台湾一周 (その2)
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台北の朝 (2002年8月2日)

台北に降り立った翌朝は、06:30に起床。毎朝6時台に起きるという、夜型のわたしにとっては悪夢のごとき日々の幕開けである。

朝型の同行者は、目覚ましが鳴るか鳴らないかぐらいで起きてしまうようなので、すぐに目覚ましの音を止めてしまうのだが、わたしは例えどんな大音量で目覚ましが鳴り響いていたとしてもしばらくは目が覚めない。こんな早朝ともなれば、なおさらだ。このため、旅行の間は、ここで具体的に言うにはちょっと憚られる手段を含む「様々な方法」で、同行者に叩き起こされる日々が続くのだった。

朝の台北の街では、通勤ラッシュが始まっていた。交通マナーがあまりよくないためだろうか、信号機がきっちりと整備されているにも関わらず、大きな交差点の真ん中には交通警察官が立って交通整理にあたっている様子が印象的であった。「お立ち台」も何もない、文字通り交差点の真ん中に立ってニンジンを振っているのだ。その脇を自動車やバイクがびゅんびゅんと通り過ぎていくのだから、見ているだけで危なっかしい。あれでは殉職者もかなり出ているのではないかと思ってしまう。

台北車站に寄って列車の切符を購入したあと、屋台で粥(35元)を買って、地元の人が朝の散歩や体操に勤しむ二二八紀年公園のベンチでいただく。こんな形で食べる朝食も悪くないものだ。

総統府 (2002年8月2日)

食後、台北市内にある総統府の建物を見に行く。日本統治時代の1918年に台湾総督府の庁舎として建てられもので、第二次世界大戦中の1945年には米軍の爆撃で一度は焼失しているものの、戦後に再建され、いまは中華民国の総統府として使われている。国民党がやってきたときに、これ幸いとここに入居しただけなのかも知れないけれど、わざわざ再建までいまでも現役で使っているあたりは、忌まわしき日本統治時代の象徴だからと積極的に取り壊された朝鮮総督府の建物とは対照的な扱いだ。

総統府(正面から)

白いコンクリートで縁取りされたレンガ造りのとても美しい建物で、中央には塔が聳え、淡い緑の屋根の感じがよい。こんな建物、いまの日本ではまず建てられないだろう。だが、ここは鑑賞するためだけのの歴史的建築物ではない。あくまで台湾の総統が執務を執り行う場所であって、政府の中枢。それゆえ入口には帯剣した儀仗兵が直立不動の姿勢で立っており、お気楽観光モードで近寄るには少々物々しい雰囲気であった(中を見学できる日もあるらしいのだが)。

総統府(斜めから)
庭に生えているのは椰子と何だろう? 植生の微妙なミスマッチが良い感じ。

この建物は、東京駅の丸の内側とよく似て前面は直線の広い道路になっているので、巨大なわりには全体写真を撮りやすい構造になっている。が、その道路というのが交通量も多い10車線道路だ。「正面の写真が欲しいな」「ほな、やろか」――良い写真を撮ろうと思えば、時として命をかけなければならない場合もある――大げさすぎる無言の決意を胸に、歩道に立って車が途切れ目を虎視眈々と狙う。そして無謀にも道の真ん中まで一気に飛び出し、さらには撮影に集中できるよう互いを見張り役に立てて撮影した正面写真。もたもたとしていられる状況ではなかったとはいえ、微妙に水平を外してしまったのが悔やまれるところ。

総統府の前の道路
ここに出て撮るのは、そりゃやっぱり恐いですよ。
中正紀念堂 (2002年8月2日)

総統府を見学したあとにやってきたのが、中正紀念堂である。蒋介石の死後、蒋介石の業績を称えるために作られたもので、中には巨大な銅像が置かれている(ちなみに中正は蒋介石の本名である)。言葉でいうと、なんだか「ありがち」なのだが、そのスケールには圧倒される。まず、通りに面した入口には主に大理石で作られた高さ30メートルの「大中至正門」が立っており、その幅はカメラに収まりきらないほど。門に刻まれている「大中至正」の文字は蒋介石の座右の銘で、「何事も中庸が正しい」という意味である。

大中至正門
「正至中大」ではない。念のため。
大中至正門(裏側)
大中至正門、反対側から。

大中至正門のアーチを潜ると、25万平方メートルという面積の中正公園が広がり、公園の最も奥に堂々と聳え立つ堂殿が中正紀念堂である。公園は公園でかなりのものなのだし、同じ敷地にある国家戯劇院や国家音楽庁も見物なのだが、高さ70メートルという巨大な中正紀念堂の前には、広大な公園すら小さく見えてしまうほどである。

中正紀念堂
中正紀念堂。米粒みたいなのが人間だ。
中正紀念堂の階段
中正紀念堂へと上る89段の階段は、蒋介石の享年と同じ数。

上の写真では中正紀念堂の扉は閉じているが、時刻が 09:00になると同時に開門し、儀仗兵の入場の儀式がはじまる。中正紀念堂を警護する儀仗兵の入場や退場、あるいは交代式は見応えがあるという。このときを狙って来たわけではなかったので、成り行きでたまたま見られたわけだが、ラッキーである。

儀仗兵の儀式その1
銃剣を抱え、正装した台湾海軍の若い兵。奥に見えるのが蒋介石の座像だ。
儀仗兵の儀式その2
横に別れた2人が位置に着いたあと、交代要員と思われる3名が前に出て……
儀仗兵の儀式その3
脚を外側にくいっと曲げる独特な歩き方で、雅やかに控え室へ帰って行かれた。

儀式のあとに一般の入場が許され、中正紀念堂の中に入って、巨大な蒋介石の座像と対面する。像の左右には、台湾の国旗。そして、その両脇には真っ直ぐ正面を向き、微動だにしない儀仗兵が銃剣を片手に立っている(といっても、ときおり背伸びのような体勢を作るのだが、それは儀式のうち)。建物自体も見物だ。壁はすべて大理石で作られており、天井には台湾の国旗と同じ紋章がかたどられている。実に厳正で、端的に言えば国家主義的な空気がここには漂っている。

だが、その空気とは裏腹に来ている人間はみんなどう見ても観光気分だ。外には「服装を正せ」「サンダル履き禁止」といった注意書きがあるが、Tシャツにサンダル履きという台湾人の典型的な普段着スタイルの人間も大勢いる。堂の中には「粛静」の札が立てられているが誰もが普通に喋っているし、座像の足下にある「請粛立致敬」という札の前に並んで蒋介石をバックに、あるいは儀仗兵をバックに記念写真を撮っている人もいて――ごくありふれた観光地の光景だなのだ。個人的には、これを見て少し安心した気がした。急速な民主化が行われたとはいえ、そもそも中正紀念堂自体が国家主義的、独裁主義的な存在とも言える。もしここで、台湾の人々が何らかの特別な態度を示していたら、台湾に対する見方が少し変わっていたかも知れない。

蒋介石の座像
蒋介石の座像。写真では分かりにくいけれど、表情は至って朗らか。
天井
天井の文様。きれいだった。
儀仗兵
儀仗兵。背後には扇風機が置かれてあり、労働環境への密やかな配慮が見られる。

中正紀念堂から眺めた中正公園や、ほかの建物の風景も美しい。中正紀念堂側から見ると、左手にあるのが国家戯劇院、右にあるのが国家音楽庁の建物だ。いずれも豪華絢爛な中国の宮殿様式であり、これらもまたとてつもない大きさなので、視界にこれだけを入れていると別の世界にワープしたような気分になってくる。ちなみに、国家戯劇院の前でステージか何かの設営が行われていたため、こちらの正面写真は撮ることができなかった。

中正公園の眺め
中正公園の眺め。中央の通路部分だけでもサッカー場より広いぞんじゃないか。
国家音楽庁
国家音楽庁。中はコンサートホールになっているらしい。
あーつーいー

総統府から中正紀念堂までは何らかの乗り物に乗るほどの距離もないので、ぼつぼつと歩いて行ったのだが――なにしろ暑い。総統府を見ていたときは、まだ朝も早かったし、空には雲がかかっていたためか比較的涼しかった。しかし、雲が切れて容赦なく日が射すようになるや、途端に肌が焼けるような暑さである。だが、それでも、前日に体験した成田空港での暑さと比べればまだいくらかましだ。台湾の夏は長く、気候も高温多湿ではあるけれど、日本の真夏に見られるような最高気温が観測されることはあまりないという。すなわち、台湾は平均的に暑いのだ。

幸い、台湾の人は冷房をキンキンに効かすのが好きみたいなので、屋内や、列車あるいはバスで逆に寒い思いをすることはあっても、暑いと感じることはあまりない。安い食堂などでは冷房がないところもたまにあるためか、まるでうちは冷房の効いているサービスの良い店だと言わんばかりに、街では「冷氣開放」の4文字をよくみかける(冷房完備の意)。冷房のある特急列車も、冷房が故障した場合は運賃の一部が払い戻されるのだとか。

だだ、どうしても不可解なのが、どういうわけか同じように街を歩いている地元の人があまり汗を掻いていない点だ。わたしは汗掻きといえるほど汗を掻く方でもないのだが、それでも屋外を歩いたり、冷房の効いていない店で食事をしていると水滴になって頬を伝うほどの汗が出てくる。大抵の日本人がそうなので、それが普通だと思っていたのだけれど、どういうわけか、台湾人でそこまでの汗を掻いている人はあまり見かけない。育った環境なのか、どうやら体質に根本的な違いがあるようだ。

このあとは、列車で別の街に移動するので、中正紀念堂からさらに台北車站(台北駅)まで歩き出したものであるが、汗だくになるまでにさしたる時間は必要なかった。

羅多倫咖啡

列車の時刻までまだ少しあるし、すでに切符も買ってある。どこかで少し涼もう、ということで入ったのが台北車站の近くにある「羅多倫咖啡」。日本でお馴染みの喫茶チェーン「ドトールコーヒー」が、こんな当て字で台湾に進出しているのだ。看板や店内の雰囲気は日本のドトールとまったく同じで、メニューも食器も一緒。店によっては、そのままカタカナで「ドトールコーヒー」と看板に書いてあるぐらいだから、いったいどこの国にいるのか良く分からなくなってくる。台湾では、アクセント程度に日本語を使ったりするのが、おしゃれなのだとか。感覚的には、日本で英語をちょっと使ってみるのと似たものかも知れない。注文したのは「綜合咖啡」で、これはブレンドコーヒーの訳語。Sサイズが35元(130円ほど)で、全般的に日本よりも少し安い価格設定だ。

綜合咖啡
唯一の違いは、ナプキンに漢字で「羅多倫咖啡」と印刷されていることぐらい。

台湾人にはコーヒーを飲む習慣があまりなかったためか、少し前までは羅多倫咖啡などの喫茶チェーンは台北市内でも数えるほどしかなかったらしいが、最近はかなりの勢いで台湾に進出している。さすがに日本国内ほどの密度で店を出しているわけではないので、田舎町には無いところも多いけれど、ちょっとした都市なら探せば必ず一軒ぐらいはある。おかげで、台湾滞在中にコーヒーを飲めなかった日はなかったので、コーヒーを飲む習慣が台湾で広まりつつあったことには随分と助けられた。わたしも同行者も激しいコーヒー中毒なので、最低でも一日一杯のコーヒーを飲まないと調子が出ないのだ。

買ったものを持って二階の客室に上がり、禁煙席とはガラス戸で仕切られた「吸煙區」に陣取って一杯と一服。禁煙席と喫煙席がほとんど隣同士にあるようないい加減な分け方とは違って、ここだけがほかの席とは隔離された喫煙室のようになっている。喫煙に対してはわりと寛容だが、喫煙人口は日本ほど多くない。田舎へ行くと40代以上のオヤジはだいたい吸っているが、都市部へ来るとその割合も少なくなり、あとは学のなさそうな若い連中が吸っている程度。だから、喫茶店の座席数もそれに応じた配分となっており、どちらかといえば禁煙席ではなく喫煙席の方が特殊な扱いなのだ。

キンキンに効いている冷房が心地よい。コーヒーを飲み干して、タバコを何本か吸い、さらに冷水器の水を飲んで(本当は飲むべきではないらしいのだが)汗も引いたところで、そろそろ列車の時刻だからと店を出たら――外は雨。しかもシトシトと形容される降り方ではなく、本降りの雨だ。さきほどまで嫌なほど晴れていたのがウソのようである。これが熱帯の雨というやつか。

2002/08/21 作成
2002/08/25 中正紀念堂と羅多倫咖啡を追加
制作 - 突撃実験室