多事毒論(1998年12月分)




大晦日
1998年12月31日(木曜日) はれ

波瀾万丈の一年?も、残すところ僅か1時間弱となった。それにしては、わたしが便宜上設定されている程度の区切りをあまり重視しない性格のためか、あまり実感が無い。テレビでは紅白歌合戦なんかやってるが、今日が終わればいつものよう明日がある、というぐらいしか思わない方だ。だからなのか、今年の抱負なんてものを決めたことがないし、決めたところで実現し得ないということは、自分でよく分かっている。

一年の反省ではなく人生の反省という感じだが、わたしは、そういうところが良くないのかもしれない。今まで取ってきた、そこそこ楽しければ何でも良いやという方針に、後悔は無い。しかし、逆を言えば楽しいと思わないことに価値を置かないのだから、積極的にやりたいことはそこそこにして、価値が無いにせよ、やらなくてはならないことについても検討しなければならない時が来ている気がする。

今までこんなことは考えたことも無かったのだが、最近になって同世代の知人が大学に入学したり、あるいは少し年上の知人らが結婚したり子を授かるなどして、自分のことについても少し考えるようになった。多分、一般的なシナリオに沿って生きてれば、そのようなことを特別に考える必要は無いと思う。だが、わたしの場合は既に高校を2回中退してそのままだし、今は何も気にせず適当に遊んでやっていられるが、既に一般的なシナリオからは外れてしまっていると思う。

となれば、自分なりのシナリオを書けば済む話なのだが、わたしは決して要領の良い人間ではなく、そんなことが簡単に出来るほど器用ではない。変な言い方だが、三浦義和のような、世間を敵に回しても良いように生きていけるような根性があるわけでもない。あと数年もすればわたしも所帯を持っても良いような歳になるわけだが、そのような時が来る時があるならばと考えると、この生活はいつまで続くのやら少し考え直さざるを得ない。

でもまあ、その時が来れば、なるようになるでしょうね(←これだから)

というわけで色々とありましたが今年も一年、突撃実験室及び多事毒論にお付き合い頂いた多くの皆様には、貴重なお時間を割いて頂きましたことを心よりお礼申し上げます。良いお年をお迎え下さいませ。



青酸カリ宅配サービス
1998年12月30日(水曜日) はれ

青酸カリの宅配サービスをやっていたWEBサイトが摘発されたというニュースが報じられている。事件全体にアングラ臭が漂っているためか、妙なところばかりが誇張されがちな事件といえるのではないだろうか。インターネットの匿名性が問題化されたり、毒物の能力が誇大にいわれたり、自殺の是非が議論されたり、要するに奇妙な事件があると、関心はあまり関係の無いところに行くのだろう。従って、当サイトも青酸カリ(シアン化カリウム)について取り上げる。

塩 よく耳かき一杯で死ねる猛毒なんて言われているが、多分そのぐらいでは未遂に終わるだろう。青酸カリの経口致死量は、成人のヒトで200mg程度らしい。200mgは微量だと思われるかもしれないが、見た目は意外と多いと思う。実物を用意...したいところだが(できなくも無いのだが色々と面倒なので)代わりに食塩を200mg用意した。写真のような量だが、これをこっそりと飲ますのは、案外大変ではなかろうか?(青酸カリだとまったく同じ嵩にはならないので、参考程度に)

さて、推理小説には青酸カリを使った殺しがたくさん出てくるが、多くは未遂に終わるものばかりである。手についていたのを少々嘗めただけとか、どう考えてもμgオーダーでしか飲ませていないのに、死ぬわけが無い。それにアルカリ性なので皮膚に付着すれば気づくだろうし、わたしは嘗めていないが味はとっても苦いらしい。例えば前に呼んだ小説で紅茶に混ぜるというものがあったが、紅茶一杯に致死量以上も混ぜてあったら、普通は直ぐ変な味に気づくと思うのだが。

青酸カリ(KCN)自体に毒性があるわけではないと言えば語弊があるかもしれないが、塩としてカリウムと結合しているままでは悪さはしないらしい。KCNのシアン部分が外れて、初めて効果を発揮する。シアン基は3価の鉄と親和性が良いらしく、体内ではヘモグロビンと結合して安定した化合物を作り、酸素の欠乏によって内窒息を起こして死に至るらしい。青酸カリは胃酸と反応してシアンを遊離させ、それが体内に回るようだが、だとすれば、胃酸欠乏症の者にはきかない?



木曽路
1998年12月29日(火曜日) はれ

中央本線の中津川〜塩尻は、木曽川沿いに景色がなかなか奇麗である。名古屋から松本方面に向かうと木曽川は進行方向に向かって左側にあるので、座席を予約する際は車両の左側を選ぶべきであろう。自然の景色の中に目立つのは、数ある水力発電所だろうか。例えば関西電力読書発電所などが有名だが、山の斜面に横たわる巨大なパイプもなかなか壮大なのだ。

福沢桃介が幅を利かせていた頃からなのだろうか、日本の電力源は水力が主流なんて言っていたのはいつの時代だろう? 今では、全電力供給量に占める水力の割合は少ないのは説明するまでもないことだろう。今後の主流になりそうなのはやはり原子力発電だが、これについては反対も多いが、資源の少ないこんな場所ではしょうがない気もする。

今では原子力発電に対する反対意見は多い。原子力から夢と希望が奪われたのはいつの頃なのだろう、かつて原子力は夢と希望に満ちたエネルギー源であったと思う。鉄腕アトムは原子力で動いているが、考えてみれば悪いイメージのあるものを、マンガの主人公に敢えて使うはずはなかろう。正義のアトムに夢のエネルギー原子力、今見れば皮肉な話である。

わたしは、どちらかというと原子力発電推進派なのだ。なぜなら、わたしも電気を使っているからである。前にも書いたような気もするが、原子力発電所に反対する人には、「反対するのは構わんが、その代わりお前らは電気使うなよ」という気持ちがある。ただし、建設予定地周辺住民はその限りにあらず。都会で使う電気を関係のない町で作らされるのは、迷惑な話であろう(推進派は金でつられているだけ、偏見だけど)。

お前が使う電気を作ってやるから、お前の住む町に原子力発電所を作るぞっていうのであれば、別に異論はない。もっとも、動燃のようなややこしい組織が絡んでなければの話だが。



非東海道本線的大阪〜横浜
1998年12月28日(月曜日) はれ@大阪

しばらく大阪は枚方市の実家に滞在した後、貧乏なので青春18きっぷで横浜の自宅に帰ることにした。行きは同じく青春18きっぷで東海道本線を通るムーンライトながらを使ったのだが、帰りも同じような経路を通っていたようでは工夫がなく面白くない。そこで、東海道本線を一切使わずに、大阪から横浜まで帰ることにした。

朝は実家から車で20分程度の長尾駅へ向かい、そこから学研都市線で木津駅へと向かう。木津は京都府の南端にある町だが、相変わらず何もないところなのだ。木津からは関西本線で亀山へ、そこからちょっと寄り道をして紀勢本線の津に立ち寄り、津から名古屋、名古屋から中央線を上ること中津川まで、そして更に塩尻へ。自分で計画を立てておきながら、いざ行動に移すとこの辺で嫌気度58%程度。

長野県(←IMEだと長野県が出ない!)の塩尻は寒いし何も無い。次の電車までに少々時間があったので駅前をうろうろとしてみたのだが、駅前のロータリにクリスマスツリーのような物体が立っていた以外に、印象に残るものはなかった。しょうがないから駅のホームに戻ってタバコを吸おう...としたら、喫煙所と書いてありながら禁煙ともデカデカに書いてあり、吸って良いのか悪いのか紛らわしくてしょうがない。まあ、灰皿が置いてあったので、喫煙所だったのだろうが。

暫くすると、16:54発の立川行きが来る。塩尻から立川...一体何キロあるんだ? そもそも、塩尻辺りにいると立川ってどこ?宇宙? というぐらいの距離感がある。長野〜山梨〜東京と通ってわたしが目指しているのは八王子だが、八王子駅は20:45着だ。あらまー、4時間近くあるのかと考えると、嫌気度98%。まだ半分も残っているのね。暗くなってきたことだし、ここは寝るのです。

でも、起きたら18:30。まだまだやんけ。文庫本を読んだりしながら、やっと八王子に到着する。腹が減ったので、駅前のファーストキッチンで遅い夕飯を食う。でもまだ横浜線が残っているから、そろそろ帰らなくては。重い腰を上げて(4時間も座っているので本当に重い)横浜線に乗り込み、終点の東神奈川についたのは22時過ぎ。そこから京浜東北線で桜木町まで帰り、やっと家に帰ったら23時前だ。疲れただけだが、こうして東海道を通らない計画は終わったのであった。



建物
1998年12月27日(日曜日) はれ@大阪

昨日は飯を食ったら直ぐに寝てしまって、毒論をサボってしまった。

最近では自宅周りには相次いでマンションが新築され、分譲が行われている。新しいマンションを見ていると確かに建物は淡い色のタイル張りだったりして見た目は奇麗なのだが、逆に言えばこれといった個性が見当たらないのだ。外観は似たり寄ったりだし、内装や間取りにもどれも大した違いはないようである。まあ、間取りに典型スタイルがあるのもしょうがない気もするが、たとえばリビングの内装なら、木目調フロアにクロスの白壁紙というパターンが殆どではなかろうか。

別にマンションを買うつもり(金)などないのでわたしには関係の無いことなのだが、何となくこの画一化された建物は、昔よりも現在の方が多いという気がする。昔と言っても大正〜戦後の話だが、その頃に建てられた建造物(橋・駅・その他)などを眺めていると、個性豊かで飽きることが無いと思うのだ。価値が多様化したなんて言われるが、そう考えるとむしろ画一化していると言った方が正解だと思う。

わたしには鈍行列車に乗って貧乏旅行をするという趣味もあるのだが、鉄道に関係する建造物には比較的古い物が多い。特にローカル線に見られる駅や橋梁は建て替えられることが希なのか、コンクリートではなく煉瓦造りであったりと二つと同じ物が無い場合が多く、見ていて飽きることがない。それに比べると、改築されている都市部の駅などは、実用的であるかもしれないが、どれも同じで面白くない。

というわけで、明日は横浜に帰る予定なのだ。大阪で正月を過ごすつもりは無く、帰って溜まっている用事をとっとと処理せねばならない。行きはムーンライトながらを使ったという話は前に書いたが、帰りも同じルートである東海道本線を通っているようではつまらない。今回は東海道本線は一切使わず、大阪から横浜に帰ろうという計画なのである。ただの自己満足であるが。

詳しく説明すると、まずは関西本線で木津〜亀山〜津〜名古屋へ、それから中央本線で名古屋〜中津川〜塩尻〜八王子まで、最後に横浜線で八王子〜東神奈川〜桜木町という、極めてマイナーな経路でほぼ計画がまとまった。もちろん、貧乏だから青春18きっぷと鈍行というケチケチモードである。いつものことながら、計画段階ではやる気満々なのだが、おそらく名古屋辺りで嫌気がさすことだろう。



鹿と戯れ
1998年12月25日(金曜日) はれ@大阪

昨晩から大阪市内の友人宅に泊まっていた。三晩ほどまともな睡眠を取っていなかったわたしは、寝言を言いながら溶けるように寝ていたそうである。極道な生活に身体はついてきてくれない。もう若くはないと感じるときだったりして。午前中、大阪市内で一件目の用事を済ますのだ。とは言っても、いつ行っても、何をしに行ったのか謎めいているところなのだが。

次に奈良の友人宅へ。どうでも良いが、奈良へは天王寺から大和路線に乗ると早い。久しぶりに訪れた奈良は、奈良駅が拡張されたという以外はほとんど変わっていないように思う。というより、むしろ寂れているという感じがするのだ。年末ということもあり、地元民は然る事ながら観光客も少ないのだろうが、通りが異様に寂しい。クリスマスだからアベックぐらいはいるだろう、石でも投げてやろうと、嫉妬気分で五重の塔へ。しかし、聳え立つその世界遺産の前には、人っ子一人見当たらない。

聞くところによると、奈良には観光産業以外にこれといった産業は無いそうだ。それに、寺や鹿が勝手に金を稼いでくれたりもしない。観光客が積極的に無駄な金を落としていってくれなければならないのだろう。しかし、京都のついでに行ってみる感じの奈良で、金のかからない旅行が好まれるこのご時世、なかなか難しいと思う。そういえば鹿をいじめようと思ったら、あまりいなくて残念であった。寒い夜はどこかの森へ待避するらしい。

奈良や京都には由緒正しき場所が多い。夜も22時を過ぎてから、友人宅を訪れるべく奈良からの帰宅途中にある近鉄桃山御陵前で降りた。行政区画的には京都市伏見区、伏見桃山御陵の近くである。その周辺は凄い豪邸ばかりで、その昔にこの地で幅を利かせていた連中の末裔なのであろうか、とにかく普通では考えられないような額の金の匂いが香る場所だ。そのような、貧乏人は寂しくなるようなその高級住宅街の一角に、お邪魔した友人宅である安アパートは存在する。すごくミスマッチ...

というわけで、寿司とたこ焼とみかん、ご馳走様でした。寝ます。



というわけで大阪
1998年12月24日(木曜日) はれ@大阪&寒い

昨晩からムーンライトながら(夜行列車)に揺られ、大阪に到着した。乗ったことのある方なら分かるだろうが、夜行列車と言えど座席仕様であり、また照明が落とされるなどの気の利いたサービスがある訳でもないのだ。そのため、寝られるかどうかは神経の図太さに大きく依存するのだが、残念ながらわたしの場合はそのような環境ではなかなか寝付けない。

列車が動いている間は適度な振動が手伝って薄らとは寝てられるのだが、駅に停まると何となく起きてしまう。浜松とか豊橋には十数分停車するので、完全に目が覚めてしまうのである。そんな訳で睡眠はほとんど取れず、今日は眠たい。その以前にここのところ、睡眠時間が4時間程度だし、今日こそは早めにダウンだ。

今日は大阪市内にあるこちらのWebmasterのお宅でお食事を頂くことにした。予定ではメシを頂いたらとっとと帰ろうと思っていたのだが、そんなところに弟から悪魔のような電話が...家に友人が泊まりに来るから帰るなだと? 人が久々に実家に現れたかと思えば、なんて酷い対応ぶりなんでしょうね、ったく。しょうがないから、この家に泊まることにしよう。



明日から
1998年12月23日(水曜日) はれ

明日から大阪なのだ。帰省というわけではないのだが、弟が来てるので奴が帰るついでについていくことにした。となると、どういうわけかあちらからもこちらからも顔を出せという要求があり、こなすべき予定が多い。それもこんな時に限ってどうも風邪気味という体調と来た。貧乏だから大垣行きの某貧乏夜行列車で帰るのだが、こんな体調で大丈夫だろうか。熱もある気がするが、キャンセルするわけにも行かないのだ。

若いから一晩寝てれば治るというセオリーもあながち間違いではないのだが、ここのところ多忙で、かなり無理な生活が続いているので体調を崩すのもしょうがないか...深夜まで起きていると、やはり身体にわるいのだねえ。ついでに心臓も痛むし、脈が明らかに変なのは、素人のわたしでも分かる。そろそろ死期が逼っているのかもしれないし、そろそろ遺書を書いた方が良いかな。ある人に、来年死ぬ確率を50%と宣言したし。

というわけで、そろそろ支度をせねば間に合わない。このへんで。



冬休みぃ
1998年12月22日(火曜日) はれ

多くの皆さんより一足早く、わたしは明日より冬休みを頂く。ただし、始まりは来年4日からなので、普通の会社より少し早いのかもしれない。実は、わたしの仕事は毎月1日と2日ぐらいが異様に忙しいのだ。月頭の仕事を4日まで溜めておくと休み明けがブルーなだけ。よって、たぶん元旦ぐらいは暇を持て余しているところだろうから、出勤するつもりでいるのだが。

そんなわけで、今日は会社の大掃除みたいなものをしてきた。元から薄汚い事務所なので全てを念入りに掃除したいところだが、特に汚いのは空調機周りとわたしの机周辺だ。まず、散らかりに散らかりまくっていた自分の机の上を整理する。物で溢れかえっているように見えても、美しく並べ替えただけで奇麗になったように見えるから不思議なものだ。絶対量は変わらないのに、変わったように見える。

年賀状だが、昨日は深夜の3時まで頑張ってやっと15枚書き上げた。なんというか、今年はパソコンの支援に頼る気がせず、すべて手書きにしてしまった。というわけで作業効率が上がらず、まだ全てを終えたわけではない。今晩も進めねば間に合わないぞ...去年来た分ぐらいは書いてあげないとね。そういえば、ローソンで全面にぴかちゅうの絵が印刷してある年賀状を発見。今年はねずみ年ではないので、何とかウサギに見せかけねば変かな?



星一徹
1998年12月21日(月曜日) はれ

というわけで、騒々しい悪魔どもめが二匹ほど、朝から遠慮なくやってきた。お陰で寝てないので、今日はとっても眠たいのだ。わたしはサエない技術屋風?といったところのモテない格好で仕事に行っているのだが、家の鍵を返しに職場に現れた弟は、モード系ファッションを身に纏う。「似てない」とは、会社の皆々様のご感想。そうですよ、どうせわたしは橋の下でニャーニャー鳴いてるところを拾われたんですよ、きっと。

ランドマークタワーへ連中を連れてメシを食いに行ったところ、お好み焼き屋が目に入った。モダン焼きを食うことで意見が一致したので中に入るのだが「いらっしゃいませ」が聞こえない。取りあえず奥の方に座ろうとすると、店員が出てきて別の席に座れというので、それは店の都合もあるかと思い、それに従った。間もなく水を持ってくるのだが、置き方が荒っぽい。水を出せば何でも良いという感じである。

注文が決まったのに、オーダーを取りに来ない。その時点で、そろそろ星一徹モード突入、テーブルを横転させようかという気分なのだが、まあそのぐらいでイライラしていてもしょうがない。その事は忘れて、ばか話を続けること暫し。ちょっと遅い気もするが、注文のものが出てくる。が、わたしが注文したエビ入りモダン焼きと、弟の友人が注文した普通のモダン焼きが逆に出てくる。

もちろん、モダン焼きなど見た目で区別がつくわけじゃなく、気づいたのは真ん中ぐらいまで食ってもエビが登場しないことに不満を漏らしたわたしの一言から。なんでお前の方に俺様のエビが入ってるのだ、ふざけるな!! 店員を呼び付け、接客のあり方について説教をしてあげた。というわけで皆さん、お好み焼き屋の「ぼてぢゅう」という店で飯を食わない方が無難ですよ。

あー、これから年賀状を(涙)



ふふっ
1998年12月20日(日曜日) はれ

昨日、東急ハンズへ行ったついでに年賀状を買ってきた。ここのところは訳の分からないことが多く、それに加えてこれから宛名書きをしなければと考えると気が重い。明日は弟が友人を連れて家に泊まりに来るという。そう広くはない部屋にむさ苦しい男が2名も増えるのだから困ったもの。取りあえず物を片付けないと布団が敷けないので、これを書き終えたらお片付けタイムだ。普段は若干散らかっている方が便利だし落ち着く方なのだが、それだと人が泊まれない。

ムーンライトながらが横浜駅に到着するのは朝の4時過ぎだ。それから京浜東北線の始発に乗り換えて桜木町の家に着くのは朝の5時前だろう。随分朝早くから...そんな時間、わたしは思いっきり寝てる頃だろう。まあそういう訳で、今日はこの辺で。



母音の色感の結果
1998年12月19日(土曜日) はれ

12月15日に書いた「母音の色感」について投票をお願いしたところ、16件の応募を頂いた。少ない気もするが、こういうのって大体そう多くないのが普通なので、良いところだろう。詳しい人数はわたしも把握していないが、定期的にここをご覧いただいている方が100名いるとすると、投票率は16%だ。バナー広告のクリック率も平均すれば1%に満たないと聞くが、バナー広告の率も意外と低いものである。

さて、応募が来なくなったので集計してみた。集計基準だが、異名同色は最も一般的と思われる名称で纏めることとし、○○の褐色とか薄い○色などのより詳しい色も、勝手ながらその元となる色に包括した。また、藍色や飴色など、具体的な物体の色を表したものも同様とした。

集計結果
母音色の名称と人数
母音思い付いた色と人数
赤色11名(藍色含む)
青色3名
黄色2名(飴色含む)
黄色11名
緑色2名(飴色含む)
水色1名
白色1名
赤色1名
青色5名
紫色3名
緑色2名
黒色1名
桃色1名
水色1名
茶色1名(うんこ色含む)
灰色1名
黄色1名
緑色5名
赤色2名(臙脂色含む)
黄色2名
橙色2名
緑色1名
茶色1名
白色1名
水色1名
青色1名
黒色4名
茶色3名
橙色2名
水色2名
黄色1名
紫色1名
緑色1名
青色1名
緑色1名
肌色1名

<独り言>うんこ色とか書いた奴だれやっ</独り言>

という調子になった。「あ」「い」についてはかなり特定の色に集中しているものの、その他に関しては若干の傾向が見られる以外はバラバラとなってしまった。別にこれが何かを意味する訳でもなく、秘密があるわけでもない。ただ、集計してみると完全にバラバラになるわけではなく、一応の傾向はあるようだ。また、異なる母音に同一あるいは近いの色を当てた方は、「い」に薄黄色、「え」に黄褐色と書かれた方が一名のみで、他にはいなかった。

ちなみに、わたしは個人的に以下の通りだ。

赤色
青色
緑色
橙色
黒色

だいたい、平均ですな。



AKI-H8その後
1998年12月18日(金曜日) はれ

以前に秋月電子でAKI-H8を買ったという話を書いたが、ファームの開発方法をある程度理解するまでに勉強を要したので、まだあまり遊んでいない。まず問題なのは、キットに付録しているマニュアルがあまりにプアであること。これらは、読むだけ時間の無駄である。まあ、そんなわけでサンプルプログラムのソースを追ったり、日立が出しているマニュアルを見ながら、大体わかってきたというわけだ。

ところで、H8-300H用のアセンブラやリンカはキットに添付されており、アセンブラで開発するには困ることはない。またC言語が使いたければ別売のCコンパイラも秋月で2000円で買えてしまう。しかし、 gcc (GNUのCコンパイラ) でもH8-300Hのプログラムを書けてしまうらしく、こちらのサイトを参考に必要なプログラムをインストールしてみた。フリーソフトとFreeBSDでクロス開発。イカすぜ!

まずは必要なパッケージをダウンロードしてきて展開するのだ。入手したH8用のアセンブラに加え、gcc、標準ライブラリ、それからデバッガである gdb をコンパイルする。しかし、コンパイラが途中で作るオブジェクトファイルなどで、1GBほどのパーティションが半分ぐらい埋まってしまう。なんて量なんだと思いながら、こんなものがタダで手に入ってしまって良いのかという気がするぐらいである。

インストールが終了し、取りあえず簡単なプログラムを書いてみた。実機に転送する環境がなかったので、取りあえず gdb上で動作することを確認するのだ。普通、H8用のコンパイラで作ったプログラムは、i386上のFreeBSDで動作するはずはない。しかし、gdbにはH8のシミュレータがもれなくついてくるので、gdb上でH8のプログラムを動作させることが可能だ。もちろん、動作OK。昨日というか今朝というか、この辺で夜が明けてきたので、取りあえず寝た。

これさえあれば、emacs + gcc + gdb でクロス開発ってことも...



和文通話表
1998年12月17日(木曜日) はれ

以前にも何度か書いているが、わたしは名字が変なのだ。「くぬぎざ」という、何となくオタっきーでオカルト臭の漂う響きは、電話は愚か口頭で言っても、人はなかなか理解してくれない。「くぬぎ」部分は良いとして、人の名字が「ざ」で終わるケースはあまり無い。そのためか、「くぬぎだ(田)」だの「くぬぎざわ(沢)」だの、一般的に多い終わり方と勘違いされるのだ。どうでも良いような電話では、面倒なので近ければOKということにしている。

漢字で書くと「椚座」なので、これを説明するのも大変だ。木偏に門で椚と言っただけで「そんな字あったっけ?」という感じのリアクションが激しく伝わってくるし、次に正座の座と言えば、「普通そんな文字を人名に使うかぁ?」という感情を示唆するように、返事は疑問形で帰ってくる。変な名字だと人に伝わらないし、三文判すら売っていないので困るのだ。

そんなわたしに朗報か? 和文通話表というものがあることを思い出した。和文通話表とは、朝日のア、いろはのイ、上野のウ、という調子で、通話の際に文字を間違えなく伝えるためのものだ。実際、電報を打つこともないし、無線オタクというわけでもないので、そんなものを使う機会はまず無いといっても良い。しかし、名前を正確に伝えるためのものだから、難しい名字を説明するにはもってこいという気がしてきた。以下、ありがちな通話シミュレーション。

相手「失礼ですが
わし「わたくしくぬぎざと申します
相手「えー..クルキザワさんですか?
わし「違います、クラブのク、沼津のヌ、切手のキに濁点、桜のサに濁点、です
相手「・・・・・そ、そですか。

うむ〜、変な奴と思われて寒くなるだけかもしれないが、今度ノリのよさそうな人間だったら反応を試してみようかな。

どうでも良いが、和文通信表を用いると、濁点をつけてしまうと読めないような文字でも濁点をつけることが出来てしまう。柴田亜美のマンガには「アに濁点」がたくさん出てくるし、方言によっては、「イに濁点」とか「ミに濁点」という感じの、普通のひらがなでは現せないような読みもある。そういうのも擬似的に表現できちゃう..かもしれない。



サウンドカードその後
1998年12月16日(水曜日) はれ

12月13日に書いたヤマハのサウンドカードのだが、WindowsNT環境で光出力が出ないことをヤマハに問い合わせてみた。丁寧な担当者が出てきて対応、直ぐには分からないので確認して折り返し電話をくれるとのこと。初の問い合わせは夕方だったためか、その日に返答はなかった。次の日、昼を過ぎても電話が無いのでこちらからかけてみた。イラチな人間なので、一日のことでついつい煽りの電話を入れてしまうわたしであった。

その時の電話では、答えはNT環境を構築しながら確認中とのこと。NTが動いているパソコンが無かったのだろう、ご苦労様だ。数時間後、担当者から電話がかかってきた。確かにそのような不具合が確認されたので、製造元に改善要望を出したという。時間がかかって申し訳ないが、製造元から解答が得られ次第、連絡をいただけるということで電話を切った。

その次の日、また電話がかかってきた。NTのドライバに問題があったらしく、対策版が出来たという。昨日今日の話なのでちょっと早すぎる気もするが、既に他からもそういう苦情が出ていたのかもしれない。対策版ドライバを送ってくれるそうなので住所を告げる。それは今朝の話なのでまだドライバは手元に届いていないが、そのうち届くだろう。迅速な対応で気持ちが良い。

実を言うと、わたしはサポートセンターに電話をかけたことは殆どが無い。そもそもトラブルが起きることがあまり無いのでその必要があまり無いのだが、仮に起きたとしても、大体のことはサポートセンターに問い合わせる前に自分で解決して終わることが多い。サポートの仕事をやっていた人に話を伺うと、その内容の殆どはどうでも良いようなことらしい。あまりにマニュアルを読まない人が多く、客に「マニュアルに書いてあるのですが」といえば「そんなもの読むわけ無いだろう」と吐き捨てる輩もいるとか。

「読め、馬鹿」の一言で片付くようなことだが、わたしも読まないので人のことは言えないかな(笑) ちなみにマニュアルを書く作業は、ともすれば製品自体を開発するよりも大変なこともあるらしい。モノが出来た後の、これはどう説明いいのやら、そう言えばこんな機能もあったっけ、こういう使い方したら危険だなみたいな、止め処も無い苦悩が、マニュアルに結晶されているのかもしれない。



母音の色感
1998年12月15日(火曜日) はれ

現代日本語には5つの母音があり、子音と区別されているということは説明するまでも無いことであろう。具体的に挙げればそれらの音は「あ」「い」「う」「え」「お」の5つ、つまりア行に属する文字だ。日本語では、例えば「あ」は単純に「あ」と発音されるため、その区別は容易である。

それと同じように英語にも母音は存在し、vowel として区別されている。英語の場合、アルファベットや綴りは必ずしも発音を現すものではなく、それらを組み合わせた単語になり始めて発音が決まるため、日本語のように一筋縄では行かない。基本的には a, e, i, o, u を vowel としており、時には y や w も含めることがあるのは、それらの文字が他の母音と同じ発音を持つからだ。ファルコムのYsはイースと読むが、Yが母音「い」と発音される、分かる人にはとっても分かりやすい例である(英語じゃないけど)。

英語の vowel は、必ずしも日本語の母音と近い発音を取るとは限らないが、純母音として発音された場合、英語の vowel は日本語の母音とほぼ一致すると言える。わたしはそれら以外の人間用言語は知らないし、そのような分野を専門的に研究しているわけでもないので、それ以上の説明はできない。言いたいことは、要するに母音は、言語が変われどあまり変化しないということである(もちろん例外もあるらしい)。人間が声帯と口の形のみで発音できる音は、限られているのだ。

前置きが長くなったが、取りあえずここでは母音は世界共通して「あいうえお」の5つしか存在しないと仮定してみる。そして、それぞれの母音に対して色を割り当てるとすれば、何色にするのが適当か、というのが本日のお題だ。難しく考える必要はなく、目を閉じて斜め上を向きながら、例えば「あ」なら「あー」と言いながら、頭の中にどんな色が思い浮かぶかを試験してみればよいのだ。わたしがやってみたところでは...その結果は、暫く経ってから書くことにしよう。

ちなみに、日本人の中だけで調査すると、この思い浮かべた色には大したバラツキはないらしい。つまり、大体の人が同じような色を思い浮かべるというのだ。しかし、日本語を喋らない、例えば英語圏で生まれて育った人はどうか? ドイツ語なら? マレー語なら? この辺はよくわからないが、調べれば面白い結論が得られるかもしれない。

しばらくの間だけ、無記名投票フォームを設置してみることにした。思い付いた名前の色を記入して、送信ボタンを押すだけでOKだ。しばらくしたら、集計して、ここに書くことにする(受付終了しました、結果は12月19日に掲載)。



時計
1998年12月14日(月曜日) はれ

どうでも良い話だが、家の掛け時計の調子が悪くなった。壊れたのなら止まってくれれば良いのだが、中途半端に遅れながら動くので、ややこしくてしょうがない。電池が切れたのだろう、交換してみるのだ。ちなみに、わたしはデジカメなどで使い古したアルカリ電池をそのようなところに使うことにしている。デジカメは駆動できなくなったアルカリ電池も、時計ぐらいのものなら半年やそこらは使えてしまうものだから、廃物の有効利用には最適であり、お得である。

しかし、家に転がっていた中古アルカリ電池だといくら交換しても遅れてしまう。しょうがないので電池を買いに行くと、店に並んでいる電池はアルカリ電池ばかりで、マンガン電池のラインアップは少なすぎる。小型機器の消費電力が増えるとともにマンガンの需要は減る一方なのだろうが、時計のように大して電気を食わないものには、安価なマンガンで事は足りるのだ。電池には数多くの種類が存在するが、いずれにも一長一短がある。正しい使い分けこそが重要なのであり、無駄にアルカリを使うことはしたくない。

近くの時計屋でも電池を販売しているので立ち寄ってみた。電池を買うつもりが、良さそうな時計があるので欲しくなる。思えば、今の時計は10年も前に買った安物なので、壊れるのも時間の問題かもしれない。幾度の引越にも絶え、阪神大震災では落下により文字盤を覆うガラスが割れ、特に関係はないが一時はUTCにセットされていた時計であるから、そろそろ壊れてもおかしくない頃だ。そんなことを言い訳に、新しいのを買ってしまった。

しかし、10年間も殆ど狂わずに時を刻みつづけた時計を買いかえると、どういうわけか何とも言えない寂しさが漂う。時計に異様なまでの執着心を持つ人間も居るが、理解できないことではない気もする。さて、新しい時計にはアナログの時刻表示と、別個に液晶がついており、そこに日付と曜日が表示されるようになっている。わたしは曜日ボケが激しいので、ちょうど良い。しかし、アナログの文字盤部分と液晶部分は全く独立しており、電池も2本必要と言うスマートさの感じられない構造。別々の発振器を基準にしているので精度も異なり、次第に狂ってくれば、時刻と日付に齟齬が生じると、マニュアルにも書いてあった。

うちに帰ると暗くて寒い。

・まずは電灯のスイッチを入れ、
・エアコンを入れたが、直ぐには暖まらないから、
・電気ストーブを全開にして部屋を強熱し、
・静寂を嫌う現代人なのでテレビをつけ、
・飯の準備をするために電気コンロをでお湯を沸かし、
・エアコンのコンプレッサが動くや否や、
・ブレーカがぶちん!!

さっそく、UPSがその威力を発揮した。
何も考えずに電気を使う人には、やはり必要らしい。



サウンドカード
1998年12月13日(日曜日) はれ

今日は説明するまでも無い都内某所にて、
散財という、良からぬ行為に走ってしまった。同行していた散財防止人の制止を振り切り、前から目を付けていたYAMAHAのWAVEFORCE 192 digitalというサウンドカードを買ってしまったのであった。その他にもごちゃごちゃと。これで、今年の無駄遣いツアーは最後にするつもりである。来年の春ぐらいまでは無駄遣い自粛期間にしないと、マジで生活がヤバくなる。

以前にも書いたが、サウンドカードでは苦労することが多い。今まで使っていたSound Blasterは、今のWindowsNT環境ではマトモに動いてくれないのだ。どこかの設定が正しくないのかもしれないが、現象としてはWAVE再生が異様に重い、MIDI再生ができない、というような調子である(そもそもISAバスでPnPというのが間違いなのだ)。あるいは、前に会社のPCに入れるために買ったものは、間違った部品が乗っていたりして、アンプのゲインは出ないは、出力はLPF状態になっていて低音は出ないはで、結局自分で改造する羽目になった。

今度こそマトモであること願いたいこのYAMAHA製のサウンドカードだが、値段は少々張る (13000〜14000円)ものの、全二重WAVEやXG音源、光デジタル出力なんががついており、カタログスペックは充実している。こいつにはWAVEの出力が2系統あるようで、例えばWINAMPなどのアプリがWAVEチャンネルを占有していてもシステムの警告音が出るようになっている。わたしはMP3を聞きながら仕事をすることが多いので、これは重宝するのだ。音楽が鳴っていても、メールやICQの着信を音で知らせてくれるので便利である。音質には拘らないので深い吟味はしていないが、問題はない。

さて、興味があるのは光デジタル出力。ちょうど良い具合に、家のコンポに受光端子がついているのでそこに繋いでみることにした。さっそくオーディオ用の光ファイバを買いに行くのだが...高い。2メートルで2千円もしやがる。値段には目を瞑ってそれを買って帰り、サウンドカードとコンポを結んでみるも、どうしても音が鳴らない。マニュアルを読み返してみると、どうも出荷時には光出力がオフになっているようなのだ。これをオンにする方法が書いてあるのだが、「その設定画面はNTにはありません」だとぉ? なんと、Windows95でないと設定できないようなのだ。箱には、WindowsNTドライバの文字が存在し、制限があるとは書いてないのだが。今日は取りあえず諦めて、アナログで接続する。

二日連続で実験室ネタ追加だ。今日は電子レンジで餅を作ってみた。



宝くじ&UPS
1998年12月12日(土曜日) くもり

何かの用事で会社に第一勧銀の営業(関係ないけど、すごく頭の悪そうな奴)が現れ、宝くじを売っていたのでつい買ってしまった。300円の年末ジャンボを連番で10枚、しめて3千円也。3千円が1億4千万円に化ければ向こう10年は遊んで暮らせるのだが、まだ当選番号が決まったわけでもないのに、もう既に3千円スったような気分だ。今すぐにシュレッダの餌食にしても、時が少々早まっただけという結果で終わるのだろうが、そうした分に限って当たるのは、神様の悪戯なのかもしれない。

昔は宝くじも時々買っていたのだが、これほど効率の悪いものはなく、不確かな一角千金を狙うのはわたしの趣味ではなった。一度だけ200円当たった以外には、何の稼ぎもない宝くじ事業部は大赤字なのだ。今は馬券も買わなくなったが、むしろ馬でコツコツと(つまり危険な賭けには走らず)頑張った方が儲けは良く、馬券事業部は常に黒字である。まあ、ノリで買ってしまった宝くじに16ビット以上の当選金がつけば、今までスった分は水に流してやるのだが。20ビットで計算できる額なら...やっぱり定期預金になっちゃうのが現実ってやつかな。

UPSをバラした。ご覧あれ。



しわす
1998年12月11日(金曜日) はれ

一年の最後の月を師走というが、確かにわたしもバタバタと忙しい。別に、年末だから必然的に増えてしまう仕事ばかりではないので暇であっても不思議ではないのだが、ひょっとすると人間は見えない法則に縛られながら生きているのかもしれない。去年は年末年始に非常に忙しくなる仕事をしていたのが、今年は寝正月を決め込みたいところである。金も恋人も無いところだし...

それで、わたしたち普通の日本人にとっては、12月になると粉雪が舞い、恋人同士が熱くスパークし、雪を溶かす時期であるが(偏見)、南半球へ行くと夏冬が逆である。おそらくこの時期ならそろそろ熱くなってきたなーという頃なのだろうが、北半球の住人であるわたしに、暑い12月を想像することは容易でない。クリスマス前後に海に泳ぎに行ったりするというのも、なんか妙な感じなのだ。実際、もっと温暖なところに住んでいたとき、大晦日の晩に焼き肉パーティーかなにかをやったの記憶があるのだが、半袖で表にでても寒くないようなところだった。横浜の冬は十分に寒く、辛い。

インド在住のこの方のサイトを見ると、一味二味違った日記が面白い。インドは一度行ってみたい国の一つであるが、何となくアヤシゲなイメージがあるのも事実なのだ。まあ人間、馴染みの薄い文化圏に触れようとしているときは、怪しさを感じるのもしょうがないと思うが。そういえば、昔インド人の知り合いがいた。頭の良い女の子で、その父親は輪をかけて頭が良かったので、凄いなーと思った記憶がある。どこかの大学でソフトウェアの研究をしている人だったが、気持ちの悪いぐらい数学の出来る方だった。暗算の計算速度と来たら、数式を読みながら答えを出していくような人だったから..



蛍光燈
1998年12月10日(木曜日) はれ

昨日のPCの続き...結局いろいろと気になって寝付けなかったので、昨晩ここを更新してから早朝まで続けてしまった。結局、ブートフロッピを作り直したらあっけなく動いてしまった。FreeBSD-2.2.8Rを入れて、カーネルの再構築をして、取りあえずXが動くところまで持っていったら朝の4時。さすがにその時間に寝ると次の朝が辛いのだ。もう若くないというか、身体は正直だというか、昔は平気だったことが駄目になると寂しくなる。

今日は会社の蛍光燈をすべて取り替えてきた。点灯しなくなったわけではないのだが、かなり黒ずんできていたので、新しい蛍光燈に入れ替えてみると気持ちが良い。前とは異なる色のものを買ったので蛍光燈自体を見ればむしろ暗くなったような感じがするのだが、部屋全体としてみれば間違いなく明るくなった。しかし、天井に埋め込んである反射板もかなり汚れていたので、ついでにお掃除がしたくなった。

要は反射板を雑巾で拭くだけのことなのだが、この作業は首・肩・腕・腰の四個所に確実に響くのだ。上を向きながら後ろに反るような姿勢で拭き掃除をするのだから、当たり前と言えば当たり前だろう。今は小さな事務所に勤めているので10個所だけで済んだが、以前に事務所の蛍光燈やエアコンを掃除する日雇い仕事をしたときは、朝から夕方までシコシコと拭いていたのでちょっと辛かった。夏場のエアコン掃除はもっと辛い。なぜなら、エアコンが止められているビルの中で力仕事をするのだから、強烈に暑いのだ。

どうでも良いが、蛍光燈の反射板を拭いた後の雑巾が、牛乳を拭いた後の雑巾とほぼ同一の独特の香りを漂わすことは、割と有名な?話なのだ。何故だかはわからない。しかし、どういう訳か、蛍光燈の汚れは牛乳と同じ効果を持っているらしい。



PC組み立てに苦労..
1998年12月9日(水曜日) はれ

今日はうちに帰ってからPCを一個組み立てた。予定では1時間ぐらいで組み上げて、FreeBSDをインストールして、カーネルのコンパイルまですることになっていたのだが...これが予想外の方向に。まず、ハードディスクを認識してくれないのだ。プライマリとスレーブの設定かなっと思ったのだが、それは正しく設定されている。ケーブルが行けないのかと思って、ケーブルを変えてみても駄目。5分前まで別のPCで動作していたディスクなので、壊れている可能性も考えにくい。

1時間ぐらいあーでもないこーでもないといじっているうちに、やっと認識してくれた。が、この辺でイライラしてきていたということもあり、電源をショートさせちまう(笑) わたしの注意散漫が原因なのだが、音を立ててスパークしたあとに動かなくなってしまう。電源ユニットをバラすと、ヒューズが切れている。最初は代替えのヒューズが無いと思ったのだが、会社のどこかで見た気がしたので、探してみた。あった、前にわたしの机に座っていた人の遺品と思われるヒューズが自分の机の引き出しに転がっていたので、取り替える。更に1時間。

で、ブートフロッピーを作って起動! と思ったら、何故かFDDを無視してハードディスクから立ち上がろうとする。いや、厳密に言うと無視されているわけではない。一応はカタカタっと音を立てて読もうとするのだが、そこからブートしてくれないのだ。ここでいい加減に嫌気がさしてきて、原因を追求する気にはならずにそこでやめてしまった。仕事柄&趣味も含めてPCはたくさん組み立てているのだが、ここまで一筋縄に行かなかったのは始めて。普通は挿せば動くようなもんなのにー。

結局、まだOSのインストールすら終わっていない。



ディベートと暴言の違い
1998年12月8日(火曜日) くもり

昨日は言論の責任というような大それたことについて書いてしまったが、わたしはディベート(討論)というものが嫌いなのだ。例えば教育機関を例に挙げれば、最近は世界に向かってガツンと言える人材を育成しようとかで、授業の一環として討論大会なんかを開いているところもあるようだ。その背景には、日本人は議論が苦手だとか、日本人は自己主張が出来ないというような意識があるのだと思われる。確かにそれは事実かも知れないが、だからといって教育過程で討論などの練習をすれば全てが円満に解決するというものではない。

討論が、わたしに言わせればどういうものであるかをわかりやすく箇条書きしてみると、


というものである(偏見多数)。つまり、討論は異なる立場について白黒をはっきりさせること、つまり自分の立場について相手を言い負かすことが主たる目的でなのだから、結果的に引いた方が負けということになる。もちろん、グレーな決着が決して有り得ないこととまでは言わないが、「ディベートで勝つ話術」なんてものがある程に勝敗が重視されている以上、自分が最初に取った立場に固執せざるを得ないことは当然であろう。それどころか、自分の立場は終始一貫させることこそが理想であるという考えも少なからずあると思う。

しかし、考えに勝敗を決めたところでそれ以上に選られるものはなく、一つの考えに固執しすぎる者はただの頑固者に他ならない(ある程度は一定の考えを保持することも必要だが)。それでは、ある問題に対し何らかの建設的な解決を導き出すことも不可能であり、そればかりでなく話がむしろ拗れる方向に向かう場合もあろう。あるいは、何人も考えの甘さを指摘され、必要ならばそれを修正することは重要なことだと思うが、そのような目的においても討論が有効な手段であるとは言い難い。頑固者による、ああ言えばこう言い、こう言えばああ言うの繰り返しは、要するに時間の無駄に他ならないのだ。

そんなことを考えていると、多事毒論で暴言を吐いている方が不特定多数の方から批判のお言葉をいただけるわけだし、下手にディベートなんかしているよりはよほど建設的だと思ったりする。下手にあーでもないこーでもないと言っているより、若干のタイムラグがあるところがまた良い、暫くしたら文書で返答が帰ってくるようなバッチ処理的(パソコン通信的)ディベートは、色んなメリットがあるとは思わないだろうか。



デジタルテキストと隠匿性について
1998年12月7日(月曜日) あめ

なんか色んな意味で腐れ縁(失礼)になってしまったにぐる氏のサイト内にあるたわごと集のページは、時として多事毒論よりも角立ちが激しくて面白い。穏健な思想を持つにぐる氏には勉強させられるところが多く、対談の場を持って損はしない方だと思う。さて、たわごと集の11月9日や12月3日の記事に記されているにぐる氏の考えは、わたしのそれと深く通じ合うところがあるので紹介したい。

わたしもWEBページという形で毎日のように
暴言を吐く場を持たせていただいているわけだが、おかげさまでこの記事も一日に数百人の方々にお読み頂いているようである。振り返って見えれば本当に様々なことを書いてきたものだが、改めて考えてみるとデジタルメディアは幾らでも複製することができ、なおかつ保存媒体の物理的(磁気的)な破損さえ無ければ、内容は劣化すらしないのだ。この文章量だと人間が全てを記憶することは不可能だが、テキストだけならバイト数にして1MB弱しかなく、フロッピーディスク1枚に余裕で収まってしまう量である。

もし仮にサーバーのディスクがクラッシュし、わたしが持っているバックアップが無くなったとしても、ともすれば誰かがこのWEBページをミラーリングしてるかも知れないし、気づかずともブラウザのキャッシュという形で皆さんのローカルディスクに、一時的にとは言え保存されているわけだ。そう思うと、極めて恐ろしいものがある。もしわたしが何らかの理由でこのWEBページの痕跡を抹消したくなっても、それが完全に行えない可能性は少なからずあるからだ。個人的に何となく書いているつもりの暴言も、下手すりゃこんなものが100年後に残ってる蓋然性はゼロではないのだから。

そういう意味でも、書いていることについて責任を持ちたいと思っている。内容の信憑性ついてまでは完全にそうしかねるところもあるが、少なくとも誰が書いているかぐらいは明らかにすべきだし、反論や苦情は寛容に受け付けるべきだと思う。ネットワークの隠匿性については、そうであること自体にメリットがあるという意見もあれば、逆にそれを批判する意見もある。狭義な意味での匿名性、つまりただ無闇に実名や身分を隠し、それを盾にした無責任な言動は許されることことではない。しかし、お互いの顔が見えないからこそ、より忌憚のない言論が可能であると考えれば、それはメリットであろう。もっとも、それにも責任が伴うことに変わりはないが。



くたばれMS
1998年12月6日(日曜日) はれ

PCの調子が悪いということで、実家から何度か電話がかかってきた。話によれば、画面サイズを変えようとすると一般保護エラーが出るそうで、何をしても解決しないらしい。それも、サイズを変えてからがおかしくなるのではなく、ディスプレイの詳細を開こうとしただけでエラーが出るという。ユーザーが入れたアプリが変な動作をしてエラーが出るならしょうがないとしても、OS自体の機能がエラーを起こすようではどうしようもない。腐ったOSの文句をわたしに垂れられてもわからないので、Windowsの再インストールをお勧めした。

ISPという職業柄、インターネット接続関連のサポートをやることもあるのだが、聞かれて答えられるのは、必要な基本設定に要する事項か設備側の不備に関することのみである。絶対に正しく設定しているはずなのに上手く行かない、けれども何度かリブートしているうちに治っちゃったとか、そういう謎の問題は本当にサポート泣かせなのだ。明確な解決法も存在しないし、分からないから取りあえずリブートして下さいって言われても客は素直に納得できないだろうし。なんか、日々ゲイツ君の尻拭いをしているようで腹が立つ。

実家からの電話によれば、液晶ディスプレイを買ったらしい。メーカーまでは聞いていないが、1024*768ドット表示可能だとか。うう、ちょっと欲しくなってきたが...高くて買えない。代わりにってわけではないが、アキバの某パーツ屋で割と大きな液晶ディスプレイのパネルモジュールだけ(エプソン製)を500円で売られていたので、ついつい買ってしまった。データが無いので使い方が良く分からないのだが、解析すればPC用のモノクロディスプレイとして使えちゃうかも...



無停電電源装置
1998年12月5日(土曜日) あめ

ああー、昨日は更新をサボってしまった。知り合いと餃子を食いにいって家に帰ってきたら、ちょうど良い具合の満腹感が眠気を誘い、そのまま布団へ。今週は仕事が何やらかんやらと忙しかったし、金曜日ということもあって疲れていたのだろう。また月曜日には、大手のネットワーク屋で軒並み断られたという、異様にややこしいネットワーク構築のプランを出さないと行けないので、何となく気が重い。

で、そういう鬱憤を晴らすためにお買い物に行ってきた。何を血迷ったのか、無停電電源装置(UPS)を購入。APCの Smart-UPS 700 という、700VAのUPSである。いま住んでいるビルは滅多に停電が無い(何年も前から入居している人によれば、今まで一度も無かったらしい)ので、あまりその必要性は感じられない。しかし、冬場はヒーターなどを使うのでわたしが人為的にブレーカーを落としてしまうことがあり、それから計算機類を守るためにUPSを買ったというわけだ。

性能を検査するためにPC2台と17インチのモニタ2台をバッテリで駆動してみたが、それでも過負荷状態には至らず、更にPCもう一台ぐらいならまだ大丈夫という感じだった。能書きによればインバータの出力が450Wなので、妥当なところであろう。ちなみに、PCの力率は大変悪いらしく、APCは力率を0.6程度と見積もっているようだが、実際の力率は良く分からない(電圧×電流×力率=消費電力)。聞くところによれば高力率なPC用スイッチング電源もあるらしいが、その効果を上回るような値段だと意味ないねえ。



にくじゃが
1998年12月3日(木曜日) あめ

形の無いものに誰が
なんて名づけたのだろう、と思うぐらいに今日は寒い。寒いのは苦手な割に厚着も嫌いなので、毎年冬になると布団の中で籠城を決め込みたくなるなのだが、身体が変に丈夫なのか寝込むような風邪はないので、その願いは叶わない。まあ12月ならこのぐらいの気温で妥当なのだろうが、今までが妙に暖かかったりしたのに今日は雪が降るとか降らないとか言ってるし、嗚呼愛しき我が布団よ(謎)

というわけで、愛を知らないわたしは飯を自分で作ることになる。先日、久々に肉じゃがを作ってみたのだが、肉じゃがにも地域差があるらしい。わたしは関西人なのでどうしても関西風になると言うのか、使う材料は牛肉とじゃが芋、それから玉ねぎだけだ。薄切りの牛肉と玉ねぎをまず砂糖で炒め、予め煮て灰汁を抜いておいたじゃが芋と合わせて薄い出汁で煮ていく。あとは砂糖、みりん、料理酒、醤油で味付けして終わり。分量は企業秘密...と言えれば聞こえは良いのだが、計って入れたことがないので、実は自分でも分からない。

横浜の人に聞けば牛肉の代わりに豚肉を使い、糸こんにゃくなどを入れることが多いというが、残念ながらわたしはそのような肉じゃがを食ったことが無い。面白そうだから一度豚肉とかで作ってみようかと思ったのだが、しかしそれがどういう味になるのか、想像がつかないので、何となく作りにくい。考えてみれば料理は誰かから積極的に教わった訳ではないので、今まで食ってきた物の味の記憶から調味方法をリバースエンジニアリングしているだけだ。好みや好き嫌いはそういうところから生まれるなんていうが、レパートリーがなかなか増えないのもそのためだろうか。



砒素マニア
1998年12月2日(水曜日) あめ

和歌山の砒素マニアは相変わらず世間を騒がしているようである。今でこそ何となく動機らしきものが明らかになりつつあるものの、かつてこの事件がそうであったように、動機がはっきりとしない事件が起きると、人々は必要以上に不安になるようだ。誰が誰を何のために殺そうとしているか、それすら分からないという不明瞭さが恐怖感を煽るのだろうか、次は自分かも知れないという心理が働くのは必然だろう。

毒入り烏龍茶事件の直後に横浜西口のとある自販機の前で観察していたら(というか、次の予定までに時間があったので偶々その場所で待っていた)、かなりの割合の人間が缶に異常が無いことを確認してから飲んでいた。ところが、暫く経てばみんなそんなことは忘れてしまうようで、二週間後に同じ場所で(今度はそれが目的で)観察したら、缶を確認している者は殆どいなかった。ま、人間の注意なんてそんなものなのだろう。

こういう事件があると、ワイドショーには必ず心理学者を名乗る人物が登場する。有名なところで小田晋って人がいるが、あの手の連中は何のために出てくるのだろう? 適当な憶測から勝手に犯人像を作り上げたりしても、それが的中したためしはない。どうせ当たりっこないのだから、それなら最初からすっこんでおれば良いものを。まじめに研究している心理学者の皆様には失礼な話かもしれないが、心理学は、おかれている状況がはっきりとしている人間をある程度まで体系的に事後説明するに止まるものだと思う。観察不能な未知の人物を憶測で体系化することは、もはや心理学の域を超えていると思うのだが。

ところで、古今東西問わず砒素にまつわる話にはろくなものがない。和歌山の砒素マニアに限らず、暗殺だの、砒素ミルク事件だの、列挙すれば憂鬱になるような事ばかりである。しかし、そんな砒素にも人体に直接働いて良い結果を生み出す場合もあるらしく、詳しく知っているわけではないが、ある種の白血病の治療には亜砒酸が良く効くらしい。しかし、かなり昔にその研究成果が発表されたときには、誰も信じなかったとか。発癌物質にもリストアップされている砒素化合物が何故って感じがするが、やはり何が役に立つのか分からないのが世の中というなのか。



Vチップ
1998年12月1日(火曜日) はれ

Vチップというものをご存知だろうか。Vチップの簡単な解説はこちらにあるのでここでは詳しく説明しないが、Vチップをテレビ受像機に取り付けておくと一定の基準に従って暴力的あるいは性的な描写などを含む番組が写らなくなるらしい。番組のヤバさ度合いは放送局などの機関が決定したものが番組と同時に送信され、それが視聴者が予めテレビに設定しておいた閾値を越えると、Vチップはその番組の受像を却下するというものだそうだ(仕様書を見たわけではないから、厳密には違うかもしれないが)。

巷では放送の自由だの、誰がヤバさの基準を決めるかだのということが議論されているようだが、そんなことよりも一体Vチップに何を求めているかが問題だと思う。青少年の健全育成に決まってると言われそうだが、一般的に青少年に不適切と言われている番組などを遮断するだけで青少年が健全に育ち、少年犯罪のない平和な世の中が訪れることは有り得ない。こういう無意味なことを推進する人はこれで少年犯罪などが根本から撲滅されると考えているのかもしれないが、実際はその効果すら不明な対処療法に過ぎない。

また、いかなる手段を講じても汚物が撲滅されるようなことが有り得ず、Vチップなどは臭い物に乗っける蓋のまま終わるのがおちだろう。しかも、蓋を被され圧力の増した異臭物は、時を経ずにパッキンをぶち破って漏れ出してくるのは目に見えていることだ。例えばテレビが駄目なら欲求の捌け口は他にいくらでも求めることができるこの時代、完全排除を目指すなら世の中に存在する全ての有害物質を抹消しなければならないが、それは当然のことながら不可能なことである。ふとWEBサイトを見ればヤバそうなサイトはいくらでもあるんだし、そのような状況を鑑みれば、幾ら穴を塞いだところで効果は上がらないだろう。

誤解の無いように断っておくが、わたしは全てがオープンでなければいけないと主張しているのではない。ある程度までの規制は誠に重要なことだと思うが、過度に規制したところで効果は上がらないし、それどころかややこしいものがますます地下化し、より不透明な存在となる危険性さえあると思う。もっとも、どこまでを有害と判断して隠蔽し、どこまでを認めるかの基準は難しいところであろう。わたしは、今の日本の度合いはそこそこ成功していると考えている。諸外国比の好きな者はどこそこ比べれば日本は野放し状態に等しいと考えているようだが、そんな比較がそもそもナンセンスである。例えば少年犯罪の発生率なんかを比べれば、日本なんて極めて平和な国だと思うのだが。



突撃実験室