多事毒論(2005年4月分)


岩手へ
2005年4月27日(水曜日) はれ

今日からしばらく岩手へ行ってきます。なので,しばらくサボるかも。



脱線の行方
2005年4月26日(火曜日) くもり/晴れ/雨/くもり

車輌が壊れるような鉄道事故が起きると,必ず出てくるのが,車体の強度が弱すぎるんじゃないかという議論である。昨日起きた福知山線の事故の報道でも,もっと壊れないような構造にできなかったのかというようなことが言われているし,何年か前に起きた営団地下鉄(現東京メトロ)中目黒駅で脱線事故のあとにも,そうした指摘が聞かれた。しかし,車体の強度を上げることは,全体的な安全性の向上や,事故時の被害軽減に貢献するのだろうか。もちろん,事故の様相が激しいと,心情的に「あそこまで潰れなければ」と思いたくなるものだし,よく言われるように,昔の鋼鉄製の車輌に比べ,アルミやステンレス製の新しい車輌は軽量化を計るため,かなり華奢に作られていることに対する批判もあるようだ。

そうした論調を代表する見解として,昨日も登場していただいた桜井淳先生は,毎日新聞の記事で,以下のように述べている。

「事故車両が鉄製車両に比べ強度の劣るステンレス製でなければ、車両がマンションにめりこむようなことはなかったのではないか。死傷者も鉄製車両なら半分で済んだと思う。鉄道各社は、車両を鉄から薄いアルミなど軽量の素材にして、電力コストを安くしようと取り組んでいる。コスト重視の一方で、このような万一の事故の際の車両強度などを十分に検討してこなかったのではないか」(以上引用)

いかにも低次元な議論である。鉄道車輌にも,ある程度の安全性が求められることは当然だが,かといって車輌を過度に丈夫に作ったところで,根本的な対策になるわけではない。衝突時の安全性が重要視され,シートベルトやエアバッグまで完備されている乗用車でさえ,時速100キロとかでマンションに突っ込んだりしたら,乗員が死なない方が奇跡的と言える。列車だって,同じような速度で脱線して建物に激突すれば,車輌がどれほど丈夫なものであっても,それなりの数の死傷者が出ることは想像に難くないわけである。したがって,結果的な車輌損傷の大小とか,死傷者数の多寡といったことを論じたところで,この手の事故ではむしろどうでもいい問題であり,根本的には,そもそも事故を起こさないようにするしかない。

「それでも万が一」と話を遮るその前に,安全対策にかけられるコストは,有限である。有限であるならば,それをどう分配すればもっとも効果的であるかを考えなければならないわけであり,これを間違えれば,全体として見れば費用対効果の悪い対策になってしまう。一見センセーショナルでも,効果の薄い対策ばかりにコストを注ぎ込んだのでは,意味がないわけである。ところで,列車の脱線事故自体は,さほど珍しいことではない。2003年には49件,2004年中には29件(当人調べなので,正確ではないかも)が発生している。脱線事故の大半は踏切障害に伴うものだが(車と衝突したことにより脱線するもの),昨年には上越新幹線において,走行中の「とき」が地震によって脱線するという事故(災害?)が起きたことは記憶に新しい。

列車が脱線しただけではまず大事故にはならないので,大きく報道されることもなく,あまり印象に残らないが,件数からすると,脱線事故は比較的高い頻度で起きていると言える。そして脱線事故は,列車が線路外に逸脱して何かと衝突したり,隣接する線路を支障し,そこに別の列車が衝突してくるといった重大事故の一歩手前の事態なのだから,決して軽視すべきことではない。高架橋上で起きた「とき」の脱線では,上下線の間に設けられていた排雪溝に車輪が引っかかったため,高架橋からの転落を免れた可能性が指摘されている。それは偶然の結果としか言えないが,これをきっかけに,脱線後の行方を運任せにせず,大きな事故に発展させない技術も検討されることになった。

列車の脱線は,線路の障害や地震といった外的要因でも起きるから,脱線自体を完全に防ぐことは難しい。では,どうすればいいか。少なくとも,車体強化論はあまりに無意味だと,わたしには思えるのだが。



列車脱線事故
2005年4月25日(月曜日) くもり/雨/晴れ

朝から大きく報道されているとおり,福知山線(宝塚線)尼崎−塚口間で列車が脱線し,その上さらに沿線のマンションに突っ込むという事故があった。最初に現場の写真を見たときには,マンションの周りを囲むように折れ曲がっている車輌が一両目だと思ったのだが,実際にはそれは二両目で,一両目はマンションの一階部分に突っ込んでしまったとのこと。マンションの一階は駐車場になっていたというから,入り込める空間があったのだろう。もし一階も住居であったら住人にも死傷者が出ていたかも知れないし,外壁に衝突していれば列車への衝撃もより大きくなっていたであろうから,一階が駐車場であったのは不幸中の幸いと言えるような,でも,突入が救出を困難にしているようだから,言えないような。まあ,事故に「もし」はないのだが。

ところで,鉄道事故が起きるたびにマスコミに出てきては,なにやらピンぼけな解説をしている「桜井淳」ってナニモノなんだろう。今回も報道ステーションに出ていたので見ていたら,管を巻くように(そうとしか表現できない話し方だった)脱線のメカニズムなどを一通り述べたあと,どういう根拠があるのか「ブレーキングが主因である」などと原因を断定していたが,この方,事故当日に何が分かるというんだろう。すでに高度な安全対策が敷かれている系においては,一つ一つは致命的ではない複数のエラーが絡み合って事故となることもしばしばだし,結果としてみれば単純と言える原因で起きた事故でも,直接の原因だけでなく,運転規則の不備といった,背後にある遠因まで明らかにしてナンボである。

事故調査報告書が出てくるまでに半年とか一年といった期間がかかるということからしても,当日からあれやこれやと蘊蓄を述べて原因を断定するようなヤツに,まずまともな人間はいないと分かりそうなものだが……JR西日本の社長などに「原因はなんだ,なにも言えないのか」と食ってかかったりする,記者の程度の低さからすれば,マスコミとしては正確性はどうであれ,とりあえず何らかの分かりやすい説明をしてくれる,こういう人は貴重なのかも。ま,JR西日本の肩を持つわけではないけれど,事故当日の記者会見で「はっきりとした原因は分からない」と答えるのは,ごく自然なことだと思うのだけどねえ。そりゃすぐには分からんだろう,常識的に考えて。



情報は…
2005年4月22日(金曜日) 晴れ/一時雨

「風の噂で聞いてんけど,結婚したって本当?」と,弟から電話。ここを読んだ誰かからチクリが入って知ったらしいんだが,まったく誰ですか,そんなことを言いふらしているのは。まあ,Web の雑記で最初に公表され,その情報を元にあとから家族が知るというのも,いいんじゃないかな。ホームページに書いてあることを読みもしないで,教えてーなどと言う「教えてくん」は愚の骨頂とされるのが,IT時代の価値観である。善かれ悪しかれ,わたしたちはそういう時代を生きているのだから,以上を敷衍すれば,知らなかったとしても,「当人のホームページに書いてあるのだから読んでない方が悪い」と言うしかないのである。たぶん。



テレビ,ブレーカ,そして東京電力
2005年4月20日(水曜日) 雨

昨日のこと。帰宅すると,朝まで写っていたテレビがどういうわけ写らなくなっていた。ふだん見ている地上デジタル放送は完全に復調不能。アナログ放送に切り替えてみると,こちらもスノーまみれの放送が辛うじて写る程度であり,何らかの原因でアンテナ線のレベルが極端に弱くなっていることはすぐに分かった。思い当たることはあった。帰宅したとき,共用部分の電灯が一部ついていなかったのである。電灯とテレビ,どういう関係があるのかというと集合住宅では,テレビの電波はブースタで増幅されてから各戸に分配されるようになっている。ブースタの電源も,共用部分の電源で賄われているわけだから,電灯が消えている状況から見て,ブースタの電源も一緒に落ちていることは,ほぼ疑いようがなかった。

犯人は,すぐに見当が付いた。数日前から共用部分の補修工事をやっているので,その施工業者が何か余計なことをしたんだろう。容量のあまりない(あとで知ったが10アンペアの契約だった)共用部分の電源に電動工具を繋いでブレーカを落とし,そのまま放ってあるとか,いかにもありそうなことである。で,もう夜なのでダメ元とは思いつつ,業者に文句を言うべく電話を入れてみたが,案の定,誰も出ない。ブレーカが落ちているだけなら自分で治しても良かったんだが,黙ってやるのもどうかという気がしたので,とりあえず管理会社に連絡を入れ,状況を伝えることにした。すると,どうやらすぐに対応が取られたようで(別に期待はしてなかったんだが),電話がかかってくる。それも,思いもよらぬところから。

「あのー,東京電力ですがー」

思わず,「え?」と聞いてしまった。管理会社か,下請けの電気工事屋から連絡があるのなら分かるが,なぜ東京電力から電話がかかってくるのか,理解できなかったからだ。話を聞くと,管理会社から連絡があり,共用部分の電源が落ちているそうなので,すぐに伺いますという。ただ,そう説明されたあとでも,どうして東京電力が来ることになるのかいまいちよく分からない。全戸が完全に停電しているというような事態なら分かるが,共用部分の電源が落ちているだけで電力会社が来るとは,考えもしなかったからだ。で,しばらくすると本当に東京電力の人が来て,落ちたブレーカを探し当て,抵抗試験なんぞやっている。やはりこれが原因で,ブレーカを復帰させたら電灯とともにテレビも無事回復した。

それはそれでいいんだが,ブレーカなどは明らかに電力会社の保守範囲外だから(低圧の引き込みの場合,責任分界点は引込線の第一支持点になる),やっぱり妙な感じがする。そこで,来た人に「責任分界点を超えてますが?」と聞いてみたら,「確かにそうだけど,それもサービスでやってます」ということだった。電気のことがよく分からない人も少なくなく,ブレーカが落ちたりして電気がつかなくなったら,とりあえず電力会社に言ってくるケースはよくあるらしい。それで,そういうのもあるし,夜でも電気が使えないと何かと困るだろうから,24時間体制で対応しています,とのこと(ただし点検だけで,工事は不可)。だから,こういうことでも東京電力へ連絡してもらっていいですよ,ということだった。

う〜ん,親切なのはいいんだけど……。24時間保守にかかるコストの高さを知っている身としては,「そんなもんいらんから電気代安くしてくれ」と言いたくなるな。



再開
2005年4月19日(火曜日) はれ

長らくお休みをいただいておりましたが,今日から期間限定で,多事毒論の更新を再開してみます。サボっていた間には,「雑記はもう止めたんですか,再開しないんですか」という声を何度となくいただいていたんですが,なかなか再開する気になれず,結局長期のブランクとなってしまい申し訳ありませんでした。

多事毒論の更新をやめた理由を説明すると,要するにスランプってやつですね。なにを書いても上手くまとまらないし,自分で面白いと思える文章も出てこない。でも無理やり書いたりしているうちに,書くことやや苦痛になってきてしまいまして,そう感じるぐらいだったら(そして自分では面白いとも思えない駄文を増やし続けるぐらいなら),少なくとも多事毒論という形で書き続けることはどうなのかなと思ったわけなんです。ただ,そのときは止めると宣言する踏ん切りもつかなくて,まだもう少し書こうかな,どうしようかな,という感じだったのですよね。筆を置くときは潔く――とやれたら格好も付いたのでしょうが,そんなわけで結局,中途半端な放置プレイとなってしまいました(いちばん格好悪い)。

そして今日,突然再開する気になったのは,リハビリがてらほかのものを書いているうちに,スランプから脱しつつあると感じたり,八王子市のSさん(25)に「とっとと再開しやがれ,タコ」と文句を言われたり,といった理由もあるけれど,まあ要するに,なんとなく気が向いてきたから? ただ,先にも述べたとおり,いままでの多事毒論スタイルでの再開は,期間限定とするつもりです。多事毒論のスタイルは,書き始めたときから基本的に変わっていないのですが,このスタイルが色んな面で窮屈になりつつしあるし,陳腐化も感じるんですよね。で,ヘンにスタイルを変えながら続けるよりも,新装開店した方がいいかなと思ってまして,現在,新スタイルを構築中。それができたらそちらに移行するという意味での,期間限定です。

で,最後に近況報告。4月11日に結婚しました。



突撃実験室