多事毒論(2002年5月分)


老化?
2002年5月31日(金曜日) くもり時々やや晴れ

ちょっと自転車で走りに行くかと思い、仕事が終わってからみなとみらいの方へ行ってみたら、横浜市民の一割ほどが警察官をやっているのではないかと誤解してしまうぐらいの物々しさにビビる。交差点という交差点にポリさんが立っているうえ、徒歩で周囲をパトロールするポリさんも数知れず。足場パイプで組まれた櫓のようなものも一月ほど前からできており、まるで街全体が監視されているかのようだ。この厳戒態勢の中では、どうも気持ちよく走ったという感じがしないので、ふらっと一周しただけで帰った。別に悪いことはしていないし、何もないはずなのだが、走りにきて職質か何かで非自発的に停止することほど不愉快なことはない。その辺を普通に警邏している白チャリなら撒いたことはあるけれど、今日ほど激しいとさすがに逃げきれる自信はない。

わたしは顔や名前の覚えが極端に悪いので、いつも困ってしまう。一度に複数の方と会うと、別れた直後にはどの名刺が誰のものだったか分からなくなってしまうので「誰が担当でしたっけ」なんていう恥ずかしい電話をかける羽目になったことも幾度か。電話で相手の名前を聞くときも、電話を切るころには失念しているので、わたしの場合は聞きながらメモらないのだ。近所で「どうも」なんて声をかけられても、どこの誰だか思い出せない。「どなたですか」というようなリアクションを見せるのも失礼なので、なんとか話を合わせながら無理にでも思い出そうとするのだが、出てこないものは出てこない。滅多に会わない人ならともかく、よく行くお見せの人だったりするので、どこまで忘れっぽいんだと強く思い悩むことになる。

人よりも記憶力が劣っていることは昔から認識していたけれど、ここまで酷くなったのは数年前からだ。それまで予定を忘れることなどあり得なかったから、手帳やカレンダなんて使ったことがなかったが、いまはきちんと書いておかないと絶対に忘れる。爾後も、いつ誰とどこで自分が何をし、どんな話をしたのかもすべて覚えていたから、お前には下手なことは言えないと言われるぐらいだったが、いまはそこまで鮮明には覚えられない。ほかにも、忘れっぽくなったと認識することは山のようにある。これが「老化」ってやつだろうか。この先まだ何十年もあるというのに、こんなハイペースで脳が壊れていくようでは、どうなることやら想像するだけで恐ろしい・・。



立憲君主制
2002年5月30日(木曜日) だいたい曇り

CIA The World Factbook 2001 にある Japan の情報で、Government type の項が "constitutional monarchy with a parliamentary government"(議会付き立憲君主制)とされていることには何となく目から鱗だった。思想が極端に右傾化していなければ、日本に住んでいて「立憲君主制」の部分を意識することはあまりないと思う。日本の政治システムが何であるかと問われれば、「議院内閣制」と答えるのが普通だろう。けれども、その権能が憲法で制限されている天皇がおられ、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるとは言っても、もちろん歩く銅像のような象徴に徹することだけが仕事ではない。したがって、形式的に分類するならば確かに「立憲君主制」になるし、外国から見れば、日本の元首は内閣総理大臣ではなく、天皇であるのだろう。明確な線引きがあるわけでもないようだが。



ローマ字
2002年5月29日(水曜日) 微妙に晴れ/何となく曇り

八王子の日。えー、八王子の某社の社員が当サイトのコンテンツを閲覧することは厳禁となっております。社内ネットワークから見るなど以ての外。ブックマークおよびお気に入りへの登録といった行為も厳しく取り締まっておりますので、万が一発覚すれば、原因不明のディスククラッシュが発生することになるかも知れません。当然のことながら、いわゆるファン行為なんて論外。なのに、サインが欲しいなんて言ったのは本当ですか、○田さん。弘法大師ですら恐れおののく達筆さゆえ、自筆の文字だけは絶対に晒せないと思っていたのですが、とうとうやってしまいました。家宝にしてください、というか、する義務があります、○田さん。

観光案内所などには外国語の観光パンフレットも置いてあったりするが、地名がローマ字といった日本語以外の表記になっていると余計に困ることもあるらしい。駅や街頭に設置されているほとんどの案内板では、地名をローマ字で併記して毛唐対応化が計られているが、中には日本語でしか書かれていないものも存在する。そういうときは、日本語を文字として読むのではなく、図形としてマッチングさせる手も使えるわけだが、パンフレットの地名が日本語以外の表記になっているとそれすらできなくなるので、外国語のパンフレットでも地名は日本語でも書かかれていればより親切だというわけである。なるほどな、と思った。双方の言葉を理解しているのであろう、パンフレット類を作る人にとっては、気付きにくい指摘だろう。

これ以外にも、ローマ字にすると長音が消えてしまうので分かりにくい、なんて指摘もある。東京は普通、Tokyo と表記するけれど、発音するときは Toukyou だ。東京のようにメジャな場所であればあまり問題にはならないだろうが、それほどでもない地名だと、人に尋ねても発音が間違っていてなかなか聞き取ってもらえないとか。これも分かる気がする。極端な例として、Fuchu を素直に「フチュウ」と読んでくれる毛唐がいるだろうか。いきなり「フウチュ」とか「フッチュ」への行き方を尋ねられたら、一体どこのことなのかと思ってしまう(カタカナじゃ微妙なニュアンスが伝わらないのだが、そんな感じということで)。せめて「フゥチュゥ」ぐらいになっていればまだ府中のことだと分かるのだが。

まあ、わたしは日本へ来るときは日本語を勉強して来やがれと考える方だったりするが。よそ者に対する意地悪も、徹底してやれば一つの文化として認められるのだ。



サポート
2002年5月28日(火曜日) はれ

朝日新聞の「声」(一般読者用の投書欄)は、ほとんどパトス的に沸いて出てきたようなピンぼけ時事批判と、何の役にも立たない年寄りの戯言だけを敢えて選んで掲載しているのではないかとさえ思う。的外れな時事批判が載っているぐらいなら分かるのだけれど、Web日記の捨てネタとして使うにも憚りたくなる日常の個人的な感動ごとで紙面の過半が埋まっているという事実からは、いったいどのような掲載基準を想像すればよいのだろうか。やれ感動のあまり涙が浮かんだなどと読まされた挙げ句、「○○を思いながら、△△する今日この頃である。」みたいな紋切り型の結論を述べられても、「そりゃええ話やな。で?」としかコメントしようがないのだが。

そんな類の話として今日の朝刊(神奈川版)には、パソコンがトラブったときにメーカのサポートに電話をかけたたら懇親丁寧に対応してくれて、感謝の気持ちでいっぱいであるという、還暦を迎えた方の談話が載っている。サポートを行う側としても、お客さまに感謝の言葉をいただけると非常に嬉しいのだけれど、一方で、こういう方にはもうちょっと「サポートはカネで買うものだ」という意識を持っていただきたいと思う。パソコンを購入したときの代金には、電話で質問する権利の分も含まれていたというだけのことであって、その権利を行使するお客さまに対し、果たすべきことを果たしているというだけのことである。対応の善し悪しを別にすれば、サポートを、サービスやボランティアの一種と捉えるのは正しくない。

ケチケチしないで質問ぐらいタダでさせろよ、という人も多いが、こういう人は、そのためのコストがどのように賄われているのかを考えたことがあるのだろうか。親切さをできるだけアピールしたい企業としては、あたかもサポートは無料で行われるサービスであるように見せかけたいのだろうが、実際はそのコストが商品の価格へ按分的に上乗せされているだけであってタダではない。見当違いなところに迷惑をかけまくりつつ「こっちは客だ、普通はタダだろ」なんて態度を取る人もいるけれど、勘違いも甚だしい。自分でできないのなら、カネを払ってコンサルタントでも雇えばいいことだ。こういう人は、法律のサポートを受けるために弁護士に相談したときも「タダでやれ」なんて言うのだろうか?

商品を安くする代わりに、敢えてサポートにはあまり力を入れないところもあるが、こういう姿勢はほとんどのユーザには受け入れられないようで、徹底してコアな人間だけを対象を絞った業者を除けば、実現は難しいようだ。Yahoo! BB は、最初は「電話サポートはやらない」となんて言っていたけれど、結局のところこれは通用しなかった(現在は24時間体制で電話サポートをやっている)。ただ、これは最初のころの対応があまりに悪く、「メールでは埒があかない」という声が無視できなくなって、そうせざるを得なかったところもある。「安い代わりに、尻ぬぐいはご自分で」というスタイルは、「申し込んでも連絡がない」みたいな、ユーザ側に責任のないトラブルが限りなくゼロでなければ成り立ちえない。

もし、Yahoo! BB がほとんどトラブルを起こさずに立ち上がっていたならば、電話サポートせずの姿勢は貫けたのだろうか? とても興味があったのだが。



週休二日
2002年5月27日(月曜日) はれ/くもり/夕立

不安定な天気が続いていて困るなあ。夕立の隙を狙って出かけたつもりが、降られてしまった・・。

小中学校が週休二日制になると「家でだらだらするだけ」とか「どうせやることがない」なんて騒ぐのは、非常に無責任なことだと思う。学校に通わせること以外に、子どもにさせることが思い浮かばないという発想の悪い親の元では育ちたくないものだ。おもしろそうなことなんて探せば色々とあるだろうに、無難な余暇の過ごし方として土曜学級に通わせ、せっかくの休みを潰してまで学校へ逆戻りさせるようでは、ほとんど思考停止だろう。それとも、なんだかんだといって競争という呪縛から逃れることができず、「そうかも知れないが、そうとも言っていられない」というところなんだろうか。わたしは、休みの日にはいくらでもやることがあったのだけれど。

考えてみたら、わたしの親はわりと奔放主義的だったから、ふらふらと好きなことをやっていても許されたのだろう。父親は横並び的なものをやたらと敵視する人間で「好きにやれや」という感じのノリだったから、そこそこ勉強していれば何も言われなかったし、母親はどちらかといえば、良い大学に入って大企業に就職することが正しいと考えるタイプの勉強系ママだったから言いたいことも多かったみたいだが、その辺で激しく対立したのは高校のときぐらいだったので、あまり問題にならなかった。いま思うと、「人並みに努力すること」といったことを教えてくれなかった、ちょっと違う意味で無責任な親にはかなり感謝しているのだな。



ついてない
2002年5月26日(日曜日) はれ/くもり/夕立

何だかついてない週末であった。魚をばくばくと食べていたら奥歯と奥歯の隙間に小骨が刺さってしまい、めちゃくちゃ痛かった。小骨ぐらい栄養だと思って食べてしまうことが多いので、喉に引っかかったりして辛い思いをしたことは過去に何度かあるのだが、こんなことは初めての経験である。ほとんど奇跡的な角度で入らないと突き刺さりようがないところだからまずあり得ないことなのだが、起きてしまったことは仕方がない。口を開けて鏡を見ると、骨の頭の部分が歯の隙間から僅かに突出しており、なんとか引っこ抜けそうな感じだった。ピンセットで何度かトライしたら抜けてきたが・・・鉛やフラックスで汚染されているであろう電子工作用のピンセットを口に突っ込んだときの気分は、あまりよろしくなかった。

その後、車で出かけようとしたらバッテリが完全に上がってしまっていて、ますます幻滅。キーレスのリモコンでドアロックが開かなかったから予想はしていたが、鍵を回してもセルが動きすらしないという現実は、やはり精神衛生上よくないものだ。取り敢えずバッテリにテスタを当て、電圧を測ったら 12V以上あるはずの電圧が 0.35Vほどしかなかったので、もう疑いようがなかった。ライトのスイッチなどを確認してみたが、何かが付けっぱなしになっていたような形跡もないし、不可解だ。仮にそうであったとしても、1Vを切るようなところまで放電しうるものなのだろうか。まあ、思い当たる節がないわけでもない。性能試験のために「あるもの」が取り付けられているので、それが原因ではないか、ということで話は決着。

奥歯で思い出したが、わたしは上歯だけ15本あったりする。普通は、親知らずを含めなければ左右7本ずつだから計14本になるのだが、いつか右上の親知らずが生えてきたとき、特に邪魔にもならないので放っておいたら、きれいに生えてしまってこうなったのだ(噛み合わせの相手がないので、仕事はしていないのだが)。最初こそ頼りない小さな歯だったこいつも、いつのまにか立派な歯に育ってくれて嬉しいといえば嬉しいのだが、しかし概ね左右対称であるはずの人体において非対称部分があるというのは審美に反していると感じないわけでもない。だから左上の親知らずも生えてきて欲しいのだが、レントゲンで撮影するとそこには歯の元になるものがないらしいから、一生非対称かな。



通信回線とW杯の奇妙な関係
2002年5月24日(金曜日) はれ/雨

専用回線の新設のことで NTT東日本の担当者と打ち合わせをしていたら、回線の提供開始はワールドカップが終わるまで待って欲しい、みたいなことを言い出した。おいおい、ちょっと待ちなはれ。専用回線とワールドカップに一体どんな関係があるというのだ? 首を傾げながら問いつめると、なんでもワールドカップの大会運営に必要な通信を提供するために、現在はそちらの方を優先して設備の割り当てを行っているのだという。大会が終わっときにそこで余る設備を転用するから、ちょっと待って欲しいと。なんだと? うちみたいに小さいところは後回しで構わないということか。それって、電気通信事業法が禁じる「差別的取扱い」に当たるんじゃないの? 思わずそう抗議したくなる話だが――

主な第一種通信事業者では、ワールドカップの開催期間中は重要な通信設備の工事を自粛することになっているため、いずれにしても待たされるのだそうだ。工事の際に事故が起き、通信設備の障害で大会に支障をきたすことなど断じてあってはならないからだという。確かに、通信設備の工事には何らかのリスクが伴うものだが、妙な話である。ワールドカップの大会期間中でなくても、大手の通信事業者は金融機関のオンラインといった重要な通信回線をいくつも抱えている。たかがサッカーの試合ぐらいでと言っては失礼かも知れないが、それを理由に工事を自粛しなければならないようでは、少しの断が発生しただけで計り知れない損害と社会的影響が出てしまう通信回線が存在する限り、工事なんて永遠にやれそうもない。

ではなぜ? 世界が視線が集まるなかでヘマをしてはならないという保身みたいなものもあるのだろうが、重要な通信回線を抱える第一種通信事業者には、別な事情もあるようだ。あからさまに公になっていることでもないと思うのでどこまで書いて良いのかは知らないが、建前上「万全を期すための工事自粛」となっているものは、実は公安当局のお達しに基づくものだという。通信設備へのテロ攻撃を防ぐために、ワールドカップが開催されている期間中は、通信設備の設置場所や洞道に人間を入れるなというわけである。工事業者にテロリストが紛れて入ってくる可能性もあるから、工事もやるなと。確かに、それは考慮すべきことだとは思う。通信の麻痺状態が社会に及ぼす影響の大きさは、過去に起きた事故の例を挙げるまでもなかろう。通信は、テロリストにとって格好のターゲットになりうる存在だ。

しかし、ワールドカップに何の興味もないわたしにとっては、どえらく迷惑な話である。サッカー好きの連中が勝手に集まって勝手に盛り上がっているだけなら何ら害はないのだが、そのお陰でこっちの仕事がスムーズに進まないとなると、話は別・・・。



地下迷宮
2002年5月23日(木曜日) はれ

某大手ISPの社長さんとお会いする。独立専業系のISPでありながらそれなりの規模にまで事業を成長させた経営者らしく、威徳と貫禄を感じさせる方であったが、お歳を聞いたら想像よりも遙かに若くてちょっと吃驚。そもそもISPは業界自体の歴史が浅いので、経営陣が親会社などから派遣されてくるようなところを除けば経営者が若いのは当たり前なのだが、わたしよりも少し上ぐらいの方が何万人もの顧客を抱える会社を経営していることを考えると凄いなと感嘆する。独立しないの? なんて人から言われることはあるけれど、自分はそんな玉じゃない。経営なんていう面倒くさいことはやりたい人に任せておいて、自分は気儘に技術屋でもやっている方がよほど合理的だ。一蓮托生の相方さえ見誤らなければ、それはそれで良いんじゃないかと思う。

その足で、某サイトのオフ会に参加すべく新宿へ。新宿にはあまり行かないので地下通路の繋がり方が把握できておらず、いつも困る。地上では滅多に迷わないのだが、不慣れな地下街を通ると、一発で目的地に辿り着けることはまずない。目印に乏しく迷宮のように繋がる細長い通路を歩いているうちに方向感覚がおかしくなるし、あらぬところで通路が迂曲したり、通り道に電車の改札が現れたりで、行きたい方向が分かっていてもなかなか行かせてくれない場合もある。正しいところまで来ても、螺旋状に折り曲がる出口の階段で方向感覚にとどめのフルリセットがかかり、どこに出てきてどこを向いているのか、まったく分からなくなってしまう。地上と地下の三次元的な位置関係を理解するのは難しいのだ。

それで、新宿駅は西口と東口が地下街で繋がっているのだろうか? いまだに良く分からないので、甲州街道の跨道橋か、駅北側の狭いガードでしか横断に成功したことがない。



ファン
2002年5月21日(火曜日) はれ

職場のサーバ置き場に設置されている排熱ファンが相次いで更新時期を迎えているために交換作業を進めているのだが、これはあまり心地のよい作業ではない。サーバ置き場のネットワーク機器たちからは総計すると数キロワット分の熱が出ており、この熱を効率的に逃がすために無数のファンと冷房が24時間、365日体制で動き続けている。そんなわけで空調系のメンテナンスも欠かすことのできない作業の一つだ。ファンのような回転モノには寿命があるのでときどき交換してやらないといけないし(滅多に壊れないようなものでも、数が集まると「よくあること」になってしまう)、エアコンのフィルタも定期的に掃除してやらなければならない。

で、ファンの交換作業がかなりの3K労働なのだ。狭い隙間に無理やり身体を突っ込まなければ手の届かないやつも多いうえ、なによりかにより本当に汚いのである。常に空気が流れているから塵や埃が堆積するのは当たり前なのだが、そういう種類の汚れに加えて真っ黒の煤のような粒子でファンの羽などがコーティングされている。こいつは少し触れただけで手が真っ黒に染まるし、指紋の溝に入り込むぐらい粒が細かいので、洗ってもなかなか取れない。ディーゼルエンジンから排出される黒煙が原因なんだろうか(この近辺には幹線道路が幾つもあって大型車の往来が多い)。3Kな作業自体は別に嫌でも何でもないのだが、この空気を吸っているのかと思うと精神的に幻滅せざるをえない。

もっと空気の綺麗な場所に同じファンを設置したら、どれだけ変わるのだろう?



ネタ切れ
2002年5月20日(月曜日) はれ/くもり/にわか雨

やや多忙気味、ややスランプ気味、ややネタ切れ気味、といった複合的要因が重なり、しばらく更新をサボって申し訳ない。

ネタ切れついでに。多事毒論を通して知り合った方と初めて会ったりしたとき、いったいどこからネタが供給されているのだ、という質問をけっこう受ける。これといったネタがないときは何とかして無理にでも捻り出しているようなことは以前にも書いたと思うが、それ以外のネタがどこから出てくるのかは書いたことがないと思う。自分でもどうしてかよく分からないのだが、あるときふと思いつくときがあるのだ。今日はこれを書こうと決まれば、その場で概略的な文章も頭の中でできあがってしまうことも多く、こうなればあとは家に帰って打ち込むだけなので、これがいちばん楽なケースだ。長文になっても、意外と時間はかからない。

いつもいつもこうであれば良いんだけど、なにも出てこないときは、ここ数日みたいに本当になにも出てこない。苦労するのはこんなときで、一応ネタらしきものがでてきたとしてもぜんぜん膨らんでいかないので何も書けない状態になってしまうのだな。



幽霊スポット
2002年5月17日(金曜日) あめ

「京都市下京区鳥丸通塩小路」――あ、京都駅の近くだねと思った方は、不正解である。
「京都市下京区烏丸通塩小路」なら確かに京都駅の近くにあるのだけれど、
「京都市下京区鳥丸通塩小路」なる地名はそもそも実在しないのだから。

どこがどう違うのか分からない方は、文字をよく見比べられたいが、実はわたしも人のことは言えず、京都の中心に位置する「丸通」のことを「丸通」だと思っていたことがあった。正しくは「烏丸(からすま)」であり、線の一本多い「鳥丸(とりまる)」ではないのだが、知らない人がぱっと見たときにしばしば見間違えてしまうことは、Googleによる「鳥丸通」の検索結果が200件以上も出てくることから伺える。当たり前だがこの中に地元密着型サイトは見られず、京都支社などの住所を掲載している全国規模の企業のサイトが大部分だ。東京あたりにいる Web担当者が原稿に書かれた「烏丸」を何の疑いもなく「とりまる」と打ち込んだりした結果、数多くの京都支社が「鳥丸通」という幽霊通りに置かれることになってしまったのだろう。

わたしの実家がある大阪府「枚方市」は、比較的マイナーな自治体であるうえ難読なので、これにおいても同様の誤認がよく起きる。知らなければ、これを「ひらかた」とは読むことはまず不可能なので、「まいかた」とか「まきかた」と誤読してしまう人が多い。それだけならよくある話だが、誤記である「まきかた」は様々な要因が重なって漢字で表記されることが多く、そうして「方市(まきかたし)」というもっともらしい幽霊都市が誕生する。「枚」と「牧」は文字も読みもよく似ているから間違えやすいうえ、そもそも「枚」という文字が地名で使われることがあまりないため、より使用頻度の高い「牧」に違いないという先入観から誤認が起きるようだ。中には「枚方市」が「牧方市」の誤記だと思っている人もいるぐらいで(本当は逆なんだけど)。

ほかにも、こんな幽霊地名はある――甘日市? 苦小牧? 束京? さすがに「束京」はOCRの仕業だと思いたい。



排気ガス
2002年5月16日(木曜日) くもり

「排気」という熟語では「気」の文字が気体であることを示しているのだから、これに「ガス」を付けた「排気ガス」という言葉は意味が重複している感じがする。普段から聞く言葉だから違和感はないけれど、これが許されるのなら、たとえば「排水」では、排されるものが水以外にあり得ないのに「排水ウオーター」が許されることになってしまう。「排気されるガス」の「される」が省略されている可能性も考えてみたが、それでもおかしい。同じ形式である「排水される水」が正しい日本語であるとするならば、「年老いた老人」やら「白い白馬」やら「危険が危ない」やら「いらない不要品」やら、ありとあらゆる変な言い回しも正しいことになってしまうのだから。

そう考えると、より妥当に思えるのは「排気ガス」を省略した「排ガス」だ。日本語と英語の混ざった妙な言葉だけれど、意味が重複していない簡素な熟語という点では、こちらの方が明らかに正しい。でもでも、正式な文章では省略語を使うべきではないと習っただって? 参考までに、こういうどうでもいいようなことにこだわるお役所では「排出ガス」が採用されている。



瓦割り
2002年5月15日(水曜日) はれ/くもり

自動車税の季節・・・ああ、お金がぁ。

小学生ぐらいのときまでだったか、「空手」とは、板や瓦などを叩き割る競技だと真剣に思っていた。大物の空手家がバラエティ番組なんかに出てくれば、だいたい何かを叩き割ることでその威力を披露している。そんなところから「空手」の知識を得たものだから、空手とは当然のように、叩き割りを競うものだと理解していたわけだ。もちろん、いまは武術の一つだと分かっているけれど、いまだに不思議なのは、どうして武技の成果を伝える手段が叩き割りでなければならないのかということだ。一般人にしてみれば、組み手を見せられるよりも割れた瓦の枚数といった数値を提示してもらった方が分かりやすいのは確かだけれど、揃いも揃って瓦割りばかりやられては、小学生のころの誤解はむしろ正解であったのではないか、などと思えてくる。

叩き割られる瓦に、強度の基準はあるのだろうか。同じ枚数を割るのでも、最下級の品質の脆くて割れやすい瓦を割るのと、やたらと丈夫な瓦を割るのとでは、だいぶん話が違うだろう。そもそも割れた瓦の枚数で武技の数値化ができるとは考えられないが、それでも敢えて瓦を叩き割るというのなら、せめてその品質や強度ぐらいは統一しておいてほしいものだ。普通に考えれば、破壊されるだけの瓦に品質のよいものは使わないと思うし、割れた枚数がモノを言うのなら、特に割れやすい瓦を積極的に使いたくなるのが人間ってものではなかろうか。空手のすごい人がテレビに出てきて瓦を叩き、割れた枚数を見て出演者が驚いたりしているけれど、そこで驚くのは早計というもので、まずはこういう問題がクリアされてからであるべき、と考えるのは捻くれすぎ?



レッカー
2002年5月14日(火曜日) はれ

今日の神奈川県警さんは、やたらと気合いの入った駐車違反の取り締まりに励んでいた。この近辺ではレッカー移動が標準的な駐車違反の取り締まり方法となっているので、レッカー作業を見かけることは度々ある。けれども、今日ほど多数のレッカー車が、違反車両を確認する警察官の背後で列をなしてスタンバイしている光景を見たのは初めてだ。何台いたのか正確な数は見ていないけれど、用事を終えて再び同じ場所を通ったら、その場所に止めてあったすべての車両が忽然と消えてしまっていた。なかには、運良く(?) 取り締まりに気付いて自主的に移動した車もあるのだろうが、ほとんどはレッカー移動を喰らったのだろう(運の悪い人が多いのか、タクシーに乗って「伊勢佐木警察署」と言ったら「レッカーですか?」と聞かれたことがある/笑)。

どう考えても邪魔になる場所に路駐する馬鹿もいるからレッカー移動自体に反対するつもりはないけれど、移動しやすそうな違反車両を選んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。ここらは道が狭く、複数の路駐車両+飲食店の路上看板+電柱みたいな多重の妨害により、切り返しなしでは曲がれなくなっている交差点も実際にあったりするのだが、なぜかこういう場所に止めてある車を移動している現場は見たことがない。タイヤに台車を入れたり、レッカー車を寄せたりする必要から、周囲にそれなりの作業スペースが確保できる場所が好まれるのだろうか。しかし言い換えれば、そういう場所では道路に余裕があってあまり邪魔にもなっていないので、それでは何のためのレッカー移動なのか良く分からない。

神奈川県警の不祥事が新聞各紙を一面を賑わせ、県警に対する風当たりは特に強かったころ、脚立や工具などを積んだ白いライトバンをレッカー移動しようとしている警察官と、近所の人がモメているのを目撃したことがある。極端に邪魔になるような場所ならともかく、よりにもよって仕事で来ている車をレッカー移動するのはあまりに非常識ではないか、ほかにもっと移動すべき車はあるだろう、という抗議だった。違反は違反と割り切れればいいが、その抗議も一理あると思う。現場まで出かけて作業をするような仕事をやっていれば、特に建物の密集した都市部では、どうしても路駐しなければならない場合もあるだろう。たとえば建物の屋内工事をやる際に、律儀に駐車場に車を入れて往復していたら仕事にならないという理解も警察はすべきではなかろうか。

といったら法の下の平等が云々なんて話になるのかも知れないけれど、こんな話を小耳に挟んだことがある。わたしの好きな動物がトレードマークになっている某宅配便のトラックは、一時期、駐車違反には非常に気を遣っていたという。某宅配便サービスの黎明期、全国展開を目指すこの宅配便サービスの運営会社は、国の規制に阻まれて思うようにサービス展開ができず、運輸省と交戦状態にあった。このため、たとえ荷物の配達のためといっても、法律違反となる駐車は、できる限り避けなければならなかったらしい。運輸省との交渉を進めるにあたって不利となる材料を排除するための戦略だったのかも知れないが、意外と役所のよしみというやつが働いて、「役所を敵に回すとはけしからんにも程がある」と、警察からもマークされていたのかも知れない。

あくまで聞き伝えだが。



騒音
2002年5月13日(月曜日) あめ

朝から消防車の音が激しいなと思っていたら、中華街の飲食店が全焼する火災があったようだ。うちの近くには幹線道路が何本か通っており、消防車なども多く通るので、付近で火災などがあれば、サイレンの音の数でおおよその規模が想像できてしまったりする。救急病院も近いから、夜中になるとよく聞こえてくるのが救急車の音。このほかに、終末の深夜には暴走族のけたたましいエンジン音も聞くことができる。最接近した爆音が反対に遠ざかりつつある際に、少し遅れて、爆音が来た方向からパトカーのサイレンが聞こえてくるときは、きっと追尾中なのだろう。追尾することで暴走族を駆逐できれば警察も苦労しないのだろうが、翌週にはまた同じ音が聞こえてきたりする。街の騒音から色々なことを想像してみるのも面白いものだ。

騒音の多い場所に住んでいるが、耐え難いわけではなく、いつも聞こえてくる騒音は聞き慣れてしまうためか、意外と気にならない。テレビのドラマに出てくるときは電車や踏切の効果音がもれなく付いてくるような、ステレオタイプ的な線路脇の安アパートでも、引っ越してきてしばらくすれば慣れてしまうそうだ。どちらかといえば不規則的に発生する騒音の方が社会問題になりやすいのは、このためだろうか。無論、音量にも限度というものはあるが(厚木あたりの上空を飛ぶ戦闘機が発する「キーン」というジェットエンジンの音は、たとえ規則的に聞こえてきても耐え難い気がする)、同じ音量なら規則的に聞こえてくるものの方がうるさいの感じないのかな。

都市部の騒音に適応した聴覚では、田舎の静けさが、どことなく不自然に感じてしまうことがある。そんな場所に行けば、今度は虫の音がむしろうるさく感じたりもするものだ。どこかの田舎に遊びにきた都会育ちの子が同じことを言ったらしく、それについて土地の人間が「虫の鳴き声がうるさいと感じるのは自然を理解しない証拠だ」みたいなコメントをしていたのを何かで読んだことがあるのだが、これも単純に慣れの問題だとわたしは思う。虫の鳴き声を、ありきたりの環境音として処理するか、普段はない騒音として処理するかは、聞き慣れているかどうかで決まるはずだ。ま、こういうのは「自然に囲まれた田舎暮らし推進論者」タイプにありがちな詭弁でしかないので、いちいち真面目に反論することでもないが。



パール・ハーバー
2002年5月10日(金曜日) あめ

いまさらながらの映画批評――「パール・ハーバー」を観た。

真珠湾の爆撃シーンに限れば、その出来は素晴らしいもので、いま自分は自室でテレビの画面を眺めているのだという事実さえ忘れ、口をぽかんと開けながら没頭できるぐらいの迫力があった(よく注意して観れば、微妙にCG臭いところや、微妙にミニチュア臭いところもあったりするのだが)。こういう激しいシーンにおける臨場感の出し方は見事なもので、今どきのアメリカ作品らしくが、新たなネタが出てくるたびに誉めたくなってしまう。一方で、全体を通したストーリ構成はボロボロだし、前半のタラタラとした恋愛友情物語は下らなくて観ていられない。もっぱら爆撃シーンを鑑賞するための映画だと思えば観る価値はある、というか、そうとでも思わなければ観ていられないという点でも、極めて今どきのアメリカ作品らしい駄作だ(そもそも真珠湾攻撃を題材にする必要のあるシナリオでもないし)。

内容が内容だけに、映画作品として良いか悪いかよりも、ナショナルアイデンティティや歴史認識の部分で何かと話題を呼んだ作品だが、わたしは言われていたほど酷いものだとは思わなかった。敢えて指摘すれば、日本軍の描写には明らかな偏見が見られるし、アメリカ国民万歳のシーンも随所にある。だが、それはなにもパール・ハーバーに限ったことではなく、戦いが題材であったり、日本に関係のあるものが登場するアメリカ作品なら、おおよそどれにでも言えることだ。自国民万歳でないアメリカの戦争映画なんてかなり特殊な部類だし、日本を正しく描いたアメリカ映画を探すのは困難だ。パール・ハーバーに比べれば、核兵器で地球に接近する隕石を破壊して「人類を救ったのは俺たちだ」と誇らしく語り、世界規模の自然災害を通じて自民族中心主義の宣言を行った某毛唐映画の方がよっぽど終わってる。

実在の歴史を扱った映画が、客観的事実だけを忠実に再現している必要があるとは思わない。長い経緯のうち、ある視点である部分だけを切り取って映像にすれば、多少なりとも内容が偏ってしまうことは当然で、この点で突っ込むのは筋違いである。たとえ真珠湾の爆撃によって被害を被る様子の描写に誇張があるとしても、そういう映像表現がチープであっては、こういう映画は成り立たない。日本人が原爆の映画を作れば、投下後の有様をいかにも阿鼻叫喚の巷と表現したくなるだろう。反日アジテーション映画を評価しているのならともかく、たかが娯楽で、やれどこが事実と違うだの、やれどこが侮辱的だのとあら探しをしてみたところで始まらない。ま、アメリカ作品としては日本軍をヒトの形に写しただけでも上出来だろう。やたらとカミカゼ系で何をするか想像もつかず、ことさらに極悪非道で、非文明的な戦いぶりをする軍隊から、作戦を練って奇襲のできる軍隊まで成長したのだから。



ニキシ管を点ける
2002年5月9日(木曜日) あめ/くもり

誕生日に買ったニキシ管の点灯実験を初めて行ってみた。う〜ん、綺麗だ・・・。実験用の電源として使ってみたのは、秋月電子で売っていた冷陰極管用のインバータである。手頃なお値段で簡単に高電圧が得られるもの、という点では申し分ないのだが、無負荷では数キロボルトの出力が出てくるため、数ミリ程度の空間なら放電して突破するほど元気がいい。ニキシ管用の電源として使うには電圧が高すぎるが、インバータ自体の電源電圧を絞れば、負荷を繋げてちょうどいいぐらいの電圧にもなるようだ。ちなみに、トランスの二次側を整流していないためか、アノード側も光っていたりして。ネオン色の輝きのなかで、微妙に青白く光っている部分があるのが良い感じ(っていいのか、これ)。

秋葉原を探してみたが、手頃で安価で小型な高圧DC-DCコンバータってなかなかない。秋月にELシートとセットになったEL用のインバータはあったのだが、インバータ単体では売れないというのであきらめた。こうなれば、トランスでも手巻きしてやろうかなあ・・・。

寝不足全開。こんなことやってないで、とっとと寝るかあ。



彼女
2002年5月8日(水曜日) はれ

う〜ん、毎週400円も投資しているロト6がぜんぜん当たらない。いつも福猫に抱かせてあるのだが。

米田淳一さんのプリンセス・プラスティックを読んでいてふと思ったのだが、どうして船の三人称には「彼女」を使うのだろう? そもそも「彼女」という言葉は日本語の語彙に古くからあったものではなく、"she" に対応する翻訳語として後から付け足されたものだ。だから、英語で船などを示す代名詞として、"it" ではなく "she" や "her" を使う習慣が日本語にも紛れ込んできた結果だと思うのだが、なぜ英語がそうしているのかは少し調べてみたけれど良く分からなかった。英語で "she" が使われる範囲は船に限らず、わりと幅広い。対象となるものに、単なる「モノ」以上の感情がある場合に使われる感覚だろうか。飛行機や自動車といった乗り物にはだいたい使えるし、なにかの機械を指すときに使うも人いる。

由来は分からないけれど、わたしはこの言い方が好きだ。メンテナンスを怠ればすぐに機嫌を損ねるてしまう「彼女」。そんなとき、宥めてやれば渋々と動き出す「彼女」。かと思えば、あるとき突拍子もなく期待を裏切ったりする「彼女」。機械モノの信頼性が向上し、メンテフリー化が進んだ時代にこんな極端なものを扱う場面はそうあるものではないけれど、パソコンのように論理だけで動いているものにさえ、ひとたびトラブルに陥れば論理だけでは割り切れない代物になってしまう。こんな性質を持つ「機械」の扱い方は、どこか女の扱い方によく似ているのではないか・・・なんて言ったら、女性の方には叱られてしまいそうだけれど。

わたしは船舶といったものよりも小さいものを扱うことが多いので、「この子」という呼び方を良く使う。どうしてこの子、言うことを聞いてくれないのかな――モノは作ったように動くのではなく、作られた通りにしか動かないと頭では分かっていても、完璧だと思っていたものが何度やっても思い通りに動いてくれないときには、まるで駄々をこねる子どものように見えてしまうことがある。あ、女性代名詞を使うという原則からいくと「この娘」という字を当てるべきかな。



断髪
2002年5月7日(火曜日) あめ

わたしは床屋という場所がどうも苦手なので、最近は本当に行かなくなってしまった。行かなくても実用上あまり困らないと分かれば、行く回数は少なくなる一方で、少なくともここ一年ぐらいは行った記憶がない。この程度の頻度になると、床屋へ行くということはわたしにとっては一大イベントに当たるので、個人的な備忘録としてわざわざ雑記に書いたりするぐらいである。雑記上のもっとも新しい記録は2000年11月18日なので、これを信頼すれば一年半ほど行っていない計算になる。ではどうしているかというと、普段は自分で切っているのだが、思えば最近はそれすらサボっている。その証拠に、しばらく顔を合わせていなかった人と久しぶりに会ったりすると――

「おう、ひさしぶりっ
「う゛わぁ〜、髪の毛伸びたねえ・・・

十人中八人からは、第一声に、こんな言葉が飛び出してきたりする。無理もない、括れるぐらい髪が伸びていれば、そう言いたくもなろう(こっちは毎回同じリアクションに飽き飽きしているのだが)。たまに実家に顔を出しても小言を言われ、「まとめて切って散髪代を節約してる」などともっともらしい言い訳で取り繕うとしても、「カネやるから切りに行け」と言われてしまうだけ。ほとんど投げやりに「面倒くさい」と言えば、車の送迎まで付けてくれることになってしまうし、正直に「床屋が嫌いだ」といえば「じゃあ風呂場ならいいだろう」と揚げ足を取られ、その場で拘束されて無茶苦茶な断髪式が行われることにもなりかねないので、下手なことは言えない。

だが、こんなのはまだまだ序の口だ。もっとも容赦がないのは、親戚のうるさい女どもが寄り集まっているときで、そんなものに捕まってしまったら最後。どういうわけか、女は側に同意役がいると途端に強くなる。一人が何かを言えば、ほかの誰かがその内容を力一杯肯定するという流れで行われる「切れ」やら「切ってやる」やらの大合唱は、実に見事なもの。それは印鑑を押すまでは絶対に帰さない悪質セールスの販売員よりもタチが悪く、思わずあんたらプロかと問いたくなるほどだ。いくら正当なものでも、反論は火に注ぐ油にしかならないので、「姦しい」の字形が示す通りの拷問がいつか終わることを、じっと堪え忍びながら祈るしかない。だいたい、どうしてこんな目に遭わなければならんのだ?

答えは簡単なことで、髪を切ればいいのだ。鋏を持って、切ればいいのだ。後ろ髪を自分で切るのは大変なので、取り敢えず前髪だけを適当にバサバサと切ってみると・・・長い後ろ髪の上に短い前髪が被さっているような感じになって、何となくまとまりがなくなってしまったが、これぐらいなら合格範囲内だろう。いままで自分で散髪した結果、何度かは「失敗した〜」と悔やんだりしたが、明らかに変なところさえ修正しておけば、経験上、他人の目にはまず気付かれない。そもそも、髪を切ったことにさえ気付かない人も多いのではないだろうか。女の子に「髪を切ったけど、どう?」なんて聞かれ、「どこがどう変わったの?」と思わず言いそうになった方もいるのでは。

自分が考えているほど他人は細かいところには気付かない、ということが分かると、世の中さらに合理的に暮らせると思う。



連休も終わり
2002年5月6日(月曜日) はれ

連休中は多事毒論の更新ペースも連休状態になってしまっていたが、明日からは日常生活もいつもの状態に戻る(はず)なので、ここの更新も少しはマメに行われることだろう。心残りなのは、今年は毎年恒例の「極道系」の温泉ツアーができなかったことだ。鈍行で日本の果てまで行ってみようとか、吉野の山中を延々歩いてみようとか、そういうカタギじゃない旅行に付き合える余暇とバイタリティを持ち合わせているツレは年々減少しつつある(仲間内では、わたしが最もヒマな方かも)。強いていえば、普通のお湯に天然温泉を模倣した成分を混ぜてあるという高知のスーパー銭湯に入ってきたが、バスクリンに毛が生えたようなものだろう。それはそれで悪くないのだが、かなり違う。

「さんじ救命救急医療施設」の平仮名の部分には、「惨事」という漢字を当てはまるものだとばかり思っていたので、「三次」が正しい漢字だとは知ったときはちょっと意外だった。救命救急といえば、まさに生命の危機に瀕しているような患者が運ばれてくるところであり、通常は望んで生命の危機に瀕するヤツなんていないわけだから、その状態に至った過程には当然に何らかの突発的な「惨事」が伴っているはずだ・・・そんなイメージから、勝手にその漢字を当てていたのだが、考えてみれば、その漢字では少々生々しすぎるような気もする。三次の手前には、より軽度な状態の患者を扱う一次や二次もあるわけだが、三次の次に四次があるとすれば――それは葬儀屋か。



ヒッチハイク
2002年5月3日(金曜日) はれ

静岡県内のR1バイパスを走っていたとき、ヒッチハイクの現場というものを初めて生で見た。対向車線を走ってきた一台のセダンが、ちょうど車を路肩に寄せて止まろうとしているときだった。近くの交差点にいた二人組が、停車したセダンを追うかのように全速力で駆けだした。いずれも若い感じの男性で、そのうちの一人はどこかの地名がマジックで殴り書きされた段ボールの切れ端を脇に抱えていたので、ヒッチハイクなのだと分かった。そのセダンが、二人組が立っていた場所をやや通り過ぎて停車したことは、運転していた者に少しばかりの逡巡があったことの現れであろうか。二人が一散に止まったセダンへと向かう姿は、躊躇いがちなドライバの気が変わってしまう前に、一秒でも早く話を付けようとしているかのようだった。

わたしは、前方の信号が青を現示したのと同時に通り過ぎてしまったので、その二人組がヒッチハイクに成功したのかどうかは分からないが、実際にヒッチハイクで日本中を旅している人からこんな話を聞いたことがある。ヒッチハイクをしていると、最近は興味本位で止まってくれる人が増えたそうだ。とあるテレビ番組の影響が大きいらしく、止まってくれた人と交渉していると「これって電波少年?」などと聞かれたりすることもあるという(否定すると反応がどう変わるのかは知らないが、そういう人は掌を返したようになるのだろうと想像される)。わたしがヒッチハイカーを発見したら、乗せるだろうか。男なら間違いなく通り過ぎるだろうが、女性なら乗せてしまうかも知れない。中学生以下に限る、という条件付きならば(法に触れるって)。

ぜんぜん関係ないが、わたしの乗っている車はリアシートを倒すとトランク部分と繋がって真っ平らになるやつで、これだけの広さがあれば、小柄なわたしは十分に足を伸ばしてゆったりと横になれる。これが理由でハッチバックを買ったようなものだ。わたしは座席を倒したぐらいでは絶対に寝られないので、この簡易ベッドは長距離を走るときにはとても重宝するのだ。一人だけなら寝返りも余裕でうてるし、ちょっと窮屈になることさえ我慢すれば、二人でも十分に寝られそうである。もちろん、これはただの事実の羅列であり、初めに断ったように、前の段落に書かれていることとは何の関係もない。・・・だから信じなさいってば!(いつか勤務先の会社にワイドショーのレポータが押し寄せてくるだろうなと言われて、悲しい)



下道で大阪→横浜
2002年5月2日(木曜日) はれ

大阪市内で知り合いと夕食を食べたあと、そのまま横浜へ向かう。市内を適当に走ったあと、今里筋を直進して蒲生四丁目から国道1号に入ったのが22:00ごろ。そのままR1をひたすら走れば、いずれ横浜に着くはずだ。この時間ともなれば、渋滞の名所として悪名高い場所もスイスイだ。と思いきや、府境を越えて京都府に入った途端に激しい渋滞が始まる。昼間ならまだしも、そろそろ日付が変わろうかという時刻に何が起きているんだと思ったら、事故で車線規制。二台の軽自動車が大破して止まっており、右折車に直進車が突っ込んだような感じだった。京都大阪間のR1はやたらと事故が多いそうだが、あの欠陥的道路構造では頷ける気がする。多少無理にでも曲がらないと通れないような交差点がいくつもある。

徹夜は少々きついので、仮眠を取るべく01:30ごろに鈴鹿峠の手前にある土山の道の駅で止まったのがそもそもの間違いであったかも知れない――目覚めたら、なんと午前8時。しかも、その日は大型連休の初日とあって渋滞が予想される。だから夜が明ける前にできるだけ進もうと考えたのだが、これでは最悪コースまっしぐらだ。仕方がないので、行けるところまでR1を走って、渋滞が始まったら裏道に逃げることにした。鈴鹿峠を越え、三重県内までは順調。愛知県内に入ると交通量は増えてきたが、流れは悪くなく、名古屋のど真ん中を突っ切ってゆく。だが、安城付近でR1はぴたりと動かなくなり、岡崎に辿り着くだけでいつになることやら、という雰囲気になってきた。

ラジオが伝える情報では、東名はさらに絶望的だ。この様子では、R23も使えそうにない。悩んでいても始まらない、ここは思い切って国道を逸れることにした。おおよそどの街にも、国道とほぼ併走する間道はあるものだ。付近の詳細な地図は持っていなかったが、方向感覚だけは良いので、いくら右左折を繰り返しても概ね正しい方向へ向かう自信はある。R1の旧街道のようなところや住宅地の真ん中を通り、取り敢えず岡崎の先に出るが、それでもR1は混んでいた。こうなれば奥の手、山道を突っ走るのだ。地図を見て検討すると、岡崎からは県道37号線を通って作手村に出て、そこからはR301で三ヶ日まで下るルートが使えそうだった。

やや遠回りになるが、ノロノロ道をイライラしながら走っているよりは山道をグネグネと抜けてゆくが性に合っている(山道好き)。県道37号線の整備状態は良く、離合不可能な区間も少しあるが、交通量は少ないので苦労はない。R301に出て本宮山を降り、新城市からは宇利峠を越えて三ヶ日へ。ここからはR362で浜名湖の北側を通り、姫街道と浜松環状線で浜松をすっ飛ばして一気に磐田へ出るR1に戻るという寸法だ。これはこれで良かったのだが、今度は牧之原トンネルの手前で別の渋滞が始まり、やっと抜けたかと思ったら静清バイパスも渋滞気味。工事か何かの表示が出ていたうえ、自然渋滞も重なっていたのだろう。ようやく富士由比バイパスに出るが、ここも混んでいる。

状況的に走る気にならないので、富士の道の駅で夜中になるまで寝ることにする。18:00ごろから22:00まで寝て、再出発。この時間になれば沼津や三島のあたりも良く流れており、ほとんど高速道路と変わらない状態だ。箱根峠を越え、神奈川県に入ったのは日付が変わったころだったか。地元に近づいてくると、そのままR1を真っ直ぐというのも面白くない。大磯からはR134で海岸沿いを通り、鎌倉市内に入って県道204号で朝比奈に出る(ここも峠道)。あとは洋光台を抜けてR16で自宅へ。寝ていた時間が多かったせいもあり、丸一日以上かかってしまった・・・(ぶっ通しなら9時間ぐらいで行ける)

連休の総走行距離は、2,200kmほど。けっこう走ったもんだ。



突撃実験室