酵母エキス


VEGEMITE
以前、VEGEMITE というオーストラリアの調味料を掃き溜め写真館で紹介した

聞くところによれば、オージーはこの VEGEMITE を愛して病まず、どこの家庭に行っても最低一瓶は準備してあるという。そうなのか、この VEGEMITE ってやつはそんなに美味なのかと思いきや、実際に味見してみると相当に好意的な評価を加えたとしても、とてもではないが美味しいと言えるような味ではないのである。ふたを開けるや否や漂ってくる強烈な異臭は、それだけでも「どれどれちょっと味見してやろうではないか」という意欲を失せさせるに十分だ。むしろ怖いもの見たさに分類すべき好奇心がよほど強くなければ、極端なしょっぱさとえげつない風味を体験する前に挑戦者は白旗を揚げるだろう。

それでもなお、オージーはこれを「美味しい」と評するのである。それはどうしてであろう、いくつもの疑問が浮かんでくる。


そうした様々な疑問から、突撃実験室は更なる調査を行うに至った。



 ・VEGEMITE は、実は美味しい?

ひとまず「不味い」という先入観を捨てて VEGEMITE を食べてみると、これが意外と美味しい

矛盾したことを言うようだが、VEGEMITE の独特な臭いを努めて意識しないようにして食べると、そこはかとない「うまさ」が舌に残るのも事実である。例えるなら、醤油を舐めたときの感覚に近い。醤油は、それ単体では必ずしも美味しいものではないが、醤油にはいわゆる「うま味」という美味しさがあるからこそ、あんなどうしようもない液体でも「うまい」と感じられるのだ。同様に、VEGEMITE にも多くの「うま味」成分が含まれているため「うまさ」が後味として残るのであれば、VEGEMITE を不味くしているのは、その特有の臭いだといえる。

いわゆる「うまいんだけれども、くせが強い」という類の風味である。

VEGEMITE の主原料は YEAST EXTRACT とあり、日本語では酵母エキスと呼ばれるものだ。しかし酵母には独特の臭いがあり、VEGEMITE の「くせ」正体は、酵母の臭いによるものである。その一方で、酵母エキスにはイノシン酸やグアニル酸、グルタミン酸といった呈味成分が豊富に含まれており、うま味調味料などの用途で国内外で古くから使用されてきた。従って、VEGEMITE が「うまい」と感じられることも特段に不思議なことではないのだが、酵母の欠点である特有の臭いが不快に感じられるのだ。

恐らく、オージーは酵母の臭いに慣れっこだから VEGEMITE を美味いと思えるのであろうが、そこまで鍛えられていない人間には、とても辛いものがある。


 ・アロマイルド

ところで、スナック菓子やカップラーメンなどの原材料名には、ときどき「酵母エキス」という表示が出ていたりする。この類の食品は、うま味を引き出す調味料の博物館のようなものなので、酵母エキスが使われていても何ら不思議ではない。スナック菓子やカップラーメンのメーカは、調味料屋さんに言わせればお得意様の中のお得意様だというぐらいだから。

カルビー「かっぱえびせん」紀州の梅 エースコック「スーパーカップ1.5」Silver
かっぱえびせん 紀州の梅(カルビー) スーパーカップ1.5 Silver(エースコック)

しかし、いくら酵母エキスがうま味を増強する調味料だとはいえ、そのようなクセの強いものを入れるとむしろ不味くなりそうな感じがする。だが、汎用の調味料として使えるよう、酵母特有の臭いを抑えた酵母エキス製品もある。その一つとして、掲示板で株式会社興人の「アロマイルド」という製品が紹介されていた。

アロマイルドの製品紹介ページを見ると、同品は「天然うま味調味料」として紹介されている。また、アロマイルドの特徴として、酵母特有のにおいは極めて弱く、苦味や雑味も少なく、色調も淡黄色なので、汎用性に優れていますとあり、これなら VEGEMITE にあるようなクセを気にすることなく使えそうである。試してみたくなったので興人に問い合わせて購入ルートを聞いてみたところ、アロマイルドは業務用製品だそうで小売はしていないとのことであったが、代わりにサンプルを送っていただいた。突撃実験室のワガママにも関わらず、アロマイルドのサンプルを提供いただいた株式会社興人の新枦氏には厚く御礼申し上げる。

アロマイルド

アロマイルドは、VEGEMITE のようなペーストとは異なり、淡黄色の粉末である。これを単体で舐めてみると、残留している酵母臭は確かに分かるが、不快な程度ではない。むしろ、いわゆる味の素のようなうま味調味料を舐めたときに味わえる特有の甘ったるさが、強く口の中に広がってゆく。

これだけを食べていても仕方が無いので、筑前煮・味噌汁・ほうれん草のおひたし・小松菜と厚揚の煮物・煮魚・コーヒー・緑茶など、様々なものに混ぜてみた。試した中で最も顕著に効果が現れたのは、ほうれん草のおひたしである。湯がいたほうれん草に醤油とごま油、それからアロマイルドを少々かけてみた。すると、うま味だけが人工的に強調された感じは否めないものの(ちょっとかけすぎたのかも知れない)、違いは明らかで「とってもウマくしました」という味に変わった。なかなか素直に効果が現れるやつだ。

より自然に「これはいける」と思ったのが、筑前煮と、小松菜と厚揚げの煮物である。いずれも鰹節から取った自家製の出汁をベースに関西風の薄味で調味したものだが、これらにおいては、単にうま味が強調されたというより、微妙にコクが深くなり、出汁の喉ごしがよくなった。アロマイルドの売りのひとつとして「コク味」が挙げられているのだが、確かにそういう効能は認められる。その点では、比較用に使ったリボ核酸系の化学調味料よりも優れている。また、味噌汁にも少し入れると柔らかい感じになるのだが、それ以外の変化は感じられなかった。

煮魚のように比較的濃い口で調理したものでは、少量を入れただけでは違いは分からない。ややオーバー気味に入れると、うま味は強調されることは分かるのだが、そこまでやると派手派手しくなりすぎて逆に不味くなる。コーヒーに入れると、酸味が少し中和され、甘みが強調された感じになったが、量を調整しても不自然さは拭えなかった。実験はしていないけれど、キリマンジャロのような酸味の強いコーヒーに入れると飲みやすくなるかも知れない。緑茶に入れたら、飲めないくらい不味くなってしまった。いまどき流石にないだろうが、グルタミン酸ソーダ配合の激安物茶みたいになる。

卓上アロマイルド アロマイルド粉末

というわけで、入れるものと量さえ間違わなければ(←ここが非常に重要)アロマイルドは、けっこう使えるのだ。サンプルと一緒に送っていただいた「卓上アロマイルド」は、料理中にちょっと使うには手軽で便利なのだが、ひとつ問題があり、吸湿性がやたらと凄いのである。沸き立つ鍋の上で振りかけようものなら、すぐに粉が固まって蓋が詰まってしまうぐらい凄いのだ。卓上アロマイルドは、スーパーの調味料売り場に並んでいてもおかしくない格好をしているが、吸湿性が製品化を難しくしているそうだ。

仮に製品化できれば売れるのか? 突撃実験室は調味料オタクみたいなところがあるのでこういうものは大好きなのだが、普通の人が使いたがるかどうかは怪しい気がする。恐らく、特に主婦層辺りでは酵母エキスは謎めいた存在であり、これを「入れると美味しい魔法の粉」として捉えるならば、その類のものに対する嫌悪感もあるだろう。アロマイルドのカタログによれば、酵母エキスは食品であって食品添加物ではなく、添加物としての表示の必要が無いことも一つのウリとされている。穿った見方をすれば、表示義務の有無は食品メーカの営業上の都合だが、たかがうま味調味料と言えども避けがたい添加物という集合全体に対する排斥的な非難の矛先を、巧みに躱した戦略と思える。


 ・酵母エキスを食う

興味本位だが、本場の酵母風味も知っておこうと、試薬として売られている粉末酵母エキスを入手した。

粉末酵母エキス(和光純薬) 粉末酵母エキス(Difco Laboratories)
粉末酵母エキス(和光純薬) 粉末酵母エキス(Difco Laboratories)

写真左が和光純薬(製造元は恐らく日本製薬)のもの、右が Difco Laboratories 製のものである。いずれも、微生物の培地用に使われているものだ。何が違うのかは分からないが、値段的には Difco 製の方が三倍近く高価だし、これまた何が違うのかは分からないが、培養する菌によっては酵母エキスのメーカを選ぶものもあるらしい。

ややウンコっぽい臭いを堪えながら和光純薬の粉末酵母エキスを少量舐めてみたところ、この世のものとは思えない、とってもえげつない風味が口を占拠して思わずウゲっとなってしまった。予想通り、それは VEGEMITE の「くせ」に酷似したえげつなさだが、あれを十倍くらい濃くした感じである。だが、意識すれば仄かな「うま味」があることも分かる。Difco の酵母エキスも VEGEMITE 的な風味だが、少し苦味が強い点を除けば和光純薬のものよりもマイルドな風味に仕上がっていて食べやすい。これら粉末の酵母エキスを水で溶いて食塩を加えると、確かに VEGEMITE に近いものが出来るのだけれど、こんなものに比べれば VEGEMITE の方がよほどマトモである。

ある発酵オタクが言うには、酵母風味の上では数ある粉末酵母エキスの中でも和光純薬のものが最高に強烈で、Difco のものが最もマイルドなのだそうだ(どうして味まで把握しているのかは知らないけれど)。それでも常識的なセンスからすれば、いずれにしてもむちゃむちゃ不味いことには変わりなく、試食していると目糞と鼻糞が繰り広げる極めて低レベルなバトルで審判をやっているような気分になってしまった。


2000/10/09 公開


制作 − 突撃実験室