多事毒論(2001年4月分)


ふー
2001年4月29日(日曜日) あめ

不定期版・今日の猫模様。復活希望の声は意外と多いんだが・・・

大阪市内を車で走ると異様に疲れる。どうして、大阪人の運転は異様に荒っぽいんだろ。車線変更しようとすると急に車間を詰めてくるヤツとか、素直に入れてやればもっと平和になると思うんだが。大阪市内で車線変更をする際のコツは、気づかれると詰められるから、ウインカーは出さないで気づかれないよう強引に割り込むことらしい。論理的には正しい気もするが、生まれるものは割り込まれたくないから詰める、詰めるから余計に強引になる、という悪循環だけであろう。確かにそういう運転は見かけるけれど、あれでよく事故らないもの。

夜明け間際の実家の近く。なだらかな丘陵になっているので、夜景も綺麗



あう〜
2001年4月27日(金曜日) くもり/はれ

連休中を大阪の方で過ごすのは例年のことだが、新幹線で行こうとしたら弟から「車で来い」という指令が入ったので、従うことにした。東京で用事があるから帰りに乗せてゆけ、という理由だが、車だと数十キロオーダの渋滞にはまるのが嫌なのだ。でも、わたしはカネが絡めば幾らでも動く(笑) 帰りの高速代はヤツに押しつけようということで利害が一致したので、そうなったまでのことだ(新幹線よりも片道の高速代だけならその方が安いし)。

今日なら高速道路もまだ空いているだろうと考え、仕事を早めに切り上げて夕方に横浜を出たのは正解だったみたいだ。東名でトラックが団子状態で走っているのはいつものことなので仕方がないが、取り敢えずこれまでは(自主規制)km/h 平均ぐらいで来たので、良い調子だ。しかし、単調なおかげで強烈に眠くなってきた。そのくせ、中途半端に頭がさえていて仮眠作戦は上手くいかない。しょうがないから休憩がてら更新でもしておくかと...日本平PAからお届けしました。



艦長の責任は如何に?
2001年4月26日(木曜日) くもり/はれ

米軍原潜の元艦長が、というより同氏に対する米軍の処分内容が槍玉に挙げられてるのはご存じの通りだろう。米軍としてはギリギリまで頑張った方なのかも知れないが、早い話が依願退職で済ませようということなのだから、処分が軽すぎるといった意見は尤もなものだと思うし、行方不明者の家族にしてみれば到底納得できるものでもなかろう。訓練中のアクシデントなら「まあ軍だから」という納得もあり得るかも知れないが、体験乗艦ショーみたいなもので事故ったという事情が特殊な不条理感を残している。

しかし、行方不明者の家族の記者会見を見て、是が非でも艦長をスケープゴートに仕立て上げて欲しかった、という感じのニュアンスをそこはかとなく感じたのはわたしだけだろうか。個人的には十分に同情するけれど、かといって艦長をはじめ各々の個人的な責任をやたらと追求したところで何も始まらない。死者が出るような事故の後処理の結果として最も知りたいのは事故の客観的な原因であろうかと思うし、それに関しては傍観者だけでなく、当事者や当事者の家族も同じではないかと思うのだ。

「犬死にで終わらせたくはなかった」という言葉は良く聞かれるが、安全などを考える上で後学のためにもなりうる事故原因が明らかにならないまま、幕を下ろしてしまうことこそ犬死にと言えるのではないか。ある人間に極端な落ち度が原因で事故に至ったのなら話は違うが、ちょっとした確認不足みたいな要因が重なって起きた事故は、その要因のうち一つでも欠損すれば起きなかったのだから、恐らく関係者の殆どが何らかの「墓まで持っていきたい秘密」を抱えていることだろう。

それを引き出すときにに、誰が悪いのかという責任追及を絡めることが正しいと言えるのか。



多事毒論へのリンク
2001年4月25日(水曜日) あめ

かなりマンネリ化してきている割には、多事毒論にリンクを張って頂いている方も割と多いみたいで、お礼を申し上げたい。最近、すごく意外だと思ったのは、いつぞやの電波系パフェの写真に、随所の掲示板からリンクされたことだ。実のところ、撮影で本当に苦労が堪えなかったのは猫さんたちの写真なのだが、あの電波系パフェ、もう一度言うがあのパフェのスナップが、今月の多事毒論で使った画像の中で参照回数最多記録を誇っていたりするのは、微妙にフクザツな気分だったりする(笑)

あ、もちろんリンクは大いに結構です。でも、誰か当たって砕けてみて!

で、多事毒論へのリンクは、特定の記事を引用したり、それについてコメントを付けるといった目的で行われることが多いと思うのだが、当然ながら http://www.exp.org/remark/ にリンクを張っても月日が経てば古くなった記事は流れていってしまう。そのため、目的の記事を確実に特定できるようにと、各記事にはアンカーを入れてあるのだけれど、周知が不十分であまり知られていないためか殆ど使われてないようなので、多事毒論へのリンクの張り方という項目を追加した。

ついでに、ある日付の記事だけを抽出するスクリプトも作ったので、使ってください。



行方不明?
2001年4月24日(火曜日) はれ

今日の猫模様。ついに禁断ネタのお出まし...

※ というわけで、このコーナは今日を持ちまして取り敢えず終了します

行方不明者は、一体いつまで行方不明者でいられるのだろう。えひめ丸沈没のニュースに出てきた「行方不明」の文字を見て、ふとそんなことを思った。船舶の沈没という事態に巻き込まれて行方が分からなくなりながらも、遺体が回収されなければ失踪から10年も20年もどこかで生きていると考えるのは合理的じゃない。調べてみたら、民法にちゃんとこういうときの規定があって(30条〜32条)、失踪宣告を家庭裁判所に申し立て、一定の要件が成り立てば死亡したと見なされるらしい。

それはそれで良いんだが、誰も失踪宣告しなかった場合は...永遠に行方不明のまま生き続けるのだろうか。検索エンジンとお友達したのだけれど、その場合にどうなるのかは良く分からなかった。



猫だけ
2001年4月23日(月曜日) はれ

今日の猫模様。異様に薄っぺらい、二次元空間にワープしたのかと思ってしまった。

※ 品質管理部出荷差止写真だけど、ほかに収穫がないから背に腹はかえられん。
※ いつもよりちょっと寒いから猫さん暖かいところに隠れてるのかなあ...

ごめん、今日は猫だけ。



大道芸
2001年4月22日(日曜日) はれ

今日の猫模様。どういう姿勢してるんだ、こいつは。

今週末は近所で大道芸のお祭りがあったのでブラブラと歩いてみた。大道芸というだけあって、そこらじゅうの路上で手品とかこういう類の芸がゲリラ的に勃発する、というものだ。芸術性には優れていてもトロ臭くて数分で飽きるやつとか、下手くそ過ぎて観ていられないようなのもいるけれど、面白いのも結構いる。パフォーマンスは、日本人の芸人よりも怪しげな日本語を操る毛唐さんの方が断然に面白い。程良いアドリブの利いたショーは観ていて退屈しないのだ。それにしても凄い人だかり・・・

主要な開催スタッフは無線機を携帯していたので機種を観察してみたら、ごく普通の特定小電力無線だった(しかも機種はバラバラだったから、ボランティアの持ち寄りなのかな)。比較的小規模なイベントでは、手軽さゆえかスタッフの業務連絡用に特定小電力を使うこともよくあるみたいだ。今日は 422.2000MHz 〜 422.2625MHz(9チャンネル系の1チャンネル〜6チャンネル)にてそこそこ頻繁な交信を確認。そのほか、780MHz 帯ではワイヤレスマイク波も受信できた。

というわけで、今日はお疲れ様でした>来た人。



スターリングラード
2001年4月21日(土曜日) あめ

今日の猫模様。だからどうして車の下を好むのだ?

映画「スターリングラード」を観たのだけれど、期待したほどではなかった。目を銀幕に向けさせる迫力に欠けるため、特に後半からは概ね予想できる話がダラダラと続く感じで冗長感たっぷり。十把一絡げであるはずの戦場で特定の人物だけに焦点を当てた作品は好きなのだけれど、大抵のシナリオは予定調和型だから、ヴィジャルな部分に拘ってみるとか、それなりに強く惹き付けるものが必要である。スターリングラードのように、その対象がただでさえ地味なスナイパとなれば、なおさらに演出部分で補わなければならない。

個人的には、ミニシアタで上映すべき作品だったと思う。シネコンに入るときとミニシアタに入るときとでは、心構えがまったく違う。前者では純粋に娯楽を求めているので金払ってダルい思いをすれば感想は自ずとボロカスなものになるが、ミニシアタでは、制作者のオナニーめいた要素も含めて受け入れる積もりでいるから、理解できる要素があればそれで良い。話としては悪くないのだけれど、戦闘シーンだけが異様にゴージャスだったりとか、変な部分で中途半端にハリウッド路線で行ってしまったのが敗因かと思う。

ところで、赤軍の将校がビビって後退した味方兵を裏切り者だと罵りながら容赦なく撃ち殺すシーンがあるけれど、本当にあそこまで徹底してやっていたんだろうか。概して国家社会主義体制は、極めて非人道的なものとして表現されることが多い。その多くは事実なのかも知れないが、敢えてそういう部分ばかりが強調されるのは、極度に歪曲されているからではないかという気もする。歴史は、そうした主義が失敗であったことは証明したが、それだけをもって直ちに極悪なものだと結論づけることは、論理の飛躍である。

そういう安直な勧善懲悪思想は、いまどき流行らないと思うんだけど・・・



パフェ
2001年4月20日(金曜日) はれ

今日の猫模様。ごはん、まだなの?

ある時刻になると必ず餌が貰えるという極めて蠱惑的な寿司屋さんが近所にあり、餌のお時間を見計らってその現場へ行くと
殺気だった猫さん数匹が今か今かと待ちかまえているのだ。やがて店主が餌を持って扉の側までやってきたことが視認されると、猫さんたちの視線は餌の入った器に釘付けとなる。そして開きかけた扉の隙間が通過可能な幅にまで広がるや否や、餌の入った器をめがけて一直線に、ものすごい剣幕で飛びかかってゆく猫には戦慄が走る。餌をやる店主は、命がけかも知れないと思った。

今日の電波系パフェ模様@東京駅八重洲地下街。

そそる、ひとえにそそるが、特攻をかけるべきかどうかは、悩むのだ。最低でも三日間の絶食は当然だろう。だが、空っぽの胃袋にこんなものを詰め込みうる限り詰め込めば、お帰りは救急車で、ということにもなりかねない。運悪くも搬送された病院で「救急救命24時」みたいな番組の取材をやっていたら、パフェの食い過ぎで入院するという失態が全国ネットで放送されるという汚点中の汚点を人生に刻む可能性だってある。あまつさえ、逆ギレなんか起こしてカメラの前で

「おんどれドコのテレビのモンじゃ? 誰の許可で撮っとんじゃコラッ」

なんて叫びながらカメラをはたいたりすれば最後だ。パフェの食い過ぎで入院 → カメラの前で悪態の限りを尽くすなんてことをする可能性が少しでもある人間と言えば、そう間違いない、ヤツ以外には考えられないと、絶対に疑惑の目がわたしに及ぶはずだ。それはとても恐ろしいことだ。そんな汚点を抱えたまま、幸せな人生を全うできるのだろうか。それ以前の問題として、金を払ってまで苦しむのは単なる馬鹿じゃないのか。だが、男には罵倒を浴びようとも、やらねばならぬときがあるのだ。

「いつか絶対にお前を食べてやる」と声を限りに宣言し、わたしは東京駅を後にした。



よしなしごと
2001年4月19日(木曜日) あめ/くもり

これから題名は毎日これにしようかと、ふと考えた。

今日の猫模様。虎視眈々、やっぱり気になる { | }

どうでも良いが、今朝「おめでとうメール」が来ていたのを見て今日は誕生日だったことを思い出す。誕生日が特別な日で無くなっているというより、むしろネガティブな日になりつつあるためか、無意識的に忘れようとしているのかも知れない。やりたいことを色々と残しながら、また一つジジイに近づいてしまったんだなという、あまり考えたくない事実を改めて突き付けられる誕生日はおめでたくないのである。それ以前に、そもそも生まれて来なけりゃ良かったと思うのも誕生日ならではの行事だ(笑)

主人公の掛け声とともに変身したり合体する巨大ロボットのように見えなくもないし、見方によってはスタンガンの電極のようでもあり、はたまた天辺の部分が何かのコネクタになっていてどこかにプラグインしそうな感じがしなくもない東京都庁。昨日は少し時間が余ったので、暇つぶしがてら展望室まで上ってみた。こうやって見るとビルが凄し東京って広いなって思うけれど、上から見るとこの膨大な森はやはり凄く浮いている。明治神宮ってこんなに広かったのか・・・ほかより一度ぐらい温度が低いのも良く分かる。



都庁の周辺
2001年4月18日(水曜日) くもり

今日の猫模様@西新宿。まあるい、まあるい。

このねこさんは、東京都庁と目と鼻の先にある新宿中央公園で撮影した。だが、そこは摩天楼が何本も聳え立つ西新宿。無機質なコンクリートと冷たく光る窓ガラスばかりで構成されたこの街に目を癒すものがあるとすれば、申しわけ程度に植えられた街路樹ぐらいのものだ。表向きには華やかで近代的な作りであるものの、人間の生活感というものがまったく感じられない、言い換えればこれ以上になく住み難そうなこの街を、ねこさんたちが悠々と闊歩しているとは到底思えなかった。

しかし、一本の道路を挟んで東京都庁の向かい側にある新宿中央公園へ行けば都庁周辺の街並みがまるで幻であったかのように雰囲気が違う。公園内はホームレスの溜まり場でもあるし、その公園に居着くことを決めた野良猫がいるということは、(良いか悪いかは別として)そこがホームレスの生活の場でもあることの証左と言えるかもしれない。道路を隔てた二つの場所の街並みが余りにも違うと、なんだか急に時空をワープしてしまったような、ちょっと不思議な気分になるのだ。

東京へはたまにしか行かないけれど、行くたびに、東京ほど糞味噌一緒の街はないと思ったりする。もっとも、それはどんな大都市もが背負う宿命ではあるだろう。しかし、これは自分が東京の人間ではない特にそう感じるのだと思うが、意図的にそうしているのか、それとも無意識のうちにそうなっているのか、いずれにせよ東京ほど糞味噌一緒であることが隠蔽されている場所も珍しいのではないかとも思う。美しい側面と醜い側面が文字通り隣接しているのに、同時にはそのどちらか一方しか見ることができない。

今日、都庁で社会見学か何かで来ていたのだと思われる学生の集団に遭遇した。その学生らがどこから来たのかは知らないが、何も知らないで初めて東京に来た人間が都庁だけを見学するとどうだろう。すぐ隣にある公園や、そこに住まう浮浪者たちもまた新宿の一側面に他ならないが、そうした対極に当たる部分は積極的に探らない限り、あたかも隠蔽されているかの如く見えなくなっているような気がする。少なくとも、わたしが初めて西新宿の都庁を訪れたときは、素直に美しくて近代的な場所だと思った。

けれども、散策癖の結果か。今ある西新宿に対する印象は、その当初のものとは程遠い。



諫早
2001年4月17日(火曜日) はれ

ちょっと不気味な今日の猫模様。怪光線やあらへんからな。

諫早湾の水門が滑っただ転んだだと言っているのを見ていて、漁民ってのは我が儘の集団ではないかと思うのは、わたしだけだろうか。生活がかかっているとなれば神経質になるのも分からないことではないけれど、何かというといかにして自分らの利益を最大限に保護するかという話ばかりが強く主張されるような気がするし、漁業補償みたいな話でも、その根拠がしばしばこじつけめいたものであるような気がするのは、わたしの偏見に過ぎないのだろうか。

そうであったとしても関係のないことだ。諫早のモメゴトなんて、今となっては下らない茶番劇であるとしか思えない。何年か前に堤防が締め切られたときには、諫早湾干拓事業を自然環境の破壊の象徴として、あるいは不要不急の無駄な公共事業に対するアンチテーゼとして眺めることもできた。けれども、同じ対象でも変な政治色を帯びてくれば見方は変わる。有明海の海苔の不作は、無論のこと政治的なものではないが、そこに漁師の内ゲバみたいなものが絡んでくると途端に勝手にやってろと思うのだ。

まるでギロチンの刃を次々と落としてゆくかのように、海を分断してゆく様子を写したニュース映像には、それなりに人の心を打つものもあっただろうが。



花粉症と大気汚染
2001年4月16日(月曜日) はれ

今日の猫模様。ぼくは夜間撮影には向きません。

※ 街灯だけを頼りに気合いでシャッタ速度1秒。黒すぎてAF合わず...

先週の土曜日あたりから、花粉症の症状が再発。ここ数日間はスギやヒノキの花粉が景気よく撒き散らされているそうなのだ。ようやく花粉症が収まってきたかというときに、まったく何故なんだ、くそったれ。もろに不意打ちを喰らったような気分である。だいたい何の因果があってスギやらヒノキのセックスで俺が苦労せにゃいかんのだ、畜生。花粉症じゃないやつに花粉症の辛さが分かるか、みたいな感じで、花粉症だけは(一日中気持ち悪いので)やり場のない怒りだけが募る。

わたしが実家に住んでいたときは花粉症で苦労した覚えがないので罹患(というのか?)したのは横浜に来てからだが、ディーゼル車の排ガスが花粉症を誘発しているのではないかという説がある。それが本当かどうかは知らないけれど、確かにいま住んでいる場所の空気は、実家の周辺よりも遙かに汚い。近くには国道16号や首都高などの幹線道路が多く通っており、混雑した道路を大型トラックが煙幕を張りながら通過していっている。実家の周辺の空気も綺麗とは言えないが、これほどではない。

ここの大気汚染がどのぐらい酷いかというと、ベランダの物干し竿には、掃除してから数日のうちに黒い塵が目に見えるほど付着するほどだ(さらに放置すると幹線道路沿いのガードレールみたいな感じの汚れ方になってくる)。そのため洗濯したシーツなんかを干す前には必ず竿を雑巾で拭くのだけれど、暫く使っていない竿を拭き終えた雑巾は墨汁でも垂らしたかのような色に染まる。どれだけ空気の綺麗な場所でもある程度は汚れるけれど、実家の物干し竿だとここまで真っ黒にはならない。

物干し竿を拭いた雑巾を見る度に思うのだ。こんな塵が漂っている空気を吸っていれば、花粉症とか変な病気になったとしても何ら不思議じゃないと。ぜんぜん関係ないけれど、渕崎ゆり子って良いよね。



ねこ模様
2001年4月15日(日曜日) はれ

波紋を呼ぶ今日の猫模様。かわいければ何でも良いや。

※ ノークレームでお願いします。

思いつきで近所の猫さんたちを撮り始めて一週間、ぼちぼち無理を感じ始めていたりする。わたしの知る限りでうちの近所には少なくとも8匹の野良猫が生息しているのだが、どこに隠れているんだか、いつもその辺をうろうろしているわけではない。運良く猫を発見しても、目があったりして逃げらたらもうこちらの負けだ。カメラを持って追いかけようにも、電柱と塀の隙間とか車の下とか、狭いところばかりを選んで逃亡する猫に追いつけようはずもない。お願いだから撮る間だけじっとしておいてくれ、といっても猫は聞いてくれず、実際に撮った写真は200枚近かったり。

カメラ屋でデジカメ用の PL (偏光) フィルタを買ってきた。なんとなんと、Coolpix 専用にちゃんと 28mm のサーキュラーPLフィルタがケンコーから売られているではないか。初めてデジカメを買ったときから欲しいとは思っていたのだけれど、確かそのときはデジカメサイズのものがなくて諦めた記憶が・・・いまはあるんだね。あんまり関係ないけれど、これを半分だけ使ってノートパソコンの液晶を撮影すると、ちょっと不思議な感じ。偏光ネタで面白いのは、「できるかな?」の「ヒトは電磁波の振動方向を見ることができるか?」はい、わたしにも見えました。



あきばはら模様
2001年4月14日(土曜日) はれ

今日の猫模様。超ひも理論?

※ Super String Theory → 超ひも理論、日本語にするとダサいよな...

秋葉原の日。なんだかいつもと雰囲気が違う。首都高速が妙に空いていたのは良いとしても、秋葉原付近も土曜日にしては人通りが少なかったような気がする。いつもは上野線の本町出口で高速を降りるとランプの先にある昭和通りのアンダーパスから渋滞しているのに、今日に限っては、わたしのほかに車がない。いつも渋滞しているところに来て誰も走ってないと、ひょっとして来ては行けないところに来てしまったんではないかという不安が頭を過ぎる、小心者のわたし。みんなどこへ行ったんだろうか。

電子部品屋を回っていると、人が少ないこと以外にも何かがいつもとちょっと違う。少し観察していると、あくまで直感であり推測なのだが、妙に「新入生っぽい」人が多いような感じがした。部品屋というと、客層の雰囲気はいつも同じなのだが、なんかこう今年は新入生で、初めて部品屋に来ましたっていう感じのオーラを受信したような・・・いまどき電子工作なんか流行らないし、新入生になったからといって部品屋に来るというのも変な気もするが。電気工学科あたりへいくと、秋葉原へ行ってこいみたいな課題が出るのかな?

関係ないが、なんとなく青山霊園に行ってみたらとても綺麗だった。



お昼寝
2001年4月13日(金曜日) はれ

嫉視を浴びる今日の猫模様。気持ちよすぎる昼下がり、もう寝るっきゃないよね。

※ 露出設定に迷う中途半端な場所で寝やがってこのやろ
※ 毎日こんな風に昼寝できたらなあ・・・ああ、この感情はきっと嫉妬というやつだ。

ねこばかりじゃなく人間にもお昼寝は必要らしい。昼過ぎに猛烈に眠たくなることは良くあるので、そういうときに少しでも寝ておくと午後からの仕事にも身が入るのは確かだ。そんなわけで、以前は昼飯を食べたあとに昼寝していたこともあったが、職場では(出るかどうかは別として)電話が鳴ったりするので落ち着いて寝ていられない。変なところで起こされるとかえって頭痛の原因になったりするので、いつしかやめてしまった。かといって、静かなところでも寝られた試しはないんだが。

そういえば、休みの日に家で昼寝したこともない。眠たくてしょうがないときは、朝から継続して昼とか夕方まで寝ておく主義なので、その必要が無いだけなのかも。



ドラマとか
2001年4月12日(木曜日) はれ/くもり

今日の猫模様。くるまの下からこんにちは。

東京かその周辺でしか写らないけど、MXテレビで「特攻野郎Aチーム」が流れているので見ていたりする。思えば、むかし大阪にいたときは深夜にサンテレビ(だったと思う)でやってた「冒険野郎マクガイバー」もよく見ていた。独立系のローカル局で気まぐれのように放送されるので見逃すことも多いのだが、この手は好きだ。主人公はワケアリなんだけど、超人的でお人好し。なぜか普通では考えられないような事件ばかりが起きて、意味もなく車が爆発したりとその解決方法はハチャメチャなんだが、最後は笑って済ませると。

こういう「いかにも」って感じのノリのアメリカドラマは、面白ければ細かい部分はどうでも良いとばかりに割り切っているから、いちいち突っ込む気にもならず素直に見られるから良い。日本でもこういうノリのドラマを作ってくれれば見るんだが、どうもフジテレビあたりでやってるようなテレビドラマは、下手に真面目に作ってあるから面白くないのだ。ストーリはともかく、そういったドラマにおいてしばしば表現されるトレンディな世界や登場人物の格好良さには、リアリティの欠片も感じられない。

リアルかどうかを問えば、ハチャメチャのアメリカドラマなんてそれこそ論外なのだが、フィクションだと割り切ってあれば、それはそれで許される。逆に、現実に極めて近い舞台を用意しておきながら、登場人物が超人的な能力を持っていたりするのはやっぱり変だ。たとえば救急病院みたいなところを舞台にしてリアルなドラマを作るのは良いんだが、そこに神業的な手術をする外科医がいて、しかも公立病院の若医者如きが都内の高級マンションに住んでいたりすると、突っ込みたくもなる。

たとえ神業的な手術をする(現実には存在し得ない)外科医がいたとしても、その人物がワケアリの流れ者で、現実にあり得ない事件にしょっちゅう巻き込まれてしまう、というのなら話は別だ。あり得る部分とあり得ない部分が混在していると、あり得ない部分には突っ込みたくなるものだけれど、もうあり得ないことしかなければ、あり得なくて当たり前だと許せてしまう。こういうことを言うと、お前は物事を素直に見られない可愛そうな捻くれ者だと言われちゃったりするんだが(笑)



三宅島のコスト
2001年4月11日(水曜日) はれ

今日の猫模様その1。おんどれ何さらしてけつかんねん。
今日の猫模様その2。そらワシのやボケ。いてもうたろか。
今日の猫模様その3。なんや、もうしまいかいな。

※ ガラ悪すぎ(筆者が)

三宅島の全島民が避難してから半年以上が経ったが、いまだに活発な火山活動が続いているようで、当面のあいだは住民が島に戻ることもできそうにない。火山関連のニュースは少なくなってしまったが、いま島はどうなっているのだろう。ニュースの映像から島の様子を伺う限りでは、家が土砂で埋まっていたり道路が寸断されていたりして、大変なことになっているようである。仮に火山活動が収束したとしても、再び三宅島に人が住めるようになるまでは、インフラの再整備などでさらなる時間がかかるに違いない。

いくら大量の土砂が体積していても、ユンボやダンプカーを大量に用意すれば取り除けるだろうし、崩壊した道路を造り直して電柱といったライフラインも再構築し、それから家を建て直せば、再び人の住める場所にはなるだろう。しかし、時間的コストだけならともかく、そのために必要な金銭的コストも相当なものになるはずだ。やっぱり元の場所に住みたいよね、というような感情論を抜きにすれば、そこまでして20年周期ぐらいで噴火することが明らかな山の側に住むことが、果たして適切なのだろうかという疑問は拭えない。

いまの火山活動による被害からの復旧は遂げたとしても、一定周期で爆発するややこしい山が側にあれば、20年後にまた同じことが起きる可能性は低くないかも知れない。可能性で論じるならば、絶対に安全な場所はどこへ行ってもない。しかし、火山が近いとか、明らかに危険な場所は、ある程度は特定できるはずである。人がどこに住もうが自由だとはいえ、敢えて危険な場所に住むためのコストを誰が負担しているのかという問題になれば、避難と再構築を繰り返すこと以外の解があっても良いのではないかと思う。

善し悪しは別として、たとえば三宅島全体を国なり東京都が買い取って住民を立ち退かせ、より安全な場所に土地と家を買い与えるというのはどうだろう。これから島を復旧するためにかかるコスト、それから今後の噴火に備えるためのコスト、さらに将来の噴火の際にかかるであろうコストなどを総計すれば、むしろ三宅島での定住を禁止し、その代わり島民には相応の補償をした方が安くあがるかも知れない。行政があからさまにこんなことを言ったら大問題になるだろうが、試算ぐらいはしているかも。



にゃー
2001年4月10日(火曜日) はれ

それでも続く今日の猫模様。ああん、そんな目で見ないで・・・

突撃実験室のサーバは 100baseTX で LAN に繋がっているのだけれど、これをインターネットに接続するルータまでの間は、同軸ケーブルを使う 10base-2 で繋がっていたりする。本当は同軸みたいなレガシーメディアは止めたいのだが、色々と理由があってこれを変えるのは困難なのだ。最近のスイッチング HUB でも UTP だけなら 10Mbps/100Mbps 混在環境に寛容なのに、BNC という気の利いたものが付いているスイッチング HUB なんて売ってすらいない。

しょうがないからメディアコンバータとして 2ポートだけの変換ブリッジを入れてあるのだけれど、これが壊れたらもう代わりがない(あるとしても、BlackBox の数万円コースになるに違いない)。これから新たに LAN を構築しようというような場合、同軸ケーブルなんてものが登場するわけがないからそれを収容できる HUB が民生用として存在しないのも無理からぬことだが。数年前までそれなりに売られていたものが姿を消すなんて、パソコン業界は容赦がないと改めて思う。

新しくて早いものも良いんだが、既設のものがあると古いものを使い続けざるを得ないのが現実というもんで。



そして
2001年4月9日(月曜日) はれ

今日も今日とて今日の猫模様。毛繕い中、失礼しました。

時々、多事毒論を見た人から「毎日書いてるけど、どのぐらいの時間がかかるの?」って聞かれる。かかる時間は日ごとに違うけれど、平均すれば一時間半ほどかな。その間にもお茶を飲んだり間食したりテレビを見たりしているので実働時間はもっと短いが、だいたいそんなもんだ。文の長さと時間は必ずしも比例せず、書きたいことが決まっているようなときは文が長くても早いもんだし、逆に時間をかけて書いても気に入らずお蔵入りするときもある。

最近、写真に適当なコメントを付けて御茶を濁せば、ものの10分でネタが上がってしまうという大発見をしてしまった。手抜きに味を占めたとでも思っていただければ...



今日の・・・
2001年4月8日(日曜日) はれ

今日の猫模様。こんにゃろ目つき悪すぎ。
ねこと言えば、山本美絵の「猫」。ペシミズム全開のどうしようもなさが、とっても良い感じ。

続いて今日のゲバルト棒。城ヶ島にて。

・・・城ヶ島への上陸が成功するや否や、斬り込み隊長だった私は、物々しい機動隊の列のど真ん中へと突っ込んでいき、喉も張り裂けんばかりの叫び声を上げながら無我夢中で角材を振り回しました。骨が砕ける鈍い音と感触、少し遅れて頬にかかる返り血の飛沫、あの感触だけは今でも忘れられません。その様を見て、最初こそやや怖じ気づいていた仲間たちもすぐに蜂起して次々と角材を振り上げながら機動隊の列に斬り込んでいったたのです。

私はじきに取り押さえられたものの、速度を得た角材に頭蓋骨や顔面を叩き割られ、次々と悲痛な呻き声を上げながら為すすべもなく倒れ込む機動隊員らを見て、これは勝ちだ、ついに我々が官憲どもに勝利するときがやってきたのだと私は直感しました。しかし、この戦況はすぐに逆転することとなりました。海側から上陸してきた我々からは死角となっていた岩の陰から、そう、あの忌まわしい臙脂色のザクが現れるまでは・・・

回顧録「城ヶ島上陸作戦の真実」より抜粋。



城ヶ島
2001年4月7日(土曜日) はれ

雨が降るという予報は大外れで、いい天気。城ヶ島へ行ってみた。正月に続いて二回目だ。
ハイキングしたら疲れた、というわけで今日は写真日記を作ってみた。



日本を攻める一つの方法
2001年4月6日(金曜日) はれ

昨日は歴史教科書の話を書いたが、その内容に反発して韓国では色々な運動が起きているらしい。それはそれで多いに結構なことなのだが、新聞を読んでいると、やり方がヌルすぎて見ちゃいられないと思うのである。そこで韓国の皆様には、以下のようなアドバイスをしておきたい。たとえば、

日本人が訳の分からないことを言い出すんなら、文化の開放を遅らせるぞ!

と息巻いてみても、その打撃を直接的に受けて困ることになるのは自国の親日家ばかりであって、少なくとも日本人は困らない。韓国を次の市場として狙っているレコード会社などの国際営業担当者にとっては気が気でない問題であるのかも知れないが、人口の 0.1% もいないような人間だけをターゲットにしたところで、大きな問題と受け止められるはずもなかろう。あるいは、

日本人が訳の分からないことを言い出すんなら、日本製品の不買運動するぞ!

と頑張ったところで、「あっそ。」で終わる。事実かどうかは別として、自国の工業製品に叶うもの無しというぐらいの自負を持っている日本人には、「いらないんなら、やめとけば?」ぐらいの構えが出来ているから、これまたインパクトに欠けるのだ。輸出企業の韓国担当者にとっては気が気でない問題であるのかも知れないが、やっぱりそんな人間は極めて少数である。でも、

日本からのアニメ製作の下請け受注を実質的に禁止する

みたいなことをすると、いきなり品質が極端に落ちるアニメが出てきたり、テレビ東京のアニメ枠で突然アンコール放送が流れたりして、一部の方面におけるインパクトは相当なものになるのではないかと思ったり(笑)



歴史教科書
2001年4月5日(木曜日) はれ

巷では新しい歴史教科書の内容がどうのこうのと騒いでいるけれど、あれは実のところ上の辺で空回りしているだけの不毛な議論で、実際に教科書を使用する生徒らには何ら影響のないことなのではないかという気がしてならない。というのも、わたしは教科書に書いてあったことなんて殆ど覚えていないのだ。そんなヤツは極度の勉強嫌いのお前ぐらいじゃ、と言われればそれまでのことだけども、歴史におけるイデオロギッシュな部分を考えたりしてみたりしたのは、教科書を捨ててからである。

ややオーバな表現を使えば「新しい教科書はエスノセントリズム史観だ」ぐらいの調子で非難されたり、あるいは評価されたりしているけれど、このような見方が存在しうる時点でそれは学校用の歴史教科書として正しい姿ではない。教科書なんてものは結局その分野への導入であって、それ以上でもそれ以下であってもいけない。理科の教科書なんかでも概ねそうなっているように、事実と説明だけが列挙されていれば良いのだ。そういう意味では、歴史の教科書なんて歴史年表一枚で足りるんではないか。

自民族優位主義であろうが自民族卑下主義であろうが、歴史をどう見るのかは当人の勝手である。国家公認の史観があるとしても、それが世の中のデファクトスタンダードであるとは限らないし、他国にも別の考えがあるだろうし、まして個々人の史観と一致するはずもない。あまつさえ、そういう互いに相容れないイデオロギーを同列に論じた結果に何らかのコンセンサスが得られるとも思えない。そこで、ある特定の史観を中心とした教科書を作ったところで、まともな教科書ができるだろうか。

歴史年表は極論だとしても、最大公約数を求めればそうであると言わざるを得ない教科なんて歴史ぐらいだろう。そんないい加減なものは、無くなってしまえばいい(←元歴史大嫌いさんの見解)



フュージョン・コミュニケーションズ
2001年4月4日(水曜日) はれ

わたしは長距離電話をかけることが多いので、フュージョン・コミュニケーションズに加入した。4月から供用が始まって早々に障害が続出しているようだが、初期に少々の問題があることぐらいは大目に見てやろう。で、10時間分の通話が無料だというので、特に用事はないが京都の友人宅にかけてみた。もちろんちゃんと繋がったが、10分ほど喋っているといきなり切れてしまった。しかも、その直後にかけ直しても無音状態、3度目の再発呼でやっと繋がったことは少し気になるところ。

市外電話が全国一律3分20円という価格設定は一見安いように見えるが、他社と比べてみると必ずしもそうではない。100km を超えるような長距離通話では最安だと思うが、比較的近距離の市外通話や、(20円単位の課金なので)短時間の通話が多い場合では、他社の方が安くなる場合も多い。しかし、そのためには複数の割引サービスを組み合わせたりしなければならず、おまけに「マイラインプラスに登録すると」とか「通話量の多い上位何局番」などと色々な条件が付いたりするので、料金体系が複雑すぎると思う。もちろん良く読めば分かるのだが、要するに回りくどいのだ。

これではアドバンテージは低いだろう。エンドユーザで主要な電話会社の料金設定を全て把握している人がいたら、ちょっと尊敬する。どうにか料金を理解しようと色々と計算しているときに、一律という分かりやすい料金を示されると心はそちらに揺らぐ。でも、フュージョンに問い合わせてみたら電話対応は最悪だった。しゃべり方からして「ぱっぱらぱー」を思わせる感じのヤツが出てきて、何にも分かってないから質問しても答えが返ってこない。それでは分からんと文句を付けると、今度は推測で答えてくれる。

分からんのも問題があるが、推測で答えるのはもっと問題があるぞ、おい。



いろいろ
2001年4月3日(火曜日) はれ/くもり

夕方、突撃実験室を見たらアクセスカウンタのデータが吹っ飛んでしまっており、数日前のバックアップから推定して修正した。以前にも同じような壊れ方をしたことがあり、そのときにもソースコードを見直してみたのだが、どうしてもバグってそうな個所は発見できなかった。しょっちゅう飛ぶようならば、小さなバグがあるというより設計に根本的な問題があるということで片づくのだけれど、数万カウントに一回発生するかしないかという再現性の低さがネックとなっている。

ソフトであるにせよハードであるにせよ、モノは作ったように動くのではなく、作られた通りにしか動かない。ごく当たり前のことだし、意味的にも両者ともに殆ど同じである。しかしながら、両者の微妙なニュアンスの差違が表す設計者の意識の違いこそが、カウンタが壊れてしまう原因がいままさにシステムコールの実装不良に転嫁されようとしていることの誤謬さと僭越さを端的に表しているのではないかと思う。いや、それは自分のことなんだけど、もう治す気なし。

ついでに、インデックスで表示させていた「負け犬の道しるべ」を廃止した。FreeBSD では、fortune がデフォルトでインストールされないため追加で入れる必要があるのだけれど、先日OSを入れ直したときに追加で入れるのを忘れていたので動かなくなっていた。まあ、思いつきで始めただけなのでそろそろ飽きてきたし、ほかのサイトでも同じものを見かけるようになってきたので、これを期に廃止。引き続き見たいという方は、本家の方へどうぞ。なんだか根強いファンがいるみたい!?



健忘の一症例
2001年4月2日(月曜日) はれ

夕飯を食いながらテレビでやってた「名探偵コナン 瞳の中の暗殺者」を見る。しかしまあ、テレビ版だとほぼ週一のペースで誰かが死んでいる。もし本当に毎週毎週ああも複雑奇怪な手口で殺人が起きているのか思うと背筋がちょっと寒くなる。それだけならともかく、必ず殺人現場に居合わせるコナンたちは、相当に運が悪いか悪霊にでも取り憑かれているんじゃないのか、とか思いながら、実は灰原さんに萌え萌えだったりするのはあくまでここだけの秘密だ。弱いの、ああいうキャラクタには。

そんなことはともかく、瞳の中の暗殺者のストーリにおいては殺害現場を目撃した蘭ちゃんがそのショックのあまり全ての記憶を一時的に失ってしまう。犯人を見た人物がいては謎解きにならないので、まずその人物の記憶を使用不能にしてから推理を始めるという、実にありがちなご都合主義だ。それに乗じて恋する乙女の記憶障害という手垢の付きまくったシチュエーションを最大限に活用して話をまとめていく陳腐な展開なんだけれど、コナンだと許しても良いような気になるから不思議なもんだ。

ところで、こんな都合のいい記憶障害は、現実にはあり得ないものだと思っていた。人間の記憶が生まれてからの様々な経験によって形成されるものであるとすれば、家族を認知できなかったり自分の名前すらも言えないほどに記憶が抜け落ちているにも関わらず、言葉だけは普通にしゃべれたり日常的な生活ができたりするだろうかと昔から疑問に思っていた。こんなものは、ストーリの展開上すぐに出てくると困る記憶を、当面のあいだ葬り去るために創造されたフィクション御用達の症例ではないかと。

しかし、知人が本当に健忘に陥ってその考えが少し変わった。ことの発端は、結婚を前提に交際していた女性が、ほかの男と婚約したことを知ってしまったことにある。しばらくは信じていたようだが、実は裏切られたことを自分で認めてから数日後に、とつぜん大声で叫びながら発狂したと聞いた(真面目な話として)。同時に、そのときから過去数年間の彼の記憶が消えてしまう。病院に運ばれて入院した彼は、女に振られたショックから、記憶が抜け落ちたのだと診断されたそうだ。

その女性に関する記憶は無論、交際とはまったく関係のない出来事についても当人は全く思い出すことができない。わたしは特に親しいわけでもなかったので入院中の彼には会っていないが、見舞いに行った彼の友人らの話によればこうだ。記憶が抜け落ちた期間中に知り合った人物はまったく認知することができず、入院先の病院へ見舞いにいっても誰が来たのかが分からない。そのため、あなたはこういう人で自分はあなたの友人だといった説明をしながら、お見舞いにいったそうである。

もっとも、彼が忘れてしまったのは、忘れることでしか処理できない悲劇と深く関係のある想い出が存分に含まれていたと思われる数年分の記憶だけである。だからそれよりもさらに前の記憶には影響が無く、少なくとも彼は、「わたしは誰?」状態で自分の名前すら分からないといったことはなかったと聞いた。その後、彼が記憶が取り戻したのかどうかは知らない。忘れなければならなかった悲惨な記憶でも思い出すべきなのだろうか・・・知らない方が幸せなこともある、あるいはそれが健忘の正体か。

もしいま、自分が数年分の記憶を無くしてしまったら。自分で書いた多事毒論を読んで、どう思うのだろう。



ディスクとか
2001年4月1日(日曜日) はれ

サーバメンテナンスの日。停止中はご迷惑をおかけしました。

まずはデータのバックアップを取り、サーバを止めて壊れたハードディスクを取り外す。ディスクに貼られた保証シールによれば、購入日は1999年10月17日となっているから1年半ほどの寿命だった。全開でシークしながら回りっぱなしになっているハードディスクでも、壊れずに何年も動き続けることもある。かと思えば、このディスクのようにほとんど動いていなくても壊れるときは壊れる。形あるものが朽ち果てることは致し方のないことだが、こればっかりは壊れ傾向が全く掴めない。

ハードディスク交換のついでに IDE RAID を組んで、ディスクをミラーリングさせてみた。FreeBSD 4.2R から Promise の FastTrak がサポートされるようになり、解析するためだけに買った(笑)Ultra 66 改 FastTrak 66 が余っていたから、こいつを突っ込んでみたのだ。壊れても構わない環境での「実際に壊した場合はどうなるのか」実験をしていないので信頼性の程は良く分からない。従ってサーバに使うのはちょっと怖いが、申し訳程度の信頼性向上にはなる・・・と思う(自信なし)。

4月1日だけど、100%真実でっす。嘘を考える余裕なんて無かったぞ、今日は。



突撃実験室