多事毒論(2002年9月分)


物忘れ
2002年9月30日(月曜日) あめ

今日の猫模様。長野は猫さんが多くてうれちい。

多事毒論を書くようになって、一つ便利になったのは、漠然と思ったりしたことがデジタルアーカイブとして記録されるようになった点だ。わたしは頭が悪く、何でもすぐに忘れてしまうのでメモは欠かせないのだが、しばらくするとどこに何をメモしたかを思い出せなくなるから、長期保存には適さない。仮に情報の在処は思い出せたとしても、走り書きと箇条書きの羅列が爾後に何らかの意味を持つことはあまりないので、二重の意味でメモは使えないのだ。多事毒論は不特定多数に公開されている点が良く、私的なメモであっても、ある程度は事情をまったく知らない人にも理解できるよう書くから、思いっきり忘れてしまった自分にとっても、検索機能と組み合わせると備忘録としてそこそこ機能する。

しかし、物忘れが酷くなったなあ。いままでカレンダーにメモったりしなくても予定を忘れたりすることはあり得なかったし、道路も一度通れば必ず覚えていたのに、最近はそういうことができなくなってきてちょっと不安だ・・・。



最高地点巡り
2002年9月28日(土曜日) あめ

自動車が普通に通行できる日本の道路で、もっとも標高が高いところを通るのは、岐阜県にある乗鞍スカイラインだ。その終点の畳平駐車場、標高2,702mが建前上の「日本自動車道最高地点」であるとされる。「建前上」というのは、実はその近くを通る県道にもっと高い場所があるからだが、どういうわけかそういうことになっている。いつか暇なときに行ってみようとは思っていたのだが、ここは今年の10月末を最後に一般車通行禁止となるので、急遽行ってみることにした。

乗鞍スカイラインは激しく渋滞することで有名なので、それを避けるために敢えて早朝の中途半端な時刻に到着する計画で家を出る。長野県某所に寄って同行者を拾ってから、中央道で諏訪南から松本まで飛ばし、R158と安房峠道路で乗鞍スカイラインの始点である平湯峠に着いたのは午前5時30分すぎたころ。もうちょっと早く来れば御来光も見られるらしいのだが、分厚い雲がかかって雨が降っていたから、どうせ期待するだけ無駄だろうとはじめからそれに合わせるつもりもなかった。畳平までの道は、急勾配付きのヘアピンの連続だ。同行者は車酔いするらしく、走り始めてすぐにグッタリしはじめた。うわー、ごめんなさい。いつもより丁寧に運転したつもりなのだが、わたしはどんなに激しくても酔わないので「酔わない運転」というものがいまいち分からない。

あるところで植物限界を超えると、いきなり森林がなくなって景色が開ける。だが、下界を見下ろしても見えるものは雲の海だけだ。目的は「最高地点へ行ってみる」と割り切っていたのであまり残念ではないが、これで天気がよかったらどんなに綺麗だったことか。敢えて誰も来たがらないときを選んだわけだから当然ながら渋滞もなく、小一時間で終点の畳平駐車場に到着した。各種資料によると、標高は 2,702mと記されているのだが、現地には標高 2,704mと書かれた看板もあった。この差はなんなんだろう? 帰りは、夜間通行止めなので午前7時にゲートが開くまで待ってから、長野県道84号「乗鞍エコーライン」で下るのだ。本当の最高地点はこの道にあり、岐阜と長野の県境が標高 2,715m。実際、畳平駐車場を見下ろせる位置にある。

これで終わりではなく、次はR141沿いにある日本鉄道最高地点へ行く。小海線の野辺山駅と清里駅の間にあり、標高は 1,375m。鉄道の最高地点は鉄道で行くのがスジなのだが、駅のない中途半端な場所なので、まあいいだろう。かなり立派な石碑が立っていて、ちょっとした観光地になっている。天候は写真の通りで、深い霧に包まれていたが、ちょっとガスってる方がいかにも「最高地点」という感じが出て良いんじゃないかと、ここはポジティブに考えることにする。霧のかかった景色も悪いものではない。あんまり関係ないが、途中で立ち寄った清里駅の周辺は、霧に包まれたメルヘン風の建物が建っていて、どことなくおとぎ話に出てくる世界のようだったし、八ヶ岳牧場で草を食べる牛さんたちも良い感じだ。唯一晴れていたのは、富士見高原から見た風景。これは綺麗だった。



局給電
2002年9月26日(木曜日) はれ

日本でもっとも多くの電力を使っている企業は NTTグループだそうで、総電力消費量のうち、0.5%が NTT東西と NTTコミュニケーションズの各社に飲み込まれているのだという。モノをどんどん製造するような機械で電力が消費されているのなら、なんとなく「仕事してる」って感じがするが、通信機器、すなわちコンピュータとか無線設備といったものの多くは、せっせと仕事に勤しんでいるようには見えなくせに、笑っちゃうほど電気を食う。中に入っている部品でちょろっと仕事をして、消費される電力の大半は廃熱になるだけである。もちろん、その電力が日本のあらゆる活動を支えていることは言うまでもないことだが、それにしても通信という純粋な第三次産業ぐらい、もうちょっと少ないエネルギーでできないものだろうかと思ったりする。

電話加入者にやってくる回線がメタルから光ファイバに置き換わると、NTTとしてはかなりの電気代節約になるとかならないとか。基本的な電話機は、電話線を通じて行われる交換局からの給電で動作する仕組みになっている(いまどきの多機能な電話機は、たいていコンセントからの商用電源も必要だが、停電時には局給電だけでも最低限の機能は使える製品がほとんど)。その電力は、当然ながら NTTが負担していて、何万という規模の加入者に給電するとなると、NTTではすごい電力を用意しなくてはならないのだ。しかし、光ファイバに置き換わると、この給電が不要になる(そもそも光ファイバに電気は流れないし)。NTT西日本の2010年に向けた電力エネルギー削減ビジョンというページに、「FTTH」の4文字が密やかに出てくるのは、このためだろうか。ADSLの普及をあれだけ嫌がった理由の一つでもあったりして・・・。



太れない
2002年9月25日(水曜日) はれ

テレビアニメって、最終回の一つ前では、いったいどうやって終わらせるんだ? という状態だったとしても、最後の20分ほどの放送時間で無理にでも終わらせてしまう作品もあるからか、どうも最終回で拍子抜けさせられる気がする。だいたい 2クールぐらいの期間で話をぎりぎりまで展開して、何らかの結末を提示しようと思えば強引にならざるを得ないのだろうし、連載真っ最中のマンガといった、そもそも終結がいまだ存在しない原作から話を切り取る形でアニメ化された作品だと、アニメの最終回の存在自体が矛盾に満ちた存在だ。原作における中間的な結末をうまく使って「まだまだ続くけれど取り敢えずこんなもん」って感じにしてある最終回も良いのだが、原作を知ってると「まだこれからだろ」なんて思ってしまうこともあるから、それも意見の分かれるところかな。

こういうことを言うと各所から非難を浴びるので、あまり大きな声では言えないのだけれど、依然として体重の悩みが解決しない。いったん安定してしまった体重を動かすのは難しいようで、食べても食べなくても(自主規制)キログラムを微妙に切ったまま変わらない状態が、もう何年も続いている。あと少し体重が増えれば(自主規制)キログラムの大台に乗るのだが、この「あと少し」がなかなか達成できずに苦戦している。ついサバ読み(上方修正)を忘れて本当の体重を言ってしまうと、「よ、○んじゅう・・!?」という、相手によっては殺意すらこめられた感嘆が上がったりするのだが、こんなことで刺されたりしたらたまらない。あるかないかで、周りのリアクションは天と地ほど変わるはずの「あと少し」は、わたしにとっては極めて貴重なのだ。

今年の食欲の秋にこそ解消を図りたいと思っているのだが、量はともかく、食っているものが悪いのかも知れない。昼食は外食なので良いとして、家で作る献立の裁量権がすべて自分にあるとつい偏食気味になってしまい、本当に好き嫌いだけで選んでいると、動物由来の料理が食卓に一品も存在しないという、ほとんど菜食主義者のような状態の日が出てきてしまう(わたしは菜食主義者でもなんでもないのだが、蛋白源になりそうなものは大豆ぐらいじゃないかと思うときがあるのも事実)。実際、世の中にはベジタリアンの人もいるわけだから、それでも生きていけるとは思うのだけれど、本物のベジタリアンの人がいたら教えてください。いったい、なにを食べてるの?



手紙
2002年9月24日(火曜日) はれ

古い手紙の整理をしていたら、女の子から来た手紙が思っていた以上に多くあることに気付いて驚いてしまった。男の方が筆無精だから、必然的にそのような偏りが生じただけなのかも知れないけれど、それにしても、あんなだったわたしに手紙をくれる女性が何名かいたことは、いまだにすごく意外な感じがしてならない。いまになって読み直すと、行間からそこはかとない好意が現れている手紙もあるのだが、その手紙を受け取った当時は、たぶん、そこから何らかの感情を読み取るなんて器用なことができなかったのだと思う。「いいやつだと思われなくていいもの」なんて突っ張っていた時期がもう少し短かったら、人生は少し違ったものになっていただろうか。黄ばみつつある封筒に綴られた差出人の名前すらほとんど記憶に残っていないのは、気持ちのいいものではない。

どうして私に葉書をくれるのですかと、震えながら尖った文字で書いてきた女の子は、わたしから葉書が届いたことが嬉しくなかったわけではあるまい。なのに、そんな返事しか書くことができなかったのは――もう誰も傷つけたくないし、自分も傷つきたくもない――だから殻に閉じこもろうとしているところに、それを阻害するかのような葉書がやってきたからだろう。その前にも色々なことで随分と振り回されたし、殻を構築するために、またもや牙を向けるのか。もうどうしようもない女だなと放っておけばよかったのに、やっぱりそれができなかったのは、そこに一時期の自分と深く重なるものがあったからかも知れない。「どうして」に対するわたしなりの答えを書いて送ったが、ある事情から、その手紙が読まれることは結局なく、しばらくしてから、さらなる孤立化を宣言するような手紙が届いただけだった。

いまどうしているんだろうかと、ときどき思い出す人は何人かいるけれど、「どうして私に葉書をくれるのですか」は、やっぱり強烈だった。でも、それが嫌な想い出である気がしないのは、孤立化宣言を受け取るまで、あの女の子に関係する数々の問題に巻き込まれたおかげで、かなり特殊なシチュエーションにも驚かなくなってしまった気がするからかなぁ。



米漿
2002年9月21日(土曜日) はれ/くもり

台湾旅行で印象に残っているのが、各地のコンビニで買った色々な飲み物だ。真夏の熱帯という時節と場所柄、PETボトルに入った何らかの液体は命を繋ぐうえで欠かせないものでもあっので、水やお茶など、日本でも売っているようなものもいっぱい買ったけど(伊藤園あたりのやつを日本から輸入してそのまま売ってるぐらいだし)、死ぬほどでもないときは、敢えて初めて見る飲み物も買ったりしてみた。台湾人はあまり清涼飲料水を飲まないのか、多いのが野菜系のジュースだ。牛乳よりも豆乳の方が普及しているんじゃないかと思われるぐらい豆乳が飲まれているし、大豆以外の豆で作った豆乳も飲んだ記憶がある。わたしが飲んだものの中でもっとも強烈だったのがアスパラガスのジュースで、お味は――素材そのものの風味が極めて良く生かされていた、と言っておこう。

すごく美味しかったのが、米のジュース。一般名称は定かでないが、たぶん「米漿」というものだ。米だけでなく落花生も入っており、風味は香ばしく、口触りは重湯のようなドロっとした感じ。一口飲んでこりゃいけるなと思った。先日、ふとまた飲みたくなり、このぐらいなら中華街でも売ってるんじゃないか? と思って、行ってみると、あったあった。永和米漿というやつで、台湾で飲んだやつとはメーカこそ違え、まさにこれである。飲み物にしてはかなりボリュームがあるので、時間のない朝とかは、朝飯がてらこんなのを一気飲みするのもいいかもしれない。抜くとか、カロリーメートなんかで済ませるよりはよほど良いはずだ。中華街だと、1リットルで350円もするのでちょっと高いが、このぐらいなら家でも作れるかな(作り方)。ちなみに、ラベルに書いてある「素食者可食」とは、ベジタリアンでも大丈夫という意味だ。ベジタリアンが多いので、色んなものに書いてある。

あと美味しかったのが、黒砂糖冬瓜茶なんだけど、これは売ってないかな?



続・マイナスイオン発生管
2002年9月20日(金曜日) はれ

センセぇ。昨日貸していただいたマイナスイオン発生管を使ってみたんですけどねえ、いまいちマイナスイオンが出てるって気がしないんですよねえ……。昨日の雑記で紹介したマイナスイオン発生管の効果に不安を感じたわたしは、A氏に疑問を投げかけてみた。ああ、目では見えないものですからみんな最初はそう仰るんですがね、ちゃんとボワァ〜っと出てますよ。…ええ、ボワァ〜っとっていうより、もうドワァ〜って言った方が正しいですかね。ブワァ〜と、たくさんたっくさん出てますから安心して使ってください。…あはは、具体的な数値ですか、痛いところをつかれてしまいましたねえ。実は測定限界を超えていて、正直、よく分からないんですよねえ。マイナスイオン測定器の表示が一気にグウォォォっと上がって、スグにガ〜ンと振り切れちゃうもんで、測ろうとしてもダメなん……

あ、、あの……センセエ? センセえぇ?
いや、ですから、ガビョーンじゃなくてですね。実は、先ほど東大のヤス―― 『ガチャンっ』

……
………ツー ツー ツー ツー


よい子は市民のための環境学ガイドへ。



マイナスイオン発生管
2002年9月19日(木曜日) はれ

今日の猫模様/なかなかの貫禄だった

マイナスイオン研究の第一人者である人物、A氏と接触することができた。仮にマイナスイオンと呼ばれているものが実在するとして、本当にそのようなものに、巷で言われているような健康効果はあるのですか? 手始めにそう問うたとき、「失敬な。今さらそんなことを聞くな」とでも言いたげな表情に顔を一瞬だけ曇らせてから、当たり前のことを当たり前のように答えるときの無表情を改めて作り、A氏は「もちろんです」と答えた。マイナスイオンとは、これこれこういうもので、森林といった場所に多く存在しているんです。逆に、コンピュータといったものが氾濫する事務所など、いかにも健康に悪そうな環境には多くのプラスイオンがあります。だから、簡単にいうと、そのマイナスイオンを人為的に作り出せば、非常に健康的な環境が実現できるというわけなんですね。

そうですか、それはすごい。実はわたし、恥ずかしながらちょっと健康に不安を抱えているもので……それで、あのう、是非とも仰るような効果を体感したいので、先生がお持ちのマイナスイオンを生成する装置を貸していただきたいのですが――A氏が説明するマイナスイオンの効能について素直に感激しながら、ダメ元でそう言ってみると、まだ試作品なので公開はしていないのですが、いまはこれが最高の発生装置です――そういって、マイナスイオン発生管というものを出してきた。こことここの電極に 6.3ボルトの電源をつなぎますとね、ここの天辺のところからマイナスイオンがどんどんでてくるんです。目には見えませんが、すぐに効果は実感できますよ。あ、火傷するぐらいの熱を持ちますから、動作中は手で触れないように気を付けてくださいね。

そうですかー、マイナスイオン発生管なんてものがあったとは知りませんでしたねえ。



記憶
2002年9月17日(火曜日) あめ

そういえば、このあたりの猫さん減っちゃったよなとか思ったり。猫模様を毎日やっていたときは、被写体に困らない程度にはいたのだけれど、このごろはカメラを持って近所にふらっと出かけた程度では猫さんにまず会えなくなった。しばらく行方が分からなかったのだが、少し離れた場所に大きな空き地ができてから、どうも猫さんたちは生息場所を変えてしまったらしい。多いときには、見覚えのある子も含めてそこで10匹ほどの猫さんが休憩しているから、きっとそうなんだろう。空き地といっても、頑丈なフェンスでしっかりと囲まれているから、人や車が入ってくることはない。安全で快適な環境を見付けて、どの猫さんもこりゃいいやって顔つきだ。おかげで、写真撮影は困難になってしまった。さすがに、フェンスをよじ登って入っていくわけにもいかないからなあ。

午前3時過ぎ――もっとも眠たくなるこの時間帯に、交通量は減り、緊張感に欠ける高速道路をだらだらと流していると、カフェインは必需品である。缶コーヒーでは満足できないわたしにとって、熱くて比較的おいしいコーヒーを供給してくれるカップ式の自動販売機は実にありがたい存在なのだが――大阪からの帰り、東名の愛鷹PAに設置されているカップ式の自動販売機でコーヒーを買ったら、ほとんどお湯みたいなものが出てきてしまった。東名という日本の大動脈でも、小規模なパーキングエリアでは、深夜になれば売店はシャッターを下ろしてしまうから文句をいう先がない。自動販売機に貼ってあった電話番号に電話をかけてみたが、思ったとおりリングバックトーンが虚しく響くのみ。そのときはまあいいやと思ったが、携帯電話に履歴が残っているのを思い出し、今日改めて電話してみた。

事情を説明すると、カップ式の自動販売機は複数あったらしく、どの自販機か? と聞かれたが、そんなことまでいちいち見ていない。いま思えば、管理番号ぐらいメモしておけばよかったのだが、そのときは寝ぼけた頭で、しかも不満の勢いだけに任せて電話をしただけだったので、そこまで気が回らなかった。朧気な記憶を頼りに説明し、自分が買ったのは 150円のモカだったはずだと何とか伝えると、分かりました、代金を送ります、という決着になった。ところが、しばらくしてから電話がかかってきて、当該の自動販売機では 150円のモカは売られていないという。え、そうなの? そういわれて思い返してみると、確かに記憶がかなり怪しい。どこかで 150円のモカを買ったのは確かなのだが、よくよく考えてみると、それが愛鷹PAだったかどうかがはっきりしなくなってきた。

その前には、名神の黒丸PAでもコーヒーを買っているから、その記憶と混ざってしまったのかも知れない。そうだ、確かに黒丸では「ドトールが 180円なのに高いな」とかケチなことを考えながら 150円を払ったから、それは間違いない。すると、愛鷹ではいったい何を買ったんだろう。電話の人曰く、そこで売られているのは 120円のコーヒーばかりらしい。別な自販機には 150円の商品もあるが、それもモカではないという。でも、買ったものに不具合があったのは事実だろうから、いずれにせよ 150円は返金しますと親切に言ってくれる。しかし、わたしとしてはその30円の差がすごく腑に落ちないのだ。そのときは寝ぼけていたというのもあるが、人間の記憶なんて、ほんとにいい加減なものだ。そして、こういうことがあるたびに、明確な証拠がないと強く出られない性格になっていくんだな・・・。



大阪へ行ったり
2002年9月16日(月曜日) あめ

所用で昨日まで大阪に行ってたり。金曜の夜に横浜を出て、安城でR23に乗り換えるまで国道1号を真っ直ぐ走ってみた。神奈川県と静岡県の間には東名以外にまともな道路がなく、いつもは比較的まともなR246を通るのだが、それもやや飽きてきたので箱根を越えることにする(山頂付近で濃霧と大雨に視界を持って行かれたときはやめときゃ良かったと思ったが)。あとは、静岡のR1バイパスを抜け、さらに安城まで走ってR23で四日市へ。ずっとトラックがダンゴ状態になって走っているから、思ったほど速度が上がらない。亀山で少し寝てから、名阪国道とR163で京都府の和束町へ行き、異様に狭い府道62号などで宇治市に出るというルートになった。帰りは、素直に名神と東名。例によって深夜だったため、異様に早くついてしまった・・。

今日の猫模様その1その2その3



災害現場
2002年9月12日(木曜日) くもり/晴れ

雨の日には雲に覆われて隠れてしまうことも少なくないものの、今日は窓を開けてベランダに出てみると、その四隅で赤い航空障害灯が横浜ランドマークタワーの天辺がよく見える。日本にあるビルの中では、高さナンバーワンだ。ランドマークタワーでなくても、際だって高いビルが近くにある方なら、あそこに飛行機が突っ込んでくれたら見物だな、なんてことを言ってみたりしたこともあるかも知れない。直接の当事者でないから、そんな不謹慎な冗談も軽いノリで言えるわけだが、もし本当にそういうことが日本で起きたら、一体どんな騒ぎになるのだろう。想像しただけでも身震いがする。テロ攻撃そのものが恐いというより、特に起こり得ると想定されていたはずの大地震が実際に起きたときでさえ、政府はなにさらしてんねん状態だった。そのことを思い出せば、むしろ政府の対応に戦慄することになるかも知れない。

もっとも、カメラの前に出てきて、どっかの大統領よろしく絶妙の間を取りながら演説できるほどのテクと貫禄が日本の総理大臣にあるとは考えられないし、そもそもああいうプロパガンダ的な演説一つで綺麗にまとまる国ではないから、政治的な対応をアメリカと比べる気はない。だが、現場はどうなんだろう? 世界貿易センターの現場には多くのボランティアが集まってきたそうだが、それは日本の阪神淡路大震災や福井の重油流出事故のときも同じだった。着の身着のまま、アポ無しでやってくる雑多なボランティアを束ねるのは大変なことだろう。指揮系統がなく、みんながバラバラのことをしているようでは進む仕事も進まない。一日や二日ならともかく、長丁場になれば、生活支援も欠かせない。毛布や缶詰といった誰もが真っ先に思いつく義捐物資ならすぐに集まるだろうが、それだけでは生活できない。やれ弁当が足りない、簡易便所はまだこないのか、毛布はあってもどこで寝るんだ? という状態では、話にならない。

そんなところでは、アメリカの方が強いのかなって思う。荷台がキッチンやホテルの一室みたいなものになっているトラックとか、電源車や給水車なんかが集まってきて、何もない空き地を翌日には小さな街のようなところに変身させてしまう芸当を目の当たりにしたときは、カルチャーショックを覚えた。ケータリング一つにしても、ありがちな幕の内弁当か何かを配るられるより、現場で調理したものの方が美味いに決まってる。日本の民間会社でもこういう設備を持っているところがまったくないわけではないのだろうが、一ヶ月後に野外パーティをやりたいから手配してくれと余裕を持って頼まれても、手配できる自信がない。何らかの災害が起きたからすぐにやれと言われてこれだけのものを集められるのは、自衛隊の給養班ぐらい? 少なくとも、ボランティアでこんなトラック隊がやってくることはあり得ないだろう。



ライト
2002年9月10日(火曜日) くもり

最近は、タクシーなんかもやりだした昼間のヘッドライト点灯。事情を知らない対向車から「消し忘れてるよ」という指摘のパッシングを受けるのを防ぐためか、バンパーのところには、黄色い台紙に赤い文字で「ライト点灯中」と書かれたやたらと目立つステッカーを貼っているが、わたしなら「ライト故障中」と書いてみたくなるところだ。わざわざ点けているわけではないけれど、消そうにも壊れているから消えないんだよね、という意味にも解釈できるし、なかには「ライト点灯中」と貼っているにも関わらず、単に忘れているだけなのか、社則を守る気がないのか、点灯していないタクシーも見かけるけれど、そういう場合でも故障しているのなら仕方がないということで、少なくとも責める気にはならない。けれど、故障を故障と割り切っている整備不良タクシーには乗りたくないですか、やっぱり。

ひええー。いちにのさん.comで調べてみたところ、「突撃」って検索すると Google・goo・Lycos の各検索エンジンでうちがトップに出てくるのか。ネタ元は、お笑いパソコン日誌



訪問販売お断り
2002年9月7日(土曜日) 雨

職場の事務所の呼び鈴に「訪問販売お断り」シールを貼ってみたと書いたが、それを貼る前に比べ、やってくる訪問販売員の数は僅かに減った程度だと思う。特に懲りないのが「金融」を筆頭に「保健」「宗教」の各業種で、これらはそんなシールなんてどこ吹く風と考えているようだ。しかし、シールにメリットがまったくないわけではない。結局、その都度「鄭重に」お引き取り願うことになるのだが、シールがあるのとないのとでは「鄭重さ」のグレードがだいぶん違ってくるのだ。呼び鈴を押してから外で待っているタイプと、中に入ってくるタイプがいるのだが、たとえば後者では・・・

「失礼します。わたくし、○○の△△で〜」
「あぁ? 何の用?」
「かくかくしかじかのご案内で・・」
「お前、ピンポンのとこ見てこんかったんか?」
「いやぁ・・・なんのことでしょうか・・」
「もういっぺん見てこい」
「あ、これは訪問販売ではなく『ご案内』でして」

と、慣れたヤツは、だいたいこの手の強引な屁理屈で話を進めようとする。シールの存在を親切に教えてあげた時点でやめておけばいいのに、ここで帰らないから恐くならざるを得ないのだ。

「案内だけしてなんも売らんと帰る? へえー、そりゃすごい」
「いやその、えーっと・・・まあ、そうといえばそのような」
「ガタガタ言っとらんで、さっさと帰れ、こら」
「すみません・・」

一方、外で待っているタイプだと、こちらが出て行って応対するのだが、呼び鈴が真横にあるから話は早い。

「失礼します。わたくし、○○の△△で〜」
「日本語読める?」
「え?」
「だから、日本語読める?」
「読めますが」
「ここ、なんて書いてある?」
「あ、それは分かっていますが、実は・・・」
「分かっとったら帰れ」
「すみません・・」

一体なにを食べたらそこまで図太くなれるのか、逆に聞きたくなるぐらいだ。図太いが、気の小さいやつもいて「怒鳴るぐらいなら、もういいです。すみません・・」なんていうのもいたかな。



逆走
2002年9月6日(金曜日) 雨

京都の人と電話していたら、いきなり話が変わって「京都東−京都南/逆走車あり・・って、なんじゃそりゃ?」とのコメント。思わず「え?」と聞いてしまったが、ちょうど国道1号を走行中だったらしく、名神の京都南インターの付近を通りかかったところ、かかる内容の表示が情報掲示板に出ていたらしい。わたしの常識から考えると信じがたいものがあるのだが、何らかの原因で高速道路を逆走してしまう事例は思っていた以上に多く、危険な高速道路の逆走事故の統計によると、平成12年には26件あったという。痴呆と思われる高齢者が高速道路を逆走したという話であれば聞いたことがあり、原因がこれだけならまだ分かる。ところが、年齢層別で見ると、判断力が衰えているとは思えない25〜29歳にピークがあるというから、一体どんな間違いをするとそういうことになるのか首を傾げざるを得ない。

痴呆とか、パトカーの追尾を振り切るためにわざとやるといった特殊なケースを除けば、高速道路を逆走することなどあり得ないと思うのだが、原因を見ると「うっかり」「ぼんやり」が意外と多いのも恐ろしいものだ。ランプの出入口などには、順路を示す標識がこれでもかというほど林立しているし、間違った方向へ行こうとすれば、普通の規格よりも一回り大きい進入禁止の標識が盛大な出迎えをしてくれる。仮にそれらを無視できたとしても、周囲の状況を見ていれば本線に合流する前に何かが違うと気付きそうなものだが、それでも逆走するのだから、よほど何も見ないで運転しているのだろう。高速道路の逆走なんて危ないとかそういう問題を通り越しているし、もう注意の範囲を大幅に超えている。こういう走る災害みたいなやつは、そもそも運転しないでもらいたいものだ。

しかし、一般道路なら、深夜に細い道から太い道へ右折するような場合に、間違えて逆の車線に入ってしまいそうになった経験をお持ちの方もいるのではないだろうか。特に、中央分離帯があるとは知らない道路へ右折するとき、ほかに車が一台も走っていなければ、漆黒の闇の中にヘッドライトで照らし出された中央分離帯が路肩の縁石に見え、中央分離帯の手前に入ってしまいそうになることがあったりする。一般的に、道路には横断勾配(道路の中央部よりも両端の方が低くなっている)が付けられているため、広い道では中央部がかなり高く盛り上がっていることがある。その向こう側はヘッドライトの影になってしまい、脇道の交差点からは、反対側の端が見えないことがあるのだ。普通は進入禁止の標識が立っていたりするのですぐに気付くのだけれど、気付かずにそのまま走ってると、大事故になる可能性は高いだろう。

そんな広い道でなくても、センターラインと車線のラインが区別されていないことは、日本の道路標示のいけないところだ。白色の破線は、片側に複数車線ある道路の走行帯を示すために使われていることが多いが、追い越し禁止でない二車線道路のセンターラインにも使われる。黄色の実線も、必ずしも進行方向の区分を意味するわけではなく、単に車線変更禁止を意味する場合もある。もしこれらがはっきりと区別されていれば、何かの間違いで逆走してしまってもすぐに違和感に気付くのではないかと思う。追い越し禁止といったことは、なにも線の色を変えなくても実線か破線かだけで十分に区別できるのだから、センターラインは黄色で、走行帯の区分は白で表示すればよい。ならば、二車線一方通行のような道路だってすぐに見分けられる。実際にそうなっているアメリカの道は、日本のよりも遙かに分かりやすいと思うのだが。



藤田くん
2002年9月5日(木曜日) くもり/小雨

いつも職場で流れている FM Yokohama を聞いていると、街角レポータの藤田くんが職場の真裏にある野毛やなぎ通りの風景についてレポートをはじめたので、少しだけ藤田くんを探してみることにした。日々、放送エリア内のどこかへ行っては色々なレポートを入れてくる人なのだが、どんな感じでやっているのか前々から気になっていたのだ。日が暮れたあとならそれなりに賑わう飲屋街のメインストリートも、仕込みすらまだ始まろうとしない朝方には、実に閑散としたもの。何百メートルかある通りの端から端まで見渡しても人の数など片手で数えられる程度で、それすら大半は地元の決まった顔ぶれだから、キョロキョロとしながら歩いてくるお兄さんを見付けるまでに、さしたる努力は要しなかった。きっとこの人だなと思って「藤田くんですか」と声をかけたら、やっぱりそのとおり。

意外だったのが、スタッフとか中継車といった仰々しいものはまったく連れておらず、単独で飄々と歩いていたこと。道具らしいものといえばリュックサックを一つ抱えていただけで、服装もマスコミルックではなく普通のお兄さん風だから、特に注意していなければそこらの通行人と見間違えてしまう姿だ。そういえば、いつも電車と徒歩で移動しているようだし、レポートの中継には電話を使っているらしい。藤田くんなりの取材信念なのだろうか。地元密着型番組だから、こんなノリの方がいいのかも知れない。「いつもラジオで聞いてます」と、ありがちな挨拶を交わしたり、FM Yokohama のステッカーをもらったりしているうちに、なんかリクエストしてくれと言われたので、曲名とともに名前をいう。ローカルな話だけど、ラジオで「中区にお住いの、くぬぎざさん、男性からのリクエストで〜」なんて放送されたから、もしかしたら聞いた方もいるかも?

珍しく上手いこと行ったかと思っていたら、最後の最後でやられちゃった。へっ、もういいもん。もういいんだもん。どうせわたしの名前なんて、誰も正しく読んでくれないんだから。名前が、藤田くんから放送局へ伝わったところまでは良かったのだが、曲が終わったあとには「中区にお住いの、く『の』ぎざさんからのリクエストでした」。ま、いつものことだし、マスコミで間違った名前が出ちゃったのたのも初めてのことじゃないし。ええ、ぜんぜん気にしてませんとも(爆)



都道府県の歌
2002年9月3日(火曜日) はれ

先日は長野へ行って来たんですよ、なんて話をしていたら、その人もたまたま長野県の出身で、ある種のノスタルジアが舞い戻ったのか、なんか知らんがいきなり「長野県民歌って知ってる?」と言って「信濃の国は〜」と歌い出した。曰く、長野で生まれ育っていればこの歌詞が出てこない人間はいないのだそうだが、歌えるもなにも、わたしにとっては、そもそも都道府県に歌があったこと自体が大発見であった。長野県の小学校に通えば、音楽の時間に必ず長野県民歌を歌うから知っていて当然らしいのだが、思い返してみてもわたしの義務教育課程で山口県民歌とか大阪府民歌なんてものを歌った記憶はない。その類の歌といえば、せいぜい君が代を歌ったぐらいだ。いや、仮に何度かうたわされたことはあったとしても、歌詞なんてもうとっくに忘れているだろう。小学校で歌った歌を、大人になっても忘れずに歌えるというのが、ちょっとすごい気がする。

調べてみたところ、長野県庁のサイトで「信濃の国」を聞けることが判明(ただし伴奏のみ)。携帯電話用の着メロまでちゃんと用意されていたりするから、もっとも気合いが入っているのはやはり長野県かも知れない。いま住んでいる神奈川県にもちゃんと歌があり、「光あらたに」という歌が神奈川県庁のサイトで紹介されているが、こんなものがあったとは知らなかった。紹介を目的としたページは見付けられなかったが、先に挙げた山口県民歌も実は存在するらしく、県議会の議事録の中に「山口県民の歌」の歌詞が少しだけ出てくる。もっとも、「昭和38年の山口国体を前に作られた」とわざわざ紹介し、答弁の中ではやや大げさな感じで歌詞を引用しているぐらいだから、県議員ですら知らないような歌なのかも知れない。大阪府民歌は、どうやら存在しないようだ。まあ、ここでは非公式ながら「六甲おろし」がその機能を果たしているから、要らなかったのだろう。

さらに「横浜市歌」なんてものが出てきた。作詞が森鴎外というのも驚きの事実だが、この手の歌としてはやや気張りすぎた感じがするのもそのためかな。



輻輳その後
2002年9月2日(月曜日) はれ

www.exp.org の急激なアクセス増は、とりあえず一段落。液体窒素のページがミラーに移ったかと思ったら、次はそこからトップページに飛んでくるアクセスも無視できなくなり、一時は全ての画像を取り払ったりしたが、いまはすべて元に戻した。

普段はあまり目立たないスタイルで、ハイクオリティなサイトを作られている方々の雑記などを読んでいると、どこかに紹介されて考えられないような突発的トラヒックが発生し、えらく困ったという話がたまに出てくるから、こういうのは時々あることなのだろう。極端な話、クラスタ化されたサーバをIX直結のデータセンタに収容して大量のアクセスを捌いているようなサイトの客が、個人で細々と運用しているサイトに突然なだれ込んでくれば、途端に捌きれなくなるのは当然のことだ。しかしそれでも、「リンク禁止」とは書いていない(書きたくない)手前、意図的な DoS攻撃効果を狙ったリンクならともかく、害意のないリンクを咎める気にはならない。もちろん、それを辿ってサイトを見に来ている人も悪くないことは言わずもがな。誰が悪いわけでもないから余計にタチが悪いとも言えるのだけれど、単なる技術的な問題として、規模の違いすぎるサイト同士をリンクで結んでもうまくいかない、というだけのことなのだ。

事情は大規模なサイトでも同じようだ。恐らく史上最大級のウェブサイト同時多発輻輳事件は、ニューヨークであった同時多発テロの直後に、有名ニュースサイトが軒並みダウンした一件だろう。各社とも事態の収拾にはかなり苦労したようで、ページの贅肉を片っ端から削ぎ落すなどして、何とかトラヒックを減らすことで解決したという。勿体ないお化けが出るほどの余裕を見ているところは別として、原因が何であるにせよ、どんなサイトとて突発的に発生する極端なアクセス増に対して、即座に適切な対応を取ることは困難であることが伺える。たまたま発生した自然渋滞が原因となれば、なおさらのことだろう。そう考えると、この状態を意図的に作ってしまう分散型 DoS攻撃がいかに強力な兵力になりうるかが良く分かる。正常な http リクエストと見分けの付かないものを、様々なところからダラダラと送りつけられれば、フィルタなんかを工夫している間にダウンするんじゃないか。

ただ、リンクによる輻輳はまったく防げないことではないので、非常に大きなトラヒックを生み出しうるサイトの管理者各位においては、何らかのご配慮をいただけると、うちを含めて多くの細々サイトが助かると思います。本件について、連邦さんの掲示板に書き込まれている方、ありがとうございます。



長野へ
2002年9月1日(日曜日) はれ

土曜日の深夜にいきなり行くことが決定して、長野県へ。日帰りだったので少し寝てから中央道で行こうかとも思ったが、いちど寝てしまったら昼過ぎまで起きなさそうな予感たっぷりだったので、例のごとく早朝から下道で行くというパタンになった。普通なら甲州街道を真っ直ぐ走るところだが、今日は天気が良かったので何となく富士山が見たくなり、敢えて御殿場・上九一色経由という変なルートで行ってみた。R246で御殿場まで出て、R138で山中湖へ。篭坂峠を通ってもよかったのだが、ここは素直に520円払って富士五湖道路ですっとばすことにする。峠は峠で良かったのかも知れないが、富士五湖道路もなかなか景色がよかったから、まあ良いだろう。山中湖から先は R139に入り、その沿線にある道の駅なるさわで富士山を見て目的達成。時間が早かったのと夏休み最後の日だったためか、ここまでは渋滞なし。ふぅ。

富士山の脇をかすめてからは、ある事件からえらく有名になった上九一色村の樹海の中をつっきり、精進湖のところから先は R358で甲府へ出る。甲府からは、R20をひたすら走るだけなのだが、R20と R358の交差点は R20が上を通る立体交差になっていて、しかも理解に苦しむ構造になっている。長野方面へ行くなら側道へ左折しなければならないのだが、なぜかそこには側道がなく、東京方面側へ右折する側道しかない。記憶が確かならば、道標には右折で長野方面へも行けるようなことが書いてあったのだが、結局そのまま R20の本線に合流して東京方面へ行くことになってしまい、次の立体交差で再び側道へ降りて高架の下で Uターンする羽目に。あそこは、そういうものなんですか。

ほどなくして長野県内へ。この辺までくると次第に勾配がきつくなってくるのだが、目の前を走るのは登り坂になるごとに視界が悪くなるほどの煙幕を吹き上げるデリカ。個人的に、デリカタイプのワゴン乗り(特にディーゼル)=バカっていうイメージが強かったりするのは、こんな汚らしい車が多いからか。いつまでも後ろを走っていたら病気になりそうなので、さっさと抜いてしまいたいところだが、ずっと追い越し禁止なので、ちょっと迂回して富士見町の方へ上がってみることにした。詳しい地図は持っていなかったのだが、田舎だから迷うほどたくさんの道があるわけではない。とりあえず八ヶ岳中央高原の方を目指せば、そのうち目的地に着くだろうと、適当に走っていたら真っ直ぐと続く道の脇にお花畑がいっぱいあったりして、良い感じの道ばかりだった。

帰りぐらいは中央道に乗ろうかと思ったが、R20は快適に流れているので、結局そのまま相模湖まで真っ直ぐ。中央道は、お約束ポイントである上野原とか小仏トンネルあたりで大渋滞しているようだったが、併走する R20は不思議とよく流れていたから、むしろこっちの方が良いのかも。



突撃実験室