多事毒論(2004年8月分)


C++
2004年8月17日(火曜日) くもり/雨

昔と比べると,新しいことを覚えるのが苦手になってきた気がする。そのことをもっとも強く実感するのは,プログラミング言語を習得するときだろうか。囓っただけの BASIC を除くと,わたしが初めて使えるようになった高級言語は Pascal で,これは Pascal で書かれていた KT-BBS(草の根BBSを運営するために使っていたソフト)をいじりたい一心で,比較的すぐに覚えた。ついでに,これにはインラインアセンブラもけっこう使われていたので,アセンブラが普通に理解できるようになったのもこのころだ。次に覚えたのは,FreeBSD で遊びたい一心で使い始めたC言語である。Cは奥が深かったので,そこそこプロっぽいコードを書けるようになったのはかなりの経験を積む必要があったけれど,これも基本を理解するまでにそう長い時間はかからなかったと思う。

ところが,そのあとが続かない。その典型が C++ で,いまだに「例題が分かるだけの初心者」レベルから抜け出せずにいたりする。言語は,モノの本に載っている例題を理解しただけではダメで,使いこなせるようになるためには,地道な実践経験がどうしてもいる。そのためには,ソフトを作る場面になったときに,C++ を積極的に使うようにするぐらいしかない。が,そう分かってはいても,これがなかなか続かないのだ。C++ の理解が必須で,かつ件の「したい一心」パワーが芽生えるほど魅力的なものがあれば話は早いのだが,さしあたってそういうものもない。C++ という言語自体に魅力を感じないわけではない(だからやってみようとは考える)のだが,結局のところ,それを使って何かをやりたいという具体的な目標がないからいけないのだろう。

もう一つは,C++ が初めて体験するプログラミング言語であったなら,そういうもんだと思って素直にやれたと思うのだけれど,C言語の知識がすでにあることも邪魔になるようだ。何かを作ることになったとき,C++ を積極的に使おうと思っていても,あるいは技術的に考えても C++ を使うのが正しいと判断される案件も,不慣れな C++ で作り始めてしまって言語仕様の理解で苦労するよりは,慣れているCでやった方が楽でいいという判断がつい働いてしまい,ますます使わなくなるという悪循環に陥りがちだ。なまじ C++ で書けることは,その気になればCでも書けるから,余計にそうなるのだろう。プログラミングを始めたときから C++ を使っているような方には,C++ ではなくCを使うというのは理解しがたいことかも知れないが,慣れというシガラミは恐ろしいもので,ここから抜け出すには,けっこう勇気がいる。

で,いままで門外漢だの何だのと言ってどうにか逃げ通していたのだけれど,未知の裁判所で出された欠席裁判の判決(←ありがち)により,とうとう仕事で Windows の GUI アプリを作る羽目になってしまった。Windows アプリをCで書くこともできなくはないが,それこそ大変なことなので,C++ を使わざるを得なくなってしまったわけだ。あり得る結論は二つに一つ,これでますます古き良きローテクCプログラミングに戻りたくなるか,C++ が好きになるかだけど,いまのところ,どちらかといえば後者かも知れない。もっとも,「作る羽目になった」という成り行き上,動機がまったくをもって自発的ではないので,バイタリティがどこまで続くかという大きな問題があるのだが・・・。



運はなく・・
2004年8月15日(日曜日) 雨/くもり

先月,どこぞの勇気ある営業から巻き上げた壱万円で,サマージャンボ宝くじに投資したと書いたけれど,結果は惨敗。下一桁の残念賞が来ただけで,あの福沢諭吉はたったの900円に化けてしまった。ちっくしょ〜〜,この際だ。これにあと100円追加して,ロト6をオールクイックピックで5列買いするしかないな(←ろくでもない使い方しか考えない)。



広告
2004年8月13日(金曜日) はれ

すでにお気づきの方も多いと思うが,突撃実験室のインデックスページに,Google の広告を貼り付けてみた。もともと,広告なんかサイトを見に来た人にとってはちゃらちゃらと鬱陶しいだけで,わたしは広告といったものは掲載しない主義でやっていたのだけれど,ここにきて掲載する気になったのは,Google の広告は,比較的上品で良質だと感じたからだ。当サイトの趣旨とはまったく関係のない広告が,チラチラと目障りなアニメ gif として出てきたりするのは願い下げだが,Google のヤツは文字のみの表示とすることも可能で,一応,掲載ページのコンテンツと関連性の高い広告だけが選択されて表示される仕組みになっているので,妙なものが出てくるかも知れないという抵抗感はあまりない(もとは広告主への配慮だが,掲載する方としてもありがたい)。

そんなわけで試しに貼り付けてみたのだが,少なくとも見た目のあまり違和感はないかなと思っている。が,いくらコンテンツと関連性の高い広告が出てくるといっても,機械が判断していることなので,正確性はいまいちのようだ。Digi-Key(電子部品通販会社)の広告が出てくるのは,わたしの本業とも合致しているのでなかなかの判断だと思うが,酸素バーとか酸素濃縮機とか,酸素産業の広告もやたらと出てきたりする。これはたぶん,「化学的酸素要求量」というキーワードに反応しているせいだと思うが,化学的酸素要求量に興味がある人ほど,家庭用の酸素濃縮機には興味を示さなそうな気がする。まあ,興味がなければクリックされないだけだから別にいいんだけど,同じスペースを占有するのなら,より有用な広告が出て欲しいところだ。

さて,この広告はどのぐらい稼いでくれるのだろう。このサイト自体はカネ儲けのためにやっているわけではないのだけれど,そこのところにも少し興味があって,広告なんてものに手を出してみた次第だ。



カラス
2004年8月12日(木曜日) はれ

通勤でいつも通る道に,なんか黒っぽいものが転がっていると思ったらカラスの死骸だった。カラス自体はしょっちゅう見ているけれど,そこまで間近で見ることはあまりないので,真っ黒で意外とでかい骸に,ちょっとギョッとしてしまった。カラスの死骸といって思い出すのは,ずっと昔に読んだ「カラスの死骸はなぜ見あたらないのか」という本だ。たまたまどこかで,この本を見かけて,そう言われてみればそうだと思った。都市では,あれだけ多くのカラスが見られるのに,それからすると死骸の数が少ない気がするのは確かで,もっと転がっていても良さそうなものだ。その着目点は面白いと思って手に取ってしまったのだが,実はこれ,ご存じの方も多いと思うが,カラスの生態に関する本でも何でもなく,どんでもない方向へと敷衍される第一級の「と」。まあ,矢追純一が書いた本だといえば,それ以上の説明は不要だろう。

しかし,まじめな話,カラスに限らず都市部に生息する生物の死骸は,ゼロではないけれどあまり見ない。その説明としてしばしば聞かれるのは,「野生生物は人目を忍んで死ぬからだ」という説だが,これには何らかの根拠はあるんだろうか。おおよそどこへ行っても人がいる大都会では,人目を避けること自体が簡単なことではない。まさに死ぬときには人目に触れなかったとしても,しばらくすれば死臭も出るのだから,死体まで隠し続けるのはさらに難しいことだ。動物の死体が発見されれば速やかに片づけられるから見あたらないのだ,と言われればそうかも知れないが,そうだろうか。それ以前に,なぜ野生生物は,死ぬときに人目を忍ぶ必要があるのだろうか。どんな生物でもそうなんだろうか。飼い猫が,死ぬときは飼い主に見られたくないなどと思うのなら分かるが,カラスがそんな気を遣うだろうか。

もっとも,都会のカラスには郊外から通勤する習性があるとされ,例えば東京で活動しているカラスは,千葉や埼玉あたりにねぐらがあると言われる。このことから,都内では事故死がある程度で,ほとんどのカラスは郊外で死んでおり,「人目を忍んで死ぬ」説は,このような習性を説明するものだと考えることもできなくはない。では,東京近郊のベッドタウン的なところへ行くと,カラスの死骸がごろごろと転がっているんだろうか。わたしはそういう場所に住んだことがないのでよく分からないのだが,少なくとも東京近郊で,カラスの死骸に困りまくっているという話は聞いたことがない。仮にそうだとしても,東京からカラスが飛んでいける程度の距離内なら,だいたいどこでも人が生活しているのだから,その程度では人目を忍んで死ぬと言うのも厳しいだろう。

案外,「野生生物は人目を忍んで死ぬ」説は,一種の都市伝説なのかも知れない。たとえば,タマちゃんが多摩川に現れれば,そんな場所にアザラシがいてはかわいそうだから保護して然るべき場所へ連れていったほうがよい,みたいな意見が出てくることから分かるように,都市生活者には,「野生生物は人のいる場所,特に都会には似合わない」というような意識が少なからず認められるし,死というものを極度に忌諱し,自分の周囲から排除したがるところがある。事実かどうかはともかくとして,はっきりとした論拠があるわけでもないのに,人目を忍んで死ぬ説が流布しているのは,そういう基底があるからだろう。あれれ,いつのまにか話がズレてしまったな。これでは結局,カラスの死骸の行方は分からないままだ。



夏は・・
2004年8月11日(水曜日) くもり

お勤めの方も,そろそろ夏休みかな。わたしには,どこかの料金所を上空から撮影した映像を見ながら「ざま見ろ」と短く笑うイヤな趣味があるために,例年お盆を外して早めに休んでいることが多いのだけれど,今年は休みの日程すらまだ決まってなかったり。休みたいのはやまやまなんだけど,今年はやることがスケジュールが詰まっているため,夏休みは「秋休み」になりそうな感じだ。

ま,たまにはそんなのもいいかも知れないが,気付いたときには夏は通り過ぎていて,もう秋の虫が鳴き始めていた――なんていうのは,心理的にちょっと寂しいよなあ。季節は巡るものなのに,夏の終わりはどうして「終わった・・」という感じが強いのでしょ。「夏が過ぎ 風あざみ」っていう井上陽水の歌も,なんだか微妙に哀愁が漂いますねえ。



続・洗濯機
2004年8月10日(火曜日) はれ

新しい洗濯機を使ってみて,まず最初に感動したのは,その騒音レベルの低さだった。なにしろ,いままで使っていた洗濯機は,モータが絶えず「グオーングオーン」という古代的な唸り音を響かせ,脱水の段階に至れば,それに加えて激しい振動音を撒き散らす代物だったから,洗濯機というのは騒音発生マシンだというイメージしかなかった。だから,いきなりカタログ値で騒音レベル40dBオーダの洗濯機に替わると「本当に動いているのこれ」という感じだ。実際には,洗濯中は水が流れたり跳ねたりする音がするし,脱水では多少の振動もあるが,モータ音のような機械的な騒音は確かに非常に小さく,これは正直,かなり優秀だと思った。

ところで,斜め30度ドラムの洗濯機の洗濯能力はどんなものなんだろうか。これについては,使用回数が少ないのでまだ何とも言えないが,普通の衣類をバサっと入れて洗濯過程を観察した限りでは,特に洗えていないと感じることはなかった。必要最小限の水で洗うという能書きにウソはなく,初めて使ってみたとき,衣類がまだ半分ぐらい乾いている状態で回り始めたことには驚いた。大丈夫か? と思って見ていたら,徐々に水が補給されたので,濡れ具合を見ながら小出しすることで,本当に必要最小限の水しか使わないようにしているようだ。それでも,衣類が「ひたひた」になっているだけで,節水もいいのだが,ここまで徹底していると,ちょっと病的な感じがしないでもない。

欠点として,洗濯物の投入量が非常に少ない場合は洗濯が難しくなるようで,風呂場の足ふきマットを単独で洗わせたら,かなり苦労していた。原因は,分量が少ないと,どうしても水に浮いてしまうからだ。普通の洗濯機は水流で掻き回して洗うので浮くものでも大丈夫だが,ドラム式は,衣類をドラムに載せて回転させながら洗うので,浮いてしまうと回せない,つまり洗えないのである。ある程度の分量があれば,完全に浮くことはないから,これは問題にならないのだが。しかし,賢いのは,ちゃんと洗えてないことが自分で判断できる点で,水量を調整したり,すすぎが良くないと分かれば,脱水からもう一度すすぎ過程に戻るといった制御も行われ,結果としてそこそこ洗えていた。

これはもう趣味の世界だが,各種表示をすべてLEDでやっているのは,なかなかセンスのいい設計だ。特に,いまどきの製品で,数値の表示に液晶でも蛍光表示管でもなく,7セグを使っているのは珍しいというか,懐かしい感じさえする。視認性では液晶よりもLEDの方が遙かに優れているという意味では,これもユニバーサルデザインの一環なのかも知れない。でも,あるLEDが点滅したときに,ほかの点灯中のLEDが,点滅の周期に合わせてちょっと暗くなるのは,非常にダサい。ダサすぎますよ。LEDの輝度が点滅で揺れる現象,民生用の家電ではわりとよく見られるけれど,コストダウンのためなんだろうか。わたしだったら,表示部の見栄えだけはケチらずに作りたくなるけどな・・・。



洗濯機
2004年8月9日(月曜日) はれ

洗濯機を買い換えることにした。いままで使っていたのはサンヨーの古い全自動洗濯機で,もともとあまり状態のよくなかったものを知人から譲り受け,さらに何年間も使い続けていた次第なので,かなりガタがきていた。しかも,前の所有者によると,屋外設置の期間が長く,おまけに阪神大震災のときには設置場所もろとも被災し,ついでに言えば,60ヘルツ専用仕様なのに,わたしのところに来てからは部品交換もされずに50ヘルツで使われ続け・・・。このような扱いであったにもかかわらず,回るか回らないかの瀬戸際まで洗濯物を詰め込むこともしょっちゅうだったが,一度も故障せずにいままで動いていたのは,立派だと思う。

同じ買い換えるのなら,毛布が洗えるぐらいのでっかいヤツがいいし,乾燥機能も欲しいところ。乾燥機能は,普段はどうしてもいるものではないが,梅雨時には強い味方になるに違いない。となると,10万円は下らない買い物になってしまうが,10年やそこらは使うものだからまあ構わない。そんなわけでとりあえずメーカのサイトで検討し,最後まで候補に残ったのが,東芝の TW-80TA と,ナショナルの NA-V80 である。いずれもドラム式の機種であり,敢えて普通のタイプではなくドラム式を選んだのは,強いて真っ当な理由を挙げれば,乾燥機として見ればドラム形状の方が理に叶っていると感じたためだが,早い話が「面白そうだった」から。最近はドラム式特有の問題点も改良されてきているようなので,ドラム式も面白いかと思ったわけだ。

実際,東芝もナショナルも,投入口が筐体前部にあるがゆえに「屈まないと作業できない」という不便さを改良したことをセールスポイントとしていたりする。それだけ,ドラム式は使いにくいという意見が多かったのだろう。東芝は,投入口を筐体上部に持ってくることで,ドラム式でありながら普通の洗濯機と同じ感覚で使えるようにした「ザ・トップインドラム」がウリ。ナショナルは,ドラム式の基本形状は維持しつつも,投入口に上向きの角度を付けることで誰にでも使いやすくしたという「ななめ30度ドラム」を宣伝している。端的に言えば,東芝は,ドラム式然としたスタイルを完全に取り去り,普通の洗濯機らしさを目指したのに対し,ナショナルは,ドラム式の形状をむしろ積極的に応用し,普通の洗濯機を超えるものを作ろうとしたようだ。

使いやすさの追求方法でも思想に違いが見られ,東芝は大人が普通に立って使うのに適した設計であるのに対し,ナショナルはユニバーサルデザインを目指しており,ガキや車いすに着座したまま使っているカタログに掲載している。カタログだけで比べると,リードしているのは東芝の方だと思った。ナショナルの「ななめ30度」もいいが,やはり目玉のようなフタが前面にある格好は,かなり積極的にドラム式を買う気でなければ選びにくく,普通の洗濯機とほぼ同じような形状に見える東芝の方が違和感は少ない。また,健常者の大人が使うだけなら,もともとそういう設計である東芝の方が,使いやすそうに感じられる。あとで実物を見たら,東芝よりもナショナルの投入口の方が使いやすいと思ったが,より一般的な使用状況における説明がカタログにもっとあった方がいいと思った。

で,この時点では東芝のヤツを買う気でいたのだが,店に行って実物を見たら「デカっ!」。家の洗濯機置場の寸法を測ると,ちょっとはみ出ることが判明したので,ナショナルの方を購入した。ナショナルの方が少しコンパクトにできていて,微妙な差でこちらは置けたのだ。いろいろ比べたんだけど,最後は大きさで決まりです・・・。



コンポのチューナ
2004年8月7日(土曜日) はれ/曇り

コンポを取り替えたら,ラジオの入りもちょっと良くなった気がする。製品によって,そんなに感度が変わるものですかねえ。極めてハイエンドな機種を除けば,どうせどこの製品でも同じアルプス電気あたりのチューナモジュールが入っていそうだから,そう違いがあるとも思えないのだけれど。思い返してみると,これまで使ったことのあるラジオのなかでは,うちで初めてCDという円盤が再生できるようになった(≒20年ぐらい前),古いラジカセがもっとも高感度だった。あれは,ディスクリート+多少のICというような構成だったと思う。次に高感度だったのは,笑えることに,中学校の技術家庭で作ったFMラジオのキットだった。卒業後もしばらく使ってたもんなあ・・・。

どうでもいいローカルな話だが,わたしの住んでいる地域では,電波障害対策のため横浜テレビ局のケーブルテレビが入っていて,FMラジオの電波もこれに流れている。つまり,テレビのアンテナ線を分配してラジオにも繋いでおくと,FMがクリアに聞けるというわけけだ。ところが,いつのまにか同社ウェブサイトの番組ガイドから,その記載が消えてしまい,現在は undocumented となっている(昔は,ちゃんと書いてあったのだけど)。ケーブルの再送信では,空中波とは周波数がズレているので,これがないとよく分からない。ここに再録しておいてやろう。中波の再送信もやってくれないかなあ(FM以上に入らない)。

横浜テレビ局 FM周波数
放送局名空中波の周波数再送信の周波数
InterFM76.1MHz76.1MHz
放送大学77.1MHz76.6MHz
J-WAVE81.3MHz77.8MHz
TOKYO FM80.0MHz79.0MHz
NACK579.5MHz79.5MHz
NHK FM (東京)82.5MHz80.6MHz
NHK FM (横浜)81.9MHz83.1MHz
bayfm78.0MHz84.1MHz
FMヨコハマ84.7MHz85.7MHz
※ 77.1MHz で InterFM と放送大学が干渉(なんで?)



コンポ
2004年8月6日(金曜日) はれ

いままで使っていた,SHARP 製のミニコンポのCDチェンジャが本格的に壊れてしまった。こいつは,買ったときからけっこうボロかった。使っているうちに,CDチェンジャのトレイが自力で開かなくなったのは,もうだいぶん前のこと。これはまあ,指で補助してやることによりどうにかなっていたので,騙しだまし使っていたのだが,最近はCDを入れてもメカから異音が出るだけになり,TOC すら読まなくなってきた。どうやら,何かが滑っていて,CDをスピンドルまで運べなくなってしまったようである。使用期間は,6〜7年というところで,もともと高耐久ではなく低価格を目指した民生用のメカの寿命は,こんなもんだろうか。安物のビデオデッキなんかでも,メカが怪しくなってくるのは,だいたいそのぐらいだろう。

そんなわけで新しいのが欲しくなり,DENON の D-MA5DV を購入した。機能的にも価格的にもよく似た,ONKYO の FR-S7GXDV とかなり迷ったのだが,最後は実際に音を聞いてみて,より好みに近かった DENON の方を選んだ。で,実は最近までこういうのがあるとは知らなかったのだけれど,こいつは音楽再生用のコンポのくせに DVD プレーヤも付いていて,映像の再生もできるようになっている。最初はなぜコンポに? と思ったが,DVD を再生するとき,テレビ受像器に内蔵されているスピーカでは満足できないが,本格的なホームシアタ環境を整えるほどではないから,コンポで聴こうという人がけっこう多いらしく,こういう人たちにとっては,コンポの方に DVD 再生機能が内蔵されているのは合理的なので,需要はけっこうあるそうだ。

わたしは,DVD の再生は PC で行い,PC の音声出力をコンポに繋ぐということをやってたもんで・・・。スタンドアロンで DVD 再生ができるようになるのは魅力的に思え,CD 専用機ではなく,DVD 兼用機を選んだ次第。



演歌?
2004年8月5日(木曜日) はれ

普天間かおりの「祈り」のCDが欲しくなった。店に行って,最初は J-POP の棚を探したのだが見あたらず,もうちょっと範囲を広げて探してみると・・・舟木和夫なんかと並んで「演歌」の棚に置いてあるのを発見。実際に,普天間かおりは演歌というジャンルに分類されているみたいで,そう言われてみれば曲調にやや演歌っぽいところはあるが,むしろアニソンとか沖縄民謡を歌っていることで知られている人だから,なんか違う気もする。J-POP と演歌の境界線はどこら辺にあるのだろう。普天間かおりが演歌だと言い出したら,BEGIN とか,もしかしたら森山直太朗あたりも演歌に分類されてしまいそうだ。演歌でもなく,歌謡曲でもなく,ポップスでもなく――その微妙さが,お前の音楽の趣味はどうもよく分からんと言われてしまう原因の一つなんだろうな,うん。

仕事から帰ってくると,郵便受けの前に辛うじて生きているミンミンゼミ逆さまに転がっていた。家の周りにはやたらといるから,半分死んでいるヤツもよく落ちているのだ。透明の羽や模様が美しく,かわいいヤツなのだが,問題は夜明けとともに一斉に鳴き始めること。普通は寝ている時間なのだけど,希にこれが聞こえてきたということは,夜更かしが徹夜に発展しつつあるということであり,セミのもう朝だよ警告に従って寝ようとするのだが・・・この段階ではもううるさすぎて容易には眠れないので,ありがたいのか迷惑なのか。まあ,セミの鳴き声が聞こえてくる時間まで起きているなということだね。



省エネ
2004年8月4日(水曜日) はれ

『冷房温度、維持します』 猛暑で乗客優先と鉄道各社」(産経新聞)という記事を読んで,アホかと思った。もちろん,鉄道会社ではなく,こんな下らん精神論を省エネの一手法として堂々と言える「省エネルギー・省資源対策推進会議」ってところがである。そもそも省エネとは,従来と同じ仕事をより少ないエネルギで行えるようにすること,あるいは無駄なエネルギ消費を削減することを言うのであって,必要なエネルギまでをもケチることはぜんぜん違う。家電を例に取れば,エアコンなどの冷凍機をより効率化したり,待機電力をなくすといったことは立派な省エネであるが,冷房は贅沢品だから,暑いのは我慢して控えめに使えばよいなどというのは,ただの倹約である。半世紀前ならいざしらず,いまの時代に,こんな発想が省エネの一形態として受け入れられるだろうか。

この二つを取り違えている御仁は多い気がするが,精神論的な省エネは成功しない。いまや,どんな製品にしても省エネを歌っているけれど,燃費の良い車が走らないわけではないし,効率の良いエアコンが冷えないわけでもない。省エネ設計であっても,従来と同じ仕事をするから受け入れられるのであって,省エネ製品の性能が劣っているのはしょうがないと割り切っているわけではないのだ。それからすると,冷房を28度に設定してある,要するになま暖かい電車なんか,まず受け入れられないだろう。電車に乗ると言うことは,駅まで汗を垂らしながら歩くということでもある。涼しい格好ができる人はまだいいだろうが,どんなに暑くてもスーツを着て電車で得意先回りをしている人もいる。こういう人たちからすれば,電車のキンキンの冷房は必要なものであって,役人やオバハンあたりから無駄だの寒いだとの指摘されるべき筋合いじゃないと言いたいのでは。



世界の中心/ハリポタ
2004年8月3日(火曜日) はれ

アップルシードを観たときに繰り返し流れていた平井堅に洗脳されてしまったのか,その翌日には「世界の中心で愛を叫ぶ」を観た。初めて,そういう(色んな意味で)痛い名称の小説が売れているらしいと聞いたときには,なんでやねんと思った。女が白血病で死ぬなんてのは,どういうわけだか定番中の定番なわけであり,そんな手垢で汚れたネタの何が面白いんだという,かなりネガティブな印象しかなかったからである。だから,映画を観るつもりなんかなかったのだけれど,観てみたら思いの外よかった。バレバレの伏線とか,ヘボい部分もあったが,ひとえに,懐旧の情を誘う演出と,キャストの功名ですな,これは。アキちゃんは可愛かったし,朔太郎少年の演技もよかった。わたしも,あんな恋をしたかったよ,ホント・・・。

7月9日には,「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を観る。前作までは,何かのアニメの実写版ですか,というような感じの内容であったけれど,今回から監督が替わり,いきなりホラー色の強い作品になっていたからちょっとびっくり。どことなく気味の悪い描写を常に見せ続け,観客の不安感を維持する手法は,まさにホラーのやり方である。大胆だけれども,この転換は必然だったと思う。魔法学園モノみたいなものを何作もやったところでコケるのは間違いないし,出演者の成長も止められない。「大人びた」ではなく「大人の」ハーマイオニーが出てくる,お気楽魔法学園モノなんか観たいとも思わないだろう。で,アズカバンの囚人はシリーズの中では最高傑作。少なくとも,見応えはこれがいちばんあった。



アップルシード
2004年8月2日(月曜日) はれ

ネタ埋めと備忘録がてら,感想を書いていない映画についてダラダラと。

CGのすごさを自慢しているアニメーション映画(特にSF系)は面白くないのが相場であるが,好きか嫌いかと聞かれれば好きな部類に入るので,ダメだろうなと思いながらも何となく観てしまうクセがある。そんなわけで,あまり期待しないで5月13日に「アップルシード」を観てみたんだけれど,まあご多分に洩れず・・・。これは,上映劇場が横浜にはなかったので,仕事が終わってから川崎のTOHOシネマズまで出向いた。平日というせいもあるが,中に入るとほとんど貸し切り状態で,本来ならネスカフェなんかのコマーシャルが流れる上映開始直前のところでは,劇場売店で販売しているという,平井堅の「瞳を閉じて」のプロモーションのみが壊れたレコードのごとく繰り返し何度も流れていた。まあ,この客入りでは広告主がいるとも思えない。穴埋めに,売店のCMでも入れておくかってところなんだろう。

で,絵も悪くないし,モーションキャプチャもまあ良いと思うが,どうしてもう少しまともなシナリオにできないのかな。言いたいことが色々とありすぎたのか,端から投げていたのかは分からないが,上映時間という枠に縛られた映画なのだから,取って付けたような説明をしなくても自然に理解できる世界設定で,あまり無理のない形で話を進め,納得のいく終わり方をしてくれないと,観ている方としては気持ちが悪い。CGで作ったことを売りにしているアニメーションは揃いも揃ってこの傾向があるので,要するに作ってる連中の技術的オナニーでしかいないんじゃないのと,観るたびに思う。プロモーションでは「戦いが終わったら母になりたい」がキャッチコピーだったわけだから・・・「お望み通りにしてやるよ」と,捕虜になった主人公が敵将あたりにやられる展開になっていた方がまだ良かったんじゃないかと,京急の最終電車で帰宅しながら思った。



スパイダーマン2
2004年8月1日(日曜日) はれ

スパイダーマン2を観る。突っ込みどころは山ほどあるけれど,そこはコミックだと割り切って気にしなければ十分に楽しめる良い作品でありました。ありがちな勧善懲悪でもなく,アクションシーンも比較的こざっぱりとしていて,むしろヒーローであるがゆえの苦悩とか,そういうかなり人間的な部分に焦点を当てた内容。予告編にも出てきた "sometimes to be right you have to give up what you want the most" という言葉は,身元を隠して二足の草鞋でやってるヒーローには共通する悩みなんだろうなあ・・・。本作は,前作からの続きという形になっており,登場人物の説明なんかはほとんどないから,前作を先に観ておいた方がいい。わたしは観ているはずなんだけど,確か飛行機で観たのかな。ぜんぜん覚えてなかったり。

ぜんぜん関係ないが,帰りに見えた満月が綺麗だった。