多事毒論(2002年1月分)


B級グルメ比較
2002年1月31日(木曜日) はれ

何となくウナ丼が食いたくなり、されどカネはないから、すき屋へ行ってみた。あそこのウナギは初めてだ。単品480円と、いまどきのB級グルメ価格基準からすれば高めと言わざるを得ないが、想像していたものよりも美味かったので、費用対効果は良い方だろう。あそこは豚汁がうまいので、これも必ずセットで注文する。ちなみに、基本中の基本である牛丼の質は他店よりも多少劣るように思うが、怪しげなトッピングバリエーションが多いので、牛丼に飽きてきたときには重宝する。難点は、どの店も店内の清掃状態が良くないのと、近所にないこと。従って、利用は車で移動しているときが多い。

吉野家は、牛丼並が280円と値段も安く、家から歩いて一分と近いので寒い日なんかには良いのだが、最近は松屋が腕を上げたため、相対的に吉野家の牛丼は少し不味くなった気がする。また、インスタント臭ぷんぷんの味噌汁は不味くて話にならない。このため、近くに新店できたこともあり、最近は松屋に入ることが多い。昔の松屋はメシの質が悪く味付けもいまいちで吉野家よりも不味かったが、最近はそうでもない。メニューも、基本は牛丼だけの硬派な吉野屋と違って、飽きがこないほど充実している。牛メシは吉野屋の牛丼よりも10円高だが、代わりに味噌汁が付いてくる。その質は、文句無しで松屋に軍配が上がる。

本格的に腹が減っているときは、ご飯おかわり自由という気の利いたサービスが嬉しい、めしや丼へ行くことが多い。値段は高めだが、そのぶん質もよく、B級というよりはAB級グルメに分類すべきところだろう。店舗数はあまり多くないので滅多に見かけないが、定食屋としては割とお勧め。まあ、要するに飽き対策として、何かと理由を付けながら各種B級グルメ店を持ち回りにしているだけなんだけどね。



大企業病度ゼロの事情
2002年1月30日(水曜日) はれ

あなたの大企業病度をチェックToday's Event から)。わたしが勤めている会社なんて零細中の零細だから、そんなチェックはするまでもないと最初は思った。全てを読み終えてから、逆に「一つも当てはまらない」ことの悲しさを犇々と感じてしまう。一つ一つの設問に目を向けてみると・・・

・給与明細は開きもしないで机の中:

あのー、今月の給料振り込んでくれた?
って確認しないと、うっかり忘れられてしまうことがあるのはここだけの話(殴)

・トラブル対応で毎日ペコペコ:

そりゃもう毎日のように・・・別の意味で、だけど。

もちろん、それをやるのがお客さまサポート担当のお仕事だから、それは当たり前のことである。むしろ、ただただ平身低頭にペコペコとお詫び申し上げて問題を解決できるのなら、そんなことぐらいいくらでもやらせていただきたいところだ。お詫びという手段で実は先送りにされただけの問題が回り回って辿り着く先――つまり、実質的な解決を迫られる羽目になる技術屋さんも、やはり自分であるという残酷な兼任の実体さえなければの話だが。

・面倒な仕事はとにかくアウトソーシング:

「アウトソーシング」と横文字にすれば聞こえは良いが、実質的には「その仕事をこなす能力がないという事実を自分に隠し」なおかつ「カネにモノを言わせてどこかに押しつけること」と理解すればほぼ間違いない。たとえるなら、様々な特殊案件の処理をシノギとするヤクザ屋さんが社会に存在するように、誰しもがアウトソーシングしたがる面倒な、困難な、無茶な、意味不明な、理に叶わない要求ばかりの、あちこちに断られ続けてきた挙げ句の果ての、断りきれずに受けてしまった別の下請けが丸投げした、仕事ばかりを引き受けることを生業としている企業もあるらしい。

それも一応の形に整えて発注してくれるのならまだ良いが、そんな掃き溜め稼業に身を置くある担当者は、ふとこんなことを漏らしたという。

相手方から提出されるはずの仕様、なんで自分が一生懸命作ってるんだ?

・もしかして俺ってただの御用聞き:

御用聞きに始まり、設計、試作、実装、量産、納品・・・思えば色々とやってるなあ。

・ウチは業界大手:

それだけはあり得ない。

・顧客満足より「業務効率化」に目が行ってしまう:

いずれを重んじるにしても「綺麗事じゃねぇんだよ」と言わざるを得ない零細企業実務の悲しき性。

・自分の提供しているサービスなのに傍観者:

自分で書いたソフトが現用系のサーバで思いっきり動いていると気が気でない。しばらく機嫌良く動いてくれていると実績に伴う信頼が生まれてそんな心配はなくなるのだが、それはつまり、取り敢えず実験してみようなどといって片手間で作ったようなやつが、いつのまにかそのまま使われ続けたりしているというであり、しかもどういうわけか rc?.d あたりにそれ用のスクリプトが作られていて「これからも使い続ける気マンマン」を感じさせる状態になっているなんてことは間違っても口外できないから、やっぱりこの話はフィクションということにしておこう、うん。

・本音ではお客様より、社内の人間関係が気になる:

たかが数名の間柄で、ドロドロとした人間関係が存立しうるというか、という前提からして怪しい。
ていうか、お客そっちのけでそんなことを気にしていられる余裕があるだけマシというものではないか。

・お客様が見えない:

「見えすぎるのも考え物」なんていったらお客様に怒られてしまうが、クッションらしいものが一切介在しない立場におかれると、神ならぬ人の子として、そう言ってみたくなるときもあるよね。

・俺ってしょせん歯車感だし:

末期的零細企業病に罹患するのと、果たしてどっちが良かったのだろうか、と。



テキストサイト論論
2002年1月28日(月曜日) はれ

お笑いパソコン日誌からリンクされてた「テキストサイト用語集」ってやつがなかなか笑えた。こんな感じでネタ半分でやってくれる分には面白いなと思えるときもあるが、最近やたらと見かける割と真面目な「テキストサイト論」とか「日記サイト論」みたいなやつを見てるとちょっと痛たたた〜だ。論評なら分かるけれど「テキストサイトはいかようにあるべきか」みたいな、型にはまったテーマのメタ論評なんぞ真面目にやったところで、結論は「十人十色です」に至りようがないと思うんだけど(えー、そもそもテキストサイトって何だ? という疑問もあるけど、きっと定期的にこういう雑文とか日記を書いているサイトのことをいうんでしょう)。

こういうものが出てくるのは、書き手の姿勢が、読み手の求めるものとは乖離してるところへ、ますます下らないサイトで読むに値しないコンテンツを量産するわりに、自意識だけは過剰な書き手がさらに溢れてきたことに原因があるような気もする。下らないだけなら良いのだ。注目されることすらなく忘れられていったサイトは過去にもいくらでもあったはずだが、悪いことに、下らないものでも何となく面白そうに見せかけたり、強引に人を呼び込むための方便が一種の技術として体系的に確立されてしまった嫌いがあり(→アクセスアップ論の登場)、マニュアル通りの、どっかで見たような気のするサイトが雨後の竹の子みたいに出てきたりすれば「もうちょっと新鮮なものはないのか」と読み手が思うのも分からないではない。

他方、そうした書き手の間にあっては、変な自意識を主たる原因とする目くそ鼻くそバトルが行われているようなところもあるように思える。それが、サイト間におけるの競争と言論上の相互批判であるのならばまだしも健全といえるが、過去に一世を風靡したとされる○○はもはや飽きられてきていて、うちは旧来のそんなところよりも優れているといった前提に基づく「打倒大手サイト」であったり、むしろサイトそっちのけの鬱陶しい人間関係を主体としていれば、利害上の関係を持たない第三者からは、「相互非難」あるいは意味不明としか言いようのないドロドロとしたモメ事にしか見えない。こんな文脈から、「信者」みたいな皮肉たっぷりの言葉が生まれてきたものかも知れない。

こうした要素を様々な角度から批判するとテキストサイト論になるってところか。そもそも、星の数ほどのテキストサイトが存在しながら、判で押したような「テキストサイト論」といわれるものがなぜ存在しうるのかと不思議に思えたが、個数のわりにその多様性が所詮その程度なのであれば、すべてを十把一絡げに扱ったところで何ら差し障りはないということかと、これを書きながらふと思った。こんな極論を書いたら叩かれそうだし、これ自体がありがちなテキストサイト論ではないかと言われそうだけど。いえ、これはテキストサイトそのものを論じるものではなく、テキストサイトを論じたテキストサイト論の発生原因を論じる、テキストサイト論論なのです。



ぎょ〜
2002年1月26日(土曜日) くもり/雨

先月、藍色の塗料が塗られた電球について、純白の光を放つことになっているのに、実際はやや青っぽく光ってダメだと書いたが、使っているうちに青みが取れてきてほぼ真っ白になった。電球の熱で塗料の色が微妙に変化したんだろうか、それを見越して最初はちょっと青すぎるぐらいにしてあったのだと考えることにしよう。実は、ある読者の方から「アルコールで拭けば青みを調整できますよ」というメールを貰っていたのだが、暇がなくてそのままになっていた。そして、立駐の鏡で見て偶然このことが判明した次第。しばらく使っていてもいまいち青っぽいと思われる方は、アルコールで拭いてみるといいかも。

昨日、演歌の「ぎ〜」って音は何だ?と書いたが、あれはビブラスラップという楽器らしい(掲示板より)。検索エンジンにかけてみると、販売店発見、写真もある。いや、買いたいわけではないけれど、これだこれだ。というわけで、ありがとうございました。



ぎ〜
2002年1月25日(金曜日) はれ

演歌なんかのイントロやフィルインで、よく「ぎ〜」っていう感じの音がよく使われていたりするが、先日ふと耳にして気になった。あれはなんという楽器なんだろうか。なにかよい具体例でもないものかと思って探してみたら、坂本冬美の「あばれ太鼓〜無法一代入り〜」(すごい曲名だな・・・)のイントロ部分で使われまくっており、まあ数秒だけなら問題になることもないだろうということで、少しだけ取り込んでみた(→mp3形式 or WAV形式)。

さすがに演歌の生演奏を見たことはないが、ちんどんナントカっていうような名前の、とても怪しげなバンドが使っているのを一度だけ遠目で見たことがある。なんか木製の箱っぽかったのは覚えているが、それだけかな。



練乳
2002年1月24日(木曜日) はれ

最近、牛乳の代わりに缶詰の練乳(甘くない方)を水か白湯で薄めて作った、いわば「濃縮還元牛乳」を飲んでいたりする。どうしてわざわざそんなことをするのかというと、これには「練乳っぽい」としか表現しようのない独特な味わいがあり、牛乳として考えれば明らかに嘘臭いテイストなのだが、その方がかえって生の牛乳よりも飲みやすいのである。そう思うのはわたしだけかも知れないが、ちょっと苦手な、あの牛乳臭さがほとんどないからだろう。感じは脱脂粉乳を水で溶いたやつに近いが、牛乳らしいコクがある分、練乳を薄めたやつの方が断然うまい。

それとは関係ないが、脱脂粉乳のことを業界用語で「脱粉」と略すことがある。漢字で書けばそれだけのことだが、声に出して読めば・・・まあ、言いたいことは、書かなくても分かるだろう。ある動作を連想させる語感を嫌ってか、わざわざ「だっん」と読む人もいたが、それではやや発音しにくいためだろう、現場では「だっぷん」も多く聞かれた。いずれにせよ、語感がよろしくない点では似たようなものである。脱脂粉乳を扱うアルバイトを経験して以来、脱脂粉乳という言葉を思い出すたびに「だっふんだぁ」を披露している志村ケンか、う○このいずれかを連想してしまうようになった。


昨日 syslog の話で大改造になりそうだな、なんて書いたら勢いよく簡単だった。

syslog(LOG_INFO|LOG_LOCAL2, "error: %m");

プライオリティとファシリティを or で同時に指定できることが判明。
しかも man に思いっきり書いてあるし...



POP before SMTP
2002年1月23日(水曜日) はれ

某ISP(リンク張ったらぜんぜん「某」じゃないけど)においては、メールの不正中継対策として、自ネットワークの外部から行われるメール中継を一切拒否しているのだが、これでは不便すぎるとかなり不評なのだ。最近では複数のISPに加入し、特定のサービスだけを掻い摘んで使ったりする人が増えてきたので、外部からもメールを送信できるようにしてくれという要望が出てくるのは自然な流れだろう。そんなわけで、メールサーバに、POP before SMTP を実装しようとしたのだが、これでちょっとハマる。

某ISPの場合、POP3を受け持っているいわゆる受信サーバと、SMTPの中継を行っている送信サーバが別々のホストに分かれているので、ここに POP before SMTP を実装しようと思うと、POP3の認証成功情報を何らかの方法で送信サーバさんに伝えてやらないといけない。こういうことは syslog さんにやらせるのが良いだろうと考え、認証成功情報だけをある特定のログレベルで吐き出させるよう改造してみた。ところが、この方法で実験してみると目論見通りには動いてくれず、認証成功情報以外の普通のログまで送信サーバさんへ送られてしまうことが判明。送信サーバに、誰々がパスワードを間違えまくっているというような情報を伝えても仕方がないので、これではいけない。

原因は簡単なことである。Solaris の syslog.conf は思っていたよりもヘボくて、あるレベルのログだけをどこかへ流すという設定ができず、指定されたレベル以上のものは全て流すというデフォルトの動作にしかならないようだ。FreeBSD とか Linux の syslog.conf だと =notice というように = を付ければこういうことができるので、Solaris でもできると思ったのだが、思い込みでやるとえらい二度手間になるという実例。となると、レベルによる区別ではなく、専用のファシリティをもう一つ用意してやるしかなさそうなのだが、そうするとなんか大改造になりそうな予感で嫌だなあ・・。

分かる人にしか分からない、覚え書きでした。



UTC の謎
2002年1月22日(火曜日) はれ

協定世界時の略称である「UTC」。これがなぜ UTC になったのか、疑問に思ったことはないだろうか。

謎なのは、単語の並べ方である。UTC は英語の "Coordinated Universal Time" の略称であるとされている。そのまま素直に頭文字を取れば、CUT になりそうなものなので、UTC では一見して分かるように順番が合わないのである。また、とりわけ英語圏には UTC のことを "Universal Coordinated Time" という人もいるが、いずれにせよ順番が合うわけではないし、英語圏であっても正式には "Coordinated Universal Time" が使われる。良く分からないが、確かに英語的には Universal を頭に持ってきた方が自然な感じがするうえ、U が頭に来る略称から、誤用が広まったものかも知れない。

調べてみると、ずばり Why is UTC used as the acronym for Coordinated Universal Time instead of CUT?(なぜ、Coordinated Universal Time の頭文字は CUT ではなく UTC なのか?) というネタが上がっている FAQ集を発見した。ソースは、アメリカの National Institute of Standards and TechnologyThe Time and Frequency Division で、日本の 日本標準時グループにあたるところだ。これによると、

世界協定時は、国際電気通信連合 (ITU) の技術専門家による国際諮問委員会 (*1) が1970年に策定したものである。ITU は、混乱を最小にするためには、単一の略称を定め、あらゆる言語圏でそれを利用することが最良と考えたが、英語の単語順による頭文字 CUT とすべきか、仏語の単語順による頭文字 TUC とすべきかで合意が得られなかったため、妥協案として UTC が選ばれた。

とのことで、どうもアホ臭い。情報ソースはしっかりしたところだが、ネタと思えなくもない話である。

また、このほかにも UTC は仏語の "Universelle Tempes Coordinate" の略だとする説も聞いたことがある(わたしには仏語として正しいのかどうかも良く分からないが)。これなら確かに UTC になるが、英仏妥協説とはまったく矛盾する話だし、よくわかんないけど仏語のサイトを見た限りでは、協定世界時は "l'Heure Universelle" と表記されているようだ。それだと、英仏妥協説にあるように TUC にはならないから、ますます良く分からない。

ところで、大辞林第二版で UTC と引いてみると、こんな風に出る。

UTC[universal time coordinated]
⇒協定世界時

これは頭文字に騙されちゃった系か・・・。


(*1) これは原文直訳。UTC を定めたのは、(旧)国際無線通信諮問委員会だったはず。



風邪治る
2002年1月21日(月曜日) 雨/恐怖すら感じる豪雨

週末に悪化した風邪は、ほぼ完治。昨日書いたように、やはり仕事に合わせて治るようになっているようだ。病は気からなんて言うが、この逆も実際に経験したことがあるから強ち嘘だとは思えない。小さいころ、なんだったかは忘れてしまったが、数日後に気の進まない何かが控えていた。仮病を使ったところで親に見破られ、説教のオマケ付きでどのみち行かされることになるのは目に見えている。だから、風邪でもひいて高熱が出るなど、明確に休養を必要とするシチュエーションになれば良いのにな・・・なんてことを真剣に考えていたら、本当にそうなってしまったことがある。

器用なヤツだ、うまくやったな? ・・・とんでもない。そのときは必要以上の高熱が出てしまい、しっかり数日間は苦しむ羽目になった。これを境に「病気になればいいな」なんてことは間違っても考えなくなり、ズル休みをするとしても、その理由付けとして「高熱」を使うにはいまだに大きな憚りがある。あのときのズル休み願望と高熱は、単なるタイミングの良い偶然の一致だったのかも知れない。しかし、何の関連性もないとはどうも思えないし、素直に行くべきところへ行くべきだったのか、病気になるべきだったのか、結果としてどっちが良かったのかもよく分からない。



風邪
2002年1月20日(日曜日) はれ

風邪ひいた。先週から微妙に風邪気味だったのが、週末になって悪化したようだ。よくあることで、仕事のある平日は気が張っているためか休むほどの症状には至らないのだが、仕事が休みになって緊張感が抜けると途端に症状が出てくるようだ。幸い、熱はないので身体が怠いとか節々が痛むようなことはないのだけれど、何ともしがたい目元の充血感が気持ち悪く、くしゃみが不発に終わったあと、ほとんど水みたいな粘度のない鼻水がコンスタントに垂れてくるので、寝転がりながら読書でもしてゆっくり過ごそうと思ったが、活字を読むことすらままならない。明日は仕事だから、いつものパタンではそれに合わせて症状が収まるはず。

先週から、毎晩21時ごろに寝て、朝は4時とか5時ごろに目覚めるという生活になっており、いまも治っていないので22時を過ぎたいまは欠伸が出る。お気づきの方もいると思うが、このページの更新が明け方に行われていたのもそのためだ。アメリカから帰ってきたあとの時差ボケ睡眠リズムがそのまま定着しただけだが、朝方の生活も悪くないなと思えてきって、積極的に治そうという気がなくなった。夜にやっていたことを朝にやれば良いだけなのだから、これといった不都合はない。まあ、元々はめちゃくちゃ朝に弱い人間なので、こんな生活も徐々に夜型へとシフトしてゆくだろう。



NTT
2002年1月19日(土曜日) はれ

今日の www.exp.org 模様。いつぞやに壊れたCPU冷却ファンを交換したときのこと。応急処置のつもりで、フタもせずに電源を入れ、職場の資材置き場で動かしておくことにした(ちょうどそこにHUBがあったから)。そして事件から22日経過したいまも、同じ状態のままだったりして。取り敢えず問題なく動いているからまあ良いかと、つい無精になるわたし・・・写真なんぞ撮ってる暇があったらどうにかしろって言われそう。

職業柄かも知れないが、わたしは仕事でNTTとトラブルを起こすことが多い。NTTに何らかの工事を依頼するときは、それが可能であるとの回答を得てからも問題がないことを何度も確認するし、困難な点があれば遠慮なく申し出るようにと念を押す。NTTのいうことなどあまり信用すべからずと過去の経験が教えてくれるし、NTTがドジるとISPは業務をできなくなる可能性もあるから、慎重にならざるを得ない。たとえ直接の原因はNTTのヘマだったとしても、ISPが抱える多数の顧客からすれば原因が何であろうがあずかり知るところではないから、結局とんでもない目に遭うのは自分である。

ところが、ここまで慎重にやっても施工段階になってから「やっぱりできません」という泣きが入る事件が実際に起きるので、こちらとしてもキレるしかない。担当の営業さんがちょっとトロいという原因もあるし、どうもNTT内部では営業部門、運用部門、工事部門などが完全な縦割り構造になっているらしく、部門間の連絡に行き違いがあると施工段階で初めて問題に気付くといったことになるようだ。ならばこういう業者とは関わらなければ良いのだが、特に弱小のISPはそれでも何らかの形でNTTに頼らざるを得ない現実もあり、トラブルがあるとこの辺の潜在的な不満が堰を切ったように出てしまう面もないわけじゃない。

「やっぱりできません」事件のお詫びと顛末の説明をするためにやってきた営業さんが、おもむろに「こういうトラブルがあった直後なので言いにくいんですが」と切り出した。話を聞くと、横浜市が近所で進めている道路工事を施工するにあたって、工事箇所に埋設されているNTTの光ケーブル幹線が支障になるらしく、ケーブルの移設工事が行われることになったらしい。そして、その幹線には御社に来ている回線も通っているから、工事の際に数十分ほど通信不能になるという説明だった。その付近で再開発事業が行われていることは知っていたが、意外なところに影響が出るものだなあ。



弱み
2002年1月17日(木曜日) くもり/あめ

合カギ作「製」。どんな間違いがあったのか気になるし、ここに写植は頼みたくなくなるな・・・

2000年度法人申告所得ランキングトップ10に、某大手消費者金融会社が入っているのを見て、ありゃ人の弱みにつけ込んだ商売でしかないという人がいた。厳しい取り立てが行われた末、破産に追い込むといった構図が非人道的だということらしいが、返えせないような額のカネを借りて首が回らなくなるのは専ら当人の問題だし、その結果法的清算が行われるのもこれまた当然のことだ。やれ不良債権だの騒いでいる銀行なんかより、金融会社としてよほど健全な商売をしているのではないかと思う。

よく見ると、同じリストには某大手製薬会社の名前も並んでいるが、人の弱みにつけ込むことを問題にするなら、ある意味で製薬会社なんてその最たる商売じゃないかと思う。特許を取って独占状態を作り、病気という切羽詰まった状態の人を相手に医薬品を売りつけるという、もろに人の弱みを糧にした非人道的な企業と言えなくもないわけで。そんなことを言い出したら、非人道的であり得ない商売なんて娯楽産業ぐらいだろうか。その方が製薬会社にお勤めの方だったのでそんな話をしてみたら、「確かにそうだな」とのことだった。



主に米
2002年1月16日(水曜日) くもり/あめ

キリスト教でいうところの「主」を、つい「おも」と読んでしまうときがある。「主は申されました」みたいな文章だとそういう誤解はないが、主語である「主」の後に格助詞の「に」が続いた形である「主に」から始まる文章では、そのままで「おもに」という副詞とも読めてしまう。つまり「主に感謝する」とか「主にお願いする」というような文章がその一例だが、これを「おもに」なんて読むと、なんだかとても他力本願で投げやりな姿勢に、若干の優柔不断さが伴った態度に見えてしまうんだな。

洗米の必要がないという「無洗米」を買ってみた。横着者の自分にはぴったりの商品だ。しかし、無洗米でもまったく洗わずに炊くと不味い。糠の臭いだと思うが、炊きあがったご飯を食べると若干の臭みが残る。わたしがたまたま不良品を掴んでしまったのかも知れないが、ほかに無洗米を買っているという人がいたので尋ねてみたら、やはり同様の意見だった。この臭いは炊く前に米を軽くすすぐだけで消えてくれるので、普通の米を一から洗うよりは遙かに省力的だが、まったく洗わなくても良いような表示はいかんせん詐欺的だと思う。

ところで「主に米」はどういう意味だろう。主に米を献上するというような文章の一部でもあり得るし、主に米を食べているというような文章の一部かも知れない。主ならびに米という意味もある。文脈がないと正しく理解できない日本語は、やはり難しい。



乗務員
2002年1月15日(火曜日) くもり/はれ

時差ボケが治ってないのか、帰国してからは睡眠時間にリズムらしいリズムがない。どうも変な朝方へシフトしているらしく、朝は必要以上に早く目覚めてしまうのだが、夜は夜でどうも寝付けないから昼ごろには強烈な睡魔がやってくる。仕事なんかでしょっちゅう海外へ行く人もいるだろうが、一体どう対処しているのだろうか・・・。

帰りの Southwest 便に乗務していた客室乗務員が面白かった。飛行機が飛び立つ前には乗務員が非常時の対応について説明するが、このトークがマニュアル通りに行われず一部終始ギャグ満載。安全に関わる指導だからそれぐらいは真面目にやれという意見もあるだろうが、何度か飛行機に乗っている人なら誰でも「もう聞き飽きたから引っ込んでろ」ぐらいに思っているはずで、そういう意味ではむしろお笑いでやった方が効果的なのかなと思ったりする。日本の航空会社は間違ってもやらんと思うけれど。

たとえば酸素マスクの説明では、"Should the cabin lose pressure, oxygen masks will drop from the overhead area." ここまでは普通だが、"Insert a quarter in the slot, and the oxygen will be supplied for five miniutes."(25¢玉を挿入すると5分間酸素が供給されます)と、いきなり酸素が有料化されたり。"If you have small children traveling with you, place your mask before assisting with theirs." という子どもに酸素マスクを装着する前に自分のマスクを先に装着せよという説明のあとには、"If you are traveling with wives and husbands, the decision is all up to you."(女房・旦那については、勝手に決めて下さい)。

飛行機が空港のゲートに到着すると、"Please make sure to gather all of your personal belongings." 忘れ物をしないようにとの注意がアナウンスされる。では、仮に忘れ物をするとどうなるか。"Any items left behind in the plane will be taken as donation to the flight attendants, distributed evenly among the flight attendants and will be sold at ebay.com." つまり、忘れ物は乗務員に対する寄付として回収され、均等に分配されたあと ebay.com(大手ネットオークション)で売却されます、とのこと。

もっと色々とあったんだけど、書ききれないからこのぐらいで。



ジャンクションの美学
2002年1月14日(月曜日) くもり/はれ

Los Angeles 近郊の上空から見えた Interstate のジャンクション。飛行機の窓から見ただけなので詳しい場所は分からないが、周囲にある建物などから判断するに、恐らく Ontario にある I-10 と I-15 とが繋がるジャンクションだと思う。これ以上のものは考えられないといえるほど素直な形状で、交差する2本の高速道路を連絡する接続部の線形があまりに美しかったため、つい撮ってしまった。写真では臨場感にいまいち欠けるが、道路を走りながら実物を眺めれば、かなり迫力のある巨大構造物に見えるはずだ。下部2層で本線を交差させ、接続部を上部2層に取り付けた4層立体構造になっており、最上部の地上高は相当なものだろう。

上空から見た形状が幾何学的に美しいジャンクションはどこにでもありそうで、日本には(もしかしたらアメリカにも?)意外となく、形状で有名になったのは佐賀県の鳥栖ジャンクションとか、埼玉県の川口ジャンクションぐらいだろう。こうしたものが少ないのも当然で、とりわけ日本では限られた敷地に収まるコンパクトなジャンクションが求められるし(これらジャンクションの無駄の多さは見ての通り)、都市部には多くの道路が集中するので、必然的に複雑な形状になっていく(これはLAでも同じ)。加えて日本の高速道路は殆ど有料なので、いったん料金所に集める形にならざるを得ず、ますます複雑化する。迷路のような垂水ジャンクションは、この成れの果てといったところか。

しかし、ジャンクションの形状が美しいというだけで激しい交通をスムーズに裁けることはあり得ない。交通の実体に即した形状が最も合理的であることは当然で、本線を通過する交通が大半なら、Ontario のジャンクションのような形状でいいだろうが、交差する道路へ行く車が特に多いところでは、むしろ本線が分岐するような形状にすべき場合もあるだろう(ややこしくなるけど)。鳥栖ジャンクションがこの問題を抱えていたらしく、それに起因する渋滞が無視できなくなり、結局は交通量の最も多い接続部を短路する橋が作られて完全なクローバ型ジャンクションではなくなった。あの形にこだわるあまり、交通量の予測を疎かにしたのだろうか。

完成することがあればの話だが、将来的には建設中の第二東名と現東名を連絡する豊田ジャンクションが日本で最も美しいジャンクションになるかな。



帰国
2002年1月13日(日曜日) 曇り@NRT

日付変更線を跨いだので、日付を一日飛ばします。

今日は帰国の日。日本へ行く便は Los Angles 発なので、朝9時、Los Angeles 行きのローカル便で Las Vegas を飛び立った。飛行機で行けば Los Angeles と Las Vegas はそう遠くなく、実質1時間もかからない。機内では飲み物のサービスがあるものの、全乗客に行き渡る前にはもう空きカップの回収が始まるという忙しなさである。空から Las Vegas の街を眺めると、本当に砂漠の真ん中にあるという印象だ。市街地を過ぎれば何もない荒野がひたすら広がっているだけである。ところが、あるところで地上の景色はいきなり森林に覆われた山間に変わる。リゾート風の湖もあったりして綺麗なところだ。Las Vegas のような観光地も悪くないが、こんなところでのんびり遊んでみるのも良いかも。

Los Angeles からは約11時間かけて成田へ飛ぶという拷問のような旅が始まる。行きよりも帰りの方が時間がかかるし、どういうわけか帰りの方がメシも不味かった。しかし、座席の液晶テレビに組み込まれていたスーパーマリオシリーズ(なんでまたそんなものを入れたのだ?)を何となくやってみたら懐かしくて大ハマリしてみたり、ゲームで遊んでいるうちにやたらと眠くなって少しは寝て過ごすことができたので、結果的に行きよりもちょっと楽だったかな。身体が怠い、腰が痛い、頭痛がするといった後遺症は、帰宅したいまでも取れきれていないけれど。

時差ぼけの影響から、滞在先の現地時刻では朝の4時ごろに目覚め、夜は8時に寝てしまうような生活が続いていた。そのリズムが残っているのだろうか、いまは日本時刻で20時30分だが、猛烈に眠い。これからぐっすり寝てやろうかな・・・



Las Vegas (3)
2002年1月11日(金曜日) 晴れ@LAS

Los Angeles も Las Vegas も、この時期にしては異様に暖かいことが意外だった。初日なんか外を歩いていれば汗ばむぐらいで、空気はそう暖かくなくても日差しが強いから、屋外の駐車場に止めてあったレンタカーはオーブン状態。日中は、クーラーを使っていたぐらいだった(その日はたまたま特に暖かかったと後から地元の人に聞いたが)。やや砂漠気候の傾向がある Las Vegas では、日が暮れればそれなりに冷え込むだろうと思っていたが、それでも薄い上着さえあれば十分だ。半袖で歩いている人すらいる中、持ってきたコートは邪魔になっただけだった。

今日は特に予定もなかったので、なにを買うわけでもないが、ショッピングモールにぶらりと寄ってみた。どこにでもあるようなモールなのでこれといって目新しいものはないが、アニメ関連グッズばかり扱っている店がごく自然な雰囲気である。米国産アニメの品に紛れて天使禁猟区のポスターとか、るろうに剣心のジャンパーが普通にぶら下がっているが、親子連れの客が中心のようだ。日本だと、この手のものは入りにくい構えの店に押し込まれがちだし、客層もその筋のオーラを漂わせていたりするから、親子連れってのもまず見ない。どうも、ここら辺はおおらかなようだ。

あれやこれやと見て回りながら土産でも買うつもりでいたが、結局小物を少し買ったぐらい。センスのないわたしは気の利いたものが思い浮かばないし、機内持ち込みの荷物だけしか持ってきていないから、あんまり嵩張るものは持って帰れないという事情がある。もっとも、わたしが手ぶらで帰ってくるのはいつものことなので、何らかの土産があるだろうと勘違いしていた関係者は、とっとと諦めておくように・・。明日で帰国だから、アメリカから更新するのは今日で最後だろう。日本に帰れるかと思うとホッとする、食いもんさえ不味くなければ長期でも良いんだけどなあ。



Las Vegas (2)
2002年1月10日(木曜日) くもり/晴れ@LAS

カジノで負けまくり。遊びでちょっとやっているだけだから勝ち負けはどうでもいいが、それでも負けたら悔しいわけで。人間相手のやつはよくわからないので、わたしはスロット専門だ。もちろん勝ちがまったくないわけではなく、ちょろちょろした当たりは来てくれるのだが、そこで調子に乗っていると最終的には必ず負けるという算段になっている。連れも「楽しめりゃいいんだよ」と同じようなことを言いつつ、やっぱり負けていると悔しいようで、深夜にリベンジマッチに出ていったが、結局負けが嵩んだだけだったらしい。

アメリカに来ると、禁煙の場所ばかりだからヘビースモーカは肩身が狭い。それは良いことだが、喫煙所すらなかったりする。わたしはヤニ中毒というほどでもないので一日吸わなくても大丈夫だが、食後の一服ぐらいは欲しくなるし、連れは我慢できないらしく、かなり辛そうだ。そんな中、Las Vegas 市内だけは、カジノといった大人の遊びスポットが多くあるから例外的に禁煙でないところが多いと地元の人に聞いた。パチンコ屋と同じで、禁煙になったら客が来ないのだろう。というか、吸わなきゃやってられんというときもあるだろうし。

見本市に来ると、一日中歩いているので足が非常に疲れる。そこで見つけたのが、マッサージ機器の展示だった。買う気はないが、実演販売で揉んでもらうのだ。靴を履いたままでも効果があるという足ツボバイブレータを試してみると、これが強力で気持ちがいい。どっから来たの? 日本だよ。日本だと足ツボ健康器具はかなり多いんだよね、なんて話をしながら身体をほぐしてもらってきた。まあ、それにしても色んなものがある・・・この話は、また別項で。



Las Vegas
2002年1月9日(水曜日) はれ/くもり@LAS

LAでの予定は一泊だけで、今日は朝から飛行機で Las Vegas に移動する。こういうご時世だから理由は良く分かるが、空港のセキュリティ体制は異常と思えるほど厳しい。石を投げれば警備員か警察官に当たるのではないかというほどじょうじょといるし、でっかい銃を抱えた迷彩服の兵隊さんまで色んなところに立っている。さほど緊張感を感じていないわたしにとって、ここまで物騒な雰囲気は何かのネタじゃないのかと思えるほどだが・・・こんなことを言っただけで投獄されそうな感じ。ある意味でファシズム全開の、いまの米国にあっては。

それだけならまだいいが、機内持込品の検査も強烈だ。X線検査のみならず、鞄は開けられるし、靴底爆弾事件の影響だろうか、靴も脱いでX線に通せという。金属探知器もやたらと高感度でなかなかパスできない。ポケットに入っていた金属類はほとんど出しておいたつもりだったが、それでもぴぴ〜と鳴る。原因は胸ポケットに入っていたライターとタバコだった。あの僅かな金属部品と、タバコの箱のアルミ部分がいけなかったらしい。そのおかげか、無事にLASに到着。聞いた話によると、二日ほど前の同便で暴れた酔っぱらいさんがいたそうだけれど。

Las Vegas は、オアシスの如く何もない砂漠の真ん中にある街で、どんな行き方をしても「忽然と現れる」という印象が強い。飛行機が高度を落とし始めてから下を見てみても、本当にこんなところに街があるのかと思えるほどイナカの景色が広がっているのだが、そんなところに街がひょっこり現れるのだ。Las Vegas といってもギャンブル目的ではなく、今日はハデな車なんかを見たりしていた。日が暮れてから食事に出たら、夜景がとても綺麗だった。エッフェル塔もどき(Las Vegas にはモドキがいっぱいある)に登ったのだが、デジカメを忘れちゃった・・・



LA
2002年1月8日(火曜日) はれ@LAX

なんだかんだで、アメリカにやってきた。お昼過ぎ、横浜駅から成田エキスプレスに乗って成田空港へ行く。今日は朝からかなり強風が吹いており、東京湾のフェリーが運休しているとかの情報が入ってくる。飛行機が飛ばなかったらどうしようなんて言っていたが、夕方までには収束したようで、結果的にはちゃんと飛んでくれた。羽田と違って、成田はやはり遠い。特急電車でも横浜からでは1時間40分ほどかかる。羽田国際化論が出てくるのも頷ける。余裕を見て約2時間前に空港着、どこも空いていたので少し早すぎたが、こんなものだろう。17時15分、全日空NH6便でLAXへ

飛行機はほぼ満席、分かる人は分かると思うが、さすがにエコノミークラスでのアメリカ行きはかなり辛い。狭いから、身体は硬直するし、足はむくみまくる。エコノミークラス症候群とかいって身体がおかしくなるのも、何ら不思議じゃない。唯一のお楽しみは食事・・・そんなに不味いとは思わない。喉をとおらん人もいるらしいが、わたしは全乗客に食事が行きたわたる前に平らげてしまった。問題は、どうしても飛行機では寝られないこと。寝酒に焼酎を持参したが、それでも酔って眠ったのは1時間半ほどだった。LAに着いてからは、ほぼ徹夜状態での行動だったから辛かった。

飛行機は何事もなくLAXに降り、レンタカーを借りる。車種はフォードのエスコートだ。まったく、ボロい。うるさい、加速しない、清掃状態がいまいち・・・ぐらいは許せるが、真っ直ぐ走らないという整備状態はなんとかならんものか。一応、大手レンタカー会社にしたのだけれど。今回は、わたしは運転せず、ナビ役に徹した。アメリカの高速道路は、ルート番号の規則とコツさえ知っていれば迷うことなく走れる。日本と違って、地元民しか理解できないような道路構造はまずないからだ。地図なんて持っていかなかったが、レンタカー屋で貰った Interstate の接続図だけで十分だった。

Interstate はほとんどタダとあってか、路面状態は日本と比べてかなり悪い。落下物なんて当たり前。アスファルトではなくコンクリート舗装だから乗り心地が悪く、変なところにつなぎ目もあったりもする。だだっ広いためか、運転はいい加減なのが多い。というか、なにがしたいのか意味不明な運転が多いような気がした。都市中心部の高速道路(3桁番号の Interstate)は片側4車線以上が当たり前のようで、どこもだだっ広い。少し郊外へいくと、道路だけでなく、どこもかしこもだだっ広い。夕方の Interstate は、景色の良いところが多い。次は、予定もなくゆっくり走ってみたいもの。

お昼は、マクドナルドで食事。コーラを Large を頼むと、危険なぐらい巨大な紙コップでやってくる。分かってはいたが、改めて見ると凄いなと思い、思わず写真を撮ってしまった。



Yahoo! BB (1)
2002年1月7日(月曜日) くもり

前々からADSLにしたいとか言ってた実家が、Yahoo! BB を使い始めた。ご多分に漏れず、「最大」8Mbpsというカタログスペックの華やかさと、料金の安さに惹かれてこれに決めたようだ。だが、帰省したときに少し使ってみた限りでは、言うほど速くないじゃないかというのが正直な感想。測定方法がよく分からなかったので、あくまで体感的なモノサシだが、こりゃ確かに8Mbpsだなと実感できるようなスループットは明らかに出ていない。もちろん56kbpsのモデムとは比較にならないけれど、ほかの場所で何度か使ったことのある1.5Mbps系のADSLと並べて、実効速度に大幅な差があるようには感じられなかった。

ADSLの速度の話になると、立地条件や収容局から距離がよく取りざたされる。実家は、ADSL加入者線で良好なスループットが望めるような立地でもないので、条件次第では有意な差が現れるかも知れない。しかし、この話はされつくされているので、ここでは取り上げない。むしろ、より大きなネックがあるとすれば、それはどこだろうか。どこのADSL事業者でも、個々の加入者線は収容局などで太めの回線に集線してネットワークセンタなどに中継し、そこでは様々な局から集まってきた回線を、また太め回線にまとめてインターネットに繋げているケースが殆どだろう。

当たり前だが、この「太めの回線」が「十分に太い」回線であるとは限らないので、個々の利用者が享受できる実質的な速度は、この「太め」の匙加減一つで自動的に決まってしまう。別な言い方をすれば、加入者を束ねていくと足りなくなる帯域幅をどの程度まで容認するか、すなわち「どうケチるか」で、ISP全体としての速さも採算も決まってくる。Yahoo! BB の品質基準は分からないのでどうとも言えないが、巷ではADSL加入者線がどんな数字を叩き出しているかという話題が盛んであるのに対し、実際の利用を考えると、こんなところの方が重要な問題ではないだろうか。

確かに、8Mbpsというと1.5Mbpsよりも遙かにゴージャスに聞こえるし、売る側としても小難しい説明をするより、そういう分かりやすい基準があった方が売りやすい。従って、そのうち1.5Mbps系のADSLは廃れて8Mbps系が主流になることは間違いないだろう。しかし、単に速度を自慢したい人は別だが、実用上は、1.5Mbpsとか8Mbpsといったカタログスペックに、必ずしもこだわる必要性はないと思う。選べるのなら8Mbpsにしたいところだが、「見かけ上なんとなく速そうだから」という理由だけで、万障繰り合わせてまで8Mbps系を入れる価値が、その徒労に見合うかどうかは疑問だ。

Yahoo! BB 接続中、Explorer を開いて驚いた。なんとまあ、ご近所のパソコンがのぞき放題みえまくり。自分から向こうが見えるってことは向こうから自分も見えるってことだから、おっかないねえ。


ぜんぜん関係無いが、明日からアメリカ行き。更新は・・・できたらいいけどなあ。



暖房なし
2002年1月6日(日曜日) はれ

昨日「今だから言えること」について書いていて、「右田研三氏のホームページ」を思い出した。日本道路公団にお勤めだった方で、高速道路の建設に従事されていたころの思い出話をまとめた「My HighWay」は、ところによってはそんな感じのノリでまとめてある。分量が多いので全部読むのは大変かも知れないが、それなりに読み応えはある内容だと思うので是非。

泊まりで遊びにいった友人宅の暖房設備は、ホットカーペットのみだった。比較的温暖な地域に建つ保温性の良い家屋ならばそれだけでも何とかなるのかも知れないが、そこは早朝には気温が氷点下になる土地で、しかも家の中はすきま風だらけ。冷たい気流が部屋中を通る。屋内にいながら吐く息は白く、熱いコーヒーですらみるみる間に冷たくなってゆく。よくこんな環境で暮らしているものだ・・・などと感心している場合じゃない、こんなところに泊まったら、自分自身も翌朝にはあのコーヒーの如く冷たくなってしまうのではないかという恐怖さえ覚えてしまった(結果的に凍死は免れたが)。

しかし、意外と暖房が無くても慣れればなんとかなるものだなと思った。わたしは極度の寒がりなので最初は震えが止まらなかったが、寒さに身体が順応してきたのか、そもそも暖房がなくどうしようもないという現実を受け入れた結果か、そのうち寒いということは考えなくなってしまう。もしや、慣れさえすれば自宅でも暖房費を節約できるのではないかと考え(毎年いい金額になる)、一日だけ暖房なしで過ごしてみようとした。結果は、小一時間ほどで挫折。やっぱり目の前に暖房器具があれば使ってしまうらしく、存在しないという切実な状況でなければ無理なようだ。



今だから言える
2002年1月5日(土曜日) はれ/くもり

Google はとても優れた検索エンジンなので、ときどきタダで使っていて良いんだろうかと思うことがある。もし Google を運営している会社が傾いてしまって維持運営が困難になり、有料化されたとしても、わたしは恐らく文句は言わない。年間1万円ぐらいの利用料だったら迷い無く払うだろう。それ以上の金額を言われても払ってしまうんじゃないかなあ。無料で使わせて実績だけ作り、あとから有料化するというような汚い戦略であったとしても、そのぐらいの恩は感じてるし、そのぐらい無くてはならない存在でもある。

検索エンジンを使うときはキーワードを入れることが多いと思うが、たまに変なフレーズを入れてみるのも面白い。たとえば「今だから言えるが」。こういっては失礼だか、当人は「今だから言える」と心から感じていることでも、傍目には大した内容ではないことが多いように思える。いつか公表されるであろうときに「今だから言えるが」という枕詞が付く事柄、つまり現時点で人に言えそうもないことは、時効を待たずして喋れば不祥事沙汰になるだろうといった懸念より、むしろ当人が抱えている何らかの蟠りがそうさせているのかな。

主観的にはどうしようもないぐらいの重大な問題も、時がたてば客観的な体験談へと移相されてゆくことが殆どであろう。ならば、何らかの方法でこの過程に必要な時間を短縮し、今は言えない原因を作っている蟠りを廃すことができれば、人生ってやつはもうちょっと楽しいものになるかも知れない。できれば思い出したくない過去を、第三者的な視点で思い切って書いてみることでこれに挑んだのであろうか、見聞録に随想を加えたような文章を Webで見かけることがある。衒いも外連もなく、語りたくないことを敢えて語る気迫の伴った文章には、フィクションやありがちな日記にはあり得ない重みがある。

・・・って、ネタ埋めのつもりで書きはじめたら何を書いてんだか。



今年も貧乏人
2002年1月4日(金曜日) はれ

年末ジャンボ宝くじの結果は残念賞の300円が当選したのみで、高額当選にはかすりすらしなかった。いや、なまじ数字が一等なんかにかすっていれば余計に悔しいから、外れるならどうしようもないぐらい外れてくれた方が良いのだけれど、いずれにせよ今年もまた累積赤字額に新たな額が加算されるだけの仕儀と相成ったことに変わりはない。もしかしたら、買ってきたあと職場の机の上に放り投げたあと、書類に埋もれてしまってからは買った当人も忘れてしまい、冬休みの間ずっと置き去りにされていたという罰当たりな扱いが良くなかったんだろうかと、今さらながら考えてみたりする。

まったく、去年の年末には信じられないほど強気な発言をぶっかましている自分など、結果が出たあとにはどうしようもないアホにしか見えないではないか。予想通りといえば大いに予想通りの結果ではあるけれど、毎年毎年毎年毎年毎年毎年、マ〜イ〜ト〜シっ、人をコケにするかの如く裏切り続ける年末ジャンボなんてもう懲り懲りだという思いでいまはいっぱい。といいつつ、今年の年末もまたささやかな夢を託して買ってしまうのだろうか。なにも3億円が欲しいとは言わない、せめて100万ぐらいでもと、幻滅のあまり年末と比べればずいぶんと弱気になるのが、毎年恒例の年明けフィーリング。



峠を攻める救急車
2002年1月3日(木曜日) はれ

長すぎると各所から囂々たる非難を浴びている冬休みも一時途切れて、明日は出勤日だ。社会復帰できるかどうか、かなり心配。今日はちょっと昼寝するつもりで、起きたら夕方だったからなあ。お昼寝中、なぜか火星へ行く夢を見た。夢の中の火星には街もあって、コンビニもあった。地球と変わらない、とても不思議な火星だった。だめだ、こんな調子ではやっぱり社会復帰できそうにない。明日と、来週の月曜日に出勤すると、また一週間ほど休んで今度はアメリカ行き。ますますだらけそうだ。。

大阪から帰る途中、国道1号の箱根峠を通った。静岡側から登って県境を跨ぎ、神奈川側の下り勾配が連続するコースに入ったときのこと。後から箱根町の救急車がやってきたので、救急車を先に通し、わたしは救急車の真後ろを走ることになった。箱根は、標高差800メートル以上ある峠を一気に越えるため、急勾配とヘアピンの連続する難所だ。急患を小田原かどこかの病院まで搬送するところなのだろうか。患者を乗せた救急車にとって、こんな峠道はさぞかし恨めしいものだろうと思ったが、さすがに慣れているようで、後ろから観察しているととても上手いなと思った。

速度はぴったり40km/hを維持。緊急走行だからもっと飛ばすのかと思っていたが、意外とそうでもない。むしろ、急な加減速やコーナでの遠心力による揺れを防ぐためか、出来る限り定速を維持することに努めているようだ。コーナでは、直前でちょんとブレーキを当てて軽く減速したあと、ギリギリまでアウトに出てから、アウトインアウトを忠実にやっているような感じ。わたしも救急車のライン取り真似していたら、車酔いしがちな同乗者も「気持ちよかった」と、とてもご機嫌なようだった。



繋がり
2002年1月2日(水曜日) はれ

ふと友人Aにこんなことを言われて、世の中は意外と狭いものだって思った。Aの友人であるBが、古くからの多事毒論の読者であったのだという。いままで互いに知らなかったそうだが、ひょんなことからBが、Aとわたしが友人であったことを知るに至り、この話になったとか。考えてみれば、知り合いの知り合いぐらいになれば、一人かそこらはここを知る人がいても不思議ではないだろう。本名も書いているから、仕事で名刺を出したときに名前を見て「突撃実験室の人ですか?」とか言われる可能性も否定はできない。別に後ろめたいことをやっているわけではないけれど、ちょっとヤダだなあ。

そういう実社会との妙な繋がりを危惧してか、Webには本名を書かない人が多いようだが、実際のところ本名を書いていたために困った経験はない。むしろ、書いていて良かったと思ったときもある。特にこだわるような事柄でもないが、本名を書くべきか書かないべきか、どちらが良いとも言えないかな。



明けましておめでとうございます
2002年1月1日(火曜日) はれ

明けましておめでとうございます。本年も突撃実験室を宜しくお願い申し上げます。

って書くと、宜しく以前の問題として、ぜんぜん更新してないやろというツッコミが飛んできそうだ。去年は実験室の更新をあまりできなかったので、今年はちょっとやろうかなと思ってみたりする。やろうかなと思っているだけで、やると断言したわけでないところが自分らしい。ネタがないわけではないので、暇とやる気さえがあればやれるはずなのだが、どうもまとまった暇がなかったり、昔ほどのバイタリティがなくなってきているのかな。そんなことを言ってるうちに、また一年ぐらいすぐに過ぎてしまいそうだ。

年末にサーバが飛んだりと、なんか色々とあったけれど、当サイトもまた年を越すことができた。1997年の年明けからやっているわけだから、これで5年かあ。ふと、こんなことが気になる。ここを定期的にご覧の方は数百名いると思うけれど、来る者拒まず去る者追わずが原則である Webの世界で、その当時からお付き合い頂いている方はどのぐらいいるのだろうか。いつもいつも新鮮で面白みのあるネタを書けるような才能はないので、しばらく見ていればマンネリになってくることも事実だろうし、お互いの嗜好も年月とともに変わってゆくものだ。だから、そんな方は数えるほどしかいないのかも知れない。

それはそれで構わない・・・むしろ、飽きたらすっと忘れて頂ければと思う。



突撃実験室