碓氷峠(横川−軽井沢)


ご存知の方も多いだろうが、北陸新幹線開通(長野まで)に伴い、JR東日本信越本線の横川−軽井沢間、別名碓氷峠と呼ばれる11.2キロメートルの区間が廃止される。同区間はバス代行となるほか、分断された高崎−横川はJR東日本として残り、軽井沢−篠ノ井は、第三セクターしなの鉄道への移管なども行われる事になっている。だから、廃止されるまえに、その区間に乗ってきたのだ。

さて、廃止に至るまでの詳しい経緯などは鉄道雑誌に任すとして、ここでは簡単にだけ説明する。碓氷峠は交通の関所。横川駅は海抜387メートルなのだが、隣の軽井沢駅の海抜は939メートルと言う、すごい高低差があるのだ。ここに鉄道を敷くと、かなりの急勾配になる。

これをわずか11キロで登らなければならず、電車のパワーでは登り切れない。また、下る時も、電車のブレーキだけでは間に合わないのだ。

そこで、横川から軽井沢へ向かう電車には、機関車2連をケツに繋げて押して上げてやり、逆に軽井沢から横川へ下る電車には、頭に機関車を付けて、機関車のブレーキを借りる形で降りることになったのだ。その時から、横川駅や軽井沢駅は機関車を付けたり外したりする作業がひっきりなしに行われる、

とんでもない二駅

となってしまった。


例えば、横川駅長野行き(下り)特急あさまが来たとすると、

どこからか機関車(EF63を2つ)を持ってきて、

JRのおっちゃんが固定して、

あさまは機関車に押されて碓氷峠をのぼるのだ。

全然関係ないのだが、上の写真の機関車(EF63)は東芝製。


また、軽井沢駅から横川駅上野行き(上り)特急あさまが来たとすると、

機関車のブレーキを借りてきたあさまは、

機関車を外してもらい、

上野方面へと向かうのだ。


これは横川駅に停車中のあさまでの例なのだが、普通電車など、碓氷峠を通過する全ての電車において、この作業が行われている。また、峠の上の軽井沢駅でも、逆の作業が行われているのだ。

しかし、作業員の人件費も馬鹿にならないし、そんな面倒くさいことはいつまでもやってられないと言うことで、色々と議論が行われた。最初は、線路を坂が緩やかになる場所に移してはどうかと言うような話もあったそうだが、それも

誰が建設費を出すんだ (でも新幹線は作るぞ〜)

みたいな、超現実的な問題で廃案となり、結局

碓氷峠(横川−軽井沢)11.2キロの路線廃止

が決まってしまった。

その背景には信越本線と平走する北陸新幹線の開通があり、そんなお荷物路線は必要無いだろうと決まったようだ。しかし、採算が合わないかも知れない新幹線の整備自体にも問題があるのはよく言われるとおりだ。



ここからは少しマジメに書いてみる。

話は変わり、信越本線の歴史は古い。明治14年には高崎−横川は既に開通。しかし、横川以遠軽井沢方面、つまり碓氷峠を越える鉄道の建設においては、66.7パーミルの急勾配に絶え得る鉄道方式が必要とされ、当時の政府は苦労したようである。色々な方式が検討された結果、ドイツで開発されたアプト式が採用された。

アプト式鉄道とは急勾配区間を運転する路線に適した方式だ。軌道にはギザギザの歯が付いたラックレールを敷き、車両に取り付けられた歯車をラックレールの歯に噛ませることで、登坂降坂時の引張力やブレーキ力を飛躍的に高める。(写真はアプト式の模型)

明治24年には工事着工、しかし碓氷峠は難工事を極めた。そして、先端技術を惜しみなく投入された碓氷峠(横川−軽井沢間)は、明治26年に、世界に誇れるアプト式鉄道として開通する。

しかし、昭和34年に、軌道の改良計画が浮上。アプト式は廃止し、新線で粘着運転(上で説明した機関車方式)で運転される事になる。昭和38年には碓氷峠に新しい鉄道線が開通、アプト式は、その役割を終えた。

あまり知られてないのかもしれないが、アプト式時代に使われていたラックレールは、意外な所で第二の人生を送っている。写真を見てお分かりだろうか。これは横川駅前の排水溝。ラックレールが軌道から剥がされたとき、一部は排水溝の蓋として再利用された。


ラックレールのアップの図。その昔、この上を機関車が通ってたのね。



またまた話は飛んで、ここまで来て、峠の釜飯を食わずに帰るわけには行かない。横川の駅前にあるおぎのや(写真)が作ってる、この釜飯。機関車の作業の為に数分停車する横川駅や軽井沢駅で、その停車中の時間を利用して売ろうと言う、素晴らしい商売戦術なのだ。

特急が着くと、このように何台のも台車に釜飯をのせ、売りに来るのである。

本当に陶器製の釜のような容器にはまぜご飯とおかずが、その他、お手ふき、お箸、お深香が入ってるサービスぶり。これで900円はなかなかお買い得。実は、この釜のような容器で、本当にご飯が炊けるそうである。実験してみたので、それは突撃実験室の後日書くことにする。



しかし、碓氷峠走行中の電車内で食う峠の釜飯は最高だ。



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