多事毒論(2004年4月分)


006P
2004年4月18日(日曜日) 晴れ

デジタルテスタの電池が切れてしまったので交換しようと思ったら,当然ながら予備など買い置きしているわけがない 006P が出てきて,ちょっとびっくり。そういえば,デジタルテスタには 006P を使っているものがわりと多いのだが,いまでも新製品で 006P を使うものが平気で出てくるのはテスタぐらいでは。でも意外なことに,古代の電池であるはずの 006P はコンビニの棚に並んでいたりする。そんなもの誰が買うんだって感じだが,よく考えると同じくコンビニで売られている携帯電話の緊急用充電器に 006P を使っているものがある(三端子レギュレータの 7805 で 9V から 5V を作っているらしい)から,その用途で,特にコンビニでは需要があるのかも。ラジオなどがディスクリートで組まれなくなった時代にも,006P はこうやって生き残っているようだ。

で,006P の「味」はみんな知ってるよね?



人質事件
2004年4月16日(金曜日) 晴れ

イラクで拘束された方々,無事に解放されたようで何より。この事件に関しては思うところが色々とあるのだけれど,忙しかったり眠かったりで,一週間なにも書けないままになってしまいました。「解放された」という速報が世の中で飛び交っていたときも,解明したときには極めてケアレスなバグと戦ってたりしたもんで・・・。

今回こうした人質事件が起きたことについて,いまイラクの情勢が極めて不安であることは明らかなのだから,こういうことになったのは「自己責任であり自業自得」と指弾する向きもあった。このような態度に対して,pele-mele さんは「自己責任?」という記事において,自己責任という言葉を「彼らを批難し、やりこめるための、判りやすいが無内容なターム」と捉え,続編の「自己責任2」では,「それが誰の得になるのか、誰を幸せにするのか」と疑問を呈されている。確かに,たとえ当人に,容易に予想し得た結果を自ら招く落ち度があったとしても,それを「自己責任だ」などとあしらってみたところで何も始まらない。したがって,わたしもこのような見解には基本的に賛同するが,その一方で,当人らは危険を承知の上で敢えて行ったのだからそれなりの覚悟があったはずだという見方があることも理解できるし,それもあながち間違っているとは思えないのだ。

というのも現時点では,このような事件がどのように対応されるべきなのかという点について,コンセンサスがあるわけではない。今回の事件では,日本政府が積極的に行動したが,わたしは,これはあくまで特殊なケースだと考えている。そもそも,犯行グループが出した「自衛隊を撤退させるか,さもなくば人質を殺害する」という要求は,それだけでも多くの日本人にとってセンセーショナルなものだったと思うし,しかも首相が早々に撤退要求の拒否を明言したことも大きかったはずだ。拒否は恐らく大方の予想通りであったとはいえ,日本という国も「命は地球より重い」という理論で安易な解決を選ぶ方針を捨てたことを明確にしたわけだから,その反動で「見捨てるのか」「絶対に救出せよ」という世論が高まったのは当然だし,そう決断した以上は,政府にもここで下手を打てば歴史に汚点を残すことになるという危機感があったと思う。

もし犯行グループの要求が「身代金を○万ドル払え」という内容であったなら,事態はどう違っていただろう。政府も救出に向けて動いたことは動いただろうが,同じぐらい積極的ではなかったかも知れないし,世論も,同じぐらいに同情的なトーンにはならなかったかも知れない。今回は,イヤな言い方をすれば犯行グループの要求内容や,人質の構成が絶妙であったために,たまたま世論と政府に正帰還ができ,最悪の事態にはならなかったのだろうという気がしてならないのだ。その証拠に,あとから拘束されたとされる二名の人質は何だかついで扱いで,無事と救出を祈る世論も,最初に三名が拘束されたときほど盛り上がっているようには感じられないし,首相が「退避勧告を無視して出掛けていった人にもよく考えてほしい」と表明するなど,どちらかといえば「危険を冒してまで行く方が悪い」というような,非難めいた論調が強くなってきているように感じられる。

興味本位でならともかく,明確な目的がある人の渡航にまで物言いを付けるのは,果たして正しいことなのだろうか。ジャーナリストを例に取れば,日本がこれからも,イラクをはじめとする戦地や紛争地と何らかの関わりを持っていくのであれば,現地の様子を報じたい,報じて欲しいという要求が出てくるのは当然であり,そうした要求がある限りは,退避勧告が出ていようと渡航禁止令が出ていようと,危険を冒してでも現地へ行く記者は絶えまい。そして今後,こうした記者らが誘拐などの事件に巻き込まれることは十分に考えられることだが,だからといって,取材のために危険な地域へ赴くといった行為を,馬鹿だと指弾することはできるだろうか。確かに無謀かも知れないし,万が一のときにはには,多方面に迷惑をかけることになるだろが,戦地や紛争地の取材も誰かがやらねばならないことだし,その恩恵を享受しているのは,われわれ自身だ。

わたしが先に「コンセンサス」という言葉を使ったのは,現実がそうである以上,万が一このような事件が起きたときにはどのような対応を取るのかについて,「退避勧告を無視した人は知りません」でも構わないから,ある程度の合意があってもいいのではないかと必要と考えるからだ。もちろん,政府あたりは,面倒くさいことには関わりたくないだろうし,メンツを保つためには見捨てることもできまい。だから,そんなことは非現実的だと思われるだろうが,政府がいまやりたがっているように,「そもそも渡航を強制的に禁止する」ようなことだけでは何の解決にもならないだろう。渡航を禁ずるにしても,その管理が完全でない以上,いつかまたこんな事件が起き,日本中が慌てふためき,救出を求める声と非難の声が交互に聞かれる,ということが起きるのではないかと思うのだ。



発酵
2004年4月10日(土曜日) はれ

パンを焼こうと思ったんだが,発酵させるときに使う恒温槽みたいなものがない。なにかいい熱源はないものかと家中を探しあぐねて見つけたのは,スカパーのチューナ。こいつの電源を入れっぱなしにしていると適度に暖まり,実際にこれでやってみたら上手く発酵できた。家電の廃熱を使う手は初めから考えていたのだが,そう思って家中にある家電製品に触れていくと,省電力設計のせいか,発酵に使えるほど暖まるものは意外なほどと少ない。暖かい場所としてまず誰でも思いつくのはテレビの上だが,ウチにある21インチCRT型のテレビは人肌になるかならないかだ。パソコンのCRTディスプレイの上は,発酵には熱すぎるほど暖まるが,最近のテレビがこれほど発熱しないものだとは思わなかった。

ぜんぜん関係ないが,ICカードを入れるスロットのフタにセロテープが貼ってあるのは,保証期間が終わったころから閉まらなくなったから。磁石で止まるようになっているんだが,それを固定している両面テープが風邪をひいて剥がれてきたのだ。これが,わたしが唯一経験した「ソニータイマ」。そのぐらい自分で治せばよいのだが,応急処置としてセロテープを貼ったら,それでまあいいかという気になってしまった。たいへん効果的な応急処置っていうのは,往々にしてそういうもんだろう。



納車
2004年4月9日(金曜日) はれ

納車。突っ込まれて初回の車検を迎えずして全損になり,買い換える予定ではなかったのに同車種のマイナーチェンジ版を買う羽目になったわけだから,新車になったとはいえ,「うわ〜い」って感じでもないのだが。せっかくの機会だから気分を変えて違う車種に乗り換ることも考えたが,ほかにこれといって欲しい車がなかったので,引き続きシビックに乗ることにした。当方,自動車に強いこだわりがある人間ではないが,乗るなら長距離でもかったるくなく,街乗りでも邪魔にならない大きさの 1700〜1800cc クラス,それも自転車をそのまま積めるぐらいの広いカーゴスペースを確保できるやつが好みだ。これなら各社とも何かあるんだけど,そこそこ速い,という条件を付け加えるとホンダはわりとよくできていると思う。

もう一つ,CVT に慣れてしまった結果,普通のオートマ車には乗れなくなってしまったのだ。初めて CVT 車を運転したときは,エンジン回転数がほぼ一定のまま加速するような挙動に気色が悪いとすら感じたが,CVT も慣れてしまえば,リニアな感じがかえって心地よい。リニアというのは,たとえば渋滞で少し進んですぐに止まるようなときに,しなくてもいい変速をして,ガクガクするようなことがないというようなことなので,街乗りでは乗り心地がいいのである。もっとも,オートマほど速い制御ができないという欠点もあるようで,全開くれてやったようなときには,さっさとシフトダウンするオートマの方が優れているのかなと思ったりするが。



透明消火栓
2004年4月8日(木曜日) 雨のち晴れ

名古屋へ行ったとき,オアシス21でスケルトン仕様の消火栓を見つけた。透明だから当然ながら中身は丸見えで,「非常電話」と書いてあるところには,きちんと電話が入っていることもよく分かるし,端子台の配線も晒される前提で行われているのか,なかなか丁寧なもの。

ところで,この消火栓の写真を撮っていたら,感じの悪い警備員に「なんでそんなものを撮っているんだ」と,なにやら因縁を付けられてしまう。どうやら,消火栓の写真を撮っていたのが気に入らなかったらしいが,こういうときに「そうですか,すみませんでした」という素直な解釈ができないわたしは,「どっかに撮影禁止とでも書いてあるのか,ああ?」と,逆に聞いてやることにした。これに対して答えに窮した警備員は,苦し紛れに「私的利用ならまあいいけど,公共のものだからねえ,そういうのを撮るのはあんまり良くないよー」と,これまたいかにもおつむの悪そうなことを言い出す。その理屈でいけば,公共のものである道路や公園の写真の撮るのもダメってことになるが,そういうことだと言いたいんだろうか。そのうち,負け犬のごとく去っていってしまったから,確認はできなかったが。

概ねどんな場所であっても,スナップ写真を撮っているぐらいなら文句を言われることはないだろうが,わたしは,消火栓といった,普通の人なら撮らないようなものにカメラを向けていることが多いので,周囲の人に白い目で見られるのはいつものことだし,文句を言われることもときどきある。その場の事情に応じて,素直に従うときと,今回みたいに因縁と受け取って対決するときと,半々ぐらいかな。まじめな話,写真撮影の可否に必ずしも明確な基準があるわけではないから,商業目的の場合は別として,いいかどうかはケースバイケースとしか言いようがないが,原則としては,特に禁止されていなければ,不特定多数の人が自由に立ち入れる場所では,基本的に何を撮っても構わないと考えて差し支えはない(撮ってもよい場所で撮るときにも礼儀やマナーというものはあるが,それはさておき)。

どういうことかというと,たとえばある遊園地が「園内写真撮影禁止」としていた場合,遊園地の敷地内では,禁止規定を承知で立ち入っているわけだからそれに従うべきだが,遠方から遊園地の風景を含む写真を撮ることまでが制限されるわけではない。しかし,微妙なケースもあるだろう。遊園地の柵に「撮影禁止」と書いてあるのを無視して,遊園地の敷地に隣接する道路から遊園地内部の写真を撮るのはどうかとなると,これに対しては,敷地外から見えるものは風景の一部だから知ったことではないという意見と,やはり尊重すべきだという意見の両方があり得るだろう。これはまあ極端な例だけれど,微妙なケースはままあるわけで,最後は,当人が持ち合わせる常識と,図太さ,その場の状況で決まってくるんじゃないかと思う。

で,Webpage 掲載は,オアシス21の警備員がいうところの「私的利用」とやらに含まれるのかね。敢えて掲載してみたので,文句があればいつでもどうぞ。



おきゅうと
2004年4月7日(水曜日) 晴れ

スーパーの鮮魚売り場で,ラベルに「おきゅうと(福岡産)」とだけ書かれた謎の緑っぽい物体を発見した。なんだこりゃ? 初めて目にするもので,見たところ何からどう作られているのかも想像がつかないし,食べ方もよく分からないが,思わず買ってしまう。帰宅後,いったいどう調理すりゃいいんだと悩みながらも,生のまま食べればよいと判断,刺身みたいにスライスすることにした。包丁を入れたときの感触は柔らかい寒天に近い感じで,弾力性はまったくなく,ほかに認められる特徴といえば,ほんのりと磯の香りがするぐらいだ。この事実から想像される食感を考えるとますます不安になってくるが,とりあえず一口食べてみると・・・まさに,ほんのりと磯の香りが漂う寒天である。

分からんものは Google 先生に聞けってことで調べてみると,「おきゅうと」というのは,博多独特な食べ物であるらしい。エゴノリっていう海草から作られているとのことだが,これも初めて聞くものだ。おきゅうと,そのまま食うと味がなくてどうにも不味いが,酢味噌をつけてみたら,それなりに食べられた。味よりも,香りを嗜むものなんだろうか。ぜひとももう一度食べたい,とは思わなかったけれど。



赤レンガ倉庫
2004年4月6日(火曜日) 晴れ

みなとみらいの赤レンガ倉庫の夜景が,いつにも増してキラキラしている。nice 2 meet you! というイベントをやっており,パンジーの鉢植えを大量に置いて,夜になるとライトアップを行っているからだ。パンジーのピラミッドが良い感じで,30分に一度,通常のライトアップだけでなくライトショーもやっている。赤レンガ倉庫のテラスのガラスに映るパンジーピラミッドも,なかなか綺麗だ。定番デートコースである場所柄か,アベック客への配慮として記念写真撮影用のお立ち台がきちんと用意されているが,強烈なスポットライトが当ててあるのはちょっといただけない。背景の夜景も写るぐらいの露出にすると,これのせいで人物が白飛びしてしまう。デジカメのダイナミックレンジって,狭いからねえ。

最近はこういう場へ行くと,携帯電話のカメラで写真を撮っている人がたいへん多い。普通のカメラを使っている人よりも,電話を使っている人の方が多いぐらいだ。カメラ付き携帯の出現により,もともとカメラを持ち歩く習慣はなかった人も,写真を撮るようになったりしているはず。みんなが電話を「構えている」風景は,ちょっと異様な感じもするが,何にせよ手軽というのはいいことである。カメラ付き携帯は自分も欲しいと前々から思っているのだが,どうもその気になれないのは,現行機種(特に FOMA)になると,でかくて重いものが多いから(縁がアールになっていない角張った機種が多いから,余計にそう見えるのかも)。いま使っている P504i の薄さと軽さに叶うものはなく,販売店でモックアップを手に取った瞬間,引いてしまう。

一時は小型軽量化で熾烈な競争をしてきたメーカも,最近はユーザが求める機能を詰め込むことを優先して,小さく軽く作ることは二の次ぐらいに考えているのだろうか。また松下さんあたりが,びっくりするようなのを作ってくれたら買うと思うのだけど。



名古屋へ
2004年4月2日(金曜日) 雨のち晴れ

所用で名古屋へ。名古屋へ行くといつも困るのが,いかにもって感じの証拠写真だ。名古屋駅は巨大すぎてどうにも撮りにくし,メインストリートからやや外れた名古屋城までわざわざ行くのも面倒だ。結局,テレビ塔なんていうベタなものを撮ってたんだが,近くに「オアシス21」という都市型公園とバスターミナルの複合施設みたいなのがあって,ここがけっこう面白かった。地下1階からの吹き抜けに被さる半透明のでっかい屋根を見上げると,なぜか靴底のような陰が写っていた。最初は屋根の点検作業でもしているんだろうと思ったが,実は屋根に上れることが分かり,実際に上がってみると,中央に噴水がある楕円形の空中庭園みたいになっていて,眺められる景色もそこそこ良い感じ。噴水の水面の下に透けて見える人を見ながら,もしここで大地震が来るとどんな感じなんだろうか,などと考えながら地上に降りた。

帰りは最終ののぞみで新横浜へ。最終の東海道新幹線の車内ほど,みんな疲れている感じの場所はないですな・・・。ご苦労さまです。



ブリブリ!
2004年4月1日(木曜日) 雨/くもり

便意の話を書いたついでに,実際に「やってもうた!」事件,すなわちウンコを漏らした経験についても書いてみたい。わたしは,おしめをしない歳になってからウンコを漏らしたことが過去に三度ある。一度目は小学生のときだった。いま思えば,溜まっていたものを遠慮せずにとっとと出してしまっていればあんなことにはならなかったはずなのだが,言いたいことはまあ分かるだろう。小学校の男子便所で大便をするという行為にはそれなりの覚悟と勇気が必要で,想像される爾後の問題と,あと数時間の辛抱を自分に強いることを秤にかけたわたしは,やはり家まで持って帰る決断をしたのだった。ところが,この日の便意というか圧力は,耐え難いほど強烈だったのだ。

下校時間までは何とか耐えた。が,学校から帰るバスを降りたときには(バスで通学していた),腸内の圧力はもはやゲージが振り切れるほどにまで高まっており,少しでも気を抜けば――いや,ゆめゆめそればかりはあってはならない。バス停から,高台の上にある家まで歩いておおよそ10分。家はもうすぐそこである。あと少しだけ耐えれば,便所という然るべき場所で気持ちよく出すことができる。そう自分に言い聞かせ,最後の難関である坂道を制覇すべく歩き出したのだが。早く便所に辿り着きたいあまり,早足に歩けば,なんだか知らないが余計にクソが噴射しそうになる。かといって,慎重にゆっくり歩けばそれだけ便所への到着が遅くなる。歩くも走るも,どっちにしろとにかく地獄というわけで。

そして道半ばで,圧力に耐えかねた安全弁が開いてしまったのである。短パンという障害物に向けて,かつてないほどの激しい勢いで噴射されるクソ。あのとき臀部全体で感じたクソの生暖かさと,潰れたクソを支える短パンのやけにズッシリとした重量感は,生涯忘れることはあるまい。被害は,ズボンの中だけで簡潔していたわけではなかった。ケツの部分がもっこりと盛り上がった短パンの裾からは,グチャグチャになったクソの欠片を含んだ茶色っぽい液体が,ゆっくりと流れてゆく。はああああ,やっちゃった・・。だが,やってしまったものは仕方がない。自分は戦いに負け,これで終わったのだ。クソを漏らしてしまったこと以上に,何を気にすることがあるという。近所の人の目も憚らず,クソが滴り落ちるズボンをはいたまま,あと少しのところに見えていた家に帰ったのであった。

4月1日だけど,これが真実かウソかは,みなさんの判断にお任せします。



突撃実験室