多事毒論(2002年6月分)


W杯と国家
2002年6月30日(日曜日) くもり/雨

雨ばっかりでイヤだな...洗濯物が乾かない。

横浜国際競技場の周辺では、ブラジルのサポータが深夜までえらく盛大に騒いでいたそうだが、あのあたりにも住宅がないわけではない。近所にお住いの方々のなかで、サッカーに興味がない、または嫌いな人にとっては、実に不愉快な一夜になってしまったのだろうか。あるいは、交通規制やら何やらで、サッカー好きの中にも、考えを改めようかと思った人もいたかも知れない。祭典というのは楽しむものだが、それはあくまで客としてどこかからやってくればの話で、道路は通れない、駅は激混みで電車にも乗れない、電波も激混みで携帯はつながらない、といった状況に耐えなければならない地元住民にとっては迷惑この上ないイベントである。実行委員会あたりが丁寧な場合は「何卒ご協力を」みたいなビラが配られたりもするが、別に拒否権があるわけでもなく、ご協力もくそもない。ああ、また花火大会の季節だ・・・。

サッカーは戦争なんや――サッカーのなにが面白いのかが理解できず、わざわざどこかの繁華街まで出向いて街頭テレビで観戦したという人に聞いてみたら、そんなことを言っていた。国家と国家が互いの看板を背負って対決するのだから、熱くなって当たり前なのだという。恐らく当人が意図したこととは逆の意味で、妙に納得できる言葉であった。わたしは日本人で、社会共同体としての日本は大好きなのだが、国家としての日本にはコダワリがない。仮に日本のような場所であれば、それは何という名前の国でもよく、国という形式的な枠組みの維持を目的とするものでないという意味では、愛国心のようなものとはまったく違う形の「好き」なのだ。日本国代表といったものを応援しようという発想がないのは、だからなんだろうかなと思う。イデオロギの対決なら分かるが、枠組みに過ぎないと割り切ってしまったものを戦わせる意味はない。

国家と社会共同体の境界が概ね一致しているのは確かだし、国家(あるいはそれに類した枠組み)なしに安定的な社会共同体が成り立つかというと難しいところだが、極論すればそれは結果論ってやつじゃないかと思う。社会共同体には境界があっても、国家の境界が曖昧な世界を想像するのは難しくないし、EUみたいなのは、どちらかといえば脱国家ではなく超国家という方式を採っているにせよ、現にその方向を目指しているといえる。国という枠組みがどうでもよくなっているところに、いいか悪いかは別として何らかの対決を持ち込むとすれば、共同体間における文化的なレベルでの対決になってしまうわけで、それはいわゆる戦争のようなものにはなり得ないだろう。極端な実例を挙げるとすれば、大阪と東京とではどっちのうどんの方が美味いか、みたいな対決か。その際、都道府県の枠組みが問題になっているわけではない。

そういう考え方をすれば、サッカーの技術的な部分に興味がない限り、ワールドカップを楽しめるはずはない。失礼な喩えかも知れないが、うどんなんてどこで何を食っても一緒だと思っている人に、東西のうどんの味を比べる意味が分からないとのと同じことだと言えよう。わたしは、どこのサッカー選手が上手いプレイをしようが興味はないので、外国の選手と比較して日本のサッカー選手が能力的に優れているかどうかを白黒つけたいとは思わないし、単に日本代表だから応援しておこうとも思わないわけだ。まあ、それでもいちいち泣いたり叫んだりする心理は良く分からないけれど。



お断り
2002年6月27日(木曜日) 雨

http://www.advanced.ws.co.jp ですか?。この看板によると、ここの会社は ws.co.jp なんていうドメイン名を使っていることになるのだが、これを見たとき、いつから日本で三文字未満の第三レベルドメイン名が解禁になったんだと思って慌てて調べてしまった。jp に限れば、これは3文字以上63文字以下でなければならないとの規定があるので、ws.co.jp というドメインは存在し得ないのである。もちろん、ws.co.jp は実在しない。恐らくは、http://www.advanced-ws.co.jp と書くつもりだったのがケアレスミスでこうなってしまったのだろうが、あり得ないドメイン名とともに「ネットワーク構築」なんていう看板を上げているのを見てしまったら、つい遠慮会釈なく晒し者にしたくなるのが人情というもの。

勤め先の事務所には下らん訪問販売がしょっちゅうやって来て鬱陶しいので、「訪問販売お断り」というシールを作って、呼び鈴のボタンの横に貼ってみることにした。が、あまり効果はないようで、わたしが出かけているとき、今日も何かの物売りが尋ねてきたそうだ。うちみたいに小さな会社だと受付嬢がいるわけもないので、誰かが本来の仕事を中断して対応することになる。暇なときなら許せるとしても、取り込み中の売り込みは迷惑きわまりない。手が離せないときは取り敢えず遠くから返事だけして待たせておくのだが、すると待ちきれないのか、断りもせずズカズカと入ってくる失礼なヤツもいる。まあ、訪問販売という仕事は、「お断り」シールを無視し、無理にでも話をするところから始まるものなのかも知れないが、その強引さと、こちらの険悪さ比例する。

「てめぇ、表のシールが見えねえのかよ

対応に出た同僚は、本職も顔負けの凄みを利かせながら、いきなりそんなことを言ったらしい。その言葉を聞いた上司は、すかさず、

「まあまあ・・。日本語はちゃんと読もうね

と、事務所の中から玄関に向かって、宥めるような口調で言ったそうだ。その途端、販売員は逃げるようにして帰っていったという。

その顛末を聞いたわたしは、思わず「それって、ヤクザか何かの事務所と間違えられたんじゃないの?」と聞き返してしまった。若いのが、出てくるなり血の気の多そうな対応をしているところに、ちょっと貫禄のある声で制止の指示が入り、お前もとっとと帰った方が良いぞと示唆するのは、いかにもありがちなヤクザ屋さんのスタイルだ。もちろん、現実のヤクザ屋さんがみんなそうだというわけではないが、テレビなんかの影響で、こういう対応だとそう思ってしまう人はいるはずである。別に、趣味の悪い調度品が置いてあったりするわけではないのだが、外から一見しただけでは何をしている事務所なのか分からないから、なおさらだろう。いや、打ち合わせたかのようにこんな対応ができるという時点で、少なくとも完全にカタギであるとは言えない気もするが。



効率
2002年6月26日(水曜日) 雨

お茶の水大学ドメインで運営されていた「水商売ウォッチング」というサイトがいつのまにか見られなくなっていると思ったら、クレーム処理が拗れたりした結果、追い出されてしまったのだそうだ。現在は大阪大学に移転して復活されているが、大学などに置いてあるサイトだと卒業などに伴って消滅することはよくあり、そういうことなのかなと勝手に想像しながら、非常に残念に思っていたところだった。要するに、怪しげな原理で水を改質するというすごい浄水器らしきものを科学的に追求するところなのだが、その性質上、そういう浄水器らしきものを生業としている企業に目を付けられてしまうのは宿命的だし、ゆえに大学当局としても保身的な対応をせざるをえなかったのかな。

混み合う駅の券売機で並んでいて、自分の番になってから財布を出しているようなヤツがいると、そいつの効率に対する意識を疑ってしまう。財布を出すのに10秒、現金を用意するのに10秒、切符を買うのに10秒かかるとすると、列に並んでいる間に財布を出しておき、必要と思われる額の現金を予め手に取っておけば、都合30秒かかる動作が10秒にまで短縮され、20秒も節約できるのだ。混んでいるときなら、それだけで列の待ち時間が1分ぐらい変わってくることもあるんじゃないだろうか。駅の中も、チンタラ歩いているヤツばかりだから、人を避けることだけは上手くなった気がする。大きい駅なら、乗り換えやらで100メートルは歩くだろう。駅構内の徒歩速度が分速60メートルだとすると、一割速く歩くだけで、徒歩100メートルあたり約9秒の時間が節約できるのだ。

人生そうせかせかせずに、少しぐらいの無駄は容認しても良いんじゃないかと言われることも多いが、それは僅かな効率の重みを理解しない人の発言である。効率1%が変わるということは、損失も1%変わるということなのである。その1%の重みとは、たとえばこういうことだ。リットルあたり15キロ走る自動車が一年で1万キロ動くとすると、燃費が1%よくなれば、年間で6リットルの燃料が節約できる。たった一台だけでは僅かかも知れないが、一万台がそうなれば年間で6万リットルも違ってくるのだ。6万リットルの燃料が無駄になっていたと考えれば、本当に勿体ないお化けがでてしまいそうな話である。電力消費量を1%減らすための飽きなき努力、燃費1%向上への遙かなる挑戦、――そんなケチ臭い奴らこそが地球環境の救世主なのだ。よって、わたしのイラチは正当化されたはず・・・かな?



ジャンク
2002年6月23日(日曜日) くもり/小雨

第三京浜の都筑パーキングエリアに立ち寄ったら、一見して自衛隊だと分かる、何の飾り気もないオリーブドラブ色のトラックが入ってきた。大型車用の駐車場に止まると、作業服に半長靴という、これまた一見してそれと分かるスタイルの隊員らがわらわらと降りてきて、トラックの周りでタバコを吹かしたりしている。すごく律儀だなと思ったのは、わずか数分の停車で、運転手がすぐ近くで待機しているにも関わらず、わざわざタイヤに輪留めをはめていたことだ。輪留めは分かるとしても、官公庁関係の車の乗り方には、独特の規則があるようだ。横浜市の消防車は右左折をする際、乗員総出で窓から頭と腕を出して右左折の合図と安全確認をしているが、あれも見ているとやや大げさというか何となく滑稽な感じである。安全に気を遣うのは良いことだが。

裏の仕事で必要になった物資を買いに、秋葉原へ。多芯の電線が必要になったのだが、試作段階では、取り敢えず何でも良いのだ。だから、そこで電線を売っている店へ行こうと考えるのが電気屋のいけないところかも知れない。むしろ、ジャンクも扱っているようなパソコンショップへ行った方が、そこそこ良質な電線が安価で手に入る。マッキントッシュの RS-232C用と思しき新品のケーブルが20円なり、両端のコネクタをちょん切れば、立派な 9芯の電線のできあがりである。これがあるから、どこでどんなものが売られているのかというジャンク屋の基礎知識は常にアップデートしておく必要がある。けれど、その過程で何となく興味を持ってしまい買ってしまった、捨てるに捨てられないジャンク品の山は、どうするべきなんだか。



少林サッカー
2002年6月22日(土曜日) くもり/小雨

少林サッカーを観る。はっきり言って、これはマジで笑えた。少林拳法を用いてサッカーをやるという設定から、かなり無茶なものであることは想像していたのだけれど、ボールは炎に包まれ、選手は吹き飛び、必殺シュートでは芝生が捲れ上がってゴールは木っ端微塵、というようなことが次から次へと出てくる。キャプテン翼とドラゴンボールの天下一武道会を足して二で割った感じというと分かりやすいだろうか。バカバカしいと分かってはいるけれど、ここまでのことを素でやってくれると、笑うしかない。なんだか意味不明なところも随所にあるのだけれど、ドタバタがメインだからあまり気にならない。少年ジャンプあたりを読みながら育った、ハチャメチャ系がお好きな方にはすごくお勧めの一本。

ふと思い出したのだが、気絶した人間というのはすごく持ちにくかった。身体中の筋肉が弛緩するためか身体の形状を維持しようとする力は働かず、四肢もだらんと垂れ下がるので、50kgそこそこもある巨大な軟体動物を持ち上げるのとさして変わらない。担がれる人間の背を片方の腕で支え、他方の腕で足を支えるというスタイルで担いでも、腕と腕の隙間からタコのようにするすると滑り落ちてくるので、気が気でなかったような記憶がある。寝ている人でさえ、担がれたり負われたりすると、無意識のうちにしがみついてきたりしてそのための体勢を整えてくれるようだ。これがあるのとないのとでは、担ぐ側の労力は大きく変わるのだなと思ったりした。

ビニール傘の話で、雨天のテレビ中継でレポータが透明のビニール傘を使うのは、背景が透けて見えた方が撮影する上で都合が良いからではないかと書いたが、「あれは顔が暗くなるからだ」というご指摘をいただく。なるほど、確かに真っ黒の傘なんぞ使ったら顔のあたりは真っ暗で印象が悪くなってしまうかも。そういう意味でも、ビニール傘が最適らしい。



INS1500
2002年6月19日(水曜日) 晴れ

アナログやISDNによるダイヤルアップ接続が時代遅れになった結果、某ISPの着信回線として使っていたINS1500が余って余ってしょうがない。どこでも似たような状況のようで、INS1500の加入者数はどんどん減っているようだ。メールの送受信をするだけとか、短時間の利用が中心の方には、いまでもダイヤルアップがもっとも安価かつ手軽であるようなので需要がゼロになっているわけではないのだけれど、ヘビーユーザが別な接続手段を使うようになったのが大きい。そんなわけで、使わなくなったDSUとか光ファイバの撤去作業をとっととやらないといけないのだが、多いときは一ヶ月のうちに数本のペースでINS1500を増設していたため、やたらと大量にあり、面倒くさくて放ってあったり・・・。

INS1500の電話加入権とDSUが欲しいという方いませんか? いいか悪いかはともかく、ワン切り屋といった怪しげな電話ビジネスの開業をお考えの方には最適かと。

久々の晴れ間。夕焼けが綺麗だった。



ビニール傘
2002年6月18日(火曜日) 雨

雨の日のテレビ中継で、レポータが使っている傘を思い出してみよう。どういうわけか、これは安っぽいビニール傘がほとんどなのだ。突然の雨が降ってきたときに、傘を持っていない人が非常用として駅のキオスクとかコンビニで買ったりする、透明のやつである。ただでさえ、レポータはファッショナブルな服を着ている。もっと上品な傘ぐらいいくらでもあるだろうに、なぜ敢えてビニール傘を使うのかを考えてみると、レポータの傘で背景が隠れてしまうと、テレビ中継を行う上で具合が悪いからじゃないかと思った。その点、透明で景色が透けて見えるビニール傘ならこれが問題にならない。

実は、傘をどこかに置き忘れてきてしまい、新しいのを買うのも面倒なので、いつぞやに買ったボロっちいビニール傘を大事に使い続けているのだけれど、使ってみると周囲が透けて見える透明な傘は安全でよろしい。今日みたいに比較的激しい雨が降っていて、頭まで傘を被っていても、視界が遮られることがないからだ。雨の日にどんくさい自転車なんかがふらふらとやってきて、傘でお互いに前をちゃんと見ていないから、ぼやっと歩いていたら突っ込まれそうなった経験をお持ちの方もいるだろう。そもそも傘を差しながら自転車に乗ってはいけないことになっているのだが、それはおいといて、互いに透明の傘を使っていればこういう事故は防げるかも知れない。

テンポラリ使用を想定したビニール傘でもそこそこ丈夫にできているので、ガキみたいに振り回したりしなければ一年か二年は使えそうだし、傘なんて雨がしのげれば何でも良いので別にビニール傘を日頃から使うことには抵抗を感じないのだが、いかんせん小さくて大雨のときにはちょっと厳しい。実用本位の安全な傘というものを考えると、直径がそれなりに大きくて土砂降りにも対応し、透明で視界がよく、撥水性がよく、開けやすく、軽くて丈夫に作られており、グリップは濡れても滑らず握りやすい、というところかな。残念ながら、世にある傘のほとんどはこの条件を満たさない。格好だけで使えない傘ならいくらでもあるけれど、みなさんそんなヘボい傘で満足ですか?




2002年6月17日(月曜日) 曇り

最近、近所では電柱にも NTTの光ケーブルが張り巡らせる工事が行われ、ほとんどの路地で従来からあるメタルの電話ケーブルとともに、光ケーブルも見られるようになった。この地域では、地下を通る光ケーブル幹線は何年も前から敷設されていたのだが、地下から地上に上がってくるケーブルや、柱上のケーブルは準備されていなかったのだ。このため、新たに光ケーブルを引き込もうとすると加入者ごとに地下から引き上げてくる工事をしなければならず、道路の真ん中にあるマンホールを開けるために道路使用許可を取るところから始まって、洞道から近くの電柱まで新たな加入者光ケーブル(略して「加光」という)を上げ、さらに建物へ引き込んだりという具合の、かなり大がかりな工事が必要だった。当然、こんなことをやっていたら開通までに数ヶ月はかかる。

いままでは、光ケーブルを引き込もうというところがそうたくさんあったわけでもなく、その都度工事した方がむしろ効率的であったのかも知れないが、NTTで言えばBフレッツといった光を使うサービスが出てきて個人宅にも光ケーブルを引き込むことが一般的になってきた結果、そんなこともしていられなくなったのだろう。取り敢えず電柱まで光ケーブルが上がってきていれば、あとは柱上のクロージャから一条の加入者光ケーブルを引き込むだけで済む。戸建てにお住いの方は問題ないと思うが、むしろいまは通信事業者の光ケーブルは引き込めても、建物の配管に通せなくて困る場合の方が多いのではないだろうか。以前は「地下までは来ているのに・・」という感じで、それ以前の問題だったのだが。

NTTはまだ恵まれている方で、それ以外の通信事業者のケーブルを引き込もうとするともっと大変な騒ぎになる。NTTの場合は、少なくとも地下には既にかなりの光ケーブルが敷設されているうえ、各地の一等地に比較的多数の交換局を持っているので、新たにケーブルを敷設する場合でもその延長は極端には長くならない。対して、あまり多くの交換局や洞道を持たない新興の通信事業者だと、場所によってはえらい遠くから延々と、ケーブルを電柱に引くことになる(例えば以前に引き込んだ TTnetの光ケーブルは保土ヶ谷から何kmも引っ張った)。ケーブルは道路を何本も横断しながらやってくるわけだから、道路占用許可もいる。相手は役所だからその手続きが完了するまでにもそれなりの期間を要し、それからケーブルの施工なんてやっていると、開通までに半年は堅い。

光が来ると、あとは何をするでも局側の工事だけで済むので楽なのだが。



ごみは軽い
2002年6月16日(日曜日) 曇り

ランドマークタワーの約12杯分です。横浜市の広報誌から。

「東京ドーム○杯分です」みたいな表現はよく見るけれど、「ランドマークタワー」とはまたユニークな書き方だ。横浜市としては、なるべく横浜にあるものを引き合いに出したかったのだろうが、それ以上に、意地でも東京と名の付くものは使いたくなかったのかも知れない。横浜に来てからこんなことを感じることがある――中途半端に東京から離れていない地理的条件から、ほかの地方から見れば、横浜も「東京」に包括されがちである。それゆえ横浜市民は、東京に対して常に微妙な対抗心を抱いているのか、「これから東京へお帰りですか」なんて言われると、つい反射的に「いえ、横浜です」と、長旅を労う言葉に感謝するよりも先に、やや突っ慳貪な口調で訂正してしまうのだろう。

それはともかく、166万トンのごみ=ランドマークタワー約12杯分という計算は、一体どういう根拠ではじき出されたのだろう。ランドマークタワーやら東京ドームが出てくる場合には、とにかく「すごい量なんだ」ということが伝われば細かいことはどうでも良いのだろうが、そもそも質量の単位である「トン」を、容積の単位である「杯分」で表している時点で変なのだ。ランドマークタワーの正確な容積は知らないが、神奈川県のサイトでダイオキシンを解説しているページには、ランドマークタワーに水を満たすと100万トンになるという記述があるので、これから逆算すると概ね100万立方メートルと考えることができる(水の密度≒1000kg/m3)。

この12杯分、すなわち1200万立方メートルの箱が166万トンのごみできっちりと満たされるというわけだから、換算比は、1トンあたり7.2立方メートルほど。これは意外と軽い。一辺が1メートルの、言うなればテレビが入ってくるぐらいの段ボール箱に思いっきり詰め込んでも、143キログラムほどにしかならないのだ。このいい加減な計算から、横浜市のごみ問題の本質は、排出されるごみは嵩ばっかりで軽すぎることであると考えられる。つまり、横浜市民が一致団結して「ウラン (≒19,000g/m3)並に重たいごみ」を出すだけで、横浜市のごみ問題は解決するのだ。仮にすべてのごみがウランに置き換わったとすれば、同じ質量のごみが排出されても、約8.7万立方メートル、すなわち、ランドマークタワー0.087杯分で済んでしまう。

あくまでランドマークタワーを基準にすればそうなるというだけだが。



小さなデジカメ
2002年6月14日(金曜日) 曇り

銀河の港。みなとみらいにて。

いま使っているデジカメ、ニコンの Coolpix E990 を買ってからそろそろ二年になる。そろそろ、新しいデジカメが欲しいなと思ったりしたのだけれど、改めて考えてみると E990 で具体的な不満を感じているわけでもないのだ。ローエンドはイヤだし、いまはもっと良いのがあるのも事実である。でも、上を見だすとキリがない。そういう意味では、多少時代遅れではあるが、こいつはちょうど良いぐらいだと今でも思えるのだ。もし、新しいのを買うのであれば、発想を思いっきり変えてみて、敢えて機能を削ったデジカメを買ってみるのも面白いと思う。E990 の欠点を挙げるとすれば、それはデカくて重いこと。だから、どうしても「よし持っていこう」という感じになってしまう。ちょっとしたお出かけに持っていくのに適したカメラだとは言い難いものだ。

それを考えると、カシオの Exilm なんか、商品コンセプトとしては非常に良い気がしてきた。カードサイズと言えるほど薄くて軽いボディや、スタンドに置けば充電が開始されるという作りは、まさに常日頃から持ち歩く携帯電話の発想そのものだ。内蔵のフラッシュメモリは小さく、それだけでは何十枚しか撮影できないが、ちょっとしたお出かけ用として考えれば十分だろう。専用のバッテリを使うデジカメは、汎用性がなくて敬遠していた。単三が使えないと、出先で電池がなくなったら大変である。だが、これも電池がなくなるまで使う種類のデジカメではないのだと思えば、気にすることはない。出かけた折りに面白いものがあったらテキトーに撮ることが目的なら、カメラとしてのクオリティは二の次でも良い。

しかし、クオリティが三の次ぐらいになってくると、ちょっと考えてしまう。店頭で見られるデジカメのなかでは最小と言っていい Che-ez! SPYZ も、初めてみたときは何となく欲しいなと思ったが、かなり割り切った仕様であるため、普通の写真を撮影する用途のカメラとして使うと、あとから不満が出てくる気がする。もちろん、商品コンセプトは理解できるので、Che-ez! SPYZ が悪いと言いたいのではない。商品開発者の意図とは違うと思うけれど、幅60mm、高さ38.6mm という寸法なら、変わったところに押し込める大きさでもある。アイデア次第で、普段は撮影できないところから撮影するカメラとして使えるのではないだろうか(盗撮とかそういうのじゃなくて)。



音引き
2002年6月13日(木曜日) 雨/曇り

多事毒論においては、たとえば「コンピューター」は「コンピュータ」と表記するなど、カタカナ三文字以上の外来語は原則として末尾の音引きを省略しているのだけれど、中には、音引きが省略されると違和感のありすぎる言葉もある。最近使った言葉を例に挙げれば、「サッカー」。さすがに「サッカ」と表記することには抵抗があったので、こいつは例外扱いとした。一般的な傾向として、日常的に使われている言葉の方が、変な感じになってしまうようだ。「サイダー」とか「トースター」も、原則的にはそれぞれ「サイダ」「トースタ」と表記することになるのだが、普段は末尾をはっきりと伸ばして読んでいるためか、こう書くと「ケツが詰まった」感じになることは否めない。

電子・情報系などの技術文章は大抵のものがこの原則に従っているので、そうしたものを普段から読まれている方なら、あまり違和感は感じないと思う。初めてそういう文を目にしたときは変だと感じていても、そのうち感覚が麻痺してきて、あまり深く考えずに受け入れられるようになるのだろう。だから、音引きを省略することが当たり前である専門用語は良い。ほとんど日常用語化してしまった言葉でも、元が専門用語だった言葉では、たとえば「ルータ」とか「コンピュータ」のように、音引きが省略された表記の方が普通に使われるようになる場合も多いようだ。もっとも、実際のところ、普通の文章では統一されているとは言い難いのだが(たとえば新聞では混在している)。

なぜ技術文章だけが、多少の無理を押し通してでも末尾の音引きを省略するのかは、よくわからない。その方が同じ言葉を簡潔に表記できるからとも聞いたことがあるのだが、どちらかといえばこれといった理由があるわけではなく、昔からの慣例でそうしているからいまもそうしているという感じなのだと思う。多事毒論の場合は、検索の容易にするという理由から、慣例に従って末尾の音引きは省略する方向で統一している。しかし、ただ単に完全統一を図るためだけに違和感だらけの文章を積極的に作る気はない。末尾の音引きを省略すると極端な違和感を感じる言葉は除外しているので、「サッカー」は長音は省略していないというわけだ。かえってややこしくなっているとも言えるのだけど。

判断に迷うものもある。最近ここに何度か登場している「ニキシ管」は、電子デバイスの名称だから技術用語といえば技術用語なので「ニキシー」とは書かなかったが、一般的には長音を省略せず「ニキシー管」と表記することの方が多いようなので、これはちょっと苦しい気もする。どちらが良いのかなと思っていたら、原語の "Nixie" を「ニキシー」ではなく「ニクシー」と読むこともあるようで、高耐圧トランジスタを探していたとき、東芝の 2SC2551 のデータシートで「ニクシー管」という表記を発見した。確かに、 "Nixie" の発音は「キ」とも「ク」ともつかない感じの読みなので、どちらも正しいと言える。一般的表記が確立されていない、マイナーな外来語だと、そもそもどんな読みで統一するのかすら難しい。

表記はなるべく統一し、かつ世間の慣例に合わせることを目標としているのだが、簡単なことではない。



時効
2002年6月12日(水曜日) くもり/雨

テレビの「オフレコ!」という番組で、時効まで逃げ続けようとする殺人犯の話を取り上げていた。国外逃亡などによる時効の停止がなければ、殺人の公訴時効は15年で成立する。人を殺して、15年間も逃げ続けるのはどんな気持ちなんだろうか。人を殺したという罪の重さに良心の呵責を感じるかどうかは人それぞれだし、動機や事情にもよるだろうが、少なくとも気持ちの良いことではなかろう。それに、捕まるかも知れない、指名手配犯だとバレて通報されるかも知れないと、日々何かに恐れながら肩身の狭い逃亡生活を送るとなると、相当な覚悟と執念、それに狡猾さが求められるはずである。普通の人なら、それなりに苦しむことになるだろう。

それを考えると、潔く出頭して罪を清算した方が合理的だと言える。死刑が確実視されるのなら逃げる価値はあるかも知れないが、被害者が一人で初犯なら、最低で7〜8年ほど喰らうと見積もればいいようだ。犯行後は速やかに自首し、公判では「深い反省と後悔」をアピールしてできるだけ短い刑期の判決が出るように努力する。服役中は真面目にお勤めを果たし、模範囚として仮出獄を勝ち取れば、時効が成立する15年よりも遙かに短い期間で事件に終止符が打たれる。無期懲役でも一般的に15〜20年で出てこられることを考えると、期間的には時効とさほど変わらないのだ。あまりに打算的だ、と言われればその通りだけれど、逃げ通されて寝覚めの悪い思いをするよりはまだ良いのでは?

ドラマなんかで、よく時計を見ながら時効の「秒読み」をするシーンがあるけれど、いわゆる「時効」というのは公訴時効、つまり起訴のタイムリミットなので、時効寸前まで神経を尖らせておく必要はないと思う。時効が成立するまでに被疑者を起訴しなければならないわけだから、時効の数分前に逮捕したところで現実問題として起訴は不可能だ。逮捕はしたけれど、起訴する前に時効が成立した、なんていう無様なケースが実際にあるのかどうかは知らないけれど。



コメントできない
2002年6月11日(火曜日) はれ

よく分からないのだけど、サッカーの「サポータ」って、単なる「観客」あるいは「ファン」とは違うの?

誰かがどこかを訴えたことが新聞などに載るとき、被告となった側からは、判で押したかのように「訴状を見ていないのでコメントできない」というコメントが出てくる。「取材に応じる気はないから帰れ」との意思表示も多数あるのだろうが、実際に訴状を見ていないのでコメントしようにもコメントできないという、額面通りのケースもあるんじゃないかな。原告側が「提訴した」と発表したその日に被告側へ取材に行っても、訴状の副本が当日に届くわけはないのだから、「見ていない」と言うしかなかろう。そんな場合、小さな事案でも「では頃合いを見計らってもう一度」と、再びコメントを聞きに行ったりするんだろうか。でも、「○月△日に□□が××を告訴した件について、××が訴状を見たので改めてコメントを掲載します」なんて記事は見たことがない。両者の言い分を取材することになっているから、とりあえず話だけは聞いておいたよみたいな、ちょっと無責任な取材が「訴状を見ていないのでコメントできない」を頻発させているんだろうか。

これを書いているのは23時ごろ。小雨の混じる強風が吹き付ける暗闇のなか、何軒か隣のビルで引っ越しらしき作業が行われている。トラックはボロっちい 2トンぐらいのやつで、社名などの記載はなく、めちゃくちゃ怪しいのだ。自分でトラックを借りて、たまたま時間の都合で夜間に引っ越し作業をしているだけだと思いたいのだけれど、いわゆる夜逃げってやつは、この近辺で何度か発生している。例として、わたしが入居しているビルの別なフロアにある部屋のドアには、荒い文字で書き殴られた、明らかにそれと分かる張り紙が数ヶ月間も貼り付けられていた。「○○様お元気でしょうか。連絡がなく心配しております――」というような内容だ。そのうち電気やガスの督促が郵便ポストから溢れるようになり、ドアの様相がほぼ「完熟状態」になったころ、ようやく管理会社が部屋の整理にやってきた。だいたい想像は付くが、部屋の中は、手が付けられないほど汚かったとのこと。




2002年6月10日(月曜日) はれ

ニッポンが良い案配になっていたらしく、外から激しい歓声が聞こえまくるなか、会社で一人淋しく障害対応。一段落ついたら明け方だった。テレビ中継の最高視聴率は 81.9%だというし、サッカーの試合が気になってインターネットどころじゃない日に障害が起きたのは不幸中の幸いかと思ったりしたが、そんなことはなかったようだ。サッカーに興味がないから Webでも見ながら過ごそうとか、ネットで実況生語り合いしようとか、楽しみ方は色々のようで。しかし、負けた方はすごいなあ。くわばらくわばら。



レンタパトカー
2002年6月8日(土曜日) はれ

みなとみらいを警備している警察車両の中に「わ」ナンバーの車を発見。長期的なイベント警備で、車が足りなくなったためだろうか、警察もレンタカーを活用しているようだ。ごく普通のタウンエースみたいなやつに、マグネットの赤色灯を乗っけただけの即席パトカーなので、それがなければ一般の車両とはまず見分けがつかない完璧な覆面PCと言えよう。あんなもので速度取り締まりとかされたらちょっとやだな。ぜんぜん関係ないが、覆面PCに注意しながら飛ばしまくっても、出口が混んでたら一緒やないの、第三京浜の川崎出口。どうにかならんのか、あそこだけは。

あー、ネタがない。




2002年6月7日(金曜日) はれ

ワールドカップチケットの電話受付が行われたせいで、ドコモにおいては首都圏で比較的大規模な輻輳が発生したとか。これからも分かるように、ワールドカップにやたらと燃えている人も多いようだが、サッカーの試合ごときでなぜそこまで熱くなれるのか、わたしにはまったく理解できない。もちろん、それは個人の趣味の問題だから、悪いとは思わないが、知りたいのだ。チケット入手などに過大な労力を注ぎ込み、大袈裟に騒ぎ立てるに値するほどの「何か」があるものなんだろうか。ごく一部とはいえ、納得がいかなければ暴力や破壊行為へ至る輩も現にいるが、そこまでしなければならないものなんだろうか。わたしからみると、あまりに合理性を欠いていて、やれと言われても絶対にできないことなのだ。

そりゃまあ、わたしだって客観的に見ればまったく合理的でないこともたくさんしている。たとえばニキシ管のような時代遅れのデバイスをわざわざ入手することにどれだけの合理性があるのかと問われれば、確かに何の合理性もない。けれど、入手のためにありとあらゆる手段を尽くすつもりはなかったし、一本10万円もしたならば絶対に買っていなかっただろう。たまたま、Yahoo! Auctions を見ていたらたまたま手頃な値段で売りに出されていたから買っただけだ。たぶん、どこかで森羅万象の価値というものを冷徹に計算している節があって、それを超すことは本能的にできないように作られた人間なのだと思う。

それはそれで、悲しいなと思うことはあるけどね。どうでもいいことで、わ〜と騒ぐのも悪くはないのかな。たまには。



FF
2002年6月5日(水曜日) はれ/にわか雨

電柱に張り付くニセ警察官。ほんとにアホみたいなものだけれど、こんなものでも暗闇でライトに反射すると、何となく警察官が立っているように見えてしまうことがあるから不思議なものだ。だれが考えたのかは知らないが、シンプルながら上手に作ってあるとは思う。ただ、付近にあるすべての電柱にこれを貼り付けてあるところがあるのだが、そんなにいっぱいあると、ニセモノってことがバレバレ。しかも、いまどきこんな格好をした警察官なんていないぞ。

いまさらながらの映画批評、「FINAL FANTASY」を観た。ゲームの方はよく売れているからと、調子に乗って映画化したら大コケしたという曰く付きの作品である。それもそのはず、あるいは20年も昔ならば、終末近未来を舞台にした電波系SFというジャンルも何らかの形で支持されることはあったかも知れないが、いまどき、地球外生命体の飛来によって人類が滅亡の危機に瀕している西暦2065年の世界という、何のリアリティもない設定など流行るわけがない。おまけに、ガイアやら何やらといった危なげなニューエイジ思想がこれでもかというほど出てくれば、さすがに付いていけない。これでいて物語に入り込めるほどの緊張感もないのだから、誰が最後まで観ようと思うだろうか。

ニューエイジなものを映像で表現しているこの作品に限れば、全編をCGで作ったのは正解だろうが、「豪華フルCG」が宣伝文句になっている作品は、ほとんどがコケるという法則があるように思う。セル画みたいなアニメーションならば、それはそれと割り切れるが、CGが作り出す7割か8割ほどの中途半端なホンモノ度では、何となく気色の悪いリアルすぎる人形が動き出したような感じで、生理的に受け入れ難い感じもする。仮にそういう視覚的な問題がクリアされても、撮影現場の不在というものは、微妙な善し悪しに影響しないのだろうか。コンテには現れない計算外の要素も含めてフィルムに収めるのと、忠実に映像化するのとでは、ちょっと違ったものになるだろう。アニメーションにCGが使われると感じる、そこはかとない違和感は、この四角四面さによるものなのかなあ。

まあ、いまどき「豪華フルCG」なんて宣伝文句は明らかに詐欺だ。チープなアニメにCGが多用されるようになってからは、「フル手書き」の方が断然豪華に聞こえるのだが。



インサイダー
2002年6月4日(火曜日) はれ

本日夕刻――このときほど、日本国内にあるテレビ受像器の多くがサッカーの試合を写した瞬間はないのかも知れないが、そんなものにまったく興味のないわたしのところでは、巷の動向に真っ向から背くかのごとくビデオが回っていた。いまさらながら観たのは、映画「インサイダー」。巨大企業であるタバコ会社の虚偽を内部告発で明るみに出そうとするも、様々な妨害を受けて思い悩む元役員の心情と、告発の場を提供しつつ、告発者の地位を守ろうと奔走する特報番組のプロデューサの活動といったものを描いたドキュメンタリだ。「良心」と「圧力」の狭間に起きる苦悩を題材にした心理描写の固まりみたいな映画で、電話で喋ったりするだけのシーンが多いのに、サスペンスタッチの映像を巧妙に使って緊張感を途切れさせないテクニックは見事。おすすめ。

タバコと言えば、近所で「歩きたばこ横断あり」の標識を発見。ところで、横断歩道の標識にはダンディな感じのオジサマが渡っているタイプと、しょんべん臭い感じのガキどもが渡っているタイプと二種類あるけれど、聞くところによると、実際にガキどもが多い横断歩道にはガキバージョンを設置し、そうでないところはオジサマバージョンを設置するという使い分けがあるらしい。しかし、同じ交差点で両方のタイプが混在設置されていたりする例も目撃するので、あんまり関係ないのかな。飲み屋街の真ん中なので、小学生が多く道路を渡っているとは考えにくいのだが。



液体窒素なトラック
2002年6月3日(月曜日) やや曇り/はれ

環八を走っていたら、変わったトラックが横に並んだ。車体はごくありふれた10トンぐらいの四軸低床なのだが、普通は燃料タンクが取り付けられているシャーシの横の部分に、形も大きさも燃料タンクとほぼ同じの液体窒素のタンクが取り付けられていたのだ(下手な絵でごめん)。ほほー、これは凄い。最近は、軽油の代わりに液体窒素でトラックが走るんかい――なんて話も、まったくあり得ないことではないのだが、そうではなかろう。調べてみると、普通の冷凍機では冷え切らないぐらい強烈な冷凍車(マイナス60度みたいなの)には、液体窒素を寒剤に使うものがあるらしい。あのタンクだと100リットルほどだと思うが、液体窒素って、やっぱり強烈なのねえ。

トラックというと、バックするときに「ぴーぴーぴー」という警報音が鳴るものが多いが、あの程度のアピール度ではいまいち迫力が足りないと感じる方は非常に多いかと思う。そんなあなたのために、迷惑になるほどの強烈な大音量で鳴るバックアップアラームがあることをご存じだろうか。本来は大型の建機などに使うものらしく、工事現場のような騒音の多いところでも確実に聞こえるようにと大音量になっているわけだが、乗用車に取り付ければ、バックにハクが付くこと請け合いだ。誰もが注目しつつ、思わず耳を塞ぎたくなるような警報音で、何だか知らないけどスゴいヤツがバックしてくるよ〜と、存在感はバリバリ。目立ちたがり屋さんにはピッタリである。

ただ、一歩間違うと「ヘタですよ」の宣伝カーになってしまうから要注意。試しに付けてみたら? と言われたが、縦列駐車がどうも一発で決まらないわたしにはちょっと・・・



突撃実験室