多事毒論(2002年11月分)


帰国
2002年11月30日(土曜日) 薄曇り@NRT

UKから帰国。もうちょっとマメに雑記を更新できるだろうと思っていたのだが、インターネットに接続できるポイントがなかなか無く、変なところで更新が止まってしまったから、ここをお読みの方には肉じゃがの作り方を伝授するためにわざわざUKまで行ってきたような印象を与えてしまったかも知れない。もちろん、そんな目的で行ってきたわけではなく、きちんとウェールズやスコットランドの方まで(えらいハイペースで)回ってきましたけれど。大まかな感想は、

・夜明けが遅いので、早起きしたときの目覚めが何となく悪い
・夜が明けたらどんよりと曇っているので、なんとなく絶望感が漂う
・しかも16時には日が暮れるので、どうしても行動時間が制限される
・なのに街灯が少なくて夜の街は薄暗く、夜間に出歩きたくならない
・そのうえいきなり霧が出たり雨が降ったりするので、とにかくやりにくい
・さらに街では猫を一匹も見かけず、なんだか憂鬱な感じのする国であった

というところかなぁ。観光が楽しくなかったわけではないのだけれど、人も街もどこか活気が感じられず、どちらかといえばアジア的なゴチャゴチャとしたノリが好きなわたしには合わない国だったという気がする。さらに良く分からないのがイギリス人の人付き合いのスタンスで、弟の寮にいた連中と話していると、みんな表面的には優しいのだが、ホスピタリティーというものがあまり感じられない。かといって除け者にしようという雰囲気でもなく、訪問者がいてもいなくても関係なし、というところなのかなあ。ロンドンを離れてスコットランドの方までいくと、みんなやたらと親切で暖かい感じだったけれど、イングランドの方々は冷たいのかな。

それにしてもすごい国だな、と思ったのは消防士のストライキ。話には聞いていたが、日本ではまず考えられない事態である。労働者として、賃上げや勤務形態の改善を求めてストライキをやるというのは分からなくもないことだが、火災が発生しても知らぬ存ぜぬを決め込むというのだから大変なことだ。ロンドンの地下鉄では、防災上の問題があるとして一部の駅が閉鎖されているし、ホテルには「喫煙はなるべくご遠慮下さい」みたいなことが書かれた張り紙がされている。じゃあ、万が一スト中に火事が起きてしまったらどうするのだ? ホテルの人に聞いてみると、陸軍がやってくるらしい。一応、バックアップはあるということだが、軍は消火活動を専門としているわけではないから不安でねぇ、とのこと。



肉じゃが
2002年11月24日(日曜日) 晴れ/曇り/雨@UK

なんでやねん・・・と突っ込まれそうだが、今日はロンドンを観光したあと、肉じゃがを作ったりした。ロンドンで一人暮らしをしている弟の生活指導も兼ねた観光旅行なので、寮の台所でお料理のノウハウを少し伝授することにしたわけだ。まずは、観光を兼ねた買い出し。現地の人が日頃の買い物をするような店も、生活の様子を探る上では、観光スポットとしては十分に価値のあるものだ。イギリスの物価は全般的に高いのだが(理解に苦しむビックリ価格のものも多い)、食材は日本よりも豊富で安い印象を受けた。比較的多くの人種が混じっているためだろうか。普通のスーパーでも、エスニックな感じのする食材が多く並んでいる(出汁昆布があったのにはさすがに驚いたが)。さらに露天や専門店を当たれば、さほど苦労せずとも世界中の食材が手に入るようである。

さて、ジャガイモやタマネギなどの野菜は、露天の八百屋で新鮮なものが手に入る。スーパーで買うと高いらしいのだが、ここなら日本と比べて半額ぐらいの価格である。牛肉は、店にもよると思うがあまり良質な物は見あたらない。日本では下級と分類される程度の肉が多く、値段もそれなりに安いものばかりだ。むしろ、羊肉の方が豊富であった(不味いそうだけど)。無難なところで100グラム100円ほどの牛もも肉を買おうとしたのだが、問題は、切り方である。塊のままでは肉じゃがには使えないので、「3mmぐらいに」と、具体的な数値を挙げてスライスしてくれるよう頼んだのだが、そんなもの何に使うんだという顔で、それはさすがにできないと言う(薄切りにする習慣がないのかな)。包丁しかなければ、まあ無理もない。しょうがないので、できるかぎり薄く切り、叩いて圧延してもらうことで妥協する。

野菜を切って、味付けし、コトコトと煮込んで、できあがったのはイギリス産の材料で作った肉じゃが。BSE対策の関係で日本ではまず食べられないはずの逸品である。調味料は、大抵ものが揃う。KIKKOMANのしょうゆならスーパーで売っているぐらいだし、日本食材の専門店へ行けば、宝酒造のみりんもある。料理酒だけは、買うと高いらしいのでわたしが日本から持ち込んだ。材料の関係で、味付けは同じでも日本で作るのとは仕上がりが少し違う。まず肉が安物だからそれ相応の食感にしかならないし、ジャガイモやにんじんもいまいち質が悪い。タマネギは比較的まともだったが、それでも泉州産にはかなわない。イギリスでは何を食っても不味いと言われる原因は・・・味付けはともかく、材料に対するこだわりが欠けているからかも知れない。そんなことは、あんまり気しない気質のようだ。

作った肉じゃがをイギリス人に食べてもらったら "Oh, it's very good!" と、意外なことにウケがいい。初めは味見として少しだけ入れてあげたのだが、おかわりまでしてくれる(うれしいね)。調理方法について聞かれたので、基本的に soysauce and sugar だけで味付けていると言ったら、それだけでこんな味になるのかと驚いている様子だった(なるんだよね、これが)。そのような味付けがイギリス人の口に合うのかとやや不思議だったが、見ているとこっちのヤツはロクなものを食っていないから、あれはあれで新鮮で良かったのかも知れない。しかし、肉じゃがをナイフとフォークで食べていたのにはちょっと参ったなあ(笑



長かったー
2002年11月23日(土曜日) 曇り@UK

ひこーきに乗ってお出かけー。朝の11:30に成田を出て12時間も飛んだはずなのに、イギリスの Heathrow空港に着いたのは同日の午後。それだけならまだしも、その前日はどたどたと用事をしているうちに深夜になってしまい、起きられるかどうか自信がなかったのでそのまま起きていた。飛行機で少しだけ寝たのだけれど、乗り物では基本的に寝られない種類の人間だから、殆ど寝た感じがしない。ここに時差のタイムスワップというものが加わり、もう何時間起きていて何時間寝ていないのか、良く分からない状態になっていたりする。

そんで、二階建てバスにも乗った。ロンドン周辺は全般的に運転が荒いのだけれど、このバスだけはバカ丁寧に運転している。今朝、横浜から乗った東京国際空港交通の成田空港行きリムジンバスよりも遙かに丁寧だ。横浜から成田まで一時間ちょいというのは、いくらなんでも飛ばしすぎだ。早朝とあってか、信号無視気味のことも平気でやってくれるし。。



続・単分子化水
2002年11月22日(金曜日) 曇り

愛と叡智の紀州備長炭研究会」さんのサイトにおいて「単分子化水」の販売ページが削除された経緯については、掲示板に説明があった(チェックが足りなくて失礼)。ここで敢えてオカルトを取り上げるのはもちろん一方的に叩くためであるが、同時に相手のご見解も紹介せねば――例えそれがアサッテのものであったとしても――不公平というものだ。で、掲示板の書き込みによると、あれは「『単分子化水=アレフ』という印象でとらえられてしまうことを懸念して」の削除であったらしく、騒がれているのは他社の同種商品であるから問題はない、とのことで、名称を「活性化鉱水」に改めて販売ページが復活。単なる呼称問題で騒がれているわけではないと思われるので、論点が思いっきりズレている気がするのだが。

「活性化鉱水」という、なおさら意味不明な名称は当該商品の特許名であるらしく、それゆえにこれが正確だというのだが、特許名なんざ便宜上つけてある程度のものだから、いずれにせよ同じことである。それに、水に限らず、原理が不明確な商品に限ってやたらと「特許」を強調し、商品価値の根拠にしたがるという共通点が見られるが、特許ってそんなに権威のあるものだったのだろうか。いつから特許庁が何かの認定機関になったのだろうか。極論すれば、でっち上げでもオカルトでもスジの通った説明にそれらしい図面さえ添えりゃいくらでも特許になるわけで、特許特許と書いてあると、逆にその以外に認めてくれるところがないのだろうかと想像したくなる(まともな商品なら、いちいち書けないほどの特許が絡んでいるのが普通だし)。

よくわからない原理を応用したとされる改質系商品のもう一つの共通点は、「活性化」という言葉の多用である。一般的には、物質に何らかのエネルギを与えたりすることを活性化というが、そういう業界では、ある物質を、開発者が思い描く理想の状態に変化させることを総じて活性化と呼んでいるようだ。まあ、既知の科学では説明できない現象には、その現象を表す用語が定義されていないわけだから、そうとでも書くしかないないのだろうけれど、活性化とは具体的に何をやっているのかと問いつめたくなってしまう。でも、売る側としては、逆にその曖昧さがいいのかも知れない。「単分子化水」といった、何を目指しているのか具体的に分かる名称では突っ込まれたときに困るが、意味不明のままなら「とにかくそうなるのです」でも通用しそうだし。

念のため断っておくと、売られている商品自体についてどうこういいたいのではないし、それの使用を否定したいのでもない。アウトローであったり、オカルトな商品を製造販売する商売も、それはそれであってもいいと思う。有害でない限りは、買ったヤツが満足さえしていれば、それも一つの幸せであろう(もっとも、こういうのが好きな人の言葉を借りると「未知の危険が潜んでいるかも知れない」と言うのか――完全に無害であることはないと思うけど)。気に入らないのは、エコだの健康だの親切だのと並べ立て、いかにも「うちは優良店ですよー」という雰囲気を作りつつ、そういうオカルトな広告を平気で出している厚顔無恥な販売サイトの存在だ。つまるところブームに便乗したビジネスに過ぎないのに、活動家のノリだもんなぁ・・・。



単分子化水
2002年11月21日(木曜日) 薄曇り

浄水器の効能として、現実には製造できない「単分子化水」を製造できると表示したことは誇大広告にあたるとして、特定商取引法違反の容疑でオウム施設の捜索が行われたと、産経新聞社が報じている。オウム真理教の出家信者が、自身の経営する会社のウェブサイトにおいて、そのような効能を謳う浄水器を販売していたという。まあ、ちょっくらオウムに定期監査をくれてやろうかということになっても、捜査機関が捜索を行うためには何らかの法的な根拠が必要だから、ここに挙げられている被疑事実なんぞ根拠のための根拠に過ぎないことは明らかだが、注目に値する話ではある。「単分子化水」が違法であるなら、様々なオカルト理論をウリにした浄水器・水改質器(?) を販売する多くの業者にとって、あまり好ましくない前例ができたことになる。

取り敢えず Google で「単分子化水」を検索してみると、今日の時点で66件のサイトが引っかかってくる。このうち、販売会社と思われるのは15件ほど。もしかしたら、このうちのどれかがオウム施設捜索のきっかけになったものかも知れないが、それは分からない。この報道を受けてかどうかは知らないが、検索結果の一位に出てくる「愛と叡智の紀州備長炭研究会」さんは、今日のうちに『単分子化水(マイナスイオン水)の浄活水器/ワンウォーター&ウォーターセラピィー』のページを削除している。今日の午前中まではあったのだが、この絶妙な削除タイミングは何であろう。万が一うちにもガサが入ったらとビビってしまったのだろうか。仕方がないので、Google のキャッシュにリンクしてみる。

同ページのオカルト度は、なかなかのものだ。商品説明において『単分子化水が創れます』と、わざわざ創造の「創」を当てられると「不思議な魔法でも使うのか?」と聞きたくなるし、『酸化(腐敗)を抑制し還元(醗酵)させることができる』とか、まったく意味の違う単語が括弧で書かれている文など、どう解釈すれば良いのだか理解に苦しんでしまう。だが、もっとすごいのがあった。同じ商品を売る別な販売会社、「フリーサイエンス」さんの商品説明なんて、書こうと思ってもなかなか書けるものではない。曰く、「容器に果実(青梅・ブドウ等)を入れ、単分子化水で満たすと、醗酵(還元)ジュースができる」「牛乳に1〜2ccの単分子化水を入れることにより、腐らずに(酸化せずに)ヨーグルトになる」だそうで・・・。この内容なら、こういうものに惹かれやすい人ですら二の足を踏むのではないかと思えるほどの凄まじさだ。

原理のはっきりしない商品を売るなと言うつもりはないけれど、原理のはっきりとしているものをねじ曲げるのは・・・。



続・脱色
2002年11月19日(火曜日) はれ/薄曇り

髪を脱色したらかなり不本意な結果になってしまい、結局さらに強烈なブリーチを買ってきてしまった。よしんばそれが無駄な足掻きに過ぎなくとも、男にはやらなければならないときがあるのだ。で、追い打ちをかけてみた結果は気品にやや欠ける感じのありがちな茶髪。光が当たると少し赤く輝いているように見え、それはそれで綺麗だと思うのだけれど、想像していた仕上がりとは随分と違って、色は濃いめだ。能書きのとおりに脱色されていれば、とっくに金髪を通り越していてもおかしくないぐらいやっているのだが、なかなかしぶといものだ。まあ、材質特性がだいたい分かってくると飽きてしまうものらしく、そろそろどうでもよくなってきた。



中華街
2002年11月18日(月曜日) はれ

くたばり気味だったモニタが、とうとうご臨終。昨日、多事毒論を書いていたら突然、CRTから轟音が出て画面が消え、以後リレーの音が一定間隔でガチガチと鳴るだけの箱になってしまった。6年前のCRT式17インチモニタを、いまさら金をかけてまで修理すべきかどうかは微妙なところだ。取り敢えずバラしてみてダメだったら液晶が欲しいと思っているものの、先立つものがあるかどうかも微妙なところ。壊れたヤツとは別に、もらい物の Sunのモニタがあるので、困ることはないのだが。

ごみごみとした雰囲気の中華街が美しくなるらしい。客足がいまいちなのは不況の影響もあるのだろうが、いまどきあることを達成するために、どうしてもある街へ行かなければならない事情自体がそもそも薄れてきているからではなかろうか。喩えれば、量販店が林立する今日日、家電を買うならどこそこの電気街なんて誰も言わなくなったのと同じように、単に食事をするためだけに、わざわざ中華街へ出向く人はそういないだろう。どの店の何々が食べたい、美味い店を発掘したい、といった具体的な目標を掲げてやってくる人もいるけれど、中華街にやってくる大半の観光客は、そのような食通だとは思えない。るるぶ片手にそれっぽく、なんてのは大勢いるだろうが。

それでもなお、休日ともなれば中華街の路地が人で溢れかえるのは、加賀町警察署の角を曲がれば、その先には一種の異世界が広がっているからに違いない。勘だけが頼りの人も、るるぶ様々の人も、ここへ来れば未知の何かに出会えるのではないか、という認識では一致しているのではないだろうか。記事にあるように「若者女性の集客」を狙うなら、あの街並みを怪しい、汚らしいと評する人も多いのは分かる気がする(個人的にはあれが好きなんだけど)。だから何の改修もすべきではないと言うつもりはないけれど、どう変わるつもりなんだろう。少なくとも、中華街大通りが小綺麗な没個性的飲食街に成り下がることがあれば、それは街が終焉のときを迎えたと見て差し支えはなかろう。

街自体の話ではないから欄外だけれど、店単位で見ると、中華街の没個性化はすでに始まっていると思う。一つの料理に命をかけている感じの専門主義的な店が減る一方で、そこそこのクオリティで何でも食べられるタイプの店が妙に増えたと感じる人も多いのでは。



脱色
2002年11月17日(日曜日) 薄曇り

またもや髪の毛ネタで引っ張ることになってしまうが、今度は髪を脱色してみた。同じ色を変えるのなら、「それって何かのコスプレ?」と聞かれてもおかしくないぐらい奇抜な色にしてみるのも面白いと思うが、黒髪がいきなり多種多様な色に染まってくれるわけではないらしい。それに、自分でも忘れかけていたが一応は会社員である立場上、職を維持しつつ不良の道を突き進むには、段階というものも必要かも知れない。そんなわけで取り敢えずブリーチってやつを買ってきて、髪を脱色することにしたのだ。

実は、ずーっと昔に一度だけ脱色を試みたことがあるのだが、その際に、どういうわけかわたしの髪にはブリーチがほとんど利かないことが明らかになっている。一回では全くと言って差し支えがないほど脱色されなかったので、規定の時間を超えて二度目をやったにも関わらず、あまり効果が現れなかったからだが、まあそのときは単にやり方が悪かっただけかも知れない。そう思って、今回は15分で茶髪になるとされているごく普通のやつを、手順書どおりに使ってみたのだが――結果は、ブリーチの惨敗である。いくら待っても顕著な変化が認められないので、1時間近く放置してから洗い流したのだが、何となく茶色くなった程度だ。

これではいまいちやった気がしないので、余った薬液で第二回目の脱色をやることにする(脱毛にならなけりゃ良いが)。だが、わたしの髪がメーカの想定よりも相当しぶといものであることが明確となっている以上、なるべくブリーチの効果を高めるための工夫もしておいた方が良さそうだ。髪は半乾きぐらいの方が効果的に薬剤が染み込む気がしたので、第一弾目の洗い流しのあとはわざといい加減に乾燥させ、さらに暖房を強烈に効かせて部屋を温める。反応速度を速めるためだ。これでどうだろう。一回目の経験から、やたらと長時間放置しても無意味のようなので、今回は30分ほどで洗い流してみた。時間だけの問題でもないのだろう。

そして結果は――ここまで気合いを入れてやったにも関わらず、やっと「それなりに茶色くなった・・かなぁ?」と思えるぐらい。「仕上がりイメージ」の色と比較すると、メーカが想定している髪質なら、一回だけやって15分ほど経てば達成できることになっている程度だ。まったく、わたしの髪はどうなっているのだか。ブリーチの歯が立たないようでは、ほかの色に染めるのは無理かもしれない。



伸び
2002年11月16日(土曜日) 薄曇り

証明写真 6日に続いて、またまた髪の毛ネタで申し訳ないが、友人知人らの主観的な印象によると、わたしの髪の毛はやたらと勢いよく伸びているように感じられるらしい。前に会ったときは言うほど長いとも思わなかったのに、いったいどんなスピードで伸びると、シッポができちゃったりするのだ? といったことをよく言われるのである。そういわれてみれば、自分でも何だかすぐに伸びてしまう気もするけれど、実際のところどうなのかは良く分からない。定点観測を行えば分かるはずなんだけれど・・・と思ったら、証明写真というものがあった。

それすら多数あるわけではないが、ちょうど一年前の2001年11月にパスポートの発給を受け、その4ヶ月後の2002年3月に運転免許の更新を行ったので、それぞれに貼られた写真を並べてみた。パスポートを取ったときは、ゴムで括れるほどの長さはなかったと記憶している。写真で見ても、後ろ髪が襟元あたりまでしかないので、これで括るのはまず無理である。括るようになったのは、確か今年の初めぐらいからだ。2002年3月に撮影された免許証の写真では、量感が明らかに増え、後ろ髪も十分に括れるほどの長さに伸びている。写真は括っていない状態で撮られているが、まだこのころは後れ毛が多く、括ってもいまいち美しくなかったからだ。けれど、括らなければ括らないで鬣のようになってしまっているから、いま思えば括っていた方が良かったかも知れない。

いちばん右の写真は、先週、床屋できちんと髪を切ってもらったから撮影したものである。この写真も並べてみたのは、ちょうど2年前の2000年11月にも、同じ床屋で髪を切ってもらっているからだ。その直後に撮った写真はないのだが、これとほぼ同様の髪型であったと思われるので、その参考として掲載した。今年5月7日の記事によると、2000年11月以来、床屋には行ってないことになっている。すなわち、2001年11月の写真に写っている髪の長さから、2001年11月に撮影したパスポート写真に写っている髪の長さになるまで、約1年だったというわけだ。これらの写真を見比べると、確かに早く伸びている気もするが...うーん、そんなものといえばそんなものだろうか。



電気メータ交換
2002年11月15日(金曜日) はれ/薄曇り

半年ほど前のことだ。仕事を終えて家に帰ると、埃にまみれていたはずの電気メータが、どういうわけかピカピカになっていた。毎日まじまじと点検しているわけではないが、電気メータは玄関の真上に取り付けられており、帰宅する際には嫌でも目に入るので、いきなり綺麗になっていれば違和感を感じないはずがない。そういえば、電気メータには有効期限があって、一般的には10年ごとに新品に交換されることになっている。ピカピカになった電気メータを見たら有効期限が10年後の平成24年になっていたので、なるほど原因は判明したのだが――しかし、そんな連絡は受けていない。メータをいったん取り外すのだから、作業中は停電していたことだろう。なのに無断でやっていくとは、やってくれるではないか。

そのときは具体的な被害はなかったのですぐ忘れてしまったのだが、別の部屋の電気メータがまさに無断で交換されようとしている現場にたまたま発見して、そのことを思い出し、作業をまじまじと見学した(同じ建物なのに、有効期限はなぜか全部ばらばら)。電気工事屋の格好をした人がやってきて、いきなりごそごそと電気メータをいじりだしたから、最初はやや不審だと思って見に行ったのだ。結論からいうと、電気メータは停電なしで交換されていった。電気メータを取り外す前に、供給側と負荷側の電線を専用のジャンパで直結するのだ。ジャンパは、被覆の上から無理やり押し込むもので、AMPのエレクトロタップを強烈にしたようなやつと言えば分かるだろうか。導通確認用と思われるLEDまでついていた。

なるほど、そういうことだったのね。



ガキ突進
2002年11月13日(水曜日) はれ/薄曇り

久々の午前様。わたし、夕方になると急にお腹が空いてきて集中力が散漫になってくるタイプなので、職住接近というのはなかなか便利だ。こりゃ長引きそうなと思ったときは、いったん家に帰り、メシを食ってから再び職場に戻って第二部を始められるからである。しかし、適当にやっていれば間に合うだろうと思ってノンビリ気味に仕事を進めていたら、色んな番狂わせが重なってぜんぜん終わらなかった。まあ、ちょっと油断すれば大抵そんなもんだ。しょうがないから少し遅くまでやるかと思って集中的に進めていたら、気が付いたときにはほとんど朝になってしまったいた。まあ、ちょっと集中してやれば大抵そんなもんだ。どういうわけか、いつもそんなもんだ。

最近は、底にローラの埋め込まれているヘンな靴が小学生の間で大ブレークしているんだなと思って、小学生のお子さんがいる人に聞いてみると、そんなものはそろそろ廃れはじめているから、そのうちなくなるんじゃないか、とのことだった。そろそろ廃れ始めているらしいときに「流行ってるの?」なんて聞くわたしもわたしだけれど、それはともかく、あれのおかげでキレそうになったことがあり、精神衛生上非常によろしくないので、廃れているというのは誠に嬉しい話だ。子連れ客の多い休日のスーパーなんかで買い物をしていると、どえらい勢いで突進してくる危険なガキどもがウジャウジャとおり、周りでやられるとどうも落ち着かないので、迷惑きわまりない。つい、そのままガラスケースとランデブーして頸動脈でも切ってくれないかな、などと考えてしまう。

スーパーの床なら非常によく滑れるだろうから、そういうところへ行くとあれで遊んでみたくなる、というガキどもさんの気持ちは分からないでもないし、多少のことでガキ相手にキレるほどケツの穴の小さい人間ではないつもりだが、まさに衝突してくるところを横で親が見ているのに何も言わないとなると、親子共々釘バットでめった打ちにしたら楽しいだろうな、などと良からぬことを考えざるをえない。ぼやっと見てないで、せめて注意する仕草だけでも見せてくれれば、随分と気分は変わるものだけれど。残念ながら、「あー、いてててて。テメェがこいつの親か? あーいてぇぇ」などと大袈裟に始められるほどチンピラ式の問題解決方法に長けているわけでもないし、騒ぐだけエネルギーの無駄かなとあきらめるのが、いつものパタンだ。

何にせよ、ガキの問題で辿り着くポイントというのは、親以外にないんだけどね。



ネタなし
2002年11月11日(月曜日) はれ

死刑にしたいヤツの椅子に貼ったりすると楽しいことになるかも知れないプレート。実際あったら恐いが。



更新報告
2002年11月10日(日曜日) はれ

「いつの話?」「そういえば、そんなのもあったっけ?」などと言われてさえいる台湾一周旅行のシリーズ「その3」を部分的に公開。だいたい、行ったのは8月のことである。もう11月だというのに、まだ2日目のところを書いているとは、まったくなんというスーパースローペースな更新なんだろう<自分のことですが。さらにイギリスへ行ったりすれば、さらに書きたいことが増えて――もう、どうなることやら。



イギリスどうしようかな・・
2002年11月8日(金曜日) くもり/はれ

イギリス旅行の計画をとっとと上げてこいと親から煽られているのだが、そんなことをゆっくりと考えている暇があまり無いこともあって、なかなか決まらない。大まかな周り方としては、ありがちと思われるが London → Stonehenge → Windermere → Stonehenge → London という感じのコースで既に確定しているので、それだけ分かっていれば、少なくとも「どこへ行けば良いのかも見当が付かない」という事態にはならないだろう。親は、二日もかかるスコットランド周遊バスツアーを組み込んだりしてある案を出してきた。確かに、不案内な土地を無理に自分で動こうとするよりは、その方が良いような気もするが、強制的に連れて行かれるタイプの旅行はどうもいけ好かないし、6泊7日という中途半端な日取りでは、あまりノンビリもしていられない。

それならばいっそ、敢えて何も決めないで行き、仔細は現地で当たりをつけつつ、その場のノリで決めてしまった方が良いのではないかと思っているぐらいだ(もちろん予習はしておくべきだけど)。大して広い国でもないから、取り敢えず車を借りて、手当たり次第にそこらを走りまくる、というのもできないことではなかろう。必ず行けるとは限らないが、イギリスに詳しい方、どこかこのコース上でお勧めの場所はないだろうか。



看板娘
2002年11月7日(木曜日) くもり

一部からは激しい不評を買いながらも、他方ではあれのおかげでツボにはまった、といった意見さえ散見される、突撃実験室インデックスを飾るタイトル画が新しくなった。この度の人事異動では、コンテンツとのミスマッチなんてまるで考えずに猫耳さん(推定12歳)を看板娘に据え、もうわたしの個人的な趣味路線まっしぐらだったり。だいたい、これを見ただけではここがいったいどんなサイトであるのかもよく分からなくなってしまっているから、タイトル画としての役割すら正常に果たしているのかどうかも怪しいけれど、そんな些細な問題、気にしないことにしよう。



続・髪を切る
2002年11月6日(水曜日) はれ

ハク様スタイル シッポを切り落とした直後には、信じられないような髪型になってしまった。頭から生えている髪の毛を、束ねたままの状態でざっくりと切り落とし、そのまま広げたらどんな形になるか。実際にやってみると分かるのだが、後頭部を正面に見て中央部の髪がもっとも短くなり、両端にいくほど徐々に長くなっていく――要するに、逆扇形に広がってしまったのだ。「おかっぱ」を逆扇形に切り取ったような髪型といえば・・・そう。まるで「千と千尋の神隠し」に出てくるハク様のようなヘアスタイルになってしまったのである。

こりゃいかん! どう考えてもこのままではおかしすぎる。内勤だから職場へ出るだけなら、別に珍しいヘアスタイルでも変わったヘアスタイルでもあまり問題はないのだが、それにしてもハク様スタイルは明らかにヘンだ。かといって、頼りの床屋さんは深夜だから開いていない。仕方がないから、どうにかして応急的に修正することにした。しかるに、この独特な逆扇形が非常にまずい感じがする。だったら、両端の長い部分を切り落とし、全体を真っ直ぐにすれば辻褄が合うのではないか? と考え、見えないから、これまた勘だけでハサミを入れていった。ええぃ〜っ、だいたいこんなものだろう。やっぱり見えないから結果は分からないが、何となくそれらしい感じになった気がしたので、残りはプロに任せることにする。

翌朝、出勤すると髪を切ったことには当然ながら気付かれたが、切ったあとがどうも変だという指摘はない。仕方がないので、自分から「ヘンでしょ。ね、ヘンでしょ」と騒いでみたところ、言われなければ自分で切ったとは気付かない、という意見であった。仕事をちょっと早めに切り上げて、滅多に行かないながら馴染みの床屋さんへ行き、そこで事情を説明しても、やはり後ろ髪は綺麗に揃っているから言われなければ変だと思わないと言われてしまう。髪型としては少し風変わりだけれど、新手のスタイルとして美容院か何かでやってもらったといえば、そうかも知れないと思ってしまうというのだ。シロウトにここまでやられては、床屋が食えなくなってしまうだろうと。ほえー。わたしって素質あるのかな。

「また遊んでみて、どうにもならなくなったらいらっしゃいね」思えば、いい床屋さんに巡り会えたものだ。自分で切るの、もうやめにしようかな。それにしても、まだ11月なのにもうクリスマスの飾り付けとは気が早いぞ>伊勢佐木モール。



髪を切る
2002年11月5日(火曜日) はれ

昨晩、勢いでシッポ状態になっていた後ろ髪を切り落とした。括ったままの状態でちょっと高級な事務用のハサミを当て、あとはひたすらジョキジョキと切り進むだけ。自分では見えないところだから、勘だけが頼りだ。しかし、束ねた髪の毛は意外と丈夫で、事務用のハサミでは刃が滑ってなかなか切れない。刃にアールの付いている植木バサミか何かを使えば少しは切りやすかっただろうが、そんなものは持っていないから、こうなりゃもう力任せだ。切るというより、むしろ削り落とすような感じでひたすらハサミを動かし続け、そろそろ手と腕の筋肉がちぎれるかも知れないと本気に思い始めたころ、やっと切断に成功。はい、わたしには200mm弱のシッポが生えていたのです。

そもそもこのような髪型になってしまったのは、いままで自分で散髪をしていたからだ。前髪は鏡を見ながら切れるので定期的に処理しているのだが、手の届かないところは放っておくしかなかったので、後ろ髪だけやたらと伸びてしまったのだ。しかし、こうなった原因は確かにそれだけでも、切る機会がいくらでもあったのに、いままで切らずに放ってあったことには、別な理由があったかも知れない。これまで、切れ切れの大合唱を様々な人から頂きながら実際に切ったことはないし、自分でも邪魔だなと感じていながら、切ろうという決意にはなかなか至らなかった。なぜだか自分でも良く分からないし、ましてや他者には理解しがたいと思うのだけれど、シッポにある種のコダワリを持っていたことも事実なのだ。

無理やり話を繋げると、わたしは自己嫌悪の塊だったときがあった。いまだから具体的に言えるけれど、たとえば、いわゆる格好いいタイプの人間と自分とを並べて、一体どうすればああなれるのだろうと模索したあと、結局いかんともし難い現実のカベに阻まれて、さらに新たな自己嫌悪が形成されるというパタンである。そんな足掻きの不毛さに気付きはじめたのは、いつしか、自分はどう背伸びしてもそこらのイケてる連中には及びようがないという諦観に辿り着いたときだろうか。ごく平均的な価値観の中で上手く生きられないのなら、それとはぶつからない、なおかつ比較の対象にもならない、まったく別種の価値観を機軸とした生き方をすれば良いのではないか。喩えるなら、隙間産業と同じアイデンティティの確立方法が、こうした体験から導き出された気がする。

端的に言えば、それは多分、根っからの変人として生きるということじゃないかと思う。その方向性の決定は、恐らく選択の余地のなかった必然的なものだったとはいえ、敢えてそれが良かったのかどうかの自己評価をすれば、自分なりには良かったのかなと思う。「変なヤツ」をどう定義するかにもよるが、好意的に解釈すれば、それはあんた以外の人間には無いものがある、という一種の誉め言葉と受け取れる。変なヤツであるがゆえに損をしたことも当然ながら多くあったと思うが、変なヤツであるからこそ、変なヤツ専用の居場所を独占できてきたわけだから、それなりの恩恵はあったといえよう。これは、自惚れでも何でもない。違った解釈もあるだろうが、少なくともわたし自身では、そう解釈する以外に、自分という存在を現実に繋ぎ止めておくことができないのだから。

そう考えると、シッポというのは、変人的というか隙間産業的というか、そういう種類のアイデンティティを示す、目に見える形での記号だったのかなぁ。切断作業から丸一日、頭が妙に軽くなって微妙な違和感があるなという物理的な喪失感とともに、なんだか自分を表す記号を一つ失ったような、心理的な喪失感も無いわけではない(もっとも、それは失って初めて気付くもので、実際に切ってみるまで分からなかったことだが)。その正体は一体なんだろうと考えながらダラダラと書いてみた気付いたのは、取り敢えずしばらくは、そんな記号を頼りにするのは止めてみようということか。読み返してみると、久々に電波入りまくりだけれど。



長野の日
2002年11月3日(日曜日) はれ

長野の日。深夜、諏訪南のインターを降りると星空がとても綺麗だった。天文にあまり興味がないからか、それとも普段はまともな星空を見ることがないためか、ほら、あれが何とか座だよなどと小難しいを言われてもどれが何なのかまったく分からないけれど、星があろうとなかろうと、わたしにとっては夜空が漆黒に染まっているだけでも十分に感動的だ。NHKのニュースで写ったりする横浜の夜景の明かりは一見美しくても、その代償として夜空をいつも薄明るく染め、星の煌めきを葬っているのだから、夜景というのはものすごく贅沢なものなのかも知れない。そんな、へんちくりんな夜空でも慣れてしまえば別にヘンだとは感じないのだが、やっぱり夜空って黒いものだったんだね。

そんなわけで長野の猫模様――

1. 段ボール箱でお休み中
2. 段ボール箱でお休み中の別カット
3. わたしの知る限りで最大級
4. てのひらゾウムシさん(違



復活
2002年11月2日(土曜日) はれ

今日から復活。長らくの更新休止で、多方面にご心配をおかけしました。多事毒論は、わたしの生存証明になっているところがあり、明確な理由もなくここが止まると生死確認の電話がかかって来ちゃったりするようです。あはは、すみませんね〜。

何をしていたかというと、混沌を極めていた部屋を本格的に片付け始めたら、のんびりと文章を書いていられるような状態ではなくなってしまったのだ。日常的な細かい清掃を除いて、ここ何年かはまともに整理などしたことがなかったと言えば、だいたいどのような有様であったか想像がつくかと思う。散らかりようが一定のラインを超えていると、考えただけでうんざりするものだ。その整理を始めるには、演歌に出てくる女があらゆる苦労を受け入れると宣言するかの如き強い決意で臨むしかないわけだが、なかなかそんな気になれず、いつかはやらなければならないことだと分かっていながら先延ばししているうちにますます酷くなってしまったというか――もとい、もうどうでもよくなっていたというのが正直なところなのだが――ちょっとしたきっかけがあって、自ら整理の火蓋を切ってしまったのである。

そもそも、なぜ片付かないのか。この永遠の疑問に答えるには、まず「片付いている」とはいかなる状態を指すのかを明確に定義しなければならないだろう。「すべての物品が、それぞれに与えられた定位置に保管されている状態」という定義なら誰でも思いつきそうだが、これは実は、現状でも概ね達成されていた。だいたいのものは、だいたい決まった場所に落ちていたり埋もれていたりしたから、それも定位置といえば定位置だ。だから、「ただし、定位置は床や机の上であってならない」という但し書きを付けて、初めて何とかそれらしい状態になるはずなのだが――部屋を見渡してみると、床や机以外の場所に、定位置になりそうな場所がそもそも存在しないのである。いや、あるにはあるのだが、すでに大量のモノでふさがっているから、そのままでは床とか机の上に散らばっているものが片付くことは論理的にあり得ないのだ。

以上の結論から、大々的な模様替えを決行するしかないと判断。棚の拡張や保管状態の効率化で少しぐらいは保管場所を稼げるだろうが、とにかく総量を減らす以外に道はない。だが、この作業は困難を極めた。もともと激しく散らかっているので、その上さらに保管状態にあるものを棚などから下ろして広げ、必要、不要の分別を行うことが物理的できないのだ。仕方がないから、床に散らばっているものを暫定的にまとめて作業場を確保したのち、今日はどの棚の何段目という具合に小出しにしながら分別作業を進めていく。しかし、最初のうちはそれで場所のやりくりができていたのだが、整理が進むにつれ、こんどは分類不可能なもので作業場がどんどんと埋まっていく。時として布団の上までもが一時保管領域として活用されることとなり、その日の作業を終えるまで寝られないという強制ノルマまでできてしまって、睡眠不足に。。

それと平行して、休みの日にホームセンタや家具屋を周り、新しい本棚を購入。30kgもある組み立て式の本棚を、押しつぶされそうになりながら一人で運び入れたまでは良かったが、このとき部屋は惨状を極めていたので、よく考えたら組み立てる場所がない。散らばっているものを強引に退けたりしながら何とか組み立て、ようやく散らばっている本などが収まるべきところに収まった。あとは、段ボール箱に適当に詰め込んであったものをひっくり返しては再整理したり、使うことはないであろうものをひたすら捨てて捨てて捨てまくり、約1週間で45リットルのゴミ袋8袋分ほどのゴミを出して大まかな作業は概ね完了。最後に残ったのが、どう分類すれば良いのやら検討もつかない小物系だ。手元にあるものは何でも「何かに使えるだろう」と溜め込んでしまう貧乏性タイプなので、うちにはわけの分からない小物がやたらとあるのだ。

これらをどうするか。この時点ではもうかなり疲れていたので、かなり投げやりな対応になってしまい、何の脈略もなく段ボール箱に詰めて、作業完了。恐らく数年後に、これは何だと悩みながら捨てることになるものの詰め合わせが一つできてしまったが、まあ良いだろう。終えてみると、あのような状態の部屋がよくここまで片付いたものだと我ながらうっとりしてしまうぐらいだ。問題は、この状態をいつまで保てるか、なのだが。



突撃実験室