多事毒論(1999年6月分)


国歌・国旗
1999年6月30日(水曜日) 雨/晴れ

国歌や国旗が必要なものであり、且つそれらを掲げる事に合理的な意味があるのならば、一般的にそうと認識されているものを法制化し、正式に国歌や国旗として認めるのは、中途半端な認知よりも良いことだと思う。でも、だから? という白けた疑問が、わたしの場合は拭いきれない。そもそも、国歌や国旗といった特定の国家を象徴するものは、具体的に何をどのように象徴しており、それ以前に象徴とはだいたい何なのか、というふうに考えてしまうからだ。

わたしは、昔から象徴と言われる事物に象徴性を感じない人間で、例えば「天皇は日本の象徴である」と言われても、天皇が日本に住んでいるというところぐらいしか、実体的に日本に連想させる点がないと考えてしまう。もう少し分かりやすい例で言えば、「うぐいす」という言葉は春の季語であるので、春を連想させなければならない象徴であるはずだ。ところが、都会に住んでいるとウグイスの鳴き声を聞くことはない。春を連想させないウグイスは、わたしに言わせれば季語ではないのだ。

わたしにとっての象徴とはその程度のもので、実体に連想できないものは、誰が何と言おうと象徴ではない。話を国歌、国旗の議論に戻すと、君が代とか日の丸が、日本という実体へのポインタであるか、という問題になる。わたしの結論から言えば、日の丸を拝みながら国歌を聴いても、情緒的に日本を想像するということはない。尤も、一般的に常識的に日本という国を思い浮かべるだろうが、それは「これらは日本の国歌と国旗である」という知識からの論理的な推理の過程で出てくる連想に過ぎないのだ。

では、どういったものが象徴として適切なのだろうか。誰がどう見ても日本を連想させる象徴などはあり得ないし、深い意味も感じないので、別に国歌とか国旗など無くても良いと思う。無くたって、全国民が野垂れ死にしたり、火星人が日本に攻めてきたりすることはなかろう。仮に制定するとしたら...わたしは、日の丸は良いと思う。日出づる国の象徴というし(まあそれもどこを基準に出るというのかで真偽は変わるけども)簡単でバランスが良く、描きやすい合理的な模様である。比べて、某国の星条旗は、描きにくくてしょうがない。

しかし、初っ端から重苦しい君が代は、まず雰囲気が嫌いであり、内容もいけ好かない。現代の日本を象徴するならば、もう少し派手は歌が似合うし、「君」が何を意味するかは別として、自分という存在にに興味を持つ時代に「君」という主題は相応しくない。「千代に八千代に」と続くが、PCに積まれたCPUのクロックが数年で何倍にもなる日進月歩のご時世に、暢気にと何千年も一定のことに固執する奴はいないだろう。つまるところ、内容の時代錯誤が甚だしいのだ。

更に、「さざれ石の巌となりて」という歌詞は、小さな石がたくさん集まり、やがて固まって大きな巌となるという意味であるが、その認識は科学的に間違っている。小さな石がいくら集まろうとも巌にはならないのに、それを知りながら明らかに勘違いした歌詞を歌うのは誠に不本意なことだ。最後の「苔のむすまで」は、締めとして弱すぎる。先に「千代に八千代に」と歌い、千代+八千代=九千代=9千年にもなる極めて長い時間を表しているにも関わらず、苔がむすまでに長い時間はかからない。

以上のような考察に基づき、現時代に適合した国歌を提案したい。

    俺はよ 弾指に刹那に 珪素石の

           虜となりて またも次を買う

その筋の人間にしかウケないが...



たんこぶ
1999年6月29日(火曜日) くもり/雨

頭の天辺に豪快なたんこぶを作ってしまった...かなり痛い。昨日、寝る前にシャワーを浴びていた時のことだ。髭を剃っていたら、石鹸で手が滑って剃刀を落としてしまい、ごく自然に落とした剃刀を拾うためにしゃがんだ。そして、身体を起こした瞬間、ゴツっ! 単なる擬態語でなはく、物理的にそういう音がしたかと思ったら、鼻の付け根の辺りまで、頭を打った時の何とも言えない感触が伝わってくる。

ううぅっ、どうやら壁に取り付けてあるシャワーを置く金具が頭に直撃...というか、頭がそれに向かって直撃したらしい。くそっ! 俺の頭が通過しそうな場所に金具が付いている事こそ悪い! 当然ながら金具のせいにして、取りあえず身体を乾かしたらたんこぶができていた次第。そんなものを作るのは、中学生以来だ。事故は家庭内の風呂場とか階段で多発するというが、あながち間違いでも無いらしい。

ところで、ガキの頃は、今となっては信じられない怪我をするものだ。わたしのベスト3は、

  1. 小学校のころ、喧嘩中の奴に崖から落とされて後頭部をアスファルトで強打。どおりで椚座は..などというコメントは禁句だぞ! その後どうなったかは良く覚えていないが、暫くは病院通いとなり、CTスキャンや脳波検査など、ありとあらゆる頭の検査をした気がする。親の側では、相手の責任問題に発展させていた気もするが、そんなこととは関係なく、ガキにはガキの筋の通し方がある。回復後、復讐。

  2. 同じく小学校のころ、電柱によじ登って半分ぐらいのところから落下するという自爆事故を起こした。落ちる過程でコンクリートの電柱が鑢となって腕を擦りむき、アスファルトに落ちて外傷と打撲。それでも、血塗れになりながらも家まで歩いて帰った記憶があるので、小学生は頑丈にできているものだ。今思えば、何が嬉しくて電柱などに上ろうとしたのだろう?

  3. これは中学校のとき。道無き森の中を自転車でかっ飛ばしていたところ、深い落ち葉の中に切り株が隠れていることに気付かず、前輪が切り株で止まった。流石にニュートンの法則から逃れることはできず、自転車は止まっているのに尚も前進し続ける自分は空中浮遊を体験する。が、麻原ほどは上手くいかず、数メートル前方に落下。腕から着地したが、骨折に至らず取りあえずセーフか? 実は前フォークが曲がってしまい、真っ青。自分は自然治癒するが、自転車はしないからねえ...

昔はマウンテンバイクに凝っていたこともあって、自転車関係にまつわる事故は数え切れないほどある(ママチャリでも危なっかしいことしてたし)。ジャンプ中に失速 -> そのまま落下とか、崖から大落下したとか...ところが何度か事故ってるうちに、このまま時間が進むと数ミリ秒後の自分がどういう事故を起こすのか見極めがつくようになる。隠れた切り株といった卑怯な物を除けば、無意識のうちに受け身を取るようになり、骨折以上の怪我をした経験は無い。



みそ汁
1999年6月28日(月曜日) くもり/小雨

日本人なら味噌汁ぐらい飲むだろうが、味噌汁は飲む物であって、決して食う物ではないという信念を、わたしは常に持っている。ところが、うちのオカンは健康至上主義なので、栄養豊富を最優先課題として過剰な具を入れるのだ。そのため、実家の味噌汁は不愉快も良いところ。汁に何らかの具が入っている食べ物というよりも、先ず具が第一にあり、それが汁ダクになっている食べ物と説明した方が適切だ。

我が儘なわたしは、味噌汁の何たるかを幾度に渡って延々と説教した結果、それが功を奏し、漸くオカンは不本意ながらも正しい味噌汁のあり方を納得してくれたようだ(煩くなっただけだろう)。作るときは、相変わらず馬鹿が付くほどの具を入れるのだが、わたしの分を器に装うときだけは、汁を多めに入れて、具はなるべく量を減らすようになった。それでも、ワカメが少々、麩が少々という理想には程遠いが。

だが、安寧秩序への道のりはまだ遠い。次は、葱の入れ方が食卓の平和を紊乱する種となるのだ。先述した通りオカンは健康至上主義なので、葱は身体に良いという大義名分を掲げ、全く無断で汁が見えなくなる程の刻み葱をぶち込む。そんなものは、味噌汁とは名ばかりで、つまるところ刻み葱の汁ダクであり、断じて許し難いものである。葱は飽くまで味噌汁に加えるアクセントであって、それが汁の表面を覆い隠すような主役となることは言語道断だ。

我が儘なわたしは、葱の何たるかを幾度に渡って延々と説教した結果、「自分で入れろ」ということで決着が付いた(やってられなくなったのだろう)。それで良いのだ、葱を断り無く入れることがそもそもの間違いであり、葱や七味唐辛子といった嗜好要素の強い物は、各自で好みの分量を入れるのが正しいあり方である。やっとこれで、血を血で洗う長い味噌汁闘争が収束に向かうであろうと誰もが胸をなで下ろしたとき、また新たな問題が発生した。

1mm の葱これは年末、実家に寄ったときに気付いたのだが、あれだけ遠慮がちに入れていた刻み葱も、自分で味噌汁を飲むときには、途轍もない量を自らの手で投入しているのだ。この差異は一体何であるのか、仔細に検証した結果、次のような事が判明した。それは、刻まれた葱の幅が、実家では5〜6ミリ前後であるのに対し、わたしは1ミリ程度に刻んでいる点だ。そのことについて、手抜きだの、包丁捌きが悪いだの、何年主婦やってんだだのと指摘すると、起こるべくして次なるモメ事が勃発。

5ミリもある葱は口に触るため、如何にも食っているという食感は否めない。それに対し、1ミリ前後の細さに切った葱は噛まずも食堂に流し込めるため、大量に入れても液中の粒子という扱いで差し支えはないし、その集合体を噛んだとしても、具と格付けできるほどの固体でもないので、大して気にならない。それでいて、葱の香りも存分に味わえるのだから、具を嫌うわたしの場合、葱は1ミリ程度に切らなければ話にならない。

実は、この騒動は今でも決着が付いていない。自分で切るから退け! とは言ってみたものの、滅多に研がない実家の包丁は、1ミリ以下の葱を切るには適切でなかった。そのぐらいの細かさになると良く切れる包丁が不可欠で、それも細くすれば細くするだけ切る量が多くなるので面倒くさいが...葱を入れるのが嫌いな人も、非常に細かく切ると好きになるかも知れない。同じ葱でも、幅を変えただけで味や食感はかなり変わるのだ。

しかし、味噌汁のことだけで、ここまで書くことのある自分も自分か...



じとじと
1999年6月27日(日曜日) くもり/大雨/遣らずの雨/薄曇り

こうも天気がはっきりしないと、お天気報告欄に何と書いて良いのか迷ってしまう。今日は曇っていたかと思えば大雨が降り出し、そういう日は家で本でも読んでいるのが一番だろうと思いきや、これと言って読む物が無く、かと言って書店まで出かける気もせず、しょうがないからダラダラとしているうちに、あれだけ降っていた雨が上がったというか。極めてやってられん。

そんな訳で、最近天気が悪くて布団が干せず、何か壁蝨でも湧きそうなジトジト加減なんだ。しかぁし、うちには「布団乾燥機〜!」という凄い文明の利器があり、今日はコイツを稼働させることにした。ところが、コイツには一点だけ欠点が存在し、それが何かと言えば部屋の気温が異様に上昇すること。そもそも温度計は30度に近い値を示し、湿度計は90%を超え、ほぼ飽和状態だ。これでは乾く物も乾きそうにない。

この対策として、少し寒いぐらいにクーラーを併用する。エネルギーの無駄遣いも良いところであるが、布団乾燥機で部屋を暖房しながら、クーラーで排熱と除湿を行うのだ。すると、ドレンから水が出るわ出るわ。気温も下がり、ついでに湿度も65%程度ぐらいまで下げられて気持ちがよい。そういえば、湿度計って人間の髪の毛が入っているらしいが、うちのもそうなのだろうか。何となくリニアリティが悪そうだが、目盛りはリニアに降られている。



ら抜き言葉
1999年6月26日(土曜日) くもり

電源タップ今日は「部屋の構成合理化作戦」第二段階決行の日。PC周りの配線類を整理し、ついでに出窓の辺りの掃除も行った。以前から美観を損ねていたのが、ぐちゃぐちゃになりつつあった自作の20口電源タップだ。端子台を買ってきて配線を整理したあと、ラックにボルトで締め付けたので、かなり見栄えが良くなった。コンセントを多く使われる方は、電材店で生のコンセントなどを買ってきて、板に固定するなどした方が、市販のものを使うよりも断然に美しい。

ネットを徘徊していたら、ら抜き言葉撲滅委員会というサイトを発見した。その名の通り、ら抜き言葉は、「日本語は美しい」ということを基本理念に掲げ、ら抜き言葉は相応しくないということを理由に撲滅することを目的とされているらしい。『あなたは「見られる」を「見レル」、「食べられる」を「食べレル」...といった言葉が美しくて言い言葉だと感じますか。』という書き出しに、わたしの答えを付けると『何とも思いません』の一言。

何故なら、わたしは昔から「ら抜き言葉」と呼ばれる言葉を使ってきたからだ。普段から使っていればそれが普通となるわけであって、ら抜き言葉を使ったが故に言いたい事が伝わらなかったという困った事態に遭遇した事はないから、プロトコルは合致しているのであり成立しているのであり、そこに実質的な問題はない。強いて問題があるとするのなら、それは実装の違いによるプロトコル相性のようなものであって、そんなことは時間が経につれ何れか一つに標準化されて解決されることだろう。

言語とは意思伝達に用いられる進化する道具に過ぎないと、わたしは考えている。言語は必要な情報を他者に伝える媒体であると同時に、新しい事物や概念を表現せねばならない時は新しい単語が作られたりするし、既存の系が不便になった場合は、自らそれを進化させる(言語は文化と密接な関係があるというのも、この進化から生じる必然的な関係)。ら抜き言葉も、発音上の便宜から発生した音便のようなものとしか言えず、これを取り立てて「日本語の乱れ」などと問題にすることは、極めてナンセンスだ。現在正しいとされている言葉も、そうして構築されてきた体系なのだから、論を俟たない。

また、「日本語は美しい」という論も、そう思っている当人の好みの問題に過ぎない(勿論、悪いと言いたいのではない)。全人類が「日本語は美しい」と主張するのなら納得するが、実際のところは当たり前の事ながら違い、「美しい」の感覚は、人ぞれぞれであることは言うまでもないことだ。従って、ら抜き言葉が不適当と思うのであれば、論理的かつ合理的に「いけない理由」を挙げて主張する必要があるだろう。感情論でしか新種の言語体系を不当化できないようでは、日本語の論理的表現能力も落ちぶれた物であり、それこそ大いに問題である。



電波
1999年6月25日(金曜日) くもり/雨

電波12‰? まあ、例えば天気予報の一部として花粉情報があるのと同じように、電波の飛び具合も日によって違うのである。いや、雨とか雲とか電離層で電波が云々...という話ではなくて、信号が赤だとか、上司に連続して文句垂れられたとか、電車が目の前で行ってしまったなどで、ムカつくことが立て続けに起きる調子の悪い日は、悪い電波が沢山飛んでいる日だと信じている。きっと、マーフィーの法則も、この電波の仕業に違いない。

電波と混同しやすいものの中に、占いというものがある。朝の下らない番組でやっている占いコーナーは、意味があるのだろうか? 大概は星座が血液型別に運勢が出ているものだが、家を出る前にテレビを消した頃には何を言っていたのか覚えていないので、その信憑性については不明のままだ。だいたい、わたしが牡羊座でA型だからと言って、その日の調子が変わることはあり得ない。占っている奴もそれを認識しているのか、当たり障りの無い運勢を繰り返しながら、幾星霜。

「今日は目上の人に関わると良いことがないでしょう」と言われたとしよう。まず、そういう先入観を持って目上の人と顔を合わせれば、何かをこじつけて「確かに今日は機嫌が悪そうだ」言うこともできるし、あるいは顔を合わせなければ「今日は上手く切り抜けた」と結論づけることも可能である。どっちに転ぼうが外れる事は無いように仕掛けてあるのであって、本当の運勢は電波のみが答えを知るところである。

コンピュータ業界で一般顧客の対応をしていると、半ギレ・マジキレ・逆ギレ・ああ言えば上祐ギレに加え、そのほか説明のつかない原因不明ギレなど枚挙に遑のないキレ方をした客を相手にすることも珍しく無いようだ。だが、今日は朝から、普通ではあり得ないような、凄い気合いの入った熱り立ちようの電話がかかってきた。初めてかけた電話の、それも初っ端からここまでブチキレている人は、わたしの知る限りそう多くない。

そもそも、理由も無いのに切れる方が難しい気がする。対応の態度が悪かったとか、何か手違いがあってキレるのならまだ分かるが、口を開く前から激昂絶好調モードとはこれ如何に? 普通の状況でキレるとすれば、話し始めてから少なくとも数分のチャージ時間は必要だ。それを考慮すると、相当に激しい被害妄想と想像力を持ち合わせていたのではないかと推測される。それでも丁寧に対応したのだが、結局言いたかった事は何も汲み取れないまま、勝手に怒りながら切ってしまわれた。

# キレない方が絶対にお得です。建設的な事は何も無いんだから。



タイムマシーン
1999年6月24日(木曜日) くもり/強風/湿度90%+電波12‰

今日は朝から風が強い。湿度も高く、部屋の湿度計は90%を示していた。毎朝、起きると空気が湿っぽいので窓を開けるのだが、今日に限っては、窓を開けても同じ調子の湿っぽさだ。もしかすると、外の方は飽和していたかも知れない。冷凍倉庫の扉を開けた時に重たい冷気が流れ出てくるような、もわーっとした感触だった。だが、こういう日は空が綺麗で気持ちが良い。都会の真ん中に居ると、比較的澄んだ空を見られるのは大雨の後か、強風の日ぐらいであろう。

テレビ東京で Back to the Futre II が流れていたので見ていて思ったのだが、果たしてタイムマシンは実現可能なのだろうか。わたしが生きている間に完成すれば面白いと思うが、わたしは不可能だと思う。まず、例えそれがオカルト的な証言であったとしても、有史以来、未来から人間が来たという話は寡聞にして知らない。この時点で、未来から過去への移動は無理であろうということが推測できる。あくまで推測であって、無いという確乎たる証拠も無いのであるが。

では、未来への時間移動は可能だろうか? 未来への移動は、過去への移動よりも、まだ幾許くかの可能性がありそうだと、身体の虫は言っている(可能性は低いだろうけど)。何故なら、人間が時間の流る方向とは逆の方向に移動すれば、果てしない矛盾が生じる。過去を変えられる事になるのだから、もし変えた場合は未来はどうなるのか? 変えなかった場合はどうなのか? 歴史に、分岐が生じる結果となるだろう。

それよりは、そういった矛盾を生じさせない、未だ来ぬ時へ移動することの方が現実的であろう。未来に、過去から人が来ても、明日は何が起こるか不明なのだから、おかしいことではない。もちろん、ある時空から消え去った人間が歳を取らずに、(客観的に見た)未来に現れるのだから変と言えば変だが、過去から消え去ったが故に、(客観的に見た)未来に現れることも予測可能なことではある。時間の流れ方としては、これで正しい。

まあ、仮にそんなことができるとすれば、凄い発想が必要になってくるのだろう。わたしは天才ではない至って普通の人間だから、当然ながら机上の理論すら作り上げられないだろう。



TX97 に PS/2 マウス他
1999年6月23日(水曜日) くもり/あめ

何だか知らないが、家に帰って寝たら気づくと朝だった。疲れている日は家に帰って寝てしまうこともあるが、その場合でもテレビとか電気がついているので、大概は夜中に起きる。ところが、今日はテレビも電気もつけたまま、朝の6時前まで寝てしまった...というわけで、今日は早朝にこれを書いている。普通、日記というのは寝る前に書く物だろうが。

日立とNECが、DRAM 開発で提携? 朝からそんなことがニュースになっているが、ニュースキャスターの発音は明らかに変な感じがする。わたしは、普通「でーらむ」と読み、それも「でー」のところでやや下がるのだが、ニュースでは「でぃーらむ」と読み、「でぃー」を上げて言うから変な感じがするのだろう。

こういった専門用語的な言葉は、人によって発音や読み方が違うのだが、どれが正しいとも言いにくいのだ。例えば、Telnet という言葉があるけれど、「てるねっと」と読むところまでは良い。だが、「てる」を上げる人もいれば、下げる人もいる。わたしは、下げて読むが、それが正しいという根拠はないし、間違っているという根拠もない。まあ、その金字塔は、Linux をどう読むかという議論だろうか。

昨日、仕事場のPCにPS/2マウスポートを取り付けようとしたのだが、敢え無く失敗。仕事場のPCは、ASUSの、TX97マザーが入っていて、こいつは USB と IR と PS/2 マウスの信号が一つのコネクタに纏められている。オプションのボードをここに挿すと、3つともが使えるようになる仕組みだが、PS/2 マウスしか使わないのだし、今更そんなものを買ってくる価値もないだろう。

マニュアルを読むと、それっぽい信号表があったので、コネクタを作ってみることにした。が、マウスを認識してくれない。作ったコネクタが悪いのか、マザーが死んでるのか、Windows が壊れていてマウスが見えないのか、どれも考えられるから何が悪いのかよく分からない。オシロまで動員して、マザーとマウスの間の信号を調べてみると、ここまでは良いことが分かった。するとWindowsが壊れているのか?

諦めかけたころ、ASUSのサイトへ言ってみると、BIOSがバグっていて、アップデートしないとPS/2マウスが見えないことが判明。ううーーー、そんなー。BIOSを新しいものに書き換えてみたが...それでも、やっぱり駄目。今度は認識しようとはするのだが、無理矢理認識させるとキーボードまで一蓮托生という状態になった。こりゃ駄目だ、ってことで取りあえず諦める。

もしかすると、単にマウスの信号線がコネクタに出ているだけではないのかも知れない。電源と、信号はCLKとDATAだけなのだが...



はう
1999年6月22日(火曜日) くもり/あめ

自分が生まれてきたことは、道端に投げ捨てられた吸い殻のように無意味かもしれないと考えながら、実のところそれは誤った認識であったことに気づき、心を入れ替えた日であった。命を授かり産声を上げた瞬間から、自分は生きるために自然を搾取し、世を穢し、そして精神を崩壊させながら自滅しつつも、税金だけは納めなくてはならない存在となったのだ。要するに、生まれることを無意味と定義するのは誤りであって、害と定義すべきだった。

生きることは、百害あって一利無し。世間では、それが煙草の代名詞ともなりつつあることから、道端に投げ捨てられた吸い殻という形容だけは正確だったかもしれない。悪い悪いと咎められながらも生産され続ける煙草のように、生産され続ける人間どもは、いつになればその終わりのない過ちに気づくのであろう? 望んで生まれてきた訳でもないのに、あまっさえ否応なく有害な存在となるべく宿命づけられた我々は、何と不条理な存在であろうか。

だが、神もそれを気の毒に思ったのだろうか。望めば、望みに叶った死を迎えられることが、我ら人類のみに与えられた唯一の特権だ。自殺、それを積極的に選択できる権利を授与された生命体は、人類以外にあり得ない。洗濯物を干すために買ってきたロープと同封されていた「ロープの結び方」と題された紙切れを参考に、引っ張れば引っ張るほど締まるロープを結い、そんなことを考えながら下賤な笑みで生きている自分を嘲笑うのであった。

だが以前、見るからにぎごちなくロープを結ぶ不器用なわたしを発見したヨット乗りの人に、「船員だけにはなれないねえ」と言われて、それ以来というもの、何となくロープで首を吊る気は無くなった。死ぬときは、恐らく別の手段を選ぶだろう。



おお、mp3 サイト
1999年6月21日(月曜日) くもり/はれ

昨晩、久々に地下的なリンク集を巡回していたら、一定の信念というか、一理はあると認められる理論を持って市販音楽を取り込んだ mp3 を配布しているサイトを見付けた。いつぞやに書いた通り、違法サイト運営者の見せしめ逮捕の効果は益々絶好調のようで、こんなことで人生を棒に振りたくないとばかりに自ら閉鎖するサイトも多い中、そのサイトは取り締まり気にする気配すらなく、景気良く頑張っているようだ。

...無規制状態で何億も稼ぐアーティストがいるのだから...mp3 を規制するなんてケチくさいことを言うな...というような事が書いてあるのだが、わたしは一理あると思う。尤も、無規制で音楽著作物が配布される状態は必ずしも好ましいとは思わないが、かといって、高いと感じるCDを、否応なく定価で買わされる現状も問題であろう。例えば、アルバムの価格帯といえば3千円前後と概ね相場は決まっているが、だいたい、その金額を強制することに、どのような合理的根拠があると言うのだろう。

CDとか本は特殊だから自由価格競争は馴染まない、なんて話は根拠の無いことだ。CDの売れる売れないは、カリスマ的要素が大きく、個人個人の好みに大きく左右されやすく、信者が多いほど売れる、という理屈は否定できないと思う。しかし、それを言い出したら、信者の多くいそうな物...例えば、ブランド物の装身具とか、ソニーの家電製品とか、マッキントッシュとか、それこそ何にでも再販制度が妥当と認められることになるのだから、例外の必要はない思う。

3千円以上出しても欲しいアルバムもあれば、何となく聞きたいけど500円で十分と感じるアルバムもある。尤も、それはわたしの好みであって、多くの人が同じように思っていることはあり得ないが、制作者が確実に売れると思えばそれなりの値段を付ければ良いことだし、そうで無ければ安くても良いと思うのだ。少なくとも埃を被っているCDぐらい、在庫処分セールと称してワゴンに積み上げられていても良いと思うのだが、生憎ながら見かけない。安い値段なら買うという人はいるはずで、それが値段の競争というものだろう。



凡人に曜日ルックアップテーブルは記憶可能か?
1999年6月20日(日曜日) くもり

計算機には勝てないと言われる人間の頭脳も、時として侮ることはできない。以前、1893年10月26日は何曜日? と聞くと、一瞬で正しい答えを出せる人に会ったことがある。もちろん、過去の日付だけでなく、未来の日付も正しく答えられるのだ。その人は軽い知的障害者で、知的障害者には特殊な才能が芽生えることが多いとか聞くが、それでも凄いと思った。ところで、どうして直ぐに答えられるのだろう? 計算していると言うよりは、カレンダが丸ごと頭の中に入っているように思うのだ。

そこでだ。普通の脳味噌でも、カレンダの暗記は可能だろうか? 力任せの暗記は無理だとしても、人間の脳は規則性さえ掴むと暗記するのは苦でもない。5980613 という7桁の数字は覚えにくいが、1234567 という数字は同じ7桁でも忘れようがない。当たり前だと言われるかも知れないが、順番に規則性があるから覚えられるのだ。従って、カレンダの構造も理詰めで規則性を見付けて行けば、暗記は可能かも知れない。少しだけ考えてみたので、やる人がいたら、勝手にやってくれ(笑)

まず、話を簡単にするため、ここではグレゴリオ歴だけを扱うことにし、将来に渡っても変更が無いものと仮定する。グレゴリオ歴は、1582年10月15日から現在に至るまで使われている体系だが、1582年は日付がワープするなど複雑なので、1583年の元旦から考え始めると都合が良い。数百年の間、規則的に閏年が入りながら日付がリニアに増えているだけなので簡単だ。問題は閏年の存在だろう。西暦の年数が4で割り切れるが100で割り切れない年と、400で割り切る年が閏年である。つまり、1584年や1600年は閏年だが、1700年は閏年ではない。

閏年の判定に要求されるのは高速な除算能力だが、一々計算すると時間がかかる。まず、4で割り切れる数を見付けるためには、十の位に注目し、十の位が偶数ならば一の位が0か4か8であれば、十の位が奇数ならば一の位が2か6であれば、必ず4で割り切れる。例えば、1824年は十の位が偶数であり、かつ一の位が4なので、4で割り切れる閏年である。100で割り切れる年は、下2桁が必ず00なので、見れば分かる。1800年や1900年は、4で割り切れるが、100でも割り切れるので、閏年ではない。400で割り切れる年は、少ないので覚えた方が早いだろう。1600年、2000年、2400年は、閏年である。少し練習すれば、誰でもできるだろう。

日付から曜日を求めるには、カレンダも記憶していないとできないので、その方法を考えることにする。現在使われている暦の体系が将来も変わらないとすれば、年間カレンダが数万年分も必要な場合でも、14枚のカレンダをさえあれば表現できない月はない。何故なら、1年の暦は元旦の曜日で自動的に決まるから、2月29日を含めた閏年のカレンダを別途作っても、14通りの可能性しか考えられないからだ。しかし、12ヶ月のカレンダを14枚も覚えるのは大変なので、省略法を考えよう。

まず、14枚あるカレンダ全てから、毎月第1日目が、日曜日から何日目であるか(例えば水曜日なら3日目)を覚えておく(これだけは丸暗記)。ある日付M月D日から曜日を求める場合は、M月のカレンダより、その月の第1日が日曜日より何日目かを記憶より求め、これに日付Dを加算する。その答えから、日付Dがその月の第一周目から第何週先なのかを予測した数に7を乗算した数を減算し、その答えが、1なら日曜日、2なら月曜日...7なら土曜日だ。

例えば、1806年7月16日の曜日を求めたいとする。1806年は閏年ではなく、そして元旦は水曜日だった。そのような年の7月1日は必ず火曜日だから、その週の日曜日は2日前だ。16日に2を加算すると18。その月の16日は2週先と考えるのが妥当なので、2かける7は14。18から14を引くと、答えは4。つまり、1806年の7月16日は、水曜日であった。ちょっと難しいと思うが...他にやり方が思い浮かばない。それができたら、最後に年と元旦の曜日を対応させなければならない。しかし、それはかなり大変なので、もう少し省略できないか、練っているところ。



曜日
1999年6月19日(土曜日) あめ

昨日書いた話の続き...深夜に頑張ったおかげで、取りあえずアセンブラと C を使い分けながら、コーディングし、希望の配置にリンクするところまではできた。が、問題はデバッグなのだ。なんたって実機が無いものだから、書いたコードをデバッグしようにも、それを動かすマシンが無い。でも、実機が出きる頃にはソフトを完成させとけなんて、ある意味無茶な要求に、何万トンのもプレッシャーが...

まあ、手がない訳でもなくて、実はデバッガに内蔵されているシミュレータで動かしていたりするのだ。でも、所詮はシミュレータだから、アセンブラでハードウェアをガリガリ叩くようなコードはデバッグできないし、今日はスタックポインタを直接操作するようなコードを書いたら、見事にコアダンプしてくれた。仕方がないから、頭脳シミュレータでステップ実行してみるも、やっぱり訳がわからん。

疲れたから、この辺で...



みゅ
1999年6月18日(金曜日) あめ

久々に梅雨らしい天気となった。明日も雨らしい。

ここのところ、頭の痛いことばかりで疲れた。いまやってるファームウェア仕事を GNU CC なクロスコンパイラで書こうとしているのだが、いまいち理解できないことが多くて苦難の連続。簡単なものならどうにでもなるが、やろうとしていることは複雑奇怪なことで、コンパイラとかリンカの動作を理解すべく、膨大なドキュメント類を漁りながら、勉強するばかりで、実装がなかなか始められないことに自嘲する日々が続いていたりする。

パソコンのソフトを書けと言われれば苦労することはそう多くないのだが、同じソフトウェアとは言え、組み込み系のプログラム開発は、普通の開発と勝手が違うのがトラブルの元なのだ。普通は何を考えなくても存在する標準入出力も存在しないし、ファイルシステムなども無い。画面もキーボードも無い。普段は OS がやってくれるローレベルな処理も、OS が端から存在しないから、誰もやってくれない。で、頭が痛いと。

ま、そういうときはぱーと飲みにでも? というわけで会社の皆さんと飲みに行った。並んで座ってみると、全員が全くバラバラの服装。周りから見れば、一体どういう関係の集団なのだと思わせる雰囲気だっただろう。それは良いとして、酒が駄目なわたしは、絶えず割り勘で損をしている気がする。ちょっとムカつくので、料理だけはピラニアのように遠慮なく頂く(笑) 飲みに来てると言うよりは、飢えたガキがメシを食いに来てるという調子だね。



魔女の条件とメタユートピア論
1999年6月17日(木曜日) はれ

魔女の条件、終わりましたね。見てない人にはどうでも良いことだけど。

わたしはちゃんと見ていた訳ではなく、この時間にテレビがついていたら何となく流れているという程度のもの。見ている頻度からすれば、隔週以下だろう。それはそうと、どういう理由があって、この頃のドラマは、ある意味ぶっ飛んだ内容ばかりなんだろう。尤も、ごくありふれた日常を淡々と描いたドラマは見ていて詰まらないだろうが、余りにも日常を逸脱していると思う。それはそれで好きなんだけど。

日常を逸脱しているということは、最も幅広く共有された社会的規範に適合していないということであり、つまり一言で言えば、ひとえに「非常識」ということだ。魔女の条件も、そのような非常識さの極みを描こうとしたのだろうと思う。で、何故そのようなものが流行るのだろう。わたしは、非常識な生活への潜在的な憧れがあるからだと思う。変化の少ない普通の生活は詰まらないからぶっ飛んだことをしてみたいけど..嫁さんと子供食わしていかないといけないし、できねえよ。みたいなところではないかな。

こういうのって、一時は収束したメタユートピア論の新形態という気もする。1980年代に終末(核)戦争論のようなところから湧いた出た、人類がラリってしまったときに、どういう世界を築くと全人類が平和に暮らせる理想社会なのか? みたいな話から、後半の部分を取り去ったもの。つまり、人類は自滅しかけたりはしないけれども、世の中は何となく退屈だから、楽園があれば、その条件を提示して欲しいよね...っていう程度の、気軽なメタユートピア論とも思える。

魔女の条件においては、「僕たちのユートピアを作ろうよ」という感じの描写が多々あったと記憶しているが、ユートピアを築くためには、第一に自らを取り巻く環境が理想となりうる条件を提示しなければならない。「魔女の条件」における「条件」とは、そのために提示されるべきメタユートピアという条件のこと。そして、それら個々の抽象的条件を、禁断の恋愛という装置を用い、擬似的な理想
[*1]に背きながら、真の理想であるユートピアとして実体化させるのが「魔女」の役割。などと、勝手に無茶苦茶な解釈をするのであった。

[*1] 広瀬未知(=魔女)は高校教師で、それも大手銀行勤務の北井という婚約者がいる。その時点で、社会的にはいかにも「理想」って感じなのだが、実のところ、こんなのは社会が正当な根拠も無く勝手に認知した「擬似的な理想」に過ぎず、ある特定の人間が理想とする人生との乖離、という前提。



自尊心
1999年6月16日(水曜日) はれ

昨日書いた通り、部屋の配置を換えたら、うるさくなった(笑)

ここでは、PCが常時2〜3機稼働している。そのうちの1つはノートなので音はしないが、残りはファンとディスクの音が凄いのだ。ディスクの「きーん」という回転音がうるさいし、それはまだ良いとしても、「かりかり」という音も寝てると気になる。スイッチングハブも小型ながら強力なファンがついていて、こいつはパソコン並の音量がある。なんとか静かにならない物かと思うのだが、そう簡単には行かないようだ。

ところで、プライドって何? 例えば、罰ゲームなど何らかの必然性があって、セーラームーンのコスプレして街を一周してくれと言われたら、あなたにはできるか? 1万円やるからやれとか言われても、できる? そんなことはプライドが許さないという人もいるだろうし、自分が町の人にどう思われようと知ったことではない、という人だっているだろう。わたしだったら...その場のノリにも依るだろうが、やるだろう。

まあ、そんなことは人それぞれなので、良いとか悪いとかを論じたいのではないが、ちょっと疑問なのは、「プライド」って言葉の使われ方だ。「プライドが許さないからやらない」というのは尤もな意見だと思うが、逆に「プライドがあるから、何でもできる」という意見があっても不思議ではない。敢えてプライドという言葉を使うなら、わたしは後者の使い方をする。これもまた、どちらが正しくて正しくないということを論じたいのではない。単に、正反対の事がどちらもおかしくないので、気になっただけのこと。

問題は、プライドという概念が抽象的すぎるところだと思う。それも英語だから、言葉自体にも定まった意味が感じられず、100人いれば100人とも、その人なりの「プライド」を考えている気がする。わたしなりに「プライド」を日本語訳するのなら、「他者に干渉されない心」という意味で「自尊心」を挙げると思う。つまり、誰が俺の事をどう思っていようと、大して気にはならないよー、という感じのニュアンスだ。だから、日頃の生活と関係の無い奴に恥ずかしがるってことはあまりない。

すると、「誇り」というようなキーワードを思い浮かべる人には「プライドのない奴だ」と言われることになるのだろう。実際、わたしは友人らにそう言われることが多い。「自分を捨ててるでしょう?」なんて意味でね。確かに、プライドの捉え方が違うから、捨ててるように見えることは否めないかも知れないが、本当の意味で捨ててたら、こんなことは書かないだろう。



高層建築
1999年6月15日(火曜日) はれ

都市が発展するにつれ、横に広がる土地が無くなると、今度は同じ面積の土地を有効活用するために上へと広がる。同じように、部屋の中も物の置き場が不足すると、高層建築に頼らざるを得ない。そんなわけで、ここのところ物で氾濫している自宅の物置スペースをより効率的に活用すべく、業務用サイズのスチールラックを導入した。ついでに色までもが、いかにも業務用を思わせる鼠色というのが少々鬱陶しいが、どのみちインテリアなど考慮していない場所だから良いだろう。

そのラックは大きさは、900000 x 600000 x 1800000 ミクロンという、比較的大きいものだ。いままで宝物が適当に積み上がっていた場所にすっぽりと収まる大きさなのだが、同じ面積でも天井まで物を積めば、3倍ぐらいの場所が確保できる。まず会社の人に手伝って貰いながらラックを組み上げ、次に物積み場から物を撤去。そこまでは順調に進んだのだが、全てのものをラックに積み直したら、日付が変わっていた。

印象は...どっと部屋が狭くなった気がする。こちらの話でも書いたが、背の高い物が部屋にやってくると、とにかく狭く感じるものなのだ。その反面、散らかっていた物とか、机の下に放り込んであった物などが美しく整理できたので、全体的に広くなった気もする。直感的に言えば、3狭くなったとすれば、2広くなったというぐらいだろうか。書棚として予約してある領域がまだ未使用のままだが、ここに本を詰め込めば、もっと狭くなりそうな気がしてイヤだな。

ふぅ、ますます事務所みたいな部屋になってきてる...



うぅ
1999年6月14日(月曜日) はれ

やっぱり月曜日は駄目だ...眠いのに加え、今日は胃が終わってる。

大方の原因は、日曜日の生活態度に問題があるのだろう。午前9時に目覚まし時計を合わしたにも関わらず、目を覚ましたのは日もかけはじめた夕方の3時。ちなみに、目覚まし時計は、その効力を最大限に発揮させるべく、布団からは手の届かない部屋の随所に分散して、特に強烈な音がするものを厳選して3つ置いてある(平日は、これにテレビのタイマーが加わる)。だが、昨日の夕方に起床したとき、目覚まし時計のスイッチは、全て入ったままだったから、気づきもせず寝ていたらしい。

恐るべし、耳フィルタ。都合の悪い音だけは、どれだけの音量でも完全にカットしてしまうことが、ここで実証されている。だから、わたしは深夜に電話がかかってきたりしても、執拗な呼びまくり攻撃さえ無ければ腹は立たない。電話がなっていても寝ていられるかれで、気づきもしないことに腹は立たないというわけだ。まあ、何度かかけ直すと眠気の混じった声で取ったりするのだけど、用事が終われば直ぐに眠りにできるから、それも余り気にならない。

ところで、わたしの周りには何名か、寝起きに電話を取っても、そのことを全く覚えていない人がいる。ある方は、誰から電話がかかってきたのかまでは覚えているそうだが、内容は一切記憶に残らないという。また、電話を取った記憶すら残らない人もいる。昨日電話した件だけど...なんて調子で話を切り出すと、へ? なんてリアクションが帰ってくるのだから、何のために電話をしたんじゃ! という気にもなるが。不可抗力らしいので、仕方がないのだろう(わたしは、大方の事は忘れない)

で、日曜日はそんな夕方に起きたものだから、2時ぐらいに布団に入るも頭が冴えているらしく、当然ながら晩は寝られない。いま設計しているソフトの事を少し考え出してしまい、頭の中に即興のシミュレータが動き始め、アセンブラコードを組み初めてしまう(おかげで実装方針は絞れたけど)。ふと気が付けば、寝もしなていないのに、東の空がうっすらと白く見えはじめる午前4時。これでは朝まで寝られない!

それでは困るので、門外不出である最終兵器の使用を決意する。この上ない脅威を常にちらつかせているその透明の液体は、用法を間違えれば一生目覚めることのできなくなる魔法の物質。こいつは相当ヤバイものなので、一見それとは分からないように...甲類乙類混和...25度...協和発酵...とか書いてある、一見しただけでは最終兵器とは想像できないような瓶に保管してあり...ここでは仮に「焼酎」と呼ばせて頂くが....そいつを30ml服用。最終兵器だけあって、喉が焼けるぅ。

触媒、もとい肴と呼ばれるキムチを少々頂いたのも功を奏し、数分後には、布団の中で確実に意識を失っていた。気持ちよく寝たと思ったのだが...朝起きたら,胃に入りうる最大重量の鉄球がぶち込まれたような気分で...ううぅ。次週はちゃんと9時に起きるよう努力しますと、お星様に誓うのであった。



なーんとなく
1999年6月13日(日曜日) はれ

老爺老婆の事情

こんなのがあったら恐いよなあ、とか考えながら無駄に過ごした、希薄な鉛色の日曜日であった。

だが、来るべき高齢化時代の趨勢に逆らうことは不可能であり、老人予備軍向け、つまり中年向けの作品としてこんなものがあっても、それなりに有意義かもしれないと思ったりもする。年寄りばかりが闊歩する世の中を、年寄り自身がどう生きるべきか。その歳になるまでは認識することのできない、高齢者特有の生きる喜びと悲しみに始まり、恋愛と人間関係、そして性生活に至るまで、川崎は武蔵小杉の某老人福祉施設を舞台にして、心理描写を巧みに織り交ぜた長編アニメーションとして描く。

いや、実際に想像してみると、かなり恐ろしいものがあるんだけど...

現在、わたしの祖母が交通事故で入院していると言う。それも、対自動車ではなく、青信号で横断歩道を横断中、高校生が乗った無灯火の自転車に当てられて、骨折したとか。わたしだったら、そもそも事故になる前に気づくだろうし、仮に当てられたとしても真面目に入院せずに、適当に腰が痛いとか訴えて、一儲けすることを考えるかも知れない。が、歳を取ると、そんな余裕すら無くなるものだろう。

所用で実家のオカンに電話すると、オカンが看病に病院がよいを続けているという。親孝行な娘がいて、祖母はさぞかし幸せなことだろうし、娘もそれを当然の事と考えているらしい。従って、その娘、もといわたしのオカンも、自分が老いたときには同じ親孝行を、さも当然のように期待しているようである。だが、皮肉にも、わたしには両親の面倒を見る気は毛頭ない。老いてから路頭に迷わないよう、そのことは以前から念を押して宣言してあるのだが...オカンにしてみれば、どうしても納得できない模様である。

そりゃ、介護を期待している倅に「遺産はいらないから、自分のケツぐらい自分で拭け」などと身も蓋もないことを言われりゃ、いかにも溜飲の下らないという感じの反応を返すのは、当たり前のことだろう。遠回しに老後の面倒を見るのは一種の義務である、みたいなことを言うのだが、誰が決めた訳でもないそんな義務を、一方的に負わされる謂われはない。期待することに制限はないが、無いものに期待しても、自分が後々に困るだけだろう。

そんなことを言うと冷たいとか非難されそうだが、どうだろう。親となった人間は一方的に義務ばかり負わされ、いかにも不条理な存在だということについての異存はない。だが、それに対する見返りを求めるぐらいなら、初めから親にならなければ良いことだ。担保として育てた子が予想に反して不良債権化し、割に合わないことを親不孝だと罵られるのなら、子もまた、至極不条理な存在である。



ふぅ... やっと構築
1999年6月12日(土曜日) はれ

昨日は、数ヵ月ぶりに更新をサボったのであった。理由は... 夜中までプログラムをいじっていたから。某サイトのWebmasterに煽られ、本サイトで使っているアクセス解析プログラムのバグなどを治していたのだ。実は、バグがってコンパイルすら正しくできないものを、良く今まで使っていたなと、自分でも感心する次第(笑) 結局、そんなことをしながら Makefile まで作っていたら、朝になっていて眠ってしまった。

今日は、一応休みだが、会社に来て現在構築中のクロス開発環境を整えている。xemacs の設定に手間を食うわ、クロスコンパイラのコンパイルにやたらと暇がかかるわ (gcc のソースコードだけでも7メガぐらいあったりする) で、結局夜中になってしまった。まあ、頑張ったおかげで取り敢えず開発環境は出来上がり。xemacs もそこそこ快調に使えるようになったので、今日の毒論は、xemacs + canna という構成で書いていたりするのだ。

いかんせん、気になるのが canna の変換効率の悪さ。まあ、普通の文章を打っているだけなら大した問題では無いのだが、普段は ATOK12 を使っていると、そう感じざるを得ないところがあったりする。こういう時に最も気になるのが、自分の姓名が一発で変換できない事でして。それは無茶いいすぎ? いや、ATOK12 をよいしょするの理由は、それができたからだったりするのだ。かなりマイナーな単語でも出て来たりするしね。

備忘録リンク

xemacs の参考ページ http://www.imasy.or.jp/~kazz/xemacs/



すべてがFになる(ネタバレ無し)
1999年6月10日(木曜日) はれ

「すべてがFになる」(森博嗣著、講談社ノベルス)という小説を読んだ。分類的にはミステリで良いのだろうが、何となくミステリ以上のものが感じられて、それなりに面白かった。だが、ミステリ系は嫌いである。どうせ読者には解けない謎を用意しておき、どうせ読者には解けない謎を、登場人物が出しゃばって解き明かしていくような流れが、第一にいけ好かないからだ。かといって、すぐに自分で解けてしまうようなミステリも、読む価値すらない。ミステリという存在自体が、大きな矛盾を孕んでいると思うのだ。

それでも「すべてがFになる」を読んでみたのは、著者の本業が名古屋大学工学部の助教授であったからだ。物書き専門の人が書いたものであったのなら読まなかっただろうが、そんな理系の人間が、気合いの入ったミステリを書いたらどうなるのかというところに、最初の興味があった。そのためか、やたらと難解な文学的な言い回しや、どうでも良いような描写が少なく、合理的な纏まりであった。分厚い本を手にとって、最初は読むのに1ヶ月はかかるだろうと予想したのだが、案外、4日で読破してしまう。

内容は詳しく書かないが、下記の質問に答えてみて「はい」が多い人は、読んでみるとミステリとは別の意味で面白いかも知れない。


何だか、ラリった内容でしょ?



FreeBSD インストールとか
1999年6月9日(水曜日) はれ

午後から、クロス開発環境構築のために FreeBSD のインストールを行った。FreeBSD 自体のインストールや設定などはいつもやっている事なので何て事は無いが、頭を痛めるのがXの設定だ。特に苦労するのが、画面関係の設定。これだけは、何度やっても一筋縄では進まないのだ。取りあえず設定したら、画面が流れない程度には写ったのだが、画面が異様に汚い。悪あがきしながら色々といじるも、結局手に負えない。

しょうがないから、こういうときは他力本願モード。FreeBSD のサイトに、XFree86 Config file DataBase というのが存在し、既に動いている人の設定ファイルをデータベース化し、困った時はそこからパクろう、というものである。幸いなことに、同じビデオカードを使っている方の設定例が存在したので、それをパクると、一発OK。先人の努力を踏み台にして楽をするのは、自分の為にもならないので気が進まないことではあるが、こればかりはしょうがない、という感じ。

取りあえず、そうして Afterstep まで動いた。/usr/libexec/ld.so が無いとか文句を垂れて動かない Netscape(お前がいつまでも a.out だから手間がかかるのよ)も動いた。後は、日本語環境の構築(これもまた面倒くさい)と、クロスコンパイラのインストールぐらいだろう。この辺も、先人の努力にばかり頼ってするしかなさそうな塩梅。人に頼ってばかりの無能な自分が、何となく情けない。

どうでも良い話だが、現在わたしは酔っていて気分が悪い。別に晩酌をやっていた訳ではない、単に饂飩を一杯喰らっただけなのだ。酔いの原因は、その出汁にある。出汁を作る際には、いつも少量の料理酒を入れているのだが、今日はエタノールの蒸発が不十分だったらしい。食ってるうちに回ってきて、次第に頭痛が現れ、ついでに吐き気まで...一体、わたしの躯はどういう構造をしているのだろう?

広い世の中にはバーボンを一本ぐらいなら一晩で空にできる人もいるそうだが、わたしは缶ビール一本も駄目。常識的に酔うはずのない、饂飩の出汁も駄目。そういう体質が無意識のうちにガードを固くしているのだろう、酒を口にする機会が非常に少ないので助かっているが、少々のアルコールぐらい、適切に処理して頂きたいものなのだ。



更新報告
1999年6月8日(火曜日) はれ/うすぐもり

今日は、備忘録にネタを追加

ここのところバタバタと忙しいことが多くて、肝心なところの更新が鈍くなっている。申し訳ない、一応ネタはいくつかあるのでやらないといけないのだが、平日はまとまった時間がなかなか取れないし、色々と用事を頼まれていたりして、先週末も煽られてる頼まれ事を処理して終わってしまったような感じだ。

午前3時、そろそろ(っていうか、とっくに)寝てないと朝が辛い。今日はこの辺で。



ふぅ
1999年6月7日(月曜日) あめ

仕事場で、一切の予兆すらないまま、どういうわけか模様替えが勃発。近所に背の高いスチールの本棚が立つようになり、これが置かれてから一気に圧迫感が増えた。圧迫感の原因は、以前は部屋の隅まで見通せた視界を妨害しているからだろう。実質的な空間量は以前と大して変わっていないと思うのだが、嵩の小さなものでも視界を区切るものがあると、それだけで鬱陶しくなる。

電車の吊り広告も同じである。天井からぶら下がっているチラシを全て撤去すると、同じ電車でも、何となく天井が高くなった気がして、凄く広くなったように錯覚するのだ。赤字な路線では運賃収入よりも広告収入、というぐらいに重要な広告スペースであることは理解できるが、満員の電車ではあまり気分の良いものではない。通勤ラッシュ時ぐらいは、室内の開放感を優先すべきではないだろうか。

それはそうと、模様替えの余波で、永遠に片づくことはないと信じられていた、わたしの開発用&デバッグ用、別の名をうまく動かなくて残業する場ともいう机の天板を拝むことができた。取りあえず電源と古いオシロを置いてみたりするのだが、肝心のものが足りない。クロス開発用にXが動く FreeBSD マシンが欲しいのだ。家からマシンを1つ持ち込んでもいいのだが、問題はそのマザーに刺さる CPU が無いことだ。探そ。



足裏マッサージ
1999年6月6日(日曜日) はれ

今日も、どこかに置き忘れてきた部品を求めて街へ出かけてみる。昼前から横浜西口まで出かけたが、もろ真夏の日差し。そんな日に、ラーメンなんか食ったものだから、涼しい店内で乾いたシャツの汗が背中に張り付いて気持ちが悪い。ラーメンは好きだが、夏場はちょっと...って感じなのだ。ところで、煮干し出汁というラーメンを発見。存在を知る前にほかのを注文したので今日は食い損ねたが、この手はあっさりしている割にコクがあって案外うまかったりする。是非食いたいのだが、期待すると、その分だけ不味かったりするんだな、これが。

夜。なんというか珍しい、露店のクイックマッサージ屋を見付けた。前々から、(もう若くないので)クイックマッサージに一度行ってみようと思っていたのだが、どこも値段が高くて、気軽に立ち寄れる場所とは言えない(だいたい10分1000円が相場)。しかし、その露店のマッサージ屋さんは、30分1500円で足裏を揉んでくれるというので、興味本位でやってみることにした。ちょっと怪しいと言えば怪しいが、全くの素人がやっているわけではないようだ。

ほうほう、これは確かに気持ちがいい。今日は足が疲れていたので、尚更だ。本当は痛いらしいのだが、わたしが余りに痛がらないので「我慢してないですか?」と尋ねられる。正直なところ痛くはなく、むしろ気持ちが良かったのでそう伝えると、「健康な方だから、マッサージなんて必要ないぐらいですよ」と言う。確かにここ数年は医者にかかっていないが、実は一カ所だけ時々悪くなるころがある。「尿道の流れが悪いですね」と、見事にそれを当てられた。最後に医者に行ったのも、確かに尿道の不良で行った泌尿器科だ。

その方は、足を見ただけで概ね健康状態が分かるそうだ。不健康な人は、足が浮腫んでいたりして、形が悪いという。わたしは足を出した瞬間、えらい綺麗な足だと誉められた。余り人前で足を出すことはないが、以前にも何度か人に足を見られて、綺麗と言われたことが数回ある。手は、よく見える場所にあるためか、男にしては整った(あるいは女の子的な)形状だと言われる事がよくある。男の手って、そんなに歪な形をしているものなのだろうか。



ストリートライブ
1999年6月5日(土曜日) はれ/くもり

今日は、それが何であるかすら分からないまま、足りない部品を探しに街へ出てみる。日が暮れてから何となく伊勢佐木町をぶらつきに行った。全国的にも有名な場所らしいが、いつものことながら、ここでは色んな人達が集まってきて、それぞれが好きなようにストリートライブを繰り広げている。そんな光景を見て、良い意味でも悪い意味でも、横浜という場所には何となく歪なものを感じたりするのは、わたしだけだろうか。

伊勢佐木町のストリートライブと言っても、皆が皆、判を押したようにギターを抱えながら歌っているわけではない。時々変わり種がいて、今日は、ただひたすら三味線を弾く若い女性を発見した。そこだけが他とは違う空気に包まれ、奏者からやや距離を置いて人だかりができていた。三味線の生演奏など見るのも初めてなので、それが上手いのか下手なのか、わたしに評価することは能わないが、切迫した三味線ライブに立ち止まる気持ちはよく分かる。

その近くで、「きのこ。」という、多分16〜17歳ぐらいの、かわいい女の子2人組が、三味線の迫力に負けないほどに景気良く歌っていた。いかにも在り合わせという感じの楽器を持ち込んで歌う彼女達は、実力派。詞も良いし、歌も上手い。SPEED のヒロちゃん似の一人は、やたらとテンションが高くて、見ているこっちまで元気になってきそう。気の合うもう一人はそうでもないが、ギターも歌もうまく、心に沁みる物があった。毎月第一土曜日に伊勢佐木モールで、毎週火曜日には新宿西口の安田生命ホール前で歌っているそうだ。

家から近いので、散歩がてら、ブラブラするには良いところ。



続・ヤク
1999年6月4日(金曜日) はれ/くもり

関東地方も、今日から梅雨入りだそうだ。朝7時過ぎに起きると、曇っているような、晴れているような、それともこれからもっと曇って俄雨でもありそうな微妙な空模様。布団を干すか干さまいかで、朝から苦悩した一日であった。結局布団は干したのだが、同じ横浜でも、戸塚の方は朝から小雨が降っていたらしい。これから暫くは、洗濯のスケジュールに迷う季節になりそうで、一分一秒を争う朝の出勤前にその判断を下さなければならないのは、面倒な事だ。

昨日、本当は真面目に書くつもりが、何故かトリップした内容に書き上げてしまった「ヤク」の続き。言うまでもないが、袋の中身である白い粉末は、一般的にLSDと呼ばれているリゼルグ酸ジエチルアミドなどではない。そんなものを所持していたら、今頃は臭いメシを食っていることだろう。お察しの通り?、この粉末はある種の調味料なのだが、小麦粉や粉砂糖といった普通の家庭に存在するようなものではなく、純粋なリボ核酸の結晶である。いわゆる、化学調味料と分類されるものだ。

家庭にある化学調味料といえば「味の素」だが、こいつの主成分はL−グルタミン酸ナトリウムだ。L−グルタミン酸ナトリウムは昆布だしのうま味成分で、特にアミノ酸系のうま味成分として区別されるものだ。さて、味の素の成分表をご覧になれば分かるが、L−グルタミン酸ナトリウムの他に、5’−リボヌクレオタイドナトリウムというものも、2.5%だけ含まれている。これが、先ほど述べた、リボ核酸である。

リボ核酸系のうま味成分には、鰹だしの5’−イノシン酸や、椎茸のだしの5’−グアニル酸などがある。妙な比較だが、L−グルタミン酸ナトリウムよりも、イノシン酸やグアニル酸の方が「よりうまい」らしく、更にこれらを同時に味わうと相乗的に「もっとうまくなる」らしい。そして、リボ核酸系の割合が多い方が、より自然にうまくなるそうなのだが、市販されている化学調味料は、何故かL−グルタミン酸ナトリウムを主成分としたものばかりだ。わたしが知る限りでは、リボ核酸だけでは市販されていない。

件のヤクは、恐らく5’−イノシン酸と5’−グアニル酸の同等量混合物だと思う(リボ核酸系調味料であることは確かなのだが、具体的な成分までは聞いていない)。取りあえず、現在色んな食品に振りかけて、その効果の程を試しているところなのだ。



ヤク?
1999年6月3日(木曜日) くもり

粉粉

食品保存用のチャック付きポリ袋に詰められた、この白い粉末結晶。これだけの量があれば、末端価格は数千万を下ることはなかろう。来るべき収入に心を踊らされながら、天秤で正確に1グラムを秤り、小分けした物体を詰めた小袋にヒートシールを施していた、ある長い夜。これは飽くまで売り物であって、自分は一切服用してはならない。そう心に誓ったはずなのに、悪魔が耳元で囁きはじめる。

一度ぐらいなら、いや、一度たりとも...指先に薄く付着した粉末を眺めながら、心が揺れる。でもまあ、これは商品の効果を実際に確かめてみるための、やむを得ない行為であって...少し考えた末に適当に自分を納得させられる建前を見付け、そして気づいた時には、建前上の試用サンプルである微量の粉末を舐めていた。次第に、目に飛び込むあらゆる光の明度と彩度が著しく増加し、徐々に飽和する光の煌めきに輻輳する視神経を意識する。そして、ちょうど視野が限界まで拡大したころ、気分も最大限にまで高揚していた。

無限とも感じられる時空の中で自分は、苦しみなど一切存在しない至福の世界を浮遊するように彷徨い歩いていた。そして、過去の様々な出来事をフラッシュバックのように回想しながら、ふと思う。こんな素晴らしい世界があるのに、今までやってきた自分の人生は一体、何だったのだろう? できることなら、ここで永遠に暮らしたい。全ての言葉が木霊のように掻き消される空間に向け、渾身の力を込めて後生一生の願いを放った。その全てが、幻想であるとも知らずに...

手元の時計によれば、服用から約12時間後のことだ。閉じられた瞼を開くと、白い粉末で満たされた袋を手に握りしめながら、現実の世界へと召還させられた自分を発見した。酷い脱力感に駆られながらも、定まらない視線を手にした袋に移す。リゼルグ酸ジエチルアミド、素晴らしいクスリだ。記憶の中にだけ存在する不思議な夢を回想しながら、静かに、そう独りごちた。



ラジオライフじゃないんだから
1999年6月2日(水曜日) はれ/くもり

マスコミが「盗聴法案」などと読んでいる、通信傍受法案。正式名称は「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案」だそうだが、「盗聴」という言葉は、国民に著しい誤解と偏見を与えるものであり、極めて不適切! 今後は、そのような言葉は使わないように、という旨の要請を、法務省がマスコミ各社に宛てたらしい。背後には、自民党の強い要望があったのだとか。

まあ確かに言っていることはごもっともな事なのだが、何となく低レベルさを感じずにいられないのは、わたしだけだろうか。ラジオライフの読者欄なんかで、近所のコードレス電話を聞くのは、「傍受」であって決して「盗聴」ではない、なんてご意見を見かけることがある。確かに、コードレス電話を聞くことは不法なことではなく、勝手に飛んでくる電波を拾うだけなのだから、傍受と呼ぶのが適切であろう。しかし、一般人の目から見れば、人の会話を聞くことなど、何だって「盗聴」である。

法務省の要請も、大方のところはそれと同じ次元の主張である。「やってもいい」という法律ができて、正当な手続きさえ踏んでいれば、会話を聞いたところで不法なことではなく、「盗聴」というよりは「傍受」と言った方が、ニュアンス的に正しいだろう。だが、普通の人からしてみれば、事情はどうであれ人の会話を傍らで聞くことは、つまるところ「盗聴」であり、その感覚が間違っているとも思わない。分からない間に私的な会話を聞かれている可能性があれば、気味悪がるのが当然の反応だ。

コードレス電話の傍受について考えた場合、会話を聞いて下さいと言わんばかりに近所中に電波を撒き散らしているのだから、聞かれる側が悪いという話にも一理あると思う。たまたま受信機を 380MHz 付近にあわせたら何か聞こえてきたので傍受した、という言い方をしても、不自然さは感じない。だが、盗聴法案(と、敢えて書いてみる)は、普通は聞けないものを、特権的にコソコソと聞く事を目的にしているのだから、直感的に言えば盗聴だ。いつから法務省は、ラジオライフ以下のレベルに降格したのだろう。

それはそうと、世の中には不思議な事が時々ある。小渕総理が日本のお父さん? どこが?



親の心配をよそに
1999年6月1日(火曜日) はれ

MP3 サイトに続いて、今度は Warez サイトの Webmaster がパクられたようだ。著作権法違反容疑でガサ入れに入られたのは高校2年生だそうだが、そんな話が出てくれば、部屋で籠城を決め込み、深夜までモニタの前に向かっている子を持つ親は、やや心配になってくることであろう。倅が何かやっているのは分かるが、それが実際に何であるかまでは把握できないという状況は、不安を煽るだけだと思う。突然、捜査令状を手に、おっかない人達がワサワサとやってくるのでは...などと、良くない想定をしてしまうのも無理はなかろう。

そもそも、知らない人から見れば、そんな機械を相手に深夜までやれる事があること自体が、何とも摩訶不思議なことらしい。わたしの母親もそこのところが理解できないらしく、要領を得ない理由を付けられながら、よく咎められていた。違法な事はしていなかったし、その頃はネットワーク犯罪の話題なんてあんまり出てこなかったし、心配するような事は無いのだが。Nifty のID売って年収1億の天才高校生! なんて話題を取り上げてたのも、日コン連とか、限られた世界の中だけだったし(笑)

まあ、わたしは夜通しでアセンブラ書いてたり、夜通しで FreeBSD いじってたお陰で、親も何だか分からない間に、それらがメシの種となってしまった次第。ところで、一体どんな理由があって、そういうことは陽が空に出ている時間に出来ないのだ、という疑問は、わたし自身もよく分からない。何となく、草木も眠る丑三つ時こそ、仕事が良く進むと感じるのはわたしだけだろうか。良くない傾向であるとは分かっていつつ、ね。



突撃実験室