多事毒論(1998年9月分)




9月も終わり..
1998年9月30日(水曜日) くもり/あめ

もう月末だ...ここのところ月日が経つのが早すぎて、困ったもの。このままズルズルとオジサンになっていくのだと考えると、ちょっと嫌なような気もするが。かなり昔からオジサン臭いと言われて来たという事実もあるので、歳相応になるのも良いかもしれない。最近は段々と容姿と実年齢が一致してきたかな。

今月は金を使い過ぎた。外食が多かったのでエンゲル係数も上昇し、大阪へ行ったり、また趣味のガラクタを買ったりしたので、ますます貧乏になった。でも世の中捨てたものじゃないのかも。ひょんとしたところから不労所得が舞い込んだり、減税があって所得税が帰ってきたりしたお陰で、結果的にそんな貧乏化はしていない。

減税の戻し分だが、上司が「お金あげなきゃ」とか言って、いきなり現ナマで2万円くれるんだもん。こういうファンキーな上司といい、何が起るか分からないのが、この会社の特徴...時々刻々と発生する、あまりに突発的で理解不能な出来事に、何度驚いたことか。



夏時間
1998年9月29日(火曜日) くもり/あめ

日本でも夏時間制度を導入しようという動きがあるらしい。夏時間とは、ご存知の方も多いと思うが、夏場に時計の針を標準時間より1時間進めることだ。つまり、例えば通常の18時は、夏時間中には19時に相当するため、比較的夜遅くまで日照が続くのだ。そうすると、夕方に仕事を終えてもまだ明るいから、外へ出て遊んだりできるというわけだ。ついでに、省エネにも繋がるという話もある。

個人的には、夏時間制度はやめて頂きたいと思っている。年に二回も時計の針を動かさないと行けないのは面倒なことだし、慣れればそうでもないと思うのだが、ちょっとややこしい。アメリカへ行くと夏時間制度(正確には、Daylight Saving Time、つまり日光節約時間という)があるのだが、これを忘れていると大変なことになる。

不親切な時差換算表には、何月何日に時計がずれるという記述がなかったりする。すると、ちょうど時計が変わる時に出張に出たりすると、飛行機に乗り遅れたりするわけだ。標準時間から夏時間に変わる場合は、空港に1時間早く着くだけなので実害は無いが、逆に夏時間が終わった直後だと、アホは1時間遅く空港に着く。まあ、その日には現地人も忘れていて、遅刻者が続出するとか...

と、夏時間のマイナス面だけ強調し過ぎた気もするが、夕方の日照時間が増えることには賛成である。この時期だと仕事が終わる時刻には、空はもう暗い。表が暗いと、どうも仕事の後にどこかへ行こうという気がせず、逆に明るいと、まだまだ行動時間帯という気にもなる。そんな訳で、夏冬関係なく、時計の針を1時間かそこら進めるっていうのは如何だろう。

朝は6時にもなれば十分明るい。もし仮に時計の針が今よりも1時間進めば、午前7時は、今の6時に相当する。朝6時に起きる人でも、今の午前5時に相当する時刻なら薄明るいだろうから、暗闇の中で目を覚ます必要もなかろう。そして夕方は、この季節なら18時ごろまで明るく、夏場なら20時ぐらいまで日があるだろうから、仕事をする上でも、遊ぶ上でも、精神衛生上芳しいと思う。でもデートは暗くなってからの方が良いって? 万年童貞野郎には関係ありませんって、はい。

そんなことをすれば西隣の標準時間帯とは2時間の時差ができたり、逆に東側とは時差が無くなるから大変だと言う人もいるかもしれない。しかし、年に二回時差が変わるような状況よりも、いつもハッキリとしている方が良いと思うのだが...ややこしいよね。実はわたしもこれを書きながら、時計の文字盤を見ながら混乱してたというのは、ここだけのお話。間違ってないだろうなあ。

ところで、忘れかけていたが、夏時間による省エネ効果のお話。夏場に、遅くまで日が出ていると、その分だけクーラーの稼働率が上がることになると思うのだ。朝は早くなるが、どうせ暑いので、起きた時からクーラーは使うだろう。夏時間制度が導入されると省エネに繋がると言われるが、どうも疑わしい。電灯の使用時間が短くなるのは確かだろうが、いまさら電灯で省エネを語れるほど、世の中甘くはないと思うのだが。



ちょっと更新
1998年9月28日(月曜日) くもり

今日は実験室に小ネタを追加した。どうでも良いようなものだが、何となくバラしてみたもので...まだ10時前だが、今日は眠たい。まだすることが腐るほどあるので、寝るわけには行かないのだが、もう疲れた。実験室ネタなんか書いてる場合じゃないんだけどね、現実逃避ってところ。

今日は朝からあまり体調が良くない。何でか知らないが、身体がダルイの..



親父襲来
1998年9月27日(日曜日) 雨

またまた書くのを一日サボってしまった。実は昨日は親父が襲来していて、それどころではなかったのだ。少し前に、金曜日の鹿島出張の帰りに寄るとか寄らないとか曖昧なことを言ってたが、それ以降連絡が無い。連絡無きまま訪れたXデーであるところの土曜日、午後5時も過ぎたことだし、もう来ないのだろうと飯の支度を始めて数分後、突然電話が鳴る。もしもし、いま東京駅にいるから、これからそっちへ行く。中華街へ行きたいから関内駅で云々...人の段取りもちっとは考えろや、おい。

しゃーないから、飯を作るのは中止して関内へ。よく食いに行く中華街の某中華料理屋で飯を食う。親父は、わたしが横浜に来てから中華街中毒になったらしく、関東方面へ来た際には必ず中華街へ連れて行けという。貧乏なわたしでは入れないような店でたらふく食い、親父に奢らせるので良いといえば良いのだが、いい年して、いちいち中華街に来たぐらいで「おおーすごいやんすごいやん」とか感動するなちゅーの。小学生じゃないんだから。

で、そのまま新横浜へ行くのかと思ったら、遅くなったから泊めろと言う。お泊まりはいつでもOKなので構わないだが、自他と共に認める親父のいびきと寝相の悪さは並みのものじゃなく、できれば一緒に寝たくない。案の定というか、煩いわ蹴るわでこっちは寝付けないし、夜中に3回ぐらい起こされるし。で、親父はというと11時頃にはぐっすり寝込み、朝は早くからテレビをつけ、誰かさんのせいで熟眠していないわたしを起こして「あー良く寝た」の一言だし。

つくづく思うんだけど、こういう人って、世界一幸せだな。

上記のような経緯で寝不足のまま、秋葉原へ行ってきた。秋月電子で、前から欲しいと思っていたAKI−H8を買ってしまう。H8は仕事でも少しだけ触れたことがあるのだが、色んな機能がついていてなかなか面白そうである。とっとと家に持って帰って組み立ててみたが、まだ動作確認はしていない。実験も兼ねてあるものを繋いでみようと、その為に必要なフォトカプラ回路を組んでみたのだが、これが思ったように動かない。ハンダの香りとオシロの画面にはもう飽きたので、今日は終わりにしよう。



[読み切り・オカン列伝] 子供のためとは誰のため?
1998年9月25日(金曜日) はれ

本日の驚きももの木20世紀「ひばりの母・加藤喜美枝物語」で、美空ひばりの母、加藤喜美枝の人生が放送された。わたしは年齢が年齢だけに、ひばりや、ひばりの母のことはあまり知らない。それも、とある事情により平成元年辺りの記憶は飛んでいるので、美空ひばりが死去したときのことも、あまり知らないのだが。取り敢えず、加藤喜美枝は、スターひばりを裏方で支えた人物らしい。

番組では、母は自分の娘に人生を捧げた、というようなことを強調している。記憶が正しければ、母自身が自分で実現できなかった芸能デビューの夢を娘に託したと番組では言っていたと思うが、それは母の愛情であり、子を愛さない母は数えるほどしかいないだろうと思うかも知れない。ひばり親子の場合はどうだったのか、わたしには知る由もないが、しかし、わたしのオカンの愛は欺瞞的なものだと、わたしは思っている。

オカンも、わたしに対しては大変献身的であり、息子を思い、愛し、見返りは一切求めていないかに見える。しかし、その愛などの根拠には、オカン自身の利益が優先的にある事実は否定できない。オカンは日々、わたしに対して様々なことを要求をしてくる。それは例えば「もっと勉強して大学へ行きなさい」というようなことや、「もっと健康的な生活をしなさい」というようなことなど多岐にわたり、「ほっとけ」と言いたくなるようなことも多い。

オカン自身は、表向きには「お前のことを考えて」とか「これを言うのも愛情があるからこそ」などと言っているが、わたしはそうでは無いと思う。建前では「愛」を掲げているが、オカンが色々と要求をするのは、結局は自分自身の欲求の満足のために他ならない。オカンはわたしを心配するからこそ、あれこれ言うのであろうが、その心配はオカン自身のものである。つまり、オカンのわたしに対する要求は、オカン自身の心配という不安要素を排除しようとしているだけなのだ。もっとも、オカン自身もそのことには気付いていないだろうが。

思うに、子を愛するが為に発生するオカンの要求は、全て自己の満足のためだと思う。オカンは、わたしのやり方や考えに反した様々な注文を付けてくる。例えば、わたしは学歴もなく働いたり遊んだりしているが、今までの教育ママぶりから鑑みるに、それはオカンの本意ではないと思う。本当は高校も大学も良いところを出て、大企業に就職して欲しいと思っていたようだ。本人は、それが息子のためであり、それが愛情と思っているかもしれない。しかし、それもオカン自身の勝手な要求に過ぎないのだ。

余談だが、わたし自身、暫くはオカンの犬になっていたこともあった。しかしながら、オカンの要求に盲目的に応えるにはどこか無理があったのか、徐々に欺瞞に気付いたという経緯がある。元予備校職員という職業柄、オカンの同じような親と犬になった子のペアは腐るほど見てきたが、何となく昔の自分を見ているようで、ちょっと複雑な気持になったりする。16の時に最初の学校やめてから今に至るまでの3年ほど、色々とやってきて、今のやり方に苦悩したりもしたが、今は悔いはないかな。



秋分の日
1998年9月23日(水曜日) 曇りのち雨

神は味方しなかった。昼頃起き、空模様を見たところ、今日は洗濯するべきではないと直感的に思ったが、もう服の備蓄も底を尽いている。やむを得ない、決行だ。あとは、祈るしかないだろう。ところが、実は真剣に祈ってたわけじゃなくて、干したままアキバへ行ってたりしてね。家に帰ったら、案の定、雨が降っており、当然ながら洗濯物は乾かないままだ。しゃーないので、エアコンの前に干してある。畜生、見方ぐらいしやがれ>神

忘れていたのだが、今日は祝日だった。えーと、今日は何で休みなのかな...天皇誕生日だっけ、と本気で言ってしまってるわたしって、どうかしてる? まあ無理もない、実はわたしは、今まで祝日という概念にはあまり縁が無かった。土日祝は大体どこかで働いていたから、祝日に家でゴロゴロしていた記憶はあまり無い。とりわけ客商売をやっていると、祝日に休むのは言語道断で、祝日はいつもよりも多く働く日なのだ。ここにきて、やっと暦通りに休める仕事を始めたわけなのだ。

ところで、秋分の日は何故休みなのだろう。休みであるということは、それなりの重要な意味があるからなのだろうが、秋分それ自体に大した意味があるとは思えない。要は、太陽が秋分点に達した日が、太陽暦で指し示したらたまたま9月23日だったというだけのことであり、天文学的にキリが良い日に過ぎない。でも調べると一応出てくるのね。

> 秋分にあたり、祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日。もとの秋季皇霊祭。(広辞苑)

ほうほう、そういえば、この頃になると彼岸がどうとかこうとか行ってたような気がするが、やはりわたしにとっては、ただの休日に過ぎないようだ。一部の人間にとっては重要な日なのだろうが、このことすら知らなかったわたしには、何ら関係の無い話のようである。そういえば、今まで祖先を敬おうとか、偲ぼうと思ったことは無いね。大体、生物たるもの、死ねばそれでお終いなのだから。わたしも、死んだらさっさと忘れられたいものだ。

ちなみに、秋季皇霊祭って?

> 天皇が毎年秋分の日に、皇霊殿で歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祀る祭祀。(広辞苑)

やっぱ、関係ないや。



あ〜〜
1998年9月22日(火曜日) くもりのち嵐

なんか、表は大変なことになってしました。台風の影響か、風は吹くわ雨は降るわ、雨は風に煽られ、街灯の光が反射してまるでレースカーテンのようです。だからどうって感じですけど。お洗濯しても表に干せないから、困るといえば大いに困る。天気の神様、明日は晴れますように。つーか、晴れるようにしやがれ、ボケっ!

「ねえねえ、俺って芸能人で言ったら誰に似てるかな?」

/* 「金城武ぐらいかなぁ?」 */

「そうねえ、佐野史郎が一番近いんじゃない...」

まあ、こういう風に世の中っていうものは極めて不公平なもので、わたしと似ていると言われた佐野史郎さんの立場を考えると、もう慰めの言葉すら思いつかなかったです。というかですね、金城武とかジャニーズ関係者とか、世の中でカッコイイとか言われる人、俺は全然そう思わないんですな。誰の主観でどういう基準を適用するとそうなるのか、ようわからん。

でも、わたしがモテないことは事実かもしれない...
/* 女神なんてなれないまま私は生きる */
彼女なんていないままわたしは終わる
と、残酷な天使のテーゼの替え歌を叫びながら、
今日の自分は輪をかけて壊れていることに気付いたのでありました。



スループット
1998年9月21日(月曜日) くもり/嵐っぽい

外出先からPIAFSでインターネットに繋いでいるが、やはり遅いといわざるを得ない。普段からモデムなどでぶら下がっていたら極端な遅さは感じないのだろうが、自宅だと速い線に直結されているので、どうしても感覚がズレてしまうのだ。なんたって、空いている時間帯で相手が速いサイトならば、FTPダウンロードで120Kバイト/秒やそこらは、当たり前の世界。PIAFSの速度は、その何千分の一だから...

わたしが所有しているわけではないのだが、INS64に繋いで使うTAによってはファームウェアを入れ直すだけでPIAFS接続ができるようになるものがある。最近のTAは買った時からPIAFSも使えるようになっているが、昔のそうでないTAは、これに新しいファームをぶち込むと、PIAFSも使えるようになると言う訳だ。ところが、実験してみると、そのようなTAのスループットは異様に遅いことがわかった。

わたしは詳しく知らないのだが、PIAFSのプロトコル処理は、CPUにやらすにはかなり大変なものらしい。生のデータはHDLCのようになっているようで、フレーム検出とかCRC計算とか、ソフトでやるには荷が重い。そのため、高速なプロトコル処理にはハードウェアロジックなんかでやるそうだ。ファーム入れ替えだけでPIAFSが使えるようになるものは、ソフトだけでプロトコル処理をやっているのだろうが、スループットが上がらないのも理解できない話ではない。

普通の、いわゆる同期64KなPPP接続でも、TAによってはスループット差があるそうだ。接続方法をTAからダイアルアップルータに変えたら体感的にも分かるぐらい速くなったとか、色んな話を聞く。もっとも、TA自体のオーバーヘッドはあまりなさそうだから、WindowsのPPP処理が遅いのかも知れない。レジストリを数カ所書きかえるだけで、ダイアルアップネットワークが速くなるという話もあるから、不細工な設計なのだろう(どうせMSだし)。ルータだと、Ethernetで接続されるから、その分速くなる?



くぬぎざ@ひかり144号
1998年9月20日(日曜日) 晴れ(大阪)

今日は10時前に実家を出て、学校の文化祭に行ってきた。何名かの人間にはわたしが来ることを伝えてあったが、殆どの者は突然変な奴が現れたという感じ。中退者が突然現れたのにも関わらず、何しに来てた、というよりは、良く来たねという歓迎的な雰囲気で気持ちが良い。途中でやめてしまったが、この学校にしばらく通って本当に良かったと思っている。わたしと同期で入学した者は今年で卒業する者が殆どだ。突然去ってしまったのと、これが多分最後なので、行けて良かった。

学校の連中も変わってなかったし、わたしも当時と変わってないそうなので、良かった。皆さん曰く、「素でそのまんま」ということ。半年ほと会社員やってきたので、いかにもサラリーマン化していたら嫌だったのだが、わたし自身も「素でそのまんま」の自分が好きだし、永久に不変でいたいと思っている。ところで、それはどういう人物像だって? それは、皆様と、もしどこかでお会いすることがあればわかるかな、ちょっと(かなり?)毒があるらしいけれど。

しばし楽しませていただいたあと、お片づけも手伝って帰ってきた。というか、あれ運んだり、これ運んだりの力仕事ばかりなんだけど。部外者なのだが、文化祭後のお片づけもお楽しみの一環ということで、やってきた。ところが、久々に力仕事をして、普段はデスクワークばかりやっている身体は大分疲れてしまった。天満橋にある学校から京橋まで歩いてゆき、飯を食って、少しだけビールを頂く。その酔いの気持ちよさと、心地よい振動で、帰りの新幹線では名古屋まで爆睡...起きてこれを書く。

家に帰ったら、0時前になるだろう。シャワーを浴びて、寝て、ちょっと辛いが、明日はまたお仕事だ。



くぬぎざ@実家
1998年9月19日(土曜日) 晴れ時々曇り、ところによりにわか雨(大阪)

昨日は前にいた会社の社長がどうしても遊びに来いというので、新大阪駅からその会社に直行。ところが、何故か仕事をやらされる。なんだか知らないうちに、夕方まで一人に短大の入試問題の英語を教え、途中に別の生徒に面接練習のような、雑談のようなものをやってきた。どうやら一人休んでいたらしく、そのため非常に忙しかったらしい。超OK。結局、19時ごろにお仕事が片付き、社長と飯を食いに行って22時ごろまで話し込む。

その足で、友人宅を襲撃。ついでに泊めてもらう。そのまま深夜までお遊び...っていうのは、もう年老いた身体がついていかず、その日くたくたに疲れていたわたしは先に寝てしまった。先に寝ても遊びたいがために途中で起きたりするのだが、異例なことに、その日は朝までぐっすり寝てしまった。寝不足で壊れ気味だったし、それ以上無理するのも良くなかっただろう。

今朝友人宅を後にし、そのまま電車に乗って久々に日本橋へでも行こうかと思ったのだが、かといって行ってすることもないだろうから、実家に帰ることにした。昼過ぎに樟葉に到着するが、半年のうちにちょっと美しくなった。家の裏の市場(トップセンター)は、前に見たときは廃業した後の解体途中だったが、今は小奇麗なスーパーに変身してたので、ちょいと驚き。でももっと驚いたのは親だろう。だって、電話もせずに突然あらわれるんだもん。鍵を持ってたから、まさに突然。

どうしようもないオカンは何も変わってなかった。ちょっとはまともになっていることを期待していたのだが、それをあの歳になったオバタリアンに期待することが、そもそもの間違いなのだろう。なわけで、いじめまくり。ナルシストなオカンが飯を作ると、それが世界で一番うまい料理だと思い込んでいるようで、実際に美味いか不味いかの問題は別として、そもそも謙虚さが足りない。野菜を煮たやつを食うと、おいしいだろ、と同意を求めてくるので。

わし俺が作ったほうが絶対に美味いな。悪い例やで、これは...などという風に、何かにつけて、否定をする会話が続くのであった。



大阪へ
1998年9月18日(金曜日) あめ

大阪へ行くのだ。出張とかじゃなくて、会社をサボって、いやちゃんと有給を頂いて、個人的な用事で行く。比較的休みの取り易い会社なんで、こういうときは助かる。日曜日に前にいた学校の文化祭なるものがあるのだが、色々と複雑な?経緯から、わたしも行ってみることになったのだ。んが、久々に(約半年ぶり?)わたしが現れるということで、あちらこちらから顔を出せと言われてしまい、結局今日から行くことにした。

今日は7時に起きて、新横浜へ。ここ毎日寝るのが2時か3時頃で、連日の睡眠不足のせいか、体がダルイ。新幹線はいつものように混んでるし...結局、名古屋まではデッキで立っとけコース。名古屋で座席が空くので、やっと落ち着いてこれを書いている。大阪にいたときにも何度か新横浜から乗ったことがあるが、東京でほぼ満杯になるので、いつもこの名古屋からお座りコースなのだ。貧乏だから、指定席代をケチるっていう理由もあるのだが、寝坊したり予定が変わったり、予定はいつも未定なので、日時を指定される指定席はあまり利用しない。

前に青森の方へ行ったときは、電話代に数千円も使ってしまった。プロバイダなら会社に接続すれば良いことなのだが、横浜までの電話代が凄いので、全国にAPのある完全従量料金制のプロバイダを探してみた。Q2プロバイダもよさそうであるが、PHSから接続できないので却下。結局、Biglobe のわいわいコースが良いのではないかという結論に至り、入会した。料金は1分10円だったかな、旅行用と、非常用としてはちょうど良いだろう。でも、先ほど岐阜八幡に止まったときに(通過待ちのため7分止まる)名古屋APに接続しようとしたら、なぜか失敗。何度やってもだめなので、仕方が無いから横浜の会社につなく。

で、大阪についてから、Biglobeのサポートに電話をかけて文句をいってみた。つまらん設定ミスの確認をごちゃごちゃとやらされるが、こっちはプロバイダのサポートやって飯食ってるんだから、なめてもらっては困る。まあ、大手がどういうサポートをやってるのかもちょっと興味があったので、つきあってみたが、大して変わらなかった。そうして延々付き合わされること15分、どうしても繋がらないので向こうで接続試験をしてくれるという...少々お待ちくださいと電話を保留にされたあと、東京まで保留のメロディを聞くこと15分。やっぱり繋がりませんでしたが、東京APは使えるようなので、東京へつなげと。ふざけるな、俺は大阪にいるんだよ。

でもサポートのネーチャンじゃ対処できないのは分かっているので、何とかしてくれと文句をいう。すると本日中の対応は難しいが、調査の後、1〜2週間後に電話をします...だと? ふざけるな! と怒鳴っても仕方が無いのも分かっているから、こっちは大変重要な仕事で大阪に出張していて、使えないとどうしても困るから、早急に対処するようにと念を押しまくって電話を切った。しかし、なぜに調査にそんな暇がかかる。うちはその場でやってるのだが。その後の対応が楽しみである。(でも、あれから数時間後、大阪APでも繋がるようになったようなので、これを転送します)



のめない
1998年9月17日(木曜日) くもり/にわか雨

今日は会社の人の送別会で呑みに行ったが、わたしは呑めないので、口にしたのは烏龍茶とジュースだけ。エタノールの誘惑に負けてちょっとだけ呑んでみたが、やっぱり酔ってしまった。量にすると梅酒が一口と、カクテルが一口っていう程度なのだが。一口の基準は人によって違うからなーなんて言いがかりを付けたくなる方のために、5ml以下としておこう。直接的には明日までにどうしても仕上げないと行けない仕事があるから飲まなかったのだが、身体が受け付けないというところも大きい。

前にも述べたことはあるかと思うが、わたしの場合は異常で、お昼にハンバーグを食うと反応が現れることもある。以前、ちょっと寝不足の日に、ハンバーグを食ったら酔った気分になった。良く考えるとワインか何かで調味されていたようで、恐らくそのアルコールが悪さをしたのだろう。そういえば、煮物に入れた料理酒で酔ったこともある。別に積極的に飲める身体になりたいとは思わないが、隠し味に残ったエタノールで酔うこの体質だけはどうにかならないかと、切に願っているのだが(たぶん絶望的)。

わたしの周りの人間は、あまり飲みに誘ったりしてくれないので、大いに助かる。



台風
1998年9月16日(水曜日) 台風のち晴れ

昨晩から台風が上陸したようで、表は大変なことになっていた。昨日は夕方まで寝ていたので天気が崩れ始めたのはいつ頃かしらないが、日が暮れるころには、かなり激しい雨。夜中の2時ごろ、空腹のあまり寝付けなかったので、道路を挟んで向いのコンビニへ行ったが、道路は冠水しかけていた。おかげで、数十メートル先のコンビニ往復だけで、びちゃびちゃ。しかし、食うものを食ったら直ぐに寝てしまったので、その後の経過は知らない。

今朝、8時に起きたら、雨は既に止んでいた。わたしが寝ている間に台風は暴れていたのかもしれないが、少々のことでは起きないタイプなので、風で窓が少々揺れようが、窓に大粒の雨が当たってビチビチ鳴ろうが、多分何事も無かったように寝てると思う。9時頃会社に行き、その数時間後には青空が広がり始めた。お昼過ぎには快晴としか良いようの無いような美しい空が現われ、台風はまるで嘘のようである。台風の通過って、案外早いもの...

1997年6月19日の一言にも書いたが、台風など、回転系の嵐の上陸はどう言う訳か深夜に集中するらしい。今回の台風も例に漏れず夜中に上陸したようだが、昼も夜も平均的に上陸しても良いようなものなのだが、不思議である。



停電ブレーカ
1998年9月15日(火曜日) あめ

今日は敬老の日。完全に忘れてた(笑)

阪神大震災の時に大規模な火災が発生したことはご存知だと思うが、場所によっては地震の数日後に火の手があがったという話を聞いたことがある。電力が復旧した直後に燃え出したらしく、原因は電気の復旧によるのではないかという説もある。倒壊した家屋に電力を供給するのは危険なことである。

屋内配線がショートしてたりすると柱上トランス側のフューズが飛ぶであろうが、もし安全装置が働かない程度の場合だとどうなるか? たとえば、電源が入ったままの電気ストーブがあったとする。電気ストーブは倒れたりすると電源が勝手に切れるが、倒れずに、前に燃え易いものが崩れてきたような場合は、安全装置では対処できない。停電している間は火事にはならないだろうが、もしそこで電力が復旧すれば、電気ストーブが前に落ちているものを熱し、火災に至らせる可能性は、十分に考えられる。

災害後、停電したらメインブレーカーを落とし、復旧したら確認しながら通電させるなどすれば、このような二次災害は防ぐことができるだろう。しかし、大規模な地震後にそこまで気が回らないのが、人間というものである。そこで、「停電ブレーカ」なるものを普及させては如何だろうか?

回路図

以前に、このようなものを作ったことがあった。回路はAC100Vのリレーと、トリップしたときのリセットスイッチだけであるが、停電後に電力が復旧しても勝手に通電しない「停電ブレーカ」だ。通電直後はリレーが切れており、またリレーコイルにも電源が供給されないので、回路は閉じない。ボタンを押すと、リレーコイルに電源が入り、ボタンを離した後も閉じた回路からリレーコイルに電源がいくので、回路は閉じっぱなしになる仕組みだ。簡単だが、ちゃんと機能するはず。もっとも、瞬断などでちょっとでもリレーが切れたらアウトなので、ディレイを入れるなどの工夫が必要だろうが。



続・本牧
1998年9月14日(月曜日) はれ

きょうはネタが思い付かないから、本牧へ行った感想でも書いてみる。本牧のマイカルを少し通り過ぎると、大通り(本牧通り)沿いに小奇麗なマンションが立ち並んでいる場所がある。四辻の隙間からマンションの向こう側を覗くと、どうやら高級住宅街があるらしい。電柱もテレビのアンテナも存在しない美しい街並みに、大通りで鳴り響く自動車の音は聞こえてこない。立ち並ぶマンション群が、防音壁の如く街の喧騒を遮断しているかのようである。見事な都市設計だ。

その場所には、どれも似たり寄ったりの庭付き一戸建しか存在しない。建物は、殆どが窓が小さく、屋根は高く勾配が急な、いわゆるアメリカ風住宅だ。壁は決って淡いパステルカラーであり、ペンキ塗りの板なのか、それとも耐火ボードのようなものなのかは遠目では分からないが、どれも芸がなく味気ない。日本で建てれば目立つし見栄えが良いのかも知れないが、同じ物をアメリカへ持っていけば、煉瓦すら使っていない安物住宅ってところだろう。家の内側はどうであれ、あの手の家は外側に金をかけなければ、安っちく見えてしまうのが宿命だろう。

ちょっと余裕のあるところは家と繋がった車庫があり、それが無いところは外に車が止めてある。置いてあった車をざっと観察するに、高級外車が一台と、ややグレードの高い国産車が一台という組み合わせが、その場所の典型のようである。別に乗ってる車のグレードで何かを評価しようという気はないのだが、車種があまりに似たり寄ったりなので、傍目で見ていると、なんだか面白い。

しかし、何かが欠けている。夕飯前の時刻だというのに換気扇から漏れてくる美味しそうな臭いはなく、子供の遊ぶ姿もなく、オバチャンが水を撒いている姿も無い。日曜日の夕方だったからみんなどこかへ遊びに行ってたのかもしれないが、それはゴーストタウンを彷彿とさせるような静まりである。というのも、人々が生活をしていることを表す証拠が見当らないのだ。それとも、生活を感じさせることは似つかわしくないものとされ、街ぐるみで隠蔽しているのか。街の雰囲気は確かに美しいが、もしかしたらそれは欺瞞を覆い隠すための化粧としての美化ではないのか? ただ奇麗事だけが蔓延る街なのではないのか? などと勝手に思いながら、その場所を後にしたのだった。

実は俺って、すご〜く嫌な奴なのかも。



DEEP IMPACTとアメリカ人について
1998年9月13日(日曜日) はれ

本牧(地名)の方に、迷子になるぐらい巨大なマイカルがあるらしい。チャリでぶっ飛ばせば15分程度のところなので前々から一度行ってみようと思っていたのだが、ここから行くとトンネルをくぐっていかないといけないので、ちょっと躊躇していた。随道の向こうって、なんか別の世界っていう気がしてね...ちなみに、わたしはママチャリでも、結構ぶっ飛ばす方なのだが、極めて安全運転主義なので、無謀なことはしない。あちこち行ってる方だと思うのだが、自分の不注意による事故は一度もない。よく危なっかしい奴を見かけるが、あれでよく事故らないよねえ...?

で、実際に行ってみると確かに巨大なマイカルが目に入った。やたらと小奇麗な感じで、広々としていて人ごみを掻き分けていく必要がなく、気持が良いのだが、逆に美化しすぎると落ち着かないと思うのは、わたしだけだろうか。何となくだが、美しすぎるお店は場違いな気がして、入り難いのだ。ちょっとゴミゴミしているほうが、かえってわたしの波長にあうらしい。映画館もあるので、ついでにDeep Impactを見てきた。

これは、どうせ詰まらないと思ってたので見る気はなかったのだが、弟が面白いと言うので、見ることにしたのだ(直ぐに、それは間違いであると分かったが)。題材が巨大隕石の衝突から地球を救うってものなので、題名は忘れたが、前にかなり流行った宇宙人が攻めてくる映画を彷彿とさせる。例の如く、大統領が出てきて演説して、アメリカは世の中で一番偉い国で、地球に危機が迫った時に救うのはアメリカ人ですよっていう、優越感に浸るアメリカ人の醜さを世界に宣伝するための映画なのだ。

アメリカ人自身がこの映画を見たら、醜態宣伝映画だとは思わないだろうから喜ぶだろうが、日本人がこれを見たところで、どこが面白いというのだろうか。何か画期的な特撮技術が投入されたとか、他に評価する点があれば別だが、そういう目新しさも見当らない。それも核爆弾で隕石をふっ飛ばそうという考え方も、いかにも核一つで世の中を支配してやろうという、アメリカの支配的な考え方が染み出している。日本人なら、むしろ「調子にのってたらシバくぞ、タコ!」と非難した方が自然であるのに、こんな映画が日本で流行るのは、不思議で仕方がない。

この手の映画で決って描かれるのが、「家族の愛」とかそういう概念である。家族の愛が重要であるか否かという議論はさて置き、結婚した人間の半数が離婚するアメリカ人が、愛の重要性を語るのだから大いに笑わせてくれる。愛を重視しない人間が多いから、教育的な意味で映画に擦り込んである、という考え方も出来ないわけではないが、そのような作為があれば共感や感動は呼び起こせず、良い映画とは評価されないだろう。こういう矛盾点を孕んだ醜態宣伝映画を、よく皆は疑問を感じずに見るものである。

アメリカ人を一言で説明するならば、偽善者の集大成ということが出来る。ある場所で愛だの平和だの反核だのと善事を叫んでいたかと思うと、現実社会では離婚はしまくるし、凶悪犯罪は蔓延るし、戦争は起こすし、核だって手放すつもりはない。アメリカ人にも良い奴は少数ながらいることは事実であろうが、わたしの見解によれば、アメリカ、あるいはその国民や映画を理解するには「偽善者の集大成」というキーワードから考えなくてはならないはずである。



続・仮想現実
1998年9月12日(土曜日) くもり

昨日はバーチャルリアリティについて色々と書いた。色々とご意見を頂いたが、後で読み直してみると、最初と最後で書きたかったことが若干異なってるし...バーチャルな世界は、通常そうと認識しているものなので、幾らバーチャルな事象の現実味が向上しても害はない。むしろ危険なのは、そうと認識していない場合で、実際に体験せずに得た情報(報道など)を、あたかも実体験のように捉えてしまうことなどがその一例。って風なことが言いたかったのだが、こういうのを書く時ってけっこう気を遣う。

わたしはそういうのも、バーチャルリアリティの一種として考えていたのだが、なかなか世の中全員がそういう風には考えていないというのも事実なので、的が外れているように見えたかもしれない。実をいうと、ここを書く時は広辞苑などを結構よく使う。自分の知っている言葉の意味が、本当に正しいのか、もし齟齬があるなら大方の人間はどう思っているか、ということなども考慮する必要がある。難しいときは新しい言葉を作ってしまえば良いのかも知れないが、それをすると余計に混乱が発生する気もする(例えば「外的情報の実体験化」とか(^^;)

話は変わり..

ちょっとした実験がやりたくなって、極低温環境が欲しくなった。液化炭酸ガスでも良いかも知れないし、液体窒素っていう手もある。液体窒素はある人に頼むと手に入らなくもないようだが、炭酸ガスは生ビール用に使うものが、一部の酒屋でも入手できるらしい。一般人には売ってくれないところもあるらしいが、頼み込めばOKなところもあるとのこと。ビール用に使うものは、あの緑色のボンベに食品添加物のシールが貼ってあるので、ちょっとかわいいのだ。でも、ビール用のやつは気体でしか出てこないから、冷却用には使えないかも。熱帯魚マニアが、水草栽培用に使うのだとか。



仮想現実
1998年9月11日(金曜日) くもり/はれ

みなさんは、「バーチャル」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるだろうか? 仮想的なものとか、現実的ではなく人間の想像に過ぎないものと言っても正解だろうし、明かに現実であるとしか言いようの無い事物以外であれば、おおよそ何を挙げても「バーチャル」の範囲内と言えるのでは無いだろうか。バーチャルと言うと、かなり新しい概念だ、という感もある。確かに、近年のCG技術などの向上によってバーチャルリアリティの質が向上し、最近の映画やCMなどで、現実と見間違うほどの現実味を帯びたバーチャルなカットが多用されるようになった。その点からかもしれないが、最新というイメージに結びついていることは否定できないだろう。

しかし、バーチャルな世界は遥か昔から存在しており、映画やアニメをはじめ、絵画なども非現実を描いた一種のバーチャルリアリティである。変わったのは、非現実的世界の表現手法の現実性が増したことだけであり、他は何も変わっていないのだ。そのため、最近現実味の強すぎるバーチャルリアリティが増え過ぎ、児童に悪影響を及ぼしているというような意見もあるようだが、このような話に根拠は無い。いくら非現実的世界の現実味が増しても非現実は非現実に過ぎず、映画など非現実と意図して作り上げられたものを、現実と間違える者はいない。また、仮に非現実を現実と思い込む児童がいたとしても、泣く子は攫われるという物語を子供に聞かせて泣き止ませるなど、昔からあったことで、別に新しい現象ではない。今挙げたようなバーチャルリアリティと呼ばれるものは、所詮はフィクションである。

前置きが長くなった。本当の意味での危険なバーチャルリアリティとは、非現実と意図されていないそれである。ある日、オウム真理教が東京の地下鉄でサリンを撒いたらしい。しかし、わたしがこの情報を初めて知ったのはテレビのニュースからであり、実際に自分が現場に居合わせて、その状況を目視などで確認したわけでは無いのだ。つまり、もしマスコミという情報媒体が世に存在しなければ、わたしはこの情報を知り得ず、よって知り得ない情報は現実にもなり得ない。この事件が全くの欺瞞であると言える根拠は無いので、わたしは一つの現実として受け入れたのだが、マスコミという媒体を介した情報による現実認識である以上、これは仮想現実といわざるを得ない。

今や、マスコミの情報を信じなければ、生きていけない。わたしがどれほど頑張っても、自分自身で確認して現実と認識できる量の情報は、非常に限られている。マスコミ(それに限らずインターネットなど)を介して選られる情報量は豊富であるが、やはりそれらは仮想現実に過ぎないという認識は必要だろう。それら自分で確認していない仮想現実をあたかも現実と思い込んでいる人は、少なくないと思う。それがいけないとも思わないが、そう言う人がバーチャルリアリティを批判するのは筋違いだろう。どうせ、世の中にバーチャルリアリティが氾濫しているという情報も、マスコミによって伝えられた仮想現実に過ぎないのだから。



絵描きさん
1998年9月10日(木曜日) はれ

わたしは全く絵が描けない。ここのタイトル画などは自分で作っているが、実際は適当な素材(プリント基板・三端子レギュレータ・その他)をスキャナで取り込んで、適当に色を変えたりしてみて、適当な処理をかけてみたりして、サイバーな雰囲気が出たようなら文字を書いているだけという、極めてデジタル的な手抜き作品ばかりなのだ。これで絵が描ければもっと美しいものが出来るのかも知れないが、あいにくわたしには、そのような才能は備わっていない。

しかし、絵を鑑賞するのは好きで、暇なときはCG描きのホームページを漁ることも多いし、CGに限らず、絵は大概のものは大好きである。見てるだけだと詰まらないので、真似っこでも良いから何か描きたくなるのだが、絵心の無いわたしは、模倣画すらかけないのだ。例えば、簡単な街並みを写した写真があるとする。それを実物大で良いから紙に書き写せと言われただけでも、描かれるのは歪んで訳の分からなくなったものだけ。練習して鍛えればちょっとは描けるようになるようなものなのだろうか。美しい絵をかける人には、とりわけ強い憧憬を抱いてしまう。もしかすると、それは嫉妬に近いような、意地の悪い憧れであるような気もする。

はなしはガラリと変わり、こちらのWebmasterのプリンタが故障したため、修理に出したものが、今日修理されて帰ってきた。エプソン修理センターからの「プリンタの取り扱いおよび設置についてのお願い」より何行か...

枝豆

枝豆? 何故に枝豆???

消しゴムなどの文具を突っ込んでぶっ壊してしまう人は、少なからずいると思う。一回ぐらいは枝豆を入れてしまってどうしようもなくなったブツを、修理しろと言われて預かったこともあったのだろう。風の噂によると、コンシューマー系の修理センターには、想像を絶するものが寄せられるそうだ。エレキットの修理センターに、セメダインで部品をくっつけて、動かないと送ってくる者がいるそうだ。恐い恐い。



仮面の男
1998年9月9日(水曜日) 久々にはれ

先日、映画「仮面の男」を見に行った。レオナルド・デカプリオが主演で、それも一人二役で出ている、デカプリオ三昧の映画である。デカプリオ目当てで目当てで行った方も多いのではないかと思うが、わたしはデカプリオには興味はなく、単に欧風チャンバラが好きなので見に行っただけなのだが。というわけで、ネタも無いことだし、ちょっと感想を。

んで、ハッキリ言ってタコ(笑) 没作品となる筈が、デカプリオが出たら一応売れるだろうという程度のものだと思った。話としては、女好きのどうしようもない王がいて、その王があまりにもタコなので、内緒で投獄されていた双子を連れてきて、タコ王と取り替えようというような具合だ。つーか、こんな物語、ドラゴンクエストでも思い付きそうなありそうな話なので、ぜんぜん新鮮味が無かった。最後はちゃんと計画通りに行って、目出度し目出度しで終わる。結局、デカプリオが二人分味わえればなんでも良いって人向けの映画だったのだろう。

実は、劇場へ向かう前に横浜西口の東急ハンズで買い物をしていた。ふと時計を見たら16時で、開演時刻は16時15分である。わたしはいつも自転車で行くのだが、桜木町側からだと、平沼橋を渡ったりしないと行けないし、人通りも多いので、行き難い。そこで、いつも東口の何も無いところに自転車を止めいる。西口から自転車のある東口へは、人でごった返す駅ビルなどを通っていかないといけないので、5分。チャリをぶっ飛ばして10分。家に荷物を置いて、場車道の劇場まで8分。チケットを買って中に入るので2分。予告などはみれないが、何とか間に合うはず...

ハンズの方から、駅ビルに入ろうとしたわたしの肩に何か物が当たった。感じからすると、かなり先の鋭いもので、鞄などがぶつかった様子ではない。まあ、混んでるのだし、わたしも急いでいたので、仕方がないかと納得して、場を去ろうかとしたその時。「署名をお願いします...」と、後ろから聞こえてきた。何かと思って振り返ると、変なニィチャンがクリップボードを持って立っていたのだ。さっき、わたしの肩に思いっきりぶつかったのは、そのクリップボードであった。

普通なら丁寧にお断りして去るところだが、ぶつかっておいてから、涼しい顔をして署名をお願いするとは、全く非常識な奴だ。これは教育的指導を行わねば、と思って「当たったら謝れコラ」と怒鳴ってみる。んが、よく見ると、そいつは秋葉原でチラシを配っているオウム信者のような、如何にも駄目野郎〜っていう雰囲気を漂わせている、ひ弱そうな奴だったのだ。わたしが彼を怒鳴るのには正当な理由があったのだが、どぎつい関西弁で怒鳴りながらクリップボードを突き返しているわたしを、通行人から見れば、何の罪もなく署名運動をしている気の弱そうなニィチャンを苛めている、悪人にしか見えない。

そういう視線を感じて、わたしは諦めて立ち去ったのだった。



[特別連載・オカン列伝] 最終話・被害妄想
1998年9月8日(火曜日) くもり☆

うちのオカンほど被害妄想の強い人間を、わたしは今まで一度も目の当たりにした事が無い。今までくどくどと書いてきたことの原点は、全て被害妄想という概念にあり、被害妄想というたった一つの観念に還元できると断言しても差し支えはないだろう。オカンは、まるで自分が史上最大にして不幸な人間だと思い込んでいるかのようなのだ。尤も、それはオカンの思い込みに過ぎず、客観的な事実ではない。もとより、客観的な不幸など、ありはしないのだから。

今までの話をもう一度整理してみよう。

  • 健康至上主義であり、宗教的健康番組の信者である。
  • マザコンであり、絶えず助けが必要だと思っている。
  • 自分は虚弱体質だと思い込み、病院中毒である。

このような点を踏まえると、オカンの傾向はすべて「被害妄想」の一言でで説明がつく。例えば、虚弱体質妄想と健康至上主義や病院中毒は、被害妄想とそれを補おうとする行為が、表裏一体として現れていると考えることが出来る。実際の体調はどうであれ、自分は身体が弱く不健康だと思い込んでいるオカンなら、例え根拠が曖昧でもそれらしければ変な健康術にも手を出したくなるだろうし、それを意欲的に教えてくれる人物などが現れれば、拝みたくなるのは当然だろう。生き方に疑問を感じたり、訳も分からず難病に苦しめられている人々が、それら疑問に対して数々の答えを提供してくれる宗教に嵌まる現象と、同じだと思う。

マザコンについても同じで、オカンの場合は自分はか弱く、一人では何も出来ないという被害妄想が原点にあると、わたしは考えている。ここで現れた頼れる人間はオカンのオカン、つまりはババァだ。そのババァはババァで過度な世話をするものだから、オカンは更に頼ることになってしまい、これが悪循環となり、結果的にオカンのマザコン化は更に悪化してしまう。ユングなど、心理学者が言うマザーコンプレックスとは説が違うと思うが、オカンの場合はこんなところだろうと思っている。

話を更に還元してみると、オカンの被害妄想は、激しい劣等感から生まれているものだと思う。自分が他人より劣っていると(潜在的にでも)思い込んでいる者は、しばしば激しい被害妄想に駆られるものなのだが、まさにそれだろう。わたし自身の経験も踏まえての話だが、自分が駄目な奴だと思い込んでしまうと、世の中全てが面白くなり、なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのかという被害妄想に転じてしまう。以下は、オカンの被害妄想に関するわたしの考察だ。

これは今まで書いてきた話と全く矛盾するように聞こえるかも知れないが、オカンがかなり激しい優越感に浸っているのは、明らかだ。オカンは(序でをいうとババァも)、自分は他のその辺の、オバハンと称される主婦等よりも一段優れていると明言しており、それは優越感に浸っていることの動かぬ証拠である。しかし実際は、オカンとその辺のオバハンに差異は無い。オカンも50歳前の主婦で、ケチで、おもいっきりテレビを見ていて、鬼瓦に化粧を塗ったような、典型的な普通のオバハンに他ならないのである。

なのに、オカンが他のオバハンどもを区別して、更に優越感を持つに至ったのは、激しい劣等感を潜在的に抱いているからであると考えるしかない。劣等感(インフェリオリティーコンプレックス)を持つ人間は、それを補完する、あるいは覆い隠すために、自分は他者よりも優れていると考える(シュペリオリティーコンプレックス)。オカンの場合はまさにそれで、優越感と劣等感が表裏一体として現れ、更に劣等感が被害妄想に繋がっているのだと、わたしは考えている。オカンは、コンプレックスの塊である。

オカン列伝・終わり



[特別連載・オカン列伝] 第四話・病院中毒
1998年9月7日(月曜日) あめ

病院といえば、出来れば行きたくないような場所だが、オカンはどう言う訳だか病院が大好きなのだ。本人は「出来れば私だって行きたくない」と話してはいるのだが、何か理由をつけてはしょっちゅう病院へ足を運んでいる様を拝めば、オカンは病院中毒であるという結論以外は出し得ないだろう。わたしは、以前に書いたと思うが、医者という存在が大嫌いで、そのため滅多なことでは病院へは行かない。ゆえ、オカンの病院中毒には理解し難いものがあるのだ。

本人曰く、オカンは元から身体が弱いらしい。そのせいか、普段から病気妄想的で、しばしば適当な理由を付けては身体の不調を訴えるのだ。昔はまだ良かったのだが、これが更にエスカレートしたのは、比較的大きな手術をしてからのこと。確かに、身体にメスを入れられたら、身体にガタが発生するであろうことは否定できことだし、無理をしてでも元気を装えと言うほど、わたしは鬼ではない。ところが、オカンの場合は「病人=弱き人」の意味を少々履き違えているのである。

いくら病人と言えど、一定の期間を過ぎたらいつまでも甘えてもらう訳にはいかない。その後も周りの人間の労りや自愛が不可欠だとしても、ある程度体調が回復すれば、自分が傷物であるという事実を吹き飛ばすぐらいの前向きさを持つべきだというのがわたしの考えなのだが、オカンの場合はそれとは裏腹、体調を崩したと言っては自分が大手術をした弱い存在だと言い訳し、いつまでもダラダラと病人のつもりでいるのである。尤も、本当に手術の後遺症に苦しんでいるのかも知れないのだが、オカンのネガティブな意識には大いに問題がある。

そして、その為なのか、それとも他にも理由があるのか、オカンは非常に些細なことでも病院へ足を運びたがる。寝てれば治るような風邪など、病院へ行ったところで「風邪ですね、暫く休んで下さい」と言われて風薬を処方されて終わるだけで、病院へ行くのに必要な体力を鑑みれば、家で寝てる方が余程ましではないかと思うのだが。それでも、オカンは病院へ行く。自分は弱いからという思い込みを大前提とし、風邪は万病の元であり、自然治癒に任せることは現代医療に背く行為であり、ちょっとした風邪でも直ぐに医者へ行って薬を飲まなければ、大変なことになると主張する。とにかく、ネガティブなのだ。それも、お薬万能主義者なのか、自分の身体が訳の分からない薬物漬けにされることにも、あまり疑問を感じてないようだ。

わたしはというと、医者はお客様であるはずの患者に対して威張り過ぎであり、接客業の基本すら出来ていない愚か者が、客に足労を煩わせ、おまけに金を支払わすとは消費者を完全に馬鹿にしており、どうせ99%の医者はヤブに決っているという、歪曲した意識を持っている人間だ。尤も、これは悪い面を針小棒大に強調しただけで、お前は知らないところには良い医者も多く居るという意見もあろうが、またそれは事実だと思うが、不運なことにもわたしは今まで救いようの無いようなタコ医者にばかり遭遇しているので、いい加減に懲りたというのが正直なところだ。それに、「待つ」ことが生理的に駄目なわたしは、必ず待たされると言って間違い無い病院へ行くだけで、不健康になりそうだ。

という訳で、わたしが風邪をひいて仕事などを休んだりすると、オカンの猛烈な「病院へ行きなさい攻撃」が始まるのだ。基本的に医療否定主義者であるわたしは、薬も飲まずに家で寝て治そうとするのだが、お薬病院万能で病院万能主義者のオカンにはそれがとにかく気に入らないようで、うるさく医師の診断と風薬の服用を促す。もちろん却下されるだけだが、ただでさえ憂鬱な気分なのにうるさくて更に憂鬱にさせ、かえってわたしの健康を害していることに気付いて欲しいものである。(弟も同じ攻撃に遭うのだが、素直な弟は口元にちょっとオデキみたいなもので病院に連れて行かれてるし...)

次回予告:被害妄想



[特別連載・オカン列伝] 第三話・オカンはマザコン
1998年9月6日(日曜日) くもり

うちのオカンは、はっきり言ってマザコンなのだ。何事も自分で決められず、その度に母親(わたしから言えば、祖母)に相談をする人なのである。そしてその祖母もまた、オカンのようなどうしようもないマザコンを育てた人間で、オカン同様に無視できない困った存在なのだ。二児の母親がそんなことで恥ずかしくないのか、とわたしは思うのだが、本人にはその自覚が無いらしく、本当にどうしようもない。もっとも、マザコンでもパソコンでも、当人だけが勝手にやってるだけならこれと言った実害はないのだが、オカンは害ありまくりである。

わたしの親父は単身赴任で別のところで暮らしているため、かつて実家にはオカンと、わたしと弟の3人しかしかいなかったのだ(今はわたしが出奔したので、オカンと弟の2人で住んでると思うが)。しかし、オカンは重度のマザコンであり、何事も自分で決められない質なので一人で家を切り盛りするには器が小さすぎる。そこで、オカンがババァにお願いをしたからなのか、それともババァが進んで申し出たからのか、その辺の動機は定かではないのだが、ババァが「オカン補助役」として、実家に住み込むことになったのだ。

旦那が居なくて、女一人で心細いのは理解できることだが、実家もババァの家も同じ市内にあり、直ぐに行き来できるのだし、何かあったら電話をもある。わたしには、住み込んでまでババァが手伝いに来なければならない必然性は全く無いと思えるのだが、極度のマザコンオカンにとっては、住み込みババァは必要不可欠な存在だったのだろう。そうして、煩いのが二人も家の中に常駐することになったのだ。昨日書いたような迷惑な女が家に二人もいるのだから、その鬱陶しさたるや、言葉で説明できるようなものではない。女は一人では大したパワーはなくても、集団になると累乗的にパワーを増すもので、極めて鬱陶しい。「姦しい」という漢字が、それを良く表しているのではなかろうか。

オカンとババァが一緒になった時の行動パターンは決っており、あーでもないこーでもないとネチネチ相談した後、ダラダラと二人で行動を始めるのだ。例えば、わたしに健康的な生活を促す時の会話を挙げてみよう。昼頃起きてきたわたしに対して、以下のような具合で攻撃がはじまる。

「いま何時やと思てんの?」と、オカンではなく、まずはババァが切り出す。
「人間は朝になったら起きるもんやろ」ついで、オカンは適当な理屈を入れてみる。
「何時に起きようと勝手やろ」わたしが反論しようものなら、
「何言うてんねん、人間は規則的な生活を云々...」と、ババァの説教が全開する。
「そうやで、本当にわかってんのか?」念押しするのは、決ってオカンである。
その有り様は、漫才の説教バージョンと言えば分かりやすいだろうか。オール阪神巨人が良い例だと思うが、オール巨人の「近所に煩いオバハンがおりましてな、このオバハンがまた人の噂ばっかりしよるんですわ」という発言に対し、オール阪神が「そうなんですわ」と一言付け加えているような調子を想像して頂きたい。漫才で、間を作らないために行われていると思われる術が説教に持ち出されるのだから、堪ったものじゃない。

また、わたしは中学校にはあまり行っていなかったので、担任が家庭訪問してくることが何度か有った。そんな時も、担任とお喋りするのはオカンではなく、ババァが主役なのだ。肝心の親である筈のオカンはただ傍観するだけなので、担任も呆れていたものだ。一度、「ババァの出る幕ではないから、すっこんでろ」みたいなことを言ったのだが、「お前のため思ってやってるのに」とか何とか、どうにもならなかった。卒業後に担任と会ったとき、「あのババァ、どうなったの?」なんて聞いてたから、担任もよほど困っていたに違いない。

結局、オカンがマザコン → ババァが助ける → オカン更にマザコン化 → ババァ更に助ける...という悪循環に陥ってしまい、わたしはババァをマジで追い出した。お前は他人であり、もう関わるな、荷物まとめてとっとと出て行け! というぐらいキツイことを言って追い出しには成功したのだが、双方ともまだ懲りてないようで、オカンの無意味な電話相談やババァの家庭訪問は未だ続いている。断っておくが、当人は可愛い孫のためを思ってやっていたようで、追い出されたショックは、当然大きかったようである。祖母不幸者だと言われるかもしれないが、しかし、それはババァの主観だけにおいてのことあり、ババァの思い込みでしかない。

次回予告:病院中毒



[特別連載・オカン列伝] 第二話・オカンとオウム真理教
1998年9月5日(土曜日) はれ/薄曇り

オカンの「長寿健康至上主義」の主な情報源は、みのもんた率いる「おもいっきりテレビ」なのだ。わたしはこの番組に対しては前々から疑問を感じているのだが、相変わらず、雨の日も風の日も、何が健康だの何が不健康だの、特集しているようだ。わたしも何度か見たことがあるのだが、その内容は本当にどうでも良いようなことばかりなのである。何々を食うと、身体のどこそこに良いとか言っているが、はっきり言って普通に生活していれば、人間は何の問題もなく生きられる。特殊なことをしなくても、日本人は十分長寿で、健康的だと思うのだが。

そういう低レベルな話を、無謬の真理として信じ込んでいるオカンは、タチが悪い。もしわたしが、「そんなことどうでもええやん」と否定しようものなら、お前は考えが浅いから、お前は何も分かってないから、という具合に来るので、埒が開かない。そして、オカンも情報源のレベルの低さを潜在的には認知しているためか、出展がみのもんたであることは、認めたがらない。「おもいっきりテレビで見たんでしょ」と突っ込むと、かなりヒステリックに否定するのだ。人間は図星を指されると、肯定する場合は開き直り、否定する場合は頑なに否定するものだが、典型的な事例であろう。

その証拠として、みのもんたの発言により、ココアが陳列棚から消滅した事件に、うちの親も事件に荷担していたところを、わたしはバッチリと見てしまった。みのもんたが「健康に良く、痩せる」と発言してココアが馬鹿売れしているという話を聞いた日、家の食品庫を開けたら、案の定、今まで見たことも無かったココア粉末が何袋か置いてあったのだ。「また、みのもんたの影響?」と尋ねると、やたらとヒステリックに否定するので、これは図星である。ココアなら今までも家にあったというような苦し紛れの言い訳をしたのを覚えているが、それとは別に大量のココアを買い込んでいる様を、偶然で片付ける訳にはいくまい。

思うのだが、おもいっきりテレビは、主婦向きの宗教組織と言えなくはないだろうか? 麻原教祖を中心とするオウム真理教と、これまた上手く比較できるのだ。みのもんたは、普通に考えればただのイヤミなオッサンであり、信者以外が見たオウム真理教の麻原と本質的に変わりはない。しかし、信者から見れば、その人の人柄や主義主張は問題では無くなり、絶対不可侵の教祖となるわけである。おもいっきり教団のみのもんた教祖は、主に専業主婦をその信者とし、長寿と健康に関しる教えを連日のように説き、洗脳している。もちろんそれは宗教の教えであり、教えは絶対的なものだから、いくら下らないような内容でも信者、つまり主婦は信じるわけだ。

オウム真理教では、空中浮揚とか米軍がサリンを撒いてるとか(今更書くと懐かしいが)、部外者にはどだい信じようのないような教えを平気で説き、また信者はそれを平気で信じているわけだが、わたしに言わせれば、おもいっきりテレビとその視聴者の関係も同じようなものである。そのため、傍目で見れば話は的を外しているし、またそれを否定するような発言は反逆者扱いとなる。みのもんたがココアを買えと一声かければ、オカンは品薄なココアを探しに走る苦労も厭わないのだ。だが、これは綺麗になりたいという主婦の潜在的な欲望に漬け込んだ詐欺であり、やはりインチキ宗教と同質である。わたしのオカンは、オウム関連のニュースを聞いて散々馬鹿にしていたが、皮肉なものだ。

次回予告:オカンはマザコン



[特別連載・オカン列伝] 第一話・迷惑な健康至上主義
1998年9月4日(金曜日) くもり/微妙に晴れ

わたしのオカンは、ちょっとお嬢様育ちだが、それこそどこにでもいるような普通の専業主婦だと思う。そんなフツーの人の話をフツーに書きたてたところで面白いことは何も無いのだが、多事毒論的に「オバチャン」という概念を解明するには、ちょうど良い材料ではなかろうか。

オカンは「健康で長生き至上主義」ってやつで、ちょっと不健康でも適当に楽しくやって、適当に死ねれば良いやと考えているわたしとは、まるで正反対の考えを持つ人だ。わたしは何れが良いとか悪いとかを甲乙つけようと言う気はなく、おのおのが良いと決めたやり方でやれば良いと思うのだが、どうもオカンにはそのような考えが無いらしく、自分が一番正しいと思っている。そして、あまり健康に気を遣わないわたしを、健康で長生き至上主義なオカンから見れば、それはもう許し難い生活習慣に見えるらしい。

それだけのことなら何の迷惑も無いのだが、困ったことに、オカンは何々すると健康にいいから毎日実行しろだの、何々を食うと身体に良いから食えだの、健康術をあれだこれだと強要してくるのだ。それは息子に対する愛情だと言われれば、確かにそうなのかも知れないが、やりたくも無い健康術を次から次へと強要されるわたしに言わせれば、本当に迷惑この上ないことなのである。

それも、根拠がはっきりとしていればまだ良いのだが、主な情報源はお昼過ぎに放送されている、みのもんたが出ているテレビ番組のようで、それからしてかなり怪しい。わたしもあの番組を何度か拝見したことがあるのだが、何々が健康的であるとか、そうでないとか、よく毎日毎日そういう話題ばかりでネタが尽きないものだと、逆に感心してしまうのだが、オカンは信じて疑わないようだ。ま、このように、オカンの健康術といってもその程度のものなので、本人が勝手に信じることは構わないが、人にそんなものを教え込むことは是非ともやめて頂きたいものだ。(つづく)

次回予告:オカンとオウム真理教



煙草
1998年9月3日(木曜日) くもり

煙草の箱を眺めていて、ちょっと気になった。

タール○○mg、ニコチン○○mgという表示があるのだが、これは、何をどういう条件で計ったときに、この値になると言っているのだろう? もし仮に身体によって吸収される量をいっているのなら、同じ煙草一本でも、吸う人によって、身体によって吸収される量は変わってくるはずだ。スパスパと忙しなく吸う人もいれば、ゆっくりと燃やしながら吸う人もいるだろうし、吸った煙をじっくりと味わう人もいれば、すぐに吐き出す人もいるだろう。多分だが、深く吸った方が、タールやニコチンが肺臓によって吸収される量は多いと思う。

あるいは、ある特定の条件(吸引流量、温度など)で抽出した特定の量の煙の中に含まれる、絶対量を言っているのかも知れない。吸収量なんかを問題にしていてはばらつきがあり過ぎるので、何となくこちらの方が正しそうだが、それでもどういう条件で計ったものなのか、ちょっと気になる。それに、例えば同じ1mg煙草でも、ストローの如く薄いものもあれば、それなりに味のする1mgもある。これらの差異は、タールとニコチンの量だけで決るわけではないと思わないが、その辺も興味のあるところだ(フィルターとかを工夫するらしい?)。

というわけで、JTのホームページへ行ってみて、そういう話がないかどうか探してみたのだが、見付からなかった。典型的な、何がどこに書いてあるかよくわからない、企業系のサイトってやつだ。インデックスから、ほぼ全てのページが見られるようになってる突撃を見習って欲しいな>多くの企業系サイト。

# というわけで、誰か教えてくれたら嬉しいな。



アクセスのバグ
1998年9月2日(水曜日) くもり/はれ

飯を食ってから家に帰って...すぐに寝てしまって...起きたら午前3時前。中途半端な時間に起きてしまった割には、眠気がすっ飛んでしまったので、毒論ネタでも書くことにする。昨日は寝不足だったのだ。昨日組み上げたマシン、マトモに動くようになるまで結構苦労した。どうもビデオカードがおかしいようで、何か操作をするために、画面が乱れて、原因不明のハングアップを起こしてしまう。直感から、どうもビデオカードが標準VGAのドライバを気に入ってくれないと判断し、早速専用のドライバを入れようとしたのだが、その間にも落ちるわ落ちるわ。何度かリセットしながら運良くインストールを完了し、案の定、ちゃんと動くようになった。S3のビデオカード、どうも変な癖があるようだ。

昨日、ここに書いたMSアクセスのバグの話。何件かお問い合わせをいただいたので書いておくが、ニュースソースはここや、ここなどである。他のサイトでも話題になっているようだが、わたしは意外と?PCギョーカイの最新ニュースからは疎いので、それ以上の詳しい話は良く分からない。普段はあまり読まないのだが、中村正三郎氏のホットコーナーでも話題になっている。他にアクセスを叩いているサイトを探していたら、MS ACCESS 95/97 の美しいソート順っていうのを発見した。これ、笑えます。

さーて、これから朝まで眠りにつけるかなあ。



もう秋か...
1998年9月1日(火曜日) くもり/はれ

今日から九月...気温も下がり、かなり秋らしくなってきた。わたしの場合、秋は思い出の季節なのだ。こんなわたしにも、一応思い出ってものはある。なぜか、印象的な出来事が秋に集中しているので、毎年秋だなと初めて感じる日には、色々な記憶が頭を過ぎるのだ。空を見ながら、ちょっとブルーな気分になると、あんなことやこんなこともあったっけ、なーんてね。そういう出来事には、その場に居合わせた自分が、どういう訳か恥ずかしく感じたことなどが多い。何故だろう、何故あの時ああ思ったのだろうと今になって自己分析とかしてみるのだが、良く分からないことが殆どだ。

話はガラリと変わり、今これを書いている傍らで、別のマシンにWindows95をインストールしている。そういえば、マイクロソフトって、いつからこんなにタコな製品ばかりを作るようになったのだろう? 少し前まで、DOSとWindows3.1を使っていた時には、わたしは今ほど反MSではなかった。DOSはDOSでよく出来ていると思っていたし、Windows3.1もわたしのところではそれなりに安定して使えていたので、嫌いではなかった。今は悪い噂しか聞かないサポートも、割と親切だったと思う。(ディスクが1.44MBのものを買うつもりが、間違えて1.2MBを買ってしまい、サポートに電話したら、直ぐに無料で新しいのを送ってくれた)

それから、486-DX4 66MHzというどうしようもないマシンをPentium-166MHzに買い換え、WindowsNT4を入れてから、段々とMSが嫌いになってきた。原因不明のエラーが多く出、それを修正しようにも出来ず、再インストールを繰り返せば、MS製品の品質が疑わしくなってくる。まあ、NTはクライアントOSとしてはそれなりにまともなOSだったと思うが、FreeBSDなんかと比べると、まだまだ意味不明な現象に悩まされることが多い。マルチタスク、マルチユーザー、ネットワーク、そういう概念に乗り出した時、MSは駄目になったのかもしれない。

最近、Accessに重大な欠陥が見付かったという。というよりは、以前から発覚していたのかも知れないが、最近になってやっとMSが認めたということだけなのかも知れない。あるレコードを操作すると、別のレコードが書き換わってしまうという問題だが、実は、このバグは以前からわたしも確認していたのだ。わたしが扱っているのは、比較的小規模なデータベースだが、そんなもので発生するぐらいなのだから、もっと大きなシステムではかなり多く問題が出ていたのではないだろうか...と考えれば、ちょっと恐ろしい。