大阪府枚方市在住、匿名希望K氏のある休日。
1.09時30分。WINS難波に現れ、馬券購入。
有馬記念、馬番連勝(3−14)一本買い。
2.15時20分。3−14、きたーーーーー、うはうは。
1240円ついてたから、結構な金額に。
3.23時30分。白木屋で飲む。
4.翌0時03分。京阪淀屋橋駅で、最終の淀行き準急に乗り込む。
K氏、まわりが早くて、すぐに爆睡。
5.00時39分。K氏爆睡中、電車は氏が降りるはずの樟葉駅を通過。
つまり、最終で乗り過ごす。
6.00時50分。無情にも、終点の淀駅で折返しの電車が無い。
途方に暮れながら、乗り越し料金払う。
7.01時00分。タクシーで樟葉まで引き返す。お馬の賞金散る。
8.01時20分。帰宅。ついてるのか、ついてないのか。
更新報告、ほか
1997年12月19日(木曜日) はれ
今日は燃料電池の続きを書いた。LEDもやっと点灯する程度、電池とは言い難いが、原理としては正しいものだと思う。もっと工夫してやれば、ちょっとはマシなものになるかもしれないが。
昨日は、ある方と日本橋へ行ってきた。PC98の拡張スロットにA/Dコンバーターを作りたいと言うことで、部品の買い出しのお手伝いをしてきたのだ。汎用部品でアドレスデコーダーも組んだりして、全部手作り。今時、趣味で?そういう事をする人も少ないんじゃないかなって話してたのだが、どうなのだろう。制御ソフトも、Cで書いてDOSで動かすものだ。時代が時代だけに Windows 版の制御ソフトも書きたいと話していたが、 Windows 95 とか、そんな風な楽しみ方をするような感じではないな。
ハードウエアネイティブなことは、DOSでアセンブラをカタカタ打ってる方がやりやすい。プログラミングとしては、非常におもしろいと思うのだが。機種依存撤廃方針のOSでは、なかなかできないのかなあ。
更新報告
1997年12月17日(水曜日) お天気悪いの〜
今日は本当に久々に、突撃実験室を更新した。最近は色々と忙しかったのだが、そろそろ何か書かないとね。内容は燃料電池の話だ。あまり自信がなかったりもするのだが、とりあえずの調べが済んだので書いてみた。
最終的には、燃料電池らしきものを作ってみるつもりなのだが、果たして結果はどうなるか。実は、実験らしきことはまだやっておらず、机上の理論だからね。実用的なものは無理だろうが、LEDぐらいは光るかもね。
正しい否定
1997年12月16日(火曜日) はれ
消費税の3%→5%の増税が、時勢に合った政策であったことを認める人は少ないだろう。だが、政府は間接的にもそう言いつづけている。政府も本心からはそう思っていないのだろうが、政策失敗を認めたくないから、問題は無かったと言いつづけるのだろう。失策は素直にそうと認めれば良いことと思うのだが、どうもそれができないらしい。
だけど、これは政府に限ったことではないのかも知れない。個人間の議論でも、「先程の私の意見は間違ってました。前言撤回です。」と素直に認められない人は少なくない気がする。それを逆に「優柔不断だ」とか、非難する人もいる気がする。だけど、それは議論とか討論の意義を理解していないからではないのだろうか。確かに自分の考えは間違っていると認識しつつも、それを認められないと言うのでは、話し合う意味もないのではなかろうか。
素直に前言撤回するのは、やりにくいことでもあると思う。だから、それができる人は、他人から学ぼうとする姿勢もあるのだろうし、私個人としても見習うべきだと思う。うーん、大体「朝まで生テレビ」みたいな討論なんて、揚げ足取りと、お互いの人格否定ぐらいにしか見えないこともあるしねえ。
で、ごちゃごちゃと書いたけど。これから必要な政治は、「先代のやってきた事を、すっぱりと否定できる政治」と言うのはどうか?
コート紙年賀状
1997年12月13日(土曜日) くもり/はれ
先日、親に年賀状を買ってこいと頼まれて郵便局へ行ったら...
わし 「年賀状ください」
局員 「何枚ですかー」
わし 「無地のやつ30枚ほど・・・」
そこで、一枚の張り紙が目に留まる。
インクジェットプリンタ用コート紙年賀状もあります
わし 「え、コート紙年賀状ってあるんですか、値段はいっしょ?」
局員 「はい、それも50円です。そっちにします?」
わし 「(心:ちくしょー)あ、あっいえっ、普通のやつください」
ううーー、やられたっ。インクジェットプリンタで年賀状刷り終えたその日にこれだもん。もう少し早く気が付いてれば、間違いなくこれを買ってたのにね。タイミング悪すぎでした。だけど、普通の年賀状の紙質もまずまずで、滲んだりとかはしてませんね。普通のコピー用紙よりも遥かに鮮明です。
しかし、郵便局もなかなか気が利いてますね。同じ値段だから、インクジェット系のプリンタで年賀状を刷る人は、これが良いでしょう。写真年賀状を刷る人もいるだろうから、コート紙だけでなく、光沢紙などもあれば良いですね。それも同じ値段で。まあ、官製年賀状でもコート紙を用意するぐらいだら、そういう時代になったんかって気がしますわ。
帰国子女2
1997年12月12日(金曜日) はれ
では、何が帰国生徒の「逆カルチャーショック」の原因になっているのか。理由は多くあるだろうが、一つに帰国生徒に対する過度な期待が挙げられるだろう。訳も分からず「国際化」がどうのこうのと叫んでいる日本人のすること、帰国生こそが「真の国際人」なんて思っている人も少なくない。そうして、「帰国生徒とはこんなもの」と言うステレオタイプ象を作り上げてしまっているのではないだろうか。
そのような象に基づき、期待される者の立場は、決して楽なものではない。過度に期待されている帰国生徒も、また一人のちっぽけな人間なのだ。たまたま何かの理由で海外生活を送っただけ、それ以外は国内の生徒とも何ら変わらない人間と言っても良いと思う。そんな自分を、周りは過度な期待で迎える。ワンクッション置いたような接し方、どこかエリート人間を扱うかのような、特別な視線。語学の面でも、変に期待される場合もある。
私は特別じゃない、だからこそ自然に日本と言う国で人と接し、生活を送りたいと言う願望は、多くの帰国生徒が持っているものであろう。だが、なぜ皆は自然に接してくれないのか。そしてその期待と本当の自分とのギャップに耐えられず、逆にカルチャーショックを覚える生徒も少なく無いと言えるのだ。わかりにくい話であるかも知れないが、簡単に言えば、同じ日本人であるはずの自分を、周りがあたかも外国人を見るかのような感覚で自分を見るために生ずる違和感のことであると言えるだろう。
もちろん、「俺は特別だから」と、正反対の立場を取る帰国生徒もいる。これも一つのやりかただと思うが、私は彼らの考えは知らないので、ここでは論じないことにする。
結局、日本で言われる「国際化」だとか「国際人を育てる教育」だとかは、建前に過ぎない場合が多いと言えるのではないだろうか。言葉だけではわかっていても、実際に日本人でありながら海外生活を送った者と接してみると、特別視してしまう。「真の理解」とか、いかにも建前的な用語を用いるのは不本意だが、本当にそれに近づきたいのだれば、対等な立場で接し合う能力を、日本人は養うべきであろう。帰国子女のステレオタイプ象など、当然捨てなければならない。
帰国子女1
1997年12月11日(木曜日) くもり/あめ
「帰国子女」と言う言葉をご存知だろうか、親の海外転勤などの理由により自分の意思に関わらず海外生活をし(つまり留学とは違う)、日本へ帰国した子供を言う。また、在外の者はまだ帰国していないので、「海外子女」と言う風に呼んだりする。
個人的には帰国子女と言う言葉は嫌いで、年齢から普通は学生なので帰国生徒と言うべきであると思う。だいたい「子女」なんて言葉は普段は使わないし、男女差別的な意味合いも含んでいると考えられる。昔は「女」の文字しかないから「男は違うのかー」なんて思ったこともあるんだが、本当はその逆。「子」は息子と言う意味で、「女」が娘。つまり、男しか「子」とみなされず、女はその付随品と言うような考えがあると言える。
少々脱線したが、「帰国子女特別入試枠」なんて制度を設けて、帰国生徒を積極的に受け入れようとする学校も多くある。大学だけでなく、高校や中学でもそのような入試制度を設けているところがあり、一般枠で課せられる試験とは少し違う試験を課せられたりと、そのやり方も学校次第で、色々とある。関西では同志社国際中・高等学校など、一般の生徒は二の次で、帰国生徒受け入れを第一にやるところもあるぐらいだ。
日本に突然帰ってきて、受験勉強なんてやってられないのが普通だし、少しできたとしても、日本で受験勉強ばっかりやってきた生徒と同じ条件で受験させられるのはフェアじゃないと言える。だから、そのような特別枠を設ける教育機関が増えるのは歓迎すべき事。しかし、留学生も同じ枠で受け入れる学校も少しある。そこで、日本で受験に失敗した後に何年か留学し、その制度を無理にでも活用しようって人もいる。このように、不純な動機の帰国生徒がいるのも、また事実だ。
職業柄、いろんな帰国生徒と接してきたが、どこかの学校に入学する際の苦労はそんなに無いと思う。もちろん、受験と言う壁があるのだから、苦労が無い訳ではないだろう。しかし、これは国内にいる生徒とて同じ事だから、特別に不利な状況に立たされることは少ないと言った方が適切なのかも知れない。
が、入学してからはどうだろうか。多くの帰国生徒は、一般的に逆カルチャーショックと言われる帰国生徒特有のカルチャーショックを感じていると言う。カルチャーショックとはご存知の通り、日本人が外国へ行った時に実感する文化の違いなどにより感じる戸惑いのことである。そして、逆カルチャーショックとは、帰国したときに感じる戸惑いだが、文化の違いによるものでは無い。多くの帰国生徒は、日本で生まれ、外国へ行く前は日本で生活していた人間である。日本文化のことを多少は忘れていようが、ショックと言えるほどの文化の差異を実感することは希だろう。
では、何が「逆カルチャーショック」の原因になっているのか。
続きはまたあした。
ファーストフード
1997年12月10日(水曜日) はれ
マクドナルド、関西では「マクド」、関東では「マック」と言うそうだが、その境界は岐阜県の関ヶ原付近だとか。日本を東西で分離する場合は、ここら辺が妥当なのかも。私は大阪者だから、「マクド」と表記する。
味気無さが嫌いであまりファーストフード店は利用しない方だが、今日は友人ら数名と天満橋駅前のマクドへ入った。その店は雑居ビルの1階に入っているだけで、店が極端に狭い。10人ほどが座れるだけのテーブルしかないのだ。その時も空席は無かったから、持ち帰りにし、駅で立食パーティーを楽しんだ。品の悪い学生である(笑)
しかし、食い終わったあとのゴミの量は恐ろしいほど多い。紙コップ、ドリンク類が倒れないように支える紙製の台、発泡スチロール製のバーガー容器、紙袋やポリ袋など。ファーストフードの梱包材料の無駄の話は今になって言われ始めたことではないが、改めて見て、ちょっと酷いと思った。店を出てから15分もしないうちに、全て新品の梱包材料が廃棄物となるわけでしょう、やっぱり勿体無いと言わざるを得ないことだ。
だが、エコロジーがどうとかで、何でもかんでも勿体無いと言い張る人間は好きではない。なんだかんだ言っても、全ての人間が今の生活を全て捨ててまで、エコロジーを優先できるわけがない。何をどれだけ節約すれば、どれだけの資源やエネルギーの節約効果があるかを考えてから、そういう話を現実化してほしいものだ。騒いでる割には、実際にやってみると大した効果の無い「偽善節約」もあると思うしね。
蓄熱セラミックファンヒーター
1997年12月9日(火曜日) くもり
親父が会社のバザーで、蓄熱セラミックファンヒーター(三菱電機)なるものを買ってきた。実際に使ってみると、やんわりと暖かくて、なかなかよろしい。しかし、電熱器といえばいわゆる電気ストーブしか知らなかったので、ちょっと怪しい。
セラミックヒーターってのは良いとして(半田ごてもセラミックヒーターが入ってる)、蓄熱って言うのが気になる。仕様によると、4時間ほどかけて蓄熱し、その熱+電熱器の熱で強力暖房するってやつ。ヒーターの消費電力は1330Wだが、これにより2200W相当の暖房が、30分間ほど行えるとのこと。
実は面倒くさいから蓄熱機能なんて使ったことがないんだけど、どうやって熱をためているのか、ちょっと気になるところ。暇なときにでもバラしてみようかな...
アヤシイ物品
1997年12月8日(月曜日) くもり/あめ
部屋を整理してみると、色々と怪しげなブツが出てくる出てくる。
例えば、オウム真理教のパンフレット類。入信案内書のようなものや、会報誌のようなものまで。それから、直営のパソコンショップのビラとかもある。どこかに保管したまま忘れていたのだが、そう言えば思い出した。
あれは、地下鉄サリン事件でその教団の知名度が最高点に達した時のこと。もちろん、良い意味ではない。それにも関わらずだ。どういう神経をしていたのか知らないが、京都の四条烏丸(繁華街)の角で布教活動をしていたのを発見した。例の服を身にまとっていたオネーサンが数名、何やら机を置いてパンフレットなどを配っていたのだ。ついでに、麻原の著書なども販売していた。
そこで私は、入信志願者を装って、パンフレットなどを貰いに行ったわけ。本も薦められたが、流石に金を出してまで買おうとは思わなかったので断った。冷たい視線に耐えながら(これは本当)、貰ってきたパンフレットなどが、未だ保管してあったと言うわけだ。
貰いに行った理由? 若気の至りってやつかな。不謹慎と言われるなら正しいと思うけど。まあそんなもんでしょ。
色々と
1997年12月5日(金曜日) はれ
週末は、ややハードスケジュール。こんな時間(午前3時)まで起きていてはいけないのだが、まだやることがある。取り敢えず寝て、朝起きてやろうって思っても、朝方にそんな気力なんてないんだよね。結局、夜更かしする羽目に。関係ないけど、機能はソファで寝たから腰が痛い...
明日の予定は、仕事 → 宴会 → 徹夜で遊ぶ → そのまま仕事... と、何週間か前と同じパターン。徹夜で遊ぶのは良いが、次の日が辛いね。と言うわけで、明日は家には帰れそうにないなー。
先日より、幾度も伝言板に、エロエロなサイトの宣伝が何者かによって書き込まれている。私はH系のサイトを差別する気はないから、ちょっとした宣伝なら目を瞑るつもり。しかし、あまり生々しい宣伝は嫌い、それらは「強制削除」の手段をとらざるを得ない。最近は消すのも面倒になって来たので、小細工による対策もしてみたが、効果のほどは...
脅し?の意味も込めて、メールアドレスとリモートホスト名を強制的に表示するようにした。しかし、これは関係のない方には大変失礼な話。できれば匿名もアリにしたところだが、こうした事があると辛いね。
環境保護団体
1997年12月4日(木曜日) はれ
言わずと知れた京都会議が行われているのもあり、最近は環境保護団体などと言う組織が、テレビのニュースなどで注目されている。しかし、環境保護を盾にかなり偏った、むしろ暴力的な行為に走る団体も存在すると言う事実はどうだろう。環境保護を目的とする団体は数多くあるのだろうから、一概には言えることではないだろうが。
だが、先日も京都のあるガソリンスタンドを囲んだことがニュースになっていた。そのGSの系列の親会社が環境保全に消極的な姿勢を見せたと言うのが理由だったと思うが、ある街のスタンドの営業妨害で何が変わると言うんだろうか。そんなことをしても、イメージが悪くなるだけじゃないの? ただの違法行為だと思うんだけどねえ。理由はどうであれ、こんなやり方が正しいと、肯定する人間は少ないハズ。一体、何の為にやってるんだろう。
それ以外にも、鯨を食うなとか、偏ったご意見も多いしね。牛は食っても良いけど、鯨は駄目って理屈が私には理解できん。絶滅の恐れがあるからって言うのならまだ肯けるかもしれないが、「かわいい」とか「私たちのシンボルです」とか、何ほざいとるんじゃと突っ込みたくなるお話も聞いたことがあるから。食うために殺すのは当然のように行われても構わないことだと思うのだ。
どこかを占拠したり、スジの通らないご意見を押し通したり、何かと暴力的な行為の話を時々耳にするが、その度に、環境保護団体イコール思い込みの激しい非合法活動団体ってイメージを膨らせているのは、私だけじゃないはず。もう少し上品な活動はできないものなんだろうかなー。
値下げ
1997年12月3日(水曜日) はれ
公団住宅だったかな。ナントカ公団って所が売ってる分譲マンションの売れ行きが悪くて、値下げすることを決めたらしい。値下げ前に買った人は反対したそうだが、結局値下げは行われ、価格の差額の返還を求めているそうだ。
しかし、売れないモノの値が下がるのは当たり前のこと、それをそのままの価格で売りつづける方が、むしろおかしいことである。それに文句を付ける方は、もっとおかしいに決まっている。どういうつもりで差額の返還を求めているのかは知らないが、相手が公的な機関だから、特別視しているんだろうか。大体、普通のお店で買ったものの値が下がっても、差額を返してくれるところは少ないぞ。
私が何年か前に買ったパソコンはどうなるのだろう。早ければ1ヶ月もしないうちに値が下がる世界なのにね。世の中、不条理なことを平気で言う人もいるのだと感心するわ。
街ぐるみ
1997年12月2日(火曜日) くもり/はれ
今日から本格的に「冬ぅ」って気候になった。近畿でも初雪だとか、寒いわけだ。帰りに、駅前のダイエーで部屋の整理に必要な小物入れを買ったのだが、お店はすっかりクリスマスムード。飾りはしてあるわ、BGMはクリスマスソングだわ、なんか日本人ってワケの分からないところがありますよねえ。
さて、和歌山であった幼女殺害事件、容疑者は同じ団地に住む顔見知りだったらしい。この手の事件が起こる度に、「地域性を生かした、街ぐるみの犯罪防止効果はどうしたのか」と言うようなお話が新聞を飾る。しかし、一人の人間が同じ家で生まれて死ぬことは少ないはずだ。例えば隣の人間がどういう人なのか、あまり関心を持たない生活仕様ができつつある以上、いつまでも地域性などのような概念で犯罪を防ごうと言うところに、大きな問題点があると言えるのではないだろうか。
地域性、つまり近所付き合いみたいなものと言えば良いのか。私としては、そのような概念が崩れることは、むしろ良い傾向だと思っている。私は個人主義だから、あまり地域性とか、そのような概念は好きではない。他人の生活には関与せず、自分の生活には関与させず、な考え方が好きなのだ。それにウチもサラリーマン家庭、何年かに1回は転勤もあるし、それ故、今住んでいるところも賃貸のマンション。先祖代々守り抜いたような土地も家もないから、そういうライフスタイルが増えれば増えるほど、「地域性」など何の意味もないと思うのだ。
で、和歌山の事件があった場所。それは、新興住宅地の入り交じるような団地だったという。ここで地域性云々を言うのはどうだろうか。
部屋
1997年12月1日(月曜日) くもり/雨
早朝から書いているのは、徹夜で部屋を整理してたから... 眠たい。
先日来た机を然るべき位置に置くべく、部屋をかなり整理した。まずはガラクタを退けて、古い机を解体して運び出し、掃除をして新しい机を置くってな具合で。しかし、一つの作業を行うのに、あらゆる物が邪魔になる。物を動かしながら、部屋を一回転さすような段取りで整理を進めた。
ガラクタをひっくり返すと、改めて自分の貧乏性が見えてしまう。なんでこんなモノを? と、自分に問いたくなるような物品を、平気で何年も前から置いてあるから困ったもの。今度こそと、かなりの物が廃棄処分となった。それなら、最初から捨てれば良いのにと思うのだが、「きっと何かに役立つだろう」とか言いながら、何の役にもたたないガラクタを何年も保管しておくのが貧乏性である。
勉強机を捨てたから、その引き出しの中身にも整理作業は及んだ。だが、不精な私のすること、今まで「見なかったことにしよう」と、片付ける気にもならなかった所には、予想外の量のガラクタが眠っていた。今度買った机には、浅い引き出しが3つ付いているだけ。勉強机には意外と多く収納場所があったのだが、収納場所が減ってしまい、どうするか悩んでいるところ。
しかし、ようやく机を置き、パソコンが使えるまでになった。とは言っても、机の周辺部だけが綺麗になっただけで、部屋の半分はまだまだガラクタで埋まっている。あー、頭が痛い。

このぐらい変化しました。
左の写真中央部の、ガラクタに埋もれているPCとモデムが運営中のホストだよ。