吉野川沿いを散歩する(中編)


蜻蛉の滝〜野営地

蜻蛉の滝その1
奈良県吉野郡川上村西河には、「蜻蛉の滝」という有名な滝があるので、行程の途中で立ち寄った。

「蜻蛉」は、「せいれい」と読み、トンボの別名であるらしい。高低差は約50メートルある流量の多い滝である。高さゆえに一枚の写真には収まらなかったので、三枚の写真を合成して一枚にしたものが右の写真である。

滝の周囲は鬱蒼とした森林に囲まれており、昼間だというのに薄暗く、真夏だというのに涼しげな空気が漂う。周囲の緑と調和した瀑布は、吸い込まれるように美しい。ここまでの道程は長かったが、来て本当に良かったと思う瞬間である。

蜻蛉の滝その2

心地のよい瀑声に包まれながら、のんびりと飛沫を眺めて足を休め・・・といきたいところなのだが、次の予定があるのでそうもいかない。さっさと写真撮影を行い、足早に蜻蛉の滝を後にする。



その直後、最も恐れていた雨が降り出した。

まったくもって芳しくない事態である。なぜなら「適当に探す」ことになっていた野営地は、まだ決まりすらしていないのだ。計画時点では、蜻蛉の滝がある川上村西河周辺を第一候補地として挙げていたのだが、残念ながらここには野営できそうな場所がなかった。そこで、吉野川の河原で良い場所を探すことにした。情報収集に当たると、どうやらめぼしい場所は、現在建設中である大滝ダムの建設資材置き場にされていたり水没予定地になっていて、キャンプは不可能という思わしくない返事が返ってくる。大滝ダムよりも上流の、井戸(いど)という場所なら、何とかなるかも知れないということであった。[付近の地図

しかし、西河から井戸までは10kmほどある。このとき時刻は既に15時、徒歩で進めば到着前に日が暮れてしまうし、雨の中を歩くとなると尚更に大変だ。国道169号線は、便数は少ないながらも奈良交通の路線バスが走っているので、これに乗れば井戸には辿り着ける。だが、もし井戸まで行っても良い野営地がなければ、引き返すことはできない。ここは賭けだが、「まあ、どうにかなるだろう」と、バス停へと向かう。バスを待っている間も、雨は強くなる一方である。バスに乗ってからも、雨は止むどころか一頻りに降っている。何となく不味い予感がするけれど、先に進むしかない。

井戸では、最適ではないながらも野営に適した場所は見付かった。ちょっと邪魔になりそうな場所であったが、この際だからやむを得ない。そこを管理していると思われた近くの食堂に断りを入れて、一晩だけテントを張らせて貰うことにしたのだ。だが、その間も雨は強弱を繰り返しながらも依然として降りしきっている。荷物には持っていたビニールシートを被せて、雨に濡れながらも取り敢えずテントだけは張る。夕食であるバーベキューの準備もしなければならないが、この雨では炭に火を着けることもできない。この間の写真が全くないのは、「それどころじゃなかった」からだ。そう、次の瞬間までは・・・

吉野川にかかる虹
それは、雨の対策に苦慮していた午後4時半のことであった。突如、雨が小降りになったかと思うと、雲が切れてその隙間からは日が射しはじめた。そして「おい、後ろ後ろ」と叫ぶ友人の声に振り返ってみると、空には見事な虹が架かっていたのである。

感動的だった。

こんなに間近で、ここまでくっきりと空に描かれた虹を見るのは始めてである。しかし、この虹にはそれ以上の価値があった。雨が止む方向に向かい「天は味方した」ばかりでなく「ついでに贈り物までくれた」という二重の有り難みをあの場で噛みしめていたのは、無論のことわたしだけではあるまい。

いまだとばかりに、夕食の準備を進める。バーベキューを始めるべくコンロの炭に火を着けて、肉やタマネギなどを焼くきながら、同時進行でスープを作るのだ。材料や燃料に不足はなく、満腹になるほど食えたし、どれも美味かった。そして食後に沸かして飲んだ一杯のコーヒーは、また格別であった。しかしまあ、いま思えば徒歩でよくあれだけゴージャスなことをやったものだというか、テントまで持っていってこんなことをやろうという気になったものだと思う。

夕暮れ後には雨も完全に止んだ。日が暮れてからは昼間の暑さが嘘のよう和らぎ、半袖では少し寒いと感じるほどの涼しい空気は心地ちがよい。空が晴れてくれたお陰で、寝るまでの時間をテントの外で満天の星空を眺めながら過ごすことができた。眠らない都会では絶対に見ることのできない、漆黒の澄み渡った夜空である。むさい男どもが約三名、吉野川の畔で流れ行く水のせせらぎと虫の鳴き声を堪能しながら、夜空に星座を描いているのだ。当人たちは、これをロマンチックだと思っていたらしい。そんな我々を、さあ嘲笑うが良い。


日の出
テントで夜を明かした我々は、日の出前に何となく目が覚めてしまった。8月1日午前6時55分、山の向こうから太陽が昇ってきた。この風景だけを取ってみれば美しいものだが、日の出はまた、涼しくて過ごしやすかった時間の終焉を意味するものでもある。日が射しはじめると、いきなり焼けるような暑さが戻ってくる。容赦なく照りつける日差しの中を、今日も歩くのだ。

簡単な朝食を済ませたあと、野営の片付けに入った。早く起きてしまったせいで時間には余裕がある。少しだけ川で遊ぶことにした。


吉野川と山
年甲斐もなくパンツ一丁になり、本当に嬉しそうな顔で泳いでいた友人を横目に、わたしは足を見ずに浸けるだけにした。水は刺すように冷たい、よくこんなところで泳げるものだ。

右の写真は、川の真ん中から低いアングルで撮影したもの。つまらない写真で申し訳ないのだけれど、撮るのに随分と苦労したから何となく掲載したくなってしまった。

さてさて、あまりゆっくりもしていられない。次の目的地である「不動窟」というを鍾乳洞を目指して出発するのだ。


無名の滝
井戸から先は、国道169号線とほぼ並行して吉野川沿いを通る旧道をルートに選んだ。この付近は、現在建設中である大滝ダムの人工湖に水没することになっており、国道169号線はより高い位置へと付け替えられた。使われなくなった旧道には殆ど交通量がなく、歩くにはちょうど良いのだが、通行できなくなるのも時間の問題だろう。[付近の地図

立派な新道とは対照的に、旧道の状態は悪く路肩も崩れかかっている箇所がある。道端に立つ朽ち果てた下向き三角形の青い道標だけが、この道がかつては国道であったことの証左である。道路の付け替えに伴って対岸へと渡る橋梁も全て架け直されていた。どれもが必要以上に高いところに架けられているように見えるのは、渡るべき湖がまだ図面上にしか存在しないためであろう。いずれは湖底になる場所から橋を見上げるというのも面白い。

旧道の脇に小さな滝を発見した。新169号線の高架橋をくぐり抜け、吉野川へと注ぐ小川である。ちょっとペースを上げて歩き続けていたところだったから、この涼しげな自然の休憩所で一休み。

やがて、旧道は吉野郡川上村下多古付近で国道169号線に合流する。ここから先は、国道169号線の新道がまだ開通しておらず、行ったときは工事が続いていため、ダンプなどの工事車両がびゅんびゅんと通過する狭くて古い道路を歩く羽目になった。そしてそんなところをこれでもかと思うほど歩くと、ようやく「不動窟」という鍾乳洞に到着する。


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2000/09/16 公開


制作 − 突撃実験室