多事毒論(2003年12月分)


今年も終わり
2003年12月31日(水曜日) 曇り@大阪

2003年も今日で最後,今年も多事毒論をご愛読いただきありがとうございました。

今年は,夏頃からずっとスランプ気味で,自衛隊のイラク派遣についてとか,書きたいネタは色々とあったのですが,どうも思ったようにまとまらず,更新がしばらく飛んでしまうことが多くありました。あまりに書けないので,投げやりな更新を続けるよりは潔くやめてしまおうかとも考えていたんですが,最近は幾分か回復してきたようで,取り敢えずこれからも続けるつもりです。もう少し気楽に書けたらいいのですが,その気になれるかどうかの気分的な問題もあるので,ほぼ毎日書き続けるというのは難しいものですね。もっとも,一年ほど前までは実際に書き続けていたわけで,いま思えばよくやってたよなという感じですけれど。

そんなわけで,来年も多事毒論をよろしくお願いいたします。



電池が・・
2003年12月30日(火曜日) はれ/曇り@大阪

昨日気が付いたのだが,ノートパソコンの電池がフル充電から数分で切れてしまうようになっていた。ここのところ電源のない場所で使うことがなかったからはっきりとは分からないが,10月に台湾へ行ったときはそんなことはなかったので,突然くたばったようだ。もっとも,記憶が正しければもう5年以上も使っているわけだから,とっくに電池の寿命が来ていてもおかしくない。むしろかなり長持ちした方だとは思うが,さてどうするか。外出先でのメール・多事毒論端末になっているだけなので,5年前のやつでも大きな不満は感じないが,恐らくかなり高い電池を買うぐらいなら,新しいノートパソコンを買った方が得策という気もする。扱いが荒っぽいと周りから言われることが多いわりに,わたしは物持ちがいい方なので,こういうとき,困るんだよなあ。

ついでに,久々にPIAFSでインターネットにつないでいたら,PHS移動機の電池も数十分しか持たなくなっているし。この電池は規格品だし,予備があるのでいいのだけれど,普段は自営モードで加入電話の子機として使っており,いつもフル充電状態になっているので気づかなかった。インターネット接続用のPHS移動機として使うだけなら,電話機型+モバイルカードという面倒な構成よりも,カード型のものが手軽で便利なのは分かるが,ギリギリの弱電界で使うときに威力を発揮するので,これはこれで気に入っている。特に建物の中だと,窓際でないとダメなときがあるが,そういうときに電話機だけを窓際に置けるのは便利である。で,PHSは電池長持ちというイメージがあったので,充電器を持ってきてないのだ。PDCがあるけど,遅すぎるし・・。



諏訪→大阪
2003年12月29日(月曜日) はれ/曇り@大阪

諏訪から大阪へ移動。例によって節約のため下道で行くことにするが,冬場なので比較的安全そうな幹線ルートを選ぶことにし,茅野からR20で塩尻,塩尻からR19を延々と下って土岐,土岐からR21で岐阜,大垣を横断して彦根,彦根からはR307で宇治田原という感じになった。中部地方から大阪方面へ行く場合は,このルートがほぼ最短だろう。今年は平年よりも暖かいのか,木曽路は雪のあるところでも道路脇に多少残っていた程度。結局もっとも積もっていたのは,意外とR307の日野から信楽にかけてであったが,それでも道路が凍結しているわけではなかったので,緊張を強いられるようなことはなく,混むことの多い中津川付近も空いていたので,快適に走れた。かかった時間は,塩尻から土岐までで,4時間程度だったと思う。

失敗したのは,深夜の彦根で仮眠を取ったこと。しばらく寝るつもりだったので,エンジンを切って毛布にくるまって寝ていたら,あまりの寒さに目覚めてしまった。なんだか,熟睡した感じもしない。見れば,窓に付いた露が凍ってるし,そりゃ寒いわけだ。予想はしていたので,ちゃんと毛布を用意してあったのだが,十分ではなかったなあ。



長野へ
2003年12月28日(日曜日) はれ

27日の夜から長野に向け,相模湖ICから中央道。最近は帰省ラッシュの分散化が進み,特に今年は極端な渋滞は起きないと予想されているが,まったくそのとおりで23時ごろの中央道はほとんど貸し切り状態。いつもより多少,車が多いぐらいのではないかと思っていたが,どっこい,たいへん見通しのよい甲府手前の直線では前後に一台も車がいなくなり,やっとトラックに追いついたときには,ちょっと安心したぐらいであった。その後,初めてスタッドレスで雪道走行。圧雪が多く,表面がサラサラのところはわりと普通に走れたが,黒光りするミラーバーンではさすがに厳しく,滑走開始ポイントが分かるまでは何度かABSのお世話になった。今年は降雪が少ないようで,道路上の雪はまばらだったからアクロバティックなことは試せなかったけれど,注意して走れば十分だという感じ。

で,今日は雲一つない快晴のお天気。八ヶ岳連峰,赤岳が最高に綺麗でした。



灰皿照明LED化
2003年12月26日(金曜日) はれ/雨

車の灰皿を照らしている電球が切れたので,取り替えるついでに LED化してやることにした。もともと使われていた電球は小さなウェッジ球である。LEDに取り替えるためには,純正のソケットにそのまま差し込める電極を作ることが望ましいが,端子部分の寸法を測ると,幅は約4.4mmで中心には丸い突起があり,電極部の厚さが約1.7mmと,なんか中途半端で作りにくい感じ。さてどうやろうかと悩んだ末,1.6mm厚のプリント基板とほぼ同じ厚さである点に目を付けて,エッチングされる前の片面ナマ基板を電極として使うことにした。はじめから寸法通りに作ると,ソケットの食いつきが甘くなって接触不良になることが予想されるので,まず基板をやや大きめの 20mm × 5mm に切り,あとから現車のソケットで合わせながら微調整することにする。

ナマ基板のままでは当たり前だけど意味がないので,次にプラスとマイナスの電極を作るのだ。高周波モノを作ったりする人なら分かると思うが,こんな単純な基板は,わざわざエッチングしなくてもカッターと半田ごてで十分に作れる。先に切った基板の銅箔に,カッターナイフで切れ込みを縦方向に二本入れ,その中間の銅箔が剥離気味になるまで,半田ごてでしつこく加熱してやればできあがり。最後に,適切な向きでLEDと抵抗を半田付けして完成である。現車のソケットに合わせて寸法を調整し,差し込んでみたところ,若干のぐらつきは認められたが,揺らしても接触不良は起きなかったので,オーケーとする。ちなみに,使ったLEDは青色。暗闇の中で青く輝く灰皿っていうのも,ちょっと怪しい感じが演出されていいでしょ。たばこを入れると,煙も青く染まるし。

いい加減にしろよと聞こえてきそうな,続々々スタッドレス。今日の夜,履き替えてから初めて雨が降った。右折待ちで対向車の列が途切れたところを見計らい,急と付くほどでもないが,やや勢いよく発進したら前輪が「ズルッ」。試しに,横断歩道の上で強めにブレーキを踏んだら「ジュジュジュ」。ひえー,湿潤路面だとこんなに食いつかないものなのですか。いつもの癖で,信号が変わる寸前に「曲がっちゃえ〜」をやりかけて,普通に突っ込んだら絶対に滑ると思いだし,えらくぎこちないライン取りを何度か披露してしまった一日でした。



続々・スタッドレス
2003年12月25日(木曜日) はれ

クリスマスとかクリスマスイブに,何か特別な行事を執り行うのは個人の自由だからとやかく言うつもりはないが,世間には,ともすれば何かをやらなければならない義務でもあるがの如き風潮があるように感じられるこの頃。そこらで勝手に騒いでいるだけならいいが,それが自分に向けられることもあるのは迷惑きわまりない。イブのご予定は,といった類の下らん質問が,ややもすれば失礼に当たるとは考えもしないのかねえ。信仰もしていない宗教の行事を祝う趣味はないので,変わったことをするわけでもないのだが。ついでに,この時期の週末になると,みなとみらい21周辺の道路が大渋滞するのは何とかならないのかなあ。わたしにとっては,あの辺も生活道路なので。

スタッドレスの話が続いてしまって申し訳ないが,購入時に,どのメーカのものを選ぶかで悩む人も多いだろう。2ちゃんねるのスタッドレス関連スレあたりを見ていても,ああでもない,こうでもないとやっている。雪国の方であれば,信頼に足る口コミ情報もそれなりにあることだろうし,過去の経験なんかも反映できると思うが,雪の降らない場所に住んでいるとそういうわけにはいかないので,2ちゃんねるとか個人ホームページに書かれている主観的評価などを総合して,トレンドを掴むような感じになってしまう。どっちにしろ,評価基準は噂と経験が中心であるわけで,しかも色々と試して簡単に比較できる性質のものではない以上,最後にモノをいうのはブランドイメージである。そういう意味では,今後出てくるであろう商品の善し悪しにかかわらず,イメージを固めたブリヂストンは今後も強いはずである。

よって各社とも,どうしてもブランドイメージを向上させて売る方向に傾いてしまうんだろうか。宣伝文句では,客観的な効能よりも,何とかサイプだの何とかゴムだのと,具体的にはどう違うのかいまいちよく分からないが,目を引くことは確かである名称ばかりが強調されがちだし,横浜ゴムのプレスリリースなんかを見ると,イメージを再構築するために「ガーデックス」は捨てて,これからは「アイスガード」で行くというようなことが書かれている。非積雪地帯におけるスタッドレスの選択で人を悩ませるのは,こういうやや曖昧なイメージ戦略に,口コミ情報がミックスし,結局なにがいいのか分からなくなるところに原因があるような気がする。その点では,ミシュランのドライスあたりは,ドライ性能重視と思われる製品コンセプトがわりと明確で良心的な方じゃないかと思う(採用技術の名称が大袈裟なのは他社と同じだけど)。

ところで,英語で Studless Winter Tires と検索すると,日本仕様とは異なるかも知れないが,比較的客観的と思われるテストデータみたいなものも出てくる。もしかしたら,自動車専門誌あたりでテストしていたりするのかも知れないが,安全性に直結するものでは,信頼に足る実テスト情報が拡充しているの方が嬉しいよね。



続・スタッドレス
2003年12月24日(水曜日) はれ

慣れたとはいえ,スタッドレスで乾燥路面を走っているときのフニャフニャとした感じはどうも気色が悪い。翌年の冬まで履きっぱなしにして使う人もいるらしいが,これではやはり,不要なときにはとっとと履き替えたくなる。それはともかく,年末はこれで広島往復をやるのかと考えると何となくイヤだなあ。誰だ,今年の忘年会兼新年会は広島でやるなんてことを言い出したのは,って嘆いたところで,言い出しっぺは自分だからしょうがないんだけど。タイヤとジャッキを積んでいって,積雪地帯を抜けたら履き替えてやろうかなんてことも考えたが,それも面倒くさすぎるし,やれやれと思った途端に観測史上希に見る大雪って事態もありがちだから・・まあそのまま行くことにしよう。

ところで,ゴムの柔らかいスタッドレス。これで乾燥路面ばかり走っていると,なんのためのタイヤなのか分からないまま,摩耗ばかりが急速に進みそうな気がするのだけれど,実際のところどのぐらい持つものなんだろう。減ってないからといっていつまでも使い続けられるものではないが,3〜4年は持つものと考えて,冬場には 3,000キロほど走るとすると,1万〜2万キロは氷上性能を維持していて欲しいところだ。思ったほど減らないと,少なくともおとなしく走っているとは思えない人がいうので,そのぐらいは持つのだろうか。タイヤが減るともったいないというのも貧乏くさい話だけれど,実際に貧乏なもので。年末ジャンボ,当たらんかねえ。



スタッドレス
2003年12月22日(月曜日) はれ

車のタイヤをスタッドレスに履き替えた。滅多に雪の降らない横浜で乗っているだけならそんなものはまず必要ないのだが,最近は八ヶ岳のあたりまで行くことがときどきあるので,雪道も走れるようにしておかないといけない。去年は,スタッドレスかチェーンかで悩んだ末に,保管場所の問題や使用頻度を考慮して,比較的高級なゴム製チェーンを購入した。その判断は,合理的なものであったと思う。天候がよければ,中央道などの幹線道路に雪が残っていることは少なく,積雪があるのは標高が高くなってからのラストワンマイルぐらいなので,必要なときにチェーンを巻けば十分なのだ。ところが,今年の正月には不運にも大雪の日に当たってしまい,ガタガタと揺られながら中央道を上野原までチェーンで走ったあとには,もうチェーンで走るのはイヤだーという気分に・・・。

まあ,そんな事態は年に一度あるかないかというような希なことだし,スタッドレスも安い買い物ではないから,どうするかと今年も悩んだのだが,結局買うことにしたのは,わたしには思いつきで変なルートを走ってみる癖があるからかもしれない。思い返せば,去年の年末に大阪へ行ったときには,途中の東名阪道で雪がちらついていたし(チェーン規制こそなかったものの),帰りには,積雪がないことを祈りつつ,普通のタイヤのままで R8/R21 を経由して草津から大垣に抜けて名古屋へ出た記憶がある。そうでなくても,名神の関ヶ原付近のゲリラ雪は有名だし,ちょっと山間部へ行けばどこでも凍結気味だったりするから,冬場にウロウロとするときには,履いていて困るものではないだろうと考えたわけだ。

純正のタイヤは 195/60R15 なのだが,こいつはあまり出ないサイズであるためか,ちょっと高い。しょうがないから,比較的安くて,比較的互換性のある 185/65R15 と,見るからにスタッドレスとのセット販売用です!って感じの,安っぽいアルミを購入した。ちなみに,Yokohama 専門のところから買ったので,ブランドは Yokohama の ice GUARD だ(世の中ではブリヂストンに人気が集まっているようだけれど,そんなに違うのかな)。そんなわけで,初めてスタッドレスを履いてみたのだが――これで乾燥路面を走っていると,驚くほど剛性感がないというか,ふわふわとしていて気持ちが悪い,というのが第一印象である。もったいないから極めておとなし〜〜く走っているんだが,なにせステアリングが明らかに軽くなったので,慣れるまではちょっとふらついていたぐらいだ。



DVD
2003年12月13日(土曜日) くもり

新しいPCにDVDドライブを装備したことで,とりあえずはDVDの映画ソフトの再生もできるようになったはずなんだが,よく考えると家にDVDなソフトがないから試せない。それでは早速なにか買ってこようと思って店に行き,DVDソフトの第一号として,中島みゆきの「夜会の奇跡」を買ってしまう。何でもいいから何かを買うとなると,結局みゆきさんになってしまう自分もつくづく終わってる気がするんだが,まあいいだろう。終わってるという観点では,独特な世界観の舞台といい,奇矯な衣装で床に這い蹲って歌ったりする演出といい,夜会のみゆきさんの方がね・・・。こんなのを見ていると,本当に道に倒れて誰かの名を叫んだりしてるんじゃないかとさえ思えてくる。

で,いままでは Windows の窓の中でDVDを見てどうするんだと思っていたけれど,実際にやってみると,テレビを見ながらPCで作業していることの多いわたしにとっては思いのほか快適だということがわかった。普通のテレビも,PCのモニタのすぐ近く置いてあるのだが,同じ画面の中にあると視線移動が少なくて済むから楽なんだろう。地上波はあんまり見ないが,なんだかテレビチューナも欲しくなってきたぐらいだ。とはいえ,PCの前にいないときは普通のテレビで見たいので,ビデオカードから出力されるNTSC信号をテレビに繋いでみたが,そうすると画質がイマイチな感じがする。なんとなくスキャンコンバータを通したような感じの絵で,垂直方向の解像度が悪いというか。そんなもんなんでしょうか?

画質云々以前の問題として,わざわざPCをDVDプレーヤの代用品として使うのはあほくさいことなので,家電である据え置き型DVDプレーヤもかなり前から買おうと思ってはいる。ところが,同じ買うんだったら HDD + DVD レコーダがいいな,でもちょっと価格が下がるまで待った方がいいかな,かと思ったら記録フォーマットがいろいろとありすぎてややこしいな,そういえば地上波デジタルの話もあるし,なんて言ってるうちに買う機会を逃してしまった。案外,そういう人は多いのかもしれない。現実的な価格になりつつあり,なおかつ製品として固まってきた感じのする HDD + DVD レコーダ,今年の年末商戦あたりで大爆発するのかな。



Windows XP
2003年12月12日(金曜日) くもり

ぶっ飛んだ方のPCでは Windows 2000 を使用していたのだが,新しいPCには Windows XP の Professional 版を入れてみた。Windows 2000 でも具体的な陳腐化を感じたことはなかったから,OEM版で2万円近くするXPを買う必要があるのかどうかとちょっと迷ったし,あのボテボテとした青っぽいウィンドウに象徴されるデザインセンスに大いなる違和感があって,イメージ的な抵抗感も少なからず持っていたのだが,設定で昔の Windows 風のデザインにもできることを最近になって知り,それならまあ良いかというわけで,XPを入れる気になったわけだ。まあいずれにせよ,新規インストールでわざわざ時流から外れたものを入れるのもどうかって感じだし。

画面のデザインを昔の Windows 風にすると,普通に使っている限りは Windows 2000 とどれだけ違うんだって感じもするが,UIの細かい改良で,かつてないほど使いやすくなっていることはよく分かる。しかし,どうでもいいところを親切にしすぎて,いわゆる「余計なお世話」も,かつてないほどの激しさになってしまっているのはどうにかならんものか。初めて使う人にとってはああいうものもためになる,という意見も分からなくはないが,聞いてもいないことが書いてあるポップアップが雨後の竹の子のごとく出てきたところで,たまたま求めている答えが得られて地獄で仏,というふうには滅多にならないだろう。Excel でわけのわからんイルカが出てきたときに,銛で串刺しにしてやろうかと思ったのはわたしだけではあるまい。

OSが入ってから,古いディスクの内容を新しいディスクに移す作業も大変である。データは普通にコピーするだけでいいが,扱いに困るのは,プログラムの類だ。決まった方法でインストールしない限り動きません,というのはまあいいと思うので,Program Files の中にあるものを勝手にコピーしただけでは動かないのはしょうがない。しかし,決まったフォルダの中だけで自己完結していれば分かりやすいのに,Windows のフォルダの中にやらたと DLL だの ini ファイルだのを置き,下手すればレジストリにもユーザデータに近いものを書き込んでいるようなソフトは,設計を見直してほしいものである。妙なところにユーザデータを書き出されたのでは,再インストール時にも大変な思いをするし,バックアップも取れないのだが。



Serial ATA
2003年12月10日(水曜日) はれ

新しいPCには,Serial ATA のハードディスクを取り付けてみた。価格は,普通の ATA よりも少し高かったのと,初めて使うという不安もあって少し迷ったが,マザーボードには Serial ATA のポートがあるので,せっかくだからそれを使うことにした。しかし,速度の問題は別として,Serial ATA にしてよかったと思うことは特になかった。今回インストールした Windows XP には Serial ATA コントローラのドライバがついてこないので,インストールする際にドライバの入ったフロッピーディスクを用意しなければならなかったし,BIOS おいて,起動デバイスの優先順位設定をするところも,歴史的なしがらみからか,普通の IDE を使う前提のメニューになっているので,ちょっと厄介だ。結局,Serial ATA ディスクを起動デバイスに設定するところでハマってしまい,自力で解明する羽目になった。

困っている人もいるはずなので,Gigabyte GA-7VT600 1394 の最新 BIOS において,Serial ATA のハードディスクを起動デバイスに設定するための undocumented 情報を記しておく。まず,起動時に DEL キーを叩いて BIOS の設定画面に入り,メインメニューで Ctrl + F1 を押下する(この操作で,普段は表示されない隠し項目が表示されるようになる)。次に,Advanced BIOS Features のメニューに入り,Serial ATA ディスクから起動する順位の BOOT Device を,"SCSI" に設定しよう。問題は次だ。これはバグだと思うが,Third Boot Device を選択している状態で↓キーを押すと,なぜかカーソルが消える位置がある。実はここに「見えないメニュー」が存在しており,カーソルが消えている状態で Enter キーを押すと,SCSI/RAID/SATA を選択するメニューが現れる。Serial ATA の RAID を組んでいない場合は,これを "SATA" に設定すると Serial ATA から起動するようになってくれる。

Serial ATA が,SCSI と同等の扱いになっていることは,Gigabyte のサイトにおいて PDF で見られる英語版マニュアルに書いてあるのだが,「見えないメニュー」があるなんてことは,もちろんどこにも書いていない(まあバグだろうし)。どうにかならんのかと思うのが,付属の「日本語になっていない日本語マニュアル」だ。Serial ATA を Boot Device にする方法については一言も触れられていないし,だいたい,Ctrl + F1 で追加のメニューが出てくることも,FAQ に小さく書いてあるだけで,酷いもんである。ド素人が翻訳したとしか思えない日本語マニュアルを付けるよりも,まともなことが書いてある英語マニュアルを付いてくれた方が,よほど親切だと思うんだけどなあ。まあ,AT互換機ではよくあることだが,なんとかならんものか。

Undocumented 情報をもう一つ。無理やり付け加えたとしか思えない SCSI/RAID/SATA 選択メニューの存在からわかるとおり,BIOS における Serial ATA 関係の実装が,SCSI 部分の拡張という形で,あとから強引に足された不細工なものであることは容易に想像がつく。このためか,Serial ATA と 本物の SCSI と仲が悪いようだ。SCSI のハードディスクも存在しているときは,SCSI の BIOS を殺しておかないと,Serial ATA を無視して SCSI のハードディスクから立ち上がろうとする不具合が認められた。いまどき SCSI のハードディスクを使う人なんてそういないと思うけれど,念のため。



PCが飛んだ
2003年12月8日(月曜日) はれ

自宅パソコンの Windows 2000 が起動不能になってしまわれた。問題は,日曜日に遅ればせながら紅葉を見に行ったあと,撮影したつまらん写真でも見ようかと思って,初めて使う USBのカードリーダを接続したときに起きた。要求された通りにドライバを入れていたところ,なぜか突然リブートし,そのままご臨終。一応,Win2K が動き出すところまでは行くのだが,途中で青い画面になり,Invalid_Boot_Sector(だったかな?)みたいな,よくわからない内容のエラーで止まってしまう。セーフモードで立ち上げても同じで,これでは治すに治せない。ぎゃ〜〜って感じだが,もとから半ば腐っていたようなOSなんか治す気にはならないし,どうせ再インストールするのなら,早期にやろうと思っていながら面倒くさくて放ってあった,SCSIおよびフルタワーケース廃止計画を実行するにはちょうどいい機会である。

しかし,廃止計画を実行するには,ケースとハードディスクが必須だし,SCSI の CD-R なんてものも捨てたいから,DVD ドライブなんかも欲しくなる。でもよく考えると,あと3万円も出せばマザーボードとCPUとメモリも買えてしまうわけで,だったら,いまのをゴチャゴチャといじるより,いっそ新しいPCを組みたくなってしまうのが人情ってものだろう。最近はパソコンなんてものにはまったく興味がないので,DDR ってダンスダンス何とかの略ですかってぐらい,いまのトレンドには疎いが,まあ心配していても始まらない。そんなわけで今日,仕事を早めに切り上げて秋葉原へ行き,かつてないアバウトな選択で一式買ってきてしまった。心配をよそに,組んでみたらあっさりと動いてくれたが,OSのインストール,データの移行,環境再整備と,山ほどある作業を考えると目眩が・・・。

どうでもいいが,最近のPCパーツってカラフルになりましたなあ。マザーボードの半田レジストも色とりどりだし,コネクタも色分けされているから,とにかく派手に見える。何より進化したのがケースだろう。昔のケースといえば,これでもかってぐらい事務的というか,工業的というか,クリーム色一色で,要するに見栄えというものをまったく考えていないようなものばかりばかりだったのに,最近のやつはやたらと LEDが光ったりとか,ネオン管が仕組まれていたりとか,ディスコの照明かいっていいたくなるようなものまである。おかげで,なるべくダサいのを選ぶのに苦労した。ああいうバブったゴージャス感は,わたしの趣味じゃないから。



Bフレッツベーシックってなに?
2003年12月4日(木曜日) くもり

Bフレッツの値段問題で、公正取引委員会からNTT東日本に排除勧告。Bフレッツの料金設定は現在、ベーシックタイプが月額9,000円でニューファミリータイプが月額4,500円となっているが、二倍の価格差に見合うような品質の差は認められないという旨である。この問題は、利用者の間ではすでに大変広く知れ渡っている話で、まあ当然の結果だろう。NTT東日本は、公式にはこれを認めていないが、現場の営業のなかには、経験則からベーシックはお勧めできないと遠回しに言う人もいる。実際、差がないだけならまだしも、スループットの比較ではベーシックがニューファミリーに劣るケースもままある。良心的な商売を心がける営業さんなら、両方とも利用しているユーザから、どういう差があるだと突っつかれて説明に苦慮するのはイヤなことだろう。

NTT東日本は自分のまいた種だからいいとして、性能に差のないことがはっきりしたことで、Bフレッツベーシックによる接続サービスを行っているISPにも困るところがあるかも知れない。なぜなら、ニューファミリーに対応するサービスとベーシックに対応するサービスで、かなり大きな価格差を設けているISPも多いからである(比較サイト1比較サイト2)。料金比較から分かるとおり、ベーシックタイプの位置づけは、ISPによって大きく異なっている。極端な例としては、IIJmio さんのように 2,000円に対して 7,000円と、5,000円も違うところもある一方、ぷららさんのように、ニューファミリーとベーシックの区別すらしていないISPもあるぐらいだ。うちの場合なんか、料金設定を決めかねて「ベーシックタイプのご利用については,別途ご相談ください」で御茶を濁してしまったしなぁ・・。

悩ましいのは、よく分かる。公然の秘密ながら、一応「御社限り」扱いになっているので詳しく書くのは憚られるが、Bフレッツのサービスが始まる前に、ISP向けにNTT東西から配布された資料には、ファミリータイプとベーシックタイプとでは(なお、当時ニューファミリーはまだなかった)パフォーマンスに差があるようなことが書かれている。これを根拠にすれば、料金に差を付ることは当然の対応だったと言えるだろう。おかしくなったのは、その後にニューファミリータイプが追加されたときではないかと思う。どちらかといえば、ニューファミリータイプ(西ではファミリー100)が出てきたときは、10Mbps の線を使うというスペックが見劣りするファミリータイプの後継品目という雰囲気が強かった。ところが、その際にパフォーマンスに関する明確な説明はなかった気がするのだ。いま思えば、ベーシックと同じようなものですとは言えなかったからかも知れない。

となると、自然な流れとして、ISP側でもニューファミリーをファミリーと同様に扱ってしまうわけで、必然的な結果として、ISP料金にもニューファミリーとベーシックとで大きな差ができてしまったうのだろうと思う(独自に差がないことを認識していたところを除いて)。まあ、ベーシックタイプを選択するのはヘビーユーザや企業ユーザに多い、ということを根拠にして多少の差があるのはいいとしても、何千円もの差があるとなると、ちょっと取りすぎだろうという感じがするのは事実だ。そのうち、ISPでも値下げが行われるのだろうか。



Bフレッツ
2003年12月3日(水曜日) くもり

7月ごろから自宅に入れようとしているBフレッツが、ようやく引き込める見通しとなった。やたらと時間がかかってしまったのは、契約前に内覧した段階から予想はしていたのだが、スマートな方法で光ケーブルを引き込むのが、ほぼ不可能だったからだ。一般に、集合住宅において各戸まで光ケーブルを引き込む場合は、電話用の配管に通線するのが基本だ。RC造のマンションなど、コンクリ打設後の通線が困難な構造の建物であれば、大抵はMDFからMJまでCD管などが引かれているから簡単にいくケースも多い。ところが、鉄骨にALC板をはめ込んだだけの安普請であるうちの場合は、配管を使う必然性もなかったのか、電話線は天井裏のH鋼に抱かせてあるだけという施工になっており、電話線の引き込み点から部屋までの間に使える配管がまったくないのである。案の定、調査に来てくれたNTT-MEさんも同様の見解で、難しいだろうという。

Bフレッツ引き込み方法検討図 そこで、別の引き込みルートを探すことになったのだが、これまた一筋縄ではいかないのだ。わたしは、右図のとおり、フロアあたり2戸しかない小規模なマンションの202号室に住んでいる。電話線などは、道路脇に立っている東電の電柱から駐車場の隅にある施設柱に対して張られており、そこから201号室側の壁の中に入っていっている。技術的にも景観的にももっとも美しい解決は、電話線が引き込まれている壁面まで、天井裏にCD管を通してしまうことだろう。これなら、既設の電話線と同じルートで光を引き込むことが可能だ。しかし、これをやるためには201号室に立ち入って施工を行う必要があり、さすがに憚られる。このほか、外壁に這わせることなどいくつかの方法を検討したが、どれにしても政治的な問題やコスト的な問題が浮上し、あっちが立てばこっちが立たず。

切り札として検討したのが、図の赤線で示したように、電話線のルートである施設柱は使わず、道路上の架空ケーブルから部屋のベランダまで、直接ケーブルを引っ張ってしまう方法である。駐車場の真上を堂々と横断することになるので、景観上の問題から気が進まないが、背に腹は代えられないからこれで行くことにした。説得の結果、大家さんのオーケーは取ることができたが、次なる問題は、前に駐車場があるせいで、電柱から建物まで26メートルも離れていることだ。26メートルというと電柱一区間分の間隔に近く、こんな長距離の引き込みをしている例はあまりない。NTT-MEが首を立てに振るかどうか、確信が持てない。また、2階ではケーブルの地上高(一般的には5〜6m)が十分に確保できないという不安材料もあったが、これは私有地だから構わないだろうということで押し切ることにした。

そして昨日、再びNTT-MEさんに来てもらい、この方法でやってくれるようお願いすると、予想していたとおり、距離が距離だからと難色を示されてしまった。余談だが、NTT-MEの引き込み調査部隊は非常に親切で、少なくともうちにはベテランの技術屋集団が来てくれる。それも、無理っぽいですな〜という雰囲気ではなく、電話工事だけでなく建築に詳しい人も交えて真剣に色々な方法を考えてくれるので、かなり好感が持てる。ああでもない、こうでもないと一時間ほど議論しているうちに、埒があかないからと応援を呼んでくれ、気が付くと、わたしを含めて5人での議論となっていた。そしてその結果、メタルケーブルと違って光は軽いから、26メートルぐらいなら何とかなるんじゃないか? それでも外壁では不安があるが、H鋼で支えるのであれば大丈夫ではないか? という結論になり、ようやく引き込み方法が確定したのである。

工事はまだなので、やっぱり無理です、なんてことにならなければいいが。



絵を描く
2003年12月1日(月曜日) 雨

不思議なこともあるもんだ。なにがって、過去にも何度か述べたとおり、絵など描けるはずはないと信じていたわたしが、最近、絵を描くことにしたのだ。描くことにしたってだけで、きれいな絵が描けるわけではないから、描けるはずがないという確信は極めて正しいままなのだが、これまで不可能であると端から斬り捨てていたことをやるようになったのだから、自分でも不思議なほど大きな変化である。きっかけとなる事件は、当サイトのタイトル(ねこ娘)などを描いてくれている絵師さんに、また新たな絵を依頼したときに起こった。言葉による説明だけでは、絵のイメージが十分に伝わらないフラストレーションに負けた勢いで、自ら説明のための絵を描き始めてしまったのだ。描けないから頼んでいるのに自分で描くというのは変な話だけれど、ともかくそうなったのである。

慣れないことで非常に苦労はしたけれど、結果として自分の描いた絵が、さほどおかしくない程度に仕上がったことで、絵を描くことに対する、言いしれぬ恐怖感が少し和らいだのかも知れない。絵師さんの作業風景を見ているうちに、なんだか自分も描きたくなってきたのである。もっともその時点では、下手くそな自分が、見るに堪えない絵を描くぐらいなら初めから描きたくない、という躊躇も少なからずあったが、絵師さんの指導に背中を押されて見よう見まねで描き始めたところ、次第に、気恥ずかしささえ我慢すれば面白いと感じるようになった。そのうち、つけペンにマンガの原稿用紙、それにスクリーントーンといった、なにやらプロっぽいものが出てきたことで、とどめを刺されたようだ。雰囲気が本格的になると、わたしはつい調子に乗ってしまうこと、知ってたね?

そして、その勢いで開明墨汁とGペンを買ってきてしまったのである。みっともないとしか言いようのない絵にも、心を込めてペン入れするとそれっぽく見えてくるから不思議である。さらに、適材適所の感覚はまったく分からないながら、適当なスクリーントーンをベタベタと貼っていくと、なんだかマンガを描いているような気分になってくるわけで、やっているとかなり楽しい。おまけにトーン貼りは、生きているのが辛くなるほどのダメです感に包まれながら絵を描いているわたしにとって、唯一それなりの自信を持ってできる作業だから欠かすことはできない。なんせ、はんだ付けやらの小細工でメシを食っている人間が、切ったり削ったりの作業で劣るようでは沽券に関わるわけで。

で、絵師さんの技術指導なしで初めて描いてみた作品。はっきり言って、汚物ですけれど。



突撃実験室