多事毒論(2003年1月分)


ドメイン
2003年1月29日(水曜日) はれ

いつのまにか http://www.kunugiza.co.jp/ なんていうサイトができていた。「ようこそ!株式会社 クヌギザ のページへ」と出てくるだけなので、なにをやっている会社なのかはよく分からないけれど、わたしと同じ名字の人も少しぐらいはいるから、そういう名前の会社があったとしても、まあ不思議ではない(実は、わたしの親族も経営者や商売人が多い)。しかし、kunugiza.co.jp が取られちゃったとなると、わたしが会社を作ったときにドメイン名を取るのに困るなあと一瞬だけ思ったのだが、よく考えたら、会社を作ったとしても「クヌギザ」なんていう商号はまず選ばないだろうから、問題はなさそうだ。わたしにとってはこれが名字なのだが、その他大勢の方々にとっては、意味の分からない文字が並んでいるようにしか見えないはずだもの・・・。



パクリ
2003年1月28日(火曜日) はれ

ちょっとバタバタしてて、更新できませんでした。すみませんでした。

ときどき、どこそこのサイトは突撃実験室のコンテンツをパクっているようだと知らされることがある。いままで教えてもらったなかで、もっとも景気よくパクっている感じがするのは「Riddle of D」というサイトの LABORATORY で、ご覧のとおりうちの実験ネタ以外にも、いくつかのサイトで見たような気がするネタが並んでいる。実験をパクるのならまだ理解できるが、不可解なことに多事毒論の古い記事をパクっているサイトもあったりする。最近チクリが入った「凛の部屋」というサイトでは、「2002年11月30日付けの詞」として、2001年5月7日付けの多事毒論で書いた「心の垣根はどこにある?」が丸ごと掲載されている。まさか、こんなものがパクられるとは思わなかった。しかも、改行位置だけ変えてこれを詞と言ってしまうのだからセンスがないというか――むしろ書いた自分の方が恥ずかしくなるじゃないの。

別にパクリそのものが悪いと言いたいのではない。小うるさい権利を主張したところで特に何かが得られるわけでもないのだから、それならパクリぐらい大いに結構というのが、うちの基本的なスタンスだ。もちろん節度というものもあるから、そのためのガイドラインも書いたりしたのだが、ご覧のとおり過半数の人が不快感を覚えるようなパクリも現に存在することから分かるように、ゴチャゴチャと書いてみたところで、どうせこんなものに大した効果など期待できないことぐらい承知の上。守られもしないどころか、ろくに読まれもされていないのだろう。だいたい、いったん Webに載せれば、どうしたってこの手のパクリぐらい発生するだろうと初めから割り切っているから、いちいちパクリ君を探しだしてきて、ナニしとんじゃ? と噛み付いたりして無駄なエネルギを消費する気もない(ネタになるから晒しはするけど)。

多分、「Riddle of D」タイプのパクリは、一種の代理満足なのだろう。どこかのサイトを見て感銘を受け、自分も同様のものを作りたい――でも、自分にはその能力がないってときに、それをパクることでそれらしいものを作り上げて、自分なりに満足を得るという寸法である。あるサイトの真似事をすれば、そこの Webmasterみたいになれるかもしれないという夢でも見ているのだろうか。というのは、一般にパクリをやるサイトの作者には自意識過剰な傾向があると感じるからだ。ここで挙げたサイトだけではサンプル数が少なすぎるものの、「Riddle of D」の「PROFILE」を見ると、やはり自意識過剰タイプに近い印象を受ける。うちみたいなヘボいサイトをパクる心理はともかくとしても、、カリスマ化しているテキスト系サイトのパクリなどは、夢の成れの果てなんだろう。



電話営業
2003年1月22日(水曜日) くもり

「光ファイバへの切り替えはもうお済みでしょうか?」

夕方、こんな電話を取ってしまった。相手は、電話を手当たり次第かけて Bフレッツの契約を取ろうとしている販売代理店である。インターネットのアクセス回線として、128kbpsの専用回線などを使っているような中小企業をターゲットに、Bフレッツを売りつけようとしているのだ。このような電話は、毎日のようにかかってくる。Bフレッツに限らず、アナログの加入電話を INS64に切り替えさせようとするところや、マイラインの登録変更を迫るところなど、売っているものは様々だが――契約を取った代理店には、NTTから多かれ少なかれの販売報酬が転がり込むので、同種の業者は星の数ほど存在する。そしていまは、いくらとは言わないけれど、特に大きな販売報酬額の設定されている Bフレッツが旬なのだ。

いきなり電話をかけてくる業者は、程度の差こそあれ、だいたいどこでも無知につけ込んだような販売手法を取っている。代理店に過ぎないのに、たとえば NTTの本体であるように装ってみたり、構内交換機などのメンテナンス業者を騙るところもある。きちんと代理店を名乗る業者でも、「エヌティティ」の部分をやたらと強調してから、いまにも消えそうな声で「の代理店の▲▲と申しますが」と囁いてみたりとか。トークも巧妙なもので、大抵は「○○に切り替えなければならない」とか「今よりも大幅なコストダウンになる」といったニュアンスが、言葉の節々に含まれている。こうして、このような話に明るくなく、コストにうるさい社長さんなんかを取り込む戦法なのだろう。

さて、わたしがこのような電話を取れば、「お前らウチを何だと思ってる?」という対応にならざるを得ない。そもそも、わたしの勤め先はプロバイダだから、インターネットのアクセスラインなんているわけがないし、なおかつ NTTの販売代理店もやっているから、同業他社が営業の電話を寄越すだけでも十分に失礼である。そして、だからこそこういう詐欺まがいの業者がいると困るのだ。ウチは迷惑な電話営業はやらないし、詐術的な販売手法も、当たり前ながらやるわけがない。おかげで NTTさんからは「優良代理店」の格付けを頂いているのだが、一部に不道徳な業者がいると、こちらの信用まで無くなってしまう。

だが、初めからキレてしまっては面白くない。まずはインターネットのイの字もも知らないような無知を装って、それは素晴らしいですねえ、などと言いながら相手の話を聞いてやる。

「・・はい、いま事務所で使われているインターネットの回線のことなんですが」
「インターネットの回線ですか。さあ、よくわからないなあ」
「・・いまは、Bフレッツという新しい商品がありまして・・・」
「ほええ、光ファイバですか。それはすごくよさそうですねえ」
「・・はい、ですから、光ファイバの導入をぜひ・・・」
「導入? そんなことしなくても、多芯のぶっといケーブルが何本か来てるけど」
「・・・・・はあ。すると、Bフレッツはすでにお使いで?」
「いやー、そういうのは使ってないと思うんだけど、どうだったかなあ?」
「・・では、この機会に是非とも・・」
「でも、もっとスゴい専用回線なら使ってるよ」
「・・しかし、Bフレッツにされますと、専用回線よりも安くなりまして・・」
「それは嬉しいですね。ところで、IPアドレスはいくつくれるの?」
「・・この商品では 8個です」
「うち 5000個ぐらいいるんだけど?」
「・・・・え。・・そんなに?」
「プロバイダだから、いっぱい使うのよ、これが」

そして、このあたりで態度を豹変させて「ここがどこだか分かって電話かけてるのか?」「お前らの営業スタイルは、なんだ?」などと始めるのだが、今日電話をかけてきた業者のヤツは、かなり激しいパッパラパー。プロバイダというものをロクに理解していないし、そんなことを言っても、まったく動じずに、まだ Bフレッツの説明を続けている。しかも、どことなく内気っぽい感じのヤツで、田舎臭い訛りがあってちょっと面白かったから、向こうがイヤになるまで、無理にでも会話を続けてやることにした。

「というわけでね、光ファイバが何百本もあるんですよ、すごいでしょ」
「・・はあ。」
「なんだったら、見学に来てみたらどうですか」
「・・いえ、地方からですので、それはちょっと無理かと。。」
「地方ってどちらです?」
「・・北海道です」

(10分経過)

「へえー、北海道からの電話ですか。北海道のどちらからで?」
「・・札幌です」
「札幌ですかあ。雪が凄いでしょ?」
「・・ええ、すごいですよー」
「ここらじゃ、ちょっと降っただけで麻痺状態ですからねえ」
「・・あ、それで Bフレッツの・・・」
「北海道の人に笑われちゃいますよねー ははは」
「・・いやそんなことはありませんけど。。あのー」

(15分経過)

「そういえば、ご出身も北海道ですか? あ、釧路ですか。いいですねー」
「・・・あ、あの。。もう今回はご縁がなかったということで」
「え? なんのご縁がです?」
「・・・すみません、お時間取らせまして」
「そうですかあ。。では、またね〜」


えへへ、ざまー見ろ。



ゲームで人生アウト
2003年1月19日(日曜日) はれ

そういえば、むかし MOTHER っていうゲームがあったよなーと思い出した。思い返せば、出てきたキャラはなんだかヘンなのばっかりだったし、超能力やらなんやら、早い話がかなり電波系だった記憶ばかりが蘇ってくるが、わたしが普通にやったゲームのなかではこいつがもっとも深く印象に残っている。十何年前の RPGといえば、最近の作品よりももっとクソ真面目で、活字的なものであった気がする。それも、剣と魔法を振りかざし、やるかやられるかのバトルを勝ち進んでいく殺伐とした作品が王道であった当時としては、あの独特なノリとリアリティには相当なインパクトがあったのかも知れない。あの、ソフトクリームみたいな形のおうちがたくさんあったところは、なんだっけな。それにしても、懐かしい。

以上の文章で、わざわざ「普通にやったゲーム」という断り書きを入れているのは、あるときからゲームは攻略する対象ではなく、改造する対象になってしまったからだ。レベルも所持金も持ち物も初めからマックスに――というと、そんなことして何が面白いのだと思われるかも知れないが、面白みを感じたのは目的ではなく、その手段だ。それまでマイコン周辺回路になど触れたことがなく、アドレスバスってなんですかレベルだった当時のわたしにとっては、カセットの内部に入っているSRAMのデータを直に書きかえてゲームの改造を行うというのは、夢のような話だった。実際にそれが実現できるようになるまでに数年は要したと思うが、おかげでバスの仕組みやらチェックサムやらアセンブラやら、随分と色んな勉強になったと思う。

はじめて最強仕様を完成させたのは、Final Fantasy 5 だったと思う。初っ端からすべてのアイテムを 255個ずつ持っていることになっていたりしたが、そんなもので遊ぶ気もしなかったから、やはり改造するための手段が目的だったんだろう。わたしの人生が狂った方向に進み始めた最初の原因は、どうもこのあたりにある気がする。パソコンのソフトを書いているよりも、組み込みの方が楽しいなと感じてしまうし、パソコンのBIOSをいじってやろうとか、いまでもそんな方向に走っちゃうもんな。



ラーメン
2003年1月18日(土曜日) はれ

かなりローカルなラーメンネタ。ここのところ、近所ではラーメン屋の新規開店が相次いでいるのだけれど、食べたあとに味の素の甘みばかりが口の中に残ったり、コクのなさを背脂なんかでごまかしているような店ばかりで、どの店もチェックのために一度行ったきり。独裁国家よろしく創業者の写真が店先に飾ってあり、そんなもんではダメだと弟子を怒鳴りつけたりするビデオを延々と流している店もあるが、そこに至ってはチェックのために入ろうとすら感じたことがない。どうせ半分ぐらいはヤラセなんだろうが、みっともない店のいざこざを敢えて宣伝しようとする神経は、わたしの理解を超えている。まっとうな店なら、そういうことは客のいないところでやるものだ。

流行のためか、豚骨醤油ベースのいわゆる横浜の家系ラーメンを出す店が多いが、ある程度のレベルなら既存の店が達成しているので、際だって美味いと評価できる家系の新規開店はほとんどないと言っていいと思う。横浜のラーメン激戦区として有名なのは、家系が立ち並ぶ環状2号線沿いだ。しかし、わたしがチェックした限りでは必ずしもあの界隈に立つラーメン屋がすべて凄いわけではなく、妙に繁盛しているのは観光地化という要因が大きいのではないかと(マズイわけではないのだが、騒ぐほどでもない)。家系に限らず、美味しいなと思うことが多いのは、むしろ平戸桜木道路沿いや鎌倉街道沿いで営業している小さなラーメン屋だ。本当のラーメン激戦区は、中区と南区の境界付近にあり? 地元でなければ開拓は難しい場所だけれど。



赤色のニクいヤツ
2003年1月16日(木曜日) はれ

うちの近所にある郵便ポストには、投函口に郵便物を軽く差し込んだだけでは中まで落ちていかないという機構的な欠陥がある。だから、わたしはいつも郵便物を投函口に入れてから、さらに手を突っ込んで間違いなく中まで落ちていることを確認しているのだが、そこまでやらない人もいるようで、投函しようとたとき、どうも引っかかって入っていかない思ったら投函口の付近に他人の郵便物が何通か詰まっていたりするのだ。危ないことに、これは手を入れただけで簡単に取り出せてしまう。わざわざ取り出したいとも思わないが、詰まりが原因でうまく投函できないときは、いったんそれらを取り出してから、自分のと一緒に再投函せざるを得ないときもしばしば。誰が悪いかといえば、こんな不細工なポストを設計したヤツだけど、世の中善人ばかりとは限らない。投函するときは、中まで落ちたことを十分に確認したいものだ。

困ったことに、いくら押し込んでも中まで落ちていかないこともたまにある。もはや対処不可能なほど激しく詰まってしまっているのか、それともポストが満タンになって投函口まで溢れてきているのか。原因は定かでないが、収集時刻の間際にかかる問題に遭遇することが多いから、後者の可能性が高そうだ。料金別納で差し出すほどではないが、毎日そこそこの量の郵便物はある、という感じの小規模な事業所が多い場所柄、問題の郵便ポストの利用は変に多いのかも。いつも対応の悪い港郵便局さん、なんとかできないものですかねえ。毎日ポストを見ているのだから、いちいち指摘されるまでもなく、各ポストの利用状況ぐらい分かると思うのだけど。



4・2・3
2003年1月15日(水曜日) はれ

テーマソングに中島みゆきの曲を使っているNHKのプロジェクトXが、先日の放送で日本大使公邸人質事件を取り上げたので、「蟻のように真っ黒に煤けた彼」の扱いはどうなんだろうかと思いながら見ていた。が、突入の際に死亡した兵士2名については、予想どおりその存在についてすら取り上げられることはなかった。中島みゆきは、この事件について「4・2・3」という曲で次のように歌ってる。

日本人の家族たちを喜ばせるためのリポートは 切れることなく続く
しかしあの兵士にも父も母も妻も子もあるのではなかったろうか
蟻のように真っ黒に煤けた彼にも

あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測りしれない
あの国の戦いの正しさを ここにいる私は測りしれない

しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが何故
救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう

歌詞の背景にある出来事が明確になることさえ少ない中島みゆきの曲にしては珍しく、内容がえらく具体的でヘンに説教臭いのは、すごくムカつきながら直情的に書かれた歌だからであろうか。個人的には、あまり好きな歌じゃない。全体を通して聞かなけば分からないかも知れないが、比喩的な批判にかけては天下一品の中島みゆきが、なぜこのような辛気くさい曲を出する気になったのか不思議なぐらいである。日本人が無事であればそれでいいのか、という単純な問いかけだけなら、THE YELLOW MONKEY の「JAM」に出てくる「外国で飛行機が落ちました/ニュースキャスターは嬉しそうに/乗客に日本人はいませんでした」という一節あたりの方が、よほど明快で良いんじゃないかと思う。

しかし、ひょっとすると「4・2・3」には、別な側面もあるのではないか。それを意識しつつ、あのプロジェクトXの放送を見ていたら、結局なにを伝えたかったんだろうかと思いたくなってきた。家族の愛さえあれば、というような、ありがちにもほどがあるような感動物語でしかなかった気がする。それが必ずしも悪いと言いたいのではないが、「プロジェクト」というからには、それだけに終始していてはならない。軍人や警察官といった職なら、殉職の可能性は当然あるものと考えるので、ただ死んだということで、取り立てて騒ぐ必要はないと思う。だが、いざそうなったとき、現実はやたらとセンセーショナルに扱われるか、闇に葬られるかのどちらかであろう。何故、救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう――この一節は、こんなところで生きるのだろうか。



一言
2003年1月13日(月曜日) はれ

まだ正式発表ではないのだが、3月ぐらいに某ISPのIPアドレスをリナンバすることに……。あ〜イヤだ。考えただけでイヤだ。ダウンタイムがなるべく最小になるよう工夫しながら、サーバの設定を書きかえたりするだけでも数が数になるとイヤなことだが、困ったことに今回はエンドユーザ様の端末においても設定変更をお願いすることになるのが悩ましい。端末側の設定において、一箇所だけどうしてもホスト名が使えず、IPアドレスを使わなければならないところといえばネームサーバの項目だ。分かっている人にとっては手間というほどの手間がかかることではないのだが、一度設定すれば普段は触らないところだけに、何のことなのか分からない人にとっては、それが途方もなく大変な作業になってしまうだけに……あまり考えたくない。

弁当をレジに持ってきたオッサンに、「暖めますか」と聞いたコンビニの店員さん。「んじゃ、かる〜く」と言われてどうしたらいいのか分からず、ちょっと困っているようだった。オッサン、ナイスだ。たぶん、そのオッサンは何も意識せずにそう言ったのだろうけれど、マニュアルどおりの会話以外にしようのないところであればあるほど、ちょっと変わったことを言ってみたくなるのはわたしだけか。でも、非常識にならない程度で変わったことを言うのは、けっこう難しい。「かる〜く」はアリでも、たとえば「60度、±10度以内に」と言ってしまったら、無理難題の要求にしかならない。できかねます、と一蹴されることでは面白くもなんともないし。



黒四中継
2003年1月8日(水曜日) はれ

昨年末の紅白歌合戦は、黒部川第四発電所から歌うことになっていた中島みゆき嬢が目当てで見ていた方も多いかと思う。テレビではほとんど姿を見せることのないみゆきさんが生出演で歌うというだけでもかなり貴重な機会だが、それも黒四からの中継で歌うというのだから、さらに凄いことである。大の中島みゆきファンとして仲間内で知られているわたしは、なんと当日は黒四に行っているらしいという噂が流れていたらしく、中継終了後に「見られた?」なんて電話がかかった。あのねえ、黒四なんてそう簡単に行ける場所ではない。こんなに愉快なボケをカマしてくれるとは、さすが誰かさん。最先端な大学院大学生活を始める前に、黒四がどんな場所にあるのか調べておくとよかろう。

上記のような例外を除けば皆さまご存じのとおり、黒部川第四発電所の施設はすべて地下にあり、辿り着くには何キロもあるトンネルをくぐっていくしかない。みゆきさんが歌っていた場所も、恐らくそのトンネルの中だろう。そのような地中から生中継を行うのは大変なことらしい。中継車は入っていけないし、行けたとしても、地中では衛星やマイクロ回線の電波が遮られてしまうからだ。黒四の場合は、発電所であったことが幸いしたらしく、関西電力の光ファイバ網を使って中継を実現することができたという。そういわれてみれば、遠隔管理が行われている関係から、電力会社の施設ならどんな僻地でも通信インフラが整備されている。電気もあるし回線もあるという意味では、発電所は意外と生中継に適した場所なのかもしれない。



宝くじ
2003年1月6日(月曜日) はれ

行方不明になっていた年末ジャンボ宝くじが出てきた。見当たらないと思ったら、年末から、職場の机に置いたままだったのだ。早速当選を調べると、10枚買ったうち、5等と6等が一枚ずつ来て3,300円の当たり。購入金額を差し引くと、300円の勝ちだから残念賞に過ぎないけれど、赤字にならなかっただけマシってことで強引に納得することにする。本当の納得は、億とは言わない、少なくともこれまでの累積赤字が埋まるゼニを手にしてからだ。いや、夢が小さいなあ。やっぱり1等と前後賞を総なめにしてこそ、宝くじってもの。みなさん、世の中ゼニでっせ。

どうやら世の中には「よく当たりの出る売り場」というものがあって、わざわざそういう売り場まで出向いて買う人もいるそうだが、あんなもんは馬鹿げた数字のトリックだとしか思えない。売り場の前を通ると「この売り場から○等が△枚出ました!」みたいなことがデカデカと書かれているポスターが張り出されていたりするが、意味があるのは枚数なんかではなく、販売枚数に対する当選枚数の比率だろう。販売枚数が多くなれば、当たりの枚数もそれに比例して多くなるのはごく当然のことで、いちいち取り立てて騒ぐようなことではない。3大ジャンボ宝くじ ラッキー売り場というページを見ると、やはり当たりの数が有意に多いのは、いかにも扱い量の多そうな、都内の繁華街にある売り場である。

宝くじなんて、100組のある10万通りの数字から、たった1枚が無作為に選ばれて1等になるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。どこで買っても、当たる確率が一緒だ。そう考えれば、宝くじの購入に必要以上の交通費やエネルギーを使っては損になるだけだから、もっとも買いやすい売り場で買うのが一番である――ということになるのだが、同じ買うならこういう確率のバラツキに運を任せてみようかと、人間は考えてしまうものなのだろうか。一つの売り場から億単位の当選が14本も出ちゃったりすることもあるからね。



電子新聞の夢は
2003年1月5日(日曜日) はれ

今契約一杯で新聞の購読を打ち切ろうかと考えている。電子情報技術が発達しているこの時代に、戸別配達される印刷物といった前時代的な情報メディアに頼らなければならない必然性はまったくないし、省資源化やらゴミの減量化が叫ばれる世の中なら、なおさらのことだろう(ここでは古紙回収がないので、いつも普通ゴミとして処分している)。忙しいときは、その日の新聞を一度も開くことなく古新聞置き場に積んでしまうこともあるし、隅々まで読んだとしても減るものではないから、最終的に廃棄物となることに何ら変わりはないから、もったいない話である。文字どおり食べるように読めば少しは減るかも知れないが、セルロースの分解機能を持たないヒトでは行き先が便所に変わるだけで、捨てられる点では同じだ。ていうか、そんなことしないし。

それよりなにより、コストパフォーマンスが悪すぎる。新聞を開く時間がある日でも、大抵は興味のある記事を斜め読みするだけだし、ニュースや天気予報が知りたいだけなら、新聞社などのウェブサイトへ行けばタダで見られる。株価の数字を最初から最後まで読むほど経済情報に飢えているわけではないし、下手したら紙面の半分ぐらいが全面広告だったりするうえ、土曜日に至っては本紙よりも折り込み広告の方が多かったり・・・。こう考えると、月々4千円近い出費に見合っているとは言い難いような気がしてくるし、そのカネを支払っている先――つまり、新聞販売店の強引で古代的な商売スタイルもいけ好かない。うちの担当は比較的上品な方だが、一般的な傾向として言えば、チンピラとあまり区別のつかないところとは縁を切りたいところである。

こうしたネガティブ面を挙げていけば、購読などさっさと止めてしまってウェブで見ればいいとの結論に落ち着くのだが、それでもいまだに紙の新聞を読み続けているのは、ウェブだけでは読めない記事があるからだ。新聞社各社のウェブサイトではニュースなんかが無料で公開されていて、一日中PCの前にいることの多いわたしにとっては非常に便利だし、一見サービスが良いように見える。しかし、恐らく新聞社としては、各社が横並びで配信しているような生のニュース情報自体には大した価値を感じておらず、そこに独自の論説といったものを加えて、初めて新聞として完成すると考えているからであろう。これには、わたしも同意する。ウェブに載っているのは、所詮はタダで配っても差し支えのないようなものに過ぎないのだ(論説重視なら朝日を読むなって話もあるのだが、それはおいといて・・)。

それに、ウェブにあるものは、もちろん新聞の全てではない。いわゆる新聞記事ってやつとは違った意味で読んでいて面白いのは、朝日新聞で連載されている「くらし」のような所帯じみた生活情報とか、夕刊の端っこに載っているコラムとか、書評とか。あるいは、日経新聞の「私の履歴書」を少し読んでいたときは、それを読むためだけに日経を取ってもいいと思ったりしたぐらいだ。まあ色々とあるけれど、わたしが楽しんでいるのは、むしろそういうところなので、やはり無料のウェブだけでは不十分なのだ。この点でわりと先進的なのが産経新聞で、紙面のほぼ全てが読める電子有料サービスを何年も前から提供している。でも産経かあ・・という好みの問題で、踏み切れないでいたりするのが実情。調べた限りでは、ほかの全国紙に同様のサービスはないようだ。やろうと思えばできるのだろうけれど、販売店との馴れ合いがそれを阻害しているのだろうかと考えてみたり?



パソコンに詳しい?
2003年1月4日(土曜日) はれ

わたしが生まれてすぐのころのアルバムを見ていたら、10人中10人が女の子だと誤認するような写真がでてきた。年齢的にまだ性別の区別がはっきりと現れていないからでもあるが、最大の要因として肩あたりまで伸びた髪の毛が、ますます女の子っぽく見せているのだ。なぜそんな髪型になっていたのか、そのあたりの事情を母親に聞いてみたところ、なんでも散髪しようとするとわたしが激しく嫌がり、髪を切る機会がほとんどなかったからこうなった、とのことだった。わたしの散髪嫌いについては過去に何度か書いたけれど、どうやらそれは生来のものだったようで、いまの自分が、いつどのように形成されたかなんて分からないものだ。で、我ながらカワいかったもんだ、1歳半の自分は――もちろん、そりゃ過去形だけども。

以前にも書いたような気がするけれど、どういうわけか、わたしのことを「パソコンに詳しいヤツ」だと勘違いしている友人知人が多く、ときどき質問が舞い込んでくる。わたしが自分のスキルについてあまり明言していないことが逆に災いしたのだろうか、何となく詳しそうだし、詳しくないと言っていないのだから詳しいに違いない、という都合の良い解釈がいつのまにか広まってしまったようだ。「詳しくないから分からん」と答えると、なぜかみんな判で押したように意外そうなリアクションを返してくるのだが、勝手な思い込みで期待しておいて、勝手にがっかりされるのもあまり愉快じゃない。最近は、いちいち「わからん」と答えるのも面倒くさくなってきたので、「ぜんぜん詳しくない」と噂を消して回る羽目になっている。

そもそも、いったいどのような知識を持ち合わせていると「パソコンに詳しい人」になれるのか、そんな不思議な言葉を使う人には、その要件の定義を具体的に行うよう求めたいぐらいだ。歩く百科事典のような人もいるが、そんな人でもあらゆることを広く深く押さえているのではなく、ある特定の分野のスペシャリストだったりするわけで、何かを尋ねると、びっくりするような宇宙語で語られるディープな答えが返ってきたりするもの。あるいは、わりと様々なことをこなしてしまう人は、中途半端に広範ながら浅はかな知識で、正攻法とは懸け離れた怪しげな力業で強引に対処していたりする。理想の「パソコンに詳しい人」が世に存在するという考えは幻想だ――とまでは言わないことにするが、少なくとも技術屋タイプは、普通のことを普通に対処するようには訓練されていない、という意味で明らかに該当しないのではないか。



雪道
2003年1月3日(金曜日) 雪@長野

冬になってから、初めて長野に行ってきた。行きは、中央道を降りるまで凍結路に遭遇することもなく、八ヶ岳の麓を少し登ってからチェーンを巻くだけで済んだのだけれど、帰りは地獄。今日に限って全国的に冬型の気圧配置になっているらしく、家に帰ろうとしたころには車が埋まるほどの積雪になっていた。車を掘り出して取り敢えず出て行ったのが、夜中の11時ごろだったかな。走破不可能なほどの積雪ではないが、積もったばかりで道路の除雪もまだ行われていないうえ、街灯もなく周囲は真っ暗なので、どこが道路なのか分からないぐらいだ。地元の人ならこのぐらいではビビらないのだろうが、そう滅多に雪道を走る機会のないわたしにとっては、緊張を強いられる道路状況である。

中央道では、Uターンラッシュに雪やら事故やらが重なっていたようで、公団の無線はいつになく忙しい。そんなところを走るのもイヤだったので、雪だらけの県道で甲府を目指すことにした。理想を言えばスタッドレスが欲しいところだが、横浜では雪なんて珍しいので、わたしは冬場でもノーマルタイヤのままだ。前輪にはチェーンを巻いてあるものの、後輪のグリップなんてゼロに等しいから、うっかりすると簡単にケツが流れだす。であれば、やってはいけない運転をわざとやって、どうなるか練習しておかなければなるまい。事故にならない場所で、曲がりながらブレーキを踏んだりしてたら面白いぐらいスピンしてくれる。カウンタを当てて・・ってほど格好いいものではないが、一応それで走れることは分かったので、そのまま行くことにした。

そして一宮御坂から中央道に乗ったのだが、上野原までチェーン規制が敷かれていたために、さらにチンタラと走ることになる。家についたら、ほとんど朝だった。にゃんこ〜



謹賀新年
2003年1月1日(水曜日) はれ

新年明けましておめでとうございます。本サイトの黎明期からお付き合いいただいている方も、つい最近から読み始めたという方も、昨年までのお付き合いありがとうございました。2003年も、突撃実験室および多事毒論をよろしくお願いします。で、初日の出を見ながら横浜に戻ってきた(元旦は道はガラガラで良いね)。昨年末はあまりにバタバタとしていたため、更新が疎かになってしまって申し訳ない。今年も、春ぐらいまでは似たような状況が続くのではないかと予想されるが、本業が忙しいというのは、まあ良いことなんだ――と信じておこう。

大晦日に2002年の反省文を書くつもりが書けなかったので、代わりにいま書いておくことにする。例年どおり、単調な一年がまたあっという間に過ぎてしまったなというのが正直な感想だけれど、カネだけは妙に消えていった年だった。高額なものを買ったりもしていないので、どこへどう消えていったのかは良く分からないのだけれど、三度の海外旅行やら、数え切れないほどの国内ミニ旅行やらが大きかった気がする。人生なんて遊んでいてナンボだからそれはそれで良いことなのだが、可処分所得だけでは足りず、貯金を切り崩していくようになるとちょっと考え物で。今年はもう少し、倹約しようかと思って・・・いるような、いないような。まあ、2003年もたぶん遊びます。



突撃実験室