多事毒論(2001年9月分)


中島みゆき
2001年9月29日(土曜日) くもり/はれ

首都高速入口。しょっちゅう見てるのに気付かなかったなあ、これは。
・・・道路標識の嘘字発見が密かな楽しみになっている今日この頃です。

中島みゆきの「心守歌」を買った。いい加減にこの人の蠱惑からは逃れたいと思いつつも、なぜか逃れられない。わたしにとっては現人神に近いものがあったりするのだが、そうやって神格化できるのは、テレビといった分かりやすい媒体にちゃらちゃらと出てこないがゆえに、実体が見えにくいためではないかと思う。中島みゆきの声や歌を聴くのは良いが、この人の姿や実体はむしろ見たくない。現実的な意味でも、顔の部分をハレーション気味にしていない写真を見たら恐いものがあるだろうなあ(どうでもいいことだが、お歳を考えるとね)。

数年前から、抽象的でややファンタジックな詞に加えて、変なところで転調しまくる曲とか(*)、やたらとゴージャスな編曲が増えてきた気がするのだが、この傾向はあんまり好きじゃない。わたしが中島みゆきに期待しているのは、「わかれうた」に見られるような露骨なまでにストレートなネガティブストーリを、その対極にある「時代」といった癒し系の歌で叩き壊してもらうことで、従来からこの構図は極めて直情的で理解しやすいものであった。だから、モヤモヤとしたものをモヤモヤのままで表現しただけのものは全く理解できないわたしのようなニブい人間にも(もちろんニブくない人にも)共感でき、逆に言えば、抽象的であったり難解であったりするファンタジーではいけないのだ。

もちろん解釈の難しい詞もあるけれど、この分かりやすさが中島みゆきの詞の最大の特徴で、最近の曲でいえば、同じような特徴は鬼束ちひろとか浜崎あゆみの詞にも見られる。まあ浜崎あゆみはかなりヴィジュアル系な面もあったりするけれど、いずれにせよカリスマ化しているところをみると「若者版の中島みゆき」と言えなくもない(えー、異論はいっぱいあるでしょうが)。誰でも良いから、モヤモヤとしたものを分かりやすい言葉でストレートに表現してくれる人を世の中が必要としていることは確かで、そこで疑問なのは、どうしてこういう形で出てくる女性の名前には、姓が漢字二文字+名が平仮名三文字という共通点があるんだろう。


(*) もちろん、白黒はっきりさせてやるって感じに同主調や平行調へ飛ぶやつは決して嫌いじゃない。



国道1号線/その3
2001年9月28日(金曜日) あめ/くもり/はれ

横浜の道路事情は、これだけの人口を擁する街にしては極めて悪いと言わざるを得ない。大阪で暮らしていたわたしとっては、横浜駅や関内駅周辺のごく中心部を除けばほとんどの道路がアナーキーに曲がりくねっていた時点でかなりのカルチャーショックを受けた。もちろん平地ばかりの大阪と比べるのはフェアではなく、山の多い地理的事情から仕方がないと思っていたのだが、それも最初だけでももうちょっと計画的にできなかったのかと思う場所が多すぎる。間道ならともかく、主要地方道指定の道路でさえグネグネの二車線対面通行みたいなところが多いし、中にはバス路線なのにそのバスが普通に対向できないほど狭いところもあったりするから、そりゃ渋滞も起きるわけだ。

国道1号線も酷いものがあり、それなりの幹線でありながら二車線対面通行とか三車線で片側だけ多車線のところとか、いまいちやる気の感じられない。渋滞は起こるべくして起こっているという感じのところも多く、横浜の道路事情に詳しい方なら、たとえば「保土ヶ谷橋交差点で右折して戸塚方面へ」と聞いただけでゾっとするのではなかろうか。この交差点で片側二車線あった国道1号線が、いきなり一車線しかない右折車線に束ねられ、しかも右折した先も一車線しかないので渋滞しないはずがない。信号3回待ちとかも当たり前だったので、自分が車に乗るようになって最初に開拓した抜け道が、保土ヶ谷橋交差点を回避するルートだった。

横浜では、国道1号線がダメな代わりに横浜新道という有料のバイパスや首都高速などの道路が比較的に綺麗に繋がっているので、都市の中心部に用事のない通過交通が市内からそれなりに排除されて助かっている面もあると思う。このように、通過交通と地元交通をなるべく分離する方針は良く、理想的でもあると言えよう。しかし近場だけの移動とか、バイパスや高速を降りたあとにはやはり一般道路を通らなければならないのだから、一般道路もちゃんと整備されていなければいけないのだが・・・自動車はバイパスに追いやれば解決するだろうという誤解でもあったのか、出口付近でしょっちゅう見かける「○○渋滞中/ほかの道路へ」なんて電光表示板が、道路整備の偏りをよく物語っているように思う。

横浜の道路がプアなのは、社会党市政のせいだと聞いたことがある。良く知らないのだけれど、飛鳥田さんのこと?



国道1号線/その2
2001年9月27日(木曜日) はれ/くもり

京都に、市内を南北に油小路通という貫く通りがある。京都駅の西側にあたる八条油小路交差点からその南側にある九条油小路交差点までは、国道1号線にも指定されている比較的大きな道路だが、広いのはこの僅かな区間だけ。油小路通自体は九条油小路交差点の南側にもちゃんと続いているが、この交差点から先の油小路通は、これが本当に同じ名前の通りなのかと疑いたくなるような隘路に過ぎない。その幅員の変わり様は、初めて九条油小路交差点に来た人には一見T字路に見えてしまうほどで、さらに南にある十条油小路交差点でまた本当かと疑いたくなるほど立派な道路に変わるまでは、そんなしょぼい道路が続いている。

当然ながらこんな道がそのまま国道1号線のような幹線道路に指定されるはずはなく、現在の国道一号線は九条油小路交差点で西に逸れているが、近い将来、九条油小路と十条油小路の間にあるこのしょぼい道路と、その先にある太い道路に、国道一号線が移ってくることになっている。もちろん、そのためにはこれからこのしょぼい道路は将来の国道1号線に相応しいような道に拡幅しなければならないのだが、その界隈には既に多数の建物が立ち並んでしまったあとだったから、かなり大規模な立ち退きが行われることになった。最近、九条油小路と十条油小路の間にあった建物の立ち退きがほぼ完了したそうだが、立ち退きが始まってから、もう20年ほどの歳月が経っている。

粘りに粘って20年、周辺が更地になりつつあるにも関わらず、意地でも同じ土地に住み続けたり、あるいは商売を続けようとする原因はなんだろう。先祖代々の土地を守り続けたい、あるいは同じ土地で死にたいという観念から、そうするのだろうか。それとも、補償金を多く貰うための戦術なのだろうか。カネが欲しいという明確な目的のある後者ならまだ分かるが、前者のような精神的問題はよく理解できない。どうせ立ち退くのなら、カネを貰ってとっとと退けば良いように思うのだが、土地というものは、そうそう簡単に割り切れるものでもないのだろうか。街全体を何年も困らせて、敵に回してまで、守護しなければならないほど重要なことなんだろうか。

日本人は土地に執着しがちというが、それは何を根拠に言っているんだか。親が大きめの会社に勤めている方なら、転勤であちこちに住んだ経験もあることだろう。わたしの親も典型的な転勤族で、引っ越しなんて数年に一度はあり、人生の大半を借家住まいで過ごしてきたから一定の土地に特別な意味を感じたことなど全くない。持ち家もあるにはあるが、そこに住んだのは転勤を喰らうまでの数年だけ。以来ずっと人に貸しているから、どんな家だったかももう覚えていない。そもそも山を切り開いて強引に作った新興住宅地の土地に特殊性を感じるわけもなく、どうせ住まないのならバブルのときに売っておけば良かったという話すら出てくるぐらいだ。

立ち退きで20年も渋ることは極めてアホなことに思えてくるのは、こういうわたしの生い立ちだけが原因なのかね。結論は昨日と同じになってしまうけれど、次の世代のための都市計画という見方をすれば、それだけではないと思うのだが。



国道1号線/その1
2001年9月26日(水曜日) はれ/くもり

バイパスというと、普通は渋滞や信号の多い市街地を避けて作られた流れの良い道路を想像されるだろうが、そのどれにも該当しない名ばかりの「バイパス」も多く存在することは、都市部で車を運転される方には周知の事実であろう。京都大阪間の国道1号線うち、大阪府枚方市内を貫く区間もその一つだ。「枚方バイパス」という名称で呼ばれてはいるものの、その実体はバイパスと呼べるような快適に走れる道ではない。信号は多いし、渋滞は日常茶飯事、沿線には飲食店や量販店も多くあり、左車線を走っていると車の出入りに遭遇しないことはまずない。地元の人間なら「出来れば避けたい」道路の一つじゃないかと思う。わたしの実家も枚方市内にあって、そう思っている人間の一人だ。

「枚方バイパス」という名称は、昭和41年に新しい国道1号線が枚方市内に開通したときに付けられた。それまでは、現在では府道に格下げされて京都守口線と呼ばれている別の細い道路が国道1号線だったので、それに対するバイパスという意味で付けられたこの名称は確かに間違っていない。けれども、それは開通当初だけの話だろう。最初こそなにもなかったと思われる枚方バイパスの沿線も、ときが経つにつれて都市化が進み、その結果いまとなってはバイパスと呼ぶよりも、生活道路と呼んだ方が実体に合っている。他府県ナンバの大型トラックといった通過交通に、買い物に出てきた近所のオバチャンが入り乱れて渋滞するような道路を、バイパスと呼んで良いはずがない。

そこで、バイパスでなくなったバイパスに対するバイパスである「第二京阪国道」を造ろうという計画は昔からある。工事は一部で始まっているが、ルート上には住宅地が出来たりして、部分的には開通したとしても計画通りに全線が繋がることはないような感じさえする。しかも、お約束のようにルート付近の住民は反対運動を起こしている。反対する気持ちは分からないでもないが、いま自分が反対して、そして道路計画が撤回されればそれで良し、というふうに済ませて良いものなんだろうか。次の世代のことも考えれば、必要な道路は早い段階から造っておかなければならないのだ。

しかし、そういう適切なインフラ整備をしなかった、あるいはできなかったせいで、枚方市内に限らず交通事情が糞味噌一緒状態になってしまい、改善しようにも手遅れになっている場所が多くあることも事実だ。「次の世代のことも考えれば」という枕詞は、「次の世代に良い環境を残す」といった具合に、反対派の人間も多用する。もちろん、緑や自然を多く保存することも重要だ。けれども、本当に良い環境とはなんだろうか。自動車はキャパオーバの既設道路に追いやって渋滞のメッカをいつまでも残すことも含めて「良い環境」といえるのだろうか。次の世代には、何を残すべきなのだろう。



おひげ
2001年9月24日(月曜日) はれ

休みだ〜と油断したためか、えらくゆっくりと寝てしまった。先週は葬式だ何だで忙しかったせいか、久々に休んだ実感。

生まれてこのかた髭を伸ばしたことがない。では、伸ばしてみたらどうなるんだろうと思って実験的に10日間だけ(今日まで)髭を剃らないでいたのだが、生え方にいまいち気合いが感じられず、やたらと癖のある毛が顎に沿って伸びた程度。癖毛の曲がり半径から推測すると、このまま伸ばしたとしても陰毛みたいな毛が見苦しくぶら下がるだけで、ストレートパーマでも当てない限り水戸黄門風の顎髭のように成長することはあり得ないと考えられる。もっとも 5mmほどの長さでは無精髭を一段と見苦しくしたようにしか見えないのであと少し伸ばせば見栄えに変化があるのかも知れないが、あくまで実験であって伸ばすつもりは全くないので、これから剃るつもり。

髭と言えば、非常に面倒くさい案件を一つ抱えていたり。弱電屋の業界用語で、出てはならないところに鋭く出てきて極めて短時間のうちに消える単発的な信号変化(一種のノイズですな)のことを「ヒゲ」と呼んだりするが、こういうのは謎の誤作動の原因となる。しかも、ヒゲってやつは共同で動いている回路同士の微妙なタイミングのズレとかで、予想外のところに発生してくれたりするので、対処に困ることもしばしば。ヒゲが発生する条件までは突き止めたので、その条件が起きないようにすればヒゲも消えるはずだが、その条件がなぜ起きるのかという根本的なところで悩んでるやつがありまして・・・はぁ。

ただいま午前1時前だけど、急にコテコテのラーメンが食べたくなってきた...

2:50追記/書いたら我慢できなくなって環2まで行っちゃったり・・・この時間になると開いている店も限られているが、「背あぶら」なんていう堂々たる看板に惹かれて前から目を付けていた辰巳家って店に行ってみた(ここは24時間営業だった)。看板の文句に嘘はなく、確かにスープは油でギトギト。けれども見かけとは裏腹に、臭みやクセはなく、油っぽさも程々で、豚骨としてはかなりあっさり系。むしろあっさりしすぎていてコクが足りず、そこを醤油でごまかそうという魂胆なのか、しょっぱすぎてペケ。麺もありきたりで、これといった新鮮味みもなく、いまいち。



高速道路フォント
2001年9月23日(日曜日) はれ

東名高速道路の赤塚パーキングエリアに入ったときのことだ。運転に疲れたらストレッチで身体をほぐしましょうということで駐車場の脇に鉄棒が作られていたのだが、そこに立てられた「鉄棒あり」と書かれている看板を見たときには思わず爆笑しそうになった。鉄棒があることぐらい、見れば分かる。なのに、わざわざ「あり」という道路標識風の口調で書いたりして、ご丁寧に挿し絵まで入れるとは、どうみてもウケ狙いでやっているとしか思えない。

鉄 それよりも気になったのは、その看板に書かれている「鉄」という文字の金偏だ。ご覧の通り、画が一本たりない。これを見て、高速道路の案内標識に使われている書体では、高速で走行している条件下でも見やすくするために、複雑な字形の漢字は一部の画が省略されていると聞いたことを思い出した。そのことを意識して標識を見ていると、確かに簡素化された漢字がときどき使われている。 豊中 たとえば名神高速道路にある「豊中インターチェンジ」の標識では、「豊」の字で「豆」の部分が略されているし、東名高速道路の標識に登場する地名で最も複雑な漢字を使っていると思われる「愛鷹パーキングエリア」の標識の「鷹」という字は、正確なのは麻垂れぐらいで、垂れの中身は「何となくそれらしい」形になっている程度だ。

これまでも何度となく高速道路を走っているのだからどこかでこのような漢字を見ているはずだが、「鉄棒あり」という妙な看板を見るまでは違和感すら感じたことがなかった。静止していればすぐに変だと気付くが、時速 100km以上で走行しているときにチラっと見て通りすぎるときには細かい部分までいちいち見ていないから、まんまと騙されてしまう。それどころか、見ようと努めてもなかなか見られるものではない。こんな字を探そうと思って特に注意深く標識を見ていても、標識の内容は何百メートルも手前から認識できるのに、個々の文字が正しいかどうかは真下ぐらいまで来ないと分からなかった。

そもそもちゃんと見ていないということを逆手に取って違和感は感じさせず、それらしい形を見せればちゃんと文字として認識できてしまうという人間の特性を上手く利用したものだ。



更新報告
2001年9月22日(土曜日) はれ

今日は涼しいを通り越して寒いと感じたほど冷え込んだ。秋をすっ飛ばして一気に冬が来たんじゃないかという、そんな日に夏休みのネタを掲載するのは季節はずれ感たっぷりだが、白浜へ行ったときの話を追加した。大部分はかなり前に書いてあったのだけど、加筆修正が進まなくて今頃に。



セルフスタンド
2001年9月21日(金曜日) 雨

八王子の日。夕方から出かけて家に帰ると午前様、なんていうと頑張って仕事をしているように聞こえるが、終わったあとには心ゆくまでタダメシを堪能できるとなると、仕事はするし、無理も聞く。エサをくれる人にはついていくにゃ〜 ということなので、にゃんこの思考そのものですな。ねこねこ。そういえば、近所(というほど近くもないが)に猫屋敷と化している家を見付けた。軒先で毛繕いしているにゃんこ、出窓で眠りこけているにゃんこ、いっぱいいてかわいいけれど他人の家の前で猫を追っかけたり写真を撮ったりしていると 110番通報されそうなので、程々にするように心がけている。

ガソリンはセルフスタンドで入れることが多くなった。家の周辺のガソリン相場はかなり高めで、少し郊外にあるセルフスタンドにいくとリットルあたり10円以上も安くなったりするから、当然そっちを選ぶわけだ。貧乏なので価格が安いことも重要なファクタだが、何といっても客を突き放した感じのドライな姿勢が気持ちいい。ガソリンを入れにきただけなのに、あれやこれやと不要なものを勧めてきたりする店員は、はっきりいってうざいだけ。道端に人を立たせて旗を降っているスタンドもたまに見かけるが、目障りな旗振りの人件費が価格に含まれているのかと思うと、それだけでそのスタンドには入りたくなくなる。

先日、大阪へ行ったときのこと。高速を走って窓が虫の死骸で汚れていたので掃除したくなり、タンク残量はほぼ満タンだったが、雑巾が置いてあったセルフスタンドに入った。タダで雑巾を使うのは何なので、一応入るだけ入れておこうと思ってキャップを開けたりしていたら、給油する前から店員がやってきて「粗品です」といってティッシュを5箱も置いていった。入ったガソリンは5リットル程度、それでティッシュ5箱とは随分と気前の良い店だと思ったが、そのとき既にほぼ満タン状態でありながら雑巾を借りるためだけに来たことは、機械的に粗品を配っている店員さんには知る由もないのだから、必然的にそうなるわけだ。

横浜在住のわたしがこの先そこで給油することがあるかどうかも分からないのでちょっと悪い気もしたが、そういう意味でもセルフは便利だねと、貰えるものは貰っておいたことは当たり前。で、今日は町田のセルフスタンドに入ったら、ここでも給油する前からティッシュを1箱もってきた。30リットルほど入ったが、さすがに「大阪の某スタンドではリットルあたり1箱くれたのに、ここはケチ臭い店やな」などと言える勇気はありません・・・そういって、本当に30箱もくれたらかえって困るけれど。



報復
2001年9月20日(木曜日) くもり

ご指摘があったので念のため申し上げておくと、ここでは反米的な論調の雑文を多く書いているが、その殆どは、アメリカの言い分を斜めから見ていくことが主たる目的である。その結果、あの考え方は滑稽だとか、それは間違っているとか、非難めいた結論に至ることもあるが、何もアメリカの姿勢自体が気に入らないためにそう言っているのではない。そもそもそういう見方をしているという時点で、わたしが親米一辺倒の人間でないことぐらいは分かると思うが、例えていうなら売ってるパンは美味しいから買ってるけれど、考え方には少々問題のあるパン屋のオヤジについてブツブツ言ってるような感じかな・・・余計に分からなくなる比喩だが、まあそんなところ。

アメリカのテロ事件に対する報復として、武力を行使することについては様々意見があるようだが、わたしは必ずしも悪いことだとは思っていない。例えば、強盗犯が人質を殺害しながら建物に籠城していて、いつまた次の人質を殺すか分からないという状況にあり、色々と手を尽くしたが犯人は射殺せざるを得ないとなったときに、それは平和的じゃないから賛同できないという意見がトンチンカンであることぐらいは分かると思う。テロの処理の構図もこれと全く同じで、事件を起こした犯人がどこかに潜伏していて、また同様の事件を起こす可能性があり、色々と手を尽くしたがどうにも打開できないとなれば、強行的武力の行使もやむを得ないことだ。

無論、犯人が死ぬだけの強盗事件と、多くのシビリアンが犠牲になるやも知れぬ戦争とを同じに扱うことはできないという意見はごもっともで、それゆえに武力の使用を積極的に推奨するつもりはない。平和的な方法が優先されるべきことは当然だ。しかし、綺麗事だけでは何も始まらない。武力を忌み嫌って平和的解決だけを望んだ結果が、捕まらないわ、蔓延るわ、芽生えるわ、とあってはそれこそ本末転倒で、必要な武力すら使われず、悪に身を縮めて生きなければならない世の中こそ、平和からは程遠いものだ。罪に対する応報は当然ながらあるべきで、あれだけのことがあれば米が何らかの行動を起こすことも当然だし、また起こすべきである。

日本では「報復」という言葉が一般に使われており、この言葉の語感がやたらと「血腥い仕打ち」を連想させるから話が狂うんじゃないかと思える節もあって、あまり使いたくはないのだけれど、ほかに適切な言葉が見つからないのでここもそれに倣うことにした。当然、血腥いことだけが報復ではない。報復の一方法として軍事力は最も目立つ存在だが、グダグダ言ってる国にミサイルを何発かお見舞いすれば解決すると思っている人はいないだろう。国家による報復というのは、むかついている国民(もっとも本件では世界の人)に「溜飲が下がった」と感じさせるために行われるものだとすれば、そのためには首謀者の首を取るぐらいのことはやるだろう。

けれども、気晴らしがてら槍玉に挙がった国々にミサイルをぶち込んだところで、そのような効果は得られまい。



一般論化?
2001年9月19日(水曜日) はれ/くもり

みなとみらいのビル群

みなとみらいの夜景が見られる高台は有名無名を問わず数多くあり、特に眺めが良い場所は、殆ど観光地になっているところもある。けれども、わたしの知る限りで最高と言える撮影ポイントは、観光客などまず来ない辺鄙な場所にあって、おまけに高台ですらない。辺鄙すぎて視界を遮るものが何もないから、高台である必要がないのだ。ローカルな話だが、第一京浜から金港町を通ってみなとみらい方面へ抜ける道路に、みなとみらい大橋という橋が架かっている。その橋梁上に、主要なビルが綺麗に並んで見えるポイントが一点だけある。遠くからは分からないけれど、これらのビルは一列に並んで建っているわけでもないので、それが並ぶこの場所はちょっと奇跡的かも。

アメリカの同時多発テロは、「自由を愛する全ての者への挑戦だ」などといった一般論にすり替えられつつあるが、こういう考え方は滑稽に思えてならない。確かに、テロリズムでは多くの無関係な市民が国籍に関係なく犠牲になりがちだからそうと言えなくもないが、少なくともこの具体的事案は、特にアメリカを狙って行われた攻撃であることは間違いなかろう。穿った見方をしなくてもこの発言は世界の世論をアメリカ支持に傾けるためのアジテーションにしか聞こえないし、案外、個々のテロを敢えて具体的に扱わず一般論にずらすことで、アメリカが恨まれる至った根本的原因、すなわち自分とこの悪行の言及を避けよう、という魂胆があるようにも思える。あまり報道されないだけで、アメリカもこのテロに匹敵することは色々とやってると思うんですけどね、大統領殿。

アメリカのこうした主張を支持する見解として、世界貿易センタービルには多くの外国人もいたのだからこれは世界に対する攻撃だ、日本人もいたのだから日本も当事者だ、などという理屈も出てきているけれど、ここまで強引な結果論に至っては常軌を逸している。もちろんそういう効果も勘定に入れて世界貿易センタービルが標的に選ばれたことも十分に考えられるが、よしんばそうであったとしてもそれはあくまで「たまたま」出てきた副次的効果でしかなく、本題はアメリカにインパクトある攻撃を加えることであったに違いない。にも関わらず、これを「世界に対する攻撃」と解釈することは、アメリカが世界警察として躍り出ることを正当化するための情報操作でしかない気がしてならない。

なにも、これはアメリカ以外の国には関係のないことだと言いたいのではない。例えば、いつか日本がこうしたテロの標的になることもあるだろうから、この事案の解決に際しては日本も当事者であるかのような危機意識を持つことも重要だ。テロリズムのような卑劣な犯罪の根絶も人類共通の課題である。それらは、大いにやってもらいたいことだ。けれども、あくまでアメリカの同時多発テロ事件はそれとしてしっかりと処理、解明されるべきことでである。奇妙な一般論化による情報操作でアメリカの敵が人類共通の敵と化し、いつのまにかそのムードでアメリカの望んだ報復が始まって、いつしかアメリカは西部劇のヒーロ扱い、なんてことになるのはいけ好かないが。

・・・何となくそうなるような気がするだけどね。



おきて?
2001年9月18日(火曜日) はれ/くもり

葬儀のあった街は大阪市内のど真ん中にありながら、良い意味でも悪い意味でも旧態依然としたムラ的社会の近所関係がそこにだけ化石のように残っているところで、都市化が進んだ大阪市内の平均的な場所とは違って時間の流れがちょっと違う。下町で、お世辞にも上品な場所とはいえないが、都会的なせわしなさはなく、かといってそのせわしなさを人為的に整備された開放感などでわざとらしく抑圧しているでもない、そんな感じのところだ。多分、わたしにとっては住み難いところだとは思うけれど、たまに行くと悪い雰囲気ではない。そこはかとなくノスタルジックで、都会の真ん中にもこんな場所があるのか、と改めて思ったりする。

「こういう街やからな、ムラのオキテみたいなものもあるんや」と、車を長時間に渡って路上駐車していても大丈夫なのかと尋ねたときに言われた。葬儀が行われた自治会館の周辺道路に普段から路上駐車をしている近所の住人は、葬儀の日は車を移動しておくことになっているらしい。そして警察も周辺での駐車違反の取り締まりはしないという暗黙の了解があるようなことをちらっと聞いたが、これも嘘ではなかろう。「ここらの警官やったら葬式のことぐらいはみんな知ってるから」とは言っていたが、機械的に仕事をこなす都市型警察が機能する街なら葬儀と分かっていてもやりそうだから、単にそういう問題だけでもないように思う。

辺境の駐在所ならともかく大阪市内にそんなに気の利く警察官がいるのかという疑問はあるが、ムラ的社会にあっては、よそ者の警察官とてそこを職場とする限りは、にわかでもムラの構成員にならざるを得ないという事情はあるだろう。そういう場所において、葬儀会場の目の前で駐車違反の取り締まりなんぞすれば、有形無形の手段で居づらくされるだろうという観念も多かれ少なかれあるに違いない。ムラ的社会にみられるローカルな暗黙の取り決めみたいなものは、よそ者には一見極めて不合理に見えて、こういうところでソサエティをスムーズに動かすための必要悪とも言える。わたしにとってはやっぱり窮屈なんだけど、こういうのは。



ふう
2001年9月17日(月曜日) くもり

葬儀などの用事が終わり、昨晩遅くに帰ってきた。母方の祖父が死亡したときは当人の希望で極めて質素な葬儀になったが、そのときと違って今回は平均よりも少しばかり豪華な感じの式だった。これがまた見事なまでの重々しい「葬式声」をした葬儀屋の司会がきて、音楽を流しながらオーバーなナレーションを入れたりと、それはそれで上手いこと弔いの雰囲気を醸し出しているし、さすがに段取りも上手いもの。しかし、わたしのようにルーズな人間にとっては、完璧なまでの形式的な段取りが非常に窮屈に感じられ、たとえ身内の葬儀とはいえ、本音を言えばここまでやると何だか白々しい感じもする。

帰りは、いつもとは違うコースを通ってみた。実家から八日市ICまでの区間には、山を直線的に突っ切る良い一般道コースがあると教えてもらったので、八日市ICまでは敢えて名神高速を使わずにその道を走ったのだ。時間は少しだけ余計にかかるが、山間部は改良工事も行われていてドライブコースとしても快適で走りやすく、高速代も千円ほど節約できたので、なかなか良い感じ。京都の手前から名神が渋滞しているときは京滋バイパスという手もあるが、こっちはタダだし、渋滞でイライラするよりも精神的によろしいから今度来たときはそうしてみよう。

名神に乗ってから少し先の岐阜羽島IC付近で大渋滞に遭遇。追突事故が二箇所で起きたための事故渋滞で、いずれの事故の加害車両も「あたま悪いですよ」と宣伝しているようなヤンキー仕様だった。よく自然渋滞の起きる場所だから、車間距離も空けずにぼやっと走っていて、渋滞末尾に突っ込んだ類の事故なのだろう。休日の夜にはお約束だが、東名の綾瀬バス停での大渋滞にも見事にハマった。綾瀬バス停を過ぎると嘘のように流れ出す不思議な渋滞だが、あそこは上り坂になっていて、そのときに速度が低下することが渋滞発生の原因らしい。

休日に渋滞が集中するのは、スピードメータを見ていないサンデードライバが多いから?



大阪へ
2001年9月14日(金曜日) くもり/雨@東名神

祖父死去のため、急遽大阪に召還された。新幹線で行くつもりでいたのだが、礼服はどうやって持っていこうか? 着ていくのも鬱陶しいし... おまけに雨が降ってきやがったか、というような問題に直面した結果、車で行くことに。昼過ぎに出て、普通に走って普通に休憩も入れて、かかった時間は7時間弱。全般的に交通量が多いから飛ばせないというのもあるが、小牧ジャンクション手前までの渋滞と、栗東付近から京都南まで途切れることなく続く大渋滞さえなければ、そこまではかからなかったはずだ。横浜を昼過ぎに出ると、概ね最悪な時間帯に問題箇所を通過するので、こんなもんだろう。

トンネルに吸い込まれる図

80km/h で走行中の車は、シャッタが1/2秒だけ開く間に10メートルほど進む。カメラにしてみれば、それはもう普通ではあり得ないような移動が撮影中に発生しているので、おかしな写真になるのも当たり前だが、こんなことをわざとやってみるのも面白いものだ。



続・テロとか
2001年9月13日(木曜日) くもり/雨

国際貿易センタービルに飛行機が突っ込む映像を観ながら、爆発する瞬間に「た〜まや〜」と叫んでは不謹慎だが、しかしその映像は CNNのサイトなどに掲載されていて、そのぐらいの気軽さで観られたりする。ネットやテレビであの様子を繰り返し観ていると、どうしてもリアリティが薄れてきて、そうじゃない、あれで人がたくさん死んでいるんだと頭では分かっていても、どことなくダイハード系の映画でも観ているような感じにもなる。先日、たまたま生中継で飛行機が衝突する様子を観てしまったときは本気で「え???」と思ったけれど、時が経つにつれ現場不在の情報の軽薄さみたいなものを少し実感した。

一方で、「た〜まや〜」と叫んだかどうかは知らないが、恐らくそういう気持ちでお祭り騒ぎの人もいる。世の中に根強い反米意識があることは当然のことだし、したがって天狗になっている米国には良い薬だ、といった一般論的見解があることもこれまた当然である。しかし、この具体的なテロの結果については、たとえ反米的な人間であってもそういう政治的な見解以前の問題としてヒトとして腹立たしく感じるのが当たり前というべきもので、被害を知ってか知らずかは分からないけれど、分かっていながら政治的な立場を根拠にこの結果を喜んでいるのだとすれば、はっきり言ってこいつらはヒトの風上にも置けない。

だが、だからといって取り敢えず手近なイスラム教徒からぶっ飛ばそうぜなんていう発想は、テロ並に恥ずべき幼稚な行為である。しかも、ああいう状態にあれば怒りを素直にぶつけられるスケープゴートが自ずと求められ、誰がそれになるかは簡単に予想されることなのに、話が曖昧なうちから大統領の先生とかが率先してスケープゴート作りに励んでいる雰囲気もある。日本のマスコミには、アメリカがいう正義は得てして独り善がりなので絶賛はできない、みたいな考えもあるらしく、それはそれで正しいと思うのだが、「米国対テロ活動を行う危険なイスラム原理主義者」みたいな勧善懲悪調も、そこはかとなく見られるようになった。

この際、テロ行為そのものを非難しながら誰がやったんだとかダラダラと推測してみても始まらない。怪しいのは中東ということなら、米国が恨まれるようになった歴史的経緯を詳しくやって欲しいんだけどね。



テロとか
2001年9月12日(水曜日) はれ

昨日は気分が優れず早めに寝ようと、22時ごろには布団に転がりながら NHKのニュースを見ていた。どうせ NHKのことだからまた台風の話の延々とやるのだろうと思って見ていたら、いきなり煙を噴く世界貿易センタービルの中継映像が流れてきて、なにやら現地の記者が電話で概要を伝えている。飛行機が突っ込んだというから、そのときはてっきり航空事故が起きたのだと思った。ところが、しばらくその中継を見ていたら、なんと別の飛行機がふうっと飛んできて、そのままビルに突っ込んだではないか。え??? もうわけわからん、なんなんだこりゃ?

飛行機がビルの中に消え、景気よく爆発する様子を見て、これは質の悪いドッキリに違いないとすら思ったが、さすがに NHKのニュースがそんなものを流すとは思えない。そのうち、二つあるビルのうち一つが崩れ落ち、ほどなくしてもう一つのビルも崩れ落ち・・・本当にそんなことがあり得るのかと唖然としながら、いっそドッキリであってほしいと思ったが、つい先ほどまであったはずのビルがすっぽり消えた映像を流しながらアナウンサが「これは現実です」と敢えて言ったことが妙に印象的だった。そうとでも言わないと、自分でも信じがたい、という心境だったのかも知れない。

しかし、飛行機が突っ込んでも傾きもせず、見た目には穴が開くだけで済んだビルが完全に崩落するとは思いもしなかった。衝撃によって破壊された部分や火災によって弱った部分を境に上層階が傾くことはあるかも知れないと思っていたが、まるで計算され計画的に行われるビルの爆弾解体のような崩れ方だったのはびっくりだ。横からの衝撃でそもそも全体的に弱っていたビルには、上からの崩落に耐えられなかったということなのだろうか。のちに放送された映像を見たところでは、飛行機が丸ごとビルの中に滑り込んだように見える。ビルよりも飛行機の方が頑丈なのかな。

ところで、誰が首謀者なのかということについては色々な憶測が流れているけれど、「なぜこういうテロが起きたのか」という話が問題視されていないことは興味深い。いや、そういう話も出てはいるのだが、どちらかといえば「誰が」を推測する材料として「なぜ」が話にあがるぐらいで、これはメインではないのだ。そういう意味では、これは起こるべくして起こったテロであり、予想はできなかったとしても事後的には「やっぱりな」と、それなりに了解できるハプニングなのかも知れない。そう了解できてしまうところが、恐い国だなと思うんだけど、色んな意味で。



んー
2001年9月11日(火曜日) 大雨のち曇

夕方には止んだものの、朝から大雨。書きたいことは色々とあるのだが、なんか気分がぱっとしないから・・・取り敢えず寝ようか。



水害
2001年9月10日(月曜日) 雨

八王子の日。台風が接近しているとかでちょっとやばいかなと思っていたが、時折、やや強い雨が降った程度でなんてことはなかった。台風というと、わたしが生まれてもいない大昔には伊勢湾台風のように大規模な被害をもたらしたものもあったらしいが、ここのところ「大型で強い」と言われる台風が上陸しても歴史に残るような規模の被害は起こらない。水不足で雨乞いしているときに現れたりして、むしろ感謝される台風すらあったりするぐらいだ。それは、伊勢湾台風以来、たまたま頼りない台風しか来ていないということなのだろうか。それとも、治水対策が十分に行われた結果なんだろうか。

もしいま、たとえば伊勢湾台風と全く同じ台風が上陸したとすれば、どのようなことが起きるのだろう。シミュレーションのネタとしては面白いと思うのだが、そんなことをわざわざやるのは国土交通省のダム屋さんあたりかな。仮にやったとしたら、「こんなにすごい効果が認められました」というバイアスに満ちた結論にしかなりえない気もする・・・「やっぱり大した違いはありませんでした」と、自らの仕事を否定するような広報は、さすがにやらないだろう。



パソコンに思う
2001年9月9日(日曜日) くもり/雨

「OSの再インストールやっとけ」と、実家からパソコンが送られてきたことで週末は潰れた。

元々、わたしがぼったくり価格で実家に売りつけたパソコンなので、本件に関しては断るわけにもいかなかったが、本件に限らずパソコン絡みの頼まれごとを安請け合いすると、大抵はロクな目に遭わない。予想を超える苦労を強いられた割に、簡単な作業だと勝手に思いこんでいる幸せな依頼者には大して感謝されることもなく、タダメシが食えればまだ良い方、なんていうパタンはいつものことだ。パーソナルパソコンサポートの電話を何度かかけてきた挙げ句、「サポートの切れ目が縁の切れ目」となった人間も何名かいるから便利に利用されてすぎている気がしないでもない(苦笑)

ついでに CD-RWドライブも付けてくれとか言われたので、昨日は秋葉原へ行ってみた。最近は、パソコンからは興味が薄れてしまったので、秋葉原に出向くのは久しぶりのことだ。いま使っているパソコンはもう「いぢりつくした」という感じで、あれやこれやと増設を重ねていった結果、ハードウェア面では便利に使えているから取り立てて改善すべき問題点も見当たらないし、Athlon 800MHz になってからは何かの作業がモタついていると思うこともなくなり、速度的な不満も感じなくなった。ハードウェアの熟成過程は終わり、倦怠期を向かえているようなところかも。

わたしは基本的に実用本位主義で、趣味として極限を求める人間でもないので、相変わらず尽きることのない速いかどうかだけの競争は全く不毛としか思えない。たとえば、ギガヘルツオーダの CPUに取り替える費用でどれだけの違いが得られるのかと考えると、少しでも速くなるのはもちろん嬉しいが、現状でも別に遅いとは思わないし今のままで良いかとなるわけだ。これはとても画期的だなと思える何かが出てくれば欲しくなって買ったりしそうだけれど、雑誌か何かの紹介記事を見ても、欲しいような欲しくないような、まあどうでもいいか、ぐらいの気持ちで終わってしまう。

最近、増やしたものといえばメモリか。安いという、ただそれだけの理由で。



SMS?
2001年9月7日(金曜日) くもり

ICQ に SMSという機能があって、これを使うと携帯電話にメールが送れるらしい。こいつはなかなか便利に使えそうな機能だと思ったのだが、どうやら相手が GMSでないといけないらしく、日本で使われている PDCな携帯電話には送れないようだ。ICQ のサイトには NTT DoCoMo なら送れるようなことが書いてあったので自分の携帯に送ろうとしたのだが、やってみても結果はNG。GMSのサービスエリア内(となるともちろん海外)に住んでいる知り合いで、携帯の番号を知っている人という条件を付けると、一人しか該当者がいないので、かなり使えない。

それよりインターネットな国際電話なんかが誰にでも簡単に使えるようになると良いんだけどなあ。国際電話の料金も安くなったねえと思うのは間違いで、確かに安いと思えるのは対アメリカ本土の通話だけ。電話会社の比較広告では必ず(飛び抜けて安い)アメリカ本土の料金が掲載されているので、それを見ると何となく国際電話そのものが全体的に安くなったような感じがするのだが、ほかの国は決して安いとは言えない金額だ。わたしが時々かけるオセアニア方面なんて10分ほどしゃべっただけで 1,000円を軽く超えてくれるから恐ろしい。

またメールためこんでます。ごめんなさい。これから書きますので。



工事とか
2001年9月6日(木曜日) くもり/あめ

久々に八王子へ行ってきたり。

帰り道に、共同溝か何かの工事のために夜になるとかなり無茶苦茶な車線規制をしている場所がある。家に帰るには、工事区間にある交差点を右折しないといけないのだが、通るたびに交差点の形状が変わっているので、ややこしいことこの上ない。ときどき、右折車線が予想もし得ないところから、まるで「にょき」という音が聞こえそうなほど急に生えていたりするので、あっと思ったときには通り過ぎていたこと、過去に二回ほど。今でこそ注意しているからそういうことはないが、アホみたいにパイロンを並べただけじゃ、ぜんぶ同じように見えて何のことか分からんつうの。

人生を捨てかけたところで、これはちょっと削除。
だらだらと書いてたら、えらいシモネタになってしもうた・・・



ねむー
2001年9月5日(水曜日) くもり/はれ

いまとっても眠いのは、きっと不規則な生活をしているせいだろう。

起床時刻は毎朝ほぼ同じなのだが、就寝時刻はかなりバラバラ。だから、眠い日と眠たくない日がある。でも、一週間単位でみると妙な規則性があることにも気付いた。休日はゆっくり寝てることが多いので、日曜の夜は遅くまで眠たくならなず、月曜日は大抵睡眠不足気味だ。そのため月曜日は比較的早い時間に寝てしまうのだが、そうすると火曜日は快復するので火曜日の就寝時刻はまた遅めになってしまう。問題は、水曜日だ。月曜日と火曜日の不足分が身体に現れるののはだいたい水曜日なので、水曜日は毎週のように眠たい。そこで水曜日に早く寝ると、木曜日には概ねまともな生活に戻るのだが、次週にはまた同じことが繰り返されるみたいだ。

1日に心霊写真の話を書いてふと思ったのだが、あるはずのないものが写っている写真を怪奇現象として説明するには、極言すればだが、写真に写る像は必ずしも実在するものだけではない、という認識の欠如が前提として必要だ。その定義では、あの話に冗談で使った「心霊写真」には実在しないものがくっきりと写っているのだから怪奇現象の条件は十分に満たしていると言えるのだが、誰が見てもあの写真を心霊写真だと思わないのは、カメラなどに詳しくない人でもコモンセンスのレベルで太陽光を撮ったらああなるのかな、と理解できるからに違いない。しかし、太陽といった分かりやすいヒントがなければ、怪奇現象に答えを求める人もいるだろう。

こんな回りくどい考え方をしなくても、当人の知識の範囲内で合理的に説明できないものは、一般的に怪奇現象として片付けられがちだが、そのことは取り立てて不思議にも思わない。たとえば、ないはずのものが写っている写真の原因を説明するとき、怪奇現象という全知全能かつ反証しえない解を適用して無責任に逃れた方が、レンズがどうの、反射がどうの、といった諸々の知識を蝟集させるよりも遙かに効率的である。しかし、どうしてそれが決まって心霊的な方面(しかも水子とかワンパタン)でなければならないのかという点は、ちょっと不思議に思う。ぱっと思いつかないけれど、了解できない写真を面白可笑しく説明できる、心霊現象とは別の説もあっても良さそうだ。

しかし、小学生ぐらいのときは夏休みのテレビの特集番組なんかを見て、半信半疑ながらも心霊現象はひょっとすると本当にあるんじゃないかと真剣に怖がったりするし、成長するにつれて半信半疑が「一信九疑」ぐらいになっても、なかなかゼロにはならなかったりする。まずあるわけないだろうと思っていながら、霊的なものは存在するのではないかとどこかで信じたがるが本能みたいなものが、人間にはあったりするのだろうか。了解できない写真が心霊現象でばかり説明されるのはのは、仮にそれ以外の説が作られたとしても、不発に終わるかマイナー部門のまま、世に受け入れられず、お蔵になる運命にあるのかも知れない。



クロアチア語?
2001年9月4日(火曜日) くもり/あめ

"Kako ste vi" という妙な題名のメールが届いた。怪しさ満々の題名からしてこれは毛唐の迷惑メールに違いない。そう思って速攻で削除しかけたら、実は「いまクロアチアにいる」という弟からのメールだった。そんでもって、これはクロアチア語によるご挨拶なのだそうだ。なんだそれ・・・クロアチア語という言語があったこと自体、知るのは初めてだ。それにしてもクロアチア。いまはどうなのか知らないけれど、何となく内戦・難民といった言葉を連想させる情勢不安気味の国に、わざわざ行ってみるという行動心理はようわからん。

少し調べてみると、クロアチア語とよく似た言語でサラエボ語というのもあるそうだが、呼び名こそ違え、発音の差違は方言レベルでしかないらしい。異なる言語でありながら、日本語に例えれば標準語と大阪弁ぐらいの違いしかないのかなと思うと、それも不思議なものだ。対して、たとえば同じ日本語とされている津軽弁が一般には通じないように、事実上の異国語も方言の一つとして、単一の言語に包括されていることも少なくない。よもや、言語の線引きは必ずしも実体を反映しておらず、むしろ国境や恣意的なナショナリズムの都合で行われているものなのか。ふと、そんな気がしてきた。



掲示板を弄ぶ
2001年9月3日(月曜日) あめ

いつもの時間に帰宅しようと職場から出たとき、すっかりと日が暮れてしまっていたことが少し意外に感じられた。ああそうか、もう9月だなと思い出して戸惑いを抑えつつも、確か先週の金曜日はまだ西の空がうっすらと明るかったのなあ。今日は雨が降っていたから特に暗かったのかも知れないけれど、そう思うともう夏なんてとっくに終わったんだなという気がして、ちょっと寂しい気がした。なぜだろう、秋は秋で清々しいし、一年待てばまた夏は来る。なのに、どうして夏の終わりを終わりを感じたときには、そこはかとない寂寥の感もワンセットになってくるんだろう、冬の終わりが寂しいと感じた記憶はないのに。

知人が管理しているとある掲示板にナマイキな書き込みがされていたので、管理人に許可を得て――もとい、頼むから火に油を注ぐようなことはやめてくれという弱気な管理人をねじ伏せて――ちょっと挑戦的な書き込みをしてみた。一般的には、反応を返すと余計につけ上がるから、うざい書き込みに無視するのが鉄則と言われる。確かに、わけのわからない内容の書き込みを連続で大量に書いたりする「荒し」に対してはその通りなのだが、やや独善的な思想を持っていて、それとは相反する思想傾向にある掲示板をつついてくる思想犯タイプの荒しさんに限っていえば、必ずしもそうとは思わない。いぢめて、楽しんでこそナンボではないか。

こういう連中でも、こちらが迷惑してるような反応を見せると「願ったり叶ったり」になってしまうので、たとえ完全に間違っていることが書いてあったとしても、あからさまに反論するような正攻法はもちろん禁物だ。逆に、やや長文気味の「ほぼ」歓迎する内容の文章を書くといい。「ほぼ」歓迎するというのは、四捨五入すれば好意的と読める文章の中に、相手の言っていることを笑い飛ばすような嫌味などをそれとなく混ぜたような感じの文章というのかな。もちろん、文体はあくまで慇懃かつ上品を心がけなければならない。「うぜえんだよ」というようなヒステリックな文は言うまでもなく禁忌だ。

一発目はだいたいこんな感じの微妙な文章を書き込んで相手の反応を伺う。たとえ反応が無くても、必ず相手は見ているはずだ。モニタの前でどんな顔をしているのだろう。少しオトナなら呆れてしまうだけだろうが、ガキンチョならかなりムカついているに違いない。そう想像するだけでわたしにとっては快楽なのだが、いままでこんなことを何度かやってきて返事をくれたやつは残念ながら一人もいない。骨のないやつしかいないおかげで、いまだかつて発動されたことのない二発目の文章は、いつも無駄になってしまうのだなあ・・・ここで手の内を明かすわけにはいかないが。



雑居ビル
2001年9月2日(日曜日) はれ/くもり

大都市の歓楽街にありがちな雑居ビルの中には、一フロアの面積がやたらと狭いところも多い。面積に余裕がないからか、窓の場所を配慮して間取りを考えることもままならず、通路はできるだけ狭くして、しかも客に階段を使われるのは嫌なのか、敢えて隠蔽してあるところなんてざらだ。特に、一階に受付があって上のフロアが個室になっているようなカラオケ店なんて酷いもので、部屋が仕切られているから窓の在処なんてまず分からないし、階段を使うと受付を通らずに外へ出られてしまう構造になっているビルでは、階段を壁と「同化」させて、すぐには分からないようにしてある店も見たことがある。

歌舞伎町の雑居ビル火災では、なぜあの程度の火災で犠牲者が44人も出るのだと言われているが、こういう現状を思うと当然の結果じゃないかと思う。そういえば秋葉原にもその手の雑居ビルが乱立していたことを思い出す。休日ともなれば、ただでさえ店内の行き来に困難が伴うほどの客でごった返す店もあるが、ああいうところで同種の火災が起きたらどうなるのかと思うと、やや恐ろしいものがある。なぜかあの街には、横寸法が平均値を大幅に上回っている人間が多く、小規模な雑居ビルの異様に急で狭い階段に苦労しているようだから、避難が間に合うかどうか・・・

過去4ヶ月の雑記更新率
1ヶ月の日数更新した日数更新率
2001年5月31日27日87.10%
2001年6月30日23日76.67%
2001年7月31日21日67.74%
2001年8月31日20日64.52%
これは脱スランプと言っても良いのかな。過去の雑記更新率(なんじゃそりゃ)を調べると分かる通り、何も書けない日が月ごとに増えていた。やや忙しかったというのもあるが、時間があってもネタが全く思い浮かばない、あるいは思い浮かんで文章にならない日がずっと続いてたから、自分でも「どうしちゃったんだ」と気になっていたわけだ。とうとう焼きが回っちまったか、このまま本格的に文章が書けなくなったら引退だ。

なんて思っていた矢先、ネタの備蓄は使い切れないぐらい増えるわ、昨日はテレビネタを即興で書き、今日は時事ネタで済ませたからその備蓄には手を付けないわで、なんだか急に快復したような感じがする。いま思えば、長期的なスランプだったような気がしないでもないが、そもそもわたしのような人間に、スランプという高級なものがあり得るのかどうかすら疑問に思える。芸術家肌の人間ならインスピレーションみたいなものも重要なのだろうが、気の向くままに由無し事を書き散らしているだけの人間がスランプなんぞ訴えるようでは笑いぐさにしかならないかも。



心霊写真
2001年9月1日(土曜日) はれ/くもり

何となくテレビをつけたら、なんか知らんが心霊写真とやらを「専門家」の原因説明とともに紹介する番組が流れてきた。今までこうした写真は、写り込み、ぶれ、光漏れといった原因で起きる失敗作品だと思っていたのだが、その専門家によれば「死者の霊」といったものがフィルム上に具現化したものだというから、まさに目から鱗。制作者もどうせ誰も信じないだろうと割り切っているのか、ここまで紋切り型にやってくれると別の意味で笑えなくもないが、何年か前は多かったこの手のワンパタン心霊番組も減ったと思っていたら、まだ成仏してくれないようだ。あるいは呪縛霊の如く。

まあここまで極端な馬鹿番組はさておき、テレビで紹介されるような心霊写真と言われているものの大半は意図的に撮ったヤラセだと思うが、ネットで「心霊写真」と検索すると、これは偶然の産物かなと思える心霊写真もあったりする。当該写真が心霊写真と分類された理由は、ほぼ全て「なかったはずのものが写っている」からだそうで、「なかったはずのものが写っている」写真が心霊現象ならば、突撃実験室にも結構な枚数の心霊写真が掲載されている。しかし、今まで「あれは心霊写真ではないのか?」という指摘を一度も受けたことがないのは、ここの読者はみんなニブイからに違いない。

そこで、今日はニブイ読者のために突撃実験室に掲載されている明らかな心霊写真を一枚紹介しよう。この写真をよくご覧いただきたい。一見、何気ない風景写真のように見えるかも知れないが、写真中央からやや左下付近に、人魂と思われるものがかなりはっきりと写っていることが分かるだろうか(写真では矢印で示した)。この写真は吉野川の河川敷で撮影したもので、もちろん現場にこんなものはなかった。恐らく川で遊んでいたときに溺れ、苦しい思いをしながら死んだ人の霊が写真に現れたのだろう。誓って言うが、これはヤラセではなく、まったくの偶然に撮影されたものだ。

ニブイだと? ナメんな、というご意見は却下。



突撃実験室