意味不明な理由で鮭のソテーを作ることにした。レシピーによると、鮭の皮を剥いて、オリーブ油でソテーとする。ほうほう簡単じゃねえか。で、これは卵をかけて食うと旨いらしい。卵をボウルに割り、湯を沸かし、酢を入れてポーチドエッグにしろ。ん?酢?

酸っぱい物はあまり好きではないわたしの家には、酢なんてものはない。卵も割ってお湯も煮立ってからそんなことに気づくなんて、いかにも月曜日らしいことだ。糞ったれ月曜日め、覚えてやがれ。とか叫んでも事態は解決しないので、思考を働かす。きっと酢を入れてない湯に卵を落としても白身がバラバラになるだけだろう。すると、白身が包まれるのは、きっと酢の酸が作用しているに違いない! そうだ、酸性になれば何でも良いんだ。そうとすれば、そこの棚にアレが...

そうそう、塩酸があるのだ。酸なら塩酸だって良いはずだ。その工業用塩酸と書かれた瓶の蓋を開け、立ち上る白い煙を静かに鼻から吸引してみる。へっ、こいつだけは何回やってみてもトリップできるぜっ(注:絶対にしてはいけません)。そして、彼は不気味な笑みを浮かべながら、無限に繰り広げられる幻想の世界で...いや違う!! レシピーのタイトルを改めて見ると「クッキングタイム サーモン、ちょっとおしゃれに もっとおいしく」なんて書いてある。味はともあれ、どうやって考えても煙を上げる工業用塩酸に「おしゃれ」という形容詞はつきようがない。

結局、味覚や精神衛生上の問題ではなく、「おしゃれ」という強烈な一言に負け、塩酸は元の場所に戻したのであった。その後どうしたかって? しょうがないからそのままの湯に卵を落とし、モロモロになった白身を網じゃくしでかき集めて、ポーチドエッグに似たものを作りましたよ。独身は結果オーライです。しかし、今日の文章、いつもより多く電波が混ざてっるみたいです。それがきっと月曜日のせいです。でもね、鮭のソテー、おいしかったです。



YAHOO
1999年1月10日(日曜日) はれ

ここをご覧の方でYAHOO Japanを知らない方は希だと思うが、YAHOOについては少し疑問があるのだ。それは、最近になってYAHOOがサーチエンジン登録をしなくなったということである。突撃実験室は開設当初にYAHOOに登録してもらったのだが、今ではその頃と趣旨も大分変わり、URLも変わった。いつまでも古い情報が登録されているのは、わたしも不本意であるし、YAHOOの利用者にとっても不利益なことであるから、変更申請を出したのだ。

もうかなり前の話なので具体的な日付などは覚えていないが、まずURLと名称が変わったという知らせをYAHOOに入れた。しかし、1ヶ月ほど待っても古い情報が登録されたまま、音沙汰がない。しょうがないので、最初の申請から確か2ヶ月後ぐらいに再度同じような内容で変更申請を送ってみたのだ。今度は一応の反応があり、暫く経ってからYAHOOのサーファーが突撃実験室を見に来たようなのだ(アクセスログに yahoo.co.jp が残っていた)。今度こそ登録内容が変更されると思いきや。

それから数日後、確認のためにYAHOOを見に行くと、古い情報は確かに消えていることを確認した。ところが、新しいURLはサーチエンジンには登録されていなかったのである。例えば突撃実験室のコンテンツがYAHOOの趣旨に合わないなど、何らかの登録できない理由があるのならば仕方がないと思うが、それにしても、削除申請を出した訳でもないのに、昔から登録されていた内容だけを削除し、新しいものを登録しないYAHOOの姿勢は少し気分が悪い。

何を登録するかしないかは、YAHOOが決めるところだから、わたしにそれ以上のことを言う権利はどこにもない。だが、他の人にも話を伺ってみると、このような目に遭っているのはわたしだけではないようだ。会社の人が出した登録申請も無視されたし、友人がホームページを作って登録申請を出したらしいが、それも無視された。そればかりではなく、間違ったURLが登録されていたのを見つけたのでYAHOOに知らせてあげたが、それもすぐには修正されなかったと思う。

昔のYAHOOはそんなでも無かったようだ。わたしが初めて作った未完成状態のホームページを登録してくれるように申請を出したら暫くして登録され、それも向こうからそれを知らせるメールが送られてきた記憶がある。わたしの場合ではなく、昔は内容に関係なく、、ほぼどんなサイトでも登録していたようである。しかし、最近になってYAHOOはYAHOOの趣旨に添うサイトのみを登録することに方針を変えたようだ。その基準はよくわからないが、YAHOOは特定の分野のみを取り上げたサーチエンジンでは無いだけに、内容がフィルタされているのはどうかと思う。

YAHOOの怠慢は感じている人も多いようだが、YAHOOも苦しい立場にあるのは何となく理解できる。最近、個人ホームページが爆発的に増え、雑誌では「まずはYAHOOに登録しましょう」という具合でマニュアル化され、訳の分からない登録依頼が殺到すればやってられなくなるはずである。文の書き方すら分かっていない者が多いことは、わたしも肌で感じていることである。初心者だからと言って、それは許されることではない。



スタンドアロンサーバー
1999年1月9日(土曜日) はれ

最近、スタンドアロンのインターネットサーバーなるものが登場している。OCNエコノミーを初めとし、デジタルアクセスなどの専用線も安価になってきたことから、手軽に常時接続を目指す小規模な事業所や個人を対象としているものであろうと思う。いまご覧の突撃実験室は、FreeBSDと普通の互換機によりサーバーを構築してわたしの自宅に置いているが、これらスタンドアロンサーバーの実力はいかなるものであろうか。

実機が無いので広告などの情報に頼るしかないのだが、内部の写真を見る限りでは、互換機用のCPUとかハードディスクが乗っている。それに、FreeBSDやLinuxのようなOSが入っているだけのようだ。要するに、普通のPCから余分な部分を削り、スタンドアロン仕様にしただけのものなのであろう。それならばPCでサーバーを組んでも大した違いは無いように思うが、何となく常時接続にしてみたいけど、難しいことはよく分からないしって人にはちょうどよいのかもしれない。

スペックを見ると、無停電電源装置までが内蔵されているものがあったりして、なかなか面白い。消費電力もPCほどではないだろうし、ファンなどの音も静かなのであろう。日本の家庭事情にぴったりである。マンマシン部分は、動作状況の表示はLCD画面、あとはボタンが少々ついているというのが基本のようだ。設定や管理はブラウザからGUIで行えるというのがウリらしい。サーバーというものも、初心者でも簡単に設定できなければ売れない時代になってきたようである。

仕事柄、普段からPCやUNIXを扱うことには慣れている方だと思うのだが、そうであってもこれはちょっと欲しい気がする。サーバーの管理は殆どリモートで行っているので、普段は機械本体のマンマシンが少々不満足でも問題はないし、静かで場所を取らなくて消費電力が小さければ、それに超したことはない。中身がFreeBSDなどであれば、その気になればサーバーとは関係のないプロセスを動かしたりも出来るかもしれない。

ただ問題は価格が高いことだ。売り値は、ケチケチ仕様でPCを組めば3台ぐらいは組みあがってしまうようなものばかりである。専任の管理者がいなくても何とか使えるという利点から考えれば安いのかも知れないが、何がどうなっているかを理解していれば、NLXみたいな小型PCにしてしまった方が明らかにコストパフォーマンスは良い。それに、OSにバグパッチをあてたら「それはメーカー保証外です」なんて言われそうだし...やはり、サーバーは自分でメンテナンスするのが一番良いと思ったりする。



ホットカーペット
1999年1月8日(金曜日) はれ/くもり/雪

一昨日、暖房のことについて書いたら、ある方からホットカーペットを下さるとの連絡を頂いた(ありがとうございました、改めてお礼申し上げます)。古いやつなのでどうなるか分からないとのことであったが、繋いでみたらちゃんと暖かくなった(当たり前か)。まだ使い初めて暫くしかたたないが、わたしがいつも座っている場所(もといPCの前)に敷いてみたところ、足下が暖かくて調子が良い。

一人で住むならコタツを買おうと前々から思っていたのだが、結局その夢は叶わなかった。何故なら、奥行き100センチ、幅180センチの巨大な事務机を先に購入したからだ。そのため、必然的に椅子の上にいることが多く、ホットカーペットの有用性については疑問だったが、それでも何となく熱気が上がってくるような感じなので良いかもしれない。座卓の場合と比べれば、効果は少ないだろうが、無いよりは良いだろう。

その机の上には17インチのモニタが2つ、下にはミニタワーPCが2つ、書類入れなんかを置いているが、結局その大きさでも物を置くと狭さを感じる。買ったときはデカすぎるかもと思ったが、使ってみるとそうでもないようだ。これでコタツなんか入れたら、多分整理のしようがなくなるだろう。コタツの横にフルタワーケース、上に17インチのモニタなんか置いたら、何やねんって感じだし。

昨日は疲れて寝てしまい、日記を書き損ねた。うちに帰ってすぐの9時頃にはすでに意識がなく、定時の8時頃に起きたから、11時間も寝ていたことになる。今週前半は寝不足気味であったから、そのしわ寄せかも知れない。人間、「貯め寝」は利かないと言うが、本当だろうか? わたしは夜は強い方で、普通に起きていれば朝の4時ぐらいまでは眠たくならない。その代わり、次の日は足りない時間の5割ぐらい余計に寝てしまうことが多い。あるいは、慢性的な寝不足の時は、休みの日に纏めて寝るか...不健康なのだが、頑張ればこんな調子でも大丈夫なのだ。朝は極端に弱いが。

今日は横浜でもかなり雪が降った。どうりで朝から寒かったわけだ。
寒さの折り、風邪など引かぬようご自愛下さい(いつもと違うしめくくり)。



暖房について
1999年1月6日(水曜日) はれ

昨日、ポストに投函されていた電気メーター検針票を見て少し驚いた。先月は6,421円だった電気代が、今月は10,017円に跳ね上がってしまい、とうとう一万円の大台を超えてしまったのだ。その原因が過剰暖房であること明らかである。わたしは暑いのには比較的耐えられるのだが、寒いのが大の苦手である。その割に、厚着が嫌いときた。冬場は部屋をガンガン暖めて、薄い格好で過ごす主義なのだ。しかし、電気代がこうも高くなってしまうと、そんなことも言ってられない。

しょうがないので、早速っていうか、今更ながらセーターを着ることにした。更に、その上からちゃんちゃんこを着る。厚着になれていないので何となく気持ちが悪い。更に、エアコンの温度設定を下げ、それと併用していた電気ファンヒーターの使用は極力避けることに決めた。今とは全く逆のことをするのだから一大決心なのだが、何しろ扱っている相手はカネの問題、しょうがない。それにしても寒いのだ。早く体が慣れてくれなければ、凍死しそうである。

暖房の問題を考えていると、以前やっていた仕事で生徒にある英文読解問題を教えていた時のことを思い出す。確かどっかの短大入試問題だったと思うが、この手の問題にはしばしば、日本と他国の文化を比較した文章が登場するものだ。その問題では、筆者は西洋風であるという、部屋全体を暖める暖房方式と、日本的という火鉢やコタツなどの、人が居る場所のみを局所的に暖める方式を比べていた。結論は見え透いたもので、要するに後者の方が効率が良い、というお話である。

この見解は、あながち的を外した物ではないと思う。部屋全体を暖めると、人が居ない場所まで暖房することになる。部屋全体が平均的に暖かいと確かに便利ではあるが、暖気はどんどん外に逃げていく物だし、効率が悪いのは確かであろう。逆に、局所的に暖めるのはどうなのだろう。わたしのように過剰暖房を趣味とする人間に暖をとらせるのなら、熱源を人間の近くに配置し、そこだけにヒートスポットを作って部屋の平均温度は低く保った方が効率は良い。

もちろん、暖房方式は住宅文化、あるいは人間が家の中でどのような生活様式を取っているかによって変わってくるものであるから、それは一概には言えない。例えばコタツは、前述したような意味では大変効率的なものだが、椅子の上で生活する人間にとっては無用の長物であり、同じような方式で暖をとるなら電気毛布を膝に掛けるなどするのが適当と言える。従って、効率を論じるためとは言え、暖房文化を比較することにこれと言った意味はなく、どんな暖房器具の組み合わせが最も適当であるかを考えることが重要だと思う。

わたしの自宅では、電気ファンヒーターとエアコンを併用している。エアコンは部屋全体の暖のため、そして電気ファンヒーターは直ぐにあたたまるので、エアコンが立ち上がるまでと、冷え性対策として手足を暖めるために使っている。しかし、実際のところ足下の冷えは連続的なものなので、結果的にエアコンとファンヒーターを常時併用しているような形になってしまっている。で、コタツが欲しいところなのだが、部屋のスペース的に無理である。とすると、一畳ぐらいのホットカーペットを買ってくるのが良い気がしてきた。この時期なら、そろそろ安くなってるかな...



HDD臨終寸前?
1999年1月5日(火曜日) はれ

数日前、ハードディスクから異音が出始めた。何気なくPCで遊んでいると、突然。

カラカラカ...(シークしてるのかな?
ゴリッゴリッ、ベキッッ、ベキッ(おい、待ってくれ!!

という、極めて精神的によろしくない物だ。この音を聞いているだけで冷や汗が出てきて、寿命が縮まる気分である。異音は絶えず鳴っているわけではなく、ディスクアクセス時にヘッドがシークしたときにのみ出るようなのだ。別にディスクを酷使したこともないし、今時のハードディスクでヘッドが逝ってしまうことは考えにくい。

だが、今のところ壊れたファイルなどは存在しない。少々の害があったとすればその音が出ている間は一瞬システムが固まったかのように見えるのだが、しばらくすると正常にディスクを読み書きしてくれるのである。しかし、8ギガのハードディスクが本当にご臨終したら寒い物がある。どうでも良い物や既にバックアップのあるものを除き、慌ててCD-Rに焼いてバックアップを取った。

CDのイメージも同じディスクに作ると怖いので、予備のディスク上に作る。しかし、バックアップされるファイルを読みとってイメージを作っている間も相変わらずベキベキと鳴るので、怖い怖い。しかし、まだ壊れる気配は無いく、おまけに、一昨日ぐらいから異音が出なくなった。壊れかけたものが自己修復したとも考えにくいので、完全に壊れきったのかも知れない。

無くなったファイルなど、実質的な被害はとりあえずゼロ。何にも使っていないパーティションが一個あるのだが、ひょっとすると運良くそこだけ壊れたのか。よくわからないが、気持ちが悪いので無かったことにしよう...かな。



簡易的関西弁翻訳方法
1999年1月4日(月曜日) はれ

文を文節に分解するとき、国語の授業では「ね」を適当に挿入せよと習う。

例文;僕の趣味は子猫の虐待です。

「ね」挿入後→僕のね、趣味はね、子猫のね、虐待ですね。

しかし、「ね」の代わりに「な」を挿入すると、副作用的に関西弁と化す。

「な」挿入後→僕のな、趣味はな、子猫のな、虐待ですな。

ほりゃ。

非常に単純だが、これで色んな文が関西風になるなので、簡便的方法としては割と使える。「な」挿入式関西文の正しいアクセントは、ぼんちおさむ的に発音するのが適当かな...例えば「僕のな」は、「ぼくの」までアクセントを入れずほぼ棒読みし(「ぼ」で上がってはいけない)、「な」の部分は「なぁ」と伸ばしながら、やや落とす感じである。それだけで、多分それっぽくは聞こえると思う。




踊る大捜査線
1999年1月3日(日曜日) はれ

ここ、普段は寝る前に書くことが殆どなのだが、ここ数日は昼間から家にいるので午前中にその日の分を書いた日もあった。ところが、いつもこれを書いているぐらいの時刻になると、既に更新したはずなのに、毒論を更新しなければという脅迫感に駆られるのだ。もっとも、既に更新を済ましていたことには1秒以内で気づくのだが、どういう訳か落ち着かない。一日の締めくくりになってしまっているのか、その日に思ったことを纏めるための行事となってしまったのか、良くわからないが、やはり晩になってから書かないといけないようだ。

昨日は暇だったので、近所の繁華街をぶらついていた。すると、未だに踊る大捜査線を上映している映画館を発見。周りでは期待したほど面白くなかったという意見が多かったので積極的に見に行くつもりは無かったのだが、暇つぶしがてら行ってみた。以下、若干のネタバレ注意。

踊る大捜査線だが、内容的には案の定大したことは無く、むしろウケ狙いとして見た方が率直に楽しめるであろう。ギャグが出れば躊躇わずに笑う、という精神が無ければ、他に楽しむ要素が少なすぎるので、きっと無駄な時間を過ごすことになる。また、どことなく観客を感動させようとする努力は感じられなくもないのだが、臭すぎるのでむしろ可笑しい。それらは、ギャグのためのチャージタイムだと思う。

この映画の全容を簡潔に纏めるとすれば、

インターネットで下らんチャットなんかして遊んでる奴らなんか、
どうせ糞下衆野郎ばかりなんだよ。気持ち悪いから全員死にやがれ!!

と言うのが最も適切であろうかと思う。アングラサイト、チャット、オフ、などという魑魅魍魎が相次いで登場すれば、一般人はもうイチコロでダウンするに違いない。それに、WEBで遊んでいる人間には若年層が多いということも考慮に入れてなのか、あまっさえ少年犯罪的要素も間接的にだが取り入れており、抜け目がない。更に過保護を極めた母親なんかが出てきて、どうしようもない世相が着実に映画に反映されていると思う。

これが事実であるかどうかわたしが判定するところではないが、大げさな描写であるにせよ、何となく怪しげに感じられるネットワークの世界を一般人が想像すれば、この見解は的を得た物だと思う(「まとめ」では極端な書き方はしているけれど)。もちろん、突撃実験室のように極めて健全な?サイトが殆どだが、一方で、真っ昼間からどうしようもないような奴等が、匿名性をいいことに暴れている様は実際に見られることだ。事情を深く知らない人間にとって見れば、悪いところは目立つ物である。

司法関係者からは、そんな捜査手法が通用するかボケ!などと、様々な突っ込みもあるだろう。あるいはネットワーク管理者からみれば、これは悲しい性なのか、手動でアクセスログをめくる奴があるか、grepぐらい使えコノヤロー!とか、どうせ串かましてんだからホスト名から直ぐに住所が割れるかよ、みたいな突っ込みも多くあるのだが、まあ見方によっては、暇を埋めるぐらいの価値はあるのではないかと思う。



フィクション
1999年1月2日(土曜日) はれ

宮下「主任、大変です!!

一人の若い研究員が、戸を突き破らんばかりの勢いで部屋に飛び込んできた。
この研究所に先月赴任したばかりの宮下である。

彼女の目は悪巧みを持った猫のそれと同じように輝き、何らかの新発見を
示唆している。しかし、表情はどことなく気まずそうだ。

主任「どうしたんだね、そんなに慌てて
宮下「なんてゆうか、新しい化合物を発見したんですが、その...

途中で言葉を切ると、彼女は視線を逸らしながら一枚のメモを取りだした。

官能基


主任「・・・・・


黙る主任。ますます気まずい宮下。

宮下「・・・・・あの・・・
主任「ああ、大発見だなこりゃ...

主任はメモを見つめながら腕を組んだ。
いつもは無表情の顔に僅かながら笑みが浮かぶ。

宮下「これって...
主任「そうだなあ、これは官能基と名付けるしかないだろう
宮下「そ、そう..ですかあ
主任「うむ。じゃあ君は研究に戻りなさい
宮下「はい...

宮下は軽く返事をすると、足早に部屋を去った。

その後まもなく、化学の世界に官能基という言葉が登場した。
だが、宮下らの消息を知る者はいない。



お正月スペシャル・年賀メールの書き方
1999年1月1日(金曜日) はれ

新年明けましておめでとうございます。これで突撃実験室は2度目の正月を迎えることができました。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、電子メールをお使いの方なら「年賀メール」なるものを送った方も多いだろう。年賀メールを送る者にとっては当然の心理なのだろう、可能な限り元旦の午前0時近くにメールを送付するため、当然ながらメールのトラヒックが一時的に急増してしまう。それに、普段はあまり電子メールを受け取らない人までが利用するため、メールスプールの容量が不十分なプロバイダなどでは、ディスクが溢れるところもあるとかないとか。メールスプールは余裕を持って確保しておくのが賢いシステム管理者のすることだが、良い教訓と言えよう。

斯く言うわたしも、今年はネット上でお世話になった方々にに年賀メールを送ってみた。ただ、わたしは細かいところを気にするタイプなので、どうしても元旦の午前0時0分0秒にメールが送られないと納得がいかない。電話で117を聞きながら送信するのも一つの手段かもしれないが、所詮は人間がすることだから正確さに欠けるし、何にせよスマートではない。そういう面倒なことは、機械にやらせるのが一番だ。既に一部の方には届いたであろう0時0分0秒メール、ここで種明かしをしてみるのだ。(まあ、分かる人なら見れば分かると思うけど)

材料;


まずは、お好みに合わせて年賀メールの本文を書くのだ。本来、日本語メールの漢字コードは ISO-2022-JP (いわゆる JIS-7bit) で送られなければならないが、後でそれに変換すれば済むことだからここはお使いのエディタが対応しているコードで作成しても構わない。また、その時に同時にメールのヘッダを添付しておく必要がある。これは、テキストの先頭から書き始め、ヘッダの終わりと本文の始まりとの間には改行を一つだけ入れることになっている。

実は、時刻ぴったりメールのミソは、ヘッダ部分にある。まずは、From: を入れ、これは差出人を示すものとなるから、自分の氏名やメールアドレスを入れれば良い。そして、Date: には、現在時刻とは関係なく、元旦の日付と時刻を入れるのだ。Subject: 行を入れて、題名をつけると、何の用件か分かりやすかろう。そして、宛先は To: ヘッダで指定するのが普通だが、それでは送付先リストが関係の無い人にも見えてしまう。従って、宛先は複数行にわたる Bcc: で書くと良いのだろう。

例;
    From: Junsuke Kunugiza <kunugiza@xxxxx.jp>
    Date: Fri, 1 Jan 1999 00:00:00 +0900
    Subject: A Happy New Year!!
    Bcc: friend1@yyyyy.jp
    Bcc: friend2@zzzzz.jp

    明けましておめでとうございます。
    本年もよろしくお願いいたします。


    椚座 淳介
こうして、雛形を予め作っておく。なお、ヘッダ部分に日本語文字は原則として使ってはならない。From: 行や Subject: 行には日本語を入れられないことも無いが、Base64でエンコードしなければ行けないことになっているので、面倒だからここでは扱わないことにする。本文は当然ながら日本語を使っても良い。某 Outlook みたいに変なエンコードをかけたら、読めないメールに変身するのがオチである。(本当はもう少し気の利いたヘッダを入れた方が良いんだろうけど、まあ割愛でいいでしょ)

注目されたいのは、Date: 行だ。これは、メールのタイムスタンプのようなものだが、別にメールが送られた時の日付である必要はなく、過去であれ未来であれ、任意に指定できるのだ。普段はメーラーが勝手にやってくれることなので必然的にパソコンの時計が示す時刻となるが、これを敢えて手動で元旦の日時にぴったりと合わせておけば、見た目は午前0時ちょうどのメールに見えるわけである。なお、メールサーバーがメールを処理した実際の時刻は、Received: ヘッダに付加される。アリバイ工作に使おうと思った方は残念だが、諦めるべきである。

そうそう、今年の Date: では意味が無い。来年の年賀メールなら、

Date: Sat, 1 Jan 2000 00:00:00 +0900

となるべきだろう。2000年を認識できない計算機がないことを祈って...

大方の方は Windows をお使いだろうから、仮に nenga.txt というS-JISのテキストファイルを作ったとしよう。次に、これを FreeBSD などの Unix マシンの適当なディレクトリに持ってきて、nkf などで漢字コードを変換する。例えば変換後に nenga.jis というファイルを作るとすれば、

% nkf -j < nenga.txt > nenga.jis

これでOKだ。nenga.jis というファイルが、これから送られるメールの本文、タイムスタンプ、そして宛先を含んだファイルとしてできあがる。そして、午前0時になったら次のコマンドを実行すると、Bcc: で指定された宛先にメールが自動的に配送される。

% sendmail -t < nenga.jis

sendmail にファイルを渡しているだけだが、-t オプションをつけると、sendmail の引数で宛先を指定しなくてもメールのファイルの中にある Bcc: などのヘッダを読んで、宛先毎に配送してくれるのだ。

言うまでもないが、ここまで細工しているのに午前0時になるまで待って手動で送信しているようでは、スマートとは言えない。こういう時は、cron を使って、時限起動するのが良い方法だ。cron で何かを起動するには crontab -e で起動する時刻とプログラムを指定する (FreeBSD の場合)。しかし、まずその前に

    #!/bin/sh
    /usr/sbin/sendmail -t < /home/xxxxx/nenga.jis
上記のような、簡単なシェルプログラムを作る。当たり前だが、上記の例ではパスなどは適当なので、お使いの環境に合わせて作る必要がある。そして、例えばこれを /home/xxxxx/nenga_send というファイル名で保存したとすると、crontab には以下のように書くと、元旦の0時0分ちょうどに起動してくれるわけだ。なお、nenga_send に実行権限を与えておくのも忘れないように。

     0 0 1 1 * /home/xxxxx/nenga_send
crontab の中身は単なるテキストであり、左から分、時、日、月、曜日、起動するプログラム、の順にスペースを空けながら書いていくだけだ。ここでは、曜日は問わない、1月1日の午前0時0分に /home/xxxxx/nenga_send を起動せよ、という意味である。つまり、元旦の午前0時ちょうどに、年賀メールが自動的に発送されるというわけだ。普通ならこれで良いのだろうが、これでは飽き足りずに sed などを駆使し、メールに相手の氏名を自動的に組み込んだりするようになれば、もうあなたは立派な廃人である。

うーむー、元旦早々、電子メールとUNIXのお勉強なんか嫌だって?
大変失礼いたしました。実は、こちらのWebmasterのリクエストなのでありました。



突撃実験室