感情は歌にどう反映させたらいいかと質問を受けたので、書いてみます。
短歌は客観的に作れ、といわれることがありますが、歌を作ろうという感情は個人ごとのものはではないか、という反論もよく聞きます。
この矛盾しているような2つですが、理由は以下のような物だと思います。
客観的に、といわれるのはよくありがちな溺愛した状態での歌に対してだと思われます。つまり孫なり恋人なり好き好きといってしまって、作者の発表で終わってしまうからおもしろくない。失恋の歌よりうまくいっている恋を歌う方が難しいのはこういうところから来るのでしょう。
これを客観的にするやりかたは例えば、孫の小さい手がかわいいとか、恋人のなにが好き、と具体的にその人しか分からないような内容をあげていくことが考えられます。またもっと突き進めて、景色の中にいる相手のどこどこ、と好きなどという言葉を入れないで気持ちを表現すると言うことをやっても良いでしょう。手前味噌の連作「乙女」ではこういう発想で作っています。どちらにしても若干距離を置いて見つめることが大事だと思います。
景色などでも同じ事が言えて、桜がきれい、なんていってしまっては同様です。桜がきれいなどということは日本人の過半数以上の人が思っているだろうから、なにがいいのか、どこが作り手の感動を呼んだのかを事細かによむべきでしょう。
対して、歌を作ろうという感情は個人ごとのものだ、という反論ですが、順番的に言えば、こちらを先に書くべきだったかもしれません。
これはつまり前述の例で言えば、孫がかわいいとかそういった感情を持つから歌を作りたくなるんだ、ということでしょう。これ自体は間違っていません。どこをきれいと感じるか、いとおしいと感じるかは人それぞれなのである部分に着目して歌を作るというのはそれでいいのです。問題はここからで、この作り方が好き好きになってしまうと上の「客観的に」といわれる歌になってしまうわけです。
ですからこの2つは正確に言えば対立はしておらず、お互いに問題点がずれており、どちらも注意しておくべき点であると思います。
つまり順番としては、
1.好き(きれい、感動。何でも)で歌を作りたいと思う。
2.作る際には極力客観的な目で見て歌う。
という感じですかね。