多事毒論(2001年1月分)


キョンシー
2001年1月31日(水曜日) はれ

会社で静かに仕事をしていたときのことだ。そういや昔、キョンシーなんてやつがいたよなと。何の脈略もなく、そんなことをふと思い出した。なんか青白い顔で、手が前に伸びていて・・・記憶を手繰り寄せながら頭の中でキョンシー像を再構成していくと、なんだか可笑しくて堪らなくなり、そのおかしさがスレッシュホールドレベルを超えるや否や、全開でケタケタと笑い声を上げてしまう。気の毒に・・・前から何となくヤバいとは思っていたけど、あの人もとうとう本気で壊れてしまったか。事情を知らない周囲の人間は、皆そう思ったことだろう。

キョンシーがぴょんぴょんと飛び跳ねるという、頭中に描かれた滑稽な再現映像だけでも十二分に可笑しかったのだが、それ以上に笑いを誘ったのは、今となっては
「あれは一体、なんだったんだ?」と首を傾げずにはいられない、放送当時に巻き起こったキョンシーブームである。キョンシーとタイアップした製品が様々な形で発売された記憶があるし、身近なところでは黄色い紙切れに赤マジックで良く分からない文字を書き、いわゆる「お札」を作ってその出来栄えを競い合っていたヤツも一人や二人ではなかった。応用としてそれを額に添付する者もあれば、腕を直角に突き出して飛び跳ね「キョンシーごっこ」を興ずる者までいたような気がする。

本当に、あれは一体なんだったんだろう。ブームなんて過ぎ去ってから、ああだこうだと考えるものではないけれど、考えてみればとことん妙な作品だったし、それ以前にキョンシーという存在自体、いまだに訳の分からない。それがブームになるのだから、何が流行るかなんて分からない、火付け役の先見性の明には、色んな意味で敬意を払いたい。ところで、壊れた笑い声で職場中を轟かせながらも、Google で「キョンシー」を検索してみた。意外と引っかかるもんだな



LEDとか
2001年1月30日(火曜日) はれ

部屋の散らかりようが、危うく致死量を超えてしまいそうになった。お前ら見て惚れるんじゃねえぞと言いたくなるような阿鼻叫喚たる惨状が床を埋め尽くしており、それは足の踏み場に苦慮するといったような生半可な状態ではない。物を踏むことなく通行することが困難であるという説明ですら、困難とは目的を達成しうる可能性が僅かながらでも残されている状態を指す言葉であるからまだ語弊がある。もう、どうやっても物を踏まずに移動することができないのである。

こうなってくると、ここは主に本の堆積だから踏んでも壊れないが、あそこは壊れやすいものが下の層に埋まっているから踏んではいけないとか、そういう分かりたくもないことが経験的に分かってくるものだ。しょうがない、片付けよう・・・数時間かけて床の堆積物を撤去したら、何となく部屋が倍ぐらいに広くなったような錯覚に陥った。大人になってから、子供の頃に遊んだ公園を見てその大きさを見違えてしまうことはよくあることだが、自分の家でそんな気分を味わうとは。人間の空間認識能力もたかが知れている(そういう問題じゃないってば)。

白色LED
何となく Yahoo! オークションを彷徨っていたら、白色LEDが安く売られているのを発見してつい買ってしまった。これといった使用目的があったわけでもないが、光モノは、眺めているだけで心が和むのだ。下手なアロマセラピーよりも、ゆっくりとフェードを繰り返す色とりどりのLEDが放つ光芒を眺めていた方がよほど精神衛生の足しになるのではないかと思う。仕事柄、明かりの消えた深夜のサーバルームを何度も見ているが、忙しく点滅する各機器のLEDには、幻想的な美しさがある。わたしが電気屋の道を選んだのも、子供とき光モノに興味を抱いたからこそだ。世の中にLEDが無かったら、今頃は別の道に進んでいたことだろう。

少し前までは、LEDは赤色が基本であとは緑・黄・橙ぐらいしかなかったが、青色LEDが一般に入手できるようになったころから、美しい発色のものが一気に増えた。青色LEDの発色を初めて目にしたときも綺麗だなあと感動したものだが、わたしが最も好きなのは、エメラルドのような発色をする青緑の色LEDだ。個人的な色の好みも影響しているのかも知れないが、あれは本当に綺麗だと思う。しかし、その美しい光の陰には、語り草となった日亜化学と豊田合成の有名な訴訟合戦があったりする。まあ何というか、ギスギスとした世の中だ。



拝啓朝日新聞様
2001年1月29日(月曜日) はれ

JR新大久保駅で線路に転落した泥酔者を助けようとしたところ、電車にはねられ死亡した二人の人間。うち一方の韓国人留学生の追悼式に、森首相や河野外相が出席したそうだ。阪神大震災の追悼式に出席しなかった首相が一個人の追悼式に出るぐらいだから、何かの目論見があるのかも知れないが、そのことを非難するつもりはない。この件をこれ幸いと外交の切り札なんかに使うことがあるのかも知れないが、それ自体は誉められることではないにしても、一人の死人が外交の潤滑剤として使えるならば、それを遠慮なく使う冷徹さも外交力の一要素であると言えよう。

が、同一の原因によって同一の行為に及んだことは明白なのに、二人の間にあるマスコミの扱い方の差は一体どういうことなのだろう。例えば、今日の朝日新聞夕刊のように、マスコミまでが外交を意識したような論調で記事を書いていることは理解に苦しむ。「同じ涙 日韓で」という見出しで死亡した韓国人留学生のことがデカデカと報道されているのだが、韓国人が日本で死亡すれば同じ涙が日韓で流れるのはごく当然のことである。それをいかにも美しいことだと考えて、やれ感動的だのとヒューマニスティックに扱うのは朝日新聞の常套手段だから仕方がないけれど、暗喩的にそのことを「日本人と韓国人はこんなに仲良しなんだよ」と見せつけて何になるというのだ。

こんな記事は、変に気を遣いすぎた結果に生まれた、逆の意味での差別的報道にしか見えないのである。韓国人なんかどうでもいいから日本人を重点的に扱おうという一種のエスノセントリズム的な報道が正しくないことは論を俟たないが、かといってその逆をすれば良いというものでもない。ある程度の「よいしょ」はあっても良いと思うけれど、ここまで露骨になれば、潜在的に存在する民族的な負い目がアンチテーゼのように機能して、こんなタコな記事を書くに至ったのではないかとすら思えてくる(実際、そういう要因も多分にあるんだろうけれど)。

日本だの韓国だのと下らない民族意識や記号にこだわっていつまでも不毛な騒ぎを繰り返すようなことは、外交辺りが勝手にやっていれば良い問題で、少数の例外を除けば、変な意地を張っているのは、放っておけば時期に絶滅するような年寄りどもぐらいだろう。一般の大衆にそのような感情的な溝があったとしても、変なプロパガンダでも打たない限り勝手に埋まっていくものだし、それゆえ逆プロパガンダ記事を書く必要もない。少なくとも、ぱっと見て「横浜のカメラマンさん、韓国人と心中したおかげでとんだ貧乏くじ引いちゃったねえ」などと思わせる記事は、プロの仕事とは思えないんですがね、朝日新聞さん。



ま、いろいろと
2001年1月28日(日曜日) はれ

まったくなんなんでしょうね、この雪は。ここのところ週末になると積もるという傾向があるらしく、こうも足下が悪いと出かける気にもならないので、家でごろごろとしながら過ごすのだ。雪も数十センチオーダーで一気に積もってくれれば諦めもつくものだが、こんな風に中途半端に積もると、半分ぐらい融けて道路が変にグショグショになってしまい、これがまたどす黒くて汚らしいし、いきなり屋根から雪がざばっと落ちてきたりするから、困ったものだ(危うく食らっちまうところだった)。

青森出身の人に聞いたのだが、意外なことに冬は青森よりも東京(多摩だけどね)の方が寒く感じるという。雪が積もりまくって、一見死ぬほど寒そうに見えても、内陸部は無風に近いらしく、それが体感温度に違いを生むらしい。青森と言えば強烈に風が強いイメージがあるのだが・・・それは沿岸部だけのお話で内陸部ではそうでもないのかな。まあ、台風が上陸したときにはリンゴ農家が必ず大きな被害を受けるぐらいだから、そんな風の強いところにリンゴ農家が集中するとも思えない。

「兵役を拒んだという理由で、社会権力が一人の人間を銃殺したりするような権利を持っていたことが、全く考えられなくなる日がきっとやってくるにちがいない」というのは、ロジェ・マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」からの引用。その望みの通りに、日本に限って言えばそんなことは全く考えられない日々が久しく続いているけれども、またいつか、兵役あるいはそれに類することを拒むと、そのことを後悔しながら、そうでなければ名誉と感じながら死ぬことになる時代がやってくることもあるのだろうか。

今の時代を「平和ボケしている」と評する人もいるが、確かにそういう傾向も否めない。もしかしたら、明日の夕方ぐらいに北の半島から不健康そうな人民がダラダラと攻め入ってくる可能性もあるわけで、まあそんな連中に領土を踏まれるのは気に入らないが、わたしも実を言えば、自分は知らん顔していても米軍あたりがどうにかしてくれると思っていたりする方だ。その平和ボケしている状態が悪いと言うのならば、悪くない状態とはどういうものだというのだろう。愛すべきは戦争一発触発状態?

ここのところちょっとスランプ気味なのだ。数日単位で更新していないのもそのためで、書く気は存分にあるのだが、ボツになるので、穴が空く。申し訳ない。今日こそ何か書こうと思ってキーボードを叩き始めたのは良いが、やっぱり何も出てこなかったので「天気の話」になり、それではちょっと分量が足りないので「名言の引用」という、まあ明らかに「強引にお茶を濁しました〜」という構成・・・こんなものが光ファイバを通って送り出されているんだと思うと、回線帯域の無駄遣いに他なりませんな、まったく。

そんなわけで、光ファイバが通っている近所のマンホールにお詫びしておきました。



Webpage が映す日本
2001年1月25日(木曜日) あめ

ということで「原子力安全委員会」のサイトを見てみよう。トップページが表示されるや否や、虹の架かった青空という背景の上を白い鳩が飛び、各項目には風船の画像を使うというデザインセンスの悪さに、まず苦笑する。原子力は危険きわまりないという主張に対するアンチテーゼの積もりなのだろうか、なんだか後ろめたいことを扱っている組織に限って、やたらと平和的なデザインを好むという定理を証明しているかのようだ。関東限定だと思うが、東京電力の必要以上に美しいイメージを優先したテレビCMが放送される都度、こう思う。原子力ってやつは、もう理屈ではなく洗脳で推進しないとダメなのだろうと。

さらに原子力安全委員会のサイトを読み進むと、リンクの切れている箇所がやたらとある。ほかの組織のサイトに対するリンクが切れているのならまだ仕方がないと思えるが、自分のサイトの中でリンクが正しいのかどうかすら確かめられないようないい加減でやる気のない連中に、原子力の安全を任せても大丈夫なのかと心配せざるを得ない。中身さえしっかりしていれば見栄えなんて二の次だが、ここはその中身すら見られない。例えば「『ウラン加工工場臨界事故調査委員会報告書』について(1999.12.24)」というリンク(注:JCO事故のこと)をクリックしたら 404 になるのだが、これでは原子力の関係者は情報を隠しつつ互いの傷の嘗め合いばかりやっていると言われても反論できまい。

わたしは、原子力原理主義でもなければ原子力排外主義でもなく、現実的に今の日本には必要な存在だと考える方である。闇雲に原子力に反対する人は、早い話がエネルギー問題に関心がないだけである。もしそれは言いがかりだというのなら、現実的な代替手段を提案して頂きたいものだが、そういうと訳の分からない空想家も出てくるから困ったものである。もっとも、原子力そのものが悪いものだとは思わないが、行政などが使えないから原子力すなわち悪という見方をされることは理解できる。その意見には、反論できない。原因が原子力そのものにあったとしても、行政にあったとしても、結果は結果だ。たとえそれが悪い結果であったとしても。



褞袍
2001年1月23日(火曜日) だいたい晴れ

どてら
冬休みに中国に行ってきた弟から、土産を買ってきたから宅急便で送ったよという連絡があり、昨日それと思しき小包が職場に届いた。なにせ行ったこともない国からの土産だ、わたしは少々浮き浮きしながら小包を開封するのだ。し、しかし・・・中身を見た瞬間、わたしはそのあまりのインパクトに乾いた笑い声をただケタケタと上げることしかできなかった。

それはいわゆる「褞袍」ってやつなのだが、問題は、どう見ても幼児用のそれなのである。しかも、「河北童泰嬰幼儿飾有限公司」(漢字は少し違う)という製造業者名の表示を見て愕然、中国語が分からないわたしでも漢字を見れば大体どういうことなのかぐらいは分かる。思わず「なめとんのかー」と叫んでしまいそうになった。(写真に陰がついちゃった...失敗!)

理解に苦しみながらも取り敢えずこの褞袍を着用してみると・・・小さいでちゅう、と幼児語で訴えたくなった。しかも、よく見るとフードには耳やら目まで付いているじゃないか。とほほ・・・こんなものどうしろと言うのだよ・・・(半泣)。しかし、体型が小柄なのでちょっと窮屈だけど着て着られないこともないし、膝掛けにはもってこいの大きさだ。しかも、なんかこの必要以上にゴージャスな刺繍が妙にイケてる気がしてきたし、新手のコスプレごっこをしてみるとどっかの王様みたく(妄想)偉くなった感覚を味わえなくもない。・・・やべ、危険なマイブームの到来だ。なんか、妙に気に入ってしまったぞ。

そんなわけで、会社で早速これを着て仕事をしていた、今日のわたし(すごい会社だよなあ...)



眠い
2001年1月22日(月曜日) はれ時々晴れ?

八王子の日。ここ2日で合計数時間ほどしか寝ていないわりには、よく事故らずに行って帰って来られたもんだ。帰りなんか意識が朦朧としていたのだが、そういうときは運転が妙に荒っぽくなるのはわたしだけだろうか。前の車をだらだらと追っかけているだけでは眠たくて仕方がないので、敢えて動作の多い運転をすることを脳が潜在的に欲求しているような気もする。徹夜明けの朝に、どういうわけかやたらとハイテンションになっていることがあるけれど、あれと同じようなことなのかな?

わたしは積極的に寝ようと思わなければ絶対に寝られないタイプなので、起きていようと思えばどんなに眠たくても起きていられる自信はある。朝、ふと起きたらパソコンに向かっていたとか、そんな経験は一度もないのだ。逆に、数秒で寝てしまえるような人が羨ましく思うぐらいである。3日間起きているだけで100万円も貰えてしまう某テレビ番組に出演すれば良いところまでは行きそうな気もするのだが、金によほどの執着心がない限りある限度を超えると100万円なんてどうでも良くなってくるのだろう。そんな金より目先の睡眠の方が優先だ、と。

残念ながら?金銭欲ですら生理的欲求には勝てないらしい。



にゅー
2001年1月21日(日曜日) はれ

東急ハンズは、いつ行っても不愉快な感じがする。前に行ったときはクリスマスのオーナメントだらけであった。今日は今日で、バレンタイン真っ盛り。これらを不愉快と感じるような、お前の僻みきった感性に問題があるんだと言われればそれまでだが、店に言わせれば、恋は財布の紐を緩めさせる最大の原動力であり、それこそ大市場なのだろう。商品の陳列順序からしても、エポキシ接着剤を買ってさっさと出ていくような客なんぞ、ついでで構わんと言われているような気がしてきた(被害妄想全開だね)。

僻みと嫉妬で6割、さらに上ばかり見て足下で蹴躓くこと3割、残りの1割は空想による代理満足で構成されているのが、負け犬の人生ってもんだ。それはそれでかなりエンジョイできるとても素晴らしい人生に違いないのだが、もっともそれは負け犬として解脱し、負け犬であることの自己嫌悪を取っ払ったたときに初めて言えることで、自分みたいに、だけど完全な負け犬にもなりたくないなあ、などとどこかで思っている中途半端な人間が一番ダメなんじゃないかという気がする。

適当に書いていたら、なんか凄くネガティブな内容になっているが、まあ良いか。まあ良いかじゃダメなんだけど、本当は。



神風特攻隊とか
2001年1月20日(土曜日) 雪

ちょっと忙しくて更新さぼり気味。申し訳ない。

えらい勢いの降雪があり、珍しく積もってしまった。ここ横浜の沿岸部は、同じ市内でもほかの場所と比べれば比較的温暖なので雪化粧の街並みは珍しい。雪国にお住いの方には笑われそうだが、そんなわけだからここらの人間は少しの雪でビビってしまう。夕方、同じ区内に住む人から「そっち雪どう?」なんて電話がかかってきた。いま○○まで出かけているのだが帰るべきか迷っている、というのだ。わたしは外を見て、やめた方が無難だと答えた。あとで知ったのだが、高速道路はそこら中で交通規制。こんな日にでかけるもんじゃない。

興味深いリンクを一件、紹介しておきたい。「神風」という、何となく右寄りな印象だが、神風特攻隊に関する真面目なページである。特攻隊の隊員達は、狂っていたわけでも洗脳されていたわけでもないと、同サイトは指摘する。国と愛する人達を護るために、彼らは散華していったのだと。なるほど、同サイトのような見方は尤もである。必ずしも彼らが、いっちゃった人間ばかりで構成されたキチガイ集団であったであったとは思えない。各々の隊員たちは、ある程度は正常な精神状態で飛び立ち、そして護国の鬼となったことも事実であろう。

わたしには、「神風特攻隊」だけが特別に無茶苦茶な存在であったとは思えない。確かに神風は、ほかと比べればインパクトの強いことをやっており、暴走した大和魂の象徴として使うにはもってこいの存在である。しかし、戦争というものは本質的に非人道的なものであり、まず生還はあり得ないような作戦は、探せばいくらでもあることだ。特攻隊それ自体を無茶苦茶な方法だと非難する人もいれば、それを作戦として組織した軍を非難する人もいる。だが、むしろ非難されるべきはそんなものに頼らざるを得なくなった国家そのものであり、その過程で発生した個々の方法論を非難してもしょうがない。

一方で今の時代、あるいは讃えられるべき「カミカゼ」は、比喩的にキチガイを笑い飛ばすためのブラックネタに仕立て上げると、なかなかウケの良いものが出来るかも知れない。不謹慎だ、などとは言わないように。爆弾を抱えて自爆するなどという行為は、どんなに美しい理念に基づいた行為であったとしても、普通に考えればキチガイじみているという感想の方が正常であろう。もっとも、そのことによって隊員本人をキチガイ呼ばわりするのは間違いだが。本当にキチガイだったのは国家そのものに他ならない。



環状道路
2001年1月17日(水曜日) はれ&やっぱり寒い

東京の道路網に、環状七号(環七通り)や環状八号(環八通り)はあるのに、どうして一号から六号が存在しないんだという謎は、よく聞く笑い話だ。ご存じの方も多いとは思うが、部分的には存在していても、実際のところ「環状」と呼べるような形状になるほど開通していないので、そういう名称は使われていないのである。もっとも一号の内堀通りや二号の外堀通りは環状になっているけれど、その次の環状三号は、400mの環状道路としてちょっとしたミステリーゾーンと化している。

そう言えば横浜にも環状道路なんてものが何本かあるのだけれど、やはり「どこが環状なんだ!?」と突っ込みたくなるような謎の環状がある。少なくとも環状にしようという努力をしてそれが実現しなかったのなら仕方がないと思うけれど、そういう計画があったのかどうかすら疑わしいのが環状一号だ。若干のカーブを強引に拡大解釈して、洗脳的に「これは環状だ」と思えばそうも見えなくも無いのだが、わたしの目には殆ど直線にしか見えないのである。延伸すれば環状になる形状にもなっていない。

そもそも日本の都市は湾の周囲に発展していることが多く、横浜だって例外ではない。だから、径の大きい環状道路は海の上を通らない限り本当の意味での「環状道路」にはなり得ないわけであり、陸上に半円分ぐらいで「環状」と呼ぶことには、どうも抵抗がある。やはり起点と終点が同じ場所にあって、一周すれば元の場所に戻ってこられるような道路のみを「環状」と呼ぶべきであり、湾をぐるっと回って海で切れている半環状道路を「環状」と呼ぶのは、詐欺もいいところなのだ。

従って、環七通りは即刻「半環七通り」に名称を改めるべきであるし、ほかの多くの出来損ない環状道路も同様にすべきであり・・・と、調子に乗ってここまで書いてみたのは良いけれど、だめだ、今日は良いオチが思い浮かばない。「アメリカ人ならそんな行政訴訟を起こしかねない」という結論にしておこう。



500日
2001年1月16日(火曜日) はれ&寒い

500日というと、今日からワールドカップ開催日まであと500日。だから何だって感じだけど、開催地となっている各所では色々な記念式典が行われたようだ。横浜では、関内の市役所の前で「日数カウントダウンボードの点灯式」なるものが行われたので、昼休みにちょっと見に行ってきた。サッカーに興味がなく、しかもどうでも良い式典を毛嫌いしているわたしがどうしてまた? と言われそうだが、ひょんなことからその準備に関ってしまったので、最後まで見届けに行ったというわけなのだ。公にはできないが、色々とあって大変だった。

概ねのところは皆様のご想像の通りで、「はい、それではお願いします!」という司会の一声をきっかけに、横浜市長をはじめ諸々の偉い人たちがボタンを押すとカウントダウンボードの電源が入るという、平和だがありがちな段取りであった(そんなわけで、積極的に参加した人は市の関係者とマスコミ各社の記者ぐらい)。ところであの押しボタンには、恐らく口が裂けても公にはできないであろう凄い仕掛けがあったことを、わたしは知ってしまった。特に口止めされているわけじゃないが、なぜか分電盤の前で一人スタンバっていた担当者の名誉のためにそれが何であるかは伏せておくことにしよう。

横浜市長の高秀さんを生で見たのは初めてだけど、想像以上にデブだった(笑) クレッチマーの体型別性格分類ではないが、あの体型も人気の秘密なのかも知れない。サンタさんもちょっとデブっていてお腹の辺りが出っ張っているスタイルが多いのと同じようなものか、実際はどうだか知らないけれど、全体的に丸っこい感じの体格は、人柄の良さを体現しているようでもある。どこかのマジックショーで、鳩の如く突然ステージに現れたりするような人だから、楽しいことが好きな方なのかも。

夕方のニュースを見ていたら式の様子がほんのちらっとだけ映っていた。ずっとカメラを回していたのに、放送はたった数秒。編集なんてどこでも容赦のないものなのだろうが、虚しく思わないのかなぁ?



電池とか
2001年1月13日(土曜日) くもり

前年の収入を集計してみると、乙欄とか1並び(いわゆる「ギャラ」は、1割が所得税として源泉徴収されるので同じ数字が並んでいると源泉徴収後キリの良い金額になる)とか、変な源泉徴収が少しある。乙欄は給与所得なので良いとしても、並び系が入ってくると少々道を踏み外しているような気がするな、当面は普通にサラリーマンやっていたいと思っているのだけど。しかし、還付申告すべきかどうかは微妙な金額だ。少額では面倒くささの方が先にくる。

ある実験ネタを考えていたら、乾電池にはどのぐらいのエネルギーが詰まっているの? という素朴な疑問にぶちあたった。ニカド電池などの二次電池には、「1500mAh」というふうに容量が書いてあるので良いのだが、一次電池にはそのような表示がない。JIS を調べてみると、一次電池の性能は持続時間で考えることになっている。例えば、単一アルカリ一次電池の試験方法の概略は、2オームの負荷抵抗を繋いで放電させ、閉路電圧が 0.9V になるまでの時間が 7.5時間以上であれば合格らしい (JIS C 8511 より)。

随分と曖昧なもんだ。これでは曖昧すぎるので、乾電池の性能を二次電池にあるようなアンペア時に換算してみようと思った。電池は、放電するにつれて電池の電圧は下がるので、単純な計算では分からない。負荷抵抗を繋ぎ、放電カーブを記録してそれを積分すれば良いはず・・・と思ったんだが、よく考えてみると、あまり意味のないことだ。同じ試験方法なら単位がアンペア時になったというだけで曖昧さは同じままである。さてどうしたもんか。



(無題)
2001年1月12日(金曜日) はれ

こういうものを書いていると、本文を考えることよりも、題名を考える方が難しい。特にこれといったネタがないときでも、本文は適当に書いているうちに何かしら捏造できてしまうものだが、そんなときは題名を先に決めてから本文に着手しても、本文が題名通りになるわけがない。本文を書いてから題名を付ければ良いのだが、そんな苦労があるのなら一層のこと題名なんて無くそうかとも思う。そういえば、なぜ天候を書いているのかも良く分からない。慣性だろうか、いやはや慣性とは恐ろしきものだ。

書店をぶらついていたら、とっても下らない文庫本を発見した。それは「マイブック 2001年の記録」という題名で、文庫の新刊コーナに積まれていた。待てよ、2001年はまだ始まったばかりなのに、もう「2001年の記録」とはこれ如何に。不思議に思って中身を見た瞬間、わたしは思わず吹き出しそうになった。各ページに2001年の日付だけが順番に書いてあり、あとは全て白紙。「マイブック」とは、その日ごとに自分で本文を記述し、一年かけて自ら完成させるための「文庫本」らしい。決して手帳や日記帳ではない。なんたって、新潮文庫が出版しているのだから。

そういえば、多事毒論を文庫本に換算してみると、どのぐらいの量になるのだろう。平均的な厚さの文庫本には、一冊で400字詰め原稿用紙400枚分ほどの文字が詰まっているらしい(原稿もメールで送ってしまう時代にどうして原稿用紙換算するのかは良く分からないが)。計算上の文字数で言えば、16万文字あるということになる。2000年12月分の多事毒論ファイルから、HTMLタグと制御コードを全て除去してみると、35,660バイトになった。2バイトで1文字とすると、17,830文字。文庫本を一冊書くまでに約9ヶ月もかかる計算になる。

これまでで最も文字数の多かった多事毒論は1998年11月分で、タグや制御コードを除くと、66,914バイトある。それでも文字数換算では33,457文字だから、文庫本の2割ほどの文章量だ。文庫本を書くのって、そんなに大変な作業だったのか! と、改めて思い知ったんだが・・・文庫本って本当に計算通り16万文字もあるの?



ダイヤルQ2
2001年1月10日(水曜日) くもり/はれ

「なにもしていないのに、いきなりインターネットに繋がらなくなった」というお客さまからの苦情電話は、数知れず。しかし、障害などを除けば「何もしていない」というのは大半が大嘘で、それを信用して話を進めてしまうようでは、まだまだ甘い。お客さまに対して無礼ではないかと言われかねないが、客観的な状況説明とそうでない話を正しく分別できなければ、プロとは言えない。主観を嘘と仮定することも必要なことなのだ。本当に何もしていないのなら、あるときまで正しく繋がっていたものが突然繋がらなくなるわけがなく、当人に自覚が無いから「何もしていない」ことになるのである。

最近けっこう多いのが、ダイアルアップネットワークの接続先電話番号が、知らない間にダイヤルQ2の番号が書き換えられてしまったというケースだ。アダルトサイトなどから、続きを見るためのソフトをダウンロードするとそうなってしまうらしいのだが、まさかそれが接続先の電話番号をダイヤルQ2の番号に書き換えてしまうものとは、考えもしないのだろう。そこで、遠回しに「アダルトサイトを見ませんでしたか?」と指摘してあげるのだが、特に男性の場合は、心当たりがあると言わんばかりに、妙に曖昧な返事をされる方が多い。

そういうときは「最近、とても多いのですが」と前置きし、あくまで一般論であることを強調しながらそのものズバリを指摘してみる。それでも、まるで他人事のように「そういうこともあるですかー」などとシラを切り通されることもあれば、「そ、そういえば」と観念することもある。「何を失礼な、絶対にそんなはずはない!」という方には遭遇したことがないので、まあ大方のところビンゴと考えて良いのだろう。もっとも、それ以上の追求をしても仕方がない。取り敢えず怪しい設定は全て消してから、再設定してくださいと言っておしまいだ。

「電話料金の異常に気付いたのですが」など、別のアプローチで、女性からもダイヤルQ2絡みの問い合わせを受けることがある。相手が女性である場合、概ねの想像はついているのだろうか、事実確認には素直に応じてくれることが殆どなので、むしろやりやすい。自分自身でアダルトサイトを見たというケースはまずないためだろう、「やるとすれば旦那しかいない」とか「インターネットは息子しか使っていないので」というような、必然的な結論に落ち着いて終わり。その夜には、とても恐ろしい家族会議が開かれるのだろうと想像するのだが・・・自業自得だ、わたしの知ったことではない。

NTT にも相当な数の苦情が行っているのか、NTT は対策用のソフトを公開したが、不具合でいまはダウンロードできないようだ。しかも、このソフト。Windows の上で動くくせに、機種依存するというとんでもないものであるらしい。どうしてそのような仕様になっているのか少し考えてみたのだが、モデムに送出される信号をポートレベルで監視しているからかも知れない。ソフトウエアレベルでチェックをしたところで、うまいことそれを回避するようなものは、いくらでも出てきそうだし。



プロジェクトX
2001年1月9日(火曜日) はれ/くもり/にわか雨

NHKの「プロジェクトX〜挑戦者たち」は、好きだった番組の一つである。いまは過去形だけれど、これからもぜひ現在形で好きだと言えるような番組を作って欲しいものだ。最近は流石にネタ切れなのか、モノ作り系の話は無くなってしまった。女性だけでヒマラヤに登ったとかも良いのだけれど、当人たちだけが達成感を味わうような人間物語がメインになりつつあるのはとても残念なことだ。ところで「あの番組は男尊女卑も甚だしい!」というクレームでも付いたのだろうか。いつかそうなるとは、思っていたことだけど。

「プロジェクトX」を、中島みゆきの歌に惹かれて見るようになったのは自分ぐらいかも知れないが、初期の頃の「あまり知らていないモノ作りの裏舞台に光を当ててみよう」というコンセプトは、非常に面白かった。誰もが使っているのに、それがどうやって作られたのかは意外と知らなかったりする。どこの誰かはだれも知らないけれど、この人たちが頑張らなかったら今の日本はもう少し不便なところになっていたかも知れない。そんな印象と、主題歌の「地上にある星を誰も覚えていない/人は空ばかり見てる」という歌詞との絶妙にマッチが、また良かった。

しかし、いまさら日本人による技術的達成を再評価するような番組がどうしてウケているのだろうのだろうかと考えると、ちょっと不思議に思う。いままで一般の人が何らかの技術的達成を讃えるというようなことはあまりなかった。例えば、新幹線は世界最速で凄いなという感想を持つ人は多くいても、それは「ただ漠然と凄い」だけあり、それが具体的にどう凄いのかは、別に知らなくても困らないことなのだ。開発の背景には人知れぬ苦労と並大抵ならぬ努力があったとしても、普通は、完成品をただ当然に与えられたものと捉えるのが当たり前なのだ。

それは必ずしも悪いことではない。普通の人は、完成品が便利に使えればそれで良いわけで、そこで使われている技術の凄さも知っておくべきだ、などという発想は、技術屋の傲慢に他ならないからだ。一方で、技術屋の傲慢とも説明されるものは、「結局我々は、戦後いったい何を得たんだ」という、いま日本人がぶつかっている妙な自問に対する回答の一つなのかも知れない。端的に言えばどっかの技術屋が地道に頑張った経緯を綴っただけの下らないドキュメンタリは、実は多くの日本人が光の当たらないところで地道に頑張ってきたのだという象徴でもあり、いまの社会心理を巧く突いた番組だと言えるのではなかろうか。

「日本人は、自信や未来のヴィジョンを無くしている」などと言われるこのご時世、また50年後にも、プロジェクトX が放送されることは、あるのだろうか。



李下に冠を整さず
2001年1月7日(日曜日) あめ

できるかな?」の新作「二十一世紀の有害サイト」を読んで、大爆笑

企業内LANにおいて有害サイトの閲覧を阻止するシステムの頭がヨワすぎることは誰彼からも指摘されていることだが、なんとなんと突撃実験室は「無害」と判断されたのだ。作っている本人でさえ、絶対の絶対のぜえった〜〜〜〜〜いに有害指定を受けると思っていたのにも関わらず、である。できるかな? の Webmaster は、突撃実験室だけは有害と判断されて欲しいという一心から、一本の指に全身全霊を打ち込んでリターンキーを押されたに違いない。にも関わらず無害と判断された事実に対しては、驚愕なんて次元を通り越して戦慄が走ったと想像される。

有害と無害の線引きは、何を基準にしているのだろう。機械ごときに人間が言っていることを総合的に判断できようはずもないので、せいぜいページに含まれる不穏当な表現を数えて、それらがあるレベルを超すと却下されるとか、その程度のものだろう。ならば「健全な社会を目指して不穏当な言葉を指摘するページ」は有害と判断されそうだし「隠喩のみを用いて不穏当なことを表現したページ」なら、無害と判断されるに違いない。際どいページを幾つも作って試してみたいが、わたしの職場にその類のフィルタが導入される可能性はまずないので、無理だろう。まあ、取り敢えず喜ぶべきだが。

もっとも、そのような判定をするならば「できるかな?」のトップページの有害度はかなりのものだ。タイトルを追っていくと「ピンク映画」「SEXYタレント」「モザイク消し器」「スクール水着」「ナンパ」「透け透け水着」など、そこだけを見れば有害というより18禁と判定されても仕方のない言葉が意外や多くある。対して、突撃実験室のトップページにそのような言葉は無く、単純な方法でここを有害と判定するのは、まず不可能な作りとなっている。タコな有害サイトのフィルタを作っているところには、「大切なのは表紙ではなく中身だよ」と言ってあげたい。ともあれ、

瓜田に履を納れず、李下に冠を整さず

有害サイトのフィルタの出現で、多くの Webmaster が、この言葉を痛感したことだろう。



Matrox G450
2001年1月6日(土曜日) はれ

秋葉原の日。散財の日と言った方が正しいか...

バルク物だけど、Matrox の Millennium G450を買った。DualHead Display って、モニタが二つ繋がるのね、わぁお! と嬉しくなって買ってしまったのだが、確かに便利だ。普段はモニタなんか一つあれば十分なのだが、プログラムを書いていたりすると、資料を見ながらソースコードをいじったりするときとか、どうしても極端に広い画面が欲しくなるときがある。ノートパソコンを横に置くという手もあるのだが、マウス操作だけでウインドウが別のモニタに移動してくれるのは便利なのだ(モニタの繋ぎ目に表示されると困るんだが)。

変換ケーブル
17インチのモニタは二つあるのだが、そのうちの一つは Sun の SS4 に付いてきたものなので、信号入力のコネクタ形状がAT互換機とは合わない。パソコンのビデオカード側についているコネクタは HD15 のメスだが、Sun のモニタには 13W3 のオスが付いたケーブルが直接付けになっているので、変換ケーブルを作るのだ(互換機化した最近のローエンドモデルでは HD15 もあるみたい?)。結線方法は、Sun のモニタを PCに繋ごうを参考にした。

買ってきたものは、50cm の比較的良質そうな VGAケーブル (600円)、13W3 のメス (2,000円)、それから D-SUB25 用の金属カバー (150円) の3点。まず VGAケーブルを半分に切断して結線を調べ、13W3 を半田付けしてカバーを装着すれば変換ケーブルの完成だ。結果は良好、ちゃんと映ったことは言わずもがな、解像度を上げてもゴーストなどの画質低下は特にない。

安物のケーブルを使うと、画質低下に悩む可能性が高いだろう。ここで使った VGAケーブルは、比較的高い部類のものだが、そのぶん良いケーブルが使われていた。RGB の各信号は当然ながら同軸ケーブルが使われており、シールドも割と良好な感じでされている。安いケーブルは、普通の通信ケーブルを使っていたりして同軸にすらなっていないものもあるので、ここに限っては安いものを使ってはいけないのだ。あと 13W3 が 2,000円というのはちょっと高すぎる気がするけど、そんなものかな?



バトル・ロワイヤル
2001年1月4日(木曜日) はれ

バトル・ロワイヤル」を観る。どこかの国会議員がクレームを付けたとか、何かと曰く付きの問題作なので期待していたのだが、どこがどう問題なのかよくわからなかった。殺人バトルロワイヤルなのだから、生々しい殺害シーンが多数あるのは当たり前のことで、そのような残虐性が問題になるのなら、もっと問題にすべきえげつない作品は幾らでもある。同じ殺し合いでも中学生にさせたからいけないというのであれば、なおさらに変な話だ。劇中で人を殺しても良いのは大人のみであり、中学生はそんなことをしてはいけないのだろうか。

現実の中学生たちは純真無垢であるべきで、殺人ゲームなど以ての外。それなのに、あの作品は何を考えているんだ、というような感想を持つ大人がいるとすれば、日本の大人には、中学生について云々する資格はない。最近の中学生は現実と非現実の区別が付いていないなどと言われているけれど、実際の中学生という現実や、一つのフィクションを映像化したに過ぎない映画の非現実、それに理想の中学生像という虚構を区別できない大人どもにそんなことを言われる中学生は、甚だ遺憾に感じていることであろう。

それはさておき、中学生が同級生同士で殺し合わざるを得ないという状態におかれたとき、どのような行動を取るのかを描こうとしたのだろうが、あまりにもあっけなく殺されることが多くて、単なる殺し合いという印象が強い。せっかく「問題をかかえる」中学生をテーマにしたのだから、ベトベトとした心理面をもっと詳しく見せながら、昔年の恨みを晴らすようにゆっくりと殺し合った方が、テーマに即していて面白かったはず。



東京湾半周
2001年1月3日(水曜日) はれ

昨日に引き続いて、またまた同じメンバーとドライブ。せっかく横浜に来たのだから、横浜ベイブリッジを渡り、東京湾アクアラインを通って「海ほたる」へ行ってみようという話になった。わたしも東京湾アクアラインを通るのは初めてなので、ちょっとウキウキなのだ。石川町から首都高速湾岸線に乗って横浜ベイブリッジと鶴見つばさ橋を渡り、しばらく走って浮島JCTから東京湾アクアラインへ。やがてトンネル区間に入ると、正直「すごいなー、よくこんなものを掘ったもんだ」と思ったけれど、その言葉には若干の呆れも混じっていたりする。

しかし、長い海底トンネルという面では青函トンネルで存分に感動したので、それほどの目新しさは感じられず、また海を渡る道路という面では以前にアメリカの Chesapeake Bay Bridge Tunnel(車で旅行されるならお勧め:地図)を通った経験があり、どうしても比較したくなってしまう。Chesapeake Bay Bridge Tunnel は大部分が橋梁なので、すごく「海を渡っている感じ」がするのだが、東京湾アクアラインはトンネル部分が長いためか、あまり「自動車で海を渡っている感じ」がせず、なんかつまらない感じがする。

海上パーキングエリアの「海ほたる」は、すごい混雑だった。家族連れや、アベックや、観光バスで乗り付ける観光客やら・・・どう考えてもパーキングエリアという名称は相応しくなく、明らかに観光名所と化している。資料館があったので入ってみると、建設技術の凄さは良く分かるし、それはそれで面白いのだが「そこまでするほどのことか?」という疑問は拭い去れない。くそ高い通行料金が商業的にペイするとも考えにくいし、「道路そのものを観光する」という目的が無ければ、移動には湾岸ルートを通るだろう。土木技術屋のオナニーと観光名所で1兆円、決して安いとは言えないお値段だ。

東京湾を横切って木更津までゆき、そこからとんぼ返りというのも勿体ない。そこで、地図上で何となく見つけた富津岬の富津公園へ行ってみることにした。穴場と言えるほどマイナーでもないかも知れないが、ここはお勧めだ。横須賀から、東京湾をぐるっと一週して館山まで一望できる上に、背景には富士山までが綺麗に見えて眺めは最高。ここまで綺麗に東京湾を一望できる場所は、ほかにそう多くないだろう。海水浴場になっていて夏場は混みそうなところだが、オフシーズンのためか人も少なく快適なところだ。

帰りは、金谷から東京湾フェリーで久里浜へ。海がやや荒れているせいか、揺れる揺れる、立っていられないほど揺れまくる。わたしは過酷な揺れ方でも何故か酔わないので良いのだが、同行者が船酔い気味になってきたので、少々寒いが客室の外に出てみた。曰く、外にいた方が酔いにくいらしい。ふと見ると、甲板の柵の上から頭を海につきだして、海洋投棄を始めちゃった人がいた。魚に餌をあげているんだろうか、ありがちな話だけれど、実際の現場を目撃したのは初めてだ。これで、東京湾半周はおしまい。



城ヶ島へ
2001年1月2日(火曜日) はれ

京都から友人ご夫妻がお見えになったので、ドライブに出かける。急遽決まった話なのでコースは決めておらず、箱根方面も良いかな・・・などと考えながら何となくテレビをつけたら人が走ってる映像が・・・こりゃいかん、そういえば今日は箱根駅伝の日だった。なにも交通規制のメッカに飛び込む必要は無いし、海を見に行くのも良いかなと、城ヶ島+海岸沿いコースで決定となった。

横浜横須賀道路に乗ると、横風が強くて走りにくいのだ。終点の佐原で降り、城ヶ島へと渡る城ヶ島大橋では、もう真っ直ぐ走行できないほどの風が吹いている。車を降りて灯台のところまでゆくと、あまりの強風に文字通り吹き飛ばされそうな勢いだ。しかし、大時化の海岸の景色は美しい、デジカメを家に忘れたのが残念。天候が芳しくないでとっとと引き上げるも、身体中が塩っぽくなり、車の窓も塩だらけ。ああ、洗車したばっかりなのに・・・。

それから国道134号線で延々と海岸沿いを走るのだ。正月明けだから空いているだろうという予想は大外れで大渋滞だったが、おかげで存分に脇見運転ができたので、湘南の海をじっくりと眺めてくる。何段にもなって浜辺に押し寄せる波、舞い上がる砂、ちょっと高めの夕日をバックに江ノ島のシルエット、といった感じの風景は実に綺麗。適当に決めて走った割には合格点だろう。



謹賀新年
2001年1月1日(月曜日) はれ

明けましておめでとうございます。本年も突撃実験室および多事毒論をよろしくお願いいたします。

新年早々、こいつは何を書いているんだと言われそうだが実験ネタを更新した。「できるかな?」の検証に触発されて書き始めたもので、手を付けたのは去年の11月だったが、忙しくて完成が今頃に...今回は突撃実験室らしくなく?、身体を張ったりせずソフトによるシミュレーションだけの検証となった。最近、ちょっと破壊力が落ちているんじゃないのと言われることがあるのだが、ソフトさえ書けばできる実験というのは、やっぱり楽で良い。ゆで卵を食べまくったりするのも良いが、やっている本人は、決して楽じゃない。

この記事を書くために、C++ Builder で専用の画像処理ソフトを作った。実は、Windows アプリはこれが処女作なのだ。C++ Builder 4 を使ってみた感じ、ソースコードエディタはタコだが(emacs 使いなもので)、概ね分かりやすくて便利だと思った。最初こそ、開発環境の操作から Windows の概念、C++ のシンタックスという三つのことを同時に覚えなければいけなかったので取っつきにくかったのだけど、本を見ながら頑張ったら、むしろ好きになってしまった。いつぞやに Visual C++ で挫折して以来、Windows 嫌いになって「俺は永遠に組み込み屋じゃっ」などと叫んでいたのだが、そのころと比べれば大きな方針転換だ。

羽田空港で何となく買った年末ジャンボ宝くじは、3,300円の当選。嬉しいと言えば嬉しいが、宝くじ10枚の購入代金を差し引くと、たった300円の勝ちにしかならない。こんな金額では、過去にタダの紙切れとなった宝くじの累積赤字すら補填できない。悔しい、もう宝くじなんか二度と買うもんか(と言いながら、年末はつい買ってしまう)。下二桁一致なんて残念賞の域を出ないだ。やっぱり一等と前後賞を総なめじゃないと嫌だ・・・というのは少々欲張り過ぎかも知れないけれど、少なくとも年収を超える金額にならないと、「ちょっとした夢が当たった」という気分にはなれない。



突撃実験室