多事毒論(2003年10月分)


帰国
2003年10月28日(火曜日) 晴れ@台北

台湾から帰国。飛行機は(というかエコノミーは)疲れますな。でも、久しぶりの台湾はよかった。

さすがに目隠しされて車に乗せられるといったことはなかったけれど(当たり前)、用件が怪しげだったのは確かで、当日の朝に相手方から接触があって相手方がホテルに現れ、挨拶もそこそこにタクシーで相手のアジトへ連れて行かれる、という感じだったので、当たらずとも遠からずである(だいぶん違う気もするけれど)。わたしは結局、付き添いというよりも日英の通訳をやっていたのだが、通訳は自分の意思で話しているわけではないので、妙に気疲れする。あくまで第三者なら、何を言ったところで「俺は訳しただけだから関係ないもんね」みたいな雰囲気が自然にできあがるので気楽なのだけれど、そこら曖昧だと『何々――と、あの人が言ってます』の部分が、いまいち明確にならないからだ。冷徹な翻訳マシンに徹する、というのも難しいもんで・・。

で、あちらの方々は、とってもしたたかだよなあって思いました。ほんとに。



台北 (2)
2003年10月27日(月曜日) 晴れ@台北

台北二日目。

お連れの方は,ゆっくり目に起きて朝飯はホテルで食うということだったが,ほぼ想像の付くビュッフェを食うのもイヤだったので,わたしは朝6:30に起床して街に繰り出した。適当に見つけた屋台で,取り敢えず,色んな具が餅米で包まれているちまきみたいなやつと豆乳を買い,公園のベンチで食うことにした。ちまきはそこそこ美味かったんだけど,失敗したのは豆乳に砂糖が入っていたこと。不味くはなかったが,予想外の味であった。気が付くと,食っていたわたしの前に野良犬がやってきた。その上目遣いは,まるで分けてくれと訴えているようだが,おとなしく座っているだけで奪い取るような積極性はなく・・写真を撮っていたらそのうちどこかへ消えてしまった。どういうわけか,台湾の犬はみ〜んなくたばり気味だ。

食後,コーヒーを飲みたくなったが,頼りのドトールが見当たらない。歩いて探すのも面倒くさいので,MRT(地下鉄)で台北駅まで行ってみることにした(MRTに乗りたかっただけだったりして)。台北のMRTは日本の地下鉄とよく似ているが,建設時期が新しく,清掃も行き届いており,飲食禁止(違反者には罰金)のため,駅の天井に汚らしい綿埃がこびりついているような日本の地下鉄と比べ遙かに綺麗で近代的である。掘削費用をケチる意識もないのか,ホームの作りは広く,混雑緩和の工夫も見られ,日本の地下鉄における問題点を全般的に改善したらこうなりましたという感じだ(きっと研究したんだろうなあ)。電車は,川崎重工製とか Siemens製が走っている。ちなみに,列車は右側通行。日本の地下鉄とは逆の方向に動くので,発車時につい逆の方向に構えてしまうと転けるかも。

仕事が終わり,また午後から時間が中途半端に空いたので,買い物でもするかと西門町から台北駅のあたりを散策することにした。このあたりは,街並みがどことなく大阪的だ。それでもまだ時間が余ったので,新光摩天展望台(新光三越のビル)に登ってみた。料金は150元(450円ぐらい)と高めだが,まあいい。高いところから見る台北の街並み(北)も,川があって全体的に雑然としたところがやや大阪的で,この写真なら十三のあたりって感じになるだろうか。ほか,夕日二二八和平公園総統府中正記念堂など,適当に撮影。



台北 (1)
2003年10月26日(日曜日) 晴れ@台北

成田から中華航空(ちなみに機内食は不味かった)で中正國際機場へ飛び、そこからはタクシーで台北市内のホテルまで。その後、小腹が空いたので連れの方々と一緒にホテルの近くにある比較的庶民的な海鮮料理屋に入ってみた。22時ごろだったと思うが、台北の街はかなり夜型で、多くの店が夜中まで当たり前のように営業しているから、遅く着いても食べるところに困ることはない。食べたのは、エビ、カキ、白子のほか、名前はよく分からない白身魚などで、おなかいっぱい。味付けは台湾風に薄口で、ニンニクたっぷりってものが多いが、個人的にはこのぐらいが好きだからまったく問題はない。欲を言えば、大抵のものに入っている香草が苦手なのだけれど。

ところで、台湾の庶民的な店は、多くが歩道を兼ねた建物の軒先をフル活用している。店の中には食堂があるだけで、軒先に置かれた屋台で注文を受けたり調理をしているところもあれば、今回入った店のように、食材が軒先の冷蔵庫に展示されていて、店に入る前に、客が選んで調理方法まで指定するようになっていたりする場合もある。通常は着席してから注文する日本とは勝手が違うので、最初はどうしていいか分からず戸惑うのだが、慣れれば現物を見ながら選んでいく作業も面白い(言葉が通じないと大変だが、今回は片言の日本語を話す店員さんがいたのでどうにかなった)。見ると食べたくなる人も多いだろうから、日本の店もこれをやれば売り上げ増になるのに。

と思ったけれど、日本の場合は蝋細工のイミテーションがあったね。



台湾へ
2003年10月25日(土曜日) 曇り

突然だけど、明日から火曜日まで台湾へ行くことになった。それも、出張ではないけれど観光でもなく、仕事なのかどうかがいまいちはっきりとしない「付き添い」という名目で行くことになった。北京語はできなくてもいいから、とりあえず一緒に行けばいいらしい。話を持ってきた人の説明では、ある人が所用で台湾へ行くことになったのだが、単独で海外へ行くのは不安で仕方によると、どうしても誰かに付き添って欲しいと譲らないのだという。それで、以前に台湾へ行ったことのあるわたしに話が回ってきたわけだ。なんじゃそりゃ? っていいたいところであるが、台湾は好きなので、タダで行けるというのならまんざら悪い話でもない。タダで台湾ね、うんうん。そんなせこい理由から、二つ返事でオーケーしちゃったのだが・・・。

聞けばその「所用」というのが実に怪しげなのだ。ここにはとても書けないほど怪しい。万が一粗相でもあれば、生きて帰れるかどうかも怪しいぐらいだ。そうだ、きっとそうだ。相手の指定した待ち合わせ場所へ行くとまず目隠しをされ、待機していた車に乗るよう命じられるのだ。やがて車が止まり、ドアを開く音が聞こえるまでに、一時間ほど走っただろうか。目隠しをされたまま車から降ろされると、今度は手を引かれて建物に連れ込まれ、そして背後で扉が閉じられる音がしてからようやく目隠しを外すことを許される。そこがアジトなのだろうか。恐る恐る、ゆっくりと目を開くと、閉じられたブラインドの隙間から漏れる筋状の光を背に、目の前にはコールタール色のスーツを纏った初老の男が微笑を浮かべながら――

なんて感じではなと思うけれど(←映画の見過ぎ)。生きて帰れたら、またよろしく。



かーん
2003年10月24日(金曜日) 晴れ

いるよねえ、物事を説明するときに意味不明な擬態語をやたらと使う人って。「このへんをガチッと押してから、このあたりをグリっと回して、ここんところをグビグビっと引っ張って」とか、「そこはジャァァァっとした感じがいいな」「え、ジャァァァですか?」「うーん、だからガァァァとやるのよ」みたいなのとか。まあ、実物を見ながら説明するときはこれでも何とかなるものだが、電話でパソコンのトラブルの話をするときに、擬態語と物理的形状のみによる説明を試みる人もいる。「四角いのがペロっとで出てきて、ペケをガチガチ押してるんだけど、何度やっても長っぽそいのが出てきて、ビーンって音が鳴るの」とか。ウインドウは一般に四角いものなので、「四角い」ってのは何の説明にもなってないんですがねえ・・。

擬態語は、本来、ある動作の様子を形容する状態副詞の形で使われることが多い。具体的には、「ピカリと光る」とか「ノロノロと動く」みたいなヤツがそれである。こういうのは良いとしても、「ガーーっとメシを食う」みたいな、意味がいまいちはっきりとしないやつは、深く考えれば考えるほど、「実際にそんな音が鳴るんかい」と突っ込みたくなる。そういえば、わたしの勤め先では「その日は絶対に残業しない」という意思を表すときに、「今日は○時になったら『カーン』と帰るから」という言い方をすることがある。ゴングが鳴ったら「はい終了」って感じのイメージであるが、当然ながらゴングなんかないので、帰るときにそんな音が鳴るわけではない。そうか。だったら、実際に言えば良いんだ、擬態語の部分を。

「(大きな声で)カ〜〜〜〜ン! ・・・お先です(消えそうな声で)」

うんうん、いいね。そんな音が鳴るんかい! と突っ込むのは、いかにも無粋だと思えてきた。



前立腺
2003年10月21日(火曜日) 雨

前立腺をマッサージされると、何とも言い表しがたい快感を感じる男性もいると聞くが、わたしの体験から言うと断じて否、そんなものにはまったくいい印象がない。以前にも書いたことがあるけれど、わたしが初めて前立腺マッサージを体験したのは、赤線の名残とされる界隈にあるいかがわしい雰囲気のお店、ではなく、前立腺炎か何かのために行った泌尿器科である。それがいくら診療行為の一部だといえ、無骨な診察台の上で下半身を露呈させて四つんばいになることを要求され、そして相手はいくら医者だといえ、有り体に言えばオヤジの指でアナルを犯された――というのが初体験あらましなので、シチュエーションからして終わってるし、そもそもグイグイと押されているところは炎症を起こしているわけで、感じられたのはエクスタシーどころか、激痛のみであった。

このような経験から、わたしは前立腺に関しては深いトラウマがあり、泌尿器科医に陵辱、じゃなくて触診された男の肛門は文句なしで出口専用、ゆめゆめ何かを入れるようなことは考えすらしまい、と思っていたのだが、Mokuchan's Room という泌尿器科医のサイトの下医者談義によると、診療中に感じちゃう人もいるらしい(語り口がなかなか面白い)。うーん、そういうものなのか? 実は再診で二度目の前立腺マッサージを受けたときはさほど痛くはなかったけれど、少なくとも気持ちいいって感じではなかった。なにせ前回の激痛体験があったものだから、また恐ろしいことをされるという先入観で身構えていたし、突っ込まれるのがオヤジの指っていうだけでも、気持ちがよくないだろう。

しかし、それなりに気持ちがいいと感じた人の中には、前立腺マッサージのために仮病を使ってでも泌尿器科へ行く人もいたりするんだろうか。健康保険適用で低料金だし、いや、普通は病院っていうだけで敬遠されそうだけれど、もし白衣フェチで、もし診察台の上でやられたいタイプだったりして、もし女性の泌尿器科医がいたら・・・。って、無論のこと医者と姫は違いますよ、仮にいたとしても。



片付けられない
2003年10月20日(月曜日) 曇りのち晴れ

ここのところ更新がサボりがちになっていた原因の一つに、作業机の上が散らかりすぎて、もはやキーボードの行方すら分からなくなっていたことが挙げられる。と言ったらちょっと大袈裟だけれど、ありとあらゆる類のモノが高密度に積み重なって、それらが危うい均衡を保持しながら辛うじて崩落を免れている机の状態は、そこに向かう気を失せさせるには十分だったのだ。だが、散らかしていることに対する罪悪感はあるし、頭ではちゃんと理解しているつもりだ――日常から、最低限、崩落の危険性がないぐらいに片付けておけばいいのだと。それさえ怠らなければ、わたしの机が『ブラックホール』だと罵られたりすることもなくなるだろうにと。なのに、なぜこうなるのであろうか?

ところで、物心が付き始めた人間が、初めて片付けという動作を学ぶのは、大抵はオモチャを散らかしたときだろう。遊び飽きたりして、オモチャを放置したまま遊び場を立ち去ろうとしたとき、親とか、保母さんとかに「出したものはちゃんと片付けようね」みたいなことを言われて、出したものは片付けなければならないことを次第に理解していくのである。さて、まだ純真無垢で、まだとても素直で、まだ言いつけをちゃんと聞く子であった当時のわたしは(すべて過去形だけど)、それに従って「出したものは片付ける」をしっかりと実践していたと思う。そしてガキのころに反復して叩き込まれた言いつけは、成長してからは生活習慣として根付くもので、いまでも出したものは比較的ちゃんと片付ける方だろうとも思う。

さて、ここで気付くのは、そもそもどこかから出してこなかったものはどうなるのか、という疑問である。すなわち、店で買ってきたものや、勝手に送られてくる郵便物などは、もともと家にあったものではないため、「出したものは片付ける」とばかり教育されてきた人間にとって、それらの取り扱いは、マニュアルには書かれていない未知のことではないか。だから、そうしたものを「習慣」として片付けることができず、ときどき、意識的に「片付ける先を新たに作る」という作業をしない限りは片付かないのではないか。そう考えると、散らかっているモノの傾向とも辻褄が合うのだ。机の上に蓄積していくのは、送られてくる明細書とか、仕事の資料とか、新たに買ってきたものとか、もともとはなかったものがほとんどである。

以上のように、わたしの机がブラックホールになる原因は、幼児期の不適切な教育にあると考える以外にないのである。もし、「出したものはちゃんと片付けようね」ではなく、「散らかっているものはちゃんと片付けようね」と叩き込まれて育ったなら、わたしの机は常に模範的な美しさを保つあまり、こんなことは話題にもならなかっただろうが、残念ながら、幼きわたしが受けた教育のトラウマが、このように根深く残っているのだ。たしかに、幼児に電話の明細書が送られてきたり、幼児が買い物をして細々としたモノが増えたりするのはまずあり得ないことだが、だからといって、片付けるべきものの範囲を「出したもの」に限定するのは不適切極まりないと、声を大にして言いたい。

と、机の片付けで週末が潰れた腹いせに、親を恨んでみたり・・・。



柴芋
2003年10月19日(日曜日) はれ

「柴芋」っていう中身が紫色の模様になっている芋を見付けた。どちらかといえばサツマイモに近い種類のものだと思うが、皮の色はジャガイモのような薄い茶色だから、切ったときの色のギャップがちょっと妙な感じだ。これといった調理方法を思いつかなかったので、油で揚げてみることにした。揚げ方を変えたりしながら試行錯誤を繰り返し、最後に砂糖を絡めて出来たのが、柴芋チップスである。手前味噌ながら、仄かな甘さと芋そのままの風味が大変よく、予想していた以上に美味しいものになったが、これに至るまでに要した手間の量は、もう二度と作るまいと思ったほど。やってみて始めて分かったのだが、噛んだときにパリっと音が出るぐらいカリカリに芋を揚げるのは、そんなに簡単なことではなかった。

なぜなら、普通に芋を揚ただけでは、フライドポテトのように、ほくほくの芋になってしまうからだ。パリパリの状態にするためには、しつこく油で揚げることによって、芋に含まれる水分を極限まで蒸発させてしまう必要があると考えられるわけだが、それを実現するためには、芋を極薄にスライスしておかないといけない。ポテトチップスが極薄であることにはちゃんと意味があるようで、厚さが 1mmもあったら、これでもかってぐらい揚げてもパリパリには仕上がらないのだ。が、包丁で 1mmよりも薄くスライスするのはかなり大変なことで、材料を切るだけで神経を消耗してしまう。それとて、水分が蒸発するまでにはそれなりの時間がかかるので、やっているうちに焦げてきたりする。従って、低温の油で、長い時間をかけて揚げるしかなかった。

揚げただけの柴芋をそのまま食べても、それなりに美味しいのだが、最後に砂糖を絡めると、表面は甘くてベットリ、中は芋の風味が生きたパリパリチップスができる。わたしは、揚げ終わった芋にサチるぐらいの砂糖水を軽く振りかけ、素早く強火で煎って水分を飛ばすという方法でやったのだが、実はこれがいちばん難しかった。モタつくと、せっかくパリパリに揚げた芋が砂糖水を吸い込んでしまうので、元も子もなくなるし、火が強すぎると砂糖が焦げるので、その加減が微妙なのだ。何とか、わりと簡単にカラっと仕上げる方法はないものかと検討した結果、熱風乾燥がよかったみたいだ。温めたフライパンにチップスを載せ、砂糖水を振りかけてからサッと煎って大雑把に蒸発させる。そして弱火にし、上からヘアドライヤの風を送って仕上げた。

台所でヘアドライヤ?って気もしないでもないが、食品工場なら乾燥機も使っているはずよね、きっと。



のんの
2003年10月14日(月曜日) 大雨/くもり

肴はあぶったイカでよく、明かりはぼんやり灯りゃ十分で、衣服は年に二回かそこら、ユニクロあたりでまとめ買いすれば済む野郎にとって、若い女の子向けのつまらんファッション情報誌ほど無縁のものはないのだが(というか読んでたら恐いでしょ)、たまたま転がっていた「ノンノ」っていう雑誌を開いてみて、たまには目眩く異世界の事情を知ってみるのもおもしろいもんだと思った。この手の雑誌を真面目に読んだのは、記憶にある限りでは初めてだ。男でも、兄弟に女の子が混じっている家に生まれたら、こういうものを目にする機会もあったのだろうが、わたしは兄弟も従兄弟も片っ端から男というイヤな家系に生まれてしまったものだから、女の子の生態なんて、まるで謎なのだ。

うむー。頬にちょこっとチークを塗ったくるだけで、雰囲気がガラリと変わる女って恐ろしいようで、羨ましいというか。羨ましいと思うのは、極端な例では、背広とポロシャツ以外に何を着たらいいのか分からないっていうオヤジ世代がいるように、男はもともと、色々な格好に変身をする訓練をやってないうえ、やれるとしても許容範囲がかなり狭いからだろう。やってやれないわけではないが、イメチェンでもしようかと言ってちょっとでも妙な方向に走ると、途端に「○○系」といった特殊扱いのファッションになりがちで、普通だけど変わったな、という絶妙な変化を得るのは相当に困難だ。真っ当を維持しつつも、変化を求める男は、ベースは変えずに細部だけ工夫するといった、誰が気付くのかも分からないみみっちい努力をしているのが実情では。

たいへん笑えたのが「走り出したら止まらない! 男の『恋の妄想特急』」というコラムで、火災現場から格好良く救出した女とそのまま恋に落ちてみたいとか、さらにエロい服を着せてみたいとか、そういう男が抱きがちな下らない恋愛妄想を、「バカじゃないの?」と冷めきった女の目から検証する内容。ありがちだけれど、改めて言われてみると思い当たるところもある。特にグサリと刺さった感じがしたのは、「私の彼は、公園のベンチを見ると、パブロフの犬のようにひざ枕をおねだりする」という、膝枕願望に関する苦情(?) の投稿だ。うはははは、という作り笑いで、数日前に犯した気がする罪過から来る冷や汗を隠しつつ・・。ええい、膝枕が好きで何が悪いんだ!(開き直り)



ガスファンヒータ
2003年10月11日(土曜日) くもり/雨

ガスファンヒータを購入した。買ったのは、東京ガスのブランドで売られているものだが、実体は完全に松下製で、操作パネルに東京ガスのロゴが刻印されている程度。三年保証のアフタサービスは東京ガスがやってくれることになっているが、どちらかといえば、ちょっとハクを付けて値段を吊り上げるための東京ガスブランドかも知れない。諸事情あってこちらを買うことにしたのだが、リンナイの同クラス製品の方が数千円も安かった。本体よりも高けえ!と思ったのが、5メートルで4,000円もするガスホースだ。それしかなかったから、高くても買わざるを得なかった。網入りで、高級仕様に作ってあるのは分かるが、大した圧力もかかららない都市ガスにこんな大袈裟なものがいるの?

単位熱量あたりの単価ざっと計算すると、灯油と比べ、都市ガスの値段は倍ぐらいになるのだが、管から連続供給される都市ガスのメリットは大きいと考え、主暖房器具はガスにすることを決めた。くつろいでいる最中に貧乏ランプが点灯し、嫌々燃料補給をやる羽目になる非文化的な方式との差額だと思えば、わたしにとっては認められる範囲の経費だ。実際に使っていると、ガスホースの取り回しが邪魔くさい以外は、なかなかいい。点けてから数秒で点火し、オゾン様の臭いが微かにする以外は、ほぼ無臭で燃焼しながら、適度な湿気を含んだ温風を供給してくれるのは、なかなか心地良い。タンクがない分だけ、軽くコンパクトなので、動かすときにも便利だ(人間とともにヒータも移動するので)。

そろそろ廃れてくるころだろうと思っていたんだが、販売店で店員と価格交渉をしていたら「マイナスイオン」とやらが出るとされるヤツを勧められてしまう。が、わたしはマイナスイオンを浴びると蕁麻疹が出るアレルギー体質らしいので、その何とかっていうイオンの出ないヤツを要求することにした。「暖房なんだから、あったまりゃそれで十分。余計な機能はいらん」と、敢えてやや吐き捨てるような感じに言ったつもりだが、家電一筋でやってきたような貫禄を感じさせる販売員は、それに臆することもなく

「いやいや、ガスが燃えたら水蒸気が出ますから、ほら、マイナスイオンですよ」

と、よくわからないことを言ってくる。まあ、マイナスイオンに関しては、良好な反応を示す客と、ええかげんにせいって感じの反応を示す客に二極化していると思われるので、否定的な応答にも慣れているのかも知れないが、なんだかなあ。メタンなんかが燃えたら水が出るのは当たり前なので、前半部分はいいとして、なぜ水蒸気というものに別名を与えてまでマイナスイオンにこだわる必要があるのだろう。ガスが燃えているのだから、何らかのイオンとかラジカルが出たりするかも知れないけれど、それが健康に有益なものだとは思えない。



起きます
2003年10月9日(木曜日) はれ

何日分かをサボってしまったら、そのままずるずると二週間ほどサボりが続いてしまい、こりゃいかん、というわけで取り敢えず妙な絵で取り繕うことにしたら、「あれはいったい何なんだ」という、大変ごもっともな突っ込みで、微睡みから叩き起こされる結果となってしまった。何なんだと聞かれたら、つまらん妄想を絵にしてみたものですとしか説明しようがないんだが、ぼろぼろになりながらも何らかの目標を達成し、張りつめた心身を急速に解きほぐした男が、どんなことをされてみたくなるのだろうかと考えてみたところ、何となく膝枕で安らかに眠るシーンが浮かんだのだ。なぜに膝枕なのかって、それはわたし自身もよく分からんが、くたばったときは、膝枕だよね、やっぱり(もっとも、ここでは単に寝てますという意味で流用しただけなんだけれど)。

今日は、事故に遭遇することの多い一日だった。朝は、いつも通勤で通る道に多数の消防車やパトカーで集まっていて、えらく物々しいことになっていた。火や煙は認められなかったが、どうやら写真右のマンションで何かあったようだ。わたしが通りかかったときは、まだ現場の封鎖はされておらず、歩行者は普通にその場を通行していたのだが、「物が落ちてくるから離れて」と怒られてしまった。物が落ちてくる? 何があったんだと理解に苦しんだが、その後ラジオのニュースでカセットコンロが爆発したと報じられていたから、ガラスが割れたりしていたのかも知れない。夕方、八王子へ行った帰りには、R16のつきみ野のトンネル内と、保土ヶ谷バイパスであった計3件の追突事故のため渋滞、さらに対向でも追突があって見物渋滞。ただでさえ混んでるんだから、みんな安全運転しろーって感じ。



多事毒論 is sleeping
2003年10月6日(月曜日) 雨

えー、ご無沙汰しててごめんなさい。ちょっとだけ疲れて、寝とります・・・。

膝枕

って、なんか(かなり)違うぞ。



突撃実験室