多事毒論(2001年8月分)


警察官
2001年8月30日(木曜日) くもり

不祥事と言えば神奈川県警を連想するぐらい、あそこと不祥事は切っても切り離せない関係にあるらしい。

ヤクザに情報を提供してカネを受け取ったことが問題となっているが、この際、具体的な不祥事の内容を論じたところで始まらない。そうした癒着は無論のこと誉められたことではないが、ヤクザと連んでいる警察官ぐらい神奈川県警に限らずどこの警察にも多かれ少なかれいることだろうに、どうして表沙汰になって大騒ぎになるのは決まって神奈川県警なのか、という本質の方が興味深い。敢えて事を荒立てるために内部告発が密かなブームになっているのではないか、という推測もこの場合は成り立つだろう。仮にそうだとすると、それだけで組織の脆弱性というか破綻が感じられる。

時期をほぼ同じくして世田谷で刺殺された警察官もいたが、もしあれが神奈川県内の出来事で、その警察官が神奈川県警の人間だったならば、マスコミ報道などはどうなっていたのだろう。どうしようもない組織に所属する現場の警察官は職務を全うしようとして刺され殉職するというシチュエーションにおける、だめな組織と一途な個人の見事なコントラストはこの上なく格好のワイドショーネタだ。日本のマスコミは、とかく組織を叩くのは好きだが、個人に対しては「死ねば取り敢えず良い人」系の報道をしがちだから、相当に面白い展開になっていたのではないかと思う。

まあ死人に口なしとばかりに、死人のスキャンダラスな部分を敢えて取り上げるのはどうかと思うが、かといって警察官といった職業は本質的に危険を伴うものであって、時としてケガをしたり死んだりすることもあるのは当たり前のことだ。いちいち近所の人にマイクを向けて「とっても良い警察官でした」などと白々しいことを言わせ、ひいては当人の生い立ちや個人的な人間関係なんかも織り交ぜながら「こんなに良い人に、そんな不条理なことがあって良いのか」とでも言わんばかりに、やたらと情に訴えて取り上げるようなことではなかろう。

プロらしく殉職するという偉功も、こういう同情的ステレオタイプ報道からは全く伝わってこないだけに、ことさら痛々しく感じるのだが。



壊れたBIOS
2001年8月29日(水曜日) くもり

BIOS の中身が壊れている可能性が高いから調べて欲しいという依頼を受けて、預かった ROM の中身を ROM ライタで読んでみたら、見ただけで分かるぐらい見事に壊れて(壊されて)いた。BIOS の中身が吹っ飛ぶという現象は経験したことがないので、こんなのを見るのは初めてだ。面白いことに、正常な部分と以上な部分がきっちり1024バイトごとに並んでいて、壊れた部分では、同じデータで埋まっている。いったい何が起きるとこういうことになるのだろう・・・BIOS を破壊する気合いの入ったワームがあると聞いたことはあるけれど、そういうヤツの仕業かな。

Yahoo! Auctions を見ていると、壊れた BIOS を復旧します、というような商売をしている人がいるのだけれど、ROM ライタ一つで出来るから、依頼がそこそこあれば、ちょっとしたお小遣い稼ぎにはなるかも知れない。BIOS にも著作権があるので、それに違反するのではないかという疑問はあるが、まあ咎められることはないだろう。基板に半田付けされているマザーはお断り、と書いてあったが、わたしなら工賃を上乗せしてやるかも。余所で断られた人間の受け皿も美味しい商売だ。

医者も匙を投げ、藁にもすがる思いの患者を救済する宗教団体とか(笑)



浜村淳
2001年8月28日(火曜日) はれ

「あなたがどこへ行ったって、いつもあなたのそばにいる」と、NTT ドコモのテレビCMで独特な喋りを披露しているのは浜村淳だが、ドコモ中央の営業エリア内における浜村淳の知名度はどの程度なのだろうと考えると、間違いなくマイナーの部類に属するような気がする。地域を関西に限定すれば知名度は抜群だけれど、関西圏から離れて名前を出しても誰やねんそれ、というリアクションしか帰ってこない物もけっこうおり、浜村淳なんてその金字塔と言えよう。関西在住者は、往々にしてそのことに気付かないものだが。

ガキのころは、朝起きると家では必ず「ありがとう浜村淳です」が流れていたためか、ドコモのCMを見ていたら、言いたい放題に終始ほぼ一人で喋りっぱなしの浜村節が妙に懐かしくなった。便利な時代になったもので、RealAudio で聞けるようになっている。全国のラジオ番組で聴取率ナンバーワンは、「ありがとう浜村淳です」ということを知って、ちょっと驚いたが。

「いまCMに出てるあの人は誰ですか?」という問い合わせがたまにあるとドコモのコールセンターで受付をしている人が言っていた。もちろん、そんな問い合わせに対する対応マニュアルは用意されていないとのことだが、知っていれば教えてあげるらしい。



写真の整理をしたり
2001年8月26日(日曜日) あめ/くもり/はれ

白浜へ行ったときの写真を整理してみたり。けっこうな枚数を撮影しているわりに、人様にお見せできそうな写真が貴重なのはいつものことだ。ところで、デジカメで撮った写真をパソコンの画面で見ると、表示装置によって色が微妙に違ったり、ガンマ値が違うから困る。CRT モニタで見るのと、液晶モニタで見るのとでは発色が少し違うし、デジカメの液晶モニタの発色もパソコンでの表示とは少し違う。となると、何を基準に撮影(補正)すれば良いのやら・・・。結局、考えるのが面倒くさいから適当にやってる。

むかし、新聞の見出しの部分に同心円状のストライプ模様になっているやつがよく使われていたが、少なくともうちで取っている朝日新聞ではもう使われていないようだ。あれ、なぜか好きだったのだが、いつのまに無くなったんだろう。



A.I.
2001年8月25日(土曜日) はれ

なんだか無気力全開だったので、気分転換に映画「A.I.」を観てきた。

全般的に抽象的な話が多く、説法を聞かされているような印象はないけれども、妙に宗教的だった。人工知能の完成度が限りなくホンモノに近づいた未来社会において、人工知能に愛が芽生えたとすればという有り体に言えば下らないテーマを、一つの倫理観を基準に宗教団体が作りそうな電波系の説教映画風にまとめた感じなので、倫理観の押し売りという印象は否めない。しかし、それでいて白けなかったのは、CGが恐ろしいほどリアルで、美しかったからだろう。CGを鑑賞するためだけに観に行っても損はない。冒頭では少し心配したけれど、スピルバーグ的リアリティはきちんと生きている。

この話が言わんとしているところはよく分かるし、それはそれで間違っていないと思う。しかしそもそもの前提として、ほぼパーフェクトなアンドロイドが人間と同居するような社会が未来に待っているとは思えないので、どうしてもこの類の話は嘘臭く感じられる。ロボットは、それが持つ人間にはない能力によって人間の仕事を楽にするために作られる道具であり、人間には掴めないものを掴むペンチと大差はない。今後、より人間に近い動きをするロボットが作られることはあり得るだろうが、人間の完全な模倣であるアンドロイドが生きる世界なんてものは幻想に過ぎない。

少なくとも現代では、そして恐らく意外と遠い未来まで、工業的手法による生産能力が、生物の生産能力に勝ることはない。人間のような生物それ自体は言わずもがな、うまい酒でさえ生物でなければ作れない。色んな技術を結集して、アンドロイドのようなややこしいものを作るぐらいなら、素直にエッチすれば良い。生殖は特殊だという倫理さえ捨てれば、ノーマルの人間は多少の、それも快楽に満ちた肉体労働で量産できるし、どこかで人が介入するとしても、クローニングや遺伝子操作といった改良を行う方が、フルスクラッチするよりも遙かに合理的だ。

生殖操作系の話は、現実味という言葉を通り越してむしろ現実であるだけに、AIのような人造人間系の物語はますますリアリティを失う。新造にしても改造にしても、人間の生に関わる倫理を問題とするのなら、確乎とした倫理基準が必要だと言われながら、机上で話がまとまる前に画期的で実用的な「前例」さえ作ってしまえば割と簡単に認められたりする、いわば結果オーライ状態の生殖の科学について、AI的なものをやってくれたらけっこう面白いと思うのだが。・・・と、書いているうちに論点がずれてきてしまったので、強引に結びつけさせていただいた。



船場で迷う
2001年8月24日(金曜日) はれ/くもり

大阪で会社を経営している知人から、事務所を移転したから遊びにきてくれというような連絡を受けて、先日和歌山へ行った帰りに寄ってみた。以前は、いつ崩壊してもおかしくないような雑居ビルに事務所を構えていたため、あまりの貧乏くささに耐えかねて、もう少し見栄えの良いビルに移転したとのことだった。同等の家賃水準で探すとなると必然的だったのか前よりも少し狭くなっていたが、ビルが綺麗になっただけで倒産の危機に瀕しているかのような雰囲気を醸し出していた会社が、金脈でも掘り当てたように見えるから面白いもの。

そのビルは中央大通と四つ橋筋の角あたりにあると聞いていたから、中央大通を大阪港方面に行き、四つ橋筋との交差点で右折すれば、ちょうどその近辺に着くはずだった。が、実際にはどう右折すればいいのか悩んでしまった。中央大通は幅員 100メートルはあろうかという巨大な道路で、その中央には分離帯の如く船場センタービルが延々と建てられている。そのため、歩道や車道はビルの両脇に敷設されているのだが、四つ橋筋との交差点にさしかかると、ビルが途切れるとともに、ビルの中からも道路が出てくるという奇妙な構造になっている。

どうやらビルの中の道が本線で、ビルの両脇にある道は側道のようなものらしいのだが、ビルの中に道があるとは想像もできず、わたしはビルの左脇にある道を走っていた。右折禁止の標識を無視して、敢えてそこから右折するとすれば、ビルの中から出てくる道路を横切って4〜5車線ぐらい向こうにある右折車線まで行くしかないのだが、さすがにそんな根性はない。右折を予定しているときは、始めからビルの中を通っておけということなのだろうが、そうすると一体どこからビルの中に入れば良いのか、という新たな疑問が沸いてくる。

そこで地図を開くと、これが見事に載ってない。なぜなら、そのビルの屋上には阪神高速が通っているため、地図では高速道路に隠れてその下の道路がどういう構造になっているのかは見えなくなっている。よくよく考えると、どうでも良い交差点で直進する交通は立体交差で飛ばすという良くある道路構造で、橋脚の代わりにビルを使っただけなのだが、ビルの中に道路があるとは普通は考えないでしょ。後で聞いたら、御堂筋との交差点でビルの中に入れるようになっていると教えてもらったのだが、そういえばそんな風になっていたっけ・・・。

調べると、すごい立体構造になっていることが分かる。地下には地下鉄が通っており、地上には平面道路や店舗があり、その上に事務所や高架道路があって、さらに屋上には高速が通っている。徹底した合理主義には頭が下がるが、初めて走ると理解できん。



う〜
2001年8月23日(木曜日) はれ@横浜

横浜に帰ってきた。

大ポカ一件。わたしの設定ミスが原因で、先週末から webmaster@exp.org 宛のメールが届かなくなっていました。ごめんなさい、ごめんなさいです。なにか送っていただいた方、お手数とは思いますが再送をお願いします。Webmaster は、メールアドレスが死んでいただけで、生物的には生きてます。とっても眠いけど。。



白浜へ
2001年8月21日(火曜日) 台風@和歌山

毎夏恒例の温泉旅行から帰ってきた。今回の保養地は、和歌山県の白浜。風呂に入って、美味しい料理を食って、なんかもうこのときのために生きているようなものだ、という時間を何日か過ごすと、また来年の夏までの一年間を生きていけるのである。

しかし。半ば呆れきった様子で「はぁ? 明日から和歌山ぁ?」と、何度言われたことか。無理のないことだった。ゆっくりと日本列島に接近しつつあった台風11号は、見事に和歌山直撃コースを取っていた。そんな折り、上陸が予想されていたまさにその当日に紀伊半島沿岸の白浜へ行くとあっては、わざわざ台風見物に行くようなものだと皮肉られても返す言葉もない。温泉と料理が目当てだったので、海の状態はどうでも良かったのだが、やはり天候は気になっていた。

そして・・・天候による不具合はあったものの、結果的に台風様々だったことは後日詳しく書こう。



とろくさい連中
2001年8月18日(土曜日) 蛍光灯@ひかり

大阪で同窓会みたいなものがあるとのことで、ただいま大阪へ向かっている途中だ。暇だから新幹線の車内でこれを書いていたりする。天気の悪い日に長距離移動をすると、お天気欄の対処に少々悩んでしまう。今日も新横浜駅では小雨がちらついていたが、小田原か熱海の辺りでは、ほぼ快晴だった。夏場はまだ良いが、冬場なら大阪は雨、ゲリラ雪地帯として有名な関ヶ原周辺はは吹雪いていて、名古屋では晴れなのに横浜では曇り、なんてことも実際にあるから、新幹線に乗った日は「蛍光灯」という表現が最も適切であると判断した。

中途半端な時間帯の下りということもあってか、新幹線は比較的空いていて快適だ。少なくとも、家族連れやら学生の集団で車内がごったがえしていて、はしゃぐガキどもの声で騒然としているというような夏休みにありがちな雰囲気はない。駅では、特に改札付近がドンくさい家族連れなどで少し混み合っていたが、それはいつものこと。新幹線の自動改札機を正しく通れない客は相変わらず多い。乗車券と特急券は別物だったりして分かりにくい部分もあるし、駅に掲示されている案内などが不十分であることも否めない。

だから分からないことは仕方がないと思うのだが、案内は確かに行われているのだから、分かりそうにないと感じたら取り敢えず列から退いて案内などを読めば、分かっている人も分かっていない人もお互いにスムーズになるはずだ。なのに、なぜか最後まで平然と列に並んでいて、自分の番になってから急に慌てふためく人がけっこういるから不思議でしょうがない。予習する時間を節約して、本番で焦ってあたふたしながらどうにか対処した方が効率的だとでも思っているのだろうか。

飲食店の店員さんでも、一人だけやたらと忙しそうにしている割に、仕事は人一倍遅く、ミスも異様に多いタイプがいる。こういう人は、忙しいから素早くやらなければと、意味もなくただ焦っているだけなのだろう。忙しいときには、普段よりも素早く動かなければならないことは当然だが、それでも個々の仕事は常に落ち着いてやった方がかえって速いものだが。



ジンクス
2001年8月17日(金曜日) 晴れ

ハードディスクの話を三日も続けるなんて引っ張りすぎ、と非難されそうなので違う話でも。

何となく街を歩いていたら、SPAM を見付けた。分かる人には何のことか分かるだろうが、いわゆる迷惑メールを spam と呼ぶこともあって、その元ネタがこの缶詰なのだ。ちなみに、SPAM を作っているメーカとしては、迷惑メールと自社の製品名が同一の名称で呼ばれるとあっては、こりゃ許せんと感じるはずだ。けれども実際には、製品名は大文字の SPAM、迷惑メールは小文字の spam と表記するように、なんていう極めて妥協的な見解を示して容認していたりする。案外、spam のおかげで SPAM が有名にって売り上げが上がり、これは利用すべきだということになったのかも?

で、噂の SPAM を食べてみたいと思っていたから、つい買ってしまったのだ。不味いという話を聞いていたけれど、ハムとベーコンを混ぜた感じの味で、わたしはむしろ美味しいと思った。塩気がちょっと強いのでそのまま食べると辛いが、炒め物などでベーコンの代わりに使ったりしたら美味しそうである。しかし、だったら今度から積極的に料理に使おう、とも思えない味と言えば理解しやすいだろうか。

遅ればせながら、明日から一週間の夏休み。うれしいのだ。お盆休みの当直勤務(?) では、週の後半にもなると「あとはよろしくね〜」と、一人ぼっちにされてしまった。それも気楽で悪くはないが、しかし夏休みのない電話だけはきっちり4回線あるという時点で、何かが間違っていると言わざるを得ない。しかも、わたしの職場には、なぜか一人になったときに限って、普段はあまり鳴らない電話が一斉に鳴り始めるというジンクスがある。誰かが人数を監視しているに違いないという噂もあるが、真相の程は不明だ。

今回も例外になくそうだろうと予想して、複数回線同時鳴りといった事態にも対応すべく予め二台の電話機を机に用意しておいた。すると鳴る鳴る、ジンクスに例外はないのだ。そればかりか、ジンクスというものは止まるところを知らない。一本目の電話を対応している最中にかかってきた二本目の電話に限って、コピー機とかの電話営業だったりするのだ。お客さまをわざわざ待たせて出た電話がそれだから、このクソ忙しいときに余計な電話してくんな、というリアクションしかあり得ないわけで、罵声を浴びせて叩き切る。

お待たせしてすみませんねえ、そう詫びながら一本目の電話に戻ってふと気付く。

・・・うげっ、この電話って保留になってなかったの!?

くだらん電話営業を叩き切ったときの怒鳴り声は、もちろん一本目の電話にも聞こえているはずだ。この二本の電話は、本当に同じ人が対応しているのだろうか、と戸惑うお客さまの顔が目に浮かぶ。これも、一種のジンクスってやつなのだろうか。



ふう
2001年8月16日(木曜日) くもり時々晴れ

ディスク交換完了・・・なんつうか、どっと疲れた。

同じ製造ロットのハードディスクを二つ購入したのが、1999年10月17日。そのうちの一つは、今年の4月1日に壊れて交換したとの記録があり、そして他方は先日壊れた。ほぼ同条件で使った結果、4ヶ月程度の差はあるから時を同じくしてとは言えないにしても、比較的短命で、だいたい同じような壊れ方をしてくれるから面白いものだ。あるメーカの製品は保証期間が終わった直後によく壊れるなんて噂があって、「ソ○ータイマー」と揶揄されていたりするが、これが徹底した品質管理の怖さってところだろうか。

いずれにしてもハズレだったことは間違いない。24時間、必ずしも良いとは言えない環境下で回しっぱなしにされているとはいえ、2年も経たないうちに臨終するようではちょっとダメだ>Quantum。だから、というわけじゃないけれど、今回は IBM の DTLA-305020 二発という構成でいった。RAID 1 にしてあるが、故障傾向の一致が偶然ではないのだとすれば、敢えて違う製造ロットのディスクで構成した方が良いような気もする。一度に二つとも逝かれちゃったら、RAID になってても意味がないからね。

ミラーリング:片方のディスクには、鏡文字のように逆のビット列を記録すること
・・・直訳すると、これが正しい気がする。



ディスクの値段は?
2001年8月15日(水曜日) くもり時々晴れ

昨日、朝っぱらからサーバのハードディスクが景気良く吹っ飛んでくれたので、その交換品を買ってくる。勤め人という立場上、平日の昼間から秋葉原で私用の買い物をするわけにもいかないので、横浜のソフマップで買い求めた。やや洗脳じみた音楽が流れまくっているなど、店の雰囲気がいけ好かないのであそこでモノを買うのはけっこう久しぶりだ。しかし、横浜市内には意外とパソコン部品を売っている店が少なく、わたしの知る限りでは、ソフマップのほかにドスパラぐらいしかない。

中途半端に秋葉原が近いせいだろか。パソコンの部品を買いたくなったらみんな秋葉原へ行ってしまうから、敢えて横浜に店を出しても客はあまり来ないのかも知れない。わたしもその一人だ。しかし、ちょっと何かが必要になったけれど、秋葉原まで足を伸ばすほどでもなかったり、行ってる暇がないような今回のような事態も現実に発生する。ドスパラ横浜店あたりはまさにそこを狙った隙間産業なのだろう、アキバ価格+電車代よりも少し安い価格設定が、それを物語っているのではなかろうか。

今まで使っていた 6.4GB のハードディスクすら使い切れないのに、世の中のボトムラインはいつのまにか 20GB になっている。大は小を兼ねるというが、巨大すぎるハードディスクを買うほかなく、半分も使われないまま寿命を迎えるのはいつものことで、その度に勿体ないと思う。小容量で、その分だけ安いディスクがあれば理想的なのだが、製造原価は最新モデルと対して違わないのに、付加価値の低い小容量のディスクを敢えて作るメーカなんてないだろうから、そこは割り切るしかない。

ハードディスクの値段は、容量と比例することはないから、余計に買いにくい。20GB のディスクが 1万円であって、同モデルの 40GB が 2万円ぐらいなら目的に合わせてどちらかを選べば良いが、実際には 20GB のディスクが 1万円で買えるときには、同モデルの 40GB は 1.3万円ぐらいが相場だ。3,000円で容量が倍になるというお買い得感が、逆にここで 3,000円を惜しめば半分も損をするという考え方を招いてしまい、結局 3,000円多目に払って計画よりも大きな容量の方を買ってしまう人もいるかも知れない。

最後まで使い切れなかった容量を買ったことを悔やむことになるか、あるいはあのとき大きな容量のものを買っておいて良かったと感謝することになるか、それが分かるのは数年後だろう。わたしの経験を言うと、ハードディスクの容量がギガバイト一桁ぐらいまでのときは感謝したことの方が多かったが、何十ギガバイトという単位が標準になってからは、そもそも値段と価格を比べて損得勘定を働かせることすらしなくなった。自分のPCで使っているハードディスク空き容量を見れば、結論は明白だ。



ディスクご臨終
2001年8月14日(火曜日) くもりのち晴れ

普段ならまだ眠りこけている午前6時前、すごい異音に気付いて目覚めた。「ガリガリバキバキ」という不吉な音に続いて「ゴキッバキッガシャッ」なんていう、コンピュータを扱っている人にとっては最も聞きたくない音ベストワンの、あの音だ。しかも、それが突撃実験室のサーバが置いてある場所から聞こえてくるのだから、もう寝ている場合ではない。といっても頭は依然として寝ているが、ディスククラッシュという忌むべき事態であることを察知したわたしは、本能的に飛び起きてモニタの電源を入れた。

カーネルは何とか持ちこたえているようで、画面には読み書きエラーのお知らせが次々と吐き出されつつあった。しかし、ログインやシャットダウンすらできず、使い物にならないところまで終わっている。仕方がないので強制リブートしてから調べると、案の定というかミラーになっているディスクの片方が臨終していたのであった。壊れたディスクをミラーから切り離して片肺による運用に切り替えたら取り敢えず事態は解決したが、ディスク交換作業のことを考えると面倒臭くてねえ...はぁ。

むちゃ眠いです、変な時間に叩き起こされたから。



Browser Board
2001年8月12日(日曜日) くもり時々あめ

所用で出かけた帰りに、NTT DoCoMoBrowser Board を衝動買いしてしまった。

出先でメールやウェブをちょっと見るためにわざわざノートパソコンを持ち出すのは大袈裟すぎるが、携帯電話では苦痛を感じる。そんなわけで、セカンドバッグに入るぐらいの大きさの簡易ネット端末が欲しいと思っていたおりちょっと惹かれてしまったというのが実際のところで、かなりの別嬪さんだった契約受付のオネーサンに惹かれて買ったわけでは断じてないはずである。景品をくれるというので、じゃあオネーサンください、とかなんとか言ってた気がしないでもないが(文字にすると殆どエロオヤジのセリフだなあ・・・)。

大きさはだいたい煙草の箱3つ分ぐらいで、厚みも煙草の箱ほどあるからコンパクト感はあまりない。幅や奥行きは、キーボードを付ければこの寸法が限界に近いだろうから許容範囲だが(これ以上小さいとかえって使いにくいし)、いまは何でも薄く作る時代であるにも関わらず、その趨勢に逆らうかのようなダサダサな厚みが小型化努力の足りなさをよく物語っている。筐体の寸法と比べて液晶ディスプレイがやけに小さいことはコスト削減至上主義設計の証左ではないかと思わされるが、まあそれは許してあげよう・・・たたき売りされる運命にあることだし。

機能的には、PHS か PDC で任意の接続先にダイアルアップ PPP 接続ができ、メールの送受信ができて、フレームや SSLに対応した(タコとも言い切れず、まともとも言えない)ブラウザが付いている。基本的な機能は押さえてあり、一通りのことは出来るようになっているが、パソコンで慣れてしまっているせいか使い勝手や設定の自由度の面で不便を感じる部分も少なくない。たとえば、メールアカウントだけを複数個設定したいとなると、もう無理なのだ。今時、複数のメールアカウントの持っていることぐらい普通だから、あながち極端な要求でもないと思うのだが。

簡易ネット端末としては使えるけれど、やっぱりノートパソコンに代わるネット端末にはならない、というのが全体的な印象だ。サーバを管理している身としては、出先からでも緊急事態に対処せにゃならんときがあるのだが、Telnet や FTP が実装されていないようでは何も出来ないし、それ以前に汎用的なファイルシステムがないことは致命的だ。せっかくCFスロットがあるのだから、本体のメモリでは無理としてもコンパクトフラッシュを読み書きできるような機能ぐらい付ければ良いと思うんだけど。本来の機能以外にできることといえば、多事毒論の更新ぐらいかな。

即解約予定の P-in Comp@ct 付きで本体価格 5,000円だったから、遊び飽きたら車の中にでも放り込んでおこう。何かの役に立つことがあるかも知れない。



靖国神社
2001年8月10日(金曜日) くもり時々はれ

靖国か、千鳥ヶ淵か――世間はそんなことで盛り上がっているが、首相がどこをどんな気持ちで参拝しようがしまいが、知ったことではない、勝手にやっとれ、と思っている人はどのぐらいいるのだろうか。少なくともわたしは、その口である。

背景に特別な国民感情があってこういう議論が巻き起こるのなら、まだ分かる。しかし、首相の靖国神社参拝といって出てくる話といえば、中国や韓国との関係がどうのといった外交的な問題に、遺族会の要望が云々といったところ。おまけに政教分離の原則に反するから憲法違反だという話さえ出てくるが(もちろん、それも重要なことではあるが)、そういう類の政治色バリバリの話に応急的な決着を付けたところで本質的な部分は拗れたまま翌年に先送りされるだけのことだし、こんなところに原則論を持ち出したところで何も始まらない。

そもそも戦没者とは一体どういう存在で、どうして彼らは称えられなければならないのか、というメタレベルでのコンセンサスがなければ話が前に進むはずもないが、依然としてその点でまとまらないこの国にあっては、この問いに対する答えは未来永劫に出てこないんじゃないかという気がする。もちろん、戦いの大義名分や結果はともあれ、何らかの形で国家のために犠牲となった、個々の戦没者の命というミクロなレベルでは、当然ながら十分な扱いがあって然るべきだし(*)、そのことについては概ね同意いただけるのではないかと思う。

しかし、それはあくまで人として痛ましく思うからであり、日本国民たる自分が殉国者の屍の上に立っているのだ、というような意識は毛頭ない。先の大戦において、仮に日本が勝っていたとすれば「護国の鬼となった御方のお陰で今の日本があり、自分があるのだ」と言えたかもしれないが、実の歴史はそうではなく、日本は敗退を期した。聖戦とやらを戦った者たちが、どのような想いで散っていったのかは察するに余るが、負けは負けだ。負け、つまりあらゆる犠牲は水の泡と消え、取り扱いの難しい負の歴史だけが後生に残される結果となった。

従って、A級戦犯であれ無名の二等兵であれ幾万といる戦没者の誰一人として、直接的な意味で、日本という国にとってプラスになるようなことをしたとは到底思えないのである。それは結果論に過ぎないと言われればその通りだが、国を護ったというような、過去の戦士達に感謝しなければならない具体的な歴史のない敗戦国で、とりわけ高度成長期後に生まれてきたわたしのような人間には、その程度の認識しかない。だが、だからこそ多くの戦没者がいるということは非常に痛ましいことだ、とも思えるのだ。

日本における戦没者は、ひとことで言えば「犬死にの英霊」であって、また我々はそのことを認めなければならないと思う。そして、戦没者墓苑が「犬死にの英霊を祀る場所」でありさえすれば、たとえその場所が靖国神社であって、A級戦犯が祀られていて、首相が参拝したとしても、問題にはならないだろう。しかし、そこがなかなかはっきりとしない色々なしがらみが、盆の到来を告げるが如く毎年のように発生する靖国神社のゴタゴタを招いていると思えてならない。


(*) 小泉首相の肩を持つわけではないけれど、特に小泉首相に限っていえば、氏が靖国神社参拝にこだわるのはこの理由からではないかと思われ、そうであるならば良いことだと思う。ところが、今日ここに書いた「どうして」の部分が、はっきりとしないから、ややこしいことになるんだろうね。



秘密結社に思う
2001年8月9日(木曜日) くもり

やっぱり隔日更新か。昨日は帰宅後10分後には寝てた気がする。

「秘密結社○○」というタイトルの Website を見かける度に、秘密結社が Website を作ったらもはや秘密じゃなくなるだろと突っ込みたくなるのは、わたしだけだろうか。「公然の秘密」というものもあるが、これは殆ど表沙汰といっても良いような陰口にすら気付かない人など、主としてニブい人間に対して使われる言葉だから、あまり関係がない気もする。まあ、どうでも良いんだけど、本来の秘密結社は未来永劫に秘密であり続けたいと切に願っていることだろう。

誰も発振器になれとは言ってないのに、どうしても発振したがるコンパレータに頭を痛める。取り敢えずコンデンサをボコボコと入れまくったら何となく解決したっぽいが、これだからアナログ回路は胡散臭い、というか、むしろ宗教じみていて嫌いだ。こういうのを組んで一発で動かしてしまったりする人は、間違いなく天声を聞き取れる凄い人であるはずだから、やっぱり教祖様とお呼びするのが相応しいと考えながら過ごした一日であった。年季の差なんだろうけど、実際のところは。



CodeRed とか
2001年8月7日(火曜日) くもり

CodeRed ワームの活動によるものと推測される http リクエストが馬鹿みたいに来てる。アタックの回数は1000件近い。IIS を使っていない突撃のサーバには影響はないものの、なんか鬱陶しいし、塵も積もれば山となるという言葉通り相当な回線帯域が無駄になっていることだろう。うちなんかはまだ良いが、細い線を使っているところでは、RedCode のアタックが集中すると体感できるぐらい重くなるらしい。一部で心配されているように、インターネット全体が麻痺することはないと思うが。末端の線の帯域には限界があるし、http リクエストだけで Gbps オーダの帯域を埋めるのは難しいはず。

弟が泊まり遊びに来ていたので、出勤前に新横浜駅まで連れて行ってやった。その帰り、家の近くの道路で、まだ新鮮そうな猫さんのミンチを発見する・・・。会社に遅れそうになって飛ばしてたからちゃんとは見なかったけど、もしかするといつぞやの「猫模様」に登場したにゃんこかも知れない。朝から、ちょっとブルーな気分だった。



ネットのトラブルとか
2001年8月4日(土曜日) はれ

とあるメールで、ネットでのトラブルは避けられないもの・・・なんて説法をされたが、これはトラブルを避けようとする努力を端から放棄した考え方だと思う。確かに、現実の世界にも「通り魔」といった理不尽な犯罪があるように、ネットでも避けようのないトラブルが起きることはあるかも知れない。けれども、完全ではないとしても暗くて人通りの少ない路地は通らないようにするといった配慮で通り魔に遭遇する蓋然性を低くできるように、ネットでもトラブルを遠ざける手だては幾らでもあるはずなのだ。

ところが、そうした努力を放棄して「ネットだからトラブルになった」と、問題の原因を環境に転嫁しがちな傾向は少なからずあるように思う。ネットにはネット特有のトラブルの温床があることは否定しないが、現実の世界にもトラブルの温床というものはあるし、トラブルを避けるためには、そもそもそういう場所には近づかないことだ。しかし、何故かネット上では「やばいところに足を突っ込めば何が起きるか分からないよ」ということを忘れる人がおり、そういう輩に限って問題が起きれば環境のせいにするのだ。

トラブルそのものの原因に関しては当人に落ち度がなかったとしても、危険を察知せず、ややこしい場所に出入りしていた当人にも相当の非があると言わざるを得ない。そういうと不条理に感じられるかも知れないが、問題が身に降りかかって困るのは他ならぬ自分自身だし、とりわけネットは、どこかに訴えれば誰かが期待通りに事後処理をやってくれるような世界でもない。最後の拠り所と思ってか、プロバイダに助けを求めてくる連中もいたりするが、プロバイダがネットの統制権を持っているとでも思っているのだろうか。

自分は絶対に悪くないと思ってるんだよねえ、こういう輩は。



いろいろ
2001年8月3日(金曜日) はれ

・明らかに寝不足。ここんところ、毎日2時過ぎに寝てるからなあ...
・頭がパンク気味。目先の細かい用事に負けて、肝心な事は結局なにも進んでない。
・デジカメの電池の充電器が見当たらない。かなり探したけれど、本格的に行方不明。
・人に話したら、相変わらずだらしねえヤツだって言われた。自分でもそう思う。
・わたしの机は、通称ブラックホール。モノはいったいどこへ消えていくんだろ?
・その謎が解けりゃ苦労はないのだが。
・まとまったネタのない日は、箇条書きも良いかもしれないと思った。



花火大会、多すぎるんだよな・・
2001年8月1日(水曜日) はれ

分かっちゃいると思うが八月だ。例年のごとく夏休みは、お盆前後など世間が概ねお休みモードになって電車や道が混む時期は避けて取るつもりである。わたしと同じような人が増えてきて全体的に分散されつつあるのか不況の影響なのか、最近はあまり混雑が集中しない傾向にあるようだけれど、それでも明らかに混むと予想される時期は避けたいもの。八月の中で適当な一週間を選んで勝手に休め、という極めていい加減な休暇日程はありがたい。給料が安い分、休暇ぐらいは恵まれていないと合わない気もするが。

今日も近所で花火大会があった。家にいると窓ガラスがビリビリと震えるぐらいの爆音が聞こえてくる。これで窓から花火が見えればまだ良いが、全く見えないからほとんど騒音被害である。携帯電話も一時的に使用不能になっていたから、花火に関心のない地元民にとっては傍迷惑なイベントである。どっかの歩道橋で事故が起きたせいか、駅の近くの歩道橋などは閉鎖すると新聞に書いてあった。立地上、特に危険があるような歩道橋でもないので、どっかで事故があったから、というだけの理由なんだろう。

来年の花火大会でも歩道橋が閉鎖されるのかどうかは疑わしい気がする。どっかの小学校で殺傷事件があった直後は、集団登下校みたいなことをやっていたが、いまでも継続的にやっているのだろうか。食中毒が相次いだときも、とりわけ関西ではやたらと神経質になって、食中毒対策ブームみたいなものが巻き起こった記憶があるが、あんなのもいつの間にか忘れられている。そういえば、毎日のようにどこかで起きていた食品の異物混入は、まだ続いているんだろうか。ほとぼりが冷めると、事件は急減するらしい。



突撃実験室