多事毒論(2001年12月分)


忘年会とか
2001年12月28日(金曜日) はれ/曇り/一時あめ

姫路で忘年会。サーバが死んでたりすると、どうにもならないとは分かっていつつ、どうもそのことが気になって忘年会を素直に楽しむことが出来なかったかも知れないことを考えると、CPUファンを取り替えるためだけに横浜へ行ったことも悪くは無かったかなと思う。どうでも良いが、姫路はとても寒かった。朝、車の窓が凍り付いて前がまったく見えないぐらい。大阪とか横浜(特に沿岸部)が比較的温暖なだけで、この時期はそのぐらいが普通なのかも知れないけれど。やー、とにかく寒いのだけはダメ。

多賀SAで見た日の出・・・というのは嘘で、空が薄明るいのは確かに日の出だけど、朝日のように光っているのは駐車場の水銀灯。なかなか良い位置にあったもんで。



サーバ死ぬ
2001年12月27日(木曜日) はれ@横浜

マーフィーの法則ってやつは確かに存在するらしく、わたしが遠出しているときを選ぶように突撃実験室のサーバが死んだりする。26日の午前1時30分ごろ、突然応答がなくなった。遠隔でも管理できるようになっているので、あれっと思ってサーバに入ろうとしてみたが、これも応答が帰ってこない。どうやら、本格的にお亡くなりになっているよ模様で、現場にいかないとどうにもならないということだけは判明した。判明したところで、サーバが治るわけじゃないが・・・さあ、どうするか。取り敢えず、会社の Webサーバを借用して仮設の突撃サーバをでっち上げ、アクセスをそちらに向け直してお詫びを掲示してから考えることにした。

ここで、考えられる対策は二つ。一つは放置すること。Webサーバだけなら、ここをご覧の皆様には申し訳ないが、わたしとしては実生活上の障害はないので、ごめんなさいで済ますこともできた。しかし、メールサーバも兼ねているとなると話は違う。メールが暫く使えないとなると痛いのだ。仕方がない・・・26日は夜中まで予定が詰まっていたので、暇になったのは翌日27日の午前2時ごろだった。前日も3時間ほど寝てないというすこぶる絶好調な体調で、朝の4時過ぎに車に乗り込んで横浜へ。28日にはまた予定があるので、それまでにはまた大阪に戻ってこないといけない。が、大阪横浜間の高速代を二往復分払うのは厳しいから、限界まで一般道を使うことにする。

八日市あたりで限界を感じて名神に乗ったのは午前6時ぐらいだった。そのあとは高速を一直線、1.5時間程度の仮眠を3度ほど取りながら、自宅に戻ったら午後2時ぐらいだった。サーバのモニタを見ると画面が思いっきりバグっていたが、リセットしたら機嫌良く立ち上がった。しかしなんだったんだろう。早急に原因を究明する必要があった。わざわざ横浜まで来て、戻ったころに同じ現象が再発したとかいったらシャレにもならない。が、原因は簡単に分かった。しばらく電源を入れていると、内部から異音がする。ふたを取ると、CPUファンが怪しい動きをしていた。これが原因で熱暴走を起こしたようだ、ファンを交換して対応完了である。

で、そのまま大阪へ戻る。大阪横浜間の片道 500km程度を走るぐらいなら大した疲れも感じない方だが、仮眠だけで往復 1000km以上となると未知の世界だ。対応を終えて走り始めたのは、午後4時ぐらいだった。ここでも高速代節約のため一般道を活用する。夕方の渋滞が始まるなかR246を走り、沼津まで出てR1を真っ直ぐ。ここまで来ると空いているが、眠くなって道の駅で仮眠。また1.5時間ほど寝て(なぜか必ず1.5時間ぴったりで目が覚める)そのまま豊川まで行った。ここからは東名と名神だ。継ぎ足し充電するように時々寝ながら、京都南で高速を下りたのはお昼過ぎ。というわけで、1日半でトリップメータが一周・・・疲れたような、そうでもないような、良く分からない気分だった。



国際法模擬裁判
2001年12月26日(水曜日) くもり/小雨@大阪

京都で国際法模擬裁判大会なるものを見学(傍聴?)する。元々、国際法の裁判ってどんなものだろうという興味もあったが、模擬裁判用にでっち上げられた架空の事件の内容が自分のやっている分野と割と近かったので見たくなった。あくまでお勉強用のネタなのでほかにも問題となる色んなポイントがわざとらしいほど含まれているが、ざっと概要を書くと、次のような内容である。争いの要点は割愛する。

先進国のT国はインターネット大国で、その国のTOLというISPが、発展途上国のB国にBOLという完全子会社のISPを作った。しかし、B国の刑法では一定の倫理基準に反する文章や画像を出版することを禁止しているため、この規定をウェブサイトのコンテンツにも準用し、B国の当局は国内のISPに対して不適切なサイトを閲覧できないようフィルタリングを行うように命じた。これをうけて、BOL以外のISPはフィルタリング措置を行ったが、BOLは「有用なサイトも制限する恐れがある」としてこれに従わなかったため、B国の法務省はBOLおよび、その親会社であるT国のTOLを告訴した(ちなみに、某A社をパロったような両ISP名称は原文まま・・ネタだろ、これ)。

BOL・TOL両社への有罪判決が確定したが、B国はBOL社に対して有効な処罰を行うことができなかったため、B国はTOLを非難する声明を発表。その後、TOLのコンピュータが匿名のクラッカーに攻撃されるという事件が起き、サービス不能となったTOL社では多額の損害が出た。この攻撃は、のちにB国のクラッカー集団IBCPによるものと判明し、B国の大統領は攻撃を行ったIBCPを賞賛、栄典を授与した。これについて、T国の法相はB国政府を非難、逆に「自国民がB国政府に同様の行為を行っても、我々には起訴のための管轄権がない」と明言する。この発言はクラッカーたちに対する恩赦と解釈され、T国のG氏がB国のコンピュータを攻撃。この結果、B国で列車事故が起きて多数の乗客が死亡する。

会議室に会議用の机と椅子を並べただけの仮設法廷なので、厳格で物々しい雰囲気は感じられないが、法廷の配置は日本の民事訴訟と変わらない。傍聴席から眺めると、正面に裁判官がおり、左側に原告、右側に被告が座る。まず原告の弁論があり、それから被告の反論、さらに原告の再反論があって終わり。弁論の内容は、どっかの判例の引用ばかりで専門知識のないわたしには理解不能であったが、実はやってる当人もあんまり分かっておらず、マニュアル化して挑んでいるとかで、裁判官に突っ込まれてしどろもどろになる場面も。条約やら過去の判例やらを引っ張りつつも、残りはハッタリでどうにかするって感じだろうか。内容はともかく、弁論の説得力だけは凄い人は確かにある。

クラッカーが列車事故を起こせるかどうかはともかく、サイバー犯罪に国境など関係ないことを考えれば、今後こうした類の国際問題が現実に起きることはあるかも知れない(もっとも通常は政治的に解決するだろうから滅多のことでは国際司法裁判所行きにならないと思うけれど)。新手の戦争ってやつが流行っているおり・・



大崩海岸
2001年12月25日(火曜日) くもり/小雨@大阪

大阪へやってきた。高速代をケチる意味もあるが、東名一直線というのも面白くないので途中まで一般道で行ってみた。横浜から保土ヶ谷バイパスを通って東名入口まで行くところまでは同じだが、ここで敢えて東名に乗らずにR246を沼津方面へひたすら走る。東名とほぼ平行する一般道ルートだ。厚木から海老名のあたりは交通量が多めだが、夜中なら概ね順調に流れている。市街地を抜け、山北町の辺りまで行くとやる気のない峠道みたいな区間が続くものの、県境を跨いで静岡県に入ると途端に道が良くなる。大型トラックが多く、夜中は 80〜100km/hぐらいでビュンビュン流れてるから、かったるさはない。

0時ごろからR246を走りはじめて、終点の沼津にたどり着いたのは2時ぐらいだったかな。そこからは、R1の沼津バイパスに入ってどんどん走る。よく整備されていて、道路構造も交通の流れ方も半ば高速道路みたいなもの。下手したら東名を法定速度で走っている車と勝負できるんじゃないだろうかと思うぐらい流れは良い。宇津ノ谷峠の道の駅で休憩したのは3時前頃だったと思うから、東名を使うよりは遅いが、比較的順調である。焼津で東名に乗るつもりだったが、ふと思い出して用宗(もちむね)の方へ少し寄り道してから行くことにした。

R150の旧道を通って、大崩海岸を行くのだ。地名の通り崖崩ればかり発生する難所で、道路を通せないぐらい崩れてくるところでは、道路が崖から逃げて海上を通るという面白い道路だ。夜中の3時だから暗くて分からないと思うが、写真左側は崖、道路の下は海である。これが出来る前はそれでも崖を切り抜いて道路を通していたらしく、無惨にも崩落した道路の残骸みたいなものが残っていた。焼津側がら行くと、狭くてグネグネの峠道が続く。いい具合のコーナーには何やらタイヤの削れかすが・・・と思ったら、さっそくスキール音とともにそれっぽい車が! ここ、夜中に来るとかなり危ないです。

帰りは、R150のバイパスである新日本坂トンネル(一般道用としては割と長大トンネル)を通って焼津まで戻った。現代の技術にかかれば、海の上でも山の中でも通してやるから、難所なんてどうにでもなるぞのお手本みたいなところであった。参考までに、静岡側から来ると、どっちへ行ってもR150という妙な交差点があるのでこれを目印に。一般人は直進して新日本坂トンネルを通るのが正解。マニアと走り屋さんのみ、左折する。



みなとみらい
2001年12月23日(日曜日) はれ

クリスマスが近くなると、横浜みなとみらいの夜景は普段よりも少し眩しくなる。主要なビル群の電灯を全てつけっぱなしにするという、クリスマスサービスがあるからだ。当然の帰結として、年に一度しか見られないこの風景を想い出として心に収めるべく、幾組ものカップルがここに集結する。そして、心に収める代わりにフィルムに焼き付けようと、カメラを向けて佇む独り者の背後を、ゆっくりと通り過ぎてゆくのだ。夜景に気を取られてよそ見をしながら歩く連中に、三脚の脚を引っかけられてはたまらないと気を配る独り者の背中がひときわ侘びしく見える、今日のみなとみら模様

これから数日間ほど大阪へ。カラオケやるから24日に来やがれってことは聞いていたのだが、午前中から動くことになり、深夜の移動が決定・・・いまからちょっと寝ておこうかな。



LED
2001年12月22日(土曜日) はれ

ある電子部品商社の営業さんが、これから LEDを売りだそうとしている新興のメーカがあるから話を聞いて欲しいと、初めて聞く会社のカタログやサンプルを持ってきた。白色や青色など、色とりどりの面実装型 LEDがサンプル基板に載っている。1608 (1.6mm×0.8mm) サイズながら直視できないほどの輝度で光る様はなかなか頼もしいのだ。営業さんの話によると、特に面実装の LEDはパッケージの封入精度だけでも輝度が大きく変わってしまうそうだ。LEDの素子には指向性がなく全方向に発光するため、発光面とは反対側に出てきた光をどうするかとか、レンズをどうするかで効率が変わるのだという。

営業さんが持ってきたカタログには LEDの未来予測みたいなものが書いてあり、これが興味を惹いた。どこまでホントかは知らないが、自動車のヘッドライトも10年後には白色 LEDで実現可能だろうなどと書いてある。いまの技術では、尾灯ぐらいの明るさが限度だが(むしろ白熱電球よりも視認性に優れたものを作れることはハイマウントストップランプを見れば分かる通り)、そこまで明るい LEDが出来たら世の中はけっこう変わるだろう。自動車に限らず、家屋の照明もオール LEDでできてしまったりするんだろうか。とくに、一日中蛍光灯をつけっぱなしにする事務所などでは良い節約になりそうだ。

オートバックスで、車幅灯の置き換え用として白色 LEDを使ったランプを見かけたが、買う気にはならなかった。白色 LEDと電流制限用の抵抗を、電球のソケットに収まるようにしたものだが、サンプルを見た限りでは暗すぎたし、それに使われていた LEDのレンズでは指向性が強すぎ、一点だけ明るくしても意味のない車幅灯という用途にはまったく適さない(一般的に高輝度 LEDのレンズは、レンズの中心から20〜30度ぐらいの範囲に光が集中するように作られているものが多い)。むしろ、こういうところに使う発光体の光は、分散させた方が良いだろう(見栄えも良いだろうし)。

市販のものが使えないとなると、自分で作ってしまおうかと思ったりしちゃう。なんでかというと、新しい車のヘッドライトは HID(いわゆるディスチャージね)なのでほぼ純白の光を放つ。なのに、車幅灯には旧来の電球が使われており、そこだけ淡黄色に光るので色温度が合わず、見栄え的にあまり良くない。そこで、補色となる藍色のフィルタを塗った電球が市販品であるので買ってみたが、そいつは青が濃すぎるのか、今度は微妙に青っぽくなってしまった。整備不良にはならない程度だと思うが、気に入らない。こうなりゃ、LED化しかないでしょ。



要注意期間
2001年12月21日(金曜日) はれ

仕事納め。わ〜い。

となると、今年中に発生した事案は年内に処理しておきたいという心理が何となく働くもので、特に急ぎでもなく手を付けてなかった仕事を一気に片付ける。朝から残務処理的な事務をやり、年明けの打ち合わせがあって、午後から八王子へ。降雨も手伝って、今日の外気は身を切る冷たさだ。町田あたりまで行くと雪まで積もっているじゃないの。帰りは16号の鵜野森から東名入口まで、動かないほどべっとり渋滞していた。渋滞を抜けからは飛ばしまくりで、会社の忘年会に滑り込みセーフ。酒はダメなので「グレープフルーツジュースにガムシロップたっぷり」とか注文したら、マスター呆れてた。

八王子へ行ったのは、某ISPの八王子NOCに設置してあるサーバがいつぞやに故障したため、引き上げて修理したあと、設置しにいく暇がなくてそのまま放ってあったからだ。もっとも、そういう事態も想定して予備系に切り替わるようになっているから、それでも何ら問題なく運用できるし、その予備系にも予備系が控えている。しかし、その状態で年末年始を向かえるのはやっぱり恐い。なぜなら、大規模な障害は、必ず夜間休日の無人運用中に起きるというジンクスがあるというか、統計的事実があるからだ。連休ともなればさらに障害発生率は高くなり、年末年始とかGWは要注意期間なのだ。

建前上、夜間休日の障害対応はしないことになっているので、宿直とか自宅待機といったきっちりとした当直体制こそないが、このジンクスのおかげで少なくとも関係者の一人は障害対処要員として近場にいるようにしている。たとえば遠出の予定がある場合でも、日程が被らないようにするといった具合の紳士協定みたいなものだ。いくら建前がそうだからといって、さすがになんかのサーバ死んだまま連休のあいだずっと放置するわけにはいかないからねえ。



続・配線
2001年12月20日(木曜日) はれ

トランクハッチに付けたアンテナ基台から運転席まで同軸ケーブルを通す。端だけが1.5Dになっていて、残りは3.5DQEFVの専用ケーブルなのでハッチの隙間は簡単に通る。問題はそこからどうやって室内に入れるかだが、リアワイパーの配線が通っているグロメットに穴を開けて室内へと引き込む。そして内張の中を通し、足下のキックの隙間から引き出した。多少苦労したものの、この作業は素人にドが付くわたしでも問題なくできた。車の配線は良く分からんと思っていたが、やってやれないことではないみたい。プロ先生によるありがたい指導のおかげだ。

結局、躓いたのはコネクタのハンダ付け。普通のハンダゴテを車内に持ち込んでインバータから電源を取ったら暖まり方が明らかに悪く、これでは熱量がモノをいう同軸の網線とコネクタのハンダ付けは難しい。安物インバータの疑似正弦波ではダメなんだろうと思い、予備品として職場においてある正弦波式の無停電電源装置をポータブル電源がてら拝借しようかとも考えた。が、重くてとても運ぶ気にならない。考え直して 100ワットのハンダゴテを使ったら何とかなったが、それでも暖まり方は普通のコンセントから電源を取ったときほどではない。

プロ先生はガス式のハンダゴテを使えと言ってたっけ。持っていることは持っているが、残念ながら実家に置いてある。あんまりいないと思うが、車の中でハンダ付けがしたくてたまらない方は、留意されたいところ。



配線
2001年12月19日(水曜日) はれ

車の構造に明るくないわたしみたいな人間が電装品の取り付け作業をやると、配線を通す作業でとにかく困難を極める。配線を通せそうな場所を見付けても、そのためにはパネルなどの内装を分解しないといけない。しかし、とりわけ内装にあっては、見栄えを良くするためにネジのような露骨な部品は殆ど使われていないから、どこからどう取り外せばよいのかで苦悩するしかない。どこかにネジがあるとしてもやたらと分かりにくいところにあるうえ、大抵はメクラが施されている。内装をバラして配線を通す作業を適切に行うには、それなりのコツと経験がないと難しいようだ。

そこら辺に目立たないよう電線を這わせておくという手もあるが、審美的に芳しくないし、エンジンルームと室内を結ぶような配線など、それが通用しない場合もある。今回は、これだった。バッ直(電源をバッテリから直接取ることをこう呼ぶ)の電源が欲しかったので、エンジンルームから室内へ配線を引くことになった。エンジンルームを覗くと、室内と通じていそうなグロメットは一つだけしか見当たらない。最初はここを通すつもりでいたが、ECU(助手席の下にある)のハーネスと思われる線が既に通っていたし、室内側の出口が変なところにあったので、ここを通すのは難しいように思われた。

ほかに通せそうな場所はないかと自分なりに考えてみたが、もうお手上げ。仕方がないから、プロの電装品取り付け屋さんに相談した。最初は、その人もわたしが通すつもりでいたグロメットに着目していたが、やっぱり通せそうにないという。曰く、構造的にエンジンルームから室内へ線を通すにはかなりの困難が伴う構造の車らしい。それなら仕方がないかとわたしも諦めかけたとき、「こういう場合はね」と前置きして、その人は意外なことに右前のインナーフェンダ(タイヤが収まっているところ)を取り外しはじめた。シロウトのわたしにとっては、思いもよらない場所だ。

頭の中がハテナで一杯になりつつあったが、ボンネットを開けるワイヤのことを言われて、なるほど!と思った。そういわれてみれば当然なのだが、確かにボンネットを開けるワイヤは、レバーのある運転席の下あたりからエンジンルームへと続いている。そして、これは知らなかったのだが、このワイヤはインナーフェンダの内側を通ってエンジンルームに出てきているはずだから、そこなら電線も簡単に通せるに違いないというわけだった。う〜ん、さすがは「どんな取付困難車でも俺はやる」と豪語するプロだ。この方法で、思っていたよりも簡単に電線を通すことができた。



ふう
2001年12月18日(火曜日) はれ

ようやく本業が一段落した・・・と思いたいが、それも明日納品されることになっているブツに問題がなければの話だ。多少の文句は突っぱねて無理にでもねじ込んで帰るよう、納品担当者には念を押しておきたい。ゆめゆめ、返品なんて事態は許さべからざることだ。わたしの仕事納めは今週末なので、もし仮にそんな事態になれば休みが潰れてしまう。とか書いたら、仕事納めを28日としている常識的なところからは石が飛んできそうだけど・・・休みの話になると途端にやる気がなくなる会社では、振替休日である月曜日からの 4日間は飛び石連休と見なされるため、「埋めちゃえ」の一言でこの結果。

そればかりか、来年はアメリカへ行くため1月は14日まで休む日取りに。まあここは有給休暇なので良いといえば良いのだが、やっぱり怒られそうだ。

最近「トルマリン」ってやつをよく見かけるが、なんだあれは。新手の宗教用具なのか?
石ころ一つで健康になるとか長生きするとかお肌が美しくなるといった類の話は、どうも信用できない。他人がそういう文言を信じるのは勝手だし、それだけで幸せになれるのならそれで良いのかも知れないが、わたしはそんなものに頼らなくても十分に健康だと思うし、特段に長生きしたいとも思わない。しかし、調子が悪いことに気付いていて、それを改善しようと思うのなら、生活習慣を改めた方がよほど効果的ではないのかなあ。そういう連中に限ってロクなものを食ってなかったりと、不摂生な生活をしている傾向にあるような気がするのだが。

そういうと、そういう人は、いわゆる健康食品に走ったりするのだろうか。傍らではジャンクフードを貪りながら。



車を買う
2001年12月16日(日曜日) はれ

新車を買っちまい、土曜日に納車された。買ったのはシビック。最近、Type-Rが出たのでそっちにやや惹かれてしまったのだが、よくよく考えるとそれはちょっとやりすぎのような気がしたので普通の方にする。わたしの場合、自転車を積んでどっかへ行くことがあるので、セダンよりもハッチバックの方が使いやすい。かつ、そこそこ小回りが利いて、そこそこキビキビ回ってくれて、そこそこ普通に速い、というような条件で考えていったらこんなところに落ち着いた。スポーツ路線を捨てたのか、新型のシビックはややファミリーカー的な雰囲気があるけれど、個人的には許せる範囲である(スポーツカーが欲しかったわけでもないし)。

最終的に買う気になったのは、考えていたよりもやたらと安かったからだ。なんやかんやと付けても、コミコミで 200万円には達しなかったから、このぐらいなら即金で買っても生活に支障が出ることはない。借金をしてまで欲しいとは思わないしね。



メールフィルタリングは検閲か?
2001年12月14日(金曜日) はれ

一昨日の記事では、メールサーバにおいてウイルスを排除するような仕組みを実際に用意したケースでの、運用上の問題点にはほとんど触れなかった。しかし、その辺に興味がある方もいるかも知れないので、そのことについても書いてみよう。

一昨日の記事では「ウイルスが欲しくてたまらないという人はまずいないので、ユーザが希望すれば、そのユーザに宛てられたメールの中身を検査し」と書いた。ここで、ユーザの希望を条件としたことには理由がある。プロバイダも電気通信事業者の一種であり、原則的には他人の通信の内容に口出しをしてはならない立場にあるし、またそうでなくてはならない。メールサーバにあっても、それは同様だ。法律用語で言えば、メールサーバも電気通信役務を提供するための電気通信設備なのだから、ここでユーザに無断でメールの内容を検閲し、おまけにメールの内容に問題があると勝手に判断して破棄するようなことは、原則としてはあってはならないのだ(検閲は電気通信事業法で禁止されている)。

しかしながら、原則がそうだからといって、プロバイダなんてものは、あくまで知らぬ存ぜぬを決め込むべきだというような見解が全てにおいて正しいとも思えない。特定の通信は行えないようにしてくれというユーザの希望があることも当然で、メールのフィルタリングなんかはその最たる例だ。アドレス単位での受信拒否などは既にどこでもやっていることだし、これがないと迷惑メールの山になってしまうという方もいるだろう。その延長上に、ウイルスチェックサービスみたいなものがあると考えれば、こういうサービスが必ずしも「大きなお世話」や「検閲」の部類になるとはいえまい。問題は、デフォルトは有効であるべきなのか、無効であるべきなのかという判断である。

プロバイダに色々と面倒を見てもらいたいという人がいる一方、お前らのやることなんぞ大きなお世話だという意見があることは当然だ。もし「ウイルスチェックサービス」を希望制でやるとすれば、デフォルトは有効であるべきなのだろうか、それとも無効であるべきなんだろうか。プロバイダの客層は実に幅広く、どう質問していいのかを質問してくる初心者から、何でも分かっている人まで集まっている。ウイルス絡みの事案で問題になるのは大抵初心者さんなので、そういう意味では「デフォルトで有効」が適切なようにも思えるが、プロバイダの原則論から言えば、これは「デフォルトで無効」にすべきであるものである。この辺りの判断は、微妙な問題を孕んでいる。

ちょっと極端な例だけど「ダイヤルQ2」の発信規制についても、似たような議論があった。昔はどの電話も自由にダイヤルQ2を使うことができたので、成人向けのダイヤルQ2番組を利用しまくり、高額な情報料を請求されてしまうことが社会問題化したことがある。その結果、いつからか成人向け番組は事前に登録しないと使えないようになった。ところが、電気通信事業者が通信の内容を理由にその通信を制限することは、通信役務の提供における差別扱いや、検閲にあたり問題があるとする意見もある。このぐらいなら社会通念上良いような気もするが、「公共の図書館に置いてあるパソコンからアダルトサイトの閲覧を制限することは検閲か」というような議論になってくると話は簡単ではない。

個人的にこの問題に対して答えを出すのは簡単だが、プロバイダとしてどあるべきなのかという意味で答えを出せるほど、多くのインターネットの利用者が、プロバイダのあるべき姿についてコンセンサスやヴィジョンを持っているとは思えない。以前、Sircam が流行したときに、注意を喚起するメールを一斉送信してみたことがある。すると、あからさまに「大きなお世話だ」という旨の返信が来たかと思えば、必要以上にビビりまくって、どうしたら良いのかと問い合わせる返信も来るし。どっちが正しい反応だとかいうつもりはないけれど、実状はそんなところである。本音を白状しちまえば、このときほど自分から仕事を増やすような真似はやめようと思ったことはなかったけれど。



うー
2001年12月13日(木曜日) あめ

もうあかん、ってぐらい腰が痛い。事務仕事に始まり、はんだ付けだの量産品の組み立てだの、いかにも腰に悪そうな作業ばかりやっているので無理もない。そんな状態で灯油を買いに行ったのが不味かったのかな、どうも灯油18リットルにとどめを刺されたような感じだ。どんな病気でも寝たら治ると信じており、大抵のことはそれで大丈夫なのだけど、腰痛だけは寝てもダメ。

昨日書いた文章を読み直すと、半分ぐらいは意味不明だなあ(ほとんど寝ながら書いたせいかな)。しかも、書き出しが何だか喧嘩腰だ。ケンカを売る意図はないのだが、ちょっと長めの文章を真面目に書くときは、「テメェら俺様の言うことをききやがれ」ぐらいの意気込みで書き始めてテンションを最大にしておかないと、活力みたいなものが最後まで続かない。なもんで、初っ端で多少過激なことを言ったりして、なぜそうなのかを弁解していくスタイルになりがちだ。というよりは、弁解せざるを得ない状態をわざと作っておいて、嫌でも続きを書く羽目に自分を陥れているようなものとも言えるかな。



ウイルスとプロバイダ
2001年12月12日(水曜日) はれ

ウイルス大量来襲のナゾ」(今日の必ずトクする一言/1月6日付)で書かれていることには、もっともな面も多いと思うが、プロバイダの実務担当者という立場から読むと、ほとんど言いがかりだと言わざるを得ない部分も少なくなく、反論させていただきたい。ウイルスメールもプロバイダのメールサーバが中継している以上、プロバイダがウイルスの配送のお手伝いをしていることは事実だが、プロバイダが率先してウイルスをバラまいていると読めなくもない書き方には明らかな語弊があるし(良識ある読者はそうとは解釈しないだろうが)、現実問題として、この対策は多くの人が思っているほど簡単なことではないのだ。

メールサーバはその仕組み上メールの内容を検査できる立場にあるので、メールサーバを通過するメールの内容を検査して、ウイルスの危険があると判断されたメールを排除することも技術的に可能で、実際にそういうものは主として企業のメールサーバでは使われている。だから既にある対策をプロバイダが行っていないという意味では、それは不作為犯だと言えなくもない。また、無知なユーザに対しては、いったい誰が注意を喚起すべきなのだという問題もあることは良く分かる。しかし、ウイルスは勝手に流れてきて、メールサーバは指示通りにそれを配送する仕事をしているに過ぎない。極論すれば、ユーザの無知もプロバイダには関係のないことだ。では、これらは本当にプロバイダが自らやるべきことなんだろうか。

残念ながら、こうした疑問に対する答えが明確にならないまま、いつのまにかプロバイダの守備範囲が広がってきてしまっている。自社のサービスをお客さまに使って頂くために、パソコンのセットアップの面倒を見る、これは当たり前だろう。しかし、お客さまのパソコンがウイルスに感染したときの面倒はプロバイダが関知すべき範囲なのだろうか。わたしのところも含めて、大方のところは「仕方がなく」やらざるを得なくなったというのが本音ではないかと思う。自社のネットワークからウイルスメールが飛ぶと、外部から苦情が来る。無視するのも一つだが、対応するとなればお客さまに感染を知らせなくてはならない。すると、程度の差こそあれ、結果として面倒を見ることになってしまうわけだ。

こういう成り行きで、「プロバイダはどこまで首を突っ込むか」の線引きが曖昧になり、いつのまにかネット絡みの困り事は、プロバイダに責任があろうがなかろうが、プロバイダが対策すべきだという根拠に乏しい見解が固まりつつある点は否めない。もちろん、こうした成り行きによる既成事実の積み重ねが妥当なことも多いので、全てを否定するわけではない。業界としての社会的責任あるいは道義的責任みたいなものがあることも分かるが、そんなことを言ってみたところで根本的な解決にはならない。プロバイダはインターネットの警察でもないし、裁判所でもない。ましてや保健所でもないのだから、メール感染型のウイルスが出てたときに、その感染対策をするのもプロバイダの負担ですべき仕事だという見解が必ずしも正しいとは思えない。

ウイルスが蔓延しているのはプロバイダが手を拱いているからで、その責任は重いという意見があるとすれば、極論すれば、それは全くの見当違いだ。関係者がこんなことをいうと、自己保身が目的ではないかと思わそうだが、そんな目的はない(ウイルスで最も迷惑しているのはプロバイダの担当者ではないだろうか。図太く知らぬ存ぜぬを決め込める人は良いだろうが、わたしなんか出勤して苦情のメールが並んでいるのを見ただけで気が滅入る)。単に責任があるといえる合理的根拠がないのにも関わらず、むやみに責任を果たせだのどうのと騒いだところで何も始まらないと言いたいだけで、敢えて率直に言えば、誰も解決しようとしないからプロバイダが仕方がなくやっている面が多くあることも申し上げておきたい。


ウイルスが欲しくてたまらないという人はまずいないので、ユーザが希望すれば、そのユーザに宛てられたメールの中身を検査し、危険なメールの類は可能な限り配送段階で破棄するなど、エンドユーザの手元に届くことがないようにするのが理想だとは思う。もちろん、送信される側も検査すべきである(ちなみに、送信メールで「希望したユーザのみ」の検査をすることは困難だが、この話は割愛する)。しかも、配送段階でウイルスメールを破棄するサービスを提供することは、「サービスの充実したプロバイダ」の要素の一つだと言えるから、プロバイダが提供するメールの付加サービスにおける差別化として捉えても悪い話ではない。しかし、そうした仕組みを作るための様々な負担を考えると、どうしても二の足を踏む。

比較的小規模なところでも一日に配送されるメールの数は半端ではなく(特に元旦が恐い)、配送処理だけでサーバがタレないか心配するときもあるぐらいだから、既存の設備で全てのメールをウイルススキャンにかける余裕はない。それならサーバを増設すれば良いだろうという人もいる。しかし、儲かっている大手プロバイダなら可能かもなの知れないが、赤字になるかならないかの弱小業者では、おいそれとその設備費用を工面することは難しい。プロバイダも営利事業なのだから、その費用は最終的にはユーザが負担するしかないのだが、主として「低価格であること」と「速い」ことの二点しか宣伝要素にならないご時世、マジョリティのユーザが費用負担の意義を理解するとは思いがたいゆえ、結果的にそんなものは後回しにならざるを得ないのだ。

別な言葉で簡単に言えば、そもそも安全保障に関係するサービスの存在をユーザが望んでいない、あるいは望んでいたとしても、その多くに「安全はタダで提供されるべきもの」との勘違いが蔓延しているからだと考えている。現実問題、ウイルスの感染が浸透しているところを見ると、セキュリティに対して真摯な考えを持っている人がどれだけいるのかは推して知るべし、サーバで対策できないかという問い合わせも実際にあるが、そこで新たな費用負担が発生するといったら希望者なんてまずいないはずだ。そこまで意識している人は、自分のパソコンにウイルススキャンソフトを入れるなど自分で対策をしているから、カネを払ってまでプロバイダに面倒を見て貰う必要はないと考えるはずである(わたしはそうだね)。

自動車のコマーシャルで安全を売り物にできるのは、自動車には潜在的な危険があるものであり、その対策は多少の費用がかかっても十分に行われるべきだというコンセンサスがあるからだ。エアバッグを付けて10万円高になったとしても、それで死を免れるのなら安いものだろう。また、カネを払ってでも自動車保険に入るのは、自分の運転がヘボくて人に死傷させる潜在的な危険があるという認識があるからだ。インターネットに危険があると考えるかどうかは人によるだろうが、「安全は誰かが保障してくれる」「しかもタダ」という勘違いの払拭は、ウイルスを受ける可能性があると考える側にだけでなく、ウイルスをばらまく可能性がある側にも要求される。問題は、殆どのユーザがそのことを認識していないことではなかろうか。



24時間営業スーパー
2001年12月11日(火曜日) はれ

映画「交渉人」を観た。何年か前の作品なのでいまさらレビューを書いても仕方がないような気もするが、かなり見応えのある内容でお勧めの一本。先読みできてしまう展開もけっこうあるけれど、終始それなりの緊張感を味わえるからまあ合格レベルかな。しかし、「IQ180のかけひき」などというキャッチについては、どこがどうそうであるのか小一時間問いつめたい。そこまでいうほどハイレベルに感じられるような交渉は行われないので、それに惹かれて観たわたしは騙された気分だ。こりゃ「ハッタリ」という交渉テクニックを応用したネタと捉えて良いのだろうか。別の言い方をすれば単なる誇大広告だが。

近くに24時間営業のスーパーが出来たので行ってみた。多分ダイエー系列だと思うが、ダイエー的な安っぽさがそこかしこに滲み出ている雰囲気はなく、どちらかといえばコンビニの店構え。だからコンビニみたいな値段の付け方をしているのかと思ったが、意外とそんなことはなく、決して安いわけではないが極端に高くもない。いまどき24時間営業というだけで恩着せがましくぼったくってたら入る客も入らないだろうから、当然だろう。22時ごろに行ったら、残業上がりで疲れ果てた感じのオフィスワーカー風の方々のほかに、料理服姿の人が多かった。そこらの飲食店で足りなくなった材料を緊急で仕入れに来たのだろう。なるほど。

ここのところ毎日残業が続いているので、こういうお店が一軒あるとかなり便利だ。近所の(24時間営業でない)スーパーなんて、営業時間終了間際に行くと生鮮食料品の片付けが終わっていたりするから、どうも使えない。逆に、ギリギリまで商品を陳列できる24時間営業のスーパーでは、わたしの好きな「おつとめ品」があまり出てこなかったりするのが難点かなあ。貧乏なもので、これには随分と助かってるのだけど。



海外へ
2001年12月10日(月曜日) はれ

寒くなったなあ・・布団から出てくるのが辛い。

来年頭にはアメリカ旅行が控えている。といっても貧乏なのでケチケチプランだ。トータルのコストは下手に国内旅行をするよりも安いんじゃないかと思えるほど。米国までの往復航空運賃が6万もしないのに、新幹線で大阪へ行くだけでも3万近くするから、足代も大して高いとは思わない。最初は終日自由行動の格安パックツアーを使おうと思っていたのが、格安というだけあっていまいち納得がいなかない。航空会社が某とっても評判の悪い航空だったりするわりに、ホテルが必要以上にゴージャスだったりして、いまいちバランスが悪い。ホテルは寝るだけだからどうでもいいが、十数時間も乗ってる飛行機は良くしたいところだ。

それ以上に、計画部分から自分でやらないと、どうも旅行したって感じがしない。計画を立てながら色々と考えてみるのも楽しみの一つではなかろうか、そこを旅行会社に持っていかれるようでは楽しみも半減だ。なもんで、飛行機もホテルも分からないなりにすべて自分でやってみた。最初こそ大変そうに思えたけれど、結果的にすべてインターネットでできてしまったから便利な時代になったもの。飛行機はちょっと高めだけど全日空を使う。代わりに、ホテルなんて寝るだけだからグレードは低め。こうした判断が吉と出るか凶と出るかは行ってからのお楽しみ。実は大ポカやってて、現地で途方に暮れたりしてね。そしたら指さして笑ってください。

やってみて最も割高感があるのは、成田までのバス代と空港利用料だったりして(笑)
円安傾向も何とかならんもんだろうか。



続・スイカ
2001年12月9日(日曜日) はれ

昨日書いたスイカのIOカードは、残額がなくなったら再び券売機に通して金額を追加することができる。これまで使われていた磁気式のプリペイドカードといえば使い捨てが殆どだから、それと比べれば随分と合理的になった。そう何度も使っていないカードの残額がなくなったからといって捨てるのは勿体ないし、そうでなくてもプラスチック廃棄物の削減が叫ばれるご時世、どうして今までなかったのかと思う(金額情報を可逆的にいじれるカードは偽造や変造の温床になるのがオチだけどね)。海外だとカードを回収して再利用したりとか色んな工夫が見られるけれど、日本はこういうところには無頓着だ。

しかし、プリペイドカードが用途毎に分かれている不便さはどうにかならんだろうか。財布を開けただけでも、軽く4〜5枚のカードが出てくる(下からスルッとKANSAI、バス共通カード、ハイカ、IOカード)し、普段使ってないのも別の場所に何枚かあったりする。スルッとKANSAIとか、バス共通カードみたいに、一定の地域内における交通機関のプリペイドカードを共通化する動きは評価するが、高速道路も電車もバスも一枚のカードで使えたら財布の中がかなりスッキリすると思う。究極的には電子マネーってやつになるのだろうけれど、そんなものが概ねどこででも使えるようになるのはいつのことだろう。

もっとうざいのは、ポイントカード類だけどね。積極的に使ってるのは、結局ヨドバシカメラぐらいかな。

ぜんぜん関係ないが、テレビでやってる名探偵コナンがパロディの宝庫であることは有名だ。ところで、パロディも繰り返し見たり聞いたりしていると、そのうちどちらが元ネタだったのか分からなくなってしまうことがある。先日、ふと「太陽にほえろ」のテーマ曲を聞いたときに、一瞬だけだがコナンのメインテーマ曲だと思ってしまった。そういわれてみれば、コナンのメインテーマは明らかに「太陽にほえろ」のテーマ曲をパロっている。そんなものを毎週聞いていると、どっちがホンモノか分からなくなるのだな。そんなことより、コナンといえば灰原さん萌え。



スイカ
2001年12月8日(土曜日) はれ

JR東日本の「スイカ」を買ってみた。大きさは従来の磁気カードと同じだが、厚みはクレジットカード並だ。「スイカ」というのは、このカードそのものの名称に過ぎない。定期券になっているものもあれば、IOカード(JR東日本のプリペイドカード)になっているものもある。写真は後者のIOカードで、販売額は 2,000円。うち 500円がカード自体の保証金で、残りの 1,500円がプリペイド分の運賃である。ここで保証金を支払う必要があるのは、カード自体の所有権は、カードの所持者には移転されず、JR東日本が保持したままであるためだ。スイカは買うものではなく、借り受けるものといった方が正しいだろう。カードを返却すれば保証金は帰ってくる。

従来の定期券やIOカードに使われている磁気カードは、自動改札機の中にカードをいちいち通す必要があったが、非接触式のICカードであるスイカは、自動改札機にかざすだけでいい(物理的な接触がなくてもいいので「非接触式」という)。この原理を知らない方もいると思うので簡単に説明すると、非接触式のICカードの中にはアンテナと、何らかの電子回路が入っている。自動改札機からは常に電波が出ており、カードは、内蔵のアンテナでこの電波を拾って検波することで電源を得る(電波もエネルギーの一形態だからね)。その電源で回路を動作させながら、自動改札機とカードとの通信も電波でやりとりする仕組み。電源がなくても鳴る鉱石ラジオのハイテク版みたいなものだ。

無線通信ということは、読みとり機とカードの間に多少の距離があったり、何らかの障害物があったとしても、十分な電界強度さえあれば問題ない。定期入れや財布に入れたままでも大丈夫だということになっているのは、このためだ。となると、どの程度の障害物までならカードを読み取れるのかが気になるだろう。実験してみると、わたしの財布はカードやら小銭やらでぱんぱんに膨れあがっているけれど、その奥深くに入れてあっても大丈夫だった。アルミホイルで包んだらどうなるかとか、いろいろな方法で攻めてみたくなるところだが、何の障害物がなくてもギリギリに近づけないと読み取れないほどなので、そうなてくるとダメかも。

これは敢えてそうしているのだと思う。手荷物が多いときなどは、カードを出すだけでも面倒くさいので、欲を言えば、カードを鞄やポケットに入れたままでも自動改札機を通過できるようにしてくれれば便利だ。やろうと思えば可能なことだと思うけれど、しかしながら、たとえば二枚以上のカードを所持している場合は話がややこしくなるし、ラッシュ時などは、先の人が通り終える前に次の人が自動改札機に入ってくることもあるから、関係のないカードに反応しないようにするためには、やはり「指定の場所にかざす」という動作を伴わなければならないのだろう。ユーザの意見としては不便だと言わざるを得ないが、技術上の制約ということで、これぐらいは仕方ないかな。



大阪の写真とか
2001年12月7日(金曜日) はれ

大阪の御堂筋では、色づいた銀杏並木が綺麗。風に吹かれて落ちてきた銀杏の葉も一枚だけ取ってみれば綺麗けれど、道路に散乱すればタダのゴミ。竹箒を持ったお掃除隊が色んなところで活躍していたが、いくらやってもきりがないようだ。舗装路の上に堆積した落ち葉は、意外と滑りやすいので危ない。雨上がりの並木道を自転車で通行中、人が出てきたのでやや強めの制動をかけたときのこと。雨水が乾ききらない落ち葉を踏んでいた後輪がロックして横滑りし、ちゃりんこでサイドターンみたいな経験をしたことがある。あのときはちょっと恐い思いをしたので、それからは落ち葉の上はできる限り避けて通るようになった。

そのあと大阪ビジネスパークに来てくれという連絡が入ったのだが、約束の時刻まで少々間があったので時間調整も兼ねて歩くことにした。天満橋駅の前を通り過ぎたのは、夕焼けの見えるころ。その夕日が、仕事先である大阪ビジネスパークの摩天楼を照らす。どうでも良いけれど、この一角には色々な想い出があるなあ・・・恋心を告白したのも、フラれて思いっきりヘコんだりしたのもこの近くだった。街角に、土管の切れ端のような物体を斜め45度の角度で空に向けたオブジェがあった。気になって覗いてみたけれど、もう夕闇も濃くなった空しか見えなかった。



万能印
2001年12月6日(木曜日) あめ

世の中には「万能印」なるものが存在することをご存じだろうか。どういう印鑑なのかは、その名称から何となく想像は付くと思うが、興味のある方はリンクしたサイトを見られたい。サンプルの印影から分かるとおり、万能印は、どうとも読めないけれど、いかにも印鑑らしい印影を持った印鑑だ。使われ方も、その名称の通りである。書類を代書するとき、認印を押す箇所があっても、本人の印鑑を用意できない場合もある。そんなとき、万能印を押してお茶を濁すらしい。鈴木さんの書類に、たまたま手元にある「田中」の印鑑を押すのは変だが、万能印ならどうせ読めないから不自然でもないだろうという発想だ。

このほか、その場で必要な印鑑を作成するキットとして「アーバンスタンプ」という活字組替式の印鑑も存在する。方法論こそ違うが、本質的には万能印と同じ類のものだ。ちょっと驚かざるを得ないのが、これらの販売目的である。決して、アンダーグランドなものではない。万能印は、法令書式センターが販売している。つまり、これを使うのは「先生」と呼ばれることの多い仕事に就かれておられる方々が主だと想像される。アーバンスタンプも同様だと思われるが、リンクしたところでは「自動車販売店向け用品」として売られていた。これには、さらなる説明は必要ないだろう。

印鑑が何らかのセキュリティを担保する目的のものだとすれば、これは「バックドア」と言うべきものかな。ていうか、こんなものが公然と使われているぐらいなら、認印などという無意味な存在自体をやめればいいと思うのだけれど。どうせ印鑑なんて押してあるかどうかしか見てないのだから、名前さえ書いときゃいいんじゃないのかね。



ふう
2001年12月5日(水曜日) はれ/くもり@大阪

大阪から帰ってきた。簡易な作業だろうという予想は当たっていたのだが、別なところで原因不明のトラブルが続出して最悪コースに転じてしまった。仕事を終えてホテルにチェックインしたのが午前3時半ごろという具合で(しかも前日の晩も似たような時間に寝てる)、眠い眠い。ま、規模が大きくなってくると、机上ではいくらパーフェクトに見えていても何が起きるか分からないのが現場というものだから仕方がない。そんなこんなでむっちゃくちゃ疲れたけれど、普通ではまず見られない、マニア心をかなりそそられるものも見てきたし、収穫は多かった方かな。

岐阜県の皆様には予めお詫び申し上げつつ、東海道新幹線のひかり号には、のぞみを先にお通しするために岐阜羽島信号所と呼べなくもない駅に停車する便がある(←問題発言)。そもそも作られる予定すらなかった駅なのだから、ひかりが何本か止まってくれることだけでも恵まれていると言うべきだ(←さらに問題発言)。駅前の銅像に感謝するがいい(←この際だから、これも言っちゃえ)。というようなことを考えながら、岐阜羽島駅で出発を待っていた。ようやく新幹線が動き出したので窓の外を眺めていると、少し進んだところに「SOLAR ARK」と書かれた奇妙な構造物が見える。

「聖櫃?」などと一瞬だけ思ったけれど、そうか、箱船だ。確かにそういう形をしている。何だろう、三洋電機のビルに併設されていることからしてだいたい想像はつくけれど、調べてみるとやっぱり巨大な太陽電池だった。で、箱船のような形に太陽電池を並べる発想は面白いと思うけれど、そんな形で効率よく発電できるのだろうかということが何となく気になる。やっぱりこう、太陽電池というと直射日光がギンギラに当たる向きに据え付けられていないと、いまいち決まった感じがしないのだけど・・・



価値
2001年12月3日(月曜日) はれ

先週の福岡に続いて、明日から大阪出張。普段は遠方の出張なんて滅多にないのに、どういうわけか暮れになると出張がボコボコと沸いて出てくる奇妙な現象は昨年とまったく同じである。暇なときなら、気分転換がてら経費で観光旅行へ行くついでに仕事――もとい、仕事の合間に自費で賄って観光してくるのも悪いことではないけれど、ほかの仕事が立て込んでいるなど抜けにくいときを狙うように出張が入ってくる現象もやはり昨年と同じ。師走は一年で最も忙しくなる時期だと聞き覚えるが、摩訶不思議なことに、ここ二年はまったくその通りになっている。

で、その仕事がとてもやり甲斐のある内容なら、忙しい中わざわざ大阪まで出向いてでもやってみたいと思うのが技術屋というものであるが、実は市販のダイヤルアップルータを一つ設置しにくだけだというから何となく拍子抜け。やや特殊な LAN間接続という事案なので、ネットワークの設計にはそれなりのノウハウを要するとは思うが、設定済みのダイヤルアップルータを繋ぐだけなら誰にでもできる作業だである。ルータを提げて新幹線に乗り、わざわざ出向くようなことでもないという気はするが、簡単な事案だからとナメてかかり、下らないミスをするようではプロじゃない。ケーブル一つとっても、絶妙な曲げ具合で女を失神させる美が要求される――いや、これは単なる自己満足だけど。

というのが、仕事も趣味の延長みたいなものだと思ってる純技術屋的な発想なんだろうな。どんなことでもカネを稼ぐのならやれという政治屋さんの考えも分からなくはないが、そういう打算てんこ盛りの発想にはどうも疎い。個人的な知的探求心が刺激されて楽しみながらやった仕事ならば、それをこなす過程で様々なノウハウを得られたことだけでも、個人的には十分な価値を感じる。かと思えば、日常的に使っているノウハウの寄せ集めみたいな、大した手応えを感じない片手間仕事もある。それはそれで必要なものだから粗末に扱うつもりはないけれど、そんなものには大した価値は見いだせない。

ときどき、それら対価として裏で理解を超えるカネが動いているのを垣間見てしまうと、主観的に思っている「価値」と対外的な「価格」との大きな隔たりに、自分のやっていることには本当のところどんな「値打ち」があるのか、よく分からなくなるときがある。主観的な価値と、対外的な価格、そして見る人によって大きく変動する値打ちというものは、必ずしも等価ではないし、そうである必要もない。だから、これらが一見不均衡であること自体は何ら不自然なことではないと頭では分かっていても、ノウハウという実に曖昧なものを売る商売をしていると、時々、その真価は? と考えてしまうことがある。

おや、また新しい言葉が出てきましたな。真価が存在するという考えこそ、幻想か。




2001年12月2日(日曜日) はれ

先週に続いてまたロト6が当たった。先週は4等と5等の同時当選で当選金は 18,100円になったけれど、今回は殆ど残念賞といえる5等の 1,000円だけ。金額はともかく、二週連続で当たるとは運が向いてきた感じなので、ありがたい当選金は年末ジャンボに投資した。従って、もはや3億円には所有権移転仮登記がぶっこまれているようなものだというか、「当確」の花印が付けられたようなものだというか、気分だけは俺の物なのだが、運が向いてきたというのは単なる思い込みで実のところなけなしの運をここで使い果たしているだけだったりして。

ま、運なんて分からないもの。そんなものに頼るより、人生なるようになれと割り切っている方がいいのかな。



家出系オフ会
2001年12月1日(土曜日) はれ

家出系のオフ会なるものに参加してきた。「完全家出マニュアル」の著者である今一生氏をはじめ、現役の家出人や元筋金入りの家出人、あるいは中学校教員など、立場の違いこそあれ家出を軸として各方面から色々な人物がバランス良く集まった会合であった。なぜ「家出」なのかと思われるかも知れないけれど、家庭内暴力、閉塞感、家庭裁判所、ココロ系、良い子、精神科、アダルトチルドレン、宮台真司、薬物、自傷行為、といったキーワードにピクピクっと来る方なら、だいたいどういうものかご理解いただけることであろう。ピクピクっと来ない方にとっては、むしろ非難めいた趣旨だと思うけれど。

何らかの事情で一時的に親と距離を置いてみたいと思ったときに「家出」以外の方法は果たしてあるのだろうか。たとえば目に余るような家庭内暴力といった明確かつ客観的な証拠があって、これは何らかの方法で保護する必要があるでしょうというようなケースでは、別な方法も考えられるかも知れない。けれども、保護するほどでもないシチュエーションも実際にはあるわけだ。何となく親とは折りが合わず、だからといって親を永遠に消してやりたいとまでは思わないような、(それが本当に正しいか否かはともかく)一時的に離れれば何とかなるかも知れないと自主的に判断されるようなケースである。

それに対する一つの打開策として家出を認めようじゃないかという文脈から、家出肯定論が出てくる。家出する、あるいはしようと思う理由も様々だろうけれど、居心地の悪い家とか、いると身に危険が及ぶ家にいつまでも束縛されている必要はないと考えなければならないときも当然ながらあるし、そうしたケースでは、長い目で見れば家出が親子双方にとって良い結果を生むことだろう。また、「家出」という言葉には、悪いことだというニュアンスがそこはかとなく含まれているように感じられるかも知れないけれど、それでも敢えて家出を肯定する前提として、家出に代わる「公認」の対策が世の中にはないに等しいことを挙げなければならない。

いまは主にアンダーグランドで行われている家出を、積極的にサポートするもの、たとえば駆け込み寺のようなものが、もっと一般化しても良いと思う。潜在的にそうしたものを必要としている人は、意外と多いんじゃないだろうか。



突撃実験室