文法解説四−係助詞について
係助詞。わかりにくいといわれがちな係助詞ですが、うまく解説できるでしょうか。
係り結びの法則、というのは以下のようなものです。
例「今こそ別れめいざさらば」仰げば尊しの歌詞ですが、係助詞「こそ」が入ることによって、別れむの「む」が「め」(已然形)に変わっています。
こそ(強めの言葉。係り)→変化した「なれ、め」(已然形。結び)
これが係り結びの法則です。まあ、いいたいことは強調と。
短歌で使われそうなものは「こそ、ぞ、か・や、は、も」などです。
こそ
ある特定の事物を取り立てて、強く指示する。「ぞ」より強調の度合いが強い。「こそ」を文中で使う場合、受けて終始する活用語は已然形で結ぶ(流れてもよい、らしい)。
短歌での使用例
髪ながき少女とうまれしろ百合に額は伏せつつ君をこそ思へ(山川登美子)
少女=おとめ。額=ぬか。白百合は白へのあこがれからきている。明星での署名も白百合を使っていた。明星の登美子、晶子などはこういう身内言葉(?)をよく使っていた。
「君を思ふ」の強調として「君をこそ思へ」となるわけです。
わかき身の幸うすき身を嘆きしかものこそ無けれ死の大前に(山川登美子)
薄幸の若い我が身を嘆いたこともむかしはあった。しかし今、死という大事を前にして、全く嘆くこともない。という感じの意味です。意味からすると「しのだいまえに」でしょうか。読みがよくわかりません。
「ものはない」が強調されて「ものこそ無けれ」となっています。
ぞ
T:1つの事物を強く指示する。「こそ」より強調の度合いは弱い。
U:疑問語とともに用いて不定の意味を表す。
「ぞ」を受けて終始する活用語は連体形で結ぶ(流れてもよい、らしい)。
短歌での使用例
T:柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき(正岡子規)
柿の実は甘いのも渋いのもある。渋いのこそうまい。といった感じでしょう。締めくくりである結句に「ぞ」がくるのはわかりやすいと思います。
T:をみなにてまたも来む世ぞ生まれまし花もなつかし月もなつかし(山川登美子)
これは3句にきていますが、花も懐かしい、月も懐かしい。だからまた女に生まれたい、という倒置的に考えればよいと思います。
U:笛の音はいづこぞ誰ぞなつかしき声こそひびけ雲のはたてに(佐々木信綱)
笛の音はどこだろう、誰だろう、と疑問に思っているわけです。で、それを受ける「懐かしい」が「懐かしき」になっています。
ところで「こそ、ぞ」に流れてもよい、とあるのは諸説あるようです。係り結びだから已然形、連体形に結ぶという説もありますが、係助詞はあっても通常通り流れてよいという説もあるようです。さらに近現代においては、係助詞なしに連体止めをする例もあるようです。これは文法上では誤りであるようですが実際には(特に現代では)仕方のないことかもしれません。
そもそも、係り結びを使った表現自体が今では古風に見えるかもしれませんが。
か・や
T:疑問、不定を表す。口語でいえば・・・だろうか、の意。「や」は問いの場合も含める(後述)
U:反語を表す。
係り結びをする場合、受けて終始する活用語は連体形で結ぶが、流す用法も多い。
「も」がくっついた「やも」は反語が多く、「かも」は感動を含んだ疑問を表す、というように若干違う。「やも」「かも」は終助詞(次回)にも同じものがあるが意味は変わる。それは文中の内容で判断するしかないでしょう。
短歌での使用例
T:柿の葉は色つかずして落ちにけり俄かに深き霜や至りし(島木赤彦)
突然深い霜が降りたためだろうか、柿の葉は色づかずして落ちたことだ。「至りき」が結びで「至りし」に変化している。
T:紅燈の巷にゆきてかへらざる人をまことのわれと思ふや(吉井勇)
歓楽街に入り浸っている私のことを本当の姿だと思っているのか。という意味。個人的に好きなので入れておきました。
T:夕立はいまかおそはむ目の前の松の高枝にひかりつめたき(吉野秀雄)
夕立はいまおそってくるのだろうか、という疑問。
U:川波の白くくだくる橋柱のあらはれ来つつも人は還らめや(釈迢空)
川波の白くくだける橋柱は隠れてもまたあらわれるが、往ってしまった人がまた還ってこようか。二度と還ることはないのだ。という意味。
U:砂の上の文字は浪が消しゆきぬこのかなしみは誰か消すらむ(吉井勇)
誰が消してくれるのだろう、という気持ちの奥に誰も消してくれるものがないと読みとるとこれは反語だと思います。
「や」と「か」の違いについては、「や」は音が柔らかいので相手に静かに問いかけるの用い、「か」は強く堅い音で迫るような感じを伴うので自己の胸中の疑問を表し、相手に問いかけるのには使わない。使うとすれば、急迫したときである。と松尾聰氏はいっておられるようですが、明らかになっていないのが実状のようです。それ以前に今の言語感覚からいくと疑問で「や」は使いませんね。
は
「は」は他から区別したり、提示する意味を持ちます。しかし格助詞「が」と係助詞「は」はよくごっちゃに使われています。この差をきっちりしたいところです。以下、例。
・象は鼻が長い
・大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(帝国憲法・1条)
象は長い、では意味は通じませんから象は直接の主語ではありません。しかし主語に近い意味を持っています。これが混乱の原因だろうと思います。「鼻が」が主語です。「象は」というのは、象というものはと、提示、区別しているわけです(おそらく、キリンは鼻は長くない、という風に暗に示しているから区別なのでしょう)。
同じように「大日本帝国は統治す」、ではおかしいので主語ではありません。「天皇(が)之を統治す」というのが正しい文です。つまり大日本帝国という国家は、と提示、区別しているわけです。
「が」は常に主語になるけども、「は」はそうとは限らない。むしろ「は」は話題となるものを提示する、という機能を持っているわけです。この意味の違い、おわかりいただけましたか?
短歌での使用例
信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空のいろ(島木赤彦)
注意したいことは「は」は格助詞の「が」「の」と同じレベルの強さと考えてはいけない、という点です。提示、区別の意味を持つ「は」が強い意味を持つというのはわかりやすいと思います。強い分、一首の中で何度も「は」を使うと分断されてしまうわけです。
も
「も」はたくさんの用法があり、便利といえば便利です。しかし便利さのせいで歌のとっては危うい面もあります。俳句でちょうどいい例があったのでその違いを説明します。
白露をこぼさぬ萩のうねりかな
白露もこぼさぬ萩のうねりかな
白露をこぼさない、というのは実景そのままですが、白露もこぼさない、と作者の側で言ってしまうということは主観が入ると言うことでいわゆることわりの歌になってしまいます。これが危うい原因です。というわけで、意味をおおざっぱに4つに分けます。他のも知りたい方は飯塚書店の短歌文法辞典を参照してください。
T:並列。同じようなものを並べて使う。犬も猫も、など。
U:同類の中の一つを示す。今日も、など。当然、類推が見え隠れします。
V:強め、詠嘆、語調を整える。これは本来の「も」からはややはずれます。
他にも文末について感動を表すものがあるとする本もあります。しかしこれはどちらかといえば次回の終助詞のようなものなので、次回に回します。
短歌での使用例
T:花も葉も光りしめらひわれの上に笑みかたむける山ざくら花(若山牧水)
花、葉を並列している。
U:今日もまた郵便くばり疲れ来て唐黍の毛に手を触るらむか(北原白秋)
今日も、といっているが昨日も一昨日もそうだろうし、明日もそうだ、という風に類推できる使い方。ちゃんと使わないとことわりめいた、といわれやすくなるでしょう。
V:紅葉の重なりふかみ夕日かげ透りなづみて紅よりも紅(木下利玄)
紅より紅、というところを強めたり、詠嘆の気持ちを出したり、字を補ったり(語調を整える)してつけています。これは便利。でも使いすぎには注意。