多事毒論(2002年3月分)


ROBODEX2002
2002年3月31日(日曜日) はれ

みなとみらいのパシフィコ横浜で開催されていた(今日が最終日なので過去形)ROBODEX2002 を見てきた。ROBODEX のサイトでは「世界初の人間共存型ロボットを一堂に集めた大規模博覧会」と案内されていたので、メカトロの最先端を蝟集した見応えのある博覧会を期待していったのだが、見事に外されてしまった。日曜日だということもあってか、来会者の殆どが小さなお子様を伴った家族連れで、入館までに一時間以上もかかるような列が朝からできていた。そうした事実からも分かるとおり、どちらかと言えば「ロボットとはこんなものですよ」と一般向けに触れてもらうようなノリ。展示も玩具的ロボットがメインで、ギョーカイ系のディープな展示を期待していったのがそもそもの間違いだったようだ。

また、「大規模博覧会」というには出展企業が明らかに少なく、よほど空きブース対策に苦慮したのか、投げやりで出したとしか思えない展示すらあったが、もちろん楽しめる展示も多かった。目玉となっていたのは、やはり本田技研ASIMOと、ソニーAIBO。この定番コンビが場の人気者であったのは、お決まりの通りである。初めてAIBOをまじまじと見たが、確かにわかいい。あれだけの愛らしい仕草を、機械だけの動きだけで表現する技術も相当なものであろう。働くロボットとして凄いと思ったのは、綜合警備保障ガードロボ。子ども達にはまったくウケていなかったが、大多数の企業がロボットを玩具として位置づけるなか、業務にロボットを使おうという試みは特筆したい。

企業以外では、千葉大学地雷探知ロボットCOMET-IIが興味を惹いた。6足で歩行する昆虫のようなロボットで、歩きながら地中レーダで埋まっている地雷を探知し、地雷を発見した場合はその箇所にペイントでマーキングを行う。しかし、残念ながらまだ研究段階であるとのことで、見せてもらったが、実際には歩行もままならない感じだった。同ブースで展示されていた、完全自律ラジコンヘリコプタ SKY SURVEYOR-Iも、試みとしては面白いと思った。これは、HIROBO のラジコンヘリにペイロードとして自律制御用の装置を搭載したもので、超低速飛行を続けながら地上の地雷の探知を行えるようにするのが目的とのことであった。

最後に、今回の出展のなかで、一目惚れしてしまったのは北野共生システムプロジェクトmorph である。とにかく、かっこいいのだ。骨格は、ガンダムのような近未来の宇宙戦争を舞台とするアニメに出てくる人型の戦闘ロボットに近く、部品には鮮やかな赤色に着色されたアルマイトが使われ、顔にはサングラス。試作品らしくサーボや配線は露出しているが、その露骨さが、かえってたまらない。ビームサーベルでも持たせれば、いますぐにでも飛び立って鮮やかな戦いを見せてくれるのではないか。そう思わせるこのロボットを見て、男なら惚れないわけがない。見た目のみならず、動きも頗る鮮やかだ。残念ながら今日は展示のみで、実機のデモンストレーションを見ることはできなかったが、MYCOM PCWEBの記事や、ZDNETの記事で、その様子を見ることができる。



時差
2002年3月30日(土曜日) はれ

桜もそろそろ散りはじめたかな。本牧にて。

沖縄で思い出した。あんまり関係ないが、FreeBSD の古いリリース (2.2.x のころまでかな)では、時間帯の設定を日本にすると、"south Ryukyu Islands"(南琉球島??)と、"most locations"(そのほかの地域)を選べるようになっていた。南琉球島(?) なる場所はと実は石垣島のことで、つまり、日本標準時(UTC+0900)とは一時間の時差があることになっていたのだ。実際のところこれは誤りだが、その原因を詳細に調査した結果が「South Ryukyu Islandsの謎」というページで報告されている。これによると、明治29年から昭和12年まで、日本には現在の日本標準時にあたる「中央標準時」と、台湾・澎湖・八重山・宮古で使われていた「西部標準時」なるものが存在していたらしい。

台湾や澎湖が出てくるぐらいなので、現在のニュアンスでいう「国内」とはちょっと違うが、日本国内にも時差が存在していた歴史があったとは知らなかった(戦後、サマータイムが少しだけあったのは有名だが)。そのころに新たな標準時が制定された要因として、東経135度線からかなり離れた場所に領土ができ、時計を同じように合わすことが不都合になったからだと考えるのが自然だろう。将来の領地拡大を見越してのことだったのかも知れない。しかし、昭和12年に標準時が再び統一されている点はとても興味深い。それ以降、海外領では時計をどこに合わせていたのだろうか。同化政策下では、時計も同化? なお、現在では台湾とは一時間の時差がある。

現在の日本では単一の標準時が使われているが、考えてみると、ちょっと無理して一つの時間帯に収めたという印象を受ける。アバウトに見れば、日本は南北に長く伸びた超扁平列島だが、東西の幅もそれなりに広く、東の端は与那国島でおおよそ東経123度、西の端は南鳥島で、おおよそ東経154度。論理的には、基準となる子午線からの離角15度ごとに1時間の時差が発生するので、2つの時間帯があっても良いぐらいの範囲である。東経135度で太陽が南中するとき、沖縄あたりでは南中までにまだ小一時間もある。実生活上の問題はないけれど、東京と大阪を移動しても日の入り時刻に違和感を感じるぐらいだから、沖縄の人が北海道へ行ったりすると、日暮れの早さに驚いちゃうのかな。



沖縄国?
2002年3月29日(金曜日) あめ

ふと思ったのだが、海外には、沖縄が独立国であると誤解している人が多いのだろうか。世界各地で使われている電話のプラグ形状について調べていたところ、NORWAY の次には OKINAWA ときて OMAN と並んでいる資料を見付けた(もちろん、JAPAN もちゃんとある)。世界の国名が列挙されている英文の資料で、Japan とともに、なぜか Okinawa が含まれているものは過去にも何度か見たことがある。アメリカあたりから見れば JAPAN というよりも OKINAWA といった方が通りが良いのかも知れないが、資料を作っているときの単純なミスだけで国名に OKINAWA が紛れてくるとは考えにくいし、見たのが一度だけでないということは、そのように書かれている何かのソースがあるのかも知れない。

米国の資料ばかりなので、わざわざ沖縄が出てくるということは、過去にアメリカによる占領統治時代があったことが関係していることは間違いなかろう。アメリカ領でありながらプエルトリコが別個の国として扱われているように、当時なら沖縄を別個の国として扱う資料もあったかも知れない(えー、サンフランシスコ講和条約からいくと、これは誤りだよね)。気になって検索してみたが、沖縄は日本の一部ではないという主観的見解を主張するサイト(しかも英語で)ばかりがいっぱい引っかかってきた。それはそれで分かるし、個人的には沖縄が沖縄県であり続けなければならないとも思わないので、独立運動もいいのだが。結局、「沖縄国」が何の名残なのかは分からなかった。



ニッケル乾電池、その後
2002年3月28日(木曜日) はれ

前に買ったニッケル乾電池が総撮影枚数は 223枚で臨終した。普段からの電池切れタイミングに基づいて主観的に判断すると、倍ぐらいの寿命というところだろうか。アルカリ電池よりは確実に長持ちしているが、リチウム乾電池を使ってみたときほどの、凄いという印象は受けなかった。電池の持ちは撮影条件によって大きく変わってくるため一概に良否は判断できないが、この電池を使っていた期間はマクロ写真をよく撮影していたので、電源は入れっぱなしでアングルをゆっくりと調整していることも多かったし、ズームも多用していた。ストロボもいつもより多く使っている。それを考えると、それなりに良い性能をした電池だと思う。

だが、パッケージに書いてあった「アルカリの約5倍」という文句は、やはり非現実的だ。誇大広告だとは言わないが、LCDは常に明るさ最大、ズームは固定、ストロボ毎回発光、15秒に1回撮影という実験条件からは、常に大電流が流れる負荷で特に高い性能が発揮されるという特性に合わせ、できるだけ速やかに多くの枚数を撮影して電池を使い切ろうという意図が読み取れる。現実にこんなに効率よく電池を使うことはあり得ない。実際に写真撮影にあっては、電池をダラダラと食っている状態のときの方が多いからだ。昼間の屋外ではストロボなんて使わないし、アングルを吟味しているときもあれば、何かに備えて電源を入れっぱなしにしているときもある。

実験条件では、ズームは固定されているが、これはどう見るべきだろうか。わたしのデジカメに安定化電源を繋いで流れる電流を測ったところ、なにも操作していない(連続AFも動いていない)ときは、550mAほど食っていた。ズームを操作するとこれよりも200mAほど電流が増えたので、ズームのサーボは、デジカメの中でも特に大きな電力を食う部分のようだ。また、電流が最も大きかったのは電源を入れた直後にレンズのカリブレーションが行われるときで、1000mAを超えていた。普通は電源を入れたり切ったりするし、ズームも使うから、こうしたことも実際にあり得ることとして考慮したいところである。突発的な負荷が電池の性能にどう影響するのかは何とも言えないが、使えば使うほど撮影可能枚数が減るのは間違い。

こんな条件で考えていくと、アルカリの2倍は悪くないかなと思う。



迷惑メール
2002年3月26日(火曜日) あめ

伊勢佐木町の商店街でやっているストリートライブを見ていると、たまに変わった楽器を弾いている人もいる。何をやるにしても路上という条件から、必然的に持ち運びが可能で電源のいらないアコースティック楽器が大半で、ギターとハーモニカやらタンバリンみたいな感じの「ゆず」的な組み合わせが多いが、先日はピアノを弾いている人を見かけた。もちろんデジピだが、地べたにデジピを据えてあぐらを組むように座り込み、片足を立て膝にしてダンパーペダルを操作する格好もなかなかすごい。話を聞くと、バッテリなどと合わせて総重量35キロを担ぎ、吉祥寺から電車で横浜まで来ているというから、気合いが入っている。この人、やたらと上手かった。

広告メールを送るときには、タイトルに「!広告!」と書くよう定めた法律は、結果として迷惑メールに法的なお墨付きを与えたものだとしか思えない。それ以来、かえって堂々と送られてくる鬱陶しい宣伝メールが実際に増えたし、どこかの統計調査によると確かにそのようになっているらしい。必ず「!広告!」というタイトルで始まれば、受け取る側で容易にフィルタができるということが法律の根拠となっているらしいが、そういう問題でもなかろう。顧客の開拓を安価にやりたい気持ちは分からなくもないが、頼んでもいないのに、一方的に送りつけてこられること自体が迷惑だ。まともな通販サイトでも作ってあれば、こっちからいくらでも探してやるから余計なお世話である。

広告メールを送ってくるのは、なにも怪しげな商売をしているところばかりではない。名の通った大手企業から届くこともある。会社としてやっているのではなく、おつむの悪い担当者が勝手に送った感じのものが多いが、だからなおさらタチが悪い。プライバシーの配慮みたいな概念もまったくないから、たとえば取引先のメールアドレスを To: ヘッダに列挙してくるようなものもある。普通、モノの仕入れ元がどこなのかといったことは商売敵には知られたくない情報だが、これではどこに送っているのか、すべての受信者にバレバレだ。やめてほしいね、こういうのは。



やっぱりLED
2002年3月24日(日曜日) くもり/晴れ

いつぞやに述べた、車の番号灯のLED化に関するページを今週末に書き上げようと思っていたのだが、どうも筆が進まず、完成は見なかった。要は、基板を切って部品をハンダ付けするだけの話だから、工作ネタとしては大した内容でもないのだが、アイデアをまとめているうちに色々と書きたいことが出てきて、あれやこれやと断片を書いているうちに、どうにも収拾がつかなくなってしまった。わたしの場合、書くことよりも整理することの方が遙かに苦痛を感じる。それは前置きがいやに長かったり、「閑話休題」とか「脱線したが」と言いたくなる箇所がやたらとあったりで、余計なことをダラダラと書きすぎるからだと、自分でも分かってはいるが。

白色LEDは、つまるところ青い光を黄色い光に変換する蛍光体を青色LEDに塗布したもので、素子から出てくる青い光と、蛍光体で得られる黄色い光をを混合することによって白っぽく発光している(初めから白で発光しているわけではない)。白色LEDの「白色度」というか色合い、あるいは発光効率は、この蛍光体の種類や塗布方法に大きく依存するという。現在もっともよく使われている日亜化学の白色LEDはやや変な色の光を出すが、今後蛍光体の改良が進めば、もっと自然な白色が得られるはずである。使用する蛍光体次第では、白以外のLEDを作ることも可能だ。興味深いところではシチズンが PASTELITE というパステルカラーのLEDを実用化している。ネオンサインもLEDで置き換わってしまう日が来るのだろうか。

交通信号機にもLEDが使われるようになってきた。横浜では見かけないが(戸塚の不動坂にあるやつってそうなの?)、日亜化学の影響か、徳島市内にはLEDを使った交通信号機が多くあるそうだ。米国でも、地域によってはLED式の信号機が増えているらしい。装置のコストは割高でも、電球交換にかかるコストの削減や消費電力の低減による電力コストの削減で結果的にお得になるからだというが、信号機のメンテナンス作業などで利益を得ているところの保護が優先されそうな日本では、なかなかそういう発想が生まれないためだろうか、いまでも電球式の信号機が新設されている。先日もらったメールで、色覚異常の目には電球よりもLEDの信号機の方が判別しやすいと教えて貰った。波長がはっきりしているからだろうか、理由は良く分からないが、意外なメリットもあるものだ。

日本国内において、LED化がもっとも進行している信号機は、鉄道用のものかな。



ジャージー牛乳プリン
2002年3月23日(土曜日) くもり/晴れ

ぴか〜と光る猫の目。ストロボを使うとちょっと恐い。

わたしは100円〜150円のデザート類を燃料として動作――それじゃいけない、食後のささやかな楽しみとしており、これまでに様々なメーカの多種多様なデザートに挑戦してきた。残念ながら、これだと思えるほど際だって美味いものに巡り会えることは少ないが、最近のマイヒットはオハヨー乳業ジャージー牛乳プリン。プリンの上には濃厚テイストなクリームがかけられており、まったりとした食感がなかなかの美味である。オハヨー乳業の製品は、何年も前に買ったアイスクリームか何かが最初だったと思う。大きなメーカではないのだろう、聞いたこともない変な名前のメーカだなと思ったが、それ以来ここのやつはおおよそ何を買っても美味いので、またやられたという感じだった。食品をメーカ名で選ぶのは、ここぐらいかな。

ちょっと古いが、2ちゃんねるに「くぬぎざ じゅんすけ ってどういう人?」なんていうスレッドが立っていた形跡を発見。どういう人かと問われれば、多事毒論を書いている人だからここを読めって感じだが、このスレを立てた方は、わたしの素性を調べてどうするつもりだったんだろう。たとえどんな調査をしてみたところで、何らかの興味深い事実が出てくるわけでもないごくごく普通のヤツなので、読み応えのあるレスが付くわけもないのだが(苦笑)



免許更新
2002年3月22日(金曜日) くもり/雨

わんわ?

ええいっ 自分だけ4連休にしちゃえってことで会社を休み、運転免許の更新のため二俣川の試験場へ。下らん違反が一回あるので試験場行きとなった。更新手数料と称して余計な本を買わされるのは気にいらないが、試験場の職員はわりと丁寧だと感じるし、それに驚くほど手際が良い。同じ警察関係のところでも、所轄署ではノンビリとした空気が流れているから、これが同じ系列なのかと疑いたくなるほどである。日々かなりの人数が出向いてくる試験場では、チンタラとしていたら捌ききれないのだろう。この辺は、自治体によってかなり差があるのだろう。神奈川県ではないようだが、場所によっては交通安全協会の半強制加入が旧態依然として行われているとか、悪い話も聞く。

講習をやっている講師は警察OBだと思うが、いい人に当たったためか官憲的な威圧感はなく、しゃべりもそこそこ上手だったからあまり退屈はしなかった。講習が眠たいものだという自覚はやっている側にもあるようで、省けるところは省いて、とっとと終わらせようという感じのノリ。交通安全に関するお堅い説教をされるのかと思いきや、法規の改正点に関する説明が主だった。ナンバープレートに取り付ける赤外フィルタが御法度になった話では、なぜか主要なオービスの設置場所が列挙される。「横横の逗子付近にあるやつは、みんな飛ばしてるからよく捕まるんですよ〜」などと、えらく嬉しそうに語るこの方、「飛ばす人は、カメラに注意してやってね」とでも言いたげだった。



時刻表記
2002年3月21日(木曜日) くもり+強風

ランドマークタワーと、夜桜。早すぎる桜の開花にお花見の予定を狂わされ、やるなら今日しかないと強引に都合をつけたものの、あまりの強風でそれどころではなかった方もいるのではないだろうか。今日は裏の仕事で屋外作業をしていたから、えらい目にあってしまった。砂利敷の場所だったので、風が吹くたびに土埃が盛大に舞い上がる。口に砂が入るぐらいなら吐き出せば済むのでまだ耐えられるが、さすがに砂まじりの涙が出てくるようになってくると辛くなる。まともに目を開けていられないようでは進む作業も進まないので、とっとと切り上げた。

AM11:00〜PM12:00 という看板を出しているこの飲食店。朝の11時に開店することは分かるが、閉店は何時なのだろうか。常識で考えれば夜の12時だが、ぱっと見たとき、この店は正午に閉めるのかと思ってしまった。数学的に考えれば、12時間制の時刻は12進数なのだから、11時を指している時計の短針が次に指すべき時刻は、12時ではなく0時であり、「12時」という時刻は存在し得ない。すなわち、そもそも「12:00」自体がロジックから外れているのに、そこにAMやPMとか午前や午後なんてものが出てくれば、混乱が起きて当たり前ではなかろうか。「12時」を「0時」と読み替えることもできるが、そうすれば、やはりこの店は正午に閉めることになる。ほとんどの人は、「PM00:00」はお昼だと思うだろう、夜中をいうのなら、やはり「AM00:00」だ。

「0時」と表記した場合、午前と午後の区別に混乱はあまりないと思うが、現実には「12時」がよく使われ、これにはかなりの混乱があるようだ。JJY のサイトにある「午前12時? 午後0時?」で詳しく解説されているが、法律的には、お昼の12時は「午前12時」と表するのが正しいという。しかし、大多数の人が「午前12時」をお昼の12時だと解釈するとも思えないし、午後の起点がどこにあるのかを考えれば、これはまったくもってロジカルでない考え方だろう。あらゆる単位が統一されようとしているなか、時刻の表記だけがこうも曖昧なまま放置されているようでいいのだろうか。そう考えると、時計の文字盤はすべて間違っているように思えてくるし、午前と午後の起点もはっきりして欲しいものだ。

時刻をすべて24時間制で表記すれば「かぶる」ことがないので誤解はなくなりそうなものだが、それだけで解決する問題でもない。わたしは個人的に、午前と午後を使った時刻の表記はエレガントでない感じるが、24時間表記が当たり前でない世界に住むごく普通の人は、「5:00」を17時と勘違いすることもあるし、「0:00」をお昼だと考える人もいる。そのため「これは24時間表記です」とどこかで断っておかなければならない。相手が時刻表ばっかり見ている鉄ちゃんだったり、「ハチマルマルに○○で集合ね」とか奇妙なことを言ってくる人なら良いのだが――うん、自衛隊とかが使う時刻の表現は、わりと合理的だな。



月と土星
2002年3月20日(水曜日) はれ

えらいタイミングで編集者さんからメールが来た、などと昨日の雑記で書いたが、それは偶然の結果でも何でもなく、ちょっとした経緯でご本人が多事毒論をご覧になってのことだった。しかも、そのことがメールに明記されていたのだが、どういうわけか、わたしがその部分を見ていなかったため、昨日の雑記ではああいう勘違いな書き方をしてしまった次第・・・。失礼を重ねてしまい、ご迷惑をおかけしたことを深くお詫びしたい。

何日か前の細く欠けた月。4秒も露出させると、欠けているはずの場所もうっすらと写ってしまうから面白い。そういえば、今日は恥ずかしがり屋の土星さんがお月さんの後ろに隠れる土星食の日だったそうだ。とりわけ神奈川県では観測する場所によって見え方が違うそうで、横浜の中区では完全に土星が隠れても、厚木付近では部分的にしか隠れないそうだ。しかし、そもそもわたしにはどの星が土星なのか分からないので、土星が隠れたところで普段とあまり変わらない。だいたい地球から見れば、土星は月よりも遠いところにあるのだから、たまに土星が隠れたって何ら不思議ではないでしょ、なんていうのはシロウトならではの発言かな。

春なのに、お別れですか? 涙がこぼれますか? ため息またひとつ? 満開の桜の下でお別れだなんて、そんな悲しいことがあっていいのかとお嘆きの皆さま。はい、もちろんいいんです。お別れがあるということは、それ以前に出会いがあったと推定できるのですから、この人は別れる相手がいるだけ、まだいくらか恵まれていると考えるべきなのですね。なぜなら、出会いどころか別れすらも発生しない、そんな春なのかどうかすら疑わしい春も現実にあるのです。桜木町駅からほど近い花咲町という、春の風物詩のような街に4年もいてこれですから、地名に縁起を求めてどうにかなるほど、春が生やさしいものでないことだけは良く分かりました。



わさびアイス
2002年3月19日(火曜日) はれ

ガンコジジィ顔の猫。世の中が許してもワシは許さん、って感じだった。

雑記で雑誌の悪口めいたことをごちゃごちゃと書いたら、直後に件の編集者さんから原稿依頼のメールが来てしまった(汗) えらいタイミングである。あれを書いたことが関係しているとはあまり考えたくない・・・うん、偶然の結果に違いない。ここをお読みになっていないことを願おう。無論、雑誌屋さんに恨みがあるわけではないし(あれで述べたような、かなりムカつくヤツもいるにはいるが)、某出版社さんから当サイトに注目していただいたことは自体は嬉しいのだけれど、ウェブと雑誌のコンテンツが被っているようで大丈夫かいな、と思うのも事実である。電子工作やアマチュア無線関係の雑誌がますます斜陽化するなかでは、そう思わざるを得ない。

わさびアイスなるものを発見。原材料名には、「本わさび」が名を連ねている。色は、微妙に緑かかった白で、あまりわさびっぽくない。そのせいか、味もそれっぽくない。一口目はバニラの香りがしないバニラアイスのような感じで味がほとんどなく、しばらく食べているうちに次第に舌がピリピリとしてきて、わさびのツーンとした辛さと香りが申し訳程度に感じられる。これぐらいの方が上品だと判断したのだろうが、インパクトが足りないのだ。一口食べたときから鼻がひん曲がるほどのわさびが襲い、涙なしには食べられないぐらいでないとわさびアイスとは言い難い。そういえば、長野かどこかで「わさびソフトクリーム」みたいなものを食べたこともある。ソフトクリーム型の看板を「抹茶」のやつで代用していたのが印象的だった。確かにどっちも緑だけれど、抹茶並みの深い緑になるまでわさびを練り込んだら、どんな辛さになることやら。



雑誌転載
2002年3月18日(月曜日) はれ

少し前に、アマチュア無線の専門雑誌を出している某出版社から、「突撃実験室の実験ネタを弊社の雑誌に掲載したい」という旨のメールが届いた。多少おだてめいたコメントを述べてから承諾を求めるメールの文章はさすがにこなれているというか丁重なもので、悪い気はしない。しかし、当該記事の紹介を書きたいというのならまだ分かるが、このサイトに来ればいくらでも読める記事を、わざわざ商業誌に転載することには何ら意義を感じない。しかも原稿料についてはまったく述べられていなかったので、勘ぐりすぎかも知れないが、承諾を得られれば見本誌を送ってくるぐらいで済ませるつもりなのだろうと思えた(見本誌を送ってくる出版社はまだ丁寧な方だが)。そこで「掲載は構わないが、原稿料をお支払いいただく」という、極めて事務的な返答を送った。

別にカネ目当てではない。物書きを生業にしているわけではないし、ましてやウェブで公開されている記事をそのまま渡し、原稿料を寄越せと言える神経の図太さは持ち合わせていない。それこそ勝手に使ってくれてもいいぐらいなのだけれど、「そこらのホームページにある文章なんて、どうせ落ちているようなものだから、雑誌が徴発して何が悪い」とでも言わんばかりの勘違い編集者も実際にいるのだ。ネタに困ったときは、ウェブで適当に探してくるだけで大した経費もかけずに白紙の解消が図れる場合もあるのだから、実に合理的な手段だとでも思っているのだろうか。メールをくれた編集者さんがそうであるというわけではないが、一部の出版社や編集者に見られるこういう魂胆が気に入らないので、この手の依頼には第一種警戒体制で望まざるを得ない。

プライドの欠如なんだろうか。突撃実験室如きのサイトに、かの某出版社からメールが来るようでは雑誌も先が見えているような気がする。商業誌には書けないようなことが、ともすれば個人のウェブサイトで詳しく書かれているご時世、Google とお友達しても得られないような新鮮で専門的な情報を掲載しない限り、商業誌なんぞに明るい将来はない。それをよそに、ウェブからせっせと集めたネタの転載で済まそうという痛い姿勢は、その雑誌が終末に向かって着実に突き進んでいる証左であるとしか思えない。ウェブで読めるような記事を、金を払って商業誌で読まされる読者も堪ったものではないだろうし、爺さん婆さん向けの雑誌ならまだしも、無線とか電子工作といった話題を扱う雑誌を読むような人なら、大方は検索エンジンの使い方ぐらい心得ていることだろう。

ところで、さすがに「原稿料よこせ」という素っ気ない返答に、肯定的なレスポンスが来ることはないだろうと思っていたら、意外なことに「では通常の原稿依頼で」という返答があったのだ。言ってしまった手前、嫌だというわけにもいかなくなり、かといって突撃実験室に掲載している記事をそのまま使うことも憚られるので、依頼があれば雑誌用に加筆修正して送る意思があることは伝えた。実際にそうなっていれば、この話がネタになることはなかったことだろうが、待っていても依頼もなければ断りの連絡もなく、こっちから敢えて連絡するつもりもないので、もうこいつはダメだと見切られたのだろう。かなり硬派な雑誌をいくつも出している某出版社さんは個人的に好きだし、期待もしているだけに、転載依頼みたいなメールが来ると、余計に大丈夫かいなって思うねえ。



おめでとう
2002年3月17日(日曜日) はれ

結婚披露パーティの会場に到着し、友人である新郎と顔を合わせて一言目に出てきた言葉が「ホントに来たよ・・・」「しかもマトモな格好で・・・」ときたものだから、結構なご挨拶ではないか。身なりも態度も平素は不真面目を極めているためか、たまにこういう場面で真っ当な格好を見せるとまず間違いなくそういうリアクションを招くようである。当人ですら、礼服なんぞ着用した自分の姿を鏡で確認し、凶暴なまでに似合っていないなと思うぐらいだから、それもやむを得ないことだろう。服装もさることながら、慣れないことはやっぱりするもんじゃない。何ヶ月ぶりかに酒を飲んだら酷く悪酔いしてしまい、完全に醒めたはずのいまでも微妙に頭痛が残っている。奈良漬けで酔う人間に、シャンパンやワインは危険すぎるようだ。

喩えるなら、ついいじめてみたくなる懐こい柴犬のような人柄、というのか。良い意味でどこか投げやりな、飄々とした言動をもって誰にでも癒しのオーラを与えてくれる寵児ことしゅうくんも、美人のお嫁さんを傍らに据えて、今日はとっても格好よかったよ。結婚なんて永遠にあり得ないのではないかと思われるわたしにとっては、うらやましい限り。いきなりマイクを向けられて咄嗟に気の利いた言葉を言えるほど器用な人間ではないから――これとてぜんぜん祝いの言葉になっていない気もするが――こんなところでコメントしておこう。おめでとう。



ネタの作り方
2002年3月16日(土曜日) くもり/はれ

すげえデブねこ発見。図体がでかいだけあってか、こいつは肝が据わっていた。大接近しても逃げず、触っても嫌がらず、おまけにカメラのフラッシュに驚かない、と三拍子揃ったにゃんこはなかなかいないぞ。前にも書いたが、ニコン Coolpix 990 のAFはいまいち出来が悪い。かの写真のように周辺照度がほぼゼロの環境で撮影すると、ほぼ間違いなくアサッテの場所に焦点が合う。そこで、ニコンさんに要望したいのだ。次に発表されるデジカメには、「ねこ優先AF」を搭載していただけないだろうか。ねこと思しき形状のものを発見したら、必ずそことの距離に焦点を合わす機能を、ぜひ搭載していただきたい。

こんなものを毎日書いていて、よくネタが尽きないなと言われたりすることがあるので、その辺の事情について記しておきたい。結論から言うと、書き始める前から何らかのネタがある日の方がむしろ少ないので、そういう意味ではネタは常に枯渇していると言える。だから書くことなんて、その都度その場でっち上げるもの。手始めに、取り敢えず何でも良いからぼやきみたいなものを書き始めると、そのうち話の方向が固まってきてネタらしきものが浮上してくるのだ。あとは話を適当に膨らませて最後に適当な結論をくっつけ、導入として書いた余計な部分を消すと、だいたい形になってくれるようだ。もちろん常にセオリー通りにいくわけではないけれど。。



日韓トンネル?
2002年3月15日(金曜日) 雨→はれ

久しぶりにねこと睨めっこ。どこに隠れているのかは知らないが、寒いあいだは、いつもいるにゃんこの姿がほとんど見られなくなる。最近はちょっと暖かくなってきたからか、また色んなところでにゃんこの同時多発日光浴がで発生するようになった。ところで、にゃんこの目線の高さでにゃんこの写真を撮っていると、どうしてであろうか、そこはかとなく道行く人々の視線を感じるような気がするのである。にゃんこの写真よりも、にゃんこの写真を撮っているお前の写真を載せた方がウケが良いのではないかと、友人に言われたりもした。どうしてであろうか。

日韓トンネル計画なるものを見付けた。ネタじゃないのかと思ったが、どうも大まじめのようだ。本気でこんなものを作るつもりなのだろうか。日本列島を分離している海峡を、橋やトンネルで繋ぐのならまだ分かる。極端に距離が離れているわけではないし、同じ国内だから人や物資の交流もそれなりにある。しかし、それでも利用者が伸び悩んでいたりするのだから、韓国まで繋げるような話になってくると、単に使うべき交通手段を間違えているだけだとしか思えない。ここまで壮大でないが、必要性からというより、オナニー的に計画されたとしか思えない海峡連絡計画は、各地で進められていたりするものだ。東京湾アクアラインの利用者伸び悩みに懲りることなくもう一本作ろうという東京湾口道路のほか、伊勢湾口道路紀淡海峡ルート豊予海峡ルートなんていうものもあったり。



SFは魚の肝?
2002年3月14日(木曜日) はれ

最近は作家が個人でウェブサイトを持ったりするようになり、たまたま何かでそのサイトを見てその人の本を買ってみることがある。作者の素性が何一つとしてつまびらかになっておらず、一体どういう人間がどういう考えに基づいて書くとこんな内容になるのだと首をかしげながら読む小説もそれはそれで面白いが、作者の人間像が読む前から多かれ少なかれ分かっていると、またちょっと違う読み方もできるものだ。少し前に感想を書いた「私と月につきあって」もその一例で、著者である野尻抱介氏のサイトを見ていたら、何となく興味が沸いてきたのだ。

どこでだったかは忘れたが、宇宙開発を推進するためにSF作家としてすべきことは、作品の中において宇宙の素晴らしさを伝えること以外にあり得ない、みたいなことを述べておられたからである。確かにそれは一理あると思う。たとえば、宇宙作家クラブのサイトの末尾に書かれた「ごあいさつ」を読むと、頷ける点もあるのだ。しかし、30年前ならともかく、いまさらSF作品ごときにそんな大それたことができるのかという疑問もある。きっと、そうした立場の具体的な現れである作品が大風呂敷なのかどうかを検証しようというノリで、あの感想文らしきものを書いたからだろう。いまになって読み直すと、書いた当人でさえ書評にしてはえらく話が飛躍しすぎているなと思っていたりして・・・。

わたしがあくまで「SF嫌い」ではなく「SF食わず嫌い」という立場を取るのは、食わず嫌いには嫌いと思っているものを試しに食べてみる可能性が残されているから。あくまで試しなので、その可能性が発動されて敢えてSFを読むときは、だいたい初めから反駁を加えるつもりで読んでいたり、どうせ下らないだろうと決めてかかって値踏みするように読んでいたりするのだが、そんなつもりで買った本が思いのほか楽しめると、それはちょっとした発見だ。これまでに読んだことのあるSF作品の意味不明さや下らなさによって蓄積された、SFがナンボのもんじゃい! という明らかな嫌忌は根深いが、一方で、だったらどうしてSFは滅びないのか? という、一種の興味と期待を伴った疑問もある。

そんなことを考えていたおり、ハヤカワの目録に名を連ねる方からここにリンクを貼っていただいたことも何かのご縁だろう。米田淳一著「エスコート・エンジェル」を買う。



LED化
2002年3月13日(水曜日) はれ

以前に、車の灯火類を LED化するとかしないとか書いたりしたが、取り敢えずやりやすいところから着手しようということで、番号灯の電球を白色 LEDに置き換えてみた。純正の番号灯には、平たい電極をソケットに押し込んで使うウエッジ型の電球が使われている。この電極部分の厚さが 1.6mm厚の基板よりも僅かに大きいという事実が幸いし、改造は極めて簡単だった。基板を適当な大きさに削り、スズメッキ線の電極を取り付けてから LEDと抵抗を乗せるだけで、元の電球とほぼ同じ寸法のものが完成する。ランプのASSYをバラすとかなると、かなり面倒くさい作業になるから、こうでなければならない。さて、交換後の効果と感想については、そのうち詳しい製作記録(大した内容ではないが)とともに別ページにまとめる予定である。

次はウインカーをやってみたいと思って、HPのやたらと高い橙色の高輝度 LEDを何発か買ってきた。簡単に実験してみた結果、ウインカーは一筋縄ではいきそうにないなという印象を得た。番号灯は局所的に明るくなればいいので、電球と違って指向性の強い光を放つ LEDはむしろ適した光源と言えるが、あらゆる方向からの視認性が求められるウインカーでは光を拡散させなければならず、ここの辺で工夫が必要となってくる。参考になるものとして、LEDを光源に使ったウインカーをドアミラーに仕組んだ車種が一部にある。数個の LEDでかなりよい視認性を実現しているが、あれはリフレクタやレンズを凝ったものにした結果だ。実験用に買ってきた LEDも、レンズの向いている方向には眩しいぐらいの光を放つのだが、周囲は真っ暗だ。必要個数から考えても、電球置き換え型は、まず無理だろう。

ぜんぜん関係ないが、物体を白色 LEDで照らすと、どんなものでも何となく良い感じの雰囲気に見えたりする。レンズにもよるが、一般に光軸の角度が狭いので局所的に明るいところができるうえ、電球などよりも影が綺麗に付くからだと思う。薄暗い環境光のなかで、一つの物体を特に強調したようなマクロ写真を撮影するときに、光源として使ったら面白いかも知れない。橙色の LEDは、わたしの大好きな黄金糖を彷彿とさせる。いや〜、やっぱりLEDは良いわ。



ニッケル乾電池
2002年3月12日(火曜日) はれ

秋葉原で買い物をしていたら、ニッケル乾電池(東芝電池製)なるものが目にとまった。NiCd や NiH などの二次電池ならいくらでも見たことがあるが、ニッケル乾電池とは、初めて聞く種類の電池である(あとで調べたら、今月発売されたばかりの GigaEnergy という新製品だった)。ならば使ってみないわけにはいかないし、なんといってもパッケージに書かれた「デジタルカメラでアルカリに満足できない方へ」「デジカメ専用」「アルカリより長持ち約5倍」といったセンセーショナルな文句が興味をそそる。購入価格は、4本で 680円だった。アルカリ電池と比べれば高価だが、本当にアルカリの5倍も使えるのなら、電力単価はかなり安いといえる。長持ちがウリの乾電池として、以前にリチウム乾電池について書いたが、あれが普及しないのは 4本で1,500円という価格ゆえだろう。それと比べれば、680円は、かなり挑戦的な値段だ。

背面の能書きによれば、気温25度時における連続撮影枚数は、アルカリ電池使用時の約5倍とされている。また、低温時の特性が優れていることもうりとなっており、気温0度のときにはアルカリ電池の17倍も撮影できるという。寒冷地仕様を強調するのは、デジカメがスキー場などの寒い屋外でも使用されうることを意識してのことだろう。一般に電池は、温度が下がれば下がるほど性能が落ちる。一方、注意点としては「比較的消費電力が小さい機器でのご使用では、使用持続時間が従来のアルカリ乾電池と変わらない場合もあります」と書かれている。このことからすると、容量をでかくすることよりも、放電時の電圧降下カーブを改善することで持続時間の延長を図っているのかも知れない。たとえ同じ容量の電池でも、放電とともに電圧がだらだらと下がってゆくものは、デジカメには適さない。大きな負荷でも、使い切るまでは公称電圧に近い電圧を維持し、最後に急峻な落ち方をするものが良い。

さて、パッケージに書かれているのはあくまで「連続撮影枚数」であって、現実にそんな方法で使用することはない。昨日デジカメに入れたてみたばかりなので、まだ実使用上の性能は評価できないが、なくなったら書くつもり。



リメルト
2002年3月11日(月曜日) はれ/くもり

電源周波数について書いたら、蛍光灯は100Hzか120Hzで点滅しているのではないかというご指摘をいただいたが、言われてみればその通り・・・。失礼しました。見えるとすれば、交流を全波整流したような波形になるかな。しかし、関東に来た直後は蛍光灯がちらつき気味に見えたのは事実で、電車で動いているときに横目で見るとか、見方によってはそのぐらいでも見えてしまうことがあるのかも。

ちょっと古い話だけど、雪印が古くなった社内用バターの賞味期限を新しく書きかえて製品に使っていたことが明らかになり、槍玉に挙げられたことを覚えているだろうか。雪印ではないが、業務用マーガリンの製造工場でアルバイトをしていたときに、わたしはこれに近い仕事に従事していたことがある。併設された冷蔵倉庫の中には、売れ残ったマーガリンが積み上げられていた。わたしの仕事は、この在庫の梱包を解き、一個ずつ包み紙を剥がす作業だ。これをどうするのかというと、新たに製造されるマーガリンに少しずつ混ぜて使うのだ。賞味期限内であったかどうかは覚えていないが、再利用に回すものは、比較的新しい在庫だけで、古いものは当たり前だが廃棄していた(こっちは嫌な仕事だった、腐ったり黴びたりしているマーガリンとかを処理するのだから)。

再利用の方法は至って単純で、事前にまとめてせっせと包み紙を剥がしておいたマーガリン数キロ分を、原料の攪拌タンクに放り込むだけ。確か、こういう再利用のことを総じて工場内では「リメルト」といっていた(re-melt = 再溶解かな)。在庫の処分のほかにも、製品として使えないものはほとんどリメルトに回す。新しく製造されたマーガリンでも、包装機(パイプを圧送されてきたマーガリンがむにゅっと出てきたかと思うと、景気のいいエア音を響かせながら長方形に整形して包装紙で包むまでの作業を瞬く間にやってしまう、つい見とれてしまう機械だった)に通す際に形が崩れることもあれば、端数が出たりして売れないものが出てくる。時には箱詰め作業中のミスで床に落としたりもするが、そんなものも、すべてリメルト行きだ。

そういう使い方をするのかという発見はあったが、このことに疑問を感じたかというと、そんなことはない。そうやって新たに製造されるマーガリンについては、白衣を着用した、いかにもオタクっぽい雰囲気を漂わせる品質検査課のおねえさんが、いつもサンプルを採取しにきていた。最終製品の検査において、品質の基準を満たしている限り、何が混ざっていようが合格は合格である。だから、それはそれで良いのだ。だが、その規定が甘い可能性はないのか? というと、検査内容までは知らないが、その可能性はあったかも知れない。同じ工場内では、ある大手油脂会社の名前で販売されるマーガリンの委託生産も行っていた。この製品のタンクにのみ設けられていたリメルト禁止規定は、いつも厳密に守られていた。



電源周波数
2002年3月8日(金曜日) はれ

この時期になると、職場のわたしの机にだけ東側の窓から西日が思いっきり当たるという奇妙な現象が起きる。ほとんどの窓にはブラインドがかかっているのだが、非常口となっているため日除けのない窓一つだけある。そこから、容赦のない日差しが射し込んでくるのだ。通常、東から西日が当たることはありえないのだが、わたしの働いているビルの斜め向かいに、極めて絶妙な角度で西日を反射するガラス張りのビルが新しく建ってから、こんなことが起きるようになった。だが、ビルの窓に反射した光芒が決して大きくない窓を通過し、しかもそれがわたしの目を直撃するという現象は、太陽も絶妙な位置に来ない限り発生しない。東から射し込む迷惑な西日に困らされるのは、3月上旬の17時30分ごろから長くても10分間ほどである。

耳では20キロヘルツぐらいまでの音が聞き取れることを考えると、人間の目の周波数特性は恐ろしく悪い。目で見て「点滅している」と認識できるのは、せいぜい50〜60ヘルツが限界だそうで、これよりも速い周期になると連続的に点灯しているように見てしまう。この周波数はちょうど商用電源の周波数と一致するため、特性のよい目をお持ちの方なら、蛍光灯や水銀灯のちらつきが何となく見えてしまうことがあるかも知れない。わたしの目には、60ヘルツは無理でも50ヘルツだと微妙に見えてしまうことがある。そのため、60ヘルツ地域である大阪から、50ヘルツ地域の横浜に引っ越してきたときは少し気になった。夜の電車で窓の外を横目で見ると、流れてゆく街灯の光がどれもちらついて見えてしまうのだ。すぐに慣れてしまったが、大阪ではなかった体験だ。

電源周波数の境界をまたぐ引っ越した方で、周波数の違いを「体感」した方はないだろうか。あるいは、県外の通勤通学で毎日またいでいるとか。



私と月につきあって
2002年3月7日(木曜日) はれ

野尻抱介著「私と月につきあって」を読む。

富士見ファンタジア文庫の発刊とあってか、いかにもって感じのヤングアダルト的な要素も少なくはないが、本質はハードSF。日本とフランスの共同プロジェクトで、月面探査をしにいくという物語である。しかも、月へ行く宇宙飛行士は全員が世界的アイドルのかわいい女子高生たち。こんな紹介をすれば、きっと十人中九人は低俗な商業主義的打算だけが満載されたありがちな駄本に過ぎないだろう、どの辺がどうハードSFなのだと見放すに違いない。だが本書は、ともすれば胡散臭いとさえ感じられるこんな設定を違和感なくハードSFに入れ込み、そして巧妙に活用している。小説では、女子高生が宇宙飛行士となった理由として、ロケットで打ち上げるペイロードの質量を少しでも削減するには小柄な少女が適格であったと説明されているが、それが真の理由でないことは明らかだ。

平凡な女子高生が宇宙へ行く。その過程ではつまらないいざこざもあるし、宇宙への冒険にはそれなりのリスクも伴う。しかし、純粋な心とともに宇宙へ行けば、数々の素晴らしい発見があるのだ、ということを前面に押し出して、気軽に読めるようにまとめた点で、わたしがこれまで接してきた(面白いとは思えなかった)SFとは一線を画すものがあった。ちょっと強引だったり非現実的だなと思える展開もあるし、特にラストの部分などは、はっきりいって取って付けたようで説教臭い。しかし、宇宙に興味のない人に、その素晴らしさを具体的に説こうとする本書の積極的な試みは評価したい。なぜ宇宙へ出て行こうとする必要があるのか。あと少しで地球が人の住めない星にでもなるなら分かる。でも、そんな必然性がどこにあるのか。いや、そうではないのだと、本書は訴える。

だが、各々の要素は具体的なものであるにせよ、宇宙は素晴らしいと情に訴えるだけで説得は成功するのだろうか、という疑問は残る。仮に、宇宙開発を積極的に行うことの是非が問われ、好き者が勝手に盛り上がっているだけではないのか、という批判があったとしよう。これに対して、関係者は的確に反論できるのだろうか。「それでも我々はこれをやらなければならない」と世論を説得できるほど、宇宙開発の意義について「普通の人々」の理解を取り付けているのだろうか。いつか、地球以外の場所に人類を住まわせたい、だからできることからやろうという姿勢は素晴らしい。しかしもしそれが、宇宙に思いを馳せる好き者による、研究開発の名の下に夢を具体化する試みでしかないのならば、宇宙へ行かなくても何ら問題はないと考える人間の前ではあまりにも儚い。

わたしは、どちらかといえば後者に属する人間だ。宇宙が素晴らしいという見解は了解できる。しかしそれならそれで、素晴らしいからといって宇宙へ行かなければならない根拠も同時に挙げていただきたいと真面目に思ってしまう。もちろん、まったく興味がないわけではないので、誰かが宇宙へ行こうとするなら、暖かく見守りたいとは思う。しかし、自分自身が宇宙に対してワクワクするものを感じるわけではない。もしも、なにも知らない人に宇宙がどういうところなのかを明らかにする必要はあるとしても、たとえば宇宙への興味は人類に共通するファンダメンタルなコンセンサスであるといった理由で、それが宇宙開発に繋がる理由についてまで説明する義務はない、ぐらいに考えている宇宙開発の関係者がいるとすれば、それは単なる傲慢というものではないか。

アイドルがいればそんな態度も許されようが、現実にはいないのだから。



郵便用語辞典
2002年3月6日(水曜日) はれ

とある人からネタとして提供されたもの(編纂・文責は多事毒論)。既に誰かが作っていそうで意外と検索で引っかからなかったため、作成することになった。

郵便用語辞典
分類 単語 読み 意味
用具 機動車 きどうしゃ いわゆる赤カブや赤色の軽自動車など、車輌のこと。「気動車」ではない。
ボテ箱 ぼてばこ 郵便物を保管する箱のこと。主として機動車などに取り付ける赤いキャリアボックスのことをいうが、関西方面では、局内で行う仕分け作業に使う箱のこともこう呼ぶ場合がある。
人事・部署 本ちゃん ほんちゃん ゆうメイトなどではない、本務者職員のこと。
課代 かだい 課長代理
一集 いっしゅ 第一集配営業課
二集 にしゅ 第二集配営業課
特殊取扱 トメ とめ 書留の略称。書留の数詞は「本」であり、「一本」「二本」と数える。
ソク そく 速達の略称。速達は手渡しが原則。Webmaster 宅を受け持っている横浜港局みたいに、在宅しているにも関わらず郵便受けにぶちこんで帰る場合は、どんどん文句を付けるといい(強く言ったら改善された)。
ソクトメ そくとめ 速達書留。
ゲントメ げんとめ 現金書留。ゲントメの扱いは特に慎重で、予め封筒のコピーを取ってから配達しているらしい。
留帳 とめちょう 書留授受簿。書留の取り扱いを記録したもの。
特送 とくそう 特別送達。裁判所から発送されるお手紙である。その性質上、厳格な取り扱いが要求されるため、あまり扱いたくない郵便物の一つといわれる。
ガラ がら 定形外郵便物。年末に発送されるカレンダーなど、でかいもの。
ヨクアサ よくあさ 翌朝10時に着くモーニング10のこと。
あらもん あらもん 「ガラ」に同じ。定型郵便物と異なり、形状がまちまちで配達しにくいためか、配達員はあまり快く思っていないことが言葉のニュアンスから伺える。
配達・集配 道割 みちわり 郵便物を配達する順序に並べること。また、その順序。
通区 つうく 先輩に付いて、配達箇所の実地研修を受けること。
区分口 くぶんこう 配達区域ごとに小分けされた郵便物を、配達されるときまで一時的に保管しておく棚のこと。
かかる かかる あるところからの郵便物が大量かつ集中的に入ること。たとえば NTTからの郵便物が大量に入ったときは、「NTTがかかる」という。
売れる うれる 書留が配達されることを、「書留が売れる」という。
売れ残り うれのこり 受取人不在などの理由で配達できなかった書留のこと。
取集 とりしゅう 街頭のポストから郵便物を回収すること。
還付理由 あて所 あてしょ あて所に尋ね当たりません」の略。存在しない住所に差し出されたなどの郵便物は、このスタンプが押されて還付される。
転不 てんぷ 転居先不明のため配達できません」の略。移転したあと、郵便局に届けを出さなかった場合、このスタンプが押されて還付される。
転切 てんぎれ 転送期間経過のためお返しします」の略。郵便物が新住所に転送されるのは転居届けを出してから1年とされているので、その期間が過ぎるとこのスタンプが押されて還付される。1年後に転居届けをもう一回出すと……拒否されることはないらしい。
1の人 還付理由のスタンプには、扱い者の印を押す欄が二箇所ある。そのうち「1」と書いてある欄には、実際に還付理由のスタンプを押した直接の担当者が押印する。
2の人 「2」と書いてある欄には、その郵便物の取り扱いに責任を持つ者が印を押すことになっている。誤還付を防ぐための二重チェック体制だが、実務上「1」の人がハンコを借りているだけ、なんてこともあるとかないとか。
郵便事故 誤配 ごはい 郵便物を、誤ったところに届けてしまうこと。
誤還付 ごかんぷ 配達されるべき郵便物を、誤って送り主に還付してしまうこと。
誤転送 ごてんそう 転送する郵便物を、本来転送されるべきところとは異なる住所に転送してしまうこと。
3誤 さんご 特にあってはならないミスとして、誤配・誤還付・誤転送をまとめて「3誤」という。
要注意 注意喚起カード ちゅういかんきかーど よく似た住所によく似た名前の人が住んでいるなど、特に誤配の可能性が高い配達先について注意を促す事項が記されているカード。区分口に入れられる。黄色なので、通称イエローカードとも呼ばれる。
誤配注意カード ごはいちゅういかーど 誤配の苦情が入れられているところなど、特に注意が払われるべき配達先の情報が記されているカード。同じミスを何度もやり、お詫びに伺う羽目にならないよう、このような対策が取られる。区分口に入れられる。赤色なので、通称レッドカードとも呼ばれる。
始末書 しまつしょ 誤配が多い、配達中にバイクで事故る、郵便物紛失、といった不始末のあとに待っているモノ。
その他 郵便体操 ゆうびんたいそう 郵便職員専用のラジオ体操みたいなもの。郵便局の仕事というサイトに、それを録音した MP3がある。
高○憲△ こう○けん△ 郵便局内においては最もタブーとされている人名の一つらしい。



強震計
2002年3月5日(火曜日) くもり

お散歩していたら、歩道脇の空き地にぽつんと置かれているフェンスで囲まれた怪しげな装置を発見した。なんだろうと思って、フェンスに針金で括り付けてあった銘板を調べてみると、それは横浜市が独自に設置している強震計(地震計)だった。装置は、そんなに大きいものではない。1メートル四方ほどのコンクリート製の台座に乗せられており、FRP製っぽい白いカバーが上から被せられている。この中に観測装置や伝送装置が入っているのだろう。カバーの脇からは、ケーブルが通っていると思われるエフレックス管が伸びてきて地下に埋まっていた。横浜市が高密度強震計ネットワークという独自の観測網を構築していることは知っていたが、実物を見たのは初めてだ。市内とはいえ、人通りのないこんな道端に設置して、いたずらされることはないのだろうか。

ちょっとブレ気味だけど、ジンチョウゲ。これが香ると、もうすぐ春だなって感じになる。う〜ん、しかし曇った日の夕暮れに花のマクロ写真を撮るのは難しいなあ。



海ほたる
2002年3月4日(月曜日) はれ

日曜日は友人らと千葉へ行くことになり、久しぶりに東京湾アクアラインを通ってきた。普段から使うことはないが、まだ通ったことがないという人がいたら、話のネタがてら純然たる観光目的で行ってみたりする。横浜から行くと、首都高速湾岸線で分岐したあとには東京湾の地下を貫く11キロほどのトンネルが間口を広げている。直線で幅員も広く、とても走りやすい道路だが、法定速度を超過する気にはならない。延長15キロそこそこの道路で 3,000円の料金を払っているわけだし、道路自体が観光の目的みたいなもの。すっ飛ばしてすぐに終わってしまったら勿体ないからだ。長いトンネルを抜ければ、東京湾の真ん中にある人工島としてすっかり観光名所の定評を得た海ほたるパーキングエリアが待ちかまえている。

普通のパーキングエリアなら必ず止まっていそうな、休憩中のトラックなんてどこにも見当たらず、代わりに大型車の駐車スペースを占領しているのは、日本各所からやって来た観光バスだ。ここはバスツアーの定番観光コースなのだろう。この日も、アベックや家族連れのほかに、いかにもバスツアーに参加しそうな初老のオバサマやオジサマで賑わっていた。海ほたるパーキングエリアにほかの道路と違って Uターンが可能で、道路施設を観光するためだけにきた車のために専用の料金所まであったりする。パーキングエリアを観光名所として積極的に活用する姿勢はいいが、そうでもしないと(してさえ)通行者の増えないテーマパークみたいな道路を一兆円以上もかけて作ったのかと思うと、無駄と言わざるを得ない。

海ほたるパーキングエリアから木更津の間は、海上に架かる橋で繋がっている。ここを走っているとき、ふとこんな会話が出た。東京湾の真ん中に突然出現した人工島である海ほたるには、どんな住所が付いているのだろうかと。関空や、沖ノ鳥島にさえ住所はあるから、何らかの住所はあるはずである。調べてみると、あそこの住所は「千葉県木更津市中島地先海ほたる」。立派に 292-0071なんていう郵便番号まであったりする。木更津市において、アクアラインが上陸する付近の地名が「中島」なので、その地の先にある「海ほたる」という意味だろうか。ここの住所を本籍地の転籍届けに書いて役所に出したとしても、受理されるだろう。運転免許証の本籍欄に「千葉県木更津市中島地先海ほたる」なんてのはどうだろうか。



電池
2002年3月1日(金曜日) くもり

デジカメに使っているニッケル水素電池の持ちが極端に悪くなった。どのぐらい悪いかというと、充電したての状態でも、デジカメの電源を入れると一瞬で切れてしまうような感じ。別な言い方をすれば、お亡くなりになったというわけだ。取り敢えずテスターで開放電圧を測ってみると、4本セットのうちの1本で、良品なら 1.2ボルト程度はあるはずの電圧が 0.6ボルト程度しかない。ちょっと危険だが、電池に安定化電源を繋いで極端な電流を流してみたところ、少しは復活してくれた。デジカメに入れてみると、一瞬で終わっていたものが10秒ぐらいに延長されたから、時間比率から考えるとかなりの復活ぶりだが、使い物にならない点では変わらない。悪あがきしてもダメなようで、結局破棄することに。

電池は2セット持っており、セット1を充電している間はセット2を使い、セット2を充電している間はセット1を使うという具合に、交互に使っていた(混ざらないよう電池に番号を書いてある)。ダメになった電池が含まれていたのは、このうちあとから買った比較的新しい方で、生きているあいだに充放電サイクルが何回ほど繰り返されたのかは、いちいち数えていないので分からないけれど、100回も使っていないだろう。いままで使ってきた二次電池のなかでは、かなり短命だった。たまたまハズレだったのか、それとも別な原因があったのかは良く分からない。あるいは、デジカメのような巨大な負荷に使われると、こういう寿命が短くなってしまったりするのだろうか。

今のところ生きている電池も、なんだかえらく持ちが悪くなった。少なくともわたしのデジカメは電池電圧にシビアなようで、ほかの機器ならまだ使えるやや古めの電池でも、デジカメに入れると電池切れでさようならしてしまう。これでは、必然的に浅いサイクルで充放電が繰り返えされることになり、いわゆるメモリー効果みたいなものも無視できない問題となるケースかも知れない。ニッケルカドミウムやニッケル水素はメモリー効果があるから使えないと頭ごなしにいう人もいるが、わたしはあんまり気にしたことがなかった。なぜなら、昔から「2セット常備」が標準なので、肝心なときの電池切れを恐れて継ぎ足し充電を行う必要もなく、完全に使い切ってから充電していたからだ。

しかし、完全に使い切らないうちから「電池切れ」になってくれるデジカメのような機器が負荷である場合、放電器みたいなやつを使った方がいいのだろうかな。面倒くさいので勝手に放電してくれる充電器があれば良いのだが。



突撃実験室