多事毒論(1999年10月分)


サボったりして
1999年10月31日(日曜日) はれ/くもり

久しぶりに更新をサボってしまった...どうしても、年中無休にはできないらしい。過去のサボり方を統計的に見ると、何故か月末の土日にサボった日が多い気がする。土日にサボるところには、それなりの理由がある。平日は、それなりに規則正しい生活をしているので、ここの執筆も規則の一部に組み込まれてしまっているのだが、ふしだらなわたしは、仕事が無いとなると瞬く間に生活が乱れるから、どうも普段やっていることが、できなくなるらしい。

自動車教習所に通い初めて、はや1ヶ月半以上が経つのであるが、11月中には終わるのではないかと思う。仕事の合間を縫って行っている割には、そこそこ良いペースだろう。真面目なわたしは、サボらずちゃんと通っているのだ(え、ふしだらじゃなかったの?)。昨日と今日は方向変換に縦列駐車。バックは好きじゃないが、目印でやってのければ楽勝だ。俗に言う、目印教習...目印による検定合格だけを目的とした教習に何の意味があるのかという批判もあるらしく、最近は慎む傾向にあるらしい。

まあ、確かにそうだろう。目印が分からないと、縦列駐車ができません...では、実務の役には立たない。かといって、検定は依然として避けては通れないし、わたしのように車両感覚の鈍い人間もいる。こういう向きの時にあそこへ持っていきたいのなら、どこで右に何ラジアン切れ、などと理詰めで言われても、それは無茶というもの。そんなトレードオフからか、S字やクランクは目印を使わずに感覚で。縦列駐車は、理屈+目印で、分からない場合は、降りてどこに車がいるか見ろっていう調子だ。

それは良いとして、次回から自主経路なんてものが始まる...出発点と目的地だけ設定してやるから、あとはテメェで地図を見て経路を決めて走れというもの。極めて遂行困難な要求だ。周辺地理に明るい人なら良いが、わたしは横浜に住み着いてから、まだ1年半余り。地理感覚も薄いし、道路網も良く頭に入っていないし、自宅の周辺以外は地名と場所が一致しない。あまつさえ、横浜の市内の道路は、都市部にしてはやたらと入り組んでおり、計画性の無い道路整備が如実に伺える場所ときた。嫌だ嫌だ。



ガサ?
1999年10月29日(金曜日) はれ

今朝、忘れ物をしたため自宅に戻ろうとして非常階段を登っていた。家は、ビルの5階にあるので、階段から5階フロアへと続く扉をくぐってビルの中に入るのだが...4階と5階の間にある踊り場に差し掛かったところで、非常に人相が悪くて体格の良い中年男性が、その扉の通行を妨害していることに気が付いた。何が気に入らなかったのかは本人に聞いてみないと分からないが、踊り場で少し躊躇したわたしを、階段の上から鋭い視線で睨み付けている。なんなんだ、一体。何が起きている?

視線でそこを通るのだと主張するも、男性は退こうともしない。退かないのなら強行突破しかない。残りの階段を登り、そしてやや強引に扉を開く。そして、次の瞬間、予想もし得ない光景が目に飛び込んだ。そこには、扉の前に突っ立っていた男性に勝るとも劣らない柄の悪さを漂わす男性が約10名。厳つい身体に着こなしの悪い背広を纏った彼らの視線が、一斉に自分へと降り注いだ。あろう事か、その内の一人は、自宅から2軒隣にある部屋の鍵をピックでこじ開けようとしている。異様な現場だ。

泥棒? いや、常識的に考えて、白昼堂々このような大所帯を引き連れて空き巣などするわけが無い。明らかに、彼らはそういった類の人間を取り締まる仕事をしている方々だ。だが、鍵をこじ開けてまでガサに入るというのか? 多少の疑問は残るものの、近所で何が起きていようが知ったことではない。絶妙のタイミングで素晴らしい現場に足を踏み入れてしまった自分を、誉めるべきなのか恨むべきなのか。とにかく、おっかない視線が矢のように飛び交う廊下を抜けて、自宅まで辿り着かねばならない。

まず、どうやって通るか考える。さすがはその筋のプロ。現場を一瞥すると、計算しつくしたとしか思えないぐらい、そりゃもう凄く邪魔なポジションで、それぞれがスタンバっている。この場において、気を遣って通り道を譲ってあげようという優しい心に期待するのは、大きな過ち。やはり、結局は強行突破で...厳ついオジサン達をすり抜けるようにして自宅まで。そして、外に出るときもまた同じように、尋常ではないオーラを帯びたオジサン達の間をすり抜けてゆき。事なきを得た(当たり前)。

さらに、建物の周辺にも「それ」と分かる人が数名。ビル裏にあるコイン駐車場には、「それ」らしいアンテナを立てた車が一台。駐車したのに、いつまでも人が乗っている...つまりは、張り込みだ。そして、お昼頃。ビルの表側に出てみると、ここにも「それ」の関係者であることが明白な人物が数名、ウロウロとしている。しかし、何を間違うと、ああ言う風に柄が悪くなってしまうのか? 似合わない背広とか、ダサイとしか言いようのないジャンパ姿とか。そんな格好で張り込んでいれば、バレバレだ。

気になるのは、2軒隣の部屋で何があったかだが...真相は不明。



胸が?
1999年10月28日(木曜日) はれ

昨日の大雨が今日の天候悪化を予感させたが、それに反して横浜は快晴であった一日。こんなことなら、蓄積している洗濯物でも処理すべきだった。ついでに、身体の調子もあまり芳しくない。身体の節々がどうも疼き、肺癌か肺結核でも患ったのか、大きく息を吸うとズキっとした痛みが胸を襲う。ついでに不整脈と思しき動悸も認められ、死期が間近に迫ったことを分かりやすく示唆する素晴らしい健康状態だ。年始に、今年こそ死ぬと大胆な予言をした覚えがあるのだが、意外と的中したりして。

まあ良いだろう。人生を駆け抜けていかなかった負け犬として、ポックリと逝くのも悪くない。大方どんな過酷な状況にも負けずに堪え忍び、最後には王水という激流の中で耐えかね、テトラクロロ金酸となり呑まれてゆく金を想像させるような熱い最期よりも、適当なところで戦い敗れて、誰にも看取られず忘れ去られてしまう、微塵の華麗さも無い死に方の方が、なるほど、美しいではないか。書き方が悪くて、何が言いたいのか自分でもさっぱり理解できないのだが、まあそんなところだ。

それはそうと、これは仕事柄なのか何なのか、わたしがやっている仕事は随分と場所を食う。常時、事務机を三つ占用し、それでも足りないことが多いので喫茶店に置いてあるような丸いテーブルを補助的に使っている。しかし、今度はそれでもまだ足りなくなったので、人の迷惑顧みず向かいに置いてある机も半分ぐらい占拠しているこの頃。極端に整理が悪いわけでも無いのだが、測定器などを積むとそのぐらいになる。それでも、作業スペースは大してないから、電気屋とは場所を食う職業だ。

あまつさえ通路にも、PC2台と測定器が通行を邪魔する形で居座っており、腰の細いわたしでも辛うじて通過できる隙間しかなく、ケツのポケットに財布が入っているともう通れない。自分の作業スペースを外から眺める、立て籠もり事件現場のバリケードを想像させるような要塞的雰囲気。内側から見れば、マッドサイエンティストの研究所って感じかな。ボサボサ頭で、袖は変色し、裾には薬品で溶かされたとしか思えない穴が空いた白衣でも着て座っていれば、安っぽい特撮のワンシーンにはなるかも知れない。



コーヒーガム
1999年10月27日(水曜日) あめ+大雨

近所のスーパーで、「コーヒーガム」なるものを発見した。いつまでも噛まなければならない面倒くささ故、普段はガムを噛まない方だが、つい懐かしくなって買ってしまう。ガキの頃は、どこででも売られていたコーヒーガム。さっぱり見かけなくなったのは、いつの頃だろうか。一説によれば、缶コーヒーの人気上昇とともにコーヒーガムの売れ行きが鈍くなり、製造をうち切ったらしい。真相の程、というほどの話でもないが、メジャな商品が突如棚から消滅する背後には、何か意外な原因があるのかも。

コーヒーガムはともかく、いつも買っている商品が店の棚から消えると「何故?」の一言が頭を過ぎる。自分がいつも買っているというだけの主観に過ぎないマイブームと、世の中の趨勢との間には必ず大なり小なりの齟齬が存在しているはずであるが、なかなか気付くものでもない。世の中が少しでも、そんなものはダサくて、今はもっと良いものがあるという流れに傾けば、もはや固着は単なる懐古趣味という烙印を押されんばかりの勢いで、店の棚は入れ替わってゆく。

コンビニなどは、特にその傾向が強いと思う。時々買うことのある弁当類など、「幕の内」みたいなオーソドックスな品目を除くと、何ヶ月も続く商品はそう多く無い。これ美味しいから次も買おう...なんて考えて翌月同じ店に赴くと、その棚にには別の弁当が積んであったりする。どちらかというと、新商品に挑戦するよりも失敗のない選択を優先する方だから、困ると言えば困るのだ。だが、コンビニ依存型の生活をしている人間だと、メニューにある程度の遷移が無いと飽きられてしまうのかも知れない。

そんな事実から垣間見えるものは、コンビニ棚面積を取り合う壮絶なバトルが日々繰り広げられているという話の信憑性か。売れないものは有無を言わさず排除し、売れる物だけを置く。それはそれで理に適っているのだが...不明な食い物にはなるべく挑戦せず、安全性の確かめられたものにしか手を出さない。旅先でも全国共通の「吉野家」を発見すると安堵を覚えるという、わたしのようなジジィ臭い購買感覚しかない者に取っては、もう少し商品サイクルが遅くなってくれると助かるのだが。



ばう
1999年10月26日(火曜日) はれ

電話を新しくしたことが原因なのかどうかは分からないが、家に帰ってからメシを食っているとき以外、電話ばっかり。自分で書いたソフトがコアを吐くというので、そのデバッグを引き受けるも、やろうとしたら、じゃんじゃんかかってくる電話に阻まれて出来ず。老若男女問わず、取り立てて急を要さない連絡は大抵メールで来るから珍しいことだ。そのうち、一件はマンションの営業。前に断ったにも関わらず、同じヤツから同一の内容。煩いので罵声を浴びせたが、それでも懲りないで話を繋ごうとする辺りは流石だ。

懲りないと言えば、職場にしょっちゅうかかってきていた光通信だろうか。断っても断っても、また暫くすると同じような営業の電話がかかってくる。末期には、「ひか..」と言い終わるか否かのタイミングで「あのねぇ、」と説教を始められるまでに慣れてしまったり。それが功を奏したのか何なのか、最近はかかってこないようだが、そう簡単に営業リストから除外されるとは考えにくい。そもそも、あそこには除外という概念が存在していないような気がする。

用事の電話と、営業の電話は喋りだしの雰囲気で大抵は判別できるものだ。仕事の電話なら、事務的に早々と用件を言い始めるが、営業関係は妙に愛想が良くて馴れ馴れしい上、ゆっくりと喋るヤツが殆どだ。統一マニュアルでも存在しているのだろうか。誰もが同じような味を出している辺りが不思議である。何か作業したり考えたりしている最中、電話が鳴り、やっていることを中断してまで出てみたものの。「わたくし○○の△△と申しますが...」と、やたら勿体を付けたような調子でやられると、まあ癪に障ること。



PHSを買う
1999年10月25日(月曜日) はれ

自宅のコードレス電話をPHS化した話は以前に書いたが、子機がもう一つ欲しくなった。公衆契約されている端末を子機登録してあるのだが、普段から外へ持っていく電話機は、外出先から帰ってきて鞄の中に入れたままになっていたりすることが多い。そのため、家の電話が鳴ったときに少し困ることがある。子機専用端末が一つあっても良いだろうということで、Yahoo Auctions を除いてみた。おー、端末を売りたいという人は、けっこういる。

結果的に、シャープ製のアステル端末を1600円+送料で落札した。もちろん、アステルとの契約はされていない灰ロムの品だ。灰ロム...業界用語かも知れないので一応説明しておくと、内部に電話番号などが書かれた状態のまま、事業者との契約が解約された端末を「灰ロム」という。また、契約されている端末を「黒ロム」と呼び、契約前の端末で電話番号が登録されていない、若しくは一度以上契約して電話番号を書かれたが、解約時に消されたものを「白ロム」と呼んだりする。

それはそうと、前出の Yahoo Auctions を彷徨いてみると、まぁありとあらゆるものが出品されていて面白い。つい欲しくなってしまうと制動機が効かなくなる方は行かない方が良いかも...わたしが買ったような電話の端末も掃いて捨てるほどあるし、変わり種では秋月電子のキットシリーズとかも見付けた。中には、何を間違うとそんなものが売るほど余るのだろうと、思わず首を傾げてしまうようなものもあったりして。買う気は無くても、暇つぶしには面白い。



寒い
1999年10月24日(日曜日) はれ

最近、多事毒論とか他にも色んな文を毎日打っている(ある意味、過酷な条件下で使われている)キーボードのチャタリングが激しい。キーは1回だけ押したはずのに、同じ文字が三つぐらい出てきたりする。キー接点不良が主たる原因であることは明らかだが、それと同時に手の震えが相乗効果をもたらしているようだ。早くも10月半ばから、寒くて手が凍えているわたしの冷え性は、ちょっとやそこらでは治らない。夏場は幾ら暑くても耐えられるのだが、冬だけは耐えられない。

別の意味で寒い...と感じるものは色々とある。最近、朝日新聞の紙面に「砂上の神話」なんていう連載が掲載されているのだが、けっこう寒い。新幹線の相次ぐコンクリート落下事故などを取り上げて、新幹線の安全性が如何に脆いものかということを分かりやすくまとめてあるのだが、そこまでは良い。じゃ何が寒いか? 「砂上の神話」なんていうタイトルからも分かる通り、「俺達は絶対安全の神話を信じていたのにぃ」という立場が思いっきり出ているところだ。

見方によっては「安全神話に騙された、だから被害者だ」と読むこともできる。だが、同時に「アホやねん、騙された私がアホやねんっ」というレベルの低さを宣伝していることでもある。世の中が安全ではないというコンセンサスは、かなり以前から形成されつつあったと理解していたところに、いまさらながら神話の欺瞞性を暴露するのが目的で書かれた記事を見せられると、少し寒いものがある。と、ここで桂銀淑の大阪暮色に連想した人は...流石に居ないだろうな。

以前にも書いたが、山あり谷あり、大雨あり地震あり台風ありの、どう考えても高速鉄道には適さない土地を強引に加工して線路を建設し、その上を生身の人間が時速数百キロで移動するのである。そう考えると、こういう環境で事故が起きないという方がおかしいという気がするのだ。時には、コンクリートの塊が落ちてきたり、法面が雨で崩れたり、あるいはもっと煽情的な「予想外」が起きても不思議ではないと思う。というか、予想外だから事故なんだけど。



小さく作る
1999年10月23日(土曜日) はれ

はんだ付けをしていたら、夜中になっていた。気が付けば、肩は病的にまで凝って頭痛がするほど。目も痛くなるし、お世辞にも楽しい作業とは言えない。ガキの頃は何時間でもやっていられたことが次第に出来なくなってきて、新しいことに挑戦する意欲も徐々に薄れてゆく自分を感じながら、年齢という壁の高さを改めて実感するこの頃である。

25ピンが片方に、9ピンがもう片方に収まるようなD-SUBコネクタの変換ボックスの中に、ちょっとした回路を詰め込もうと考えた。その中には、14ピンのICが2個、抵抗が14本、コンデンサ4個などが入るため、なるべく小さく作る必要がある。ICはSOPを使い、抵抗類もチップ部品を使えば可能な規模ではあるが、それだと基板を起こさなければならなくなる。面倒臭いから、全て足付きの部品で組むことにした。

スペースの都合から、抵抗は1/8ワットサイズのものを使うことにした。アキバの抵抗専門店へ行くと、明らかに1/8ワットサイズなのに1/4ワットと書かれたシリーズがあった(KOAの製品)。店の親父に聞くと、最近は1/4ワット抵抗も1/8ワットサイズに変わりつつあるらしい。へえー、そんなものがあるのだと感心しつつ、部品が小さくなった分、ますます電子工作が流行らない分野になるのではないかと思ったりする。

そこら辺にある電子機器をバラしてみると、足の生えた部品を使っているものなんて殆どなくなった。数年前までは、まだちらほら見かけたDIPのICもSOPに置き換わり、抵抗とかコンデンサといった部品も、チップが普通に使われている。この調子でいけば、いずれは部品メーカーも、アマチュアが気軽に使えるような足の着いた部品を作らなくなるんではないかという気がする。1005なチップしかありませんと言われた日には...ちょー痺れるぜ!



スレッド表示とか
1999年10月22日(金曜日) くもり

昨日も書いた通り、メーリングリストの管理ソフトを入れ換えた関係で Web での閲覧ソフトに不具合が生じている。ソフトによってアーカイブの管理方法が異なるためだ。いま使っているものは、一晩の Quick Hack で書いた Perl スクリプトだから、大した機能は無い。スレッド表示も出来ないし、記事が増えてきたにも関わらずページングも出来ないから思い。インデックスをそのまま読み込んで一括で処理しているだけだから、これより記事が増えるといずれ破綻するだろう。

んな訳で、全面的に書き直そうと思い立ち、C言語で書き始めたのだが...言うまでもないが、文字列処理は Perl に叶わない。下手すると core を吐きながら終わってしまうような、頭痛を招く配列処理のオンパレードになってしまうからだ。そもそも、こういうものはCで書くべきではないのかも知れないが、何となく Perl は遅いし汚いというイメージ(偏見?)があって、どう考えてもCで書くとマヌケすぎる、純粋な文字列処理以外では避けたくなる。確かに、便利ではあるのだが..

さてさて、折角書き直すのなら記事のスレッド表示もやってみたい。でも、どうもやり方が良く分からなくて既に躓きモード。アーカイブのメールをひっくり返してヘッダを探ってみると、殆どのメールは References: ヘッダがついていて、コレを見て Message-ID: と照合すれば良いと思ったのだが、中には一筋縄でいきそうにないヘッダもある。例によって、Outlook Express で差し出されたメールだったりして...In-Reply-To: しか付けてくれないらしい。

メール配送プログラムとして有名な Sendmail の開発者 Eric Allman 氏曰く、規格を無視したメールヘッダの処理に苦労させられたしい。本来ならば、MUA 側で対処すべき問題だから「なぜ俺が」という気持ちも大いにあったと想像されるが、古今東西こうもおかしな実装が氾濫していると、そうとも割り切れなかったのだろう。壊れたヘッダの付いたメールも引き受け、可能な限り修正し、適切な配送を行うという作業の煩雑さが開発秘話で語られている。

本来なら届かない筈のメールも多く流通していると思うが、そのようにして強引に配送されていると考えると。素晴らしいと言うべきなのか、悲しいと言うべきなのか。



サーバ入れ換え
1999年10月21日(木曜日) 晴れ

本日、サーバに入っているディスクの入れ換えを行った。入れ換え先のディスクには、前もって環境を構築してあったので、あとは /home などのファイルを移すのみという状況にしてあった。それだけなら約10分程度の停止で済むのだが、折角だからハードウェア的なメンテナンスもやったりして。結局、午後8時〜午後9時の間は、殆ど接続できなかったはずだ。ご迷惑をおかけして申し訳ない。

ディスクだけでなく、その他にも色んな入れ換え作業を行ったので非常に疲れた。メーリングリストの管理ソフトも、emls というものから Majrdomo に変えたりし、お陰でシステムも大分変わってしまった。案内もまだ書き換えていないし、Web インターフェースもちゃんと動いていないし。やることは、まだまだ残されている。初めてサーバを構築するならまだしも、安定して動いているものをいじるには、それなりの勢いと決断がいる...触らぬ神にたたりなしというか(笑)

はう、そろそろ寝よう。



Y2K
1999年10月20日(水曜日) あめ/くもり/少し晴れ

ここのところ、むちゃ忙しい。昨日も気が付いたら寝てしまっていたぐらいだが、明日ぐらいから少し暇になるだろう。それはそうと、2000年問題と言えば、いまやタッチオジサンでも知っているような言葉であるが...マイクロソフトの反応は、まだ数年先のことであるかの如くのんびりとしたものだ。今頃になって、対応プログラムの入手先が書かれた葉書が送られてくるとは思わなかった。もうすぐ、11月だというのに。

マイクロソフトのお知らせは、「時期不相応」「意味不明」「迷惑」のどれかに必ず該当するため「適切」なものは滅多に無い。気まぐれのようにマウスパッドが送られてきたり、直前になってY2Kの葉書が送られてきたり...以前は、安易にメールアドレスを登録してしまったために、下らない案内が毎月のように届いていた。その内容を読もうにも、何とも言えない日本語ではない日本語で書かれていて、読む者を不思議な気持ちにさせる素晴らしいメールだった。

Y2Kで頑張っているのは、郵政省だ。月に1回ぐらいの執拗とも言えるペースで、対応状況を問い合わせるアンケートが会社に郵送されてくる。調べることが無駄だとは言わないが、かといって調べて統計を出したりして、何かが解決されるという訳でもないだろう。あるいは、それはY2Kが殆ど問題になりすらしなかった、うちみたいなところのエゴってやつか? もっと大きい企業なんかで役員の頭が固いと、動きたくても動けない技術屋さんは、救われるのかも。

話は変わるが、非商用目的の利用に限定してタダでばらまかれている Solaris 7 日本語版が届いた。タダといっても、メディア代と郵送料でそれなりの金額を取られるのだが、建前上、OS代は無料ということになっている。何故ばらまくのだろう。Linux とか FreeBSD といった PC-Unix の普及で危機感を感じているのかも知れないが。Solaris も、暫く無くなることはないだろうと思う。「フリー」を嫌がるお堅いところは、まだまだあるしね。

明日は、メンテナンスのため夕方からサーバを止めさせて頂きます。繋がらないことがあると思いますので、ご了承を。




1999年10月19日(火曜日) くもり/あめ

諸般の事情(例えば、寝てしまったとか)により本日休業。申し訳ない...



火事?
1999年10月18日(月曜日) はれ

夜の9時過ぎ、遅い晩飯を摂取していた。今日は疲れたし、腹も減った。だが、こんな日こそ、メシが美味いのだ。そのメシが、普段は高嶺の花である南魚沼郡から来たコシヒカリの新米ともなれば尚更のことだ。そんなところに、夜の帳を切り裂き、平和な一時をぶち壊さんばかりの勢いで、けたたましいサイレン音が部屋から流入してくる。消防車だろうか。だが、都会に住んでいれば日常のことだ。一々、驚くべきことではない。

ところが、今日は様子が変だ。いつもなら通り過ぎざまに教科書通りのドップラ効果を演じるはずのサイレンが、すぐ近所で停滞し、その数を増してゆく。テレビを消して耳を澄ますと、非常ベルらしき音も聞こえてくるのだ。おお、こりゃ危険だ..取り敢えず外に出てみると、目の前の道路が赤色灯の大パレードとなっていた。取り敢えず、非常ベルがこの建物から出ているわけでないことを確認して、下に降りてみた。

音のする方へ行ってみると、消防用車両は大小合わせて、その数ざっと10台はいたかも知れない。いわゆる普通の消防車から、大袈裟な梯子を装備したもの、バンパの部分がブルドーザのようになった障害物除去車両みたいなの、それに軽のワンボックスとか。加えて、パトカーとか救急車まで出てきていて、緊急車両の展示会さながらの様子であった。周辺の交差点では、警官が人参を大仰に振り回している。

それはともかく、非常ベルは一体どこで鳴っているのだ? 音の鳴る方へと辿っていくと、自宅から200メートル程度離れたところにある大きなマンションからであることが判明した。大型の建物だから相当な数が設置されているのだろうが、それにしても結構な音量だし、しかも不快感を与える音質だ。「寝ていても叩き起こして避難させる」のが目的だから、そういう音で然るべきなんだろうが。意外と届くものだ。

で、暫くしたらとっとと引き上げ。小火か、誤報だったらしい。



ディスク
1999年10月17日(日曜日) くもり/はれ

先日、いまご覧のページが置いてあるサーバから、極めて心臓に悪い振動音が現れた。最初は、ファンが壊れたか何かで異音が出ているのだろうと思ったのだが、どうもそういう感じの音ではない。常時ではないが、時たま「ぶーーーん、かりかり、ぶーん」という感じの音がする。こういう音を出しうるデバイスと言えば、ディスクかぁ? ディスクが断末魔の悲鳴を上げているようにも聞こえなくもない。

こりゃいけね。重要なファイルはバックアップを取ってあるが、だからといってディスクが臨終すると、何かと青い。この金欠している時に余計な出費はキツイが、背に腹は変えられぬ。他の用事もあったので、アキバへ。メモリ価格の高騰とは裏腹に、ディスクは安くなった物だ。TWO-TOP で 6.4GB の IDE なディスクを10200円で発見したので、2個同じ物を買ってきた。この際だから、ディスクミラーリングをするのだ。

FreeBSD には、CCD というドライバが備わっている。本来、小さな空きパーティションを繋いで仮想的な巨大パーティションを作るためのドライバであるようだが、予備機能として、これでソフトウエア的 RAID 0 と RAID 1 が構築できるらしい。IDE の RAID カードを使うという手もあるが、折角だからソフトでやってみることにした。家に帰って設定方法を調べてみるも、いまいちよく分からない。

とっととやらないといけないのだが...



CPR
1999年10月16日(土曜日) くもり/はれ

応急救護措置の講習を受けてくる...意識レベル300というよりは、初めから一度も命を授かったことのない、よって救いようのない人形に対し、人工呼吸とか心臓マッサージを施す、あの素晴らしい講習だ。どうも、そういったシチュエーションからでは、誰も適切な緊張感が得られないらしく、一般的に白けるという傾向があるらしい。間違いなく、そのためだろう。指導員が体を張って擬似的な緊張感を与えるという、本格的な体育会系の講習であった。

指導員の手本は、その大音響から建物全体が振動せんばかりの大声と、大仰過ぎる仕草を一体化させた指差喚呼から始まる。ここまで糞真面目な手本を目の当たりにすると、白けモードに移行しようという自然な気持ちは消滅してしまい、参加者全員から本格的なやる気のオーラが感じられるから不思議なものだ。なるほど、どうも緊張感に欠けて白けがちになる類の講習が成功するかどうかは、その時の指導員が如何に擬似的なシチュエーションを作るかどうかに委ねられているらしい。

生身の人間にCPRを施した経験のある方は少ないと思うが、人形にやった経験のある方なら、分かるだろう。わたしは過去に何度かやったことがあって、その度に驚くことは、人間の肋骨が意外と簡単に曲がることだ。仮にも骨なのだから、ボコボコと押せば折れて然るべきという感じがするし、折れないとしても想像より柔らかすぎる。しかも、心臓を文字通り押すだけで、血液が循環されるというのも、何となく不思議なこと。人間の身体って、案外いい加減なものだ。



Windows Network
1999年10月15日(金曜日) あめ/くもり

眠い。Microsoft Windows Network(悪名高きMSNじゃなくて、Windows のファイル共有とか)について研究するも、どうもネットワークの設計思想とか概念がいまいち掴めない。ドメインというものがあって、デフォルトではWORKGROUPとなっているが、自宅のネットワークでは、何も触らずにそのまま使えている。恐らく、もっと大規模な企業のネットワークなどでは、ドメインを事業所単位といった具合に切り替えて使うのだろうと推測する。それは良い。

しかし、例えば本社のドメインがHONSHAで、支社のドメインがSHISHAで、それぞれが専用線などで接続されている場合を想像してみる。そんな感じのネットワークで、本社から支社のファイルサーバにアクセスするときとか、その逆をする場合はどうなるのだろう。エクスプローラの、Microsoft Windows Network の中に複数のドメインが自動的に現れる? 確かめるべく、LANで繋がっているノートパソコンのドメインをWORKGROUPではなく、WKに設定してみると、確かにそうなった。

ところが今度は、ノートパソコンからWORKGROUPに属しているパソコンが見えなくなる。あれれ...そんな筈は無いと思いながら、ごちゃごちゃと触っているうちに、突然WORKGROUPが復活。ほうほう、なるほど。それが分かれば、WKをWORKGROUPに戻してみた。すると、今度はWKが消えず、もちろんアクセスできない。なんだか、その辺がどうなっているのかさっぱり分からない。ブロードキャストで通知し合っているのだろうが、立ち上がったことを通知しても、死んだことは分からないのか?

なんか、不細工な設計だ。しかも、ブロードキャストだとLAN内では上手くいっても、WANの接続だと問題が多い。普通、WAN側の回線にはブロードキャストは出さない。出してしまえば、ネットワーク全体がブロードキャストで溢れかえって輻輳してしまう虞がある。その辺を考慮してブロードキャストを使わなくても良いようにした機構が、WINSサーバなのだと思われるが、これまたよく分からない存在だ...結局、世の中では難しいと言われている? IPネットワークが一番分かりやすかったりする。



台形の行方は?
1999年10月14日(木曜日) はれ/あめ

電車に張ってあった日能研のチラシによれば、台形の面積を計算する公式が、小学校の学習指導要領から消滅するらしい。それは良いことなのか、悪いのか。学校で習う公式の大半は、実用性について些かどころか大いに疑問があるので、指導要領のリストラ策としては適切な削減だと思う。個人的に幾何が好きだったわたしは、何となく寂しさを感じるところだが、やたらと幾何幾何している問題を解くとき以外に使った記憶は無い。

そう考えると、安易に学力レベルの低下を心配すべき問題ではないと思う。取り敢えず覚えるだけの公式など、強制的に教え込まねば社会が崩壊するような知識ではないから、義務教育に含めるべき範疇ではないという気もする。好きな奴は勝手に覚えれば良いのだ。しかし、同じ公式でも頭を使って理解しようとすれば、面白いと思うのだ。覚えるだけの公式は下らないが、例えば、なぜ台形の面積は「(上辺+下辺)×高さ×1/2」で求まるのかって考えると、わたしの場合は夜も眠れなくなる。

底辺が(上辺+下辺)な長さの平行四辺形を思い浮かべれば、ちょうど台形の倍の面積を持つ平行四辺形になるので、その半分って考えれば良いわけだが。まあ、今となってはどうでも良いことだ。台形の面積なんて、知らなくても困りはしない気がする。ところで、日能研の問題入りチラシは、電車の暇つぶしに面白い。ついついやってしまうのだが、時々解けない問題があって、自信を無くすこの頃である。



ゴミ袋
1999年10月13日(水曜日) はれ

ここ横浜市でも、11月から中身の見えないゴミ袋ではゴミの収集をしてくれなくなるらしい。半透明の袋で出さないと収集してくれない自治体は既に多いようだが、横浜市もその流れに乗ったようだ。横浜市の焼却炉で燃えないゴミはないとまで言うぐらいだから、多少のものが混入していても良いのだろうが、袋の中身が見えることで、事業ゴミや資源ゴミの分別徹底化、また収集作業の安全性が確保できるという。

賛否両論はあるものの、ゴミ袋が指定されると些か困ることもある。例えばスーパーのポリ袋は白色で中身が見えないが、これは使えなくなる。この辺はスーパー側も考慮してくれるようで、実家の方でもゴミ袋が半透明でなければならなくなったときは、スーパーで配られている袋も半透明に変わったようだ。しかし、まだ多数在庫のある黒い袋が使えなくなるのはちょっと困る。ゴミ袋と言えば黒と相場は決まっているんだが...

ゴミ袋の半透明化をしている自治体や、特定製品を指定している自治体は、どのぐらいあるのだろう。東京だったか、炭酸カルシウム入りでないとないというところもあるが、ゴミ袋を指定することで、手元に余った袋が使えなくなって、逆に資源の無駄になると思うのだが。炭酸カルシウム入りのポリエチレン袋は、燃焼温度を下げる効果があるらしい。でも、スーパーで貰ったポリエチレン袋を一緒に捨てたら、同じことじゃないの?



60億人?
1999年10月12日(火曜日) はれ

今日は、「ラッキー」な出来事が多かった。この調子ならば、玉もジャンバリ出ること間違いなし!

....ふぅ、現実ってキビシイよねぇ。

世界の人口が60億人を超えたそうだ。そんなわけで、「60億人目の人間」と国連に指定された鬱陶しい赤子がテレビに出ていたけれど、絶対にヤツは60億1人目ではなく、60億人目なんだな? ほぼ同じ時刻に生まれた者も数多く居ることだろうが、ナノ秒オーダの刹那的な狂いすらなく、そいつが60億人目と言えるのか? 当たり前だから、そんなことは現実的に無理に決まっている。だったら、最初からそんなもん、でっち上げるなって。

60億円の使い道ぐらいなら直ぐに決まりそうだが、60億人の使い道と言われたら困るものがある。60億人のうち、半数の30億人は女性と仮定する。30億人の女、どれを奴隷として持っていっても良いと言われたら? 吟味に1人3秒かかったとしても、285年と141日と16時間が必要だ。うーん...奴隷としては13歳ぐらいが最適だから、1年ごとに使い捨てるとして、13人確保しておけば、毎年同じ年齢の奴隷を..頭、膿んでます。

60億人の合計体重は? 人間一人の平均体重が50キロだとすると、3億トン。
60億人の合計身長は? 人間一人の平均身長が160センチだとすると、960万キロメートル。

ところで、60億人の合計皮膚表面積は?

Mosteller formula実は、公式があるので、意外と簡単に計算できたりする。

有名なところでは、DuBois の公式とか、Mosteller の公式など色々と存在するが、前者は少々古いらしいので、新しい Mosteller の公式を使って計算してみることにする。

身長160センチ、体重50キロをこの式に当てはめてみると...
約1.49平方メートルだ。これが、60億人分になると、約894万4千平方キロメートル。すげー。

こんな計算に、何の意味があるのか...



更新報告
1999年10月11日(月曜日) はれ

風邪は、たっぷり寝て吹っ飛ばした。

元気になったので、更新だ。遅くなってしまったが、ケガのかんさつ日記に、最終の日記を書いた。また、Aterm IW60HS DSU の念写を実験室ネタとして追加。バラし記事ではなく、念写を元に書いた記事であるので、お待ちがえ無きよう...

今日はこのへんで。



風邪..
1999年10月10日(日曜日) はれ

体育の日だから外へ出て運動、なんてこと出来るほど若くない。先週半ばにうっすらと発病した風邪は、ぐっすり寝て完治させたつもりだった。ところが、今日の午後になってから、突如として病状が復活。朝は調子が良かったのに、午後からこのザマだ。三連休のせいに違いない、仕事があると休んでいられないという意識があるので、多少の風邪なら気力でどうにかなるのだが、どうも休みで気が緩むといけないらしい。病は気から、っていうやつだろう。

目がウズウズして焦点を一定に保つのが辛く、鼻の奥には、水ガラスを流し込まれたような気持ち悪さがあり、お陰でモニタに向かうのが辛い。この度合の風邪は久々だ、ここのところ、なんやかんやで忙しかったり、急に朝晩の冷え込みが激しくなったりして、風邪をひく条件が整ってしまったのかも。明日は予定があるので、何としてでも今晩中に治すのだ(ほんとうかい)。そんなわけで、大袈裟なネタを書く気がしない。

わたしが通っている教習所で、少なからず見かける女性たち。一尺に届かんばかりの凄い靴底を装備したサンダルやブーツを履いて来る人がいるのだが、いったい何を考えているのか、理解に苦しむばかりである。人の趣味だから別に何を履こうが構わないのだが、自動車の運転という行動においては、どう考えても支障がありそうだし、教習所も厚底な靴での運転は禁止している。ところが、そうとなったら、それなりの対策を考えるのも関心するほど早いもの。

ノーマルな底の靴をわざわざ持参し、教習開始間際に履き替えて、事が済めば、また厚底な靴に履き替えている人をよく見かける。しかも、底の厚い靴を履いている人は、普通に歩いているだけでも、転倒や転落事故に遭うらしい。そうまでしてでも厚底な靴を履かなければ困る理由があるからそうするのだろうが、その理由は、わたしには分からない。そういえば、以前に階段を転げ落ちてきて、わたしに抱きついた女もそういう靴を履いていたっけ。

だったら最初からノーマルな靴を履いてくれば済む話だと思うんだが...そもそも、ファッションとは、率直に実用性とか合理性からの逸脱を意味する言葉だから、そんなものなのだろう。しかも、その逸脱の結果は美などではなく、やっている本人の自己満足に過ぎない。つまり、他人がどう見ようが関係ないときたものだから、時として恐ろしい産物を残すこともあるわけだ。渋谷を闊歩する、豚とゴリラを掛け合わせたような生命体は、いったい何という種の生物なのだ?



何故オカルトを信じる?
1999年10月9日(土曜日) はれ/くもり

オカルトは、娯楽として見ている限り面白い文化である、ということは何日か前に書いた。だが、それも娯楽である限りにおいての話であって、時として娯楽の域を超えるのも、これまたオカルトの特徴である。テレビに出てくる怪しげな超能力者などは、超能力でも歌わなければ売れない程度の三流役者か、良いところダサイ奇術師に過ぎないのは明らかだが、これといった結論が出ていないにも関わらず本物の超能力者の如く取り上げる、下らない番組なんかも時々ある。

ごく常識的に考えれば、そういったものはインチキであるという結論が妥当である。そういう判断ができないとしても、仮に本当であったとすれば、低レベルなバラエティ番組でなく、もう少し真っ当な舞台に登場するだろうという結論に到達するはずなのだが、何故かそうならない。そうならない理由は? 人間には何らかの第六感が存在していることを信じたい、世の中には科学で解明できないものは必ず存在していると信じたい、あるいは現代の物理法則を無視するものがあると信じたい、というような願望があるのかも知れない。

それは、間違った願望ではないと、わたしは思う。良く分からないものがあれば、それを解明したいと思う気持ちは本能的なものだ。それに、既知の理論で説明できる事象のみが現実ではない。もしかすると、現在オカルトと言われているものが、別の位置付けに昇格する日がくるかも知れない。一番の問題は安易な結びつけだと思う。例えば、変な力を扱う人がいたとしても、これをいきなり超能力の存在証明とするのは早とちりである。巧妙な手品だったりする可能性の方が高いだろうと考える脳味噌は無いものだろうか。

きっと、無いのだろう。見る側にも、信じたい故の先入観があることは否定できないが、信じる人はどこを見て、信じるに至るのか。それはメディアに他ならない。商業主義のためなのか、インチキでも取り上げない限りネタが枯渇するためなのか、理由は良く分からないけれど、自らの無能を最大限に宣伝しているのは、メディアなのだ。テレビ欄に超能力の特集があったりすると、つい過剰な期待を持って見てしまう人が身近にいたりするのだが、最後まで見ても収穫は無い。時間と電波資源の無駄である。

結局、地上波で信用できる番組ってアニメぐらいのものだったり...



牛乳は何故まずい?
1999年10月8日(金曜日) ふつうの曇り

どこのスーパーでも売っている、紙パックに入った牛乳という名の白い液体。もっとも一般的な、価格帯で言えば1リットル178円〜198円程度の商品を例に取ってみよう。同じ牛乳といえど、スーパーによって扱っている商品は異なる場合が多い。同じスーパーでさえ、安い牛乳が仕入れられれば、日によって違う商品を扱っていることもある。このようなことから、売る側には「紙パック入りの牛乳は、基本的にどれも同じ」「なるべく安いものを仕入れて売る」という感覚があるように思う。

無理もない。種類別で言えば、一定の条件を満たしている商品は、全て「牛乳」という二文字に包括される。外観すら、パックの形状や材質まで殆どの商品で共通である。僅かながらの差別化を図っている点といえば、商品名とキャッチフレーズ、それからパックの印刷ぐらいのものだ。逆に言えば、普通の人は中身の微妙な違いについて、意識できない仕組みが出来上がっていると言うこともできる。同じ「牛乳」であっても、製造者や製造方法によって多少の差異があると考えるのが自然だが、そういうことは全て「牛乳」という二文字のベールに覆い隠されているのである。

それではいけない。分類としては同じ「牛乳」であっても、美味しい牛乳もあれば、不味い牛乳もあるはずである。そう確信するに至ったわたしは、敢えて色々な牛乳を買ってみて飲み比べてみた。とはいえ、幾多の商品を並べて一人で飲み干すと病気になりそうだから、一度に一品種ずつであるが。その結果、予想通り全ての「牛乳」が必ずしも同じ味でないことをほぼ確証した。やはり、美味しい牛乳もあれば、不味い牛乳もあるのだ。具体的な商品名を挙げれば、橙色のパックでおなじみの「農協牛乳」は特に美味しい。

ところで、わたしは牛乳が嫌いだった。にも関わらず、瓶詰めの牛乳や、ストローを差し込んで飲むパックに入った牛乳は飲めたのだ。家の冷蔵庫に入っている牛乳との違いはなにか? 飲み方の違いに注目すると、1リットルパックの牛乳はグラスに濯いで飲むことが多い。すると、飲み口の広いグラスからは牛乳独特の臭いが鼻に伝わり、この臭気が嫌で、牛乳そのものが嫌になったという仮説を立ててみた。牛乳瓶は飲み口が狭いので臭いが漏れにくいし、ストローなら殆ど臭いが漏れることはない。

牛乳嫌いの原因は、牛乳そのものではなく、牛乳の臭いにあったわけだ。考えてみると、低温殺菌牛乳は臭いが少なく、飲みやすい(高温で殺菌すると、臭いが強くなるらしい)。先に述べた農協牛乳も、他の商品に比べて臭いが薄いのだ。もう一つ、発見があった。要するに臭いが漏れにくければ良いわけだから、1リットル紙パックの臭い牛乳も、ラッパ飲みすれば、それなりに飲めることが判明した。もっとも、低温殺菌牛乳などには叶わないが。値段は若干高いが、あれは価格なりに美味しいと思う。



PHS に未来はあるか?
1999年10月7日(木曜日) 晴れ/くもり/俄雨

昨日は、家の回線をISDN化した話を書いたが、そのためにPHSを子機として収容できるTAを買ったのだ。今までは 380MHz 帯のアナログコードレス電話を使っていたのだが、これには気休めばかりの音声秘話機能すらついていない。「通話を聞いて下さい」と、近所中に宣伝しているようなものなのだ。通信回線を介して、海綿体を血液で満たすことが目的の会話などは、あまりしたくないところだろう。やはり、コードレスホンの子機はPHSの ような、容易に傍受できないものでなくてはならない。

早速、いま自分が使っているPHSを子機として登録してみた。当たり前だが、ちゃんと通話もできるし、PIAFSモードにすれば、ノートパソコンからプロバイダのAPに接続することも可能であった。うちではLANに繋げば良いので余り意味の無いことだが、一般のご家庭では便利かも知れない。音声通話時の音質は、普通のアナログコードレスよりも良い感じがする。少なくとも、FM無線機らしい「ざざー」という雑音が無くて、気持ちがいい。というわけで、家の中ではPHSも結構つかえている。

では、携帯電話機としてのPHSはどうか? なんか将来性の無さそうな話題が多いPHSだが、横浜の都市部にいる限り、わたしは外出先でも不便を感じたことは余り無い。ハーフレートのPDCは電話と言えないぐらいに音が悪いが、PHSはそうでも無いし、PIAFSも便利である。移動中や田舎での通話は不可能な場合が多いが、個人的にそういうケースに遭遇することは希なので、これも大した問題ではない。わたしなりの結論を言えば、携帯電話機としてのPHSも場所さえ間違わなければ、使えていると思う。

PHSが流行らないは、PDCを意識しすぎた結果だからか? PHSは、PDCにはないPHSなりのメリットがあると思うし、自分の目的がPHSのメリットと合致していれば、先にも述べたとおり、悪いものではない。ところが、PHSが売れないのはPDC的じゃないからだと考えた結果なのだろうか、最近、PHSをPDCに近づけようとしているように思えるが、それは無理なことだと思う。既存システムの「その2」に幾ら近づいても、元々のコンセプトが違う以上は勝てるはずがない。それなら、最初からPDCを買えば済む話なのだから。

しかし、PHSのシステムに独特のメリットを見出せる、わたしみたいな人は少数派だと思う。PHSが余りに過渡的であったというべきか、打ち出した時期に問題があったというべきか、単に中途半端すぎたというべきなのか...でも、使っている限りは便利に使おう。ドコモ(旧パーソナル)のPHSをお持ちの方、モバイル関係の情報は、ドコモのページに色々とある。そのほか、無料でダウンロードできる電話帳編集ソフトなどもあったりして。これは便利。



擦った揉んだの末、ISDN
1999年10月6日(水曜日) くもり/少し晴れ

本日、家の回線がISDN化された。午前中に工事が行われる段取りだったので、昼休み家に帰ってTAなどを接続してみる。うむ、確かに回線の開通はされているようだ。しかし、同時に契約したはずのダイアルイン番号に電話をかけてみると、あら不思議。「おかけになった電話番号は現在つかわれておりません」なんて案内が...どうなっていやがる、NTT。その場で文句の電話を入れると、曰く「それはお客様のTAの設定ができていないから」などと訳の分からないことという。

馬鹿言え、仮にTAの設定に問題があっても、使われている番号に「使われておりません」というメッセージは、流れる筈がない。仮に何らかの理由でTAが着呼を受け付けなかった場合でも、別のメッセージが流れるか、話中になる。局側に問題があるのは明らかであり、もっとよく調べろと言って取り敢えず電話を切った。しばし待つこと、折り返し電話がかかってきて「工事が遅れていました、いま設定しましたので」。へぇ、「工事を忘れていました」の間違いじゃないのか?(過去に経験アリ)

NTTを叩き終えたら、もう一カ所やらなければならない企業があった。NTTに勝るとも劣らない役所体質が染みついたNECを攻めるのだ。同社製のTAを買ったのだが、Web で公開されているカタログに書いてある機能が実装されていない。しかも、それが使いたい機能だったので、サービスに電話をかけて文句を垂れるのだ。一般的な質問のふりをして実装されていないことを確認すると、「じゃあ何故カタログに書いてあるのだ?」と問う。もちろん、「どこに書いてあるのだ」なんて言わせない。

自社の Webサイトに堂々と書いてあれば、流石に反論できまい。感じの良い受付嬢に書いてある場所を教えて、本人に直接確認させる。矛盾を感じたらしい受付嬢は、暫く電話を保留にし、その後に帰ってきた答えは、案の定「カタログの間違いです」。改めて言われなくても推測は付いている、これは初めから落とし前を付けろという趣旨の電話なのだから。自分はその記載を信じて御社のTAを買ったことや、その機能が無いと買った意味がないし製品を使えないことを告げ、だからどうにかしろと迫る。

「上の者と相談してみます」、是非そうしてもらいたい。何なら上の者と直接お話をしても良いが、取り敢えずそれは言わず、相談の結果を後から電話で知らて貰うことにして、連絡先を教えて電話を切った。暫くしてNECから返答の電話が入る。ここでゴタゴタと言われたらモメてやろうと思っていたが、結論は「そういう機能が実装された代替品をお送りします」。そう、それでいいのだ。NECだからもう少し話が拗れるかと予想していたが、今回の対応は比較的よかった。

対応が良すぎたのは、Webページのカタログだ。1時間後ぐらいに再び見たら、既に問題の記述は削除されていたもんだから、そうとう悔しかったのかも知れない。だが、わたしが買ったTAは、別に最新の機種でも何でもない。今まで、誰も文句を言わなかったのが不思議なぐらいなのだ。アナログポートのマイナーな機能だから、きっと誰も使っていなくて、文句も無かったのだろう。こうした擦った揉んだの末、わたしの家の回線が意味もなくISDNになった。なんか正当なことを言いつつも、こう不手際が多いと自分がクレーマーのように感じてくるのだが(笑)

それはそうと、先日受けた学科試験の結果が合格だったので、仮運転免許証を取得することができた。学科試験の結果は、50問中48問正解で合格だ。っていうか、人をナメるな! と叫びたくなるほどの簡単な問題ばかりで、むしろ苦労したのは日本語の理解。問題文は複数の意味に取られ得ないよう書くのが当然だが、そんな配慮は全く見られない。もっとマトモな文章にして欲しいものである。まあ、正式な免許証取得までの先はまだ長い...



電気ポット
1999年10月5日(火曜日) くもり

わたしは、大のお茶飲みだ。だが、今まで使っていた電気ポットは、容量が足りなかったりして少々役不足だったので、新しいポットを買ってきた。店へ行くと、タイガーや象印など定番のメーカから何種かポットが出ていたのだが、第一印象は「高すぎる」って感じ。つまるところ、タンクにヒータが付いているだけのものなのに、中には1万円を超える値段のものも多く、理解に苦しむ価格である。結局、一モデル前のものと思われる安いポットを買ってきたのだが、それでも7千円近かった。

まあ、高いポットを見るとカタログスペックだけは華麗だ。電動給湯はもちろんのこと、マイコン制御やら、湯温計やら、ものによっては浄水フィルタまで、余計な装備ばかりである。チンタラと一定の速度でしか湯の出ない電動給湯はかったるいし、電源を抜くと湯が出ないのも不便だ。そういう声が多いのか、最近は電池か何かで電源断でも湯の出る電動ポンプもあるようだが、もう本末転倒という気がする。使う立場から見れば、マイコン制御をデカデカとカタログで歌うのも、意味不明で滑稽なものだ。

というわけで、できるだけボロいポットを探す。あった、一番ボロいやつは憧れの手押しポンプ、その他の余計なお世話系も一切無し。値段も安いしこれは良いぞと思いきや、今度は無さ過ぎて困ってしまう点も発見した。よく見ると、再沸騰ボタンが無いのだ。ポットの湯って熱々のまま保温しているわけではないので、再沸騰ができないと困る。結局、不本意ながら安売りされていた電動ポンプのポットを買うに至る。くそっ、昔は腐るほどあった「再沸騰と手押しポンプ」という最も調子の良いポットが何故ゆえない?

保護フィルム ところで、電気製品を買うとツルツルの面には必ず張ってある保護フィルム。わたしは買ったらその場で剥がすが、中には意図的に剥がさず使っている人がいる。本体を汚さないためにはカバーが必要という理屈だろうか。しかし、使っているうちに保護フィルムが変色してボロボロになり、素直に剥がしてしまった方が余程美しいことにさえ気付かない。きっと保護フィルムを張り続ける人は、不要になったきすら剥がさずに廃棄するのだろう。

分からない、醜態を晒す保護フィルムを張り続けてまで、新品の状態を保たなければならない理由が。普通に使っていて、多少の小傷が付くのは当たり前のことだ。それが当たり前の消耗というものであり、わざわざ隠す必要はない。わたしは、そう思う。



エスカレータの傾向と対策
1999年10月4日(月曜日) くもり/はれ

だいぶん涼しくなり、過ごしやすくなってきた。が、この季節においても外を歩くと汗ばむ自分は、歩く速度が速すぎるのだろうか。例え時間に余裕があるときでもチンタラと歩くことだけは許せない。チンタラ歩くぐらいなら、さっさと目的地に着いて待っていた方がマシなのだ。3本後の電車で十分に間に合う時間があっとしても、電車が視野に入れば当然ながら駆け込み乗車である。切符売り場では、10メートル手前から小銭を用意するべきなのだ。列に並んでから料金表を調べているようなヤツは、死刑に値する。

無論、エスカレータは階を楽に昇降するものではなく、迅速に昇降するために設計された文明の利器なのだ。だが、そういった当たり前のことすらを理解できない者も多い。エスカレータでボケッと突っ立ってる輩が我が進路を妨害していれば、蹴散らして通るのが本来である。ところがそうした場合、野蛮な「エスカレータは楽に昇降するもの主義者」は恐ろしい闘争を仕掛けてくることが予想される。しかし、吾々誇り高き「エスカレータは迅速に昇降するもの主義者」としては、勿論だが、醜い争い事は不本意である。

そこで吾々は、エスカレータ上を占拠する鬱陶しい連中に通路を譲らせる手段を、一刻も早く練らなくてはならない。だが、争い事は何としても避けるべきであり、彼らの側から自主的に通路を譲らせる方法が最も好ましいと考えられる。しかしながら、誰もが冷たい心を持つ現代の都会において「退いて下さい」と明示的な意思を示すことは、好ましくない。どんな場合においても、無言の圧力を、最大限にかけなければならないのだ。そのような事前準備を基に、わたしが身を以て実験した結果、次のような手段が有効であることが判明した。


問題は、何をしても退こうとしない5%がいた場合だ。このような場合、結局なにをしても無駄なので、真後ろでビンボー揺すりを続けて僅かな可能性に期待するか、諦めて階段を用いた方が無難である。しかし、そのためには「絶対に退きそうにないヤツ」を見極める能力も極めて重要だ。相手が発するオーラで読みとるのが大前提だが、死にそうな年寄り(身体上の問題から退けない)、オバハン(単独でも横に買い物袋を置いて妨害する可能性あり)や、オッサン(単独も意地悪いが、複数の場合は特に邪魔)などを見かけたら要注意だ。

それはそうと、エスカレータの出入り口の前に立ち止まるヤツって何を考えて居るんだろう?



なぞなぞ?
1999年10月3日(日曜日) はれ/くもり

吸い付くラップ 夕飯の残り物が入った器にラップを被せて冷蔵庫に保管。翌日、冷蔵庫から出して電子レンジで暖める。良くある日常生活の一欠片だが、ここに前々から不思議に思っていたことも一つ。電子レンジでおかずを暖め終えて取り出すと、ピーンと張っていたはずのラップが、器の中に吸い付いて凹むのは、どういうことだろう。電子レンジの中を観察すると、加熱中、ラップは膨れている。中の水分が水蒸気となり、そのため圧力が上昇して膨張するのは分かる。しかし、元に戻るを通り越して吸い付く理由は、これ如何に?

加熱中に発生した蒸気によって器内部の圧力が上がったとき、ラップの隙間から水蒸気が吹き出している様子が観察できる。しかし、漏れているのは水蒸気だけではなく、空気も一緒に漏れているはず。そして、加熱を止めて内部の温度が下がり、器内部に残った水蒸気が水に戻ったら、加熱中に漏れた分だけ空気が不足し、器の中は負圧となる。ラップが器に吸い付く理由は、大体こんなところだろう。別にどうでも良いことだが、個人的にちょっとした発見だったので書いてみた(笑)

最近は休日も出かける事が多く、夕方まで寝ていられないことはちとつらい。今日は、仮免の技能検定(修了検定)なんてものを受けてきた。結果は、90点で合格(合格は70点以上)。昨日は、検定ということで少し心配していたのだが、要するに普段から走っている教習所のコースを、普段通りに走れば良いだけのこと。しかも、助手席の鬱陶しいオッサンに細々と指示されない分、気が楽である。ふふふ、今日は廃車にしてやるぜって勢いで受けたら90点だった。まあ、本当に廃車にしたら不合格間違いなしだけど。

個人的な経験に基づく理屈だが、どんな試験でも勢いで受けるべし。今までに受けた面倒な試験は、勢いでやってのけて、だいたい合格しているからだ。真剣に勉強しているのに、肝心な場ではどうも結果が出ない人っているが、当日に緊張しすぎて本領を発揮できずにいるのではないかという気がする。だから、明日に控えている学科試験も勢いで..と思ってみるも、学科ばかりは一応勉強しておかないとね。何しろ、神奈川県実施のため平日でないと受けられず、会社をサボることになるので再試験は困るのだ。



臨界事故と報道
1999年10月2日(土曜日) くもり/はれ

ご存じの通り、東海村で臨界事故が起きたわけだ。わたしも、もちろん関係者ではないので、内容はマスコミの報道(特に新聞)でしか見ていないが、いまいち釈然としないところも多い。要するに、何が起きて、その結果どうなったのか? 最も肝心なところが何となく曖昧なまま、事が収束してから論じれば良いようなことが報道され始めている。原因はともあれ、事故が起きたことは分かった。起きたことは仕方がない、だからその結果にどういった一次的な被害が起きたか、起きうるか、ということが最も重要なのだ。

どこかの駅で乗客が取り残されたということは大層気の毒な話だし、商店が軒並みシャッターを下ろしている街並みも、確かに異様な光景だ。近隣の住民が避難していることも、これまた大変なことである。被曝した者も大勢いる。しかし、それらは一次的な被害(放射線漏れなど)の結果に発生した二次的な被害に関する話だから、事故直後はどうだって良いのだ。あまつさえ、分かり切ったことしか言えない専門家の有り難いご意見やら、原子力政策に対する影響なんて話は、取り敢えず重要なことではない。

そんな話で紙面が埋め尽くされ、わたしは暫く何が起きたのか良く分からなかった。原子力に関係する施設で何らかの事故があったことは、ひとまず理解した。その後、外出先のテレビから流れていたニュースで放射能漏れの話を耳にし、天気予報で「念のため明日の雨に濡れないように」というようなことを言っている。だとしたら被害が拡大するかも知れないが、実際に放射性物質が環境に解放されたとすれば、いまごろはもう少し大袈裟なことになっていても良いはずだ。この時点で、大したことは無いと見る。

21時頃に帰宅し、朝日新聞の夕刊を見る。臨界事故による放射能漏れと書いてある割に、避難対応は「外出自粛」程度のもの。普通に考えると、建物ごと爆発したとかそういうことが無い限り、放射能が外にまで漏れるとは思いにくい。それに、漏れていたとすればもう少し大がかりな避難があっても良いはずだ。なにせ、自宅退避とかコミュニティセンタへの避難とか、台風が来たかと思わせる程度の対応だ。次の日の朝刊でも、相変わらず放射能漏れという記述になっている割には、間が抜けている。

そして、昨日の夕刊や今朝の朝刊辺りから漸く、概ねのところ建物の外に放射線が出てきただけのことだろうということが行間から読みとれる報道になってきた。近隣にいた人間のうち、事故現場に居合わせた作業員以外は漏れてきた放射線で被曝しただけで済んだということが、間接的に分かる記述となる。これで辻褄が合うのだ。それなら、半径350メートルの立入禁止と半径10キロメートルの自宅退避も(対応の遅延はともあれ)妥当な対処だったと思うし、今日になって立入禁止が解除されたことも理解できる。

やっと訂正らしきものが現れたのは今日の夕刊だ。「今回の事故は『放射能事故』よりも『放射線事故』の側面が強かったことになる」という記述があり、これにて大体の決着がついたと、ここに挙げた以外にもマヌケな報道をしていた朝日新聞は言いたいのだろう。「放射能漏れ」とは、放射性物質が環境に解放された事態を指すのに対し、「放射線漏れ」は、放射線(中性子線とか)が環境へ飛んでしまった事態を言う。似てはいるが、非なるものだ。

わたしは、正確な情報をつかめないマスコミを糾弾するつもりは無い。情報も錯綜していたと推測されるし、何しろ現場で何が起きたかハッキリとしないのは当たり前のことだから、正確な情報がどこかにあったとも思いにくい。だが、正確性や冷静さに欠ける報道であったことは確かだ。原子力関係の工場で事故があったからといって、放射能漏れと断定する辺りは非常に短絡的だし、分からないのなら、そう書けば済む話である。それに今回は、状況から「推して知るべし」と言えなくも無い気がする。



さぼります
1999年10月1日(金曜日) くもり

臨界事故について書くつもりだったが、気が付いたらそんなものを書いている時間がない!

というわけで、軽い話を一つ。昨日、INS64 に申し込んだことを書いたが、以前にも加入していたことがあった。いつだったか忘れたが、もう3年ぐらい前のことかも知れない。わたしも良く分からないことが多かったので、取り敢えず 116 に問い合わせたのだが話にならない。他に ISDN 関係専用の問い合わせ窓口があったのだが、そこも良く分かっていない。埒があかないので、技術部署の電話番号を教えて貰って、やっとまともな回答が得られた。担当者曰く、「支店に分かっている人はいない」って..

暫くして、申し込みに行くことにした。電話では、たらい回しにされそうな予感がしたので、NTT の支店に自ら出向く。窓口で INS64 に加入したいとの旨を伝えると、受付のオバハンは「何ですかそれ」状態。こりゃ駄目だ、簡単に説明してやっと申込書を出して貰って書き始めた。実は、INS64 の申込書には自分で書く部分と、NTT の担当者が書く部分とがある。自分で書くべきところは書いて、残りを空白で返すと、オバハンが錯乱状態に...こりゃいけね、ってことで結局、全部自分で書く羽目になった。

まあ、NTT担当者よりも客の方が詳しかったのも3年前の話だ。今となっては、そんなことも無いだろうと思っていた。そして、職場に申込書を持って、NTT の担当者(オバハン)がやってくる。名刺を見たら、コンサルティング主任という肩書きだったので、きっとこの人なら大丈夫だろうと過信したのがマヌケだった。少し話をすると、この人も全く理解していないということが直ぐに判明...ってことで結局、今回も全部自分で書く羽目になった。コンサルティング主任って、どういうお仕事なんだろう?



突撃実験室