多事毒論(2003年4月分)


仕事
2003年4月30日(水曜日) くもり

家を建てたりする仕事に就いた友人から話を聞いているうちに、シロウトさんにも理解可能な職業ってのは羨ましいものだと思ったりした。技術屋っていうのはやっていることが専門的なだけに、仕事について聞かれると説明に苦慮することが多いのだが、家なら日常に存在するものだから、わりと理解される方だろう。わたしみたいに、扱っているものが非日常であると、理解されない以前に、そもそも何のためにその仕事が必要なのか、っていうぐらいの反応が帰ってくることもある。まあ無理もなかろう。身近にあるものでも、たとえば携帯電話が繋がる仕組みまで、普通の人は考えたりしない。その点、工事しているところが見え、施主になる人もいる建築は、分かりやすい分野だと思う。

あまつさえ、なんでもやっている(やらされている)関係で、切り出すポイントも悩ましい問題だ。業界内では電気屋の一言で通じるのだが、一般には家電販売店と混同されるので良くない。ファーム屋もやや業界用語なので代用の言葉を探さなければならないのだが、これも難しい。自分もそこそこの説明で妥協すればいいのかも知れないが、プログラマと言ってヤワなアプリ屋と一緒にされては沽券に関わるし、下手に適当なことをいうとパソコンに詳しいヤツだと思われて、下らない質問が舞い込んだりするから、あとあと大変だ。一般的な意味では、パソコンには詳しくないというアピールは必須である(実際そうだし)。ISPの管理をやっている間はネットワーク屋さんなのだが、ISPが日常に浸透してきたおかげで、いちばん説明しやすいのはここかも。

それだけなら、ほんとに楽なんだけどねえ。



道路整備
2003年4月24日(木曜日) くもり

広島に飛ばされた友人から、連休中に遊びに来ないか〜という電話。ぼちぼち国道1号の旅にも飽きてきた折り、国道2号の旅をやってみるのも面白そうだ。また下道かって感じだけれど、考えてみればわりと最近までそれが標準だった。わたしが山口県に住んでいたころは、比較的早くから建設が始まっていた中国自動車道ですら全線開通していなかったし、山陽自動車道に至っては、まだ存在すらしていなかった。たぶん、中国道で最後まで残っていた千代田IC〜鹿野IC間が開通する1983年よりも以前のことだと思うが、冬場にはチェーンを履いて山脈地帯に乗り込んでいき、部分開通区間で大阪まで行ったりしていたことが、朧気ながら幼少時代の記憶として残っている。そのさらに前からよく山口へ行っていたオヤジは、国道2号での往復も何度かしていたそうで、当時はハードだったようだ。

いまとなっては、山陽および中国地方は日本でもっとも高速道路に恵まれている地域だと言える。縦断道だけでなく横断道も完成し、ラダー的なネットワークが構成されている数少ない場所だ。採算性の面では赤字路線も多いところだが、わたしは、このネットワークが無駄なものだとは思わない。そもそもインフラというのは、それ自体で金儲けをするために整備されるものではない。あるべきところに、一定の密度で存在していること自体に意味があるものである。整備計画のすべてが計画どおりに建設されるべきではないかも知れないが、その議論は、採算性という観点からではなく、現実の必要性という観点から行われなければならないものだろう。収支率だけを見て、どこそこの路線は無駄だと切り捨ててしまう風潮があるけれど、それは妥当な議論と言えるのだろうか。

道路公団をどうにかしなければならない、という議論には大いに賛成する。なぜなら、借入金で道路を造り、通行料金で償還する仕組み自体に無理があるからだ。東名のようなドル箱路線の整備が完了したいま、残されているのは通行料金だけでは作れないような路線が大半であり、この整備を現行の方式でやろうというのは、あまりに非現実的である。おおむね黒字路線の収入で赤字路線の建設するための、全国プール制という仕組みが登場したあたり(昭和47年)から、このようなシステムの限界が示唆されていたと言うこともできるだろう。おまけに、いまは、これすら危うくなってきている。無料化されると言われながら、ずるずると料金を払い続けなければ利用者にとっては直感的にはアンフェアだが、非難されるべきは、限界の見えた財源システムが今まで放置されていたことではないかと思う。

ところで、何かの黒字で赤字部分の埋め合わせをするという考え方自体は、インフラにおいてはよくあることで、必ずしも非難されるべきことではない。たとえば、離島における通信サービスなどはまず大赤字だと言ってよいが、その赤字を本土の人間が支払う料金で埋めるのはアンフェアであるとか、そんな不採算サービスは無駄だから止めるべきだ、なんてことをいう人がいたら見識を疑う。さて、高速道路の整備にそこまでの重要性はあるのかという議論は確かにあると思うが、少なくとも、高速道路の整備に税金を使うのは御法度で(実際には微妙に使われているが)、通行料金だけで建設しようなどという考え方は、改めるべきときに来ていると思う。高速道路の議論において国民負担という言葉が出ただけで、それがさもとんでもない税金の使われ方であるかのような反応を起こすのは、いかがなものかと思うのだが。

車乗りは、そうでない人よりも多く税金を納めている。あれやこれやで結構な負担だが、それが道路の使用料であるのなら、まあ相応の負担だろう。逆に言うと、これが道路整備に使われていなければ負担根拠がないわけで――通行料金だけで整備された高速道路の走行時に使われるガソリンにかかっている税のことを考えると、とってもむかつく気がするので――これからも一般道路を走ろうと思う。



人の流れ
2003年4月23日(水曜日) 雨

かなりローカルな話だが。

近々開通するみなとみらい21線に、東急東横線が横浜駅から乗り入れることになったのに伴って、東急東横線の既設区間である横浜駅−桜木町駅間の廃止が決定したことは以前にも書いた。廃止に際し、地元ではささやかな反対運動が起きていたが、それに言うほどの切実感が感じられなかったのは、そもそも反対すべき理由がなかったからではないかと思う。交通機能の面では、JRや市営地下鉄など複数の路線が廃止区間を併走しているので、不便になるといった議論は成立し得ない。せいぜい、今まで直通だったところが乗り換えになるという程度で、それぐらいはガマンしろと言われるのがオチである。むしろ、駅が廃止されると人の流れが変わってしまい、商店に来る客が減るのではないかという、駅の野毛側にある地元商店の懸念の方が強かった気がする。

しかし、こういうと失礼だが、ここに救済すべきほどの商店があるとは思えない。桜木町駅で降りたことのある人なら分かると思うが、駅のみなとみらい側と野毛側では、雰囲気に天と地ほどの差がある。みなとみらいはまあ良いとして、野毛側にあるものといえば、会員制のスナックやら小汚い小料理屋やらが立ち並ぶ閉鎖的な雰囲気の飲屋街と、場外馬券売り場ぐらいだ。平日には、社用族らしいオジサンたちが店で騒いでいたりするが、繁華街としてはあまりに疎らで寂しい。土日の昼間は競馬客でやや賑わうものの、夜になれば閉める店がほとんどで、これが本当に休日の繁華街かと思えるほどひっそりとしている。こんな状態では当然の行く末だろうが、ここらのスナックは一軒、また一軒と看板を下ろしており、ますます寂しくなる一方だ。

駅前にはピオシティという昭和50年代を感じさせる古くさい地下街もあるのだが、ここはさらに激しく衰弱している感じだ。地下一階は、数軒の小規模商店を残して、大半のスペースががらんと空いている。何年か前までは、その空間にスーパーか何かがあったのだが、それが無くなって以来、本当にどうしようもなくなった。占い師みたいなのが常駐していたり、手芸屋さんみたいのができたりしが、結局そういうのもいつのまにかなくなり、いまは何故か貸し卓球場になっていたりする。地下二階には飲食街があるのだが、あまりに人通りが少ないため、ここで生き残っているってことはそれなりに美味しい店なのだろうという判断が成り立つほどだ。実際に、そこそこまともな店ばかりなのだが、演歌が流れているようなソバ屋やらに、若い人は入っていかないだろう。

要は、なんの自助努力が感じられないのである。客が減った、どうにかならないかといった嘆きは分かるのだが、客観的に見てこうもシケた街に、誰がわざわざ立ち寄るというのだろうか。いまでも、通勤客などの居住者を除くと、桜木町駅で下車する大半の乗客は今でもみなとみらい側の出口へ流れていく。先進的な雰囲気のみなとみらいへ行ったあとに、それとは対照的な野毛の飲屋街で一杯やっていこうと考える人いう人は、ここに駅があろうとなかろうと、まずいないだろう(社用族のオジサンは少し減るだろうが)。競馬開催日には、それらしいオッサンとかが野毛側の出口へ出て行くが、その来訪目的からして、駅の廃止によって大幅な増減が起きるとも考えられない。駅で人の流れが・・・という話はよく聞くのだが、みなとみならいのように、交通不便でも賑わうところは賑わうものだ。

それ以前の問題ってところは、けっこうあるんじゃないかな。



豆乳
2003年4月22日(火曜日) はれ

中島みゆき「おとぎばなし」を買った。おとぎばなしはずるい。

コーンクリームのカップスープ(Knorrとかのやつ)を、温めた豆乳で作ると美味いとの情報を得たので、実際にやってみた。結果、普通に作ったスープよりもさらに濃厚でまったりとした食感になり、豆乳の風味は僅かに残っている程度で、これがなかなか美味しい。豆乳100%で作ると、妙に濃くなりすぎてスープの粉が混ざらなくなるので、少しお湯を混ぜるといいようだ。もともとお湯で作るものだから、それで水っぽくなったりはしない。豆乳の独特な臭みはスープの香りにほぼ消される感じなので、豆乳が苦手な方もこんな感じなら飲めるかも。

最近は、豆乳がブームになっているらしく、かなり飲みやすく調味された「調整豆乳」あるいは「豆乳飲料」が色々と出てきているが、あの手は豆乳らしいパンチが足りなくて個人的にはイマイチだと思う。飲みやすいのは確かだし、あれはあれで美味しいのだが、豆乳を飲んだって気にはならない。豆乳は豆臭さが美味いと思うので、豆臭さを消されるとダメなのだが、嫌がる人が多いのかな。

わたしと同じく、車の番号灯をLEDに取り替えた人によると、車検も何ら問題なく通過できたそうだ。ノーマルでないことには気付かれたようで、「これ、LEDですか?」って聞かれたらしいが、「そうです」と答えたら、それ以上のお咎めはなかったとのこと。



カブレたマンション
2003年4月20日(日曜日) あめ

一つ思うに、何語であるのかすらよく分からない、舌を噛みそうなカタカナのマンション名だけはどうにかならんものだろうか。「○○マンション」とか「△△ハイツ」ぐらいなら別に普通だと思うからすべて日本語で書けと言うつもりはないが、何だか良く分からないカタカナの文字列を組み合わせたネーミングセンスは、どうも良く分からない。あれを格好いいと感じてやっているのなら、イタいにもほどがあるし、長ったらしくて実用上も不便なだけでは。さらに横浜市内では、その後ろに「横濱」と付けたりするのが流行っているみたいだが、なぜここで旧字体を使わなければならないのかと激しく疑問を感じるし、だいたい住所を見れば横浜にあることぐらい分かるのだから、そんなもの冗長なだけだろう。大袈裟なネーミングだけで、価値が上がったりするわけでもないと思うのだが。

引っ越しを検討中というわけで、目を付けているマンションが一件あるのだが、これがまた大袈裟で長ったらしく意味不明なカタカナ名称なので、それを考えただけで別の物件にしようかとすら思えてくる。住所を聞かれても、そんな名称はイタくてちょっと言う気がしないし、なんかの申込用紙に住所を記入するときに、「ビル・マンション名もお書き下さい」と書いてあったりしても、文字数では所在地よりもマンション名の方が長かったりするので、たぶん書ききれない。長いとかダサい以前の問題として、そもそも地名と番地があれば場所と建物は特定できるのだから、マンションに名称なんか必要なんだろうかねえ。便宜上あるのは良いが、住所に含めるほどのものじゃなかろう。



700円でどこまでも
2003年4月19日(土曜日) はれ

今天是我生日……また歳を食っちまったか。

首都高速の通行料金は距離にかかわらず均一なので、流入してすぐに出ても、えらく遠回りな走り方をしても、たとえば東京線だけなら料金は同じ700円だ。だったら、その700円でいったい何キロ走ることができるのか? 実用上の意味はともかくとして、首都高速東京線の一筆書き最長経路を求めたくなった。当たり前だが、ルーレット族よろしく環状線を何周もして距離を稼ぐといったことなら誰でもできるから、それは反則だ。一度通過した区間やジャンクションは二度と通らない、という条件で考えてみたい。

――と思ったのだが、いきなり頓挫した。なによりも各路線におけるジャンクション間の正確な距離が分からなくては計算しようがないのだが、意外とこれが書いてある資料が出てこない。都市計画決定を調べてみると、たとえば首都高速1号線は上野を起点として羽田の神奈川県境までとされており、この総延長は正確に分かるのだが、実運用上は上野線・都心環状線・羽田線の3路線にまたがっているから、たとえば羽田ランプから芝浦JCTまでの距離は、ここからは見えてこない。こんなことで公団に問い合わせるのも面白くないし、なんか良い資料はないものかと探しているところなのだが。予想は、まああるのだけれど、それはまたこんど(ざっと地図を見ただけでも分かると思うが、ある意味で日本一安い有料道路と言えるほどの距離を走れるよ)。

JRの最長きっぷなら、稚内から備前山口まで、時刻表にきちんと書いてあるからいいのだが。



チューリップ
2003年4月18日(金曜日) はれ

横浜公園のチューリップが綺麗だ、なんて書いたら写真を撮りたくなってきたので、昨日の昼休みに散歩がてら寄ってみた(16日のチューリップの写真、綺麗ですねって言われて気をよくしたんだけども)。毎年、ここのチューリップが満開になると、多くの人が花の写真を撮りにやってくる。それも何となく撮りにくるのではなく、一眼レフやら三脚やら物々しい装備の方々がほとんどで、公園というよりもチューリップ撮影会会場と呼んだ方が適切なぐらいだ。そのうちの九割ぐらいは、明らかにシルバーの領域に達している風のオジサンやオバサンたち――老後の趣味みたいなものなんだろうけれど、スタイルはみんな本格的で、侮れないなと思ったりした。

チューリップたくさん
トゲトゲチューリップ
ダークな感じのチューリップ
円形チューリップその1
円形チューリップその2
これもチューリップ?
植え間違いと思われるもの



咲いた咲いた
2003年4月16日(火曜日) はれ

道端で拾ってきて、職場で育てていたチューリップの鉢植えが綺麗に咲いた。「ご自由にお持ち帰りください」と汚い字で書かれた段ボール箱に入れられて、まるで捨て猫のように放置されていた様が妙な哀愁を誘い、ついお持ち帰りしてしまったのだ。帰る途中、すれ違う通行人が軽く微笑んでいたったのは、むさい男がチューリップの鉢植えを両手で抱えながらフラフラと歩いている姿があまりに非日常だったからだろう。あれが本当に微笑ましい光景に見えていたとは、自分でも思わない。チューリップさんは、光によく反応するみたいだ。日が暮れてから室内に持って入ったら蛍光灯の光に反応して、雅やかな形にまとまっていた花びらが、ほぼ水平になるほど開いてしまった。こうなると、なんか違う花みたいだ。

チューリップといえば、横浜公園のチューリップがいまちょうど満開だ。綺麗だよー。



嫌な・・
2003年4月12日(土曜日) あめ

一見するとオフィスビルのよう建物だが、大都市の中心部からはやや外れた辺鄙な場所にあり、今どきそんなビルに誰が入居するのかと首を傾げたくなるほど立地が悪い。どおりで人の出入りは皆無に等しく、寂寞を極める雰囲気が漂っているが、メンテナンスはしっかりと行われているし、夜になると明かりがぽつんぽつんと点っていたりする。建物の作りは堅牢さだけが取り柄のようで、外壁の仕上げは実用本位で極めて無味乾燥である。車寄せの幅員は、大型トラックでも十分に横付けできるほど広い。ガソリンスタンドでもないのに、地下タンクに繋がる給油口が建物の隅にある。非常にどうでもいいことだが、爆破でもされたときに人的被害以外の面で影響の大きそうな建物の特徴を挙げると、こんなところだろうかと思う。

これまた非常にどうでもいいことだが、とあるファンタジー小説を読んでいたとき、「魔力計」といった測定器が用いて魔力の強弱(?) を定量的に測定するときは、デシベルを用いるとリアリティが向上するのではないかと思ったりした。絶対単位はともかく、魔力にあっては、指先がぼんやりと光る程度のところから都市をも丸ごと破壊するようなものまで、かなり広いレンジを同じ単位で扱うわけだから、対数がエレガントである。たとえば「20dBのゲインを持つ魔法陣」を描いたり、「100dB以上の強烈な遮断特性を持つ結界」に歯が立たなかったり、あるいは「その程度か……貴様より40デシは上だな」なんて会話の飛ぶ戦い想像してみて・・・やっぱり、いらんところにリアリティを持たせるのは考え物だな、と考え直したりした。

魔導士さんの限界は、放出可能な魔力を時間で積分したものと定義され…(だからやめろって



OS選挙
2003年4月10日(木曜日) はれ

ここらの統一地方選挙、候補者の頭数だけは多いが、どうも質には結びついていない感じがする。とりわけ神奈川県知事選は史上希にみる激戦だそうだが、名前を見た瞬間に問題外と即断できる、なんでやねん系の候補も混じっているほどで(具体名は伏せるが…まあ分かるでしょ)、どうもパッとしない。最近の傾向である妙なポピュリズム化もまた激しく、具体的な政策よりも、無所属、貧乏、手作り、市民派、といった耳障りのいいキーワードのアピールに重点が置かれている点も如何なものかと思う。ある程度は正論だと思うが、旧態依然とした手法から脱出する手段として必然的にそういうのが出てくるのであればまだしも、流行に乗って判で押したかのようにやっているいまの風潮はかなりアヤシゲだ。時代の趨勢なのだろうが、このあたりにそこはかとない危険を感じるのは気のせいだろうか。

政策をソフトウェアに例えれば、この選挙の主な争点は、OSとして何を採用するかの議論じゃないかと思う。いまの時代は、どうやらオープンソースが好まれるらしいという認識では、概ね足並みが揃っているらしい。そこまで決まっていれば、残っているのは Linux にするか FreeBSD にするかの判断ぐらいなのだが、多少の差異こそあれ、どっちもどっちである。そんなところでモメても仕方がないだろうと思えるような点で、ぎゃあぎゃあと騒いで、やれやれOSが決まって一安心――と思ったら、言語仕様の不理解で動かすべきソフトがコンパイルすらできなかったなんてことにはならないだろうか。まあ、そこまで間抜けなことにはならないとだろうけれど、OSの選定はよかったのにソフトはボロボロ、ではお話にならない。OSが仕事をするわけではないのだから。

そういえば、地方選挙で対イラク戦争の賛否が争点になっているのはちょっと不思議だ。なにか踏み絵として使われているようだけれど。




2003年4月9日(水曜日) はれ

八王子の日。八王子に車を向けた回数はもはや飽きるほどに達しているのに、それも行くときはたいてい何らかの面倒な事案を抱えているのに、往路の道中をむしろ楽しんでしまっているのは、いつもこのときに季節の移ろいを実感しているからかも知れない。秋には街路樹の紅葉が美しく、冬になれば一度ぐらいは積雪が認められる。そして今日は、ちょっと遅めながら桜花爛漫。桜は、満開をやや過ぎたぐらいがいちばん美しい。ただ静かに咲いているだけ桜雲よりも、その下で散り始めた花びらが風に吹かれて濛々と舞い上っている方が遙かにゴージャスだ。こんな日に限ってたまたま16号がガラガラだったから真っ直ぐ行ってしまったけれど、混んでいるときみたいに、多摩ニュータウンの方を回っていたら、あちこちでそのような風景が見られたことだろう。16号沿いで綺麗なのは、相模原警察署の付近かな。

しかし、この時期に桜が花を咲かせるたびに、日本には桜の木がアホほどあるものだなと思う。桜の名所と言われるような場所や、どこかの校庭に植えてある桜のような常套は良いとしても、この異常な多さは、ほとんど投げやりで植えているのではないかとさえ感じるほどだ。工場の隅でちょこっとだけ余っているような敷地とか、そこらの住宅地のなかにある小さな公園で何本かだけ寂しく咲いているようなやつは、とりあえず桜でも植えておけば春になると綺麗だし無難だろうなという、安直な判断で植えられたんじゃないかとつい勘ぐりたくなってしまう。別に美しくないわけではないから良いのだけれど、街中の桜というのは、何とかの一つ覚えみたいな調子で植えられてきた気がしてならない。

桜は好きだが、わたしはいわゆる「お花見」ってやつが嫌いで仕方がない。なぜ桜が咲くとバカみたいにドンチャン騒ぎを始めなければならないのか、これが理解を超えている。やるなとは言わないけれど、それにしてももうちょっと目障りにならない方法でできないものだろうか。公園といった公共の場所に茣蓙やらシートやらを敷いたりして一定の区画を占拠することからして(普通に考えれば)非常識であるし、それぐらいはまだ良いとしても、始まってしばらく経てば、ただでさえガラの悪い空気にアルコールの悪臭が重畳され、シラフの人間には近寄りがたい雰囲気になってくる。おまけに、デカイ声でギャーギャーと騒ぎやがって迷惑この上ない。花を見ながら酒を飲むのも一つの文化だと思うが、もう少し上品に花見を楽しみたいという人間も、世の中にはいるだから。

あとに残されるのはゴミの山。全員がそうではないだろうが、こういうのを見るたびに、花見をやる連中の神経を疑ってしまう・・・。



IP電話
2003年4月7日(月曜日) はれ

今日はアトムの誕生日らしい。現実の日付は、アニメなどで設定された日付をどんどん通り越しているけれど、人類ってやつは意外と進歩していないものだ。いまごろは、戦争は宇宙でやっていたりするはずなのだが、そんな話は聞いたことがない。20xx年ぐらいなら十分に先のことだから問題はないかという感じで設定したのだろうけれど、いまとなっては過去の日付のことが描かれているSFを見ると、ちょっと痛いもんだ。もっとも、鉄腕アトムは、未来社会というものに、それなりの夢を馳せて描かれていることは明らかだ。こうなりゃ良いなという期待でいっぱいである。実際には、もう少し問題のある社会になってしまったけれど、それはそれで良いと思う。こうならなきゃいいのにな、っていう終末思想全開の未来社会ばかり見て育ってきた世代としては。

某ISPで、IP電話サービスを始めてみようかと思っているのだけれど、よほどの好き者でなければ、今すぐに使ってみようとは思わない気がする。非常に長い目で見れば、IP電話は広く普及していくものだと思っているが、過渡期である現在、一般家庭でIP電話に契約するメリットはほとんどないだろう。特に、コスト面では厳しい。契約者間の通話は無料だといっても、いまは基本的に同一事業者内でしか通話できないので、かけられる相手は極めて限定されている。これ以外の一般電話への通話料金は、全国一律 8.5円程度が相場で、これはそこそこ安いように感じられるかも知れないが、実際はそうでもない。月額500円前後の基本料がかかるため、長距離電話のヘビーユーザを除けば、この基本料分がむしろ新たな負担になるだけなのだ。

通常、加入者線を提供しているNTT東西以外の電話会社は基本料を取らないのに、なぜIP電話では基本料が必要なのか? それは簡単な話で、IP電話間の通話は無料が原則だから、基本料以外に取るものがないためである。一般電話へかけたときは通話料が発生するが、極言すればこれは本来のサービスではなく、既存の一般電話網との通話もできなければ不便だから提供されている、一種の経過的措置に過ぎない。全国一律 8.5円という料金は、赤字に近いようなものだろうし、いずれIP電話が普及すれば得られなくなるような収入に頼りながらIP電話を売っているようでは、何をやっているのか分からない。ともすれば忘れがちだが、IP電話は、IP電話同士で通話して初めて色々なメリットが出てくるものだ。これを単なる「安い電話サービス」と捉えているうちは、本質は見えてこない。

もっとも、そうなるためには、日本中にある大多数のNTT回線がIP電話に置き換わり、みんながIP電話を使えるようにならなければならない。置き換わったということは、NTTに支払っている何千円かの基本料も不要になり、通話料も無料になるわけだから、月額500円程度の基本料は屁でもなくなる――という理屈は、まあ分かるとしても、正直なところ、そんなスケールのデカい話がいったいいつ実現するというのだろうと思う。しかし、これまでの VoIP は Point to Point 的な使い方に終始するものがほとんどだったし、その敷設もみんながバラバラにやっていたものだったから、内線電話でしかなかった。ここにきて、ようやくIP電話「網」と呼べるものを構築しようという動きが出てきた点には、すごく期待はしているのだが。



精子鏡検
2003年4月6日(日曜日) はれ

いわゆる猥談ってやつが自慰の話に及んだ折りに何となく聞いてみると、やっぱりというべきなのか、性に目覚めたころ家に顕微鏡があったという男性は、それで自分の精子を見た経験のある人が多いようだ。しかも、実際にやったという人は揃って「あれはいっぺん見ておいた方が良いよ」といった感想を述べていることからして、どうやら精子の観察は、男性の根源的要求を満たすぐらいの大いなる感動に繋がるようである。それは、自分の分身が元気よく蠢く姿をこの目で確認する喜びなのだろうか。あるいは、多くても数匹を残して朽ち果てるだけの儚き運命に感じるものがあるのだろうか。まったく、顕微鏡を買い与えてくれなかったうちの親は気が利かん。顕微鏡があればわたしもやっていたはずだし、隠すつもりはない、いまでも多分いそいそとやってしまいそうである。

わたしみたいな興味本位とは違って、マジメなところでは性犯罪を扱う必要から、法医学の実習で精子の顕微鏡検査をやるらしい。ちなみに、実習用のサンプルは手弁当とのことである。



転居
2003年4月5日(土曜日) 雨

今度こそ本気で引っ越すことにした。いま住んでいる場所は横浜の商業地の真ん中であるゆえ、住環境として見ればお世辞にも良好ではないし、家賃も安くはない。そんな理由から、過去にも何度となく転居を検討したことはあるのだが、ここにはここなりの捨てがたい良さがあり、結局、実行には至らずじまいとなっていた。考えようによっては、家賃の高さも住環境の悪さも、都市の中心部に住むことによって得られる多くの利便性の対価であるし、雑多なものが同居し、適度にゴチャゴチャとしている街の方がむしろ好きなわたしにとって、都会の喧騒が多少うるさいぐらいは必ずしもマイナス要素ではない。積極的に商業地に住みたいとまでは思わないが、いわゆる閑静な住宅街ってやつはダメ。コンビニも疎らにしかないような環境には暮らせない体質になってしまっている。

さて、具体的な転居先を決めるにあたり、まず住環境と利便性の妥協点を検討してみると「職場から比較的近く、適度に都会的であるが歓楽街ではなく、ドライな雰囲気の場所」になるのだが、横浜市内で、これらの条件を満たす場所は意外と少ない。最大の人口を擁する政令指定都市であるという意味では、横浜市は「大都市」に違いないが、必ずしもそれは「大都会」とは同義ではない。人口は多い一方で、都市としては一極集中型の傾向が強く、後発の新都心的な例外を除けば、都会という言葉に馴染むような場所は横浜駅から石川町駅の間に限られている。すなわち、中心部を少しでも離れるといきなり「住宅街」もしくは「郊外」になってしまうということであり、その中間といえる適度に都会的な場所は、都市と郊外の境界付近に、ほんの少し存在するぐらいだ。

いまよりも環境を良くしたいとは思うが、一転して環境が良くなりすぎるのもどうかと考えると、どこにしようかとほんとに迷うところだ。都市計画という観点からは正しい作りなのかも知れないけれど、同じ中区内だけでも、地図を見ただけでは分からないような、明確な境界線があるからなぁ・・。



オークション
2003年4月1日(火曜日) はれ

長引く景気の低迷などで財源確保に苦しむ地方自治体が、独自の課税に新たな歳入を求めるなか、各都道府県の警察本部では、ネットオークションを活用して、警察独自の予算を得る動きが広まっている。ある県警の幹部は、「注目を浴びる事件があれば、掲示板サイトは大騒ぎになるし、警察を扱ったホームページも数多く存在する。インターネット利用者の警察に対する感心は非常に高い」と、その理由を説明する。凶悪犯罪は増加傾向にあるものの、限られた予算では警察官の増員も難しい。警察も、背に腹は代えられないという逼迫した厳しい財政が、こうした動きの背景にある。

最近行われた警察関連のオークションで、特に高い感心が集まったのは、宮崎県警が出品した「みやけいちゃん」の等身大フィギュア。「みやけいちゃん」とは、宮崎県警のマスコットキャラクターとして、普段は警察のPRに活躍しているキャラクタだが、限定5体の等身大のフィギュアを製造して出品したところ、コレクタを中心に入札が殺到。結果、開始価格二十万円の品物に五百万円を超える値が付き、すべてが落札された。「古代人の女の子をイメージしたキャラが受けたのではないか。顔面がサッカーボールのエスピーくん(静岡県警のマスコット)では、こうもいかなかったはず」と、あるコレクタは分析する。

近年はパソコンの押収が増えているといい、著名な事件の捜査で押収されたパソコンの内部に保存されていたデータが、CD-Rなどに複製されてオークションに出品されることもある。96年に三重県で起きたヒ素ハヤシ事件で逮捕された容疑者が所有していたパソコンのデータを、一千万円あまりの金額で落札した会社役員の男性(53)は、「新聞紙面を賑わせた人物がパソコンでどんなことをしていたのか、それを垣間見たいという欲には勝てなかった」と語った。「データは複製しても減るものではないし、情報公開は時代の要請でもある。データそのものに事件性はなく、公判などにも影響がなければ、これからも積極的に出品するつもりだ」(警察幹部)と、警察側も乗り気だ。

4月1日の法改正で、こんなこともできるようになった――わけはない。



突撃実験室