カンニングペーパー

支部旅行で行った初めての東北の歌いくつか
蔵王から忘れずごしにみんなみの吾妻にかすか雪つもる見ゆ
蔵王とはいわずとしれた斎藤茂吉の故郷の山。
忘れず、としたのは不忘山。蔵王山の南側にある。
それの更に南に、吾妻連峰があって、それに雪が積もっているのをバスから見た。
そんな歌。

あら肌に穿たる穴に紺碧の水は溜まりていきのねのなし
蔵王・お釜の歌。生き物の存在し得ないと直感した絶景。
歌にはしなかったが、旅行中に行った五色沼と同様に、酸性の水じゃないかと思われる。

石塚のあまた立つ野ぞ険しけれ 賽の河原の地は凍りたり
お釜を眺めている場所は、賽の河原と言われるところでした。仏教徒ではないけど。
賽の河原はみなさんご存じでしょうが、乳飲み子が親より死んだら、という話です。
実際には石塚と言うよりも、石やら岩やらごろごろしてるうえに、凍って溶けてどろどろのところでした。
その地面の1カットと思って頂いたらいいかな。

透きとほる冷たく蒼き天に向かひ順に積まれし贖罪のいし

これも賽の河原の歌。上の歌とは違って、お釜に一番近い、つまり一番低くて柵に近い位置から、
さっきまで歩いて降りてきた賽の河原を見たときの歌。贖罪、すなわち子供の積んだ石。
そしてそれを積もうと思う意思。ちょっと実験的にかけてみた。
しかしあそこで、実際に死んだ子供が石を積んでいるわけでもなし、観光客のいたずらだろうか。
景色としてはいいんだけど、俺の中の冷静な部分が、ちょっと気分悪かった。



 奉納居合見学の際、待ち時間に詠める歌
群青の木の実いくたに群がれり 生國魂の木漏れ日のはと
いったん3句できれて、鳩には2重で修飾がかかっているのであまりよろしくないような気がする。
それ以外は特に難しくないと思うが。
「群がれり」は「群がる」に継続の「り」の終止形。


春の日の生國魂の木漏れ日の群青の実に群がれる鳩
こちらは上の句のちょっと違うバージョン。ののの形式で作ってみた。
意味的にはこちらの方がスムーズに把握できると思うが。
「群がれる」は「群がる」に継続の「り」の連体形で鳩に続く。


 新年に我が短歌の道を詠める歌
我行くは冥府魔道か修羅道か この身果つるも治めてみせむ

「我が短歌の道」とは物理的な道ではなく、心理的・象徴的な意味で。方向性、とでもとってもらえばよろしい。
初句、俺の短歌の道は。2,3句の冥道、修羅道は仏教用語。冥道は所謂地獄。修羅道は天と地獄の間の世界。
冥道、修羅道は物理的な道でも心理的な道でもなく、その世界と思って頂いたらよろしい。
「果つる」は「果つ」の連体形に逆接の「も」。この身が果てても。
結句は短歌を極める、と言う意味の他、冥道・修羅道を治めると言う意味も含む。
ここまで読めばわかるかも知れないが、現代短歌(というよりも現代の歌人・姿勢)に対する宣戦布告の歌。
勿論、冥道・修羅道は現代歌壇。この歌で見得をきってから花道を歩いて下さい。
よく考えたらこのポジション、与謝野鉄幹とかぶるな。。。


 うましと言ひ母上食せばうれしけれ我の作りしペペロンチーノ
「食せば」は「おせば」と読む。食うなどの尊敬語。文語解説でやったように已然+ばなので、確定。食べたので、になる。「うれしけれ」は本来係り結びで受けるときの変化で、これは前例はいろいろあるがはっきり言って誤用。徹夜明けで、朝もはよからペペロンチーノを作る俺も俺だが、それを食べる母も母だ。


引っ越し後、仕事もなくされど実務経験も資金もない大学卒業直後の我、自らの努力と成果を疑う。その歌。→詞書
 人の為法を学びきされどなほ働き口なしごろ寝する我
学びき、は学んだ(過去形)。57調で作ることになれていないのではじめはすごく不自然な気がした。2,4句で切れている。

 人の為法を学びきされどなほ働き口なし唯とたはむる
上の歌の差し替え。こちらは2,4,5句切れ。そういえば石川啄木の匂い、といわれたこの4首。確かに「蟹とたはむる」っていう歌があったような気がする。

 賞状と過去では食まれず一頁重きをめくる求人雑誌
食まれず、は「はまれず」と読み、食えない、可能に否定。食まずでは違うような気がして。

 引っ越しのままにおきたるすみの箱行政書士の賞状残る

これだけ明らかに57調ではない。どうせなら統一したかったが、まあいいか。これはわかりにくい言葉はないよね?


我自身を題材として歌ふ→詞書
 ことのはを秘めていざよふ「これからの君のすべてを我にくれぬか」
倒置になっている。一応、57調を意識したが、これは75調で作った方がきれいだったかもしれない。「すべて」ははじめ「未来」だったが、これから、未来で重複しているような気がして変更した。
意味は、「これからの君のすべて(未来)を私にくれないか?」という言葉を隠して進むに進めずにいる(俺)。
といった感じか。ある意味今までの歌の中で、一番俺らしい一首かもしれない(内容が)。
こんな台詞くらい、いつでも言えるが相手によってはなかなか言えない。
そんな矛盾が4/1くらいは克服できるといいなあ、と今、日付を見て思った。


捨てるべきか、保管するべきか、結論の出せぬペアリングの箱を見て、今と昔の違いを(二首)→詞書
 ペアリング右薬指にはむれども心地悪くて左に変ふる
説明するほどの歌ではないように思う。内容は男性読者なら覚えがある人もいるのでは無かろうか。
左薬指に変えたくても言い訳せずには変えられない、なんというか妙な気持ち。
でも実際右の薬指は気持ち悪かった。これは言い訳でなくて、本当。
その言い訳を利用したのは確かに真実。情けない男だねぇ。自分で言ってちゃ世話無いが。

 プラチナは今も変はらず輝けど指にはあらず箱に光れり

これは今。捨てるべきのような気もするが何となく捨てられずに放置してある。
とはいっても元彼女に未練があるわけではなく、単に指輪がもったいないだけ(というのか?)
箱に入ってるだけなら、ないも同じなんだけどね。中途半端にプラチナってところが捨てられない原因か。
もっと安物なら、容赦なく捨てられるんだが・・・。



 平井堅のエヴァンイフ聞く汝もまた救いの手もとむ恋の迷子や
これは歌を聴いた日の深夜バイト中にできたもので、かなり前の作で最近、復元した。
この歌は57調で作ってみた。エヴァンイフ聞く。手もとむ。といったん止まる。
「迷子や」は上2つと同じように疑問。決して大阪弁で「迷子やー」といっているわけではない。他も同様。
実は、作った当初は「平井堅に対しての問いかけ」的な位置づけだったが、今思えば自分自身で自分が問いかけているような気もする。ちなみに英語発音には自信がない。

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