多事毒論(1999年4月分)


インプレス
1999年4月30日(金曜日) はれ@大阪

先日、ある種のフリーソフトを探していて、インプレスの「窓の杜」へ行ってみたが、ここはいつ行っても気分が悪い。窓の杜は多くのフリー・シェアウェアの作者から嫌われているようで、わたしは作者ではないが、その気持ちは何となく理解できるのだ。何が悪いかというと、各ソフトの紹介として書かれた文の低レベルさだ。客観性に欠ける紹介文を並べた挙げ句、何様のつもりなのかは知らないが、ソフトを評価して何が良いとか悪いとか書かれているが、それは紹介文ではなく、個人的な感想というものだ。いわゆる紹介とは区別されるべきであろう。

そんな中の一つに、「フリーにしてはよく出来ている」というような文があり、ちょっとむっとしたので、こういうことを書いている。よく出来たフリーウェアが存在するのがそんなに不思議なことなのか、それともよく出来ているものはフリーではなくシェアウェアにするべきだと言いたいのか、あるいは、所詮フリーウェアに使えるソフトなど存在しないという固定観念でも持っているのか。真意はどうだかしらないが、いずれにせよどれもが間違った認識であることは、わたしがここで理由を述べる必要のないことだろう。

そんなタコな紹介文にウンザリとした作者の方は、窓の杜には抗議のメールを出したり、ソフトの掲載拒否を行ったりしているそうだが、鈍感なのか、昔からあの嫌な雰囲気は変わる様子は無い。インプレスの看板を背負っているというだけで沸いて出てくる過剰なプロ意識がそうさせるという説もあれば、窓の杜という大舞台でソフトを配ってやっているんだという殿様的な感覚があるという話も聞く。どういう意識であのサイトを作っているのかは知らないが、天狗になっているのは明らかだし、ソフトを作っている側は決して良い気分にはならないと思う。

窓の杜に限らず、大手出版社のパソコン雑誌には、内容がいい加減だったり、読んでいるとムカついてきたりするような記事が時々載っているのはご存知の通りだろう。特に、題材が自分の詳しい分野の話だったりすると、大した知識も無いくせに知ったかぶりで書いた記事は、読めば大方そんなところだろうと検討が付く。表面に触れただけの話を、いかにもそれっぽく書いたりする技術はあるのだろうが、全体として厳密性に欠けていたり、要所に根本的な認識間違いがあるのに「〜である」などと言い切り調で書くのだから大したものだと思うこともある。

わたしは、プロでは無いながらも、一応モノ書きのようなことはこのようにやっている。そんな自分はどうかというと...正直なところ、わたしも知ったかぶりで書いていることもある(そうでないと書けないこともあるし)。ただ、自分の知識に自信の無い点については、出来る限り断定的に書かないようにしているのも事実。「〜と記憶している」とか「〜らしい」という書き方をしている文は、大方そんなところなのだ。理科系の文を書くとき、そのような文は責任回避なので書くべきではないと言われることだ。確かに、責任回避でもあるのだが、敢えてその辺を無視しているのは、自分なりに自信のあることと無いことを区別する意味もあるし、読む人に対する「それは間違っているかもしれませんよ」という合図でもあったりする(これが一番の責任回避だったりして)



10代お別れパーティー
1999年4月29日(木曜日) はれ@大阪

少し遅いが、今日は10代お別れパーティーの日である。なんか知らん間に20歳になり、それを祝って(憐憫の意も込めて?)友人宅で朝まで飲み会という寸法だ。嬉しいような悲しいような、そうやって区別されるということが、もうジジィであることの証左なのかもしれない。でも、集まってる人間は、いわゆる「濃ゆい」人々ばかり。そんな人たちに囲まれながら、今日は持参したノートパソコンでこれを書いている。

なんか知らんが、横で大江健三郎の話をしながらラーメンを啜っている人間が約二名。わたしもラーメンが食いたくなってきたので、この辺で...



何となく大阪
1999年4月28日(水曜日) くもり?

仕事を終えてから、何となく大阪に来てしまった。というより、京都に用事があったといった方が正確かもしれない。新横浜から新幹線に乗り、2時間半ほどの我慢。しかし、席でじっとしているのがまた辛い(イライラしてくる)。その対策として、ファンタジー小説なんぞ買ってみたりした。はっきり言って読んで面白いとは思わないのだが、現実から遠く離れた世界でハジけていたり、ぶっ飛んでいたりする展開は、現実から自分を引き離す手口の一つとなり、イライラ解消に役立つ...かもしれない。何せ、イライラしながら読んでいたから。

京都駅に到着すると、駅がやたらとデラックス仕様になっていて驚く。前々から工事をしていたが、良く考えると完成した駅舎を見るのはこれが始めてなのだ。なーんか、妙な構造になっていて、やたらと天井が高く(というか、無い?)、吹き抜け構造になっている。その空間に各階が、適切な言葉が浮かばないのだが、「浮遊」するように作られ、何本のも長いエスカレータで繋がれているという感じ。どことなく、SFのスペースステーション的な印象を受ける。

どう考えても意図的に人間を迷わすように設計されたようにも思え、たぶん、高所恐怖症の人は嫌がると思う -> その写真

それから飯食って、極めて高濃度な話を展開し、午前1時30分実家到着。焼き肉ご馳走様でした>関係者。



更新報告
1999年4月27日(火曜日) くもり後はれ

連休前の更新スペシャルということで、今日は実験ネタをもう一発

もっとも、突撃実験室は休日になると訪問者数が伸び悩むので、更新は平日に行った方が良いのであろう(明日は平日だからOKね)。特に日曜日に見に来る人は少なく、平日の6割程度に止まるようだ。時間帯別で見ると、平日のお昼休み時間(12時〜13時)が一番アクセス数のピークだ。次に多いのが、当然ながらテレホーダイ時間の23時頃。自宅から見られている方よりも、職場や学校からご覧の方が多いようだ。

今日は何となく疲れたので、そろそろ寝ることにする。明日は明日で「連休前にはやりますから」と約束しときつつ、実はまだ着手していないお仕事があったりして、そういうものを片づけないといけない。暇な時にぼちぼちとやっておけば期限前に慌てなくても良い物を、と良く言われるのだが、期日という甚大なパワーに背中を押されないと動かない性格は昔から変わらない。

夏休みの宿題なんかも、(まだ提出していた頃は)8月31日以降にやり始め、最初の授業の日を目標に仕上げていたのであった。まったく、期限が迫らないと本腰にならないなんて、悪い子だねえ。



うんもぉ
1999年4月26日(月曜日) くもり後はれ時々薄曇り

掃き溜め写真館の更新が鈍くなってきてたので、写真を追加。はっきり言ってゴミ。

今日は月曜日であるため、いつもの通りテンション最低。やる気ゼロ。カフェインの力を借りて今日の毒論を書き上げる事にする。昨日、アキバへいったついでに某ジャンク屋に寄ったら、U字型をした36W電球色蛍光灯とインバータがセットで1000円で売られていたので、つい買ってしまった(たぶん新品)。その蛍光灯は東芝のユーラインというもの。U字管だからユーライン...そのままやん。

蛍光灯だけでもそれ以上の値段はするだろうに、インバータもセットだから、使えるものであれば安い。実は、わたしの部屋の電灯が白熱電球だったりするので、前々から蛍光灯に取り替えようと思っていたのだ。電球は電力の殆ど熱になるため、光として出てくるエネルギーはたった数パーセントである。冬場は暖房代わりと考えて納得出来なくもないが、夏場はエネルギーの無駄遣い以外の何者でもない。

対して、蛍光灯の光電変換効率は30%程度と言われる。従って、色温度などの諸問題を気にしなければ、エネルギーの節約になるというわけだ。特にわたしは夜型生活者なので、電灯の利用時間は長い。白熱灯を蛍光灯に取り替えれば電気代節約にはなると思ってはいたのだが、例えば電球を蛍光灯型電球に取り替えるとなると、結構なコストになる。1個1500円ぐらいするから、4発で6000円...ちょっと考えてしまう値段。

調子が良いなら、電球をこいつに取り替えてやろうかな...



サーバ&連休
1999年4月25日(日曜日) はれ/くもり

このサーバに入っているディスクを少し大きくしようと思っている。今は1.2GBのディスクが入っているが、ちょっと手狭。今日秋葉原へ行ったので6.4GBのディスクを買ってきた。かといって、WWWとMail程度でそんなに使うことはまず考えられないので、別のマシンに入っている2.1GBを入れて、そのマシンに新しい6.4GBをぶち込むのも良いだろう。何にせよ、大した容量は食わないから、そんなモノでよい。

というわけで、その作業のため連休中のいつか(多分5月初っぱな)にサーバを止める予定だ。ミッションクリティカルなサーバにつき、チンタラ作業する訳にはいかないので、旧ディスクのバックアップとデータの移し替え、ついでにOS入れ替えなど全ての作業を数時間程度で終える心構えでいるのだが...どういうわけか、何事も計画通りに行かないのがこのギョーカイの常ってもの。途中で謎な問題が発生したりしてねえ。まあ、愛をもってすれば、どうにかなることだろう。

どうでもよいが、今週前半は出勤なのだ。うう〜、何となく休みたい気分なのだが、春休みは、ほぼ暦通りの29日から翌月5日まで。んなケチ臭せぇこと言わないで、今週は全部休みにしちゃうか、若しくは来月は9日の日曜日まで埋めちゃえよ...というのは贅沢すぎる? いやいや、もしかするとそんな気合いの入ったな休み方になった会社にお勤めの方もいるかも知れない。不況で営業していてもどうせ赤字。ならば一層のこと豪快に休んでしまえ、なんて言う理由なら寒いですけれどね。



スイッチングHUB
1999年4月24日(土曜日) あめ

今日も一日雨だった。休みになると降るのはやめて欲しいね。

先日、うちに新規導入した100Base-TXのスイッチングHUBをバラしてみた。こいつは発熱が激しいためか、中には小さいファンが入っている。実はこのファンが意外とうるさく、ちょっと気になるので、もう少し静かにならないかと思って分解してみた次第。さてさて、金属ケースの蓋を外すと...

基板は2枚に分かれており、一つはHUBの主な部分と、他方がスイッチング電源。中身は至ってシンプルに出来ていて、基板に載っている部品の点数は意外に少ない。目立つものは、QFPなチップが3個だけ。こいつらが殆どの仕事をしているようだ。これらにはアルミのヒートシンクが接着されており、蓋を開けたまま電源を入れてみるとかなり暖かくなる。感覚で言えば、486-33MHzにヒートシンクを付けた程度の暖かさだ。それゆえファンが必要なのだろう。

そのファンはケースにネジ止めされている。ネジを外し、ケースから外して回してみると、静かなもの。しかし、どうもファンの振動がケースに共振しているようで、ファンを少しでもケースに接触させると騒音が出る。試しにウレタンの切れ端をファンとケースの間に噛ませて騒音防止を図ってみたが、改善する気配は全くなかった。ファンが安物タイプなので、元々振動がかなりある。こりゃ、ファンを高級品に取り替えるしかなさそうだ。

パソコンを常時稼働されている方は、騒音に悩まされることも多いだろう。AT互換機に多い、プアな設計のケースに安物のファン、それから高速回転しているハードディスクも騒音の原因となる。しかし、この辺も工夫次第で案外静かになったりする。ファンを振動の少ないものに取り替え、排気口は風を切らないような形状に改造するだけでも結構違う(うちのサーバもそうしてる)。すると、今度はハードディスクの音が目立ってくるのだが、これも取り付け方を工夫してみると意外と静かになったりするものだ。



ミカン〜
1999年4月23日(金曜日) あめ

今日は実験室にこの記事を追加した。

缶詰のミカンの皮が薬品で剥かれていることは割と有名な話だと思うが、それでミカンの缶詰を嫌がる(というか、危険なモノとして避ける)人もいるらしい。その薬品とは塩酸と苛性ソーダであるが、いずれも加工の過程において使われるものであって、製品に残っているものではない。それに、仮に微量が残留していても、健康を害すようなものではないから、恐れる必要はないだろう。

毒性という面では心配しなくても良いが、腐食性という観点から言えば、どちらもヤバイ。苛性ソーダは粒子なので水に溶かさない限り大したことは無いが、塩酸は瓶に入れて保管してあるだけで蓋が変になっていたりして、ちょっとイヤなのだ。蓋を開けた途端、もわーと煙が上がるしね。当たり前だが、これは有害だから吸っちゃいけない。

でも、塩酸の瓶から出てくる煙って、眺めているだけで心が和むのですよ、これがまた。

近くにアンモニアを漂わせておけば、より効果的 :-)



アンカー入れてみた
1999年4月22日(木曜日) はれ

お陰様で、本記事から多事毒論は二年目に突入する。良く続いていると自分でも感心する次第...「今日の一言」と「多事毒論」の全記事を合算すれば、純粋なテキスト量だけでも、1メガバイトを超えてしまっている。まだまだ増えるのだろうと考えると、恐ろしいねぇ。

思いつきで、過去二年分の全ての記事にアンカーを入れた。個別の記事にリンクを張りたいという要望が無いわけでも無いので、それに対応したというわけだ。1年は365日だが、毎日必ず更新してきた訳ではないので、感単位見積もって1年に350件の記事があるとすると、2年で700件の記事が存在することになる。その量になってくると、エディタで記事一つ一つに <A NAME="??"> なんて入れるのはクソ面倒くさい作業なので、なんかいい方法は無いかと考えてみた。

何らかの共通性のある文字列なら sed などで一括置換するという手もあるのだが、困ったことに、あまり共通性が無いのだ。一つのファイルには一月分の記事が含まれているが、更新されていない日もあったり、2回更新されている日もあったりで、統一性がない。その上、アンカーの中には全て違う文字列が入らなくてはならない。機械的に各記事の日付だけを取り出して動的にアンカーを生成するようなスクリプトを作れば良いのだが、そのような能力はない。

かくして、結局は全部手動で埋め込んでいった(勿論、カットアンドペーストなどをフル活用してだけど)。それでも1時間半ぐらいかかって、肩が凝る。一旦出来上がったものに変更を加えるのって、やはり大変なことだ。何事でも、データを蓄積するときは将来性を考えてしなければ、後々大変なことになることは言うまでもないことだろう。

さて、これで多事毒論の個別の記事にリンクが張れるようになった。そのやり方は、以下の通り。

http://www.exp.org/remark/remark_YYMM.html#DD

YYには西暦の下二桁を、MMには二桁の月を、DDには二桁の日付を、それぞれ代入する。一桁の日付などは、頭にゼロを付けて二桁化する。例えば、1999年4月3日の「ネガティブ心理テスト」にリンクを張るのなら、

http://www.exp.org/remark/remark_9904.html#03

となる。都合がいいようなら使って下さい。

でも、手動でダーーーやったので、間違っているところがあるかもしれません。アンカーの記述間違いなどでリンクが張れない記事があったら、修正致しますのでご連絡ください。


1999年12月1日補足:ファイル命名規則変更のため、下記のように変わります。

http://www.exp.org/remark/remark_YYYYMM.html#DD

YYYYには四桁の西暦を、MMには二桁の月を、DDには二桁の日付を、それぞれ代入する。一桁の日付などは、頭にゼロを付けて二桁化する。例えば、1999年4月3日の「ネガティブ心理テスト」にリンクを張るのなら、

http://www.exp.org/remark/remark_199904.html#03

補足以上



人種差別とか
1999年4月21日(水曜日) ほぼくもり

ここのところ疲れているのか、会社から帰ると直ぐに夜中まで寝てしまう日々が続いている。今日も18時過ぎに帰って寝て、起きたら23時過ぎ。18時に帰れるということは仕事が特別に忙しいわけでもなく、それだけ寝る時間があるのだから私事も忙しいわけではない。とすると、何が原因しているのだろう。心身ともにボロボロで、死期が近いのかも知れない。ま、いいや。

どこぞの偽善者大国では、また高校で銃乱射というセンセーショナルな事件があったらしい。手榴弾(お手製パイプ爆弾?)も登場したとのことで、なかなか気合いの入った行動で頼もしいのだ。このような、高校に限らず不特定多数の集まる場所での乱射事件は過去に幾度となく起きているが、その度に思うのは、日本が如何に正常であるかという事だ。こういう事件の発生原因を論じる以前に、結果から言えば狂っているとしか言えないのは疑う余地のない事実であろう。

新聞の記事を読んだ限りでは、この事件には人種差別的なことが深く絡んでいるようだが、同時に人気のある生徒も標的にされたというところが興味深い。新聞がはっきりとしたことを書かないので推測になるが、撃ったのは人種的に優位という妄想を持っている人間ようで、標的とされた側は、(撃った側が)人種的に下位と位置づけているマイノリティのようだ。普通に考えると、差別を受けるマイノリティの方が武力をもって優位な側を殺るのが筋であり、差別する側は、わざわざ手を汚してまで劣等な人種を殺す必要は無いはずだ。

ところが、実際にはそうならず、立場が逆転していることが多いから複雑なのだ。立場的に上だと思われる側が、何かに取り憑かれたように立場の弱い者を虐待する話は少なくない。例えば、白人は黒人が嫌いだから...という構図において、黒人がそれを恨むが故に白人を殺害するのなら理解できるが、白人が黒人に恨みを持つ合理的な理由はあまりないと思う。じゃあ、何でそういうことが起きるのか? それは、裏には(差別する)白人の多大な劣等感と、それによる被害妄想があるように感じる。

マイノリティだけではなく、同事件では人気のある生徒も標的にされたというところを鑑みると、そこには計り知れない嫉妬の念が存在する。人気のある彼らと比較すれば、自分は劣る。すると、何か下劣なものをでっち上げ、自分たちは下劣と設定した者よりも相対的に優位であると思いこむ。しかし、絶対的に見れば自分の立場が上昇するわけでもなく、いずれはそんな考えは破綻し、常に優位であるべき自分の立場が危うくなる。すると、恨みが一気に爆発し、立場の設定に関係した全ての人間を殺るしかなくなるのではないか。

まあ、そんな仮説が成り立つというだけで、当てはまるかどうかは分からないけどね。



うみゅ〜
1999年4月20日(火曜日) はれ

NTTドコモがPDCとPHSの複合端末を出しているが、使えるだろうか? 市街地はピッチで、田舎や高速移動中はケータイでというコンセプトなのだろうが、そこまでする必然性があるとは余り思えない。PDCは町中でも使えるのだし、二種類の契約をするのももったいない気がする。データ通信が早くなるというメリットもあるけどね。普通に電話機として使う人ならば、余り関係ないことだろう。

電話と言えば...昼休みにうたた寝していたらただならぬ気配を察して目を開けたら、水晶体を調整する間もなくCDMA電話システムの仕様書を手渡された。何て言うか、凄いぞこれ。わたしが見てもさっぱり分からんが、1.これを書いたヤツが存在し、2.それを見てシステムを実装するヤツが存在するということから確実なのは、3.毒電波系宗教界において解脱に成功し、人知を遙かに超えてしまった人間が複数存在するということである。

発行元も怪しい。(社)電波産業界...やっぱ毒電波。



誕生日〜
1999年4月19日(月曜日) あめ

営業...ノリが良すぎる人で助かった。

今日は月曜日で、それも雨と寝不足が重なって頭が痛い。会社に一日座っているときは晴れていることが多いのに、出かける時はいつも雨なのだ。それも、一日の行動をより分解して見ても、電車に乗ってるときは小雨なのに降りた途端、雨足が強くなるとはどういうことだ? なんか、お天道様はわたしに恨みがあるように思えてくる。で、そんな雨男ことわたしは20年前の今日に生まれた事になっている。ちなみに、その日の枚方も雨だったとのこと。はぁ。

というわけで、覚えていてくれてお祝い下さった方、ありがとうございます。

かくして、彼女居ない歴も20周年記念となったのだ。嬉しいのやら悲しいのやら、ここまで来ると、どうでも良くなってきたりしてねぇ。というのは単なる自己欺瞞だったりして、売れ残りでも良ければ、誰か女性で欲しい方いませんか...新品です。



更新報告
1999年4月18日(日曜日) あめ

今日はLavalampの続編を書いた。

どうでも良いが、明日は久々に営業というお仕事をすることになった。技術畑に適性があるためか、ちょっと苦手なのだが、仕事だからそうも言ってられない。わたし、特に初対面の人間とは、初対面ながらのお友達感覚でないと会話が出来ないタイプなのだ。だから、相手がノリの悪い人間だったりすると結構苦労する。ただ仕事の話をするだけの、固い雰囲気を保つのはほぼ不可能なこと。

多分、背広は一年ぐらいは着ていないので、埃を払って虫に食われていないか調べてみたりするのだが、取りあえず大丈夫の様子。明らかに似合わないというか、普段の服装から考えると勝手が違って違和感ありすぎと言うか、そもそも誰だ背広なんて物を作ったヤツわ?



「悩み事のイロハ」アニメオタクを検証する編
1999年4月17日(土曜日) くもり時々はれ

悩み事とは何だろう? 人間は生きている以上、誰しも多かれ少なかれ悩みを抱えているのだろうが、不思議なのは、悩み事の多い人と少ない人の二通りしか存在しないという点だ。中ぐらいの量の悩み事を抱えてるという話は聞いたことがないし、悩みが増えるときは増える一方だったり、解消するときは一気に全てが解消したりする。10個あるうち、5個は解決したけれど、残りはまだ、というものではないのだ。

わたしは以前、自分は悩みの塊という自意識があったが、正直言って、最近はこれといって悩んでいることは思い当たらない。そんなわけで先日、ふと今の自分がどうしてあるのだろうと振り返ってみたのだが、よく考えると悩みの多い状態から少ない状態への段階的な遷移などは経験したことがないのだ。すると、例えば人生相談などの回答としてありがちな「何事も一気に解決することはないから、焦らずに」という話は、(どう解釈するかにもよるが)かなり的を外したものとなる。実際に、ある時に一気に解消しているのだから。

何故そういう事になるのかを検証すべく、ここでシミュレーションを行ってみることにする。まず、悩み事の魂胆となる事象を強引に設定しよう。土曜日の夕方6時半から、NHK教育では「カードキャプチャーさくら」が、朝日では「神風怪盗ジャンヌ」が放送されているが、どうしても両方見たいというのは当然の心情であろう(おい)。桑島法子も萌え萌えだが、丹下桜も同じぐらい捨てがたい。しかし、テレビは一つしかなく、同時に両チャンネルを受信するのは不可能。それに、ビデオは既に家族の人間に占領されており、録画することも能わない。

ここで重要なのは、こんな事は悩みの端くれとすら言えない程度の、実に下らない葛藤に過ぎないことだ。いずれかを取捨選択しなければならないが、適当な理由を付けて自分を納得させてどちらかを選ぶなり、チャンネルを切り替えながら見るなり、一層のこと、どちらも見ないという解決もある。何れを選んだにせよ、その場では大変辛い決定を下す必要があっても、あるいは決定後に迷いが残ったとしても、そのこと自体は長期間に渡って尾を引くという類のものではない。

ところが、そんな様子を発見した親に「良い歳になってそんなものを見てるなんて、日本の将来に不安を感じるね」みたいな事を言われたとする。確かに、世間一般の基準で内容を見れば、10歳以下のガキを対象としたアニメであることは明らかなこと。だからといって対象年齢から外れた人間が見てはならないものでもないが、市民権を得ていないのは事実であろう。それに、もし自分がそういうアニメに萌え萌えしていることに某かの後ろめたさを感じていたとすれば、痛いところを突かれたことになる。

親は冗談半分で言ったのかも知れないが、受け取りようによっては「仰るとおり、俺は一体何を見ているのだろう」とか「こんな事をしていて良いのだろうか」とか「アニメオタクから足を洗うべきなのだろうか」という感情を抱くことになる。さらには、それが一般的な自己嫌悪に繋って自分に自信が無くなり、容姿、ファッションセンス、言葉遣いといった直接関係のないようなことまで、ネガティブに捉えるようになってしまう。これが、悩みの始まりなのだ。

しかし、話を分解してみると、悩みの魂胆は「自分がアニメオタクであることに一種の後ろめたさを感じていた」ということに過ぎない。全てはそのたった一点の自信欠如から連鎖的に浮き出てきたことであって、それ以外の悩みは本来なら悩まなくても良いようなことばかりで構成されているのだ。そこで、アニメオタクが良いか悪いかの問題は別として、この例ではアニメオタクを最大限に正当化すれば、他の悩み事も自動的に消えて無くなるのである。具体例を挙げれば、

アニメオタクは世界を救うのだ -> 俺はアニメオタクだ -> だから何が悪い

というぐらいの大胆さで思い上がっておけば、ネガティブに捉えなければならないことは一切無くなるという、非常に幸せな結果をもたらすのだ。このような認識は、例え自分が他者にどう思われようが、後ろ指を指され、レッテルを貼られようが、

アニメオタクは世界を救うのだ -> 俺はアニメオタクだ -> だから何が悪い

とさえ考えておけば、全く気にならないという、自分自身の自我を安定させるものとしては極めて優れたものである。ただ、世間一般の認識との間には大きな隔たりがあり、従って、アニメオタクは永遠に市民権を得られない存在であるのかも知れない。



不正アクセス禁止法
1999年4月16日(金曜日) はれ

不正アクセス禁止法案きょう閣議決定、提出へ(朝日新聞朝刊)らしい。認証に成功しなければログインできない計算機に、他人のIDとパスワードを用いてログインしたり、セキュリティホールを突いたりすることが不正アクセスに当たるという。こういったことをすると、1年以下の懲役または50万円以下の罰金。今までこのような行為自体を取り締まる法律が無かったので、進歩的だとは言えるだろう。

だからと言って攻撃されうるような計算機をネットワークに繋いでおくのは大いに誤ったことである。いわゆる不正アクセスや攻撃は悪いことではあるが、その対策を講じないのは以ての外だ。Webサーバなど、目立つところにあるサーバは特に攻撃されやすい。いまご覧のサーバも、ログを見ると色々と頑張った形跡があり、多くはセキュリティホールを突こうとしているようだ(ポートスキャンとかね)。こういった行為が違法ですよってことになっても、無くなるばかりか、減ることすらないだろう。

不正アクセスを住居侵入に例えれば、合い鍵が見つかったから、たまたま便所の窓の鍵が開いていたから入った...というようなことになるのだろうが、この場合は、入った方が悪いということで世間の認識は一致しているように思う。計算機の場合はどうだろう。侵入の経過を調べたら root のパスワードが凄く分かりやすかったとか、どっかのポートがバグったまま堂々と空いていた、なんてことが判明すれば、入った方よりもそんな状態を放置していた管理者が悪いというのが管理者同士の認識ではないかと思う。

中には、パスワードすら設定せずに放置したサーバを使われてしまい、「侵入された」と主張するヤツもいる。当たり前という他にないのだが、もしそれが侵入として認められるのなら、WEBページを閲覧することさえも一種の侵入になってしまう。認証が存在せず、特定のポートを叩いてサーバに仕事をさせるという構図は、侵入も閲覧もTCP/IPの世界から見れば、差はないのだから。が、どうもその辺の事情を知らない法律屋に言わせると、都合の悪いポートを叩かれるのは侵入に当たるらしく、温度差を感じるところ。



cdmaOne
1999年4月15日(木曜日) はれ

NTTドコモに反旗を翻した某青島刑事が宣伝している cdmaOne、関東地区では先日サービスが開始したばかりだが、そこそこ売れているらしい。現在PHSを持っているが、わたしの場合、使用頻度は余り高くないので、維持費はあまりかけたくない。もう少し基本料などの価格が安ければ cdmaOne に乗り換えても良いかなと考えているのだが、月々1900円のPHSなら許せるけれど、4500円はちょっと高いね。

以前から書いているが、わたしは、音質が悪い電話機は電話機だとは思っていない。自宅のコードレス電話でさえ嫌いだから、だいたいコードのついている親機を使っているぐらいなのだ。ましてや、「デジタルだから音が良い」なんてJAROに訴えたくなるようなCMを打っていたデジタル携帯など、もはや電話とは言えないだろう。が、移動電話の場合あまり贅沢は言えない。PDCは論外だが、いつぞやに測定器さん相手にお話をして、比較的音質の良いことが判明した cdmaOne なら、許容範囲かなと思う。

今日はこれ以上のネタが無い...一日何をしてたのだろう。



万引き防止タグ
1999年4月14日(水曜日) はれ

アキバのパソコン屋などへ行くと、「万引き防止タグ」なるものが付いている。精算を終えてない商品を店外に持ち出そうとすると、ブザーがなるというアレだ。色んな検出方式があるようだが、タグの単価が安価な為か、ちょっと分厚いバーコードシールのようなもの貼っているお店が多いようだ。このバーコードシールを分解すると、コイルを模したパターンと、コンデンサのような物が入っていて、LC共振回路になっているだ。

店の出入り口に設置されたゲートからは、ある周波数の電波が出ているらしい。タグはその電波に共振するようになっていて、ゲート側は共振を検出すると、警報機がなるという塩梅らしい。逆に言えばタグでなくても同じ周波数に共振する物を持っていれば、警報機は鳴ってしまう。わたしは、ぐるぐる巻いてあるケーブルを買った後にクソマップに入ったら、それが原因で鳴ってしまったことがあった。

経験的に、クソマップのゲートだけは他店よりも感度が良いように思う。何度か経験している誤作動のうち、経験したのは全部クソマップなのだ。万引き防止に神経を使うのも重要なことだとは思うが、クソマップは過剰なのだ。誤作動するとピーピー鳴るわ、振り返られてジロジロと見られるわで、客として大変気分が悪い。前にクソマップで鳴って、警備員に荷物を見せろと言われた。失礼な、何の権限があって手荷物検査などできるのだと暇つぶしに虐めてあげたが、警備員も堪ったものではないだろう。

そんなこんなでわたしの機嫌を害すクソマップには、何らかのお礼がしたいところだ。そこで、こんなのはどうだろうか。まずは、如何にも万引きしそうな感じの服装(ジャンパー、帽子、サングラスとか)に着替え、手には大き目の使い古し紙袋を持つ。紙袋にはパソコン機器の空き箱などを予め入れておき、いかにも万引きしたと見せかけるのがポイントだ。更に、紙袋の余分なスペースや空箱の中には、

書類シュレッダーの紙屑
タバコの吸い殻
電子部品の足を切ったやつ
その他、細かくて掃除に困難が予想される物

などを余すところ無く詰め込んでおく。そして、万引き防止タグを持参してクソマップに買い物へいくのだ。なお、万引き防止タグを持参すれば、入店時にも鳴る可能性が高い。あくまで退店時に鳴って欲しいので、入店時には警報機が動作しないよう、タグの共振周波数を一時的にずらすなどして対応しよう。不安な場合は、事前にゲートを何度も通って感度を試しておくのも良い。

いよいよ本番だ。店内に入ると、目的もなくうろつき、敢えて人目を気にし、何となく商品を手に取ったり置いたり、落ち着きが無く、いわゆる「挙動不審」を演じるのだ。日頃から挙動不審な方は、素のままでも大丈夫。なお、間違っても出来心で本当に万引きしては行けない。そもそもゲートを鳴らすタグ持参なんだから...あくまで演技。一通り店員の不審を買ったら、次は万引き防止タグを持ってゲートを出るのだ。

警報機、けたたましく鳴る

店員、不審者を呼び止める

不審者、うつむいたまま、気まずそうな顔をする

店員、荷物を見せろと迫る

不審者、開示拒否の構えを見せ、じらす

店員、いらだつ

店員、いらだち限界

不審者、ようやく紙袋を店員に渡す

中身を調べようとした店員、ゴミぶちまける

中身を調べようとした店員、空箱を発見して真っ青

中身を調べようとした店員、掃除するはめに

それ、やっぱりゴミだからいらないよ

不審者、店を去り、限りなき陰険さに浸り笑みを浮かべる


ということが起きると予想されるが、やることが陰険だねぇ。



危険なヤツ!
1999年4月13日(火曜日) はれ

歩行者用の信号が「青」の状態で横断歩道を渡っていたら、あろう事か車が突っ込んできた。わたしは減速する気配を見せない車に警戒していたので事故には至らなかったが、さも当然のように赤信号を通過してきやがった。止まるのかな、と思ってガラス越しに運転手の顔を見ると、よそ見をしているようにも見えない。仮に赤信号を見落としていたとしても、わたし以外にも何人か渡っている人がいたし、見通しの良い場所だったので、歩行者を見落とすような状況では無い。が、そのままわたしの前を通過してウインカーすら出さずに左折。

折しもこの時、わたしは別の理由で非常にムカついていた。スーパーで買い物をしてレジに商品を持っていくと、寸分の差で前にオバハンが並んだ。それも全ての行動が異様にのろい。札を出してから小銭で半端を調整するのは誰でもやることだが、小銭は予め手にぶちまけて起き、端数が何円でも延滞無く出せるようにしておくのが筋である。都合の良い小銭が無ければ、躊躇せずに諦めて札で払う。少なくともわたしはそうしているが、このオバハンは、金額を言われてから小銭入れを鞄から出し、小銭をチンタラと探すも、やっぱり小銭が無くて札で払うことにしたようだ。

これだけでイライラするのだが、次にレジのババァが、よりにもよってクリアーキーなんてものを押してみるものだから、もう大変。このスーパーのレジは一度クリアーしても金額情報がメモリーに残っているのだが、ババァはその復元方法が分からないらしく、詳しい人に聞きに行く。それが出来たかと思ったら、今度は何かの金額を間違えて打ち込んだらしく、レシートを訂正。この辺で「何さらしとんじゃー」状態なのだが、怒鳴るのも大人げないので、そういう視線で一瞥...その間に、他のレジでは4〜5人が会計を終えているから、「おまたせしました」じゃねーだろ、ったく。

まあ良い。イライラするのでとっとと外に出たところ、問題の横断歩道に差し掛かった。 この信号無視野郎、さすがに頭に来たので一言言ってやろうと思ったのが、止まろうとするどころか、前述の通りに平気で走っていったので、文句を付けることすら出来ず。ガラス越しに車内を再確認すると、運転していた野郎は凄く頭悪そうなヤツで、助手席には、どうしようもないぐらい頭の悪そうな女が乗っていた。あの顔を見ると、それなりに納得できるのであった。いま思えば、死なない程度に事故っておけば何かと良かったかも(笑)

おっといけねぇ、これだけでは愚痴で終わってしまう。愚痴に飽きた方は、横断歩道を渡るを読もう!

☆ 続々々・100Mbps化

いい加減にせんかい、おんどれ! と言われそうだが、今日は会社の人がアキバへ買い物へ行くというのでついでに新しい100Base-TXのNICを買ってきて貰った。どうしようもない corega のNICは諦めることにし、最近よく見かける A.I.Brain というブランドのものを入手。ここの製品は良く買っている。見かけは安っぽく見えるのだが、今までトラブルに遭遇したことがなく、corega よりも信頼性はあるように思う。使っているチップは corega と同じDECのものだが、型番が少し違う(こちらは21143-PC)。こいつをWinNTにぶちこんだら、一発動作。FreeBSDの動作検証はまだだが、多分大丈夫かな。で、今までの苦労は何だったのだろう。

お陰で、ネットワークドライブが早くなって嬉しい〜!!



続々・100Mbps化
1999年4月12日(月曜日) あめ/くもり

しつこい、というご意見もあろうと思うので100Mbps化の話は今日で最後にする。先日から格闘している100Base-TXのNICだが、わたしと同じ様な原因不明の問題は各所で発生しているようなのだ。何か情報は無いだろうかとFreeBSDのメーリングリストを検索してたら、FreeBSDでもDECの2114x-??系チップで苦労されている方は多いようだ。幸いにもわたしのところでは一応動いたが、Windows系では断固として動こうとはしない。

そんな中、挿しているPCIスロットを変えたら動いた、なんて話があった。バスなんてどこに挿しても同じ事と言えれば苦労はないのだが、実はそうでも無いらしく、他のボードでもスロットを変えたら動いちゃった説はある。宗教的というか、気まぐれというか、何故こんな実装になるんだろうねえ、まったく。さて、これで動かなかったら、このNICを使うのは諦めることを前提に最後の挑戦を行ってみた。結果は案の定NG。まあ、そんなところだろう。

本件に関して何通かメールを頂いたのだが(有り難うございます)、Switching HUB の問題も指摘された。HUBとNICの相性が合わないこともあり得ることや、100Base-TX/10Base-T 自動認識がタコで、ちゃんと認識してくれないこと、HUBのランプも信用できないことなど。特に、「自動認識」というのは、如何にもトラブルの起きそうなところだ。Plug and Play にせよ、その手の自動で設定してくれる系統でトラブルの無い物は存在しない。それに、「パソコンは誰でも簡単に使えるべきだ」なんて余計な幻想が世の中を闊歩し、闇雲に実装され続ける「余計なお世話」機能が問題を起こす。自動が駄目な時は手動で設定できる手段が残されていれば良いのだが、その手段さえ無い場合が多い。

Switching HUB も、例に漏れず自動認識に失敗するという話がある。10Base-Tと100Base-TX、加えてそれぞれの全二重モードが存在し(普通、Ethernetは半二重通信)これらを自動的に認識し、苦労せずともネットワークが使えるようになる..はずなのだが、これがまた曲者なのだそうだ。高級な Switching HUB の中には、自動認識機能を無効にして手動で設定できるものも存在する。しかし、わたしが買ったようなPCIのFX-08Eなど、2万円台前後の価格帯のものは、そういう親切な機能は省略され、自動認識のみでしか使えないものが殆ど。100%信頼できるものであれば良いが、電波的&宗教的要素を多く含む以上、手動設定は欲しいところだ。



続・100Mbps化
1999年4月11日(日曜日) あめ

雨の日曜日に外へ出る気もしない。そんなわけで、今日も動きたがらないNICを動かすべく色々と実験してみた。計4台のPCで実験してみたのだが、Windows系はどれも全滅。そもそも、WindowsじゃあFreeBSDのように設定した通りに動いているかどうかも不明だし、ifconfig のような気の利いたコマンドもない(あるかも知れないけど、知らない)。そこで、Windowsは諦めてFreeBSDで何とか動かすことにした。ちなみに、そのNICとは、corega の FastEther PCI-TX というものだ。苦労を趣味としない人は、くれぐれも買わないようにされたい。

さて、あるFreeBSDマシンに挿すと、昨日書いた通りに動いてくれない。デバイスは認識するものの、arp がダメ。別のFreeBSDマシンに挿してもやっぱりダメ。ところが、畜生〜と頭を抱えながら、ふとPING打ちっ放しの画面を見ると、何もしてないのに出てくるメッセージが Host is down から正常なメッセージに変わってる。なんか知らんが、やってるうちに動いちゃった、というやつだ。その後、コイツはFreeBSDマシンでやや不安ながらも動いている。

しかしまあ、なんでこうパソコン関連のからくりは、セオリーのまま演繹的に動作することが期待できないのだろう。何か買ってきてスパッと動くものもあるが、動かないものを掴んでしまうと休日がつぶれたりする。その辺の判断基準も博打そのもので、それも返品不可だったりして、消費者の権利なんてどこにもないのが秋葉原の法則といっても過言ではない。更に事態をややこしくする Plug and Play に加えて、Windowsの宗教的動作。どうにかしてくれ(苦笑)

どうでも良いが、新しい包丁を買った。さすがに良く切れて気持ちがよい。ところで、多くの男は刃物に恋をするようだが、フロイト先生ならこれをどう分析するだろうか? 太くて硬く、かつ先鋭なチンポを求める願望の現れだろうか(謎)



100Mbps化
1999年4月10日(土曜日) あめ

家のLANを100Mbps化するという、不要なようで良さそうな、悪魔の企画が始動した。取りあえず買ってきた物が8ポートの Fast Ethernet Switching HUB と、100Base-TXのNICを一枚。8ポート中、5ポートが埋まってしまうところが大変恐ろしい。HUBの方は、10Base-T/100Base-TX自動認識と並んで全二重も使えるのでなかなか快調だ。これには何ら問題はない。ところが、coregaの恐らくアライドテレシスのOEMと思われる100Base-TXのNICが動かないのだ。

邪道とも言えるHackを色々と施して見るも、何をしてもダメ。最初は WinNT 4.0 が動いているマシンに挿してドライバを組んでみた。するとちゃんと認識もし、一見、全て正常に事が運んだかのように見える。ところが、パケットの送受信が上手くいかないのだ。PINGを打ちながらHUBのLEDを見ていると、確かに何か出ているようなのだが誰も受け取ってくれない。逆に他のマシンからPINGを打ってみると、受け取ってくれない。これは変だ。

もしかすると、このマシンとは相性が合わないのかも知れない。そう思って、FreeBSDマシンに入れてみた。DIGITALのチップを載せているので、de ドライバで動くはずだ。ドライバを入れて立ち上げてみると、ちゃんと認識され、Autosenseも機能する。ところが、このマシンでも同じようにPINGの挙動が変なのだ。そればかりか、ARPテーブルすら生成されていないようで、それではPINGが通らないのも当たり前であろう。

あるいは、FreeBSDも嫌われているのかも知れない。別のWin95マシンに挿してドライバを入れてみて実験したが、やはり状況は同じ。route print でインターフェースの情報を見る限りでは、問題なく動作しているようだ。しかし、ここでも何故かARPがダメで、当然ながらPINGも通らない。もっとよく調べてみると、受け取ったパケットの物理アドレスは分かるようなのだが、自分から送るときは解決できないという様子。カードの不良とも考えにくいが、よくわからん。

お陰でLANが100Mbps化されないまま、時間は既に夜中の3時前。今日は諦めて、Fast Ethernet Switch の中を10Mbpsのトラヒックが流れるという寒い状況なのだ。



あう〜
1999年4月9日(金曜日) はれ

疲れた...ソフト書いてると疲れる。目も肩も腰も。仕事ではなく個人的なものなのだが、今日は意外と快調に進む。明日は休みだし、こういうときは朝までやりたいところだが、たぶん身体がそこまで持たないだろう。耐徹夜性が滅法なくなり、もう若くないと感じるこの頃。小中学校の頃の「寝ないでも平気」な元気はどこへ消え去ってしまったのだろうか。しかし、相変わらずセンスの無いコードばかり書いてるねえ。

最近、デジカメに使っているNiCd電池の持続力が悪くなった。いわゆる「メモリー効果」というやつだろうか。中途半端な充電と放電を繰り返していると、電池が怠けてしまい、パワーがなくなるという現象である。聞くところによれば、メモリー効果がどういう原理で起きるのか、未だによくわからないらしい。以前は人工衛星に乗っけていたNiCd電池もメモリー効果により、予想よりも早く寿命が来てしまったこともあるとか。

メモリー効果は、ディープな放電を行った後にディープな充電を行うと防ぐことができる。デジカメの場合はどうだろう? わたしは、電池が無くなってきたよ表示が出ると、電池がなくなるまで電源をつけっぱなしにし、切れてしまってからも何度か回復するので起動すらしなくなるまでつけっぱなしにするようにしている。デジカメはかなり電気を食うので、これは時間を要する作業ではない。しかし、デジカメは途中で力尽き、電源が強制的に切られてしまうので、完全に放電させているとまでは言えない気もする。

充電する前にNiCd電池を放電させてしまう放電器があれば良いのだが、そんな気の利いたものはない。一個ぐらい作ってやってもいいのだが、抵抗一本のみで熱にしちゃうだけだと十分ではないのだろうか。秋月電子で放電器キットというものがあり、原理的には抵抗で熱にしているだけだ。ところが、コンパレータ(電圧の比較器)なんかも載っていて、ある電圧以下になるまで、というリミッタ付きっぽい。完全に放電させてしまっても行けないように見える。なかなか気むずかしい電池なのだ。



マル秘・便秘解消法
1999年4月8日(木曜日) はれ

病気とまでは言えないかも知れないが、現代人に多いらしい便秘という現象。これ、わたしも例外ではない。繊維質不足なのか運動不足なのか、それとも不規則な生活が原因なのか。考えてみればどれにも相当する気もするが、かといって生活を全面的に改善するほどの根性も備わっていない。しかし、最近、画期的な解消法が役立っている。

・何か食う
・お茶を一杯飲む
・タバコを一本
・何か溜まっていれば、だいたい出る

どうもタバコがミソらしいが、不思議なのだ。タバコに入ってる成分の何かがケツにプレッシャをかけているものだと思われるが、それが何なのかはよくわからない。もしそれに効果があるとしてもだ、便秘の対策として、わざわざ喫煙を勧める医者などいないだろう。まあ、そんなことはどうでも良い。百害あって一利無しと言われ続けるタバコも、こんな所で某かの健康作用を発揮することもある、というだけのこと。



今日の良いこと
1999年4月7日(水曜日) くもり/雷雨

・午後8時消灯。11時間寝た。
・お陰で更新サボって、朝になって書いている。
・ちょっと寒いが、天気が異様に良い。布団干そう。

でも、悪いこともある。先日、洗濯機が洗濯終了の合図を送ってきたので干そうとしたら、あろうことかティッシュが混入していたことが判明。エライことになっていた。ボロボロになって、随所に白く細かい粒が...干すときにできる限り払い落とすも、どうしても少しは残る。その「少し」が意外としつこくて、未だ部屋に粉砕されたティッシュの粒が散らばる始末なのだ。

今日辺りにHすると、2000年1月1日に子供が産まれる可能性が高いらしい。しかし、2000年はまだ21世紀ではないので、「21世紀最初の子」というセンセーションはなく、「キリが良い」というだけのこと。ついでに、ちょうどいい具合に医療機器が2000年問題でバグって大変なことになったりして(笑) 来年の今日辺りにHすると、21世紀初の子供が産まれるし、ちょうど良いだろうと思う。



アニメやめますか? 人生やめますか?
1999年4月6日(火曜日) はれ

定職に就いてからというもの、アニメオタクから足を洗い、これからは真っ当な人生を歩もうと考えたこともあった。ところが、言わずと知れた有害電波送信局、もといテレビ東京と人々が呼ぶ第12チャンネルの電界強度がここ横浜ではやたらと強く、そしてそれが迷うわたしの背中を押すのである。テレビ東京という、アニメ番組の金字塔が無くならない限りは、わたしはこの呪縛からは逃れられないのだろう。

と、暫くは思っていた。しかし、最近は「どうしても見たい」と思うテレビアニメが消失し、その呪縛から解かれつつあるのだ。何故だろう。それは簡単に言えば、根底から面白いと感じられる作品が無いからだ。良いと感じる作品ならば、例えどれだけ仕事が忙しくてもビデオに撮るなどして鑑賞するが、ここのところはそれほどの必然性を感じる作品はない。4月になって番組編成が変わり、既に幾つかチェックしてはみたものの、どうも期待に反する気がする。

わたしが個人的に「良いアニメ」と類するものは、全体を通して一定のポリシー(あるいはオリジナリティ)と何らかの物語性があり、展開が強引すぎず、30分に満たないながらも一回の放送時間内でそこそこのイベントと起承転結を見せられるものだ。どれか一つが欠けてもお話にならない。オリジナリティのないものは、既に類似するものをどこかで見ているわけだから敢えて見たいと思わないし、展開が強引すぎたり、一回一回に起承転結がなければ、訳が分からなかったり冗長感ばかりが目立って、次の放送を見る意欲がなくなる。

そういう基準に当てはめていくと、「今までにこういう描写はなかったな」とか、「なかなか良いお話だね」というポジティブな印象を持たせるものが無いわけではない。しかし、(偏見かも知れないけど)どうも最近は、「ロリコン」やら「眼鏡っこ」やら「大阪弁」やら、あるいはより一般的に言えば「心身に何らかの問題のある女の子」というような、アニメオタクの混沌とした欲望の対となる概念をたっぷりと含む作品で氾濫している気がしてならない。

そして、そのような作品は、欲望の吸着剤としてはその威力を遺憾なく発揮しているのかもしれないが、それ以上でも以下でもないまま終わっていると思う。それらを含みつつ、何か別の見所があるというのなら、それはそれでいいと思うが、少なくともそれだけでは、わたし個人の「欲望」を満たすことはできない。それが需要と供給の関係...と言われればそれまでのこと。確かに需要は仕方がないとしても、作る側は「こいつは面白いぞ」と思って作っているのだろうか? それとも、需要に合わせてやむを得ず作っているのだろうか?



電気使用量
1999年4月5日(月曜日) はれ

最近は(というか、かなり前から)台所のオートメーション化が進んで炊事が便利になったのは周知の事実だ。どこのご家庭にも、電気冷蔵庫や電気炊飯器、電子レンジなどはあるだろう。ところによっては、コンロもガスでなく電気を使っているところもあるかも知れない。しかし、多くの住宅では、電気の配線がそれらの設備に追いついていない気がする。

わたしの住んでいるところも、実家も、台所と居間のコンセントが20アンペアのブレーカーにまとめてぶら下がっているが、これでは明らかに足りない。電子レンジは10アンペア程度、炊飯器も5〜6アンペアは食う。それに電気ポットや冷蔵庫など、比較的でかい電力を使うものが多いのだ。更に悪いことに、これらの機器は食事の支度をするときには集中的に使われるから、電子レンジと炊飯器と電気ポットを同時に使う事なんてよくあることだ。ついでにテレビが付いていたりすると、ブレーカーがバチンと音を立てて飛んでしまう。

それは仕方がないと言えばそれまでの話だが、せめて台所ぐらいは便利に使いたいものだ。大体、メシが7割ぐらい炊けたところでブレーカーが飛んだりすると、そこで炊飯器がリセットしてしまう。また最初から炊くわけにも行かず、かといって残りだけを炊くことも出来ず、少し蒸らしてから芯の残ったメシを我慢して食う羽目になる。忙しい時に、これとこれを使ったら何アンペアになるかみたいなことも一々考慮していられないし、結局は、住宅の電気配線の容量不足が問題なのだ。

わたしのところも、ブレーカーを増設するまでは台所と居間のコンセントと、電灯が同じブレーカーに繋がっていたので、電子レンジと炊飯器を同時に使うと必ずブレーカーが飛んでいた。しょうがないから、勝手にブレーカーを増設し、電子レンジと炊飯器を分離して解決。配電盤の脇からレンジ台の隅まで電線が伸びていて、ちょっとみっともないが。実家の方も、同じような問題があったので、ブレーカーの増設を検討してみたことがあるが、配線を天井の中を通すことができず、壁づたいに配線すると美観を損ねるというオカンの反対があって、やめてしまった。

しかし、主婦っていうのは何かとやりくりが上手いもので、何と何を同時に使っては行けない、みたいなことを心得ているのだ。入居して直ぐは毎日のように落ちていたブレーカーが、工夫次第で落ちなくなるのだから面白いモノ...というか、オカンの場合は手が遅くて、マルチタスクな用事ができないことが幸いしているのだろう(皮肉)。



レーザーポインタ
1999年4月4日(日曜日) くもり/はれ

レーザーポインタなるものを買ってきた。秋月電子で1000円ぐらいで売ってるやつだ。モノは至ってシンプルな構成、ボタン電池3個とレーザーダイオードが入っているだけのものだ。光線出力は最大で5ミリワットとされているが、5ミリワットを侮ってはいけない。どこまで届くのかと試しにベランダから近所の建物に照らしてみたら、恐らく200メートルは離れているであろうビルの壁に赤い点が出来た。すげー。

しかし、光線は「点」と言えるほど細くない。拡散せずに真っ直ぐ進むはずのレーザーも、ほんのばかしは拡散するらしく、遠くに写すと点が大きくなるのだ。この辺は、半導体レーザーよりもヘリウムネオン管のような、ガスを用いたものの方がより優れているらしい。そのようなレーザー管も、アマチュアでも作れなくはないようだ。ガラス管にガスを封入し、高圧の電源を用意して放電させる。そして、鏡を管の両端に置けば出来上がりという程度のものらしい。言うのは簡単だが、実際にやってみると面倒だろうが。

そんなことを言っていると、何となく作ってみたくなるのが人間というもの。大体、安物の半導体レーザーの真っ赤な光はあまり美しいとは思わない。一般的なヘリウムネオン管も、殆どのものが赤い光を放射するから、これもダメだ。同じやるならダイレーザーと呼ばれる色を変えられるものなど、青や緑の光を出してみたいものだ。これはLEDと同じ感覚だと思う。今まで赤とか緑のLEDしか見たことが無かったときに、部品屋で初めて青色の高輝度LEDが輝いているのを見たときはちょっと感動。短波長な色には、何故か憧れがあるようだ。

ところで、誰か光線を曲げる方法をご存じ無いだろうか。以前、光線の近くに強力な電磁石を近づけると、光線が曲がるというような話を聞いた。レーザーを高速に曲げてスクリーンに絵や文字を書く様子を見たことがあろうと思うが、どうも電磁石(または何らかのコイル)で曲げているらしいのだ。早速、電磁石を作ってみて実験したのだが、何も起こらなかった。ステッピングモーターで鏡を動かすなんて方法も思いついたが、機械的可動部分があれば、どう考えてもそんな高速に描画することはできないだろう。うーん...

今週末、お花見に行かれた方も多いのではないだろうか。テレビのニュースを見ていると、井の頭公園なんて凄い人人人人人人人人人人。なんかもう、人混みをテレビで見ただけで行きたいとも思わない。それに、急性アルコール中毒で病院に運ばれた人間が168人も...酒を飲まないわたしでさえ、限度は知っている。例えば、欧風料理屋の料理に含まれているワインでも酔っちゃうとかね。だから、酒は飲まないのだ。



ネガティブ心理テスト
1999年4月3日(土曜日) くもり/はれ

ある日の事です。あなたが混み合っている電車に乗って座席に座っていました。そして、ある駅に電車が停車したたところ、腰はほぼ直角にひん曲がり、杖はプルプルと震え、いまこの場で臨終しても不思議ではないような、凄いババァが乗ってきて、それもあなたの前に立ちました。このとき、あなたはどうするでしょうか。次のうちから最も適切なものを選んでください。



# ジョークですよ、ジョーク。



エイプリルフールと朝日新聞
1999年4月2日(金曜日) くもり/あめ

更新が深夜になってしまい申し訳ない。今日はメシ食って寝てしまい、夜中に起きたという調子だった。

昨日書いた架空記事を読み直すと全然おもしろくないことに気づく。4月1日に各所のサイトを巡回すると捏造された記事・写真・その他が掲載されているが、自分で捏造するのは案外難しいものだ。いかにも尤もらしく、ちょっと変だとは思いつつ完全に疑うまでには至らず、文章後半でやっぱり嘘だと思わせつつ、やっぱりホントかなと思ったときに、でっかいオチが来る、という流れが理想的であろう。言うのは簡単だが、こんな器用な文を書くのは、才能のないワタシには無理である。

朝日新聞も政治欄に架空記事を掲載して話題になった。あんなことを書かれる日本政府も皮肉なもだが、わたしはあのようなジョークはあっても良いと思う。しかし、国辱記事を専門とする新聞社だからやむを得まい。そんなことを書くと、お前は右寄りかと言われてしまいそうだが、そういう訳ではない。ここ数年で、朝日新聞の質が大幅に低下したと思うのはわたしだけだろうか。いわゆるマトモな視点から書いたニュース記事が減り、妙に感情的だったり後ろ向きだったりする記事ばかりが紙面を埋めているような気がする。

そういう新聞も、あっても良いと思う。多種多様に存在する新聞の中から、ある人間が購読する新聞を選ぶ基準が何か、ということを考えれば当然のことだ。自分が読みたい記事を書いてくれる新聞を選ぶ、というだけのことである。新聞を選ぶに際して、記事内容の信憑性、中立性、あるいは文章能力は、新聞を選ぶこととは余り関係無いだろう。価値基準が自分のそれと最も良く合致する新聞こそが、読んでいて気持ちが良い新聞なのだ。そうでなければ、「何を眠たいこと書いとるんじゃ」という印象が真っ先に来る。

個人的に言えば、朝日新聞はわたしの価値基準に合わない。しかし、それでも朝日を購読するのは、他に価値基準の合う新聞を未だ見つけられないからである。少し前に、よほど新聞を変えようかと思ったのだが、他にマトモな新聞があるかと言えば無い。仕方がないから朝日は朝日で良いことにして、どちらかというと突っ込みを入れながら記事を読む...お前、それは事の本質とは違うだろう? という反面教師としては、良い新聞ではないだろうか。



アナログコンピュータの復活?
1999年4月1日(木曜日) はれ

アナログコンピュータというものをご存じだろうか? 今日では、コンピュータがデジタルで演算を行っていることは言うに及ばないことであろう。しかし、現在ほどデジタル技術が発展していなかった頃、アナログコンピュータというものは確かに存在し、微分方程式などを解くことを得意としていた。電子工作をされた経験のある方ならオペアンプという部品の名前ぐらいは聞いたことがあると思うが、オペアンプを日本語で表現すると演算増幅器である。この演算増幅器は主にアナログ回路に存在する部品だが、名称の通り加算や減算を行うことも可能だ。そして、演算増幅器は、元はといえばアナログコンピュータにおいて演算を行うための回路として開発されたものなのだ。

では、なぜアナログコンピュータが歴史のものとなってしまったのか? それは、現在、一般的に使われているようなコンピュータのように、大きなデータを蓄積したり、あるいは誤差のない算術演算が行えなかったからだ。例えば入力の値を電圧として表現し、その演算結果もまた電圧として表現していれば、誤差は必ず生まれるし、それに電圧を電圧のまま、数ギガ個を区別して大容量記憶媒体に半永久的に保存することは不可能である。このように、高度で正確な算術演算を行う上では、アナログコンピュータはデジタルコンピュータに比べると不利な点が非常に多いのだ。

ところが、最近になってまたアナログコンピュータが脚光を浴びることになった。何故なら、現在のコンピュータの高速化に伴い、デジタル方式では演算速度の更なる高速化に限界が見えてきたからだ。電気が配線の中を進む速度はいくら光速に近いと言えども有限であることには違いなく、仮に一秒間に30万Km進むとしても、例えば10ナノ秒の間に電気はたった3センチしか進むことが出来ないのだ。そのような、むしろ伝達速度の「遅い」とも言える情報を、「ある」か「ない」かの二通りだけの論理で伝えることの非効率さが問題となりはじめた。しかし、例えばある値をアナログ的に変化する電圧で表現すれば、より格段に多い情報を一度に伝達することができ、効率は著しく向上する。

CPUクロックの高速化に伴い、高速化設計に苦慮している某大手CPUメーカは、いち早くアナログコンピュータの利点に注目した。今更、全ての演算をアナログ化することは不可能であるが、デジタル的な手段では今以上に演算効率を上げることの出来ない部分をアナログ化し、デジアナ融合のCPUを開発中だという。CPU内部にはデジタルとアナログのバスが混在するため、相互のやりとりは高速のDACとADCを通す。また、演算の一部アナログ化は、極めて多くの演算を要求されるマルチメディアアプリケーションにも有利に働く。元々、視覚や聴覚という情報はアナログ的なものだ。例えメディアはデジタル媒体であっても、結果的にアナログに変換される情報であるものだけに、途中の演算もアナログ的な手法を用いるのが最も効率的なのだ。

しかし、デジアナ混在CPUが来年の4月1日までに発表されることは、いや、そんなことは永遠に無いかも知れない。



突撃実験室