多事毒論(2003年3月分)


巨大プリン
2003年3月31日(月曜日) はれ

しばらく仕事が立て込んでいたこともあって、今日は有休消化デーとした。食うことばっかり考えている友人がたまたま東京に来ていたので、調子に乗って限界まで食う。以前のことを思えば、まったく大した量ではないのだが、出てきた料理を平らげたあとには暫しの重苦しい沈黙が横たわり、そして「う〜、そろそろ動けそう?」「・・・うん」と、わざわざ仰々しく申し合わせをしてからようやく席を立つわたしたち。むかしは平気でハシゴしてたのになあ、などと若しころの愚行を想い忍ぶ会話が出てくることに、なにやら歳ってやつを感じてしまう。外観については、みんなに「年々若くなっている」と言われていたりするのだけど、逆に言うと昔は――なので、それはそれでちょっとフクザツな思いだ。

巨大プリンが見たいというリクエストがあったので、作ってみた。普通のプリンカップに分けると6個分になるらしい日清製粉の「やわらかカスタードプリン」4箱のほか、分量分の牛乳や卵黄などを一気に混ぜる。それに見合う大きさのプリンカップとしては、耐熱ガラス製のボールを用いた。よくあるステンレス製のボールでは中身が見えずインパクトに欠けるので、敢えてガラス製にした次第だ。冷蔵庫に一晩寝かせて固めたのち、こいつにシートベルトをかけて、リクエストをくれた人のお宅まで輸送。お皿にあける際に、2.5kgほどもある自重によって崩壊するのではないかとやや心配したが、幸い、うまくおっぱいのような良い感じの形を保ってくれた。当初はバケツで作ろうと企んでいたのだけれど、冷蔵庫に入る寸法の限界からバケツは断念。少し残念だが、これぐらいでとどめておいてよかった。プリンは、しばらく見たくもない。



ETC (2)
2003年3月28日(金曜日) はれ

昨日はETCの制度に関して思ったことを書いてみたが、実際に料金所を通るときにも不満を感じることが多い。並ぶことなくスムーズに料金所を通過することは、ETC装着車が当然に享有する前国家的な権利であるわけだが、憂うべきことに、大量のETC非装着車が滞留しているために、ETC専用レーンまで辿りつけないといった極めて重大な権利侵害が多くの料金所で発生しているのである。ただでさえキャパオーバ気味の既設料金所を改良して、ETC非装備車との共存を図るうえでは仕方がない――なんていう意見には聞く耳持たぬ。下民どもに妨害され、当然の特権が行使できないようでは、ETCを取り付けた意味がないではないか。なんといっても、料金所を通過するときに優越感を味わうことが、ETCの目的なのだから。

料金所イメージ しかし、ここでは百歩譲って、我ら特権階級と、その他とが共存共栄できる方策を探ってみよう。高速道路にある多くのフルインターチェンジでは、上り本線から流出してくる車と下り本線から流出してくる車を料金所の手前で集約し、双方とも単一の料金所で扱うようになっている。例として、合計4つレーンが設けられている、右図のような構造の料金所があったとしよう。このぐらいの規模な料金所では、大抵、中央の1レーンをETC専用レーンとしているが、合計のレーン数が偶数である場合は、右図のようにETC専用レーンの位置がいずれかの流出路に近い方にオフセットしていることが多く、ETC専用レーンに遠い方から来ると、非常に行きにくいことがあるのだ。

下り流出路から出てきたETC車は、上り流出路から出てくる一般車と交差することになるからである。空いているときは注意していれば良いことだが、混んでくると、上りから来た一般車の行列でETC専用レーンが塞がれてしまうので、無理やり列に割り込んでいくぐらいしかない。ところがそれをやると、だいたい「なんだこいつは」って顔で見られてしまい、特権階級の面子が丸つぶれなのである。そこで、中央の2レーンをETC専用にしろ、と言いたいところではあるが、それができないのなら、せめてETC車がETC専用レーンまでスムーズに辿り着けるような工夫ぐらいはして欲しいものだ。たとえば、上り下りの流出路が合流するところに、消防署の前にあるような停車禁止ゾーンを作って通路を確保するといったことぐらいなら、言うほどのコストがかかるわけでもない。ETCを普及させたいのなら、そのぐらいすべきだろう。

そういえば、ETCは仕様上、80km/hでも通信ができることになっているらしいが、料金所を通過するとき、安全のために 20km/h以下に減速することになっている。確かに、ETC専用レーンも構造は従来の料金所ブースと変わらないし、その先にあるゲートが本当に開くのかどうかちょっとドキドキするので、80km/hで突っ込むのにはちょっと勇気がいる。それに、料金所の先は激しい合流になっているものだから、速度が出ていると、そこで事故が起きそうだ。しかし、もうちょっと速い速度で通れるようにして欲しいところ。もっとも、20km/hまで減速しているヤツは見たことがないし、わたしもそれ以上で突っ込んでいる。流出路の制限速度は 40km/hぐらいだが、料金所の中でも同じ規制が適用されるのだろうか。とりあえずそれを守ってたら、理屈の上では違反にはならない?



ETC (1)
2003年3月27日(木曜日) (はれ/雨/曇り)+強風

高速道路の料金所で優越感を味わいたいがために、車にETCを取り付けてみた。ETC搭載車は、まだそんなに多くないので、首都高速の本線料金所のようなところでは、だいたい一般車が行列をなしている。先に感想から述べると、それを横目に「ETCをつけてない貴様ら下等民族とは違うんだよ」などと心の中でひとりごちながら、ETC専用レーンを抜けていくときの気分はなかなかのもの。しかし、実際に取り付けてみて、なおもETCが普及しない原因もよくわかった。料金所をノンストップで通過するという発想は、たいへん素晴らしいし、技術的にとても優れたものであることも分かる。しかし、その事務的な面に目を向けると、これを運用に載せたヤツは、なぜここまで不細工なものに仕上げてしまったのかと、思わず首を傾げたくなる代物だ。いまのやり方では、逆立ちしてもETCなんて普及しない気がする。

よく聞くのが、ETC車載器の値段が高すぎて話にならないという話だ。わたしの場合は趣味で取り付けたので、それはまあよかったが、ただでさえ高い通行料金を払うのに、なぜ何万もする機械を買わなければならないのかという疑問ももっともだと思う。それより、車載器を取り付けてから、利用が可能になるまでの、煩雑を極める手続きこそどうにかして欲しいと切に思った。あるところから松下の車載器を安く仕入れてきたのが2月の初頭。取り付けは自分で行い、同時に事務手続きもほぼ最速で進めたのだが、ようやく利用可能になったのは、約1ヶ月後だった。ETC専用のクレジットカードを発行してもらわないといけないので、遅滞のほとんどは、カード会社の審査にかかった時間である。しかし、公共の道路を使うために、カード会社と契約しないといけないというのはおかしいのではないか。クレジットカードを持てないブラックな人は、どうするんだろう。

車載器を自分で取り付けた場合は、次に、道路システム高度化推進機構(ORSE)という団体と契約している「ETC車載器セットアップ取扱店」に車と車検証を持ち込んで、車載器やETCのデータベースに車種などのデータを登録する「セットアップ作業」をやってもらう必要がある。こればかりは、自分でできないためだ(販売店に取り付けを任せた場合は、通常はセットアップまでやってくれるのであまり問題にならないと思うが)。ここでの要注意ポイントは、「オンライン店」を選ぶこと。オンライン店でない取扱店では、郵送という前時代的な方法で手続きが行われるため、登録が即日に完了しないためである。セットアップ手数料は、どこの店でやっても 3,000円と決められているあたりが、いかにも日本的だ。しかも、この手数料は気の毒なことに全額ORSEに持っていかれるため、取扱店の儲けはないそうだ。セットアップだけの客なんて、さぞかし迷惑なんだろうなと思うと、やや気が引けた。

こんなことをやっているうちに、ETC専用のクレジットカードが発行されてくる。これをセットアップ済みの車載器に差し込めば、めでたくETC専用レーンを通れるようになるわけだが、これだけでは通行料金の割り引きがまったく受けられないから。割り引きを受けるためには、まずETC前払割引サービスのサイトへ行き、ここでまずユーザ登録を行う必要がある。すると、2〜3日後にユーザIDやパスワードの通知が郵送されてくるので、これを使ってログインし、指定額をプールすると、ようやくハイウエイカードと同等(たとえば 50,000円の前払いで 8,000円の無料分)の割り引きが受けられる、という仕組みになっている。まったく、ナメるのもいい加減にしろと言いたくなる。車載器を買って、料金徴収員の人件費削減に貢献し、料金所渋滞の解消にまで協力してやっているのに、前払いしてやっとハイウエイカードと同じ割り引き率とは、どういう神経なのかと問いつめたい。

同じように思っている人が多かったのか、ついに3万円と5万円の高額ハイウェイカードは廃止されることになった。ハイウェイカードは偽造が多くてやってられないから、割り引きは、今後はETCでやっていくというのがその理由である。ちょっとこじつけっぽく聞こえるが、ハイウェイカード偽造が多かったのは事実だから、分からないことではない。しかし、偽造問題をダシにして、使えないETCの普及を強引に促進しようという魂胆が気に入らない。ここで書いたとおり、ほかに改善すべきところは山ほどあると思うのだが。



南極で衛星
2003年3月26日(水曜日) はれ

南極から静止衛星は使えるのか、ということでちょっと話題になった。静止衛星は赤道の上空にあるわけだから、地球上でもっとも静止衛星を使いにくい場所は、やっぱり極地方だろう。考えてみると、極から衛星まで見通しがきくのかどうかも良く分からない。静止衛星は、赤道の 36,000kmほど上空に鎮座している(ように見える)らしいので、地球の直径 12,000kmと比べれば、そこそこ離れたところにあると言える。では、衛星を通り、地球に接する直線を引いた図をイメージしてみると・・・極に接していると見なせるぐらいにはなりそうな気もするが、スケールがでかすぎてピンとこない。それなりの地上高がある場所にアンテナを置き、限りなくゼロに近い仰角で向ければ何とかなるんじゃないか? と思ったが、微妙だ。

仮に南極からアンテナは向けられたとしても、今度は人工衛星側のアンテナが、そんな微妙な角度に対応できるほど広角なものなのかという疑問が沸いてくる。地球と衛星の間に横たわる距離を考えれば、たとえ極めて鋭い指向性を持つアンテナを使ったとしても、地球と衛星の間を飛ぶうちにダラダラと広がってしまうと考えられるが、このあたりも実際のところはどうなっているのだか。そんなわけで、困ったときの Google博士に聞いてみたら――NHKがインテルサットを使って南極から生中継をやっていたことが判明。仰角は10度ほどだったという。意外とできるものなのか。

どうでもいいが、けっこう最近まで、インテルサット衛星は CPU を作っている Intel のものだと思っていた。Intelって衛星通信事業もやってるんだーと勝手に信じていたのだが、実際は何の関係もないみたいだ。良く似た名前の衛星で、インマルサットっていうのもあるが、あれはインテルサットを強く意識している競合他社のパロディネーミングだと思っていた。ったく、あり得ない誤解とは、こういうのを言うんだろか。



Bフレッツ
2003年3月25日(火曜日) 雨

勤務先である某ISPでBフレッツが使えるようになったので、検証用に用意してあった職場のBフレッツ加入者線で実際に繋げてみた。考えてみたら、その接続を受けるルータも同じ場所にあるので、何メートルか先に出てくるパケットさんに、敢えて何キロも旅をさせるという果てしなく無駄な繋げ方なんだけれど、ネットワークなんて大抵そんなものだ。それで、適当に遊んでみたところ、体感的にはもう「十分に速い」ので、普通にWebのブラウジングをしている限りでは、社内の幹線LANにぶら下がっているのと変わらない感覚である(物理速度は100Mbpsとかあるわけだから、もうLANと呼んでも差し支えないぐらいだけど)。ここまでくると、加入者線の速度なんかよりも、端末の処理速度の方がボトルネックになってしまうという話も頷ける。

このぐらいの足回りが月々1万円以下で使えるのはとてもお買い得な感じがするが、エンドユーザ向け足回りの価格はこうして急落しているのにも関わらず、ISPが使用するバックボーン回線の価格水準は、何年か前と比べれば安くなったものの、極端に下がっているわけではない。バックボーン回線の 1Mbps あたりの単価は、ざっと 4〜5万円が相場だと言ってよいと思う(Gbps オーダで仕入れればもっと下がるはずだが、零細ISPには無縁の話)。対して、Bフレッツで実効 10Mbps 出ると仮定して、ISP料金が 2,000円なら、1Mbps あたりの単価は 200円だ。現実には、アクセスラインの場合は、常にデータが流れ続けているわけではなく、一本のバックボーンに複数のアクセスラインを束ねられるので見た目ほどの価格差はないが、それでも、ISPがどうにかして埋めなければならない差は小さくない。

消費される帯域の拡大に応じて、妥当な価格設定ができれば良いが、たとえば Yahoo BB! みたいに、赤字を前提に半ばつぶし合い目的で参入してくる大資本系のISPと張り合うとなれば、それはほぼ不可能だ。その結果、日本におけるADSLの価格水準は世界一安いとされるまでになったものの、そもそも無理のある価格設定をやれるほどの体力がない零細〜中核のISPで、いまでも生き延びているところは、良くも悪くもそういう御三家的なところの価格競争から取り残されたおかげで、生き続けているのかなと思う。無理をすれば自滅するだけなので、仕方がなく高めの価格設定で勝負に出てみたら、値段だけがすべてじゃないと考える人が予想に反して多くいた、というシナリオによってである。同業の方からも「コアなお客さんばかり残っちゃって」みたいな話を聞く。

あまり大きな声では言えないけれど、「おたくのADSLはあんまり安くないねー」と言われたときには、値段で選ぶのなら某BB!がいいですよと、けっこうアレをお勧めしてきた。高いと言われたって、これが限界なのだからしょうがない。値段が折り合わないのであれば、もっと安いところへ行ってくださいと言うしかなかったからだ。実際にそっちへ流れちゃった人も多いようだが、流れる人は遅かれ早かれ流れたのだから、敵に塩を送ったというよりも、間接的に棲み分けの推進が行われていたようなものだろう。もっとも、いま思えばそうかも知れないというだけで、実のところ「なにが良いかは客が勝手に判断すれば良いことだから無理に何かを勧める気はない」という、投げやりな商売スタイルの結果に過ぎないのだが。



平和
2003年3月24日(月曜日) はれ

イラク攻撃をうけて "President Bush is 100% correct" などと叫んでいるアメリカ人も、とにかく反戦を叫ぶ活動家も、本質的には同類じゃないかと思うことがある。イラクは悪なのだから攻撃は当然だという主張にも、誰も死なない方が良いに決まっているという主張にも、根拠に乏しいものを絶対と信じて盲目的に支持している点で、同種の宗教っぽさ感じるからだ。そんなことを言ったら双方から反論が来そうだけれど、反論といってもそれは合理的な種類の説明ではなく、せいぜい「神は確かに存在します。だから信じましょう」レベルのものしか出てこないんじゃないか。なぜ攻撃なのか/なぜ反戦なのか・・・と、双方の対立点を並べていけば、見事に一対一で対応する表になってしまいそうだ。

反戦活動が、悪いと言いたいのではない。しかし、どうして何かの問題に直面した人間は、「戦争か平和か」というような、極めて単純化された二項対立に走りがちなんだろう。米によるイラク攻撃が、いま「なんでやねん」状態であるのは、攻撃そのものの是非もさることながら、国連を軽視する外交姿勢や、国際社会からの孤立、大義名分である大量破壊兵器問題の根拠の薄弱さなど、事前の手続きにおける問題によるところも大きいと言える。とすれば、事と次第によっては、多くの国々から支持され、「平和のための攻撃」といった形で、まったく同じ攻撃が正当化されたかも知れないわけで(現実にその可能性は低いと思うが)、もし仮にそのようなケースが発生したら、二項対立的な反戦運動は、それに対応できるのだろうか。

戦争という言葉と同じぐらい、平和という言葉に嫌悪感を感じるのは、わたしがたまたま日本という歪な平和主義社会に生まれてしまったからなんだろうか。いつぞやにも書いたことがあるけれど、平和記念公園で折り鶴を献じて黙祷を捧げるなどの行為に象徴される、雰囲気だけ立派な平和主義だけで、何らかの結果が得られるとは思えないし、ヒューマニズムに訴えたところで、戦争はなくなるわけではない。そもそも、平和とはどういう状態をいい、どうやって維持されるべきなのか。その方法論の一つとして戦争放棄という原則は良いと思うけれど、座して死を待つことや、日和見主義、事なかれ主義までもがそれに含まれると解されるべきではなかろう。現実の世の中は、理想論だけでどうにかなるものではないのだから。

で、いま机に五味川純平「戦争と人間」が積んであるところを見ると、わたしも反戦主義者だったりするのかな。



ガラクタ整理
2003年3月23日(日曜日) はれ

つうわけで実家から帰宅。実家の引っ越しを機に、アホかと言いたくなるほどの密度で押入に詰め込んであった私物を抜本的に整理することにした(せざるを得なくなったともいう)。わたしは、あれやこれやとモノを溜め込んでしまうタイプで、引っ越しなどの大きなきっかけがない限りは整理することもないから、出てくる出てくる、どう考えても要らないようなものばかりが。よくこれだけ溜め込んでいたものだなと、我ながら感心してしまうほどの量だ。ウンザリしながらも、原則として捨てる、という方針で必要なものだけを選別していったら、残った分量は段ボール一箱に満たない程度。それ以外はすべて捨てることにしたわけだが、手つかずのジャンク品やら電子部品やら――どう見ても一般家庭から出たゴミとは思えない類のものばかり...いいのかな、これ。

帰りは、17時前に瀬田東から名神に入り、そのまま横浜町田まで一直線という素直なコースを採った。例によって関ヶ原の峠のあたりと岐阜羽島から一宮までが渋滞していたものの、ほかは概ねスムーズ。しかし、ここでいうスムーズとは「少なくとも流れてはいる」という意味であり、全線に渡ってヘンに交通量が多い名神や東名では、追い越し車線が法定速度以下で流れていることもよくある。しかも、走行車線がガラガラでも、なぜか追い越し車線をモタモタと走り続ける車が異常なほど多いなので、ストレスのたまる道路である。いつももっとも恐れているのは、綾瀬バス停付近の渋滞だ。連休最終日の夕方ともなれば、ここで20キロ近く渋滞していることもあり、横浜町田まであと少しのこの場所で詰まってしまうと、本当にゲンナリしてしまう。

が、わたしがその付近にさしかかったころにはすでに解消していた。あの激しい渋滞も、22時ぐらいになると急速に解消する傾向があるようなので、やや遅めに出発したのが結果として良かったみたいだ。関ヶ原とか一宮付近の渋滞は我慢するとして、下手に午前中とか昼ごろに大阪を出るよりも、夕方以降に出るぐらいが賢いのかな。



実家へ
2003年3月21日(金曜日) はれ

前々から出ていた「引っ越すからお前のガラクタを撤去せよ」とのお達しを処理すべく、実家に。多忙を理由にずるずると先延ばししていたのだが、そろそろやらざるを得なくなってきた。はじめは新幹線で行くつもりだったが、考えてみたら色々と持って帰る羽目になりそうだから、やっぱり車を使うことにする。今回はいつもと違って金に糸目を付けず東名に乗ってみたものの、横浜町田ICから流入すると、いきなり合流すらできないほど混んでいる。何事かと思ったら、上り本線で起きた事故の見物渋滞だった。事故なんてさほど珍しいものでもないんだから、さっさと行ってくれって感じだ。その後も、渋滞だらけなうえに、追い越し車線をモタモタと走るサンデードライバに阻まれまくりで・・・連休初日の昼間なんて走るもんじゃないですな、やっぱり深夜はいい。

ただいま、お外ではネコが交尾をしているようだ。「みあぅーみあぅー」っていう、独特な鳴き声を聞いていると、なんか何にもやる気がなくなってくるのは、わたしだけだろうか。現場に立ち会ったことがないので知らなかったのだけれど、いわゆるあえぎ声だと勝手に思いこんでいた「みあぅーみあぅー」という鳴き声は、求愛コールに過ぎないらしい。すると、そのあとに聞こえてくることのある「みぎゃうあうぅぅーぎゃーぁぁああうぅー」みたいな、極めて悲痛な感じの鳴き声が、本番中のあえぎ声なのかな。トゲトゲの生えたチンチンをねじ込まれるメスネコは、とにかく痛いらしい(痛さをきっかけに排卵されるとかで)。でも、実物を見た限りでは、破壊的なほどのイタイタしさは感じられないしなあ。うーん。

って、何を書いているんだか。



クレーム
2003年3月18日(火曜日) くもり/雨

いやー、皆さんお久しぶりです。長らくの更新休止で、ご心配をおかけしました。

ここのところ本業がやけに忙しいのも事実なのだが(現在進行形)、それでも一言か二言ぐらいは書けるんじゃないか、と言われれば、まあそのとおり。ちょっとあいだが空いたら何となく「まあしばらくいいか」みたいな感じになってしまい、白状しちまうと、半分ぐらいはサボりだった。しかし、原発ネタで盛り上がる掲示板で返答を書いたりしていたら、妙に気合いの入った自分に気が付いて、書かなかったら書かなかったで欲求不満が蓄積するもんだなとも思った。やっぱりわたしみたいなタイプは、こうしたマスターベーションから逃れることはできないらしい。社会生活に支障があるほどの飽き性であるにも関わらず、これだけが6年も続いているのは、意識せずともこれによって一種の快感を得ているからかも知れない。

で、郵便局戦記の続きがぜひ読みたいですと、多方面から煽られているのはどうしてだろう。頼むから、ほかでも同様のトラブルが多いから共感を呼ぶのだと言ってくれ――でなければ、昨日と今日は NTTの対応に大爆発してしまい、一昨日はヨドバシカメラでキレかけたのを何とか抑え、少し前には、カード会社にかけた電話がクレーム処理の専門要員と思われる担当者に回されてしまった自分が、普通の人であれば起きないようなトラブルばっかり起こしている困ったちゃんのように思えてしまうではないか。もっとも、実際にそうだったとしても、相手が謝る形で決着するところを見ると、言っていることの内容はほぼ正当と思っていいはず、と思いたいが、どうなんだろう。確かに忍耐が足りないかも知れないと感じることは、ままあるのだが。

クレームを受ける側に回ってみると、クレーム自体については個別に対応するしかないが、その受け方にはノウハウのようなものがある。最初から全開でキレている人はそうそういるものではなく、本格的にキレるケースは、クレームの内容そのものよりも、対応の不味さに原因があるもの。だから、受け方次第でクレームがクレームでなくなることもよくあるのだ。クレーム処理における鉄則その一は、「キレの良い」しゃべり方を保つこと。話の内容はともかく、のらりくらりとした雰囲気だけで、穏和でいられなくなった方も多いと思う。「えーと」とか「一応」とか「多分」みたいな前置きは禁忌だし、言い訳じみた話ばかりをするのも論外だ。郵便局やNTTを含め、役所系のところは、つい言い訳じみた「答弁」をやるクセがあるが、そんな対応は明らかに誤りである。

鉄則その二は、相手の言うことは、たとえどんな内容であろうと最後まで反論せずに聞くこと。要領を得ない回答ばかりするヤツは、大抵ここで失敗していると言える。話を聞かなければ、そもそも相手が何を期待しているのかも分からないわけだし、クレームを受ける側としても、相手の話を無理に遮りながら真っ当な回答をするのは、まず不可能なことだから、これは得策ではない。言うことがなくなるまで相手に喋らせておけば、それだけでもガス抜きになるし、クレームに対して何らかの対処を約束するにしても、ねじ伏せるにしても、話が一区切りついて少し落ち着いてから考えた方が良い判断ができるのは当たり前。話の途中でやろうとするから、「最後まで聞け」とか「曖昧な回答をするな」といったことで、余計に話がややこしくなってしまうのだ。

といっても、ヒートアップしつつある人間を前にして冷静な対応をするのは、場数を踏んでもなかなか難しい。しかし、クレーム処理のプロは、これをやるからなあ・・・見習いたいものだ。



突撃実験室