多事毒論(2001年10月分)


売ります
2001年10月31日(水曜日) はれ

今日の猫模様/こいつも睨んでた

唐突だけど、どなたか ASUStek の A7M266 いりませんか。価格は 17,000円(離島など一部地域を除き送料込み・税不要)で。一般相場よりも数千円安くてお買い得です。開封品だけど新品未使用。箱・付属品・取扱説明書、および代理店保証書(2004年10月31日まで)も全て揃っています。これから Athlon と DDR SDRAM で組もうと画策している方はぜひどうぞ。Yahoo! Auctions にも出しているので、落札者があれば、Yahoo! Auctions を優先します。従って、無くなったら最後、早い者勝ちです。欲しい方は、メールで購入の意思をお知らせください。

わたしが秋葉原で買ってきたものなので、ワケアリ品じゃありません。なぜ売る羽目になったかは・・・間違えたから(爆)



続・鍵盤
2001年10月30日(火曜日) くもり/雨

今日の一升瓶模様/飲屋街の朝

朝、近所を歩いていたら一升瓶が何本も叩き割られて、その破片が道路に散乱していた。前の晩に誰かが暴れたあとの置き土産かな。ここでは、色々なことが起きる。夜中に突然、呂律が回らず何を叫んでいるのか聞き取ることのできない怒鳴り声が聞こえてきたかと思うと、そのうち何かが壊れる鈍い音やガラスが割れる音が響いたりすることがある。激しいケンカであることもあれば、酔っぱらいが単独でくだを巻きながら暴走しているだけだったり。こういうことが比較的頻繁に起きる治安の良くないところに住んでいるためか、最近は多少のことが起きてもあまり驚かなくなった。かくともあれ、「今日の○○」も意味不明なコーナーになりつつありますな。

ちょっと遅い補足。23日に書いた「鍵盤」で「ピアノの鍵盤はハ長調(イ短調)を基本に作られているけれど、なんでなの?」と書いたけれど、この問いには答えを出さず、別の話を無理やり繋げて終わってしまった。実は、何らかの答えを出すつもりでいたからこういう書き出しになったのだが、考えながら書いているうちに自分でも訳が分からなくなってきたから、取り敢えず Whole Tone の話にすり替えてしまったわけである。この件については、ねこ猫缶館さんが日記で取り上げておられるのだが、その話においても「結局のところ、ハ長(イ短)のダイアトニック・スケールが白鍵に配置されているのかについては謎のままである。」との結論。謎は深まるばかりである。

考えてみると、そもそも五線譜がハ長調(イ短調)を前提に作られているので、それとの整合を考えれば、ピアノの鍵盤もそれと同じように作られていることは何ら不思議ではない。譜面上に調号や変化記号がなければ白鍵だけ、あればそれに応じて黒鍵が混じってくるという関係はごく自然である。しかし、このアプローチで謎解きをするためには、五線譜と鍵盤のどちらが先に作られたのかという鶏と卵のような疑問をまず解決しなければならない。これについて、ヤマハ音楽博物館楽譜の歴史は「鍵盤楽器のためにもう1つのタイプの記譜法が徐々に発達していました。これが、現在使われている五線譜のもととなったものです」と説明している。なるほど、確かに五線譜は鍵盤楽器とよくマッチしているが、これでは答えに繋がるどころか、まさに鶏と卵そのものである。

んー、難しく考えすぎかも。根拠はないけれど、イロハニホヘト。英語で言えば ABCDEFGだ。イ(A)が頭に来るからというだけの理由で、鍵盤もイ(A)のマイナースケールで作っちゃえ!と、誰かが安易に決めてしまった気がしないでもない。440Hz とかの基準周波数も イ(A)の音で決められているし、音楽の基準は取り敢えずここにしておこうというわけだ。で、よしんばそうであったとしても、どうして「イ」の音が「イ」という始まりに来て、これが基準になるに至ったのか、という別の疑問が出てきたりするので、考えだしたらキリがないのだけれど。音楽の歴史はぜんぜん知らない人間が書いているので、ご指摘歓迎です。



歯ブラシ
2001年10月29日(月曜日) 晴れ/曇り/雨

今日の猫模様/電線の鳥が気になってしょうがない・・・

ねこさんなどの撮影に使っているデジカメは、ニコンのE990だ。こいつはけっこう気に入っていて普段はあまり不満を感じることはないのだが、オートフォーカスの性能ははっきり言って悪い。調子が良くても合うまでにワンテンポかかるし、とりわけ低照度の被写体ではまったく合わない。だいたいの猫さんは塀と塀の隙間とか車の下といった薄暗い場所で休憩しており、しかもこの時期は日暮れも早いから、かなり厄介である。それならそれでマニュアルで合わせれば良いことなのだけれど、オートフォーカスで使うことを前提に設計されているためかマニュアルフォーカスは操作が面倒くさくて使えない。

歯ブラシは、なにを基準で作られているのだろう。何年か前には「毛先が球」をキャッチフレーズに、毛先がエノキダケみたいになった歯ブラシがテレビで盛んに宣伝されていたこともあったが、最近は歯周ポケットのゴミも取るという毛先が極細の歯ブラシの宣伝が多くなった。毛先にこだわっている点では両者とも同じだが、やっていることは明らかに逆で、一体どっちが正しいんだか。歯や歯茎の健康を最優先に歯ブラシを設計するなら、人それぞれの個人差や好みによる差違こそあれ、最適な歯ブラシの形状や毛質は必然的に決まってくるものだと思うし、改良が行われたとしても、球状だった毛先がいきなり極細になるといった極端な変化が起きるとは考えにくい。

歯ブラシみたいな製品は、普通に作ったところで横並びにしかならないことから、メーカが自社の商品を差別化するために、実用性とは何ら無関係なところで「改良」を重ねているんだろうか。歯の健康に関わる商品だけに、流行とか意表だけでやらないでもらいたいものだが。

どうでもいいが、人を何人か殺してしばらく刑務所で暮らす夢を見た。誰を、どういう理由で、どうやって殺したのか、細かい部分はまったく覚えていないのだけど、そんな部分も妙に具体的かつ現実的な内容だったような気がするので、とってもイヤ〜な感じだ。将来の自分が落ちぶれてゆく姿を描いた予知夢ではなかろうな・・・。現実と違ったのは、やたらと早くシャバに戻れた点。刑務所の高く重たい扉が開いたところで、目が覚めた。



静岡の・・
2001年10月28日(日曜日) はれ

今日の猫模様/眠そうだった。わしも眠い・・・

沼津へ行った帰り、東名に乗るのがもったいないのでR246をひたすら走る。よそ者の印象だが、少なくとも主要な国道の整備について言えば、神奈川県よりも静岡県の方が断然に良いように思う。静岡県内のR246は極めて快調なのだが、県境を跨いで神奈川に入った辺りから急にヘボくなる(大和付近は立体交差が多くて立派だけど)。あるいは、静岡県のゴージャスなR1バイパスと、横浜の使えない二車線道路が同じ国道なのかと思うと、少し分けて欲しいと思うとともに嫉妬さえ覚えてしまう。R1の箱根越えも静岡に入ると道が良くなるし・・・難所が多いのは分かるが、対向困難な場所すらあったりする神奈川県側のやる気のなさは、もうちょっと何とかならんものか。

急に衛星放送の受信状態が悪くなったと思ったら凄い雷雨。強烈なパラボラを上げているらしい難視聴対策用ケーブルテレビ局の衛星再配信チャンネルもダメなところを見ると、かなり激しいのだろう。それにしても受信機のエラー表示をそのまま流すとは・・・ちょっとかっこわるい(笑)



ねこだけ
2001年10月27日(土曜日) はれ

今日の猫模様/嫌われた。意外と難しい気儘な猫さまの流し撮り・・・



電気通信事業者
2001年10月26日(金曜日) はれ

今日の消火器模様 兄弟だった

不条理な(少なくとも個人的にはそう感じる)要求をしてくるお客さまからの電話。

「おたく、どういう業種か分かってんの?
「インターネットサービスプロバイダですねえ
「そりゃ要するにサービス業だろ
「まあそういうことになりますね
「だったらなんでそのぐらいのサービスができないんだ?

とまあ、このような誘導尋問で「サービス」という言葉を言わせておいて、それをネタに奇妙な詭弁を展開されるお客さまが記憶に残っているところで過去に3名ほどいらっしゃる。事前に予想問答集を用意してこういう論理の訓練をしているのか、一種の才能なのかはよくわからないけれど、こういうのが上手い方はとことん上手いもので、素直で正直な(←反論不可)わたしは、ついつい相手のペースにまってしまう。今度から同じような質問をされたときは「一般第二種電気通信事業者です」と言うことにしよう。実際、旧郵政省への届け出ではそうなっておりますので。

総務省になってからはどうか分からないけれど、少なくとも郵政省と呼ばれていた当時、電気通信事業者の事業届け出は「データ通信課」という部署が扱っていた。電気通信事業者といっても、インターネットやパソコン通信のようなデータ通信サービスは提供せず、音声通話の事業だけを提供している事業者もある(厳密に言えば、テレクラやツーショットダイヤルをやっている業者さんも電気通信事業者だ)。だから、郵政省に届け出のことについて電話で問い合わせたときにデータ通信課へ回されたときは意外だと思ったのだけれど、考えてみれば今の時代に届け出をする事業者は大半がプロバイダなどだろう。そう考えると、データ通信課は妥当なところなのかな。




2001年10月25日(木曜日) はれ

一昨日の記事で書いた、全ての調を弾ける鍵盤の話について掲示板に書き込みをいただいた。これ、Whole Tone(注:少なくともうちのネスケでは閲覧不可)という楽器で、ピアノではなくシンセだった。計12ある調を同じように演奏できるというのだから、鍵盤は12系列あるのかと思っていたけれど、実際は1/2鍵ずつオフセットして並べたものが6系列。なるほど、12系列もあればちょっとビビるが、それなら何とか扱えそうだ。移調しても同じように演奏できるというアイデアは面白くて良い感じなのだけど、お値段は 498,000円也。どうせ買えないし、仮にこのぐらいのカネがあれば、まずは普通の電子ピアノでも買うだろうなあ。

昨日書いた文章を読み直しながら、相変わらず和訳がヘボすぎると思ったり。英文を引用するときは和訳を付けるようにしているのだが、プロの翻訳家がやるように、こなれた訳で流麗な文にまとめるってことができない。わたしは物書きでも何でもないので意味が通じれば良いのだけれど、ニュアンスが微妙に違っているのは、やはりどうかと思う。例えば、I lost my fighting spirit を最初は「やる気がなくなった」と訳したのだが、それだとカスパロフ氏は気分次第で我が儘をいう偏屈オヤジになってしまう。実際にそうなのかも知れないが、妙な機械と対局するときの変なフィーリングを扱っているのだから、そういう解釈をされるようでは誤訳である。悩んだ末、「意気込みが失せた」と書いたが、これでも何となく不自然な気がする。

自分の語彙が貧弱なことも要因の一つだと思う。「投了した」と訳した resigned も初めは「棄権した」なんて書いていたのだが、囲碁とか将棋はやらないので、そういう意味のぴったりな言葉があったような気はしても、それがなかなか浮かんでこない(囲碁用語和英辞典のお世話になりました)。知人で同時通訳者を目指している人が、語学力もさることながら、知識の広さ(簡単にいえば、知ったかぶり力ですな)の方が重要だと言っていたこともよく分かる。得意不得意はあるとしても、リアルタイムな会話を訳すとなると、いきなり妙な話が始まっても困らないように、いろんな専門分野の事情も押さえとかないといけないらしい。ディープなオタクになるのは簡単でも、興味がないことも含めて色んなことを遍く知っておくことはなかなかできることではないだろうな。



ヒカ碁と人工知能の相関性
2001年10月24日(水曜日) はれ

最近アニメ化された「ヒカルの碁」を見ながら、ふと思った。

1997年に、チェスの世界チャンピオンであるカスパロフ氏と、IBM が開発した「ディープ・ブルー」というチェスマシン(コンピュータ)が対局し、カスパロフ氏は一勝二敗三引き分けでディープ・ブルーに敗北した。人工知能がチェスの天才といわれる人間に初めて勝利を期したこの対局は、コンピュータ科学の進捗が可能とした一つの具体的な事例として後々までの語り種になったが、たかが機械に負けたカスパロフ氏は、あの瞬間、どんな気持ちだったのだろう。氏が負けたときの様子をテレビで見たことがあるのだけれど、文字通り打つ手が無くなったカスパロフ氏が頭を抱えながら勝負が決まった瞬間は、非常に印象的でなものであった。

英文だけど、The New York Times のサイトに "IBM Chess Machine Beats Humanity's Champ" という記事がある。コンピュータが勝ったか負けたかというありがちな人工知能の語り種とは違って、どちらかと言えば人間の立場から書かれているので面白い。これによれば、計六回の最終局でカスパロフ氏は

 〔中略〕 resigned 〔中略〕 saying, "I lost my fighting spirit."
 「対局の意気込みが失せた」と言いながら投了した

らしい。なぜか? そのときの心情が少し語られている。

 "I was not in the mood of playing at all," he said.
 「対局できるような気分ではまったくなかった」

 Asked why, he said: "I'm a human being. When I see something that is well beyond my understanding, I'm afraid."
 なぜかと聞かれ、「わたしは人間だ。自分の理解を遙かに超えたものを見たときは、恐くなる」

詳細については元ネタの続きを読んでいただくとして、目の前では本物のチェス盤は使っていても、相手の一手がコンピュータからはじき出しているものとなれば、理解を超えた、どうしようもない気色の悪さを感じることは感覚的に分かる気がする。単なるチェスの勝負という側面を超えた、人間と人間が行う勝負の真剣さみたいなものが完全に欠如している状態で真面目に勝負しろというのも酷な話だろう。とはいえ、人工知能との対局では人間の精神状態が通常とは著しく異なるので、こんな勝負は勝ったうちに入らない、とは思わない。そういう微妙な精神状態に左右されずに勝負を続行できることも、人工知能の強みの一つである。

「ヒカルの碁」のヒカルと対局するときも、似たようなものを感じるのではないかと想像される。普通の小学生に天才棋士の魂が乗り移る。その霊魂の指示に基づいて打っているとはつゆ知らず、手つきも態度も、どこからどう見てもドシロウトの小学生が神の一手に近いものを繰り出してくれば、相手の精神状態もおかしくなるだろう。現実にはあり得ないことではあるけれど、やたらと強い人工知能と対局するときの「なんだこりゃ」状態は、ヒカルと対局する塔矢アキラの心情として(ややオーバーだけど)巧いこと描いているように思う。もっとも、囲碁や将棋の名人に挑んで勝てる人工知能は、残念ながらいまのところ存在しないけれど。



鍵盤
2001年10月23日(火曜日) はれ

あるメールにカレーの話が書いてあったので、何となくカレーライスが食べたくなった。カレーライス三日目の今日、荒れる日本海の懸崖に立ってカレーなんかクソ喰らえだと叫ぶような気持ちで食べて食べて食べまくり、ようやくカレーが冷蔵庫から姿を消した。卵を落としたら双子だったりして、なんか良いことありそうというより、カレーの毎日から開放されただけでも、明日からは夢あふれる別の人生が始まるような感じがする。そういえば去年の5月22日にもカレーを作りすぎ、このときは助っ人を呼んでまで対処したとある。わたしはカレーを作りすぎることに長けている模様だが、さすがに履歴書の長所欄には書けませんな。

ピアノの鍵盤はハ長調(イ短調)を基本に作られているけれど、なんでなの?
作ろうと思えばどの調を基本とした鍵盤でも作れるわけだから必ずしもいまの配列である必然性はないし、だいたいハ長調(イ短調)以外の曲を演奏するときには不便じゃないか。と思って作ったのかどうかは知らないけれど、全ての調を白鍵だけで弾けるようにしたピアノのような楽器があるらしい。新聞か何かで見たもので、はっきりとは覚えていないのだが、鍵と音の対応を短二度ずつずらしていった鍵盤を12通り作って、縦に並べた二次元鍵盤みたいなものだと思う。

んー、たとえばピアノで F#7sus4 みたいなコードを押せとか言われたらちょっと考えてしまうから分かりやすさを求める気持ちは分からないでもないけれど、黒鍵で指を挫く人が二次元配列の鍵盤を使ったら指を折るんじゃないのかねえ?



バッタ
2001年10月21日(日曜日) くもり

現代用語のリミックス「誤爆テロ」。「あ、ごめん」で済まされることが多い。

Yahoo! Auctions である商品を落とそうとしたら、終了間際になってなにやら煽ってくる方がいたので一戦交えてきた。結果は 1円の僅差で勝利したというか、向こうが引いたというべきか。一応これにもテクニックみたいなものがあって、大方の人はキリの良い金額で入札することに着目し、例えば 2,000円で入札しようと思ったときは 2,001円で入札しておくと、仮にほかの人が 2,000円で入札したとしても 1円の差で勝てることがある。しかし、敵さんもこういう勝負に慣れている場合は同じ戦法でやってくることが多いので、この例では 2,002円で入札するのが正解。今回はその予想が的中し、落札価格の下一桁は 2円という中途半端な金額で終わった。

横浜みなとみらいにあるインターコンチネンタルホテルの建物に、巨大なバッタが張り付いている。最初に目撃したときは「なんだこりゃ」と思うよりも先に、ちょっと唖然としてしまった。インターコンチネンタルホテルの建物は、帆船の帆を模して建てたそうで、正面から見るとアルファベットの「D」という文字のような形をしている。立体化された「D」の側部のうち、丸くなっている側は吹き抜けになっており、そこに、あの巨大なバッタがどっしりと鎮座しているのだ(見れば分かる通り、実際はワイヤーで吊されているのだが)。このバッタ、触覚の代わりにむしろ角のようなものが生えていたりして、しばらく眺めていると、なるほど、けっこうかわいいなーと思えてくる。

実はこれ、横浜トリエンナーレの展示作品の一部である。街にあるものを最大限に活用し、街そのものを展示会場代わりにしたこんな作品も、確かに面白い。



うめぼし
2001年10月20日(土曜日) はれ

うめぼし(どアップ)。見てるだけで涎が出てくる。

酸っぱくない梅干しについて書いたところ、色々な情報をお寄せいただきありがとうございました。通販で強烈に酸っぱい梅干しが買えるとのことで、さっそく注文してみた。ちょっと高いけれど、殺人的に気合いの入った酸っぱさはわたし好みだし、なにより梅そのものもかなり高級なので美味しいのだ。少数派だと思うけれど、わたしと同じように梅干しは酸っぱくないとダメだとお考えの方もいらっしゃるようで、その需要を満たす商品もあるにはあるみたいである。よかった。

P-inから機種交換する形で、少し前に買ったPHSを公衆登録してみた。PHSは外出先でのインターネット接続用に使っているので、前に使っていたP-inはその用途にはもってこいなのだが、電話として使うには現実的でない(できないわけじゃないけれど)。逆に、普通の移動機をデータ通信用に使うにはモバイルカードを挿してケーブルで繋ぐ形になるのでイマイチなのだけれど、汎用性を求めると何かが不便になるのは仕方のないかな。久々にPHSを使うと、音質がPDCとは比較にならないほどいいなって実感する。ドコモのエンハンスドハーフレートはそこそこ綺麗だけれど、やっぱりあの金属的で無機質な音は好きになれない。市街地で使うのならPHSも良いかも。

どういうわけか、わたしはドコモショップでトラブルを起こすことが多い(ドコモショップでは話にならず、ドコモの神奈川支店まで行って暴れたこともあったりして)。元他人名義の灰ロム移動機を持ち込んで強引に契約するなど、あまり一般的でないことをするからかも知れないが、そういうことはできないという規定があるのなら、できないで構わない。けれども、窓口やコールセンタの人間がモノを分かっていなかったりして、問い合わせる先によって可否の回答が変わったりするとモメることになる。初めこそなんだか嫌がっていても、押し次第でやってくれたりするから、こっちもつい警戒態勢に入ってしまうわけだ。

今回は穏和にいこうと思っていたが・・・。機種交換を頼んだあと、5〜10分ほどかかるのでお待ち下さいと言われたので待っていた。やることもないので作業を眺めていると、なんだか上手くいかず苦労しているのが伺えるし、別の人間にやりかたを聞いたりしている。待たされること15分、まだ終わらないのかと尋ねると、あと5分ほどお待ち下さいという。普通は何分ぐらいかかるのかと聞けば「15分から20分かかります」と、さっきと言っていることが変わっている。おいおい、5分〜10分じゃなかったのか。だいたい普通はそんなにかからないだろう。いい加減イライラしていたので、ここらを指摘すると「すみません、機械の調子が悪かったもので」と、チンタラしていたことは一応認めた。

しかし、わたしはこの言い訳が一番嫌いである。多くの人はこれで納得するのかも知れないが、機械の使い方が悪いことと、機械の調子が悪いことは同義じゃない。



朽ち果てた回数券
2001年10月19日(金曜日) はれ

洗い終えた洗濯物を干していたら、グチャグチャになった紙の固まりがシャツのポケットに入っていた。何かと横着なわたしは、メモやらレシートやら何でもポケットに突っ込む癖があるので、たまに洗濯する前のチェックを怠ると、こういうことも起きたりするわけだ。

ありゃまあ・・・ またやっちまったかとか思いながら、ポケットから丸まった紙の固まりを取り出してみると

首都高速回数券

出てきたものは朽ち果てた首都高速の回数券
しかも買ったばかりの10枚綴り、しめて5,000円相当分也


・・・・・・・・・。


(しばしの沈黙があって)

ぎゃあああああああああっ(爆)

思わずそう叫んでしまうところだった。しかし、ここは落ち着いて冷静に・・・

10枚重ねで洗濯機にかけられた回数券がシャツのポケットから出きたときは、全数がボール紙のように張り付いてグチャグチャになっていた。乾いてしまってからではどうにもならないような気がしたので、すぐに慎重かつ丁寧に一枚ずつに剥がして平らに延ばし、机の上に並べてみた。束の中程にあった券は比較的よい状態をとどめていたものの、さすがに先頭にあったもの(091番)は損傷が激しく、破れたり折れ曲がったりして印刷もかなり削れてしまっている。幸い、原型はそれなりに残っているので料金所そのまま使ってしまおうかと思ったのだが、首都高速道路公団のサイトを見たら FAQにずばり「洗濯等で汚損してしまった回数券、使用できますか」という項目があって、交換されるようにと書いてある。同じような問い合わせが多いんだろう、ほかにもわたしみたいなおバカさんがいて(苦笑)

取り敢えず電話すると「首都高速道路協会」という何をやっているか不明な、いかにも天下り特殊法人的な香りのする場所へ持ってきてくださいと言われた。そこはかとなく薄暗い事務所に入ると、なんだかタバコ臭く、何人かいる事務員さんも全体的に暇そうな感じ。絵に描いたようなお役所の雰囲気である。自分のミスなので交換手数料ぐらいは払うつもりでいたのだが、無惨な姿に変わり果てた回数券を渡すと、意外なことに無料で新品の回数券と交換してくれた。・・・ビバ、役所!



魔法で殺す
2001年10月18日(木曜日) 雨

なにぶんわたしには人を殺した経験がないのではっきりとは分からないけれど、人を殺すという行為について考えるとき、人が死んでいく過程を直接的に見たり感じたりする場合と、そうでない場合では、その感覚はかなり違うはずだ。たとえばボタンを押せば地球の裏側辺りで10万人が死ぬ武器を動作させてからその結果をテレビの画面で確認するのと、ナイフのように相手と直に対峙しなければ殺害できない武器を用いて、目の前で人間が死にゆく様子を観察するのとでは、そうした行為を実行する直前での抵抗感とか、あるいは行ったあとに残る後味にはどういう違いがあるのかなと。

ここでは仮に殺人は悪いことだと考えて殺した人数だけを基準にすれば、一人殺すよりも10万人殺す方が論理的には10万倍悪いと言えるのだけれど、「いままさに息の根を止めました」という実感が伝わらないだけ、10万人殺す方が気楽じゃないかと思う。ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ、どっちか食えという具合に、10万人をボタン一つで殺すか、生きた人間を一人刺殺するか、どちらか好きな方を実行せよという究極の選択を迫られたとしたら、返り血を浴びたりと生々しい経験をするよりも見えないところで10万人が死ぬことの方が、結果はともかく実感しては漠然としているから心理的な負担が軽いと感じ、極限状態では自然とそちらを選んでしまいそうな気もする。

仕事で無線絡みの機器の開発をしていたとき、電波みたいなもので人を殺せたら面白いなと思って、その発想をもとに、ファンタジー小説なんかでよく出てくる「魔法」がかなり体系的な軍事技術として確立された世界を考えてみたことがある(えー、笑われるでしょうが、技術屋の発想ではファンタジー小説もこうなるのです)。地球の裏側から、何かを念じただけで街が一つ破壊されて住人はみんな死んでしまうとか、念じただけでそういう残虐なことが起きたらどうなんだろうなというわけだ。みんな死ね〜って念じて、それが現実になるのなら、そう念じること自体は十二分に抵抗のあることだろうが、直に見えるところでは何も起きないわけだから、どんな感じだろう。

見た目の結果が人間の倫理的判断に影響するということは良いとして、見た目には何ら問題はないのに、結果として倫理的に厳しいことが起きるように強く念じた場合はどうなのだろうかと、いま思えば変なことを考えてみたこともあったな・・・(倫理を理詰めで考えるから訳が分からなくなるという意見もあったりして)。



業界用語
2001年10月17日(水曜日) くもり/雨

「治具」というと機械用語なんだろうが、ソフトなんかの開発でその「治具」に相当するものは、ふつう何と呼んでいるんだろう。何かを作っていると、人間がやるまでもない単純な繰り返し作業が大量に発生するような場面は良くある。こんなときは Perlなんかでちょろっとスクリプトを書いたりして作業をコンピュータにやらせるのが賢い方法である(遙かに正確だし効率的だし)。こういうスクリプトも少し複雑なものになってくるとかなり立派な「ソフト」であったりするのだけれど、客に納品する本来の目的物の一つでもなければ、コンパイラのように汎用的な道具でもない。作業の過程で必要になって作った補助的な特殊工具なのだ。だから「治具」という言葉がしっくり来るのだが。

はっきりとした根拠はないのだけれど、ソフトウェア業界には名前が定まらないものがほかの業種よりも多い気がする。だいたいの業種では、同じ業界内であれば会社が違っても通じる業界用語が日常業務で困らない程度に標準化されているものだけれど、ソフトウェア業界においてはあまり思い当たらない。Googleで「業界用語」を探してみても、引っかかるのはどっかで聞いたことのあるカタカナの専門用語を集めたものぐらいで、よりディープな業界用語がまとめられているものは見当たらない(ゲームプログラマとか、分野を特殊なものに限ればあるのだけど)。

そのためか、何かの開発プロジェクトが立ち上がるたび、関係者の間だけで通じる局地的な方言が次々とできてしまう傾向があり、後から参加したら不明な用語が飛びまくって戸惑った経験をお持ちの方もいるのでは。そうやって作られた、同じ社内でも顔ぶれが変わっただけで通じないような意味不明の言葉が、何の説明もなく仕様書にも出てきたりするからねえ・・・(苦笑)



国連とカネ
2001年10月16日(火曜日) はれ

国連と、国連のアナン事務総長がノーベル平和賞を受賞した。いかにも野心と策略に燃えていそうな政治指導者が、様々な利害やイデオロギーが対立するなかで意外な平和的解決を達成した結果の受賞ならば「なるほどな」と思えるのだが、国連とくると、あまりに妥当で当然すぎる感じがして拍子抜けしないでもない。しかし何事も当たり前になりすぎれば、その当たり前を実現するためにどのような努力が行われていたとしても、そこにはかえって光が当たらなくなるものだ。中島みゆき風に言えば「地上の星」ってところかな、人は上ばかり見ているものだからと、いま敢えて国連という地味なものを選んだのなら、それはそれで面白い結果だ。

選考の背景はともかく、カネの話。

* 1ドル = 122円で換算しました。



梅干し
2001年10月15日(月曜日) はれ

「四捨五入したらヨユーで20歳」って書いたら、ここを読んでいる限りでは30代とか40代だと思ってました、なんて書き込みが掲示板に・・・。がーんですよ、がーん。顔のみならず、文章も老けているということなのですな。もっとも、文章だけが唯一の接点なら書いているヤツの年齢なんてなかなか分からないものだから、面と向かって的はずれな歳を言われるほどのショックはない、というわけではなく、心はいつも10代と思っていたからその心が反映されるであろう文章が老けているとなると、あははははっ、もう笑うしかありませんなー。

# まあ、ここでは比較的真面目(?) なので、普段のわたしを知る人はそのギャップに驚くらしい

爺臭いついでに、爺臭い話を一つ。最近、強烈に酸っぱい梅干しがマイナー化して困っている。むしろ「ハチミツ入りで食べやすい」とか「塩分少な目」なんてことが売り文句になっていて、確かにどれもやたらと甘ったるかったりする。これではまったくもってダメなのだ。強烈に酸っぱくて適度に塩っぽいものが正しい梅干しなのであり、ハチミツが入っていたりして変に甘ったるいやつは、梅干しとは名ばかりのニセモノに過ぎないのである。田舎の人から貰ったりする自家製のやつはだいたいこういう味なのだが、残念ながら普通のスーパで売られているものはニセモノばかり。困ったことだ。

夏休みに和歌山へ行ったときのこと。土産物屋にいくと、紀州の土産ということで梅干しの品種は掃いて捨てるほどあったのだが、やはりここでも甘ったるいものが幅を利かせていた。取り敢えず店員さんに「とにかく強烈に酸っぱいやつをくれ」といったら、一種類だけそういうものがあるという。出てきたものは、「昔ながらの梅干し」というようなブランドで、試食すると確かに強烈に酸っぱくて美味しかったから、速攻で買って帰った。こんな気合いの入った梅干しはもう市場から消滅したんじゃないかと思っていたけれど、あるにはあるらしい・・・通販で良いから、どこかで売ってないかなあ。



浅草
2001年10月14日(日曜日) はれ

初めて浅草へ行った。初めてもんじゃ焼きってやつを食ってみた。店のオヤジに焼き方を教わりながら食べたそれはモチモチとしていて、思ったよりも美味しいものだった。事前情報では、水っぽいお好み焼きみたいなものだと聞いていたから、それはさぞかし不味そうなものだと想像していたのだ。

それは良いのだが、たまたまご一緒することになった初対面の女性3名(いずれもほぼ同い年)に「四捨五入して30歳?」と言われたことはインパクトがでかかった。んどれー、四捨五入したらヨユーで20歳じゃボケ〜ッ。と叫びたい心を抑えつつ、苦笑を浮かべながら首を横に降ると「ってことはもう超えてるんだー」と、さらに肺腑を抉るような一言。・・・なんでやねん。どうしてそうなるんだ、ん? それも否定すると、さきほどの苦笑の意味を今度は「図星」と誤解されたらしく「ずばり29でしょ」。絶句。ショックでかすぎ。

正直な話、そんなに老けてるのか、ワシは?



単三リチウム電池
2001年10月13日(土曜日) はれ

カメラ屋で「単三リチウム電池」なんてものを見付けたので、試しにデジカメに入れてみた。値段は4本で1,500円ほどとかなり高価だが、これがまた長持ちするわなんの。普段から使っているニッケル水素電池の何倍も持ったから、驚きであった。問題は値段。容量単価ではアルカリ電池よりも高いが、アルカリの3〜4倍は持つようなので、見た目の値段は高いがまあ許せる範囲だろう。デジカメに使うのなら、アルカリよりも格段に軽量で(体感できるほど違う)、電池交換なしで何百枚も撮影できるメリットは大きい。普段から使うには贅沢すぎるが、旅行で使ったときにはとても良かった。軽いし、新品を入れておけば、一日ほど使いまくってもシャッターチャンスで電池切れ、なんていうダサい事態にはならない。そんなときに限って、予備の電池が鞄の奥深くに潜り込んでいたりするので(←経験者)。

単三リチウム電池は今でもあまり一般的ではないが、少なくとも10年ほど前からあったと思う。当時、わたしは最速のミニ四駆を作ることを趣味としていたので、高性能な電池を選ぶことは重要な課題だった。少なくとも電気系が他人より劣っているようではプライドが許さない。電池一つにしても明らかな違いを出して、周りを「あっ」と言わせたかったのだ。だから、ミニ四駆にはアルカリ電池が最良だというセオリーに従って、自分も周りと同じようにアルカリ電池を使っていたことはいけ好かなかった。そんな折り、わたしはあるところで単三リチウム電池の噂を耳にして、それを開発したらしい Energizer (米国) というメーカに問い合わせたことがある(資料は貰えたものの、結果として実際に入手することはなかったが)。

ミニ四駆に単三リチウム電池を使おうと企んでいたことなどすっかり忘れていたが、先日カメラ屋で買ったものには、販売元である FujiFilm の名前のほか Energizer の名前が併記されていたので、このことをふと思い出してちょっと懐かしい感じがした。ところで同社のサイトでは、単三リチウム電池はカメラ用電池の項目で "world's longest-lasting AA battery"(世界一長持ちする単三電池)と、かなり自信満々に紹介されている。FAQ によれば、"Energizer manufactures the world's only AA lithium 1.5 volt batteries"(うちしか作ってない)とのこと。特許が切れるまでは、販売ライセンスだけ与えて、ほかのメーカには作らせないつもりなのだろう。特許が切れるとともに、半分ぐらいの値段で色んなメーカから出てきたら、こいつは最高の一次電池になるに違いない。



VoIP
2001年10月12日(金曜日) はれ

RiRiRi Phone。固定電話にかけられるVoIP(インターネット電話サービス)で、現在は試験中のため何時間でも無料で利用できるとのこと。通話可能地域は大都市圏に限定されている(当たり前だけど発呼はインターネットに繋がりさえすればどこでも構わない)が、わたしは横浜在住なので大丈夫だった。試しに使ったところ、Yahoo! BB からの通話では音質は思った以上に良好だった。高域が欠け、こもった感じはしたけれど、モガモガとした音ではないので明瞭度は PDCよりも遙かに良い。遅延は PDC並で少し気になるが、絶えられる範囲であった。通話中にプチノイズが入ったり、何度か切れたりしたことはあったが、いまは試験中ということなのでいずれは改善されるのだろう。

かかってきたときは 045で始まる市内の電話番号が通知されてきたので、どうやら NTT網と直に接続しているわけではなく、長距離の中継はVoIPで行って、市内にあるゲートウェイから一般電話にかけなおしているものと想像される。試験が終われば有料化されるのだろうが、仮にこんな方式でやるとすれば料金は幾らぐらいに設定されるのだろうか。フュージョンコミュニケーションズが全国一律3分20円という値段でやっているご時世、パソコンがないと使えない不便さが依然として残るVoIPでは、これよりも大幅に安くしないと使うヤツはまずいないだろう。電話をかけるとき、相手がパソコンの前にいるとは限らないので、一般電話にもかけられるVoIPには大いに期待したい。

近い将来、多くの一般家庭が十分な帯域のあるインターネット接続を持つようになれば、VoIPが電話の主流になるのではないかという予測もある。現時点では、良質なVoIPが実現できるほどの接続環境が十分に整っているとは言えないし、電話をかけるのにパソコンのマイクを使うような方式はスマートでないので現実的ではないが、回線インフラが整って、一般の電話機と同じように使える家電としてのVoIP機器が出てくれば、強ちあり得ないことではない。しかし、そうなるまでには両者が混在する過渡期はしばらく続くわけだから、VoIPの普及のためには一般電話間のゲートウェイは必須だと言える。もし携帯電話が一般電話に繋がらないものだったら、いまのようには普及しなかったはずだ。

気になるのはVoIPの通話品質だが、改善が最も難しいのは、一方から発せられた音声が相手に伝送されるまでの遅延時間だという。音質は圧縮方式の改良や帯域の拡大で改善できるが、時間はタイムマシンでも無い限り取り戻せないからだ。一般に、遅延時間が 0.2秒を超えると会話に支障が生じると言われるから、それ以内に抑えなければならない。しかし、リアルタイムな伝送路としてインターネットを利用する場合、そもそも伝送路自体の遅延が一般の電話網よりも大きいことがハンディになる。また、VoIPでは一般的に利用帯域を削減するために音声は圧縮されて伝送されるが、圧縮(伸張)方式が複雑になればなるほど演算に時間がかかってしまい、これも遅延の要因となってしまう。

だったら圧縮なんてやめちまえ、という考え方もある。ほぼ無圧縮の形で一般の固定電話と同等の音質で音声を伝送するには、64kbps程度の帯域があれば足りる(ISDNがそうであるように)。インターネットにADSLで接続しているところなら、少なくとも 1Mbpsぐらいの速度は出ているだろう。1Mbpsもあるのならそのうちの 64kbpsなんて大した量ではないとも考えられるわけで、そう割り切ってしまえば圧縮に時間を食われることもない。いまのVoIPの宣伝では、遅い回線に音声を無理やり流しても美しいですよ、といった具合に、音声圧縮技術の良さが強調されがちである。けれども、回線がじゃぶじゃぶ使える時代になれば、そういうケチ臭いVoIPは廃れるかも知れない。



叩け
2001年10月11日(木曜日) はれ

しばらく潜伏していた「PCの電源を入れてもBIOSの画面すら出てこない病」がまた発症。叩いたり揺すったりしながらリセットボタンを連打しているとそのうち治ってしまい、そういう問題を抱えていることを忘れてしまうころまでは調子よく動いてくれるのだけれど。叩いたり揺すったりしながらリセットボタンを連打する、というような動作を小一時間も繰り返していると、PCを窓から(注:ここは5階)投げ捨ててやろうかという気になってくる。密かに見てみたいと思っているんだけどねえ、高層階から落とされたモノがスイカの如く粉砕される様子を(←やる気のないPCに対する脅し)。

叩くとか揺するといったローテクな対処療法でその都度どうにかし続けても良いのだが、できることなら根本的に治したいところ。こうなる原因が分かれば苦労はせんのだが、なにせ普通なら使わないようなデバイスも含めて色んなものを突っ込みすぎているワケアリ仕様なPCだから問題が起きたときの切り分けが難しい。SCSIカードが刺さっているPCIスロット付近を重点的に叩くと治るので、怪しいと思われる物理的な箇所は判明しているのだが(←めっちゃローテクやんけ)。隣のスロットに刺さっているLANカードには刺激が少々強すぎたのか、やっと立ち上がったと思ったら、今度はネットワークが機能せず。これも叩いたら治ったけれど。

なんていう具合なので、いつの時代も「叩く」「揺する」は修理の王道ですな。



くも
2001年10月10日(水曜日) 雨

夕方、街全体がセピア色に染まった
分厚い雨雲の上で輝く夕日が下界をこんな色に照らしたんだろうか、良い感じの色だった。

今日のような雨天の日には、雨雲がやけに低いところまで降りてきているように見えるけれど、実際はどのぐらい低いんだろう。本年2月、晴天の日にほぼ同じ構図で撮影した写真がある。この写真の中央で、天辺だけ見えているランドマークタワー(高さ296m)は、今日の写真では雲に隠れてしまっているから、少なくともそれよりは低いらしい。ランドマークタワーの右隣に、階段のように並んでいる3つのビルは、クイーンズタワー(高い方から A, B, C)である。今日は、クイーンズタワーB(高さ138m)の屋上付近まで雲が降りていたから、だいたいそんなところか。ここまで降りてくれば落ちてきそうな感じがするのだが、不思議と落ちてこないんだなあ、これが。

で、雲はなぜ落ちない? 恥ずかしながら知りませんした、これを読むまでは。



受け売り
2001年10月9日(火曜日) くもり/はれ

今日の猫模様・睨んでた

自宅の電話の子機用だけど、ドコモの 623P(白ロム)をオークションで競り落とした。この機種はうちで使っている NEC IW60 の収容可能機種リストには載っていなかったのだが、問題なく収容できた。今まで使っていた PHSが機能的に少々ヘボかったので買い換えたわけだが、いま使っている PDCの P502iと同じ松下製ということで操作性が似ているから使いやすい(機種ごとの操作方法を覚えるのは大変でして)。黒ロムの PHSはモバイル用に使っている P-in しか持っていない。ノートパソコンで使うなら P-in も便利いいのだが、新しく買った 623Pに番号を移し替えちゃおうかな・・・いまさら PHSって感じだけど。

米フロリダ州で炭疽菌感染者が見つかったらしい。生物兵器を使ったテロではないかなどと噂されている、この「炭疽菌」ってなんだ? と思って調べてみると、日本の海外感染症情報には一般的な情報が出ているけれど、米国のCenters for Disease Control and Prevention はちょっと違う。Anthrax - General Information(炭疽病 - 一般的な情報)とあるので病理の説明から始まるのかと思いきや、初っぱなからおっかないことが書いてある。

Why has anthrax become a current issue?
(どうして炭疽病は再注目されているのか?)
Because anthrax is considered to be a potential agent for use in biological warfare...
(生物兵器として使われる可能性があると考えられるから)

たまたま自然に感染した可能性もないわけじゃないが、人間が自然に感染することは極めて希と言われる感染症が、こういうご時世にあまりにもタイミングよく出てきたから生物兵器によるテロではないかという騒ぎになるのだろう。なるほど、可能性として論ずるならば、確かにテロと考えられなくもないわけだが、ところが、どこの報道を見てもテロを疑う根拠には極めて乏しく、ほとんど「だれかの推測の受け売り」って感じである。もちろん、推測も的を射たものならそれを引用するのも構わないことなのだけれど、それならそれで、人為的な原因も疑うのが妥当なほど感染は希なことである、という根拠も同時に示すのがスジってものではなかろうか。

そういえば、ジェット機がビルに突っ込んだとき、マスコミは「あれをやるには高度な操縦テクが必要」みたいな言い方をしていたけれど、これも変だと思った。テロリストらはパイロット養成学校に在学していたり、アラビア語で書かれた操縦マニュアルを持っていたと言われている。ここで疑問なのは、しばらく訓練しただけでやれたことが、そんなに「高度」なんだろうか。操縦マニュアルを必要とする人間のやることでも「高度」と言えるのだろうか。そりゃまあ、大方の人は飛行機を操縦したことがないので、飛行機を操縦したというだけで「高度」なように思えるけれども、それだけで高度というのなら、車の運転ができる人も「高度なテク」の保持者だろう、できない人にしてみれば。

重箱の隅をつつくようなことと思われるかも知れないけれど、飛行機をビルに突っ込ませる技がどのぐらい高度なのかということは、それなりに重要なことである。めちゃくちゃ難しいことなら、滅多なことでは起こせない特殊な事件であると言えるが、少し練習すれば誰にでもできたことならば、なにも組織的なテロリストに限らずキチガイ系のハイジャック犯ですらああいう事件を起こしうるわけで、それならば恐るべきことだ。炭疽菌なんかもそれと同じで、感染がどのぐらい希なことなのかということが明確にならないと、これを恐いと感じるべきなのか、あるいは時々ある(普段ならニュースにもならない)ことが、たまたまこの時期に重なっただけなのか、判断のしようがない。




2001年10月7日(日曜日) くもり

今日の猫模様・でかかった

昨日、ハンダ付けの話を書いていてふと思った。人間の手と目、どちらの方が高性能に出来ているかというと、これは間違いなく手の方である。手は、かなり精密な作業もこなせる。ハンダ付けでミクロン単位の精度を出すことぐらいは、少し練習すれば誰にでもできることだろう。しかし、付けている部品の大きさが 0.5mm以下になってくると、肉眼では何をやっているか見えなくなってくるのだ。顔を限界まで近づけて目を凝らしても、わたしの目で詳細まで認識できるのはせいぜい 0.3mmぐらいが限界で、人間の目の解像力は、たかが知れているのだ。極めれば、キサゲなどから手に伝わる感覚だけで万分の一ミリ単位の凹凸が分かる研磨屋さんもいるというから、手は侮れない。

機械でアンドロイド(=有機体でないもの)を作るとすれば、手は、脳味噌と同じぐらい再現が困難なパーツではないかと思う。キサゲ職人と同じことが出来る手を作れとは言わない。ごく平均的な手があれば良いのだが、その平均的という曖昧さが、かえって再現を難しくする。逆に、人間の手を勝る機械の手は作れる。人間よりも重たいものを持ち上げられる手や、パソコンが付いていけないほどの速度でキーボードを打つ手も作れるだろう。高精度にハンダ付けをする手も、ちょっと複雑だが作れなくはなさそうだ。けれども、人間に勝りもせず劣りもせず、しかし手が行いうる全ての動作を平均的にこなす一本の手を作るとなると、なかなか出来ないはずだ。



ハンダ付け
2001年10月6日(土曜日) くもり

今日の猫模様・このドアが開けばメシなんだけど・・・

はやりの無段変速機を搭載した車を運転してみた。初めて乗ったので、ちょっと変な感じだった。信号が青になって普通にアクセルを踏むと、エンジン回転数は 2000rpmぐらいで安定したままでいつのまにか車速だけが上がっているので、いまいち加速した感じがしない。ぐぐっと踏み込めばもちろんちゃんと回ってくれるし、トルク感もそれなりにあるのだが、離散的にシフトダウンして一気に回転数が上がるわけではないから、どことなくモタついた感じがする。アクセル開度とエンジン回転数の関係が一定ではなく、思ったように回らないからフィーリング的に妙な感じがするのだろうが、実際にはキビキビ走ってるのでここら辺は慣れの問題だろう。

ハンダ付けってやつは意外と奥が深い。電子機器の大量生産には欠かせない作業であり、また機器の小型化とともに部品もどんどん小さくなって実装が難しくなっていることから、機械を使って部品を効率的かつ高精度に基板に実装するための技術は多くある。だが、そうした技術のほとんどは産業のために確立されたもので、わたしみたいな試作屋にはあまり関係がない。大方の部品は普通のハンダゴテを使って手で付けるので、体系化された技術や理論といったものに頼ることはまずないからだ。手付けは、ほとんどのことは感覚でやってしまうような職人の世界なのだ。

しかし、日頃は感覚で判断しているものが体系的にまとめられたものはないものかと思って探してみたら、A-1 DRIVE というサイトにハンダマニアックスというページがあった。ここは詳しくて、目から鱗。



ユーゴとか
2001年10月5日(金曜日) くもり

クロアチアとかボスニア・ヘルツェゴビナへ行ってた弟が少し前に帰国したので、電話で話を聞いた。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは内戦があってからまだ日は浅く、その爪痕は随所に残されているものの、特に都市部では戦後の復興がかなり進んでいたそうだ。首都サラエボでは随分と近代的な街が形成されているところも多く、治安的にも平均的なヨーロッパの都市と大して変わらない。しかし、戦中に埋設された地雷は依然として多くの場所に残されているため、人の往来がない未舗装路を歩くことなどは死にに行くようなもの。そして、しばらくそんなところで生活をしたあとでは、地雷の無いところへ戻っても舗装路を外れることが躊躇われたという。ここは大丈夫なのだと頭では分かっていても、公園の芝生に入っている人を見て、つい命知らずなヤツだと感じてしまったらしい。

米国の同時多発テロが発生したとき、お隣のユーゴスラビアでは、何となく歓迎ムードにあったいう。コソボ問題のときにユーゴを空爆したのは、脈絡もなくしゃしゃり出てきたNATO軍で、NATO軍なんて事実上は米軍みたいなものだから、このことによって米国がユーゴスラビアの恨みを買ったとしてもなんら不思議ではない(冷戦集結後のNATO不要論に対して、世界にはこういう問題がいまだにあるんだから俺達にもまだ仕事があるんだという既成事実を作りたかった説が有力だが、いまいちよくわからん)。まあ、米国の本土が攻撃されるという前代未聞の事件が起きたことを喜んでいるのは、なにもユーゴスラビアの方々だけではあるまい。広い世界には、もっと多くいるはずだ。

どういう立場にあるにせよ、ああいう惨劇を、むしろ喜んでしまうような姿勢を正しいと認めるつもりはない。けれども、テロによって多くの民間人が死傷したことを問題にするのなら、ユーゴの空爆は、建前上は「平和のためのもの」でありながらも、結果としてざっと 500人ぐらいの民間人が死亡したという(死にはしなくても難民となった者は万単位でいる)。過激派のテロも、平和のための空爆も、異なるのは大義名分だけであって、多数の民間人が死亡するという結末は、どちらも同じようなものだ。同じようなことでも、米国主導において行われれば正義、米国が被害を受ければ世界に対する挑戦、というような違いがあることは、いちおう認識しておくべきじゃないかと思う。



ラーメン激戦区
2001年10月4日(木曜日) くもり/雨

職場のPCは取り敢えず移転完了。使っているうちに足りないものが色々と出てくるものだが、これから数週間に渡って色々と・・・。でも、なんだかんだといって最も困っているのは漢字の変換順序が初期状態に戻ってしまったことだ。辞書までは移してなかったし、あの汚い辞書を移す気もないので、また鍛え直さないと。

白浜へ行った帰りに和歌山で食った感じのラーメンがまた食いたくなって、「紀一」というラーメン屋に行ってみた。「和歌山中華そば」とか「井手商店の姉妹店」なんていう看板を上げていて、「早寿司」もしっかりメニューに載っている。どちらかといえば、この寿司が目当てでこの店に入ってみたわけだ。細めの麺は縮れのないオーソドックスなもの。出汁は豚骨醤油系で、風味は濃く臭みはあるが、口当たりは重湯のようにサラサラとしていて美味しかった。しかし、醤油がきつすぎた。もうちょっと薄く作れば感じが良いと思うのだが、和歌山の井手商店も同じように醤油がきつかったから、あれは井手商店系の遺伝病なのかも。

行ったのは夜の8時前だというのに、客は自分一人だけ。ラーメン激戦区として知られる横浜の環状2号沿いの店としては、あまりにも寂しく、ほとんど風前の灯火である。味は悪くなく、もっと客が入っても良いように思うのだが、行列が絶えない近所の店と見比べれば、ここは激戦区の負け組といって間違いない。確かに、激戦区には多くのラーメン屋が集まっていて熱い闘いが繰り広げられていると言えるけれど、一般的にいって個性的な店は少なく、ベースラインは殆ど横並びだったりする。すなわち、同系の間だけで微妙な背比べが熾烈に行れているところを激戦区と言うのならば、系列の異なるものはどんなに良くても問題外、と考えられるわけだ。

環状2号沿いの店が横浜の「家系」で固定化しつつあるなか、異質というべき和歌山系の店を、敢えて環状2号沿いのラーメン激戦区に出したことが敗因かも知れない。こ、これは・・・と、ほかとは比べられないぐらい個性的なラーメン屋は、しばしば変な場所にあるもので。



寝酒とか
2001年10月3日(水曜日) はれ

昨日の微熱は完治。やはり一晩ぐっすり寝たら治るらしい。

先日、職場で新しいPCを組んだのだが、新環境の整備が完了しないので、いまだに古いPCを使い続けている。長年に渡り熟成させてきたものを移す作業は容易ではない。アプリなんかは再インストールするだけだから大した手間ではないが、ファイルサーバに入れていないローカルなデータの移し替えが邪魔くさい。アプリが勝手に作ったようなデータファイルはどこのフォルダに保存されているのかすら良く分からなかったりするので、そんなことを調べているだけで嫌になってくるし、いったん移し替えたあとは、データの不整合を防ぐために古い環境ではそのアプリを使わないようにしないといけない。それを考えると一気にやるべきなのだが、仕事の合間にダラダラとやっているこの調子ではなかなか終わりそうにない。

わたし、基本的に酒は飲まない(というか飲めない)のだが、眠れないときに焼酎を少し飲むことがある。お猪口一杯もない量でも強烈に酔っていつのまにか眠ってしまい、朝にはまったく残らない潔さが良いのだ。焼酎の代わりにビールなどを飲んでいたときもあったが、これだと必ず気持ちが悪くなり、飲む量にもよるが翌朝には「酒で眠ってしまった感」がそこはかとなく残ったりするので、こういう酒は寝酒として不適なわけである。いまだに何故かよくわからないのは、同じアルコールで酔っているのに酒の種類によって酔い方に違いがあることだ。アルコール以外に混ざっている成分が影響していると聞いたことはあるけれど、酔いを悪くする物質なんてものは本当に存在するのだろうか。

色々と飲んだ中では奄美の黒糖焼酎が美味い(あんまり売ってないけれど)。



ありがとう100万
2001年10月2日(火曜日) はれ

今日の雑記を書き終える頃には、述べ訪問者数 100万人ってところかな。自分ではカウンタなんてあんまり見ていないのだが、今朝たまたま職場から見たときに気付いた。平日と休日でもかなりの差があったりと、日によってカウンタの進み方が違うので一日に何人の方がご覧になっているのか何とも言えないのだが、一月単位で見ると述べ4万7千人弱ぐらいだから、一日 1,500人というところか。久々に集計したら意外なほど多くて、ちょっとびっくりした。何にせよ、とてもありがたいことだ。

馬鹿は風邪をひかないとの格言通り、わたしも病気など滅多にしないのだが、今日は朝から微熱があってくたばり気味。例年の傾向を鑑みるに、体調を崩すことがあるとすれば季節の変わり目で、年に一度かそこら微熱が出ることがある。鼻水が出るわけでもなければ咳が止まらなくなることもなく風邪という雰囲気でもなく、何が原因しているのか良く分からない。もっとも対処は簡単で、取り敢えず寝たら翌朝には治っているから、今日はとっとと寝ちまうことにしよう・・・。



職場PC
2001年10月1日(月曜日) あめ

耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、はや三年。ようやく職場のパソコンを新調する稟議(*) が通った。周りのパソコンが再起不能の故障などを契機に自然と更新されていくなか、どういうわけか、わたしのパソコンだけは支給されて以来ずっと安定稼働を続けてくれた。だが・・・幸か不幸か、それがかえって仇となり、こいつだけが時代の波から取り残されてしまったのだ。何かが壊れたらこれ幸いと、どさくさに紛れて趣味的なアップグレードも同時にやってしまう技は基本中の基本なのだが、わたしのパソコンはあまりにも機嫌良く動いてくたために、そういう技は使えなかったのである(故障するころには時代が進んでいるので、新しいものを買ってくれば自動的にアップグレードされてしまうものだが)。

ところが最近、いままで機嫌の良かったパソコンにも、ようやく病の兆候が見え始めた。触ってもいないのに、いきなり青い画面が出てきてゲロを吐く、という誠に素晴らしい現象が頻発するようになったのである。もちろん、極めて慎重かつ徹底的な原因究明は行ったものの、これは原因不明でパソコン自体を取り替えるしかないとの結論を得て、やむを得ず新しいパソコンを組むことになったのだ――まるで、この結末が初めから予定されていたかの如く――。

というようなことはどうでもいいが、結果として今までのパソコンとは比べものにならないほどのゴージャス仕様なパソコンができあがった。自腹で持ち込んだ K6が Athlonに、いつから使われているのかも良くわからない等速の CD-ROMドライブが CD-R/CD-RWに、というような状態で、天と地の差。といっても積極的に贅沢をしたわけではなく、本来ならば職場で使うパソコンにそんなグレードの高いものはいらないのだけれど、秋葉原で標準的に売られている(その中でも特に安価な)ものを組み合わせたら必然的にそうなったという感じで、しばらく見ていないうちに何にしてもえらく相場が下がっているから、わたし自身ちょっと驚いてしまったぐらいだ。

たとえば、Athlonと Duronの価格差がほとんどないとなれば当然ながら Athlonを買うし、少し古めの CD-R/CD-RWドライブが 6,000円ぐらいで叩き売りされているとなれば、普通の CD-ROMドライブなんて買う気にはならないわけだ。特にメモリなんかの下り度合いを見ると、なんというか・・・以前に自分で買ったときの値段を思い出すと馬鹿らしくなってきますなあ。

(*) 稟議「あのーパソコン新しくしたいんですけど」「いいよ」



突撃実験室