多事毒論(2000年8月分)



大仏さま?
2000年8月29日(火曜日) はれ

職場では、FM横浜を聞いていたりする。

今日の放送で、「大仏さま」がどうのこうのとか「観音さま」がどうのこうのという話題になっていたのだけれど、この言い方には違和感があって仕方がないのだ。わたしも含めて、関西人は「さま」なんていう改まった敬称はまず付けない。「大仏」は「大仏さん」だし、「観音」ならば「観音さん」。悪いことをしたときに天罰を下すのは、神様でなく「神さん」だ。鎌倉にいるのは「大仏さま」かも知れないけれど、奈良にいるのは「大仏さん」。「えびす」に至っては、「えべっさん」と略されていたりする。感覚的には「横山やすし」が「やっさん」という親しみを含んだあだ名で呼ばれていることと同じようなもんだろう。

極言すれば、たとえ相手が商売繁盛の神様であっても、雲の上の人間という点では漫才が上手い人と同格なのだ。やたらと恭しい敬称が形式的に付加されて呼ばれる人間は、形の上では偉いというだけのことで、深い敬愛が込められている場合は、敬称なんてどうでも良く、用いられるのはむしろ軽々しいあだ名であることが多い。取って付けた身分に大した畏怖を感じず、実績があれば慕われるという構図は、ある意味においては実戦型の平等社会、排身分社会と言える。おかげで、むかしから封建制度を敷こうとした権力者たちは、態度のでかい関西人の扱いに手を焼いたそうだけれど。

そういうシステムを上手く利用しようと思ったのか、むかし「ひらかたパーク」という遊園地が「ひらぱー」なんていう自虐的な呼び名を自ら提唱したことがあった。自分で名乗っちゃいけない、それは邪道なんだという意見が過半数であったように思うが・・・洗脳的なCMを打ちまくったせいか、意外にも定着してしまった。



残暑
2000年8月28日(月曜日) はれ

睡眠不足も祟ってテンションいまいちの月曜日。であるにも関わらず、クソ暑い中を江戸川区の某所へ行ったり秋葉原へ行ったりと、何だか出かける仕事が多くて干からびてしまいそうである。出かけるだけなら良いのだが、このチンタラと続く残暑だけは何とかならんものか。首都圏全域を冷やせるようなヒートポンプを設置し、涼しくて住民は良い思いをしていると想像される北海道あたりに廃熱をぶちまけてやれば良いのに。暑いから、そういう壊れた構想がつい出てきてしまう・・・北海道の人、ごめんなさい。

まあいい。秋葉原公用外出の私的利用として A7V と Athlon 800MHz ゲットしたのだ。それはそれで嬉しいのだけれど、一方で福沢諭吉先生の大群がひらひらと飛んでいってしまわれたという現実に着目すると、とっても何だかなーという気分になれるのである。今年こそは少し貯金するぞと誓い、これまでは散財は自粛してきた(つもり)。申し訳ばかりのボーナスにもほとんど手を付けず、(あくまで主観においては)至って実直健気に生活してきた自分って本当に偉いよと自らを誉めていた矢先なのに。

それまで凄い張力を支えてきた糸のプチっと切れたら、もう最後。金は、あればあるだけ使ってしまえという方向への加速がことさらに強くなってしまい・・・はっと気付いたときには、マイバブルのツケをどうするか悩むことになるのだろう。少なくとも、我が国のささやかな歴史は、それではいけないと教えてくれている。切れた糸を結べるのは今のうちだ。よし、いま結んだぞ。ほどけないぐらいかたくだ。でも、どういうわけか、気付かないうちにほどけてしまうんだな、これが。



英雄の条件
2000年8月26日(土曜日) はれ

英雄の条件」を観た。久々の映画鑑賞日である。観るつもりでいた夏休み映画も幾つかあったのだが、ここのところ土日はそれどころじゃなくて、結局どれも観られなかったり。

日本語タイトル「英雄の条件」からすると安っぽい武勇伝みたいな話を想像するけれど、戦闘シーンは伏線に使われた程度で、軍法会議の法廷が主な舞台であるドキュメンタリだ。暴徒と化したデモ隊に囲まれたイエメンのアメリカ大使館において、米軍海兵隊による大使一家の救出作戦が決行される。ところが、現場で指揮にあたっていた大佐は、大使館を取り囲む群衆に対して無差別発砲を命じ、その結果83名の民間人が死亡。当然ながら、こんなことは人道的には許し得ない行為だと誹られ、政治的には外交問題に発展するわけで、この大佐は軍法会議にかけられることとなる。

戦場であるか否かすら微妙な状況における民間人の殺傷行為は、正当な戦闘行為であったと言えるのか。物的証拠は無い。越権行為だろう、規則からすれば・・・などと、ややもすれば全てが綺麗事で処理されがちな裁判で、軍人のプロ意識や戦友の恩みたいなものを前面に押し出しながら、戦場におけるリアリティに欠いた検察側の主張に反駁を加えてゆく。そういう意味では非常に良い映画なのだが、軍人という存在そのものに拘りすぎたためか、シナリオへの力の入れようがいまいちなのが玉に瑕。予定調和型の結末と良い、やや物足りない部分が多かったのは非常に残念であった。

ところで、素晴らしいぐらいしっくりといく「Rules of Engagement」という原題を「英雄の条件」と意訳した人間は、映画の内容をかなり曲解していると考える以外にない。ほかに良いタイトルがあるかと言われても思いつかないけれど、ヒロイズムとはまた異なる軍人の職業意識みたいなものがいまいち理解されにくい文化的背景が、日本にはあるように思う。かなり前の話だが、PKO 派遣の自衛隊員が火器を携帯するという話になったときに出てきたような、的外れな人道主義的批判が、そのことを象徴しているのではないだろうか。



うんこ
2000年8月25日(金曜日) はれ

職場が入居しているビルの非常階段の脇に、どういうわけかうんこが落ちていた。

その量や質感からすればネコなど小動物の糞ではあり得ず、人糞と考える以外にない。しかも、それっぽい形が認められたのは全体の1割程度に過ぎず、残りの大部分は形のない下痢便だった。ティッシュペーパーなどは散乱しておらず、グチョグチョの人糞だけが、ベチャっと非常階段の脇に放置されていたのである。わたしが9時前に出社した直後、ひとまず朝の景色を眺めながら一服するために非常階段へ出たときには、異常はなかった。しかし10時ごろ、別の社員が煙草を吸おうと外へ出たときに問題のうんこは発見されたのである。

ということは、その1時間の間に誰かがそこで脱糞したということになる。確かに、まだ腐敗は始まっておらず、まだまだ新鮮な感じだったから間違いないと思う。しかし、その場所はビルの7階、しかも平日の朝である。一体、誰がどういう理由でその場所に脱糞しなければならなかったのか。きっと我々の理解を超越した理由があるのだろう。非常階段だから人通りは少なく、また階段は壁で覆われており周囲から見えないので、この都市部においては「野ぐそ」に適したスポットであると言えないこともない。だが、それならば最上階の9階でやった方がリスクは少ない。

う〜ん、ありゃ下痢だったから9階まで階段を駆け上がるつもりが間に合わなかったのかな? 便所がない場所で「もう無理です! 生まれます!!」って事態になったときは、走って便所に行こうとすると、余計に「もう頭が出てきてます!」ってことになってしまうものだ。そこで、ケツを絞めてなるべく刺激を与えないようにゆっくり行こうとすると、やっぱり「運転手さん、間に合いません! もっと飛ばしてください!!」という意識が働くのである。頭が出そうでも走るか、時間がかかっても慎重に行くか? そんな極めて重大な決断に迫られた人間には、どのみち「便所に間に合わない」というオチが付きまとうようである。

で、あのうんこ。この暑さだから、月曜日には、きっと凄いことになっていると想像される。



錯視
2000年8月23日(水曜日) くもり/はれ

錯視の広場 The open space for Visual Illusion

人間の目とは不思議なもので、実際は真っ直ぐな線分が曲がって見えたり、平行に書かれた2本の線分が平行でなく見えたり、あるいは本来は無い色が付いたかのように見えることがある。こういったものが、たとえ「現実」とは違う見え方であったとしても、五感による認識が我々を取り巻く現実だとするならば、錯視もまた我々にとっては現実と言えるのかも知れない。いやいや、初めから「これは錯視です」という断りがあれば、見たものを「現実とは違うもの」と区別できるけれど、現実には必ずしもそんな断りがあるわけじゃない。

従って「錯視」とか「錯覚」を「現実」と思いこんでいることもあるわけで、「見たもの」は、「当人にとっての現実」であるに過ぎず、必ずしも「実際に起きた事象とは同一ではない」。だから「『俺が見たからには間違いない』と豪語すること自体が間違いである」なんていう考えに至ってしまうと、自分の目ばかりでなく誰の目も信用できなくなってしまうから、錯視にはまりすぎて哲学的になってしまうと危険なのかな? まあ、自分が見たものを100%現実だと言える人間がいたら、いずれにせよそいつの神経を疑ってしまうけれど。目はCCDじゃないし、人の記憶はビデオテープじゃない。



続・DirecTV
2000年8月22日(火曜日) くもり/はれ

DirecTV が SkyPerfecTV に移行するにあたって、わたしのように既に SkyPerfecTV にも加入している人間は、新たに SkyPerfecTV 用のチューナを貰っても仕方がない。だから補償せい、というような話を以前に書いたけれども、結局どうにもならなかった。仕方がないので、DirecTV から SkyPerfecTV への移行は行わないにした。最近になって、DirecTV から「移行しなかったお客さまで、放送終了日まで視聴料を払ったら5000円の商品券をあげる」というようなことが書いてある葉書が送られて来た。

最初は「移行しないなら面倒は見ない」ぐらいの態度の取っていたのとは大違いである。苦情が相次いで、そうとも言っていられなくなったのか、それとも最初から決まっていたことなんだが、「SkyPerfecTV には移行しない」という選択肢を移行の締め切りが来るまで提示したくなかったのか。何となく、後者じゃないかという気がする。まあ、そんなことはどうでも良い。邪魔だから、チューナを廃棄できる日をむしろ心待ちにしているのだ。ベランダはアンテナで占領されていて鬱陶しいし、チューナーが2個もあると部屋は狭くなるし、それよりリモコンの数だけでも減らしたい。

最近、突撃実験室のアクセスカウンタが40万を超えた。50万を超えるのは、いつになるのだろう。緩やかな増加を予測して計算すると、来年の1月半ばになるという結果が出た。最近、色んなサイトからリンクされたようで、1週間ほど前までは一日で600〜700だったアクセス数が、昨日は一日で1000を超えた。このペースで行けば、年内に50万を達成することも可能かも知れない。だが、一過性のアクセス増があっても元のアクセス数に戻るのは早く、以前と比べて20〜30増えたかなってところで安定することが多いようだ。



法廷ドラマとか
2000年8月21日(月曜日) くもり/はれ

日曜日の深夜(正確に言えば月曜日の朝)に、TBS系列でCBSドキュメントという番組が放送さている。アメリカCBSの 60 Minutes か何かから選り抜いたものを日本語に吹き替えて流しつつ、日本語を喋る変な外国人とインテリ風の女性が解説を加えるという内容だ。これが面白くて夜更かしのお供によく見ているのだ。何が面白いかというと、これでアメリカ人の非常識な部分を露呈しているというか、ポジティブに取るとすればアメリカ人の忸怩(じくじ)を見ているような感じで、苦笑するときもあれば、何かを学び取った気になるときもあるのだ。

昨晩の放送においては、イギリスで大ブレークしたとかいう法廷ドラマの話をしていた。寝る前だったので良くは覚えていないが、ランポールとかいう弁護士がお堅い法廷の中で皮肉った発言をするとかで。考えてみれば、法廷そのものを主題とした日本製のドラマというものは見たことがない。寡聞なわたしが知らないだけかも知れないけれど、あったとしても希少なのだろう。アメリカの公判みたいに、証言はとにかく大仰に、ときとして扇情的に陪審を説得する・・というようなドラマが展開される法廷ならば絵になるのだろうけれど、事務的な日本の法廷はドラマにならないのかもしれない。

あるいは、裁判なんて普通に生活している人間には関係がないという社会的な背景があるから、法廷ドラマなんて作っても売れないから出てこないのだと言えるような気もする。また、日本の法曹界が綺麗すぎる(無論、実際はどうか知らないが)から皮肉って悪い部分をさらけ出さなければならない問題点がないようにも思えるし、あったとしても普通の人がそれを問題として考えるほど、法曹界に感心があるとはとても思えない。やはり、刑事事件ならば刑事訴訟法で決められた一つの事務手続きに過ぎない日本的な公判を、ドラマにする価値はないのかな。

んでも、海外などで見る法廷ドラマは個人的に好きなので、ややお堅い内容になってしまうかもしれないけれど、ちょっと真面目に法廷というものを取り上げてみましょう、というようなドラマがあれば見るだろう。サスペンスドラマのクライマックスで出てくる、ゴテゴテの演出で固められた公判なんて見ていてもリアリティがないから、見ていても面白くないし。



更新報告、鎌倉
2000年8月19日(土曜日) はれ

掃き溜め写真館に新編追加

材料は、はるばるオーストラリアから送られてきたものだが、ブツの受け取りからかなり時間が経ってしまった。材料の提供者には、深くお詫び申し上げたい。これは前編なのでまだ後編が残っているのだが、お次は残念ながらまだ完成していない。というのも、これがまた非常に扱いにくいブツで、検証がやっかいなのである。今週末中には完成させたいとか思っていたのだけれど、明日は朝から出かける用事があって、ここのところ一日中ヒマ、っていう日が殆どなかったりする(言い訳モード)。

昨日は、友人が遊びに来たので有給を取って鎌倉・江ノ島へ行って来た。お決まりの大仏を見るついでに、江ノ電と湘南モノレールを制覇しにいこうという、やや鉄臭いものであったことは否めないけれど。乗った中では、湘南モノレールが最もインパクトがあった。モノレールと言えばチンタラ走るというイメージがあったのだけれど、そこらの電車を凌ぐ急加速に少し吃驚。トンネル(隧道と書いた方がマニア受けするかも?)もあるし、急勾配が妙に多いし、何だかジェットコースターに乗っているような感覚であった。

せっかくだから江ノ島にもふらっと立ち寄ったのだが、こちらは余り興味をそそられず。むしろ、ネコがいっぱいいて嬉しかったのだ。ねこねこ、にゃー。とにかく、ネコがいっぱいいて萌え萌えだったのである。ネコの相手以外に何をしてきたのか、よく覚えていない。知らぬ間に、「ネコに目のない突撃実験室の Webmaster」などというタイトルで友人に写真を撮られてしまった。そんなものが公開されてしまったら、おれは人生終わりやー(どして?)。



発車メロディ
2000年8月17日(木曜日) くもり/はれ

一晩ほど寝たら治る程度の風邪だと思ったが、全然なおらん。むしろ悪化気味。

普通のシフトで休んでいる方なら、そろそろ盆休みから戻ってくる頃だろうか。最近は、盆には休むという習慣が薄れつつあるためなのか、早めに夏休みを取る企業も多いようである。わたしも盆は外して休みを頂いているので、ラッシュに遭遇することもなく嬉しい限りだ。良い傾向と言えよう、わざわざ社会が一致団結して帰省ラッシュといった不必要な現象を作ることもあるまいに。それでも、東海道新幹線の自由席の乗車率は、180%のピークを記録したらしい。

さすがに車内販売は休止したらしいが、そんな状態にあって「失礼します〜」などと言いながらワゴンを押してきたら、つい蹴飛ばしてしまうかも知れない。車内販売は、通路が人で埋まっていようとも平然とやってくる。あれを心待ちにしている人がいるのも事実だが、混んだ車内で狭苦しい通路に立たされ、ただでさえフラストレーションが溜まっているときには、迷惑この上ないこともまた事実。立客にはあまり快くは思われていないことぐらい、販売員も察知しているだろう。ビビっと発せられる顰蹙のオーラに耐えるのも、楽なことではなさそうだ。

首都圏のJRなど、駅の発車ベルとしてメロディを使う事業者が増えてきた。無機質な発信音よりも心地がよいという理由で使われているそうだ。メロディ発車ベルそのものについても様々な意見があるようだけれど、それ以前に、必要以上に長いメロディを採用したヤツは凄く馬鹿だと思う。山手線なんかに乗っていると、

チャラララチャララ・・・ ブチっ

と、途中で切られてしまうから、どうにも後味が悪いのだ。あんなものを最後まで聞いたからといって何か良いことがあるわけではないが、やっぱり後味が悪いのだ。途中でブチ切るぐらいなら、最初から適した長さのメロディを作れば良いわけだし、途中で切るにしても、せめてフェードアウトさせるとか、もうちょっと優しい切り方ぐらいあっても良いように思う。

ところで、東京の中央線といえば飛び込み自殺の名所として知られている。その度に電車が止まるからJRとしては良い迷惑で、対策に苦慮しているようだけれど、その要因がこれから冥土へと旅立かという人間のすることだから、できることは多くないのだろう。以前、どこかの週刊誌が「中央線において自殺が多い駅では、特に不快で死にたくなるような発車メロディが使われている」などと分析していた記憶がある。詳しい内容は忘れたが、駅に流れるメロディの質と自殺には、有意な関係があるというのだ。

死を呼ぶ発車メロディ・・・その真意は疑わしいし、穿った味方をすれば笑い話のようでもあるが、目の付けどころは正しいかも知れない。心理学的な対処、つまり「やっぱり自殺したくなくなったかなあ」と思わせるような雰囲気作りが、自殺防止には効果的なのだとか。



はぁ
2000年8月16日(水曜日) くもり/はれ

風邪気味。まあ、一晩寝たら治る程度だろう。

鼻水が垂れてきて仕方がないので、鼻にティッシュペーパを詰め込みながら掃き溜め写真館のネタを書いていたりする。写真は撮ってあるのに、原稿が出来ていないため公開できない写真館ネタが3つ(そのうち、一個はボツ気味)。構想は固まっているのに実験が手付かずのままとなっている実験ネタが3つ。いつになれば書き始められるのか分からない旅行ネタが1つ。まったくネタはため込むもんじゃない、どこから処理していって良いのやらと悩んでしまう。取り敢えず、写真館から仕上げていこう。

じゅるるる・・・寝ます。



たまねぎ
2000年8月14日(月曜日) はれ

農家の友人によれば、タマネギが取れすぎるそうなので、少し分けて貰う。泉州(大阪の南の方)で取れた、正真正銘の泉州タマネギだ。早速、輪切りにして塩だけ振りかけ、焼いてからそれだけで食う。美味い、やっぱり美味い。タマネギが大好きだという人間は珍しいような気もするが、わたしはその口で、タマネギの消費量は普通以上だろう。あまり行きたくないけれど、お世話にならざるを得ない吉野屋の牛丼。あれの何が良いのかと聞かれれば、タマネギ美味しいからだと言うだろう。「ネギ抜き」なんて注文するやつは、邪道だ。

親父から間違い電話がかかってくる。弟の携帯にかけたつもりが、わたしの携帯にかけてしまったらしい。普通は液晶に出ている名前ぐらい確認すると思うが、同じようなことが過去にもあった。久々に声を聞けば、いきなり「そろそろボケが・・」と言わんばかりの見下したようなリアクション、それに呆れを意味するしばしの間が辛かったのだろう。直ぐに切れば良いのに、どうでも良いような話を切り出してくる。

「最近、どう?」

話題はなくても、話だけは繋げなければならないときにしか使われない挨拶だ。

「別に」

その返答として最も適切な語を挙げよ、と言われればこれぐらいか。

「寝てた?」

あまりに気怠そうな声を寝起きと判断したのだろうか。しかし、夜型のわたしが21時前から寝てるわけがない。

「いま帰ったとこ」

「遊びに行ってたの?」

「いや、仕事」

当たり前だろう、今日は平日じゃないの。

「へ? だって盆休み・・・」

あ、そっか。そう言えば、そうだった。仕事のスケジュールがそれどころじゃなく、あるいは暇でも混雑を避けるためにいつも中途半端な時期に休みを取るわたしは、盆に休んだ経験など無いから、世間の休みなんて忘れていた。よく考えたら、普段から食いに行っている店が軒並み休んでいたから、今日は昼飯を食うのに困ったのだ。しかし、8月の頭に早めの夏休みを取って、わたしが実家にいたことをすっかり忘れている親父は、やっぱりボケが来ているような気がする。



コミケ雑感
2000年8月13日(日曜日) あめ

始めて「コミケ」なるイベントに行ってきたのだ。

敢えて「始めて」をの部分を強調したのは、どういう所以があるのか、周りの人間には「こいつに限っては、夏冬欠かさず毎年コミケに行っている」という、見逃すことのできない大きな誤解が蔓延していたからだ。まったく、とんでもない。そもそも、わたしは現地に着くまではどこで開催されているのかすら知らず、金魚の糞の如く案内人に付いていくしかなかった正真正銘の初心者だ。であるにも関わらず、「始めてなんですよ〜」とか言えば、速攻で

「えっ!? くぬぎざさん、始めてなんですか?」

などと、驚きを多分に含有した反応が返ってくるのは、一体どういうことなのだろう。

「いえいえ・・・わたしはオタクじゃないので(^^ゞ」

「え、え〜? 
十分にオタクだと思うけど」

「まあ、ここにいる時点で
道を踏み外しているから」

ち、違う。それは断じて違う。恐いもの見たさで来てみただけの「傍観者」だ、俺は!


あくまでそのような気立てで、12日の土曜日に案内人の先導のもと、東京ビッグサイトに行ってきたのだ。

少しどきどきしながら新木場の駅を降りると、既に雰囲気がちょっと違う。もちろん、「ごく標準」としか言えない格好の人も多くいるけれど、男性にあっては、デブもしくはガリヤセにTシャツと無精髭という絵に描いたような典型的オタクスタイの人口密度が高い。もっとも、それは秋葉原でも良く見掛けるスタイルだから、改めて驚くようなものではない。むしろ、女性の方が印象的だった。年齢の判断が極めて困難な人が何故か多く、しかもファッションセンスが極端。もうちょっとファッショナブルな服装もあるでしょと言いたくなるタイプか、ヴィジャル系を突っ走っている感じのタイプが目立つ。

そういったことを観察しながら、なるほど・・と、妙に納得しながら中に入る。何も知らないわたしは、そもそもコミケとは「アニメキャラなどが容赦なく犯されたりする内容の絶対に有害図書指定なパロディマンガの即売会」であり、「どす黒い本能を剥き出しにしたオタクどもが、餌を見付けた蟻のように列を成して群がる」状態が、斯くも盛大に行われるイベントと想像していた。けれども、意外とそうではなかった。事態の把握と人を避けるのに脳の処理能力の90%以上が使われていたので詳しくは見ていないけれど、電子工作の強者とか、わたし好みのジャンルで参加していたサークルもあった。ジャンルを限定すれば見ていて飽きず、色々と楽しめた。

しかしまあ、男が看護婦の格好をして、さも当然と言わんばかりに歩いていたりするからそれなりにインパクトは強かった。「こりゃなかなか行けてるぞ」というコスプレは見ていて楽しいけれど、噂には聞いていた「思わずどつきたくなるようなコスプレ」を間近で見ると、やっぱり引いてしまう。

土曜日に割と楽しめたわたしは、日曜日も改めて(一人で)行くことにした。「傍観者」のつもりが、自発的に行くことになったから、もう言い訳は出来まい。土曜日にある程度の雰囲気を掴めたので、日曜日は「それなりの身なり」で行く。暑いから、首からタオルをぶら下げて・・・なんだか場に溶け込んでしまっている自分が恐いのだが・・・細かいことは気にせず、昼過ぎから東館の「非エロ系」のみをじっくりと見る。ジャンルを限定すれば面白いと思った、例えば下らない研究が同人誌になっていると、突撃実験室の Webmaster としてはつい見てしまうし、そういう人と話をするのも良い。まあ、それぐらいなら、まだ健全な参加形態の範疇に含まれるだろう。

なにせ、オタクじゃないから。



高校野球とか
2000年8月11日(金曜日) はれ

全ての機能がビルの同じフロアに同居していた職場が手狭になってきたため、事務部分が別のフロアに移転した。新事務所に電話線やネットワークケーブルを通す作業があって、スチール(パイプにケーブルを通すためのワイヤ)で綱引き大会をしたお陰で、筋肉痛になってしまった。まあ、苦労の甲斐もあって仕事場が広くなった。仕事が多いから・・いや、恐らく整理が下手なのだろう。わたしは人一倍の場所を食うので、どさくさに紛れて自分の我が儘をねじ込む。わたしの机をさらに増やしてもらって嬉しいのだ。

しかし、美しい新事務所にいるとなんか落ち着かない。グチャグチャの旧事務所の方が性分に合っている証左か(笑)

最近は高校野球なんてものが話題だけれど、アホな精神主義を具現化した集団を見ているようで、わたしは高校野球が大嫌いなのだ。クソ暑い中、「みんなで頑張ろう!」などと気合いをいれて頑張れるのなら誰も苦労はしない。そんな暇があったら、個々人が頑張るためにはどうすれば良いのか、またそれを可能にするためにはどのような環境を作るべきなのか、そういったことを具体的に思案するのが合理的な寸法だ。根性が全く不要だとまでは言わないけれど、根性そのものに美を見付けて何になるというのだ。

わたしにも偏見はあるのだろうけれど、こういうわけで体育会系の人間とは絶対に肌が合わない。何かの問題に対して、当人以外には理解し難い精神主義的な解決を出してくる体育会系の人間とは、ほぼ間違いなくモメている気がする。特に、非合理な解決を自分で勝手に「美しい」と思いこんでいたりするタイプの人間は、質が悪い。本意としては平和的に解決したいが、結局は「俺の言う事を聞け」と来るので、話にもならないのだ。モメ事になって当たり前なので、この種類の人間とは関わらないようにしてる。

逆に言えば、わたしは体育会系の人間には凄く嫌われているはずなので、問題はないだろう。



予知夢?
2000年8月9日(水曜日) くもり/はれ/雷雨

寝ているわけでもなければ、起きているわけでもなく。そんな、ちゅうーーと半端な(関西限定ネタ)目覚めを迎えたのは、陽もとっくに天高く昇ったころのこと。頭脳の中でも特に理性を司る部分は、一体いつまで寝ているのだ、即座に起きるべきだと主張するが、しかし、理性の効力を遙かに凌ぐ本能の魅惑的な反駁がそれを許さない。まあ良いじゃないか、もう一眠りぐらいはと。そして、本能の甘い誘いが、半醒半睡の身体を再び浅い微睡みへと導いてくれるのである。休日の朝は、そんな調子で昼過ぎまで寝ていることが多い。

半分ぐらい起きてみては、また眠るというサイクルを繰り返しているとき、夢を見ることが多い。そして、時には現実世界で実際に起きている出来事と、夢の中での出来事が連動していることもあるから不思議なものだと思う。例えば、何かが揺れる夢を見ていてはっと目を覚ますと、いつまでも寝ていることに業を煮やした親が起こしにきていて、実際に身体が揺すられていたという経験をお持ちの方は多いだろう。そうした現実連動型の夢のうち、後に現実世界において実際に発生する予想不可能な事象を夢の中において事前に予想し、夢での出来事が現実世界での出来事に矛盾することなくシームレスに繋がってしまう夢は、特に不可解だと思う。

つまり、「夢の中で揺れていると思ったら実際に身体が揺すられていた」という夢では、眠っている間でも身体が揺すられていることを無意識に認知していると考えれば、全く不思議なことではない。しかし、夢の中で「もうすぐ大地震が起きる」と報じる地震予知のニュースを聞き、その直後に地震の夢を見たところ、現実に身体が揺すられていた場合はどうだろうか。後に現実世界で発生する出来事を予知する夢を見たと考えることも可能である。もっとも、夢の世界ではしばしば起きる強引な辻褄合わせであることも否めず、これを「予知」と呼ぶことにわたしは否定的だが、単なる偶然とも言い切れないところが難しい。

いままで見た夢の中でも、特に不可解な「予知夢」と思いたくなる夢を一つ紹介しよう。夢の中で、わたしはどこかの加入電話から自分の携帯電話に電話をかけていた。何故そんなことをするに至ったのかという経緯は長いので割愛するが、とにかくある理由からそうしたのである。夢の中のわたしがダイアルを終えると、確かに携帯が鳴った。でも、鳴ったのは夢の中の携帯電話ではなく、現実世界で契約している携帯電話だったのだ。はっと目が覚めて現実の世界に戻り、電話に出てみると、それは夢の中の自分からの電話だった・・・というのはもちろん嘘で、電話の相手は友人だったが。そんな夢を見たのである。

あらゆる否定的見解を適用してみても、この夢を「単なる偶然」に分類するのは難しいと思う。その日のその時間に誰かがわたしに電話をかけてくることは予想し得ないことであるし、夢での出来事から現実での出来事へと切り替わる仮定も余りに現実的だ。かなり浅い眠りだったので、この夢は比較的はっきりと記憶しており、夢の中における時系列的なワープなどによって、強引に話が繋がったとも考えにくい。もし仮に何らかの予知であるとすれば、一体どうしてこういうことが可能なんだろう。それとも「単なる偶然」が「余りに辻褄の合う偶然」であったということか。



テクノロジー
2000年8月8日(火曜日) くもり/はれ

NHK の「プロジェクトX〜挑戦者たち」を見ていると、物理的な形に残るものを扱う技術屋はちょっと羨ましく思ったりする。

技術屋の仕事なんて概して地味なものだけれども、同じ技術屋でも何らかの物理的な完成品を指さして、息子か娘に「お父さんは、これを作ったんだよ」と言えた方が良いに違いない。わたしも技術屋の端くれではあるが、一応の本業であるファーム屋なんぞやっていると、もし自分に子供が出来て「お父さん、何の仕事してんの?」って聞かれても上手く説明できそうにない。携帯電話のようなコンシューマが相手ならまだしも、産業用機器の組み込みマイコンのソフトなんか、全く理解されないだろう。

ガキはまだ先の話なので良いが、友人なんかに「お前、何の仕事してんの?」と聞かた場合でも、説明は困難を極める。大方の人は「そんなところにマイコンが入っていて、そこでソフトが動いている」ことをそもそも知らないからだ。電気屋と言えるほどハードの設計はやってないし、プログラマといえば早いが、一般的なプログラマという語意から想像されるほど生やさしいアプリ開発をやっているわけでもない。デバッグがオシロとロジアナによって行われるソフトの世界は、また趣がちょっと違う。

最近、良い説明を思いついた。「パソコンのBIOSみたいなソフトものを作ってる」というと、パソコンをいじっている人間なら割と素直に理解してくれるようなのだ。「へえ、あれもソフトだったの」という反応はあるにしても、ハードと直接に関わりのあるソフトを作っているというイメージは持ってくれるらしい。というわけで、「タダの箱に過ぎないものに命を与える」という神のような仕事をしているにも関わらず、いかんせん地味すぎて浮かばれない全国のファーム屋さん、BIOSを書いていることにしよう。

でも、IT革命の話で沸き立っているお陰で、最近は「インターネット関係の仕事です」と言うと、時代の最先端を突っ走っているような感じがしてでかなり華々しく聞こえるらしい。実際に色んな意味でネットワーク屋もやっていて良かったと思うことは多いのだが、IT革命やら何やらには政府の黒い陰謀を感じるこの頃。



なすび
2000年8月7日(月曜日) はれ

夏休み明けの、社会復帰たる日。だがしかし、それ能わずってのは毎年のこと。

なすびって野菜が、どうも苦手なのだ。なすびが嫌いなわけじゃない、ただどうも自己主張に乏しくはっきりとしない味や、情けない歯ごたえが調理を一層に難しくしていると思われ、それゆえ自ら調理しなければならない者としては敬遠しがちなのである。最近、なすびはトマトで煮ると美味そうだということが判明したので、必要以上に大袈裟な調理方法を採用することにして、鶏肉・トマト・白ワインなどと煮込んでみる。あくまで、なすびの煮込みであって、鶏肉の煮込み料理ではない。

そうすると、確かに味は悪くないものは出来るのだけれど、なすびの水っぽくて情けない歯ごたえは解決せず、しゃきっとしたものにならない。手強しなすび、あれやこれたと試行錯誤してみても、これだけは美味い食い方が良く分からなかったりする。



キーは銃よりも強し
2000年8月6日(日曜日) はれ

「キーは銃よりも強し」とは、何のことやら。

わたくしめ、ゲーセンという場所がどうも苦手なのだ。付き合いがてら行くことはあっても、自発的に立ち寄ることはまずない。反射神経が鈍すぎるのか、それとも他に何らかの原因があるのか、お世辞にもゲームが上手いとは言えないので、行けば行くほど劣等感ばかりが募るのである。ゲーセン独特の雰囲気は嫌いではないし、結果さえ気にしなければゲームも楽しめる。しかし、対戦モノでは負けるとやはり悔しいし、後ろにゲーセン慣れしてそうな見物客が集まっていたりすると、ヘボいプレイを笑われているのではないかという感じがして、気が気ではない。

反射神経と指先の操作テクニックがモノをいう格闘ゲームが全盛だったころは、それこそゲーセンなんて行く気もしなかった。複雑な操作が要求される必殺技なんて、いくら練習しても思うように出てこないし、そこでどうしようかと焦っている間にやられてしまうのだ。煙草をくわえながら、さも当然と言わんばかりに乱入者をブチブチと倒していくゲーセン常駐型のアンちゃんを少し羨ましく思いながらも、そうなったからといって実生活の上で何かの役に立つわけでもなく、ゲーセンで楽しむことは半ば諦めていた。

復権の時が来た、と思ったのは、主な操作手法がレバーとボタンではなくなり、人間が実際に身体を使ってプレイするゲームが登場しだした頃だ。Dance Dance Revolution なんかがその典型で、全ての意思を指先だけに集中することは困難でも、身体を使うものなら何とかなる。決して上手いとは言えなくとも、結果が勝つか負けるかの二項しか有り得ない対戦ゲームよりも気が楽だし、わたしの気質では技術的羞恥心を棄てるより身体的羞恥心を棄てる方が遙かに楽なので、よしんば周囲からはタコが踊っているように見えたとしても、それはそれで別に構わないのである。

そしてとうとう俺の時代がやってきた、と思ったのは、THE TYPING OF THE DEADというゲームがゲーセンに登場したときだ。操作台にはパソコンのキーボードが置いてあり、画面に出た言葉を正しく打つと、敵であるゾンビを倒せるというゲームである。素速くて正確なタイピングが武器とされるゲームにあっては、特に練習などせずとも人並み以上のスコアぐらいは上げられる。なぜなら、横目でテレビを見ながら多事毒論を書いているわたしにとって、タイピングは日常生活の一部に他ならず、それがゲームになっても何ら苦労することはないからだ。

とうとう俺の時代がやってきた・・・のだが、このゲーム、設置台数が余り多くないのが悩みの種である。



電車が分かりにくい理由
2000年8月5日(土曜日) くもり/雨

某サイトのオフ会で、大宮まで行って来た。

横浜から大宮は、近いようで意外と遠い。取り敢えず京浜東北線に乗れば、一度とて乗り換えることなく大宮まで行ってくれるものの、京浜東北線は各駅に止まりながらノンベンダラリと走ってくれるものだからトロくてやってられないのだ。そこで、横浜から東京までは東海道本線に乗り、そして上野から大宮までは東北本線に乗ると、いずれもガンガン飛ばしてくれるので時間短縮になる。しかし、この辺は知っていなければ出来ない技だと言って差し支えはない。そんなことは、ほとんど案内されていないからだ。

首都圏のJRをややこしくしている最大の原因は、複数の異なる路線が併走している点だと思う。例えば、京浜東北線と東海道本線が併走している横浜東京間は、それぞれが各駅停車と快速という関係にあると言える。従って、横浜から東京まで早く行きたいときは東海道本線に乗ればいいのだけれど、事実上そういう関係が成り立っているというだけのことであって、各駅停車と快速という関係は明示されていないし、しかも路線名も違うから、乗客本人が経験の上でそのことを知っていなければならない。

上野大宮間の東北本線に至っては、もっとややこしい。東北本線であることは確かだが、案内では、愛称である宇都宮線と書いてあることが殆どだ。しかも、同じく東北本線を通る高崎線なんてのも上野から出ているし、ここでも京浜東北線が併走していたりする。上野から大宮まで行きたくなったとき、ここら辺の関係がどうなっているのか詳しくない人ならば、どれに乗っていいのやらまず間違いなく迷うだろう。わたしもよく分からないので事前に調べて行ったが、調べなければ分からないということは、即ち案内の不親切が酷いということだ。

挙げていけば、このように一見おかしな運行をしている路線は多数ある。理解さえすれば、この一見おかしな首都圏近郊電車の運行は非常に合理的なものと分かるのだが、それを分かっていないと、目的地に辿り着けたとしても最速の倍ぐらいの時間がかかったりする。併走している区間においては、可能性としてあり得る経路のうち、どれを利用すれば最も早くなるのか、全くといって良いほど案内されていない。そんなことは、常識として利用者が分かっているはずだという前提がどこかにあるのだろうか、そうだとすれば、それはJRの傲慢に他ならない。



帰宅
2000年8月4日(金曜日) はれ

8月2日の話、題名を「不更新報告」と書くつもりが、慌てていて「更新報告」となっていたり。ま、こっそり書き換えましたさ。

大阪の実家から横浜に戻ってきた。貧乏なわたしは、交通費を1円でも節約するために普段から新幹線に乗るときは普通車の自由席を使っていたりする。そもそも、大阪−横浜間の移動を計画的に行うことがないので、時間に縛られない自由席の方がむしろ有り難かったりするのだが、今日は何となく贅沢がしたくなった。そこでグリーン車...と考えてみたが、いつもの通り貧乏遮断器が動作してそれを許してくれず、ささやかな贅沢のつもりで指定席に座ってみた。そう、五百数十円高い指定席は、わたしにとっては贅沢品に他ならないのだ。

けれども、新大阪から京都(いつも京都から乗る)まで空気を運んできた自由席を目の当たりにして「指定席に座る必要性が全く無かった」というオチが自然に発生し、要するに「ささやかな贅沢を求める心こそが貧乏の原因である」という答えに帰結するのは、いつものことである。このことから得られた教訓は、貧乏人として生まれてきた以上は細かい贅沢を求めても満たされるものはなく、つつましく質素な生活を送り続けることこそが最も合理的な生き方であるという当たり前のことだけだ、畜生。仕方がない、そういう星の下に生まれたのだから。

吉野の山奥で見上げた夜空は綺麗だった。真っ暗な空を見上げれば満天の星々が見える、そんな当たり前のことすら能わない都会生活者からすれば、それも一つの贅沢だ。物質に依らず、カネの動かない贅沢をこれからも模索していこうと心に決め、多事毒論を更新する間もなかったほど忙しかった今年の夏休みもそろそろお開きである。で、この話に何らかの形でカタルシスでもあるんだろうか。よしんば自分で書いていながら、結局のところ何が言いたいのか分からなくなってきた。



不更新報告
2000年8月2日(水曜日) はれ

更新が途絶えて申し訳ない、いきなり死んだわけじゃなく、ちゃんと生きてはおります。実は、奈良県は吉野の山奥で遊んでいたのだった。行程の主要な部分は徒歩であったので、ノートPCなどといった生命維持上は特に必須でもないものを持っていけるはずもなく、手元にあった情報機器と言えば携帯電話ぐらい。どうでも良いことだが、川上村の人里離れた山奥にあるほんの小さな集落でも、ドコモの電話だけは見事に使えたから驚きだ。比較的新しい感じのミニ基地局が至る場所に立っていた。さすが、人口カバー率99.9%を誇っているだけのことはある。

というわけで、疲れた。詳しい話は、また後日。



突撃実験室